【追悼】鈴木邦男

鈴木邦男先生へ

突然の訃報から、2か月も経ってしまいましたね。3月23日の「お別れの会」は大勢のお運びをいただいたそうで、安堵しております。
光栄にも追悼文寄稿のご案内をいただいていたのに、何を書けばいいのか戸惑っているうちにお別れの会も終わってしまい、申し訳ありません。
4月には田原総一朗先生ご主催の偲ぶ会も開催されるそうですが、私は失礼させていただきますね。

邦男先生に初めてお会いした日のことを思い出したりしています。
大先輩のSさんと参加したトークイベントで、前世紀でした。
今となっては笑い話ですが、そのさらに10年くらい前は、邦男先生がそのSさんの殺害計画を立てているという「噂」もありました。
Sさんは左翼活動家、邦男先生は新右翼活動家ですから、いろいろあったわけですが、なぜかSさんは邦男先生と仲よくなっていて、「鈴木さんのイベントに一緒に行こう」とか言ってきたのです。
私は理解に苦しみながらも、大先輩には逆らえずに同行しました。
ところが、予想に反して邦男先生は終始ニコニコして、意見が異なる人の話にもきちんと耳を傾けられていました。
私はすっかりファンになってしまい、それからはご著書も読み、Sさんや他の友人たちともイベントにお邪魔するようになりました。
さらには「公式サイトを作ろう」と盛り上がり、初代管理人としてお手伝いさせていただけたことには、とても感謝しています。

日本をよくするためにはどうすればいいか。
思いが強ければ強いほど、右翼も左翼も過激になってしまうのは、わからないでもないです。
でも、過激になったところで一般の人には理解されません。こんな単純なことがわからない人は今もけっこういて、私は距離を置いていますが、邦男先生はどんな人でもウエルカムでしたね。

それにしても、天国にいらっしゃるのは早すぎました。
「コロナが落ち着いたら、ごはんでも」
最近では社交辞令化した感のある言葉ですが、私は少なくとも邦男先生とはいずれまたお会いできる、お会いしたいと思っていました。
療養中とお聞きしても、もともと柔道と合気道のお稽古で鍛えていらしたので、まったく心配していませんでした。
還暦を過ぎてから柔道三段に昇格されました(超異例ですよね)し、お酒はお付き合い程度、タバコは若い頃だけ。100歳越えも余裕だと思っていました。
いつもマジメでやさしくて、酒席ではシラフでスベりまくる邦男先生しか思い出せないです。
近いうちに天国でご一緒できますように、できるだけ悪いことはしないでおきますね。
安らかに。

赤坂はづき フリーライター。鈴木邦男公式サイト初代管理人。現在は「家庭の事情」で休業中。