2008/01/28 鈴木邦男

これは歴史を変える衝撃の本だ!
=『戦前の少年犯罪』を読む=

①「思い込み」「常識」が粉砕された!

管賀江留郎『戦前の少年犯罪』(築地書館)

 管賀江留郎の『戦前の少年犯罪』(築地書館・2100円)には驚いた。あまりに衝撃的だった。日本の歴史を変える本だ。昨年の10月30日に発売されたが、「一大ブーム」を起こしている。
 12月21日(金)に、「たかじんのそこまで言って委員会」に出た。放映は23日(日)だった。この本について、ちょっと触れた。これを見て、又、ドッと本が売れたという。こんな凄い本の売り上げに協力できて私も光栄だ。
 この時の「たかじん」のテーマは「死刑」だったが、宮崎哲弥さんが、この本について話をした。「最近急に少年犯罪が増えたと言われるが、嘘だ。戦前の方がずっと多かったし、残虐な事件も多い。それは、『戦前の少年犯罪』という本を読めば分かる」と。
 エッ、宮崎さんは読んでるのか。さすがは読書家の宮崎さんだと嬉しくなった。「あれはよかったですね。それに実証的だし」と私も言った。
 「昔はよかった。人情も厚く、人は皆、優しくて」なんて。これは私も漠然と思っていた。逆に、最近は治安も悪くなったし、少年の犯罪も多い…と。
 しかし、違っていたのだ。今の方がずっと治安がいいし、少年犯罪も少ない。ところが、今、一旦事件が起こると、それを朝から晩まで何十回も、何百回も繰り返し、報道する。それで、「多い」と思ってしまうのだ。犯罪が多いのではなく、「犯罪報道」が多いのだ。

 この『戦前の少年犯罪』は、出てすぐに読んだ。自分の「思い込み」が完全に粉砕された。それと同時に「やっぱりそうだったのか」という気もあった。
 昨年、『わしズム』(07年冬号)の座談会に出た。小林よしのりさん、八木秀次さん、笹幸恵さん、富岡幸一郎さんと私だ。テーマは「愛国心と愛郷心」についてだった。たまたま、安倍さんの『美しい国へ』(文春新書)の話になった。この中で、『三丁目の夕日』のことが出ていた。これを見ると僕らは、つい感傷的になる。あの頃はよかった。貧乏だったが、人間の温かさがあった。人々は助け合っていた。…という話になった。
 でも私は、そこに逃げちゃいけないと思った。これでは単なる懐古趣味になる。だから言った。「あの頃はよかったと言うが、あの頃だって殺人事件や強盗は多かった。今より多かったかもしれない」と。皆、ちょっとシラーッとした気分になった。僕は確信はあったが、実証的な〈資料〉はなかった。この本を読んで、初めて〈証拠〉を与えられた。凄い資料だと思った。
 又、一昨年、「朝まで生テレビ」に出た時だ。自民党の国会議員が、「教育勅語を復活すべきだ」と言った。大胆な事を言うと思った。「これだけ少年犯罪が増えているし、人々は精神的に荒廃している。今こそ必要だ」と。そうかな、と思った。でも、戦前はそれでも少年犯罪はあっただろうし、防げなかった。教育勅語があれば全て解決するなんて間違っている。だから、テレビでもそう言った。
 野村秋介さんも、教育勅語の復活には反対だった。もう役目は終わったんだ。それに、〈形〉だけを教え、強制しても意味はないと言った。それまでは右翼団体は、「教育勅語奉読」を儀礼的・習慣的にやっていた。集会の始まりによくやっていた。しかし、野村さんのこの一声で皆、やめた。
 右翼だって「卒業」したテーマだ。それなのに自民党が「復活しろ」と言う。関西の幼稚園では園児に暗誦させる所もあると新聞に出ていた。

 野村さんにしろ僕にしろ、「教育勅語」の内容はいいと思う。ただ、それは歴史的使命を終えた。又、こういうことは、上から「こうしろ」と強制されてやることではない。そう思ったのだ。それに、こんなに立派な「教育勅語」があったって、犯罪はあった。教育勅語があれば全て解決するというものではない。そう思った。
 『戦前の少年犯罪』の著者・管賀江留郎は、その点をもっと考える。さらに深く追究する。

〈なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?〉

…と。「そうか!」と思った。それが必要な社会だったという。それほど犯罪も多いし、荒廃してたのだ。この言葉は本の表紙に書かれている。そして、こう続く。

〈発掘された膨大な実証データによって戦前の道徳崩壊の凄まじさがいま明らかにされる! 学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論。でたらめな日本論を語っていた!〉

②戦前の方が少年犯罪は多かったし、残忍だった!

「たかじんのそこまで言って委員会」より(12/23放映)

 本を読んで驚いた。今よりも、もっともっと少年犯罪は多いし、道徳崩壊も多い。それなのに、「昔はよかった」「今は人々の心が荒んでいる。凶悪犯罪が多くなった」と言っている。無責任に。私だって同罪だ。「妄想の教育論」「でたらめな日本論」と言われても仕方はない。

〈現代より遥かに凶悪で不可解な心の闇を抱える、恐るべき子どもたちの犯罪目録!〉

と書かれている。そして、ほんの一例として、こう挙げる。

〈昭和2年、小学校で9歳の女の子が同級生殺害
昭和14年、14歳が幼女2人を殺してから死体レイプ
昭和17年、18歳が9人連続殺人
親殺し、祖父母殺しも続発〉

 皆も、実際に読んでほしい。こんなにも多くの少年犯罪があったのか。こんなにも凶悪、狂暴な犯罪があったのかと驚く。それも全て、新聞記事などの膨大なデータを出して示す。ここまでやられたら、誰も反論できない。よく調べたものだと、ただただ驚嘆する。
 著者紹介には、「国立国会図書館にこもって、古い新聞と雑誌をひたすら読み続ける日々を送っている」と書かれている。それにしても凄い。

 テレビや雑誌などで少年犯罪の話になると、決まって、「最近は少年犯罪は急増した」と言う。中には、少し分かった人がいて、「いや、数はそんなに増えてない」と言う人もいる。「でも、犯罪の質が変わった。昔は、親を殺したり、首を斬ったりなんていう犯罪はなかった」と反撃される。そう言われると、「増えてない」と言った人も黙ってしまう。討論を見ている僕らも漠然と、「やっぱり質が変わったんだろうな」と思ってしまう。
 でも違うのだ。『戦前の少年犯罪』を読むと、量は勿論、質だって現在を凌駕している。親殺し、祖父母殺しなんて、ざらにある。首斬りもある。「親殺し」について、著者はこう書い ている。

〈戦前の親殺しの最大の特徴は、親だけではなく兄弟姉妹もみんなまとめて殺害する一家皆殺し事件が多いことです。
 教育勅語には父母に孝行だけでなく兄弟仲良くしなさいとも書いてあるのに、こらまたなんとしたことでありましょうか。しかし、よくよく考えてみますと、こんなことをわざわざありがたいお言葉で教えるというのは、当時は親をないがしろにする者がいかに多くて、兄弟ゲンカがいかに絶えなかったかということなのです〉

 確かにそれも言えるでしょう。それと、身近に武器が多くあり、大家族だった。それもある。「肥後の守(かみ)」という折畳み式のナイフは、いわば「文房具」として必須のものだった。私らも小、中、高と「筆入れ」の中に必ず入れていた。それで鉛筆を削ったし、机にイタズラして文字を刻み込んだりもした。ナイフを忘れると「ダメじゃないか」と先生に注意された。
 でも、この「文房具」は時には凶器になった。事故や事件も多かった。戦前は、兵隊にひっぱられることも多く、そんな家には銃や刀がよくあった。子供がそれを持ち出して事件を起こす。なんてこともある。さらに、「猫いらず」という毒薬もあった。手近に、武器、毒薬はいくらでもある。
 昭和3年(1928)の事件だ。石川県の小学4年生が療養中の弟の水薬にネコイラズを入れて飲ませて毒殺した。父親は海軍主計少佐で、両親が病弱な弟ばかりを可愛がるので弟を亡き者にすれば自分は可愛がられるだろうと考えたものだ。
 これだって、手近に「ネコイラズ」がなければ、やらなかったかもしれない。弟は病弱だから可愛がられる。(ネコイラズがなければ)じゃ、自分も病気になってやれ、と考えたかもしれない。その位で済んだかもしれない。又、下村湖人の『次郎物語』には、両親に可愛がられる弟に嫉妬して、弟のカバンを便所に投げ捨てる場面がある。兄弟ではそんなことはよくある。私だってあった。

③「可能性を試す犯罪」や「ノルマ犯罪」もあったりして

吉田司さん(左)と。(12/18)

 それと、「大家族」のことだ。今でも、殺人を見られたからと、同居していた人間を殺して逃げる、ということはある。目撃者を消すのだ。今は、同居者といっても1人か2人だ。ところが戦前は、大家族だ。「一家皆殺し」となると6人も7人も殺さなくちゃならん。
 又、凄いのは、「目撃者抹殺」だけでなく、「自分の可能性」に挑戦した殺人事件もある。
 昭和9年、18才の長男が何人殺せるか試すため一家皆殺しをした。斧で頭を割り、母、二男、長女、三男を殺害。父を重体とした。真面目な働き者の模範少年だったが、数日前に「自分が命を投げ出したら、幾人くらい殺せるだろうか」と話していた。
 他にも、「一家皆殺し」は多い。ただ、この事件のように、自分の可能性を試すためにやった人はあまりない。戦争にいったらば、こういう人間は重宝がられ、英雄になったのだろうが。私だって、可能性を試してみたい。

 中には、ノルマを決めて犯罪を行う人間もいる。ギクリとした。戦前に生まれていたら、私もこんなノルマを課して律義に犯罪をやったかもしれない。
 昭和19年(1944)、19才の鉄道機関助手は、昭和18年から、毎月ひとりを誘拐する「悲願千人切り」と題する手帳をつけ、次々と実行した。少女ばかり7件の誘拐をして逮捕された。しかし、刑務所を脱走し、さらに「ノルマ」を遂行。合計で16人の幼女を誘拐した。

 それから、「子守り女」の事故・事件も多い。昭和10年(1935)、中野で子守女(15才)が、主人の長女(5才)を連れて、紙芝居や火事を見物しながら連れ歩いたが、子供が歩けなくなり、背負い紐で絞殺して遺棄した。
 初めは、「背負ったまま土手から転げ落ちて死んだ」と言っていた。ところが、紐で絞めた痕があって嘘がばれたんだろう。しかし、転んで子供が死んだという事故も多かったはずだ。昔は、小学校の低学年でも、赤ん坊を背負い、子守りをさせられた。子供が子供の面倒を見てたのだ。赤ん坊を背負ったまま、縄跳びをしてたり、隠れんぼをしたり、かけっこをしていた。私が子供の頃も、そんな光景を目にしていた。「こりゃ危ないな」と子供心に思った。そんな中で、事故も随分とあったはずだ。余りに多くて新聞には載らなかったのではないか。
 又、遊びたい盛りの子供だ。面倒になって殺しちゃったこともあろう。昔、新聞に出てたが、子供が赤ん坊をボールがわりにして、バレーボールをして、殺しちゃったという記事があった。ポン、ポン、と投げ飛ばしてるうちはいいが、受けそこなって子供が下に落ち、死んでしまったのだろう。果たして事故か事件か。「未必の故意」だろうね。そんなことをしてたらこうなると分かっていて遊んだのだ。でも、子供たちは、そんな気はなくて、バレーごっこをしてただけなのか。

 それと、ハッと気付いたのは、「学校」の問題だ。戦後は子供が自由に育てられ、日教組のせいもあり、「学級崩壊」が生まれた。といわれるが、筆者はこう反論する。

〈授業中に教室を歩き回ったりする〈学級崩壊〉は最近のことだと思っている方が多いみたいなのですが、戦前の小学校ではわりと当たり前のことでした。なんせ昔の子どもは自由に育てられてましたから、何十分もじっと座っていられるわけがありません〉

 エッ、そうだったのかと驚いた。昔は子供が多いから、一人一人に手が回らんから、「自由に育てられてた」という。又、「学級崩壊」は何も最近に特有のことではないんだ。そして、実例を示している。これだけ実証的にやられては誰も反論できない。又、教師が体罰で子供を怪我させた、殺した、発狂させた…という事件も多い。
 昭和4年、千葉の教師が、授業中におしゃべりをしていた生徒3人の頭をコンパスで殴る。針が刺さって2人とも重傷を負った。恐ろしい教師だ。
 「殴ればケガだけではなく、死ぬ可能性もあるわけでして、教師の生徒殺しはよくありました」と著者は言う。

④教師の体罰だって凄まじかった!

(左から)二木啓孝さん、吉田司さん、鈴木(12/18阿佐ケ谷ロフト)

 ウーン、そうなのか。私は勘違いしていた。実は、私も体罰は随分と受けた。小、中、高とずっとだ。教師は実によく殴った。ささいなことで、よく殴ってくれた。しかし、不思議なことに、私は1度も怪我をしたことはない。口を切ったとか、歯が折れたとか、頭を打って倒れたとか。そんなことは一度もない。友人たちもなかった。だから、自分の経験を通して、「教師は殴り方がうまかったんだ」と思っていた。殴る前に、足を踏ん張らせ、歯を食いしばらせる。バチーンと大きな音はするが、そんなに力を入れてない。その証拠に体がよろめくことがない。教師は、カーッとなって〈私情〉でやるのではない。冷静に、「教育罰」として、怪我をしないようにやっているのだ。そう思っていたのだ。(大人になってからそう思うようになった)。
 それに、学校は木造だ。万が一、体がふらついても木だ。打ちつけられても死ぬことはない。その点、最近の体罰は、教師もカーッとなり、キレてやる。生徒と同じレベルで、喧嘩のような気分で体罰をする。殴り方も知らないから、手加減もできない。それで怪我をさせる。生徒もひ弱だから、体ごと飛ばされ、後ろの壁に頭を強打して、死んだりする。昔のように木ではなく、コンクリートだから死ぬ、そう思っていた。
 ところが、この本を読んで、私の考え違いを悟った。単に私は、運がよかっただけなんだ。殴り方のうまい先生に、たまたま出会っただけだ。又、周りに、怪我した人や死んだ人がいないのも、たまたまだ。そんな自分の「狭い体験」だけから、「昔の先生は殴り方がうまかった」「優しかった」と結論を出していた。これは愚かだった。「愚者は体験から学び、賢者は歴史から学ぶ」というが、その通りだ。その点では、この本は「歴史」だ。貴重な歴史だ。
 この本を読んで、自分の愚かさ、思い込みの間違いに気付いた人は僕だけではないはずだ。読んだ人は皆、そう思ったはずだ。
 「たかじん」で宮崎哲弥さんとこの本の話をしたのは12月21日(金)だったが、実は、ロフトでもこの話をしていた。「たかじん」の3日前の12月18日(火)のことだ。阿佐ケ谷ロフトで、二木啓孝さん(ジャーナリスト)、吉田司さん(作家)と3人でトークをした。しかし、人は集まらないし、雰囲気も暗いし、「よし!盛り上げてやろう」と私が暴言を吐いたら、なおさら盛り下がって、会場は凍りついた。仕方なく休憩を入れた。
 「どうしたの?鈴木さん」と二木、吉田さんも心配して聞く。「いわゆるトークライブの雰囲気が嫌になったんですよ」と正直に言った。「アメリカが悪い、日本の政府が悪い、今が一番悪い!」と言い募るだけではダメじゃないのか。そんな空しさを感じた。これじゃ、かつての右翼・左翼と同じじゃないか。いつの時代も、「今が一番悪い。だから、人民は立ち上がれ!」と煽っているだけだ。「俺たちこそが正義だ。ついてこい。立ち上がらない奴は、この日本の悪に手を貸すことだ!」と言う。そういう一般の論調が嫌だ。ロフトの全体の雰囲気もそうなりかけている。それが嫌だ。
 この2人はそんなことは言わない。しかし、マスコミに出ている人々はそう言う。「こんな悪い時代はない。経済は最悪だ。皆、思いやりの気持ちがない。少年犯罪も多い…」と。その時だった。吉田司さんが言った。「そうだよ。左右のスローガンのようなことでアジっているだけじゃダメだ。“今は一番悪い。少年犯罪も増えてる”というが、嘘だ。その証拠に、『戦前の少年犯罪』を読んだら分かる」と。
 驚いた。あれを読んでくれたんですか!と嬉しくなった。「読んだどころか、感激して東京新聞に書評を書いたよ」と言っていた。「じゃ、第二部はその本の話をしましょう」と言った。休憩が終わって席に戻り、私は言った。

「どうも、盛り下げてしまって済みません。休憩中に和解しましたので、これからは大丈夫です。そのキッカケになったのが『戦前の少年犯罪』という本です」

と紹介し、その本の話をした。かなり長く話をした。その他にも、意外な人がこの本を読んでいて驚くことがある。ともかく、今までの「歴史」を書き直す本だ。「歴史」になる本だ。皆も、読んでみたらいい。

⑤5.15事件や、2.26事件に対しても新たな解釈が…

(左から)鈴木、早見慶子さん、外山恒一氏、中川文人氏(1/21阿佐ケ谷ロフト)

 まだまだ書きたいことはあるが、又にしよう。そうだ。著者は、5.15事件、2.26事件についても触れている。独特の見方だ。これは、若者の老人殺しではないかと言う。両事件とも、最年少は21才で、ほとんどがまだ20代の青年将校たちが老人を次々と殺した。

〈殺しそこなったほかの標的もすべて老人ばかりだったのに、敬老精神に反する不逞の輩と非難されるどころか、国民はこれを熱狂的に支持して100万人を超える減刑嘆願書が集まったりもしました〉

又、こう言う。

〈昭和天皇が5.15のときに30歳、2.26のときでも35歳で、年寄りだらけの政治家や軍幹部よりも自分たちに近いはずだと勝手に感じていたことがおそらく関係していると思われますが、彼らの云う「昭和維新」というのは結局のところ老人は殺してでも排除するという敬老精神とは真逆の感覚でした〉

 そうか。これは気が付かなかった。天皇が老人だったら、青年将校も「昭和維新」という発想は持たなかったかもしれない。それは言えるだろうな、と思った。私も今まで考えてみなかった視点だ。さらに著者はこう言う。

杉浦正士さん(左)と。(1/22トリックスター)
〈政治的目的よりも、2.26事件はまず異常な若者による犯罪であると捉えるべきだと思われます〉

 これは厳しい指摘だ。しかし、それも言える。こうした指摘は今まで誰もしなかった。私も、視野が広くなった。
 だって、中国の文化大革命や、日大闘争を初めとした学生運動で、よく老人が吊るし上げられていた。中国では「罪状」を書いた板を首から吊り下げられて、老人たちが糾弾されていた。日大でも、老人の古田会頭が、若者たちに吊るし上げられていた。「ひどいよな、老人いじめだ」と当時の私は思っていた。でも、「これは若者の叛乱だ!」と皆、好意的に見ていた。私は反撥した。
 そんな私でも、5.15事件や2.26事件については「純真な青年将校の叛乱・決起」だと思っていた。「老人イジメ」「老人殺し」という視点はなかったのだ。その点でも、この本は教えられることの多い本だ。5.15や2.26については、このことも視野に入れながら、再び考えてみたいと思う。

【だいありー】
(左から)鈴木、高橋章子さん、塩田丸男さん(1/22トリックスター)
  1. 1月21日(月)午後から図書館。夜7時半から、阿佐ヶ谷ロフト。早見慶子さんの『I LOVE 過激派』(彩流社)出版トーク。早見さん、外山恒一氏、中川文人さん、そして私。テーマは「80年代日本のラジカリズム」。1960年代後半は、まさに「変革の季節」「学生運動」の時代だった。全共闘も華々しく闘い、右翼学生も暴れていた。
     ところが70年代になると、「大衆運動」の盛り上がりはなく、少数の「ゲリラの時代」になる。1970年3月によど号ハイジャック、11月に三島事件。1972年は連合赤軍事件。1974年は〈狼〉の連続企業爆破事件…と。さらに、1980年代になると、学生運動は皆無だ。少々残っている人間も、「過激派」といわれ、完全に〈犯罪者〉扱いだ。そんな時代に、早見、中川、外山の3氏は運動に入る。何故なのか。早見さんは、人との出会いがあったという。中川、外山氏は「そんな時代だったからこそ、入った」という。
     これは、私自身も「謎」だったので、司会をやりながらさらに詳しく聞いた。さらに、党派の活動とノンセクト(無党派)の違い。どんな人たちが党派に入り、どうやって「活動家」になってゆくのか。その具体的な話が聞けて、面白かった。これはロフトで語りっ放しでは勿体ない。どっかにまとめて発表したらいい。それだけの内容の濃い話だったと思う。
     単なる「運動論」にとどまらず、「時代論」「人間論」になっていたと思う。私も真面目に必死に司会をした。面白かったし、教えられた。客の反応もよかったと思う。大学生の人、元活動家の人々も発言してくれて、活発な話し合いもできた。「椎野企画」の椎野礼仁(レーニン)さんも来て、発言していた。だったら、椎野企画でまとめて本にしてみたらどうだろうか。相談してみよう。これを見てたら、考えて下さい。
  2. 1月22日(火)1時から新宿で打ち合わせ。4時まで。随分かかったが、楽しかった。面白い仕事になりそうだ。生まれて初めて、イチゴ大福を食べた。それも、2つも。仕事の打ち合わせに集中していた証拠だ。モチベーションが高まると、モチを食べたくなる。仕事に燃え、集中すると甘い燃料が欲しくなる。
     夜7時半から高田馬場のトリックスターに行く。去年の夏にオープンしたが、初めて行った。きれいな店だ。ステージがあって、ライブを楽しみながら、飲み食いできる。ロフトをもうちょっと上品にした感じのお洒落な店だ。「ザ・ニュース・ペーパー」代表の杉浦正士さんが、何と、歌手デビュー。ヘンリー未来さんと2人で、ギターの弾き語りをやる。杉浦さんはあの「政治の季節」にヘルメットを被って闘い、パクられたこともある。そんな時代を思い出しながら、当時の歌、そして、現代を風刺した歌をうたう。いいねー。感動した。私も、今度、ギターの弾き語りをやってみたい。
     さて、第一部が終わり、休憩の後、第二部のトークタイム。杉浦さんと私が「政治と芸術」というテーマで語り合う。「天皇制とタブー」「〈お笑〉いはどこまで許されるのか」といった話をした。私は、〈お笑〉〈パロディ〉はどこまでも許されると思う。国家や政治も超えるし、天皇制も超える。そんな話をした。そうだ、この話を中心にして、杉浦さんと対談本を作ってもいいな。うーん、イマジネーションが拡がる。
     会場は一杯。それに、なんと、塩田丸男さん(評論家)が来ていた。それに高橋章子さん(ライター。元『ビックリハウス』編集長)も来ていた。
     塩田さんは「朝生」の終わりの方でコーナーをもって「ニュース解説」をやっていた。「日本の右翼」の時も出ていた。本当に久しぶりだ。僕よりちょっと年上かなと思ったら、大正13年生まれで、今年84才だという。ビックリした。元気だ。3人で写真を撮った。高橋さんは、ハシを鼻にくわえてお茶目なポーズ。写真を撮ってくれた子が、「では、もう1枚」というと、塩田さんが、「えっ、失敗したの? 失敗したら罰SEXだよ。だって失敗は成功(性交)の基っていうし」。凄い。頭が若い。
     それに、塩田さんは右翼の巨頭・頭山満に会ったことがあるという。凄い。今の右翼でも、会った人なんてほとんどいない。それに、大学は国学院で、大東塾の影山正治さんとも知り合いだという。今度、そうした話をじっくり聞いてみたい。
     そうだ。以前、平河町で料亭をしていた巨乳の女将も来ていた。私も久しぶりだ。向かいの2人の女性を指して言っていた。「私のは、オッパイだが、あんたらのはオッパイといわない。こっちは、シッパイ。あんたのはチューハイ」。いやー、受けてましたね。舞台よりも受けてた。言われた2人はヤケで、チューハイを飲んでました。楽しい夜でした。
  3. 1月23日(水)起きたら一面の雪。そうか、3日後は決起か。2.26事件だよ(本当は1ヶ月後だ)。突然、「72年前の記憶」が甦った。青年将校を電話で激励しなくちゃと思った。気分は北一輝になっていた。まさか、72年後に、「老人殺し」と批判されるとは私もまだ思ってない。2時40分からジャナ専の授業。連合赤軍事件の話をする。それと最近の事件から、NHK職員の株インサイダー取引の話をする。
  4. 1月24日(木)11時から2時間、取材を受ける。60年代の政治の季節について。昔を懐かしく思い出しながら話をした。3時半から河合塾コスモ。今日から授業が始まる。「現代文要約」と「基礎教養ゼミ」。生徒や職員さんに聞かれた。「鈴木センセは『たかじん』のレギュラーになったんですか?」と。関西に帰省して、年末に見た人がいたんだ。「たまたま一回、呼ばれただけだよ。私はロクに喋れんし、見てくれも悪いし汚いし、もう呼ばれないよ」と言った。
  5. 1月25日(金)取材。夜、柔道。週に一回位は体を動かしたいな。でも、又、忙しくなるから無理かな。講道館は深夜も開ければいいのに。コンビニのように。
  6. 1月26日(土)午後2時から中野光座。劇団桟敷童子の安保闘争、三池争議の直前の炭鉱町の物語だ。
【お知らせ】
  1. 小林よしのりさんと堀辺正史先生の『武士ズム』(小学館・1365円)が発売になった。これはいい。いつ本になるかと、ずっと楽しみにしていたのだ。読み始めたばかりだが、実にいい。皆も、読んだらいい。
     「侍に聞け!」と書かれている。

    〈「出世」も「いじめ」も「恋愛」も----
    真の漢(おとこ)による究極の人生相談〉

     まさに、その通りだ。
  2. 今、発売中の月刊『宝島』(3月号)に「右翼活動家vsフリーター。殺気に満ちたガチンコ激論!!」が載ってます。木村三浩氏と赤木智弘氏です。凄い対談です。読んでみて下さい。
  3. 小林よしのり責任編集の『わしズム』(2月29日号)の本棚拝見企画「わしはこんな本を読んできた」に私も出ています。
  4. 2月6日(水)発売の月刊「創」に「犬の特別攻撃隊」を書きました。前にこのHP(10月22日)に、「靖国に祀られた犬たち」を書きました。その時、分からなかったことも含めて、いわば「続編」というか、「解決編」として書きました。
  5. 雨宮処凛さんが「週刊金曜日」(1月25日号)で、私の本を紹介してくれた。ありがたい。
  6. 荒岱介さんの『新左翼とは何だったのか』(幻冬舎新書)が出た。面白い。活動家がどんどん本を出す。いいことだ。
  7. 2月6日(水)7時半、阿佐ケ谷ロフト。「塩見塾が提出する、〈実録・連合赤軍〉を受けた、白熱の連合赤軍総括論争の現在」。出演は、塩見孝也(元赤軍派議長)、足立正生(映画監督)、島崎今日子(ライター)、竹藤佳代他。
  8. 2月10日(日)7時半、阿佐ケ谷ロフト。「ユース・トーク」2nd edition「愛国心」。出演は、雨宮処凛(作家)、保坂展人(衆議院議員)、鈴木邦男。司会は内海守典(フリーター)。
  9. 2月12日(火)7時、高田馬場サンルートホテル。一水会フォーラム。一水会36年の激動の歴史を振り返り、今後の民族派運動の展望を語る。一水会代表・木村三浩氏と私のトークです。ご期待下さい。
  10. あの衝撃の舞台、「天皇ごっこ」が再び帰ってきます。何と今度は阿佐ヶ谷ロフトで…。4月12(土)、13(日)の2日間です。詳しくは又、お知らせします。