管賀江留郎の『戦前の少年犯罪』(築地書館・2100円)には驚いた。あまりに衝撃的だった。日本の歴史を変える本だ。昨年の10月30日に発売されたが、「一大ブーム」を起こしている。
12月21日(金)に、「たかじんのそこまで言って委員会」に出た。放映は23日(日)だった。この本について、ちょっと触れた。これを見て、又、ドッと本が売れたという。こんな凄い本の売り上げに協力できて私も光栄だ。
この時の「たかじん」のテーマは「死刑」だったが、宮崎哲弥さんが、この本について話をした。「最近急に少年犯罪が増えたと言われるが、嘘だ。戦前の方がずっと多かったし、残虐な事件も多い。それは、『戦前の少年犯罪』という本を読めば分かる」と。
エッ、宮崎さんは読んでるのか。さすがは読書家の宮崎さんだと嬉しくなった。「あれはよかったですね。それに実証的だし」と私も言った。
「昔はよかった。人情も厚く、人は皆、優しくて」なんて。これは私も漠然と思っていた。逆に、最近は治安も悪くなったし、少年の犯罪も多い…と。
しかし、違っていたのだ。今の方がずっと治安がいいし、少年犯罪も少ない。ところが、今、一旦事件が起こると、それを朝から晩まで何十回も、何百回も繰り返し、報道する。それで、「多い」と思ってしまうのだ。犯罪が多いのではなく、「犯罪報道」が多いのだ。
この『戦前の少年犯罪』は、出てすぐに読んだ。自分の「思い込み」が完全に粉砕された。それと同時に「やっぱりそうだったのか」という気もあった。
昨年、『わしズム』(07年冬号)の座談会に出た。小林よしのりさん、八木秀次さん、笹幸恵さん、富岡幸一郎さんと私だ。テーマは「愛国心と愛郷心」についてだった。たまたま、安倍さんの『美しい国へ』(文春新書)の話になった。この中で、『三丁目の夕日』のことが出ていた。これを見ると僕らは、つい感傷的になる。あの頃はよかった。貧乏だったが、人間の温かさがあった。人々は助け合っていた。…という話になった。
でも私は、そこに逃げちゃいけないと思った。これでは単なる懐古趣味になる。だから言った。「あの頃はよかったと言うが、あの頃だって殺人事件や強盗は多かった。今より多かったかもしれない」と。皆、ちょっとシラーッとした気分になった。僕は確信はあったが、実証的な〈資料〉はなかった。この本を読んで、初めて〈証拠〉を与えられた。凄い資料だと思った。
又、一昨年、「朝まで生テレビ」に出た時だ。自民党の国会議員が、「教育勅語を復活すべきだ」と言った。大胆な事を言うと思った。「これだけ少年犯罪が増えているし、人々は精神的に荒廃している。今こそ必要だ」と。そうかな、と思った。でも、戦前はそれでも少年犯罪はあっただろうし、防げなかった。教育勅語があれば全て解決するなんて間違っている。だから、テレビでもそう言った。
野村秋介さんも、教育勅語の復活には反対だった。もう役目は終わったんだ。それに、〈形〉だけを教え、強制しても意味はないと言った。それまでは右翼団体は、「教育勅語奉読」を儀礼的・習慣的にやっていた。集会の始まりによくやっていた。しかし、野村さんのこの一声で皆、やめた。
右翼だって「卒業」したテーマだ。それなのに自民党が「復活しろ」と言う。関西の幼稚園では園児に暗誦させる所もあると新聞に出ていた。
野村さんにしろ僕にしろ、「教育勅語」の内容はいいと思う。ただ、それは歴史的使命を終えた。又、こういうことは、上から「こうしろ」と強制されてやることではない。そう思ったのだ。それに、こんなに立派な「教育勅語」があったって、犯罪はあった。教育勅語があれば全て解決するというものではない。そう思った。
『戦前の少年犯罪』の著者・管賀江留郎は、その点をもっと考える。さらに深く追究する。
〈なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?〉
…と。「そうか!」と思った。それが必要な社会だったという。それほど犯罪も多いし、荒廃してたのだ。この言葉は本の表紙に書かれている。そして、こう続く。
〈発掘された膨大な実証データによって戦前の道徳崩壊の凄まじさがいま明らかにされる! 学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論。でたらめな日本論を語っていた!〉
本を読んで驚いた。今よりも、もっともっと少年犯罪は多いし、道徳崩壊も多い。それなのに、「昔はよかった」「今は人々の心が荒んでいる。凶悪犯罪が多くなった」と言っている。無責任に。私だって同罪だ。「妄想の教育論」「でたらめな日本論」と言われても仕方はない。
〈現代より遥かに凶悪で不可解な心の闇を抱える、恐るべき子どもたちの犯罪目録!〉
と書かれている。そして、ほんの一例として、こう挙げる。
〈昭和2年、小学校で9歳の女の子が同級生殺害
昭和14年、14歳が幼女2人を殺してから死体レイプ
昭和17年、18歳が9人連続殺人
親殺し、祖父母殺しも続発〉
皆も、実際に読んでほしい。こんなにも多くの少年犯罪があったのか。こんなにも凶悪、狂暴な犯罪があったのかと驚く。それも全て、新聞記事などの膨大なデータを出して示す。ここまでやられたら、誰も反論できない。よく調べたものだと、ただただ驚嘆する。
著者紹介には、「国立国会図書館にこもって、古い新聞と雑誌をひたすら読み続ける日々を送っている」と書かれている。それにしても凄い。
テレビや雑誌などで少年犯罪の話になると、決まって、「最近は少年犯罪は急増した」と言う。中には、少し分かった人がいて、「いや、数はそんなに増えてない」と言う人もいる。「でも、犯罪の質が変わった。昔は、親を殺したり、首を斬ったりなんていう犯罪はなかった」と反撃される。そう言われると、「増えてない」と言った人も黙ってしまう。討論を見ている僕らも漠然と、「やっぱり質が変わったんだろうな」と思ってしまう。
でも違うのだ。『戦前の少年犯罪』を読むと、量は勿論、質だって現在を凌駕している。親殺し、祖父母殺しなんて、ざらにある。首斬りもある。「親殺し」について、著者はこう書い
ている。
〈戦前の親殺しの最大の特徴は、親だけではなく兄弟姉妹もみんなまとめて殺害する一家皆殺し事件が多いことです。
教育勅語には父母に孝行だけでなく兄弟仲良くしなさいとも書いてあるのに、こらまたなんとしたことでありましょうか。しかし、よくよく考えてみますと、こんなことをわざわざありがたいお言葉で教えるというのは、当時は親をないがしろにする者がいかに多くて、兄弟ゲンカがいかに絶えなかったかということなのです〉
確かにそれも言えるでしょう。それと、身近に武器が多くあり、大家族だった。それもある。「肥後の守(かみ)」という折畳み式のナイフは、いわば「文房具」として必須のものだった。私らも小、中、高と「筆入れ」の中に必ず入れていた。それで鉛筆を削ったし、机にイタズラして文字を刻み込んだりもした。ナイフを忘れると「ダメじゃないか」と先生に注意された。
でも、この「文房具」は時には凶器になった。事故や事件も多かった。戦前は、兵隊にひっぱられることも多く、そんな家には銃や刀がよくあった。子供がそれを持ち出して事件を起こす。なんてこともある。さらに、「猫いらず」という毒薬もあった。手近に、武器、毒薬はいくらでもある。
昭和3年(1928)の事件だ。石川県の小学4年生が療養中の弟の水薬にネコイラズを入れて飲ませて毒殺した。父親は海軍主計少佐で、両親が病弱な弟ばかりを可愛がるので弟を亡き者にすれば自分は可愛がられるだろうと考えたものだ。
これだって、手近に「ネコイラズ」がなければ、やらなかったかもしれない。弟は病弱だから可愛がられる。(ネコイラズがなければ)じゃ、自分も病気になってやれ、と考えたかもしれない。その位で済んだかもしれない。又、下村湖人の『次郎物語』には、両親に可愛がられる弟に嫉妬して、弟のカバンを便所に投げ捨てる場面がある。兄弟ではそんなことはよくある。私だってあった。
それと、「大家族」のことだ。今でも、殺人を見られたからと、同居していた人間を殺して逃げる、ということはある。目撃者を消すのだ。今は、同居者といっても1人か2人だ。ところが戦前は、大家族だ。「一家皆殺し」となると6人も7人も殺さなくちゃならん。
又、凄いのは、「目撃者抹殺」だけでなく、「自分の可能性」に挑戦した殺人事件もある。
昭和9年、18才の長男が何人殺せるか試すため一家皆殺しをした。斧で頭を割り、母、二男、長女、三男を殺害。父を重体とした。真面目な働き者の模範少年だったが、数日前に「自分が命を投げ出したら、幾人くらい殺せるだろうか」と話していた。
他にも、「一家皆殺し」は多い。ただ、この事件のように、自分の可能性を試すためにやった人はあまりない。戦争にいったらば、こういう人間は重宝がられ、英雄になったのだろうが。私だって、可能性を試してみたい。
中には、ノルマを決めて犯罪を行う人間もいる。ギクリとした。戦前に生まれていたら、私もこんなノルマを課して律義に犯罪をやったかもしれない。
昭和19年(1944)、19才の鉄道機関助手は、昭和18年から、毎月ひとりを誘拐する「悲願千人切り」と題する手帳をつけ、次々と実行した。少女ばかり7件の誘拐をして逮捕された。しかし、刑務所を脱走し、さらに「ノルマ」を遂行。合計で16人の幼女を誘拐した。
それから、「子守り女」の事故・事件も多い。昭和10年(1935)、中野で子守女(15才)が、主人の長女(5才)を連れて、紙芝居や火事を見物しながら連れ歩いたが、子供が歩けなくなり、背負い紐で絞殺して遺棄した。
初めは、「背負ったまま土手から転げ落ちて死んだ」と言っていた。ところが、紐で絞めた痕があって嘘がばれたんだろう。しかし、転んで子供が死んだという事故も多かったはずだ。昔は、小学校の低学年でも、赤ん坊を背負い、子守りをさせられた。子供が子供の面倒を見てたのだ。赤ん坊を背負ったまま、縄跳びをしてたり、隠れんぼをしたり、かけっこをしていた。私が子供の頃も、そんな光景を目にしていた。「こりゃ危ないな」と子供心に思った。そんな中で、事故も随分とあったはずだ。余りに多くて新聞には載らなかったのではないか。
又、遊びたい盛りの子供だ。面倒になって殺しちゃったこともあろう。昔、新聞に出てたが、子供が赤ん坊をボールがわりにして、バレーボールをして、殺しちゃったという記事があった。ポン、ポン、と投げ飛ばしてるうちはいいが、受けそこなって子供が下に落ち、死んでしまったのだろう。果たして事故か事件か。「未必の故意」だろうね。そんなことをしてたらこうなると分かっていて遊んだのだ。でも、子供たちは、そんな気はなくて、バレーごっこをしてただけなのか。
それと、ハッと気付いたのは、「学校」の問題だ。戦後は子供が自由に育てられ、日教組のせいもあり、「学級崩壊」が生まれた。といわれるが、筆者はこう反論する。
〈授業中に教室を歩き回ったりする〈学級崩壊〉は最近のことだと思っている方が多いみたいなのですが、戦前の小学校ではわりと当たり前のことでした。なんせ昔の子どもは自由に育てられてましたから、何十分もじっと座っていられるわけがありません〉
エッ、そうだったのかと驚いた。昔は子供が多いから、一人一人に手が回らんから、「自由に育てられてた」という。又、「学級崩壊」は何も最近に特有のことではないんだ。そして、実例を示している。これだけ実証的にやられては誰も反論できない。又、教師が体罰で子供を怪我させた、殺した、発狂させた…という事件も多い。
昭和4年、千葉の教師が、授業中におしゃべりをしていた生徒3人の頭をコンパスで殴る。針が刺さって2人とも重傷を負った。恐ろしい教師だ。
「殴ればケガだけではなく、死ぬ可能性もあるわけでして、教師の生徒殺しはよくありました」と著者は言う。
ウーン、そうなのか。私は勘違いしていた。実は、私も体罰は随分と受けた。小、中、高とずっとだ。教師は実によく殴った。ささいなことで、よく殴ってくれた。しかし、不思議なことに、私は1度も怪我をしたことはない。口を切ったとか、歯が折れたとか、頭を打って倒れたとか。そんなことは一度もない。友人たちもなかった。だから、自分の経験を通して、「教師は殴り方がうまかったんだ」と思っていた。殴る前に、足を踏ん張らせ、歯を食いしばらせる。バチーンと大きな音はするが、そんなに力を入れてない。その証拠に体がよろめくことがない。教師は、カーッとなって〈私情〉でやるのではない。冷静に、「教育罰」として、怪我をしないようにやっているのだ。そう思っていたのだ。(大人になってからそう思うようになった)。
それに、学校は木造だ。万が一、体がふらついても木だ。打ちつけられても死ぬことはない。その点、最近の体罰は、教師もカーッとなり、キレてやる。生徒と同じレベルで、喧嘩のような気分で体罰をする。殴り方も知らないから、手加減もできない。それで怪我をさせる。生徒もひ弱だから、体ごと飛ばされ、後ろの壁に頭を強打して、死んだりする。昔のように木ではなく、コンクリートだから死ぬ、そう思っていた。
ところが、この本を読んで、私の考え違いを悟った。単に私は、運がよかっただけなんだ。殴り方のうまい先生に、たまたま出会っただけだ。又、周りに、怪我した人や死んだ人がいないのも、たまたまだ。そんな自分の「狭い体験」だけから、「昔の先生は殴り方がうまかった」「優しかった」と結論を出していた。これは愚かだった。「愚者は体験から学び、賢者は歴史から学ぶ」というが、その通りだ。その点では、この本は「歴史」だ。貴重な歴史だ。
この本を読んで、自分の愚かさ、思い込みの間違いに気付いた人は僕だけではないはずだ。読んだ人は皆、そう思ったはずだ。
「たかじん」で宮崎哲弥さんとこの本の話をしたのは12月21日(金)だったが、実は、ロフトでもこの話をしていた。「たかじん」の3日前の12月18日(火)のことだ。阿佐ケ谷ロフトで、二木啓孝さん(ジャーナリスト)、吉田司さん(作家)と3人でトークをした。しかし、人は集まらないし、雰囲気も暗いし、「よし!盛り上げてやろう」と私が暴言を吐いたら、なおさら盛り下がって、会場は凍りついた。仕方なく休憩を入れた。
「どうしたの?鈴木さん」と二木、吉田さんも心配して聞く。「いわゆるトークライブの雰囲気が嫌になったんですよ」と正直に言った。「アメリカが悪い、日本の政府が悪い、今が一番悪い!」と言い募るだけではダメじゃないのか。そんな空しさを感じた。これじゃ、かつての右翼・左翼と同じじゃないか。いつの時代も、「今が一番悪い。だから、人民は立ち上がれ!」と煽っているだけだ。「俺たちこそが正義だ。ついてこい。立ち上がらない奴は、この日本の悪に手を貸すことだ!」と言う。そういう一般の論調が嫌だ。ロフトの全体の雰囲気もそうなりかけている。それが嫌だ。
この2人はそんなことは言わない。しかし、マスコミに出ている人々はそう言う。「こんな悪い時代はない。経済は最悪だ。皆、思いやりの気持ちがない。少年犯罪も多い…」と。その時だった。吉田司さんが言った。「そうだよ。左右のスローガンのようなことでアジっているだけじゃダメだ。“今は一番悪い。少年犯罪も増えてる”というが、嘘だ。その証拠に、『戦前の少年犯罪』を読んだら分かる」と。
驚いた。あれを読んでくれたんですか!と嬉しくなった。「読んだどころか、感激して東京新聞に書評を書いたよ」と言っていた。「じゃ、第二部はその本の話をしましょう」と言った。休憩が終わって席に戻り、私は言った。
「どうも、盛り下げてしまって済みません。休憩中に和解しましたので、これからは大丈夫です。そのキッカケになったのが『戦前の少年犯罪』という本です」
と紹介し、その本の話をした。かなり長く話をした。その他にも、意外な人がこの本を読んでいて驚くことがある。ともかく、今までの「歴史」を書き直す本だ。「歴史」になる本だ。皆も、読んでみたらいい。
まだまだ書きたいことはあるが、又にしよう。そうだ。著者は、5.15事件、2.26事件についても触れている。独特の見方だ。これは、若者の老人殺しではないかと言う。両事件とも、最年少は21才で、ほとんどがまだ20代の青年将校たちが老人を次々と殺した。
〈殺しそこなったほかの標的もすべて老人ばかりだったのに、敬老精神に反する不逞の輩と非難されるどころか、国民はこれを熱狂的に支持して100万人を超える減刑嘆願書が集まったりもしました〉
又、こう言う。
〈昭和天皇が5.15のときに30歳、2.26のときでも35歳で、年寄りだらけの政治家や軍幹部よりも自分たちに近いはずだと勝手に感じていたことがおそらく関係していると思われますが、彼らの云う「昭和維新」というのは結局のところ老人は殺してでも排除するという敬老精神とは真逆の感覚でした〉
そうか。これは気が付かなかった。天皇が老人だったら、青年将校も「昭和維新」という発想は持たなかったかもしれない。それは言えるだろうな、と思った。私も今まで考えてみなかった視点だ。さらに著者はこう言う。
〈政治的目的よりも、2.26事件はまず異常な若者による犯罪であると捉えるべきだと思われます〉
これは厳しい指摘だ。しかし、それも言える。こうした指摘は今まで誰もしなかった。私も、視野が広くなった。
だって、中国の文化大革命や、日大闘争を初めとした学生運動で、よく老人が吊るし上げられていた。中国では「罪状」を書いた板を首から吊り下げられて、老人たちが糾弾されていた。日大でも、老人の古田会頭が、若者たちに吊るし上げられていた。「ひどいよな、老人いじめだ」と当時の私は思っていた。でも、「これは若者の叛乱だ!」と皆、好意的に見ていた。私は反撥した。
そんな私でも、5.15事件や2.26事件については「純真な青年将校の叛乱・決起」だと思っていた。「老人イジメ」「老人殺し」という視点はなかったのだ。その点でも、この本は教えられることの多い本だ。5.15や2.26については、このことも視野に入れながら、再び考えてみたいと思う。