2011/10/17 鈴木邦男

阿部勉氏の十三回忌に、昔の仲間たちが集まりました

阿部勉氏(左)
阿部勉氏(左)

①「郷土・角館の誇り」です

阿部勉氏の墓前で(10/9) 阿部勉氏の墓前で(10/9)

昔の民族派学生運動の仲間が結集しました。三島事件から41年。その前ですから、45年ぶりに会う人もいます。

「楯の会」、日学同(日本学生同盟)、全国学協、生学連(生長の家学生部)…などで活躍した人たちです。今も、各分野で活躍しています。テレビ局に入った人、政治家になった人、作家になった人、事業を起こした人。…と、様々です。全国から元「活動家」たちが「東北の小京都」角館に集結したのです。

10月9日(日)、角館で、「阿部勉大兄十三回忌法要」が行われました。阿部氏は、「楯の会」一期生です。その前は日学同でした。三島事件後は、一水会創設に係わった人です。その阿部氏が亡くなって丸12年です。

私は東京発午前9時50分の秋田新幹線に乗りました。東京からも多くの人が乗ってました。角館には1時20分着。3時間半です。2時から龍厳寺に行きました。

墓前で皆と 墓前で皆と

そこで墓前に参拝し、お寺で法要です。秋田市に住む、伊藤邦典氏(元「楯の会」)や角館の人たちが中心になってお世話をしてくれました。

このお寺にも何回か私は来ています。ご住職さん、そして札幌から田中清元和尚も駆け付けてくれました。ご住職さんが田中さんのことを「老師」と呼んでました。60ちょっとなのに、すでに「老師」か。

田中さんは学生時代からの阿部氏の友人で、亡くなる直前に札幌に来てもらい講演会をしてもらいました。

そうだ。その時のテープが流れました。法要の後の、「偲ぶ会」の時に。場所を移して行われた「偲ぶ会」で、札幌での阿部氏の肉声が流れます。それから、参列者の挨拶がありました。

阿部勉氏は子供の頃、お父さんを亡くし、教師だったお母さんに育てられました。そのお母さんも、阿部氏が亡くなって3年後に亡くなりました。今、角館には、お兄さんが住んでおります。71才です。

この日も、弟の思い出を語ってくれました。正直言って、三島事件の時は、よく分からなかったといいます。又、弟が死んだ時も、全国から右翼の人がドッと駆け付けるし、一体どんな生活をしてたんだ、と驚いたそうです。肉親としてはそう思うでしょう。

「やっと最近になって弟のことを理解できました。偉いことをやったんだと思いました」と語ってくれました。

「偲ぶ会」で 「偲ぶ会」で

「楯の会」では三島さんの信頼も厚かったし、東京でも、右翼運動では「阿部勉あり」と言われた。凄い男だったと思います。

でも秋田の角館の人たちから見たら違うのです。「あの神童と呼ばれた男が…」「末は博士から大臣かと思っていたのに…」と考えるのです。「郷土の誇り」だったのです。

それが、変な運動に入り、変な人たちと一緒になって。それに警察だって訪ねてきます。「悪いことをやってんじゃないか」とも思ってしまいます。

肉親にとっては大変だったでしょう。でも、山平重樹氏の『最後の浪人 阿部勉伝』(ジェィズ・恵文社)が出たり、いろんな人が取り上げて書いたり、それを聞いたりで、阿部勉氏のことも、段々と分かってきたようです。

②「活動家のお兄さん」たちの苦悩が…

阿部勉氏のお兄さんと 阿部勉氏のお兄さんと

前に、連合赤軍兵士の植垣康博さんのお兄さんの話をここで書きました。「よど号」の柴田さんの葬儀の後、植垣さんと一緒に訪ねたのです。そのお兄さんとも似てました。私の家の兄貴とも似てます。森田必勝さんのお兄さんとも似ています。活動家の弟をもった兄貴の戸惑い、苦悩、責任…などを感じました。

龍厳寺のご住職さんは阿部氏のことを「郷土の誇り」「ヒーローでした」と言ってました。又、同級生もそう言います。当時、阿部氏に家庭教師をしてもらった中学生(元)も、思い出を語ってました。時は1960年代後半。早稲田に入り、学生運動をやっていた阿部氏が夏休みに郷里に帰り、東京の話をしてくれたそうです。東京の騒ぎは、まるで、外国のように思えたそうです。

それに、阿部氏は、小学校、中学校、高校…と、成績はトップ。神童と言われました。野球部でも活躍し、文字通り「ヒーロー」でした。

そして、早稲田の法学部に入ります。「郷土の誇り」です。三島由紀夫の「楯の会」に入り、週刊誌のグラビアにも出る。郷土の英雄です。

三次真一郎ご夫妻と 三次真一郎ご夫妻と

ところが70年の三島事件。それ以来、郷里の人々の目は変わった。どう見たらいいか、どう考えたらいいか、分からなかったのでしょう。

又、阿部氏も、「三島さんに置いて行かれた」という気持ちが強く、落ち込みます。酒に浸る日々も多くなります。山平氏の『最後の浪人 阿部勉伝』のサブタイトルは「酒抱きてけふも墜ちなん」です。酒に浸る日々です。もの凄い才能を持った男なのに、勿体ないし、残念だと思いました。

「月刊タイムス」で私は「三島由紀夫と野村秋介の軌跡」を連載しています。今第74回目です。随分、長く続いてます。今月号(11月号)は、阿部勉氏のことを書きました。タイトルは、こうです。

〈三島が最も信頼した阿部勉
=三島・森田の死を今も乗り越えられない元「楯の会」会員の煩悶=〉

③70年春、阿部勉氏との再会が全てを決めた!

田中和尚、魚谷氏、山浦氏と 田中和尚、魚谷氏、山浦氏と

ここでも書きましたが、学生時代から、同じ東北人だということで、分かり合えるとこがありました。何かホッとするんですね。爽やかな青年でした。

彼は日学同から「楯の会」に入ります。私は、生学連から全国学協に。しかし、活動家としては無能だったために、全国学協からパージされ、郷里の仙台に戻ります。

そして、1970年の春、縁があって、産経新聞に入社。久しぶりに上京し、アパートを探さなくちゃと思って、何故か、渋谷をブラついていたんです。

その時、バッタリと阿部勉氏と会ったんです。あの出会いがその後の私の運命を決めました。あの出会いがなければ、一水会もなかったでしょう。

これからアパートを探すんだ、と言ったら、「じゃ、それまで、家にいたら」と言ってくれたんです。それで、その日から居候しました。高田馬場で、六畳二間で、同じ「楯の会」の福田俊作氏と住んでました。そこに3人で住むことになり、私は、そこから産経に通いました。

河井氏、伊藤邦典氏と 河井氏、伊藤邦典氏と

ところが半年後に三島事件です。そこは「楯の会」の溜まり場ですから、マスコミは押し寄せる、警察は来るで大変でした。私も慌てて、落合にアパートを借りて、引っ越しました。

その後、阿部氏を中心に、昔の運動仲間が集まり、「一水会」を作ります。名前は阿部氏が付けました。その後阿部氏が借りたアパートを一水会の事務局にしました。

だから、本当は一水会を作ったのは阿部氏なのです。私はただ「先輩だから」と阿部氏が立ててくれたんです。

三島事件の前、6ヶ月、同居してたのでよく分かりますが、阿部氏はとても真面目で、勤勉です。いつも正座して、吉田松陰の本などを読んでました。学生を集めて、「七規七則」などを講義してました。

又、近所の子供や、スナックのお姉ちゃん相手に習字を教えていました。飄々として、ジョージ秋山の「はぐれ雲」のようなとこがありましたが、アパートの中では、勉強ばかりしてました。

私が産経を辞めてから、『青年群像』の編集をやってた頃、阿部氏が、その頃の日記を載せてくれました。

山平重樹『阿部勉伝』 山平重樹『阿部勉伝』

そこには、休みの日の記述として、「鈴木さんはヤクザ映画を見に行く。僕は勉強」という箇所があって、はっきりと覚えています。

産経に入って、随分と本を読んでたつもりですが、阿部氏の目からはまだまだ甘いと思えたのでしょう。映画に行ったり、遊びに行ったりする私だけが印象に残ったのでしょう。

その日記も探して、どこかに発表したいですね。

そうだ。偲ぶ会には、元「週刊SPA!」の河井さんも来てくれました。今は他の新聞社に移って秋田市勤務です。この河井氏のおかげで私は「夕刻のコペルニクス」の連載を続けられました。

あの連載は単行本3冊、文庫本2冊にまとまってます。私の本では最も売れたものです。今でも、「夕コペを読んでました」という人によく会います。うーん、あれしかないのか、とも思う。

そうだ。河井さんと、その当時を思い出してトークをしてもいいな。秋田市で。誰も集まらなくてもいいや。2人だけでやって、それをこのHPに載せてもいい。そうだ。司会は伊藤邦典氏に頼もう。

④小学2年の時、邦典氏と会って、それが始まりだ

『月刊タイムス』(11月号) 『月刊タイムス』(11月号)

阿部氏の「偲ぶ会」でも邦典氏の話をしました。私が最も早くからの知り合いです。阿部氏とは大学生からですが、邦典氏とは私が小学校2年の時からです。

白井基夫氏、白井聡氏、鈴木、金子監督(10/10) 白井基夫氏、白井聡氏、鈴木、金子監督(10/10)

私は父親が税務署だったので、福島、秋田を転々としてました。小学校2、3年の時、秋田市にいて、近くに伊藤邦典氏一家がおりました。邦典氏のお父さんは国鉄に勤めていましたが、「生長の家」の地方講師でもありました。

その先生が、私の母親の病気を治してくれたのです。それ以来、母は「生長の家」に入り、その影響で私も、生長の家学生道場に入り、やがて、右派の学生運動に入ることになります。だから、全ての原点は秋田です。

そのあと、邦典氏も、学生道場に入ります。「楯の会」の持丸氏がよく遊びに来ていて、「あの目の輝いてる学生がいい。楯の会にくれ」と言いました。

「いいよ。あげる」と言って、邦典氏は「楯の会」に。神奈川大学で、古賀、小賀氏を「楯の会」に誘います。その2人が、70年の三島事件の時に、市ヶ谷に行きました。

だから、三島事件の遠因も秋田にあります。そんな話を「偲ぶ会」でしました。秋田の他、横手、湯沢に私はいましたが、秋田での生活が、私の少年時代を作ったのです。この頃だけを思い出して、詳しく書いてみたいですね。

祈祷師びびこさん(右)と 祈祷師びびこさん(右)と

その前に、元「SPA!」の河井さんとも話をしなくっちゃ。邦典氏とも、ちゃんと思い出して話をしなくっちゃ。

そうだ。邦典氏のお嫁さんも、法要、偲ぶ会に来てました。受付をしてました。このお嫁さんも昔は生学連の活動家だったんです。

生学連の集まりの時、「夏休みに秋田の親類の所へ行く」と言ってました。それで邦典氏を呼んで、「こいつは秋田だから、一緒に帰れば」と言いました。

この頃から、その場の思いつきで、いい加減なことを言ってたようですね、この人は。私です。生学連の書記長でした。

それで、無理矢理2人を一緒に帰らせたんですな。夜汽車で。そしたら、愛が生まれ、結婚したんですわ。だから、私が結婚をお世話したんです。

「邦典を楯の会にほしい」と言った持丸博氏は「楯の会」初代学生長でした。その持丸氏を生学連の合宿に誘ったら、来てくれました。東京家政学院の活発な女の子がいたので、「この子、学内で活発に運動してるんだよ」と芳子さんを紹介したんです。

そしたら、この2人も恋に落ちて、結婚してしまいました。奥さんは松浦芳子さんで、今は杉並区議として大活躍をしています。本も出してます。

だから、多くの人々を結びつけ、活躍の場を提供してたんですな。この人は。本人はずっと沈みっぱなしですけど…。

でも、今年の夏は挑戦しましたからね。イルカと泳いできたし。だからもう今年は終わりです、と思ったんですが、まだまだ忙しい。少しのんびりしたいですね。当分、本も出ないでしょうし。 

【だいありー】

一水会フォーラム(10/11) 一水会フォーラム(10/11)
  1. 10月10日(月)午前中、原稿。午後、新聞社の取材。5時、代官山。「山羊に聞く?」で金子遊監督の新作映画「インペリアル・国家論・君主論」の上映。いい映画でした。力作です。思想映画、論争映画です。宮台真司、岸田秀、康芳夫、木村三浩、鈴木邦男…らが出演し、国家につき、天皇につき、国防につき、熱く語ります。
     この上映のあと、金子監督、白井聡さん(多摩美大講師)、白井基夫さん(「週刊金曜日」)、そして私で、トークをしました。思想的、哲学的に深い話が出来ました。
  2. 10月11日(火)午前中、原稿。午後、新橋。7時、一水会フォーラム。ホテルサンルート高田馬場。元海上保安官の一色正春さんが講師。
    〈尖閣漁船衝突事件から一年=sengoku38の挑戦状=仙谷由人よ受けて立て!〉。
     あのビデオ流出事件から1年。「時の人」です。超満員でした。あの事件の真相が全て明るみになりました。決断するまでの苦悩。現場での反響など、詳しく聞きました。
     終わってから、質問も活発に出ました。打ち上げにも付き合ってくれました。とても真面目で謙虚な人です。だから、テレビの激論よりも、こうして、じっくり話をしてもらう方がよかったと思います。一色さんの人柄や、憂国の情が、ひしひしと伝わりました。
講師の一色正春さんと 講師の一色正春さんと
  1. 10月12日(水)午前中、図書館。午後3時、文化放送。ゲストは一色正春さんです。
     昨夜、東京で泊まったので、「今日もぜひ」と言って、出てもらいました。領土問題や、海上保安官の生活、苦労などを、じっくりと聞きました。
     終わって、Wコロンの謎かけコーナーにも出てもらいました。「いやー、楽しい番組ですね」と驚いてました。
     さらに、「Ustream延長戦」にまで、付き合ってもらいました。「鈴木邦男の文学講座」をやってます。三島、太宰、芥川と取り上げ、今週から川端康成です。第1回目は『雪国』です。
     と思ったのですが、先週、Wコロンのねずっちがテレビで柔道の試合に出てたので、急遽、その話にしました。
     北京オリンピックの女子柔道で銅メダルをとったアメリカの選手と、ねずっち(2段)が闘うのです。かなりいいところまでいったんですが、最後は背負い投げで負けました。
     「でも、オリンピックのメダリストと闘えたんです。幸せです」と言ってました。2段ですが、忙しくて、ずっと練習してない。「19年ぶりの柔道」だったそうです。「これからは、練習をします」と近くの道場に行ってるそうです。「次はぜひ野田総理(2段)に挑戦して下さい。私が先鋒で出て、疲れさせますから、主鋒のねずっちが総理を投げ飛ばして下さい。
二次会で、木村氏、一色さんと 二次会で、木村氏、一色さんと
  1. 10月13日(木)11時、神田で出版社の人と打ち合わせ。忙しくて、ゆっくり原稿を書いてる時間がない。寝る時間を削って、やってるがキツイ。午後3時、河合塾コスモ。現代文要約。5時、基礎教養ゼミ。私の選んだ本を読む。古賀茂明さんの『官僚の責任』(PHP新書)だ。いい本だった。
  2. 10月14日(金)午前中、原稿。2時、雑誌社の人の取材。7時、下北沢スズナリ。大川興業本公演を見る。面白かった。元「創」の荒井さんに会い、飲みました。
     一緒にイラクに行って、デモをしましたね、と思い出して話をした。大川興業主催で「反原発デモ」をやったら面白いのに。という話もしました。
  3. 10月15日(土)午前11時、野村秋介さんの墓前祭。全国から大勢の人が来てました。午後4時、千代丸健二さん(人権110番)を偲ぶ会。とてもお世話になった人です。何とも残念です。
     午後7時、鳥肌実のライブ。「憂国の芸人」鳥肌さんの超過激なライブです。堪能しました。終わって楽屋で話をしました。鳥肌さんも反原発デモを主催したら面白いのに。でも、すぐに暴発して、「全員逮捕!」になったら、恐いか。
  4. 10月16日(日)午前中、早稲田の校友会。
     12時、大学時代の「大西ゼミ」の同窓会。本当に久しぶりです。今日は早稲田大学の全体の校友会がある。その合間にゼミの仲間だけで集まったのだ。私なんて、ゼミに付いて行けなくて、脱落した人間なのに、こうして誘ってくれる。ありがたいです。
     全体の校友会でも懐かしい人々に大勢会いました。

【写真説明】

阿部勉氏(左)

①元気な頃の阿部勉氏です。カッコよかったですね。よく和服も着てました。キマってました。ところで右の人は誰でしょうか。見たような気もしますが、分かりません。でも、これは何かのパーティでしょうね。そこに、セーターじゃ、失礼ですよね。

阿部勉氏の墓前で(10/9)

②10月9日(日)、角館の龍厳寺です。阿部勉氏の十三回忌法要です。阿部家のお墓の前で。

墓前で皆と

③田中清元和尚、木村三浩氏、前田伏樹氏などがおります。私は、柔道で膝を痛めて、かがめません。危うく落ちそうになったら和尚が支えてくれました。その瞬間をとらえた写真です。

「偲ぶ会」で

④そのあと、場所を移して、「偲ぶ会」に行きました。阿部氏の遺影の前で。

阿部勉氏のお兄さんと

⑤阿部勉氏のお兄さんと。後ろの赤ちゃんは阿部氏の娘さんのお子さんです。お孫さんですね。

三次真一郎ご夫妻と

⑥三次真一郎さんご夫妻と。「あっ、町長さん」と、つい言ってしまいました。前は、山方町の町長さんでしたが、今は、常陸大宮市の市長さんです。

田中和尚、魚谷氏、山浦氏と

⑦田中和尚、魚谷哲央さん、山浦嘉久さんと。

河井氏、伊藤邦典氏と

⑧元「週刊SPA!」の河井氏。元「楯の会」の伊藤邦典氏。

山平重樹『阿部勉伝』

⑨山平重樹さんの『最後の浪人 阿部勉伝』(ジェィズ・恵文社)。

『月刊タイムス』(11月号)

⑩『月刊タイムス』(11月号)です。

白井基夫氏、白井聡氏、鈴木、金子監督(10/10)

⑪10月10日(月)、代官山。「山羊に聞く?」。金子遊監督の映画を見たあとで、トークをしました。白井基夫さん(週刊金曜日)、白井聡さん(多摩美術大講師)。白井聡さんはレーニンの本を何冊も出してます。椎野レーニンさんに会わせようと思ったのに、この日は欠席。残念でした。

祈祷師びびこさん(右)と

⑫祈祷師びびこさん。ラジオで活躍しています。皆、心で思ってることをズバズバと当てられました。驚きました。白井基夫さんが「女装写真」を見せたら、ズバリ。「こんなのは女装と言わないわよ! 仮装よ!」。凄い、と思いました。

一水会フォーラム(10/11)

⑬10月11日(火)の一水会フォーラムです。一色正春さんが講師なので、超満員でした。

講師の一色正春さんと

⑭講師の一色正春さんと。元海上保安官です。体が、ガッチリしています。鍛え方が違います。

二次会で、木村氏、一色さんと

⑮一水会フォーラムの二次会で。木村三浩氏、一色正春さんと。

【お知らせ】

  1. 「月刊タイムス」(11月号)が発売中です。私の連載では、「楯の会」一期生・阿部勉氏のことを書きました。
  2. 10月22日(土)、「脱原発!愛国デモ行進」。〈美しい日本の山河を後世に!代替エネルギーの開発に国家の総力を!〉。
     13:30集合(神宮通公園)、14:00デモ出発。呼びかけ人は、西村修平、槙泰智、山田恵久…氏らです。何と、私も、呼びかけ人になってます。西村氏とは映画「ザ・コーブ」でトラブルがありましたが、そんな小さな事は言ってられません。このデモは素晴らしいと思い、賛同しました。「何で鈴木なんかを呼ぶんだ」と反対もあるでしょう。西村氏らの決断に敬意を表します。
  3. 翌、10月23日(日)は、「右から考える脱原発集会&デモ」第4弾です。〈大本営発表を鵜呑みにし、真実を伝えないマスコミを許すな!〉をスローガンにデモをします。13:00集合。水谷橋公園(中央区銀座1の12の6)。13:30デモ出発。読売新聞→朝日新聞→電通→日本テレビなどに行きます。
vs原和美トークライブのフライヤー
(クリックでPDFファイルが拡大します)
  1. 10月28日(金)WOWOWに出演予定です。若松孝二監督の新作「三島由紀夫と若者たち」の特報です。映画を紹介し、私は、当時の右派学生運動について語ります。
     元連合赤軍兵士の植垣康博さんも出演し、当時の〈事件現場〉を案内するそうです。
  2. 10月29日(土」、見沢知廉の映画が封切りです。大浦信行監督『天皇ごっこ。たった一人の革命』。新宿のk'cinemaで。この日より3週間上映です。
     なお、封切り初日、10月29日(土)に午後1時の回の後で、監督と私のトークがあります。
     翌、10月30日(日)は田原総一朗さんが出てトークします。11月3日(木)は植垣康博さんです。
  3. 10月29日(土)の深夜、12時〜午前3時。ロフトプラスワンに出ます。居島一平さん主催の「苦肉祭95〜やらずに死ねるかアパッチ砦篇」があり、そこに出ます。
  4. 11月6日(日)「vs原和美トークライブ=護憲派の原和美、今度は神戸の地で保守派論者と激突=」。午後1時半開場、午後2時スタート。神戸市勤労会館。
     ゲストは、飛松五男、本山美彦、鈴木邦男です。
  5. 11月7日(月)午後7時、ネイキッドロフト。針谷大輔氏の「男たちの国防論」。私も出ます。脱原発デモについて語ります。「週刊SPA!」で一緒に座談会に出たnoiehoieさんも出ます。
雨宮処凛×鈴木邦男 左右を超えて反原発・脱貧困 雨宮処凛×鈴木邦男 左右を超えて反原発・脱貧困
(クリックでPDFファイルが拡大します)
  1. 11月19日(土)「マガジン9」主催の特別セミナーで、私が出ます。
  2. 11月24日野分祭です。
  3. 11月27日(日)2時、「鈴木邦男ゼミin西宮」。ゲストは寺脇研さんです。教育問題や映画の話をします。楽しみです。
     お問い合わせ、お申し込みは、鹿砦社 鈴木邦男事務局まで。0798-49-5302
  4. 11月28日(月)7時、代官山「山羊に聞く?」。「山羊に聞く?で羊に聞く」(第2回)。この日は、佐高信さんとの対談本『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)をテキストに私が話します。桃江メロンさんに又、突っ込まれます。
  5. 12月10日(土)神戸。午前中、映画館で大浦信行監督の「天皇ごっこ」の上映。その後、雨宮処凛さんと私のトーク。さらに場所を移して午後からも2人のトークがあります。
  6. 12月11日(日)昼、大阪で「天皇ごっこ」上映の後、大浦信行監督とトークをします。