【追悼】鈴木邦男

鈴木邦男さんとの思い出

鈴木邦男さんの訃報を聞いた時、頭の中がポカーンとした。もっと悲しむと思っていたが、頭の中が空白になり、涙も出ず、悲しい思いもこみあげてこなかった。とにかく頭の中が真っ白け。なんだか情けない。これではいけないと自分で何度も思った。

鈴木邦男さんが、あちこちに出かけるたびに、一緒にお供して付いて行った。2人で、大阪の司馬遼太郎記念館にも行ったし、岐阜の金華山のお城にも行った。また吉本さんと言う女性と3人で、京都の嵐山や、岡山の番屋さんのところ、神戸のハーバーランド、奈良などにも出かけた。本当に、いろんなところへ出かけては、付いて行った。本当に鈴木邦男さんに付いて行って、お供することが自分の生きがいだった。

また、私が金沢に単身赴任した時には、毎年、北陸に旅行で遊びに来てくれた。今年は金沢、次の年は富山、そして又福井へと、いろいろ遊びに出かけて、そのたびに「いつまでも、元気でいてね」と心で念じていた。

最後に出会ったのは、3年前の12月24日のクリスマスイブの日、鈴木さんは東京の病院で入院していた。たしか荻窪だったと記憶している。たまたま私が仕事で埼玉に出張したので、その帰りに病院へお見舞いに行ったのだ。鈴木さんとは、いろんなところへ出かけた思い出話を語り合った。鈴木さんは、「岩井、元気になったら、今度は関ケ原に連れて行ってくれ」と言われたので、「必ず連れて行きます。関ケ原の笹尾山に一緒に登りましょう」と約束したのだが、ついにその約束を果たすことができなかった。それを思うと、とても辛い。

私は、もともと自宅の部屋で本を読んでいるだけのインドアな人間。知らない人と交流することも苦手だし、人の輪を広げようなとども、考えたこともなかった。そんな自分が、鈴木邦男と知り合い、お供して各地を旅するたびに、見知らぬ人との交流が増え、人の輪も大きく広がった。

本当の自分はネクラで、どうしようもない人見知りなのだが、鈴木邦男さんと一緒の時は、いろいろな知らない人と笑顔で接し、明るく前向きな自分を演出した。鈴木邦男さんに「ネクラなやつだな」と思われたくなかったし、鈴木邦男さんの付き合いを契機にして、自分を少しでも変えられたら嬉しいなと思ったからだ。

本当は鈴木邦男さんとは、もっとドロドロした自分の内面をさらけ出して、いろいろ哲学や思想の話もしたかったけれど、いつも冗談ばかり、明るい話ばかりしていたような気がする。とにかく本当の暗い自分を見せたくなかったのだ。

今、自分は若い子たちに教える仕事をしている。人から「先生」と呼ばれている。でも、もともとは「先生」なんでがらじゃないし、自分はそんな仕事につくのは嫌だった。でも、なぜ就いたのか。

それは鈴木邦男さんが予備校で先生をしていたからだ。自分も鈴木邦男みたいになりたいなあと思っていたので、そういう先生と呼ばれる仕事にも興味が出てきた。

鈴木さん、今まで本当にありがとう。もし出会っていなければ、自分の人生は、無味乾燥だった気がするよ。あなたのおかげで、いろんな人に出会えたし、いろんな経験もさせてもらった。

結局、鈴木邦男さんには、何一つ恩返しをしていないけれど、あなたのおかげで出会った人たちの人の縁を、これからも大事にして生きていくよ。

いつか、こんな日が来ると思っていたけれど、まだまだ先だと思っていたよ。あの世とか信じていないけど、もしあの世があるのならば、再会したいよ。あんな話、こんな話、しゃべりたいことがいっぱいあるよ。今まで本当にありがとうね。本当に、本当に、感謝しかないよ。

IWAI MASAKAZU