「西宮ゼミ」があってよかった、と思った。
上祐史浩さんの話をじっくりと聞くことが出来た。10月8日(月・祝日)だ。超満員だった。わざわざ東京や横浜から来た人もいた。
「本当によかった。来てよかった」と皆、言ってた。私もそう思った。
テーマは、「オウム事件17年目の真実と意味」だ。まさに、その通りの話になった。
全く知らなかった話、衝撃的な話が、次々と飛び出す。「そういうことだったのか」「そんな側面があったのか!」と、考えさせられた。
膨大な映像があり、膨大な話(評論家、警察、マスコミの…)があり、その大洪水の中で、私たちは、「分かった」つもりになっていた。
しかし、何も分かってなかったんだ。何も見てなかったのだ。そう感じた。
(戦後史と同じだ。孫崎享さんの『戦後史の正体』を読んで、私たちは、何も見てなかったと思った)
上祐さんは、オウム事件の最中、毎日、テレビに出て喋っていた。
事件については関与してない。ただ、教団がやったことは薄々気付いていた。
でも、教団を守るために弁論をふるった。これも辛かっただろう。きつかっただろう。
麻原を信奉していたからです、と言う。麻原の「実像」というよりも、「こうあってほしい麻原」を信じたようだ。
「ザイン(存在)」としての麻原ではなく、「ゾルレン(当為・あるべき)麻原を信じたのかもしれない。又、時にはそう思わせる麻原の姿もあった。
「自分は受難のキリストだ」と麻原は思ったという。完全に信じ切っていた。
マスコミにチヤホヤされ、大学で講演会が満員になり、あとは、「合法的」にやったらいいではないか。と私らは思う。
しかし、それでは満足出来なかった麻原がいる。「いや、こんなとこで安住していたら堕落だ。闘い続けなくてはダメだ。弾圧され、受難し、その中で、自分はキリストになる」。そう思い込んでいた。
その信念に皆が魅入られ、引っ張られて行った。より困難な方向へ、より苦難の道へ…と。左翼過激派の場合ならば、選択に困った時は、「より左の道へ」と選んだ、という。(元赤軍派・金廣志さんの話)。
麻原の場合は、「より苦難の道」へ進んだのだ。
じゃ、本当のキリストだったのか。キリストを私たちは今、殺そうとしているのだろうか。それはないだろう。
しかし、本人は、「そう信じていた」と言うし、その信念の強さに、皆が引きずられたのだと上祐さんは言う。
よく新興宗教の事件にはあるが、金儲けのために、詐欺をする。
ああいうものではない。自分が信じてもいないのに「終末論」を説き、その時の「救い」を言う。
あるいは、「先祖があの世で苦しんでいる」「お祓いが必要だ」と言葉巧みに騙して、金を巻き上げる。
それならば分かりやすいし、東大・京大のインテリたちが入ることもなかった。「自分が信じてないもの」を見せ、説くのは詐欺商法だが、麻原はそれではない。
自分が信じ切っているものを説き、行動する。修行もやる。そして説く。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中には、「大審問官」という部分がある。それだけで優に長編小説になる長さだ。
中世のスペインに、キリストが甦る。「復活」したのだ。キリスト教徒は聖書を信じ、キリストの復活を信じているはずだ。
だからこそ、キリスト教徒なのだ。
でも、教義としての「復活」を信じているだけで、実際の復活は信じてない。だから、キリストは見えない。理解出来ないのだ。
そして、再び、キリストは迫害され、十字架への道だ。
あるいは、麻原は、そのキリストを信じていたのではないか。人々から迫害され、ニセ者として罵られ、そして殺される。そんなキリストだ。
妄想だろう。白昼夢だろう。しかし本人は信じ、又、周りの人々も信じた。それだけならいいが、さらに敵を求め、国家権力に、そして米軍に…と、新たな〈敵〉を作っていった。
村上春樹の小説『1Q84』には、いろんな革命集団が出てくる。ユートピアを目指す人々が出てくる。赤軍派、連合赤軍、よど号、山岸会、そしてオウム…を連想させる人々が出てくる。
オウムの麻原も出てくる。いや、そう思わせる人物が出てくる。
ところが、「麻原」は、女テロリスト・青豆に殺される。自分を殺しに来たテロリストだと知って、自らの命を投げ出す。テロリストの手によって死ぬ。
これが「殉教」であり、自らが願う「非業の死」であるかのように。あるいは、本物の麻原も、それを望んだのだろうか。
「受難のキリスト」を信じていたのなら、逮捕の直前になぜ自決しなかったのだろう。残酷な質問だが、私は聞いた。
「その選択肢はなかったんです」と上祐さんは言う。
自らが〈負け〉を認めて死ぬことはあり得なかったのだろう。
でも、獄死も出来ず、ハルマゲドンも来ない。自らの受難願望を実現させるための部下もいない。超能力で、鉄の檻など乗り越えたらいい。でも、出来ない。
高橋和巳の『邪宗門』のような世界を追体験しようとしたのか。
私が、かつて会った、オウムの何人かの幹部は、そう言っていた。私たちは、『邪宗門』の主人公ですと。
この小説は、大本教をモデルにした小説だ。大本教は、国家主義的な宗教だ。軍人や右翼の大物たちも入信していた。
ところが、(いや、それ故に、と言うべきか)、自分たちが、この世の代表者になろうとした。自分たちこそが、この国を建て直す使命があると、神のお告げがある。
当然、国家権力からは弾圧される。大量逮捕があり、教団施設はダイナマイトで爆破される。逮捕された幹部の中には、獄死したり、発狂する者も続出する。
その抵抗の教団を、高橋和巳は書いたのだ。西宮ゼミで司会をした岩井正和さんは、この小説を3度も読んだという。凄い。
ぶ厚い小説だ。難解だ。私はかつて、一度読んだ。やっとのことで読んだ。
この小説のモデルにされた大本教は、一度は潰され、その後、残り、今もある。又、ここから分かれた宗教も、いくつかある。「生長の家」もそうだ。
読みながら、かつての私は震えた。「生長の家」の運動をやっていたし、私たちの、いわば「先祖の物語」だ。
私たちも、先鋭的な国家主義運動を突き進め、その先に、国家と衝突するかもしれない。いや、きっとそんな〈時〉が来る。と思った。「受難願望」だ。
私たちだって、「小さな麻原」だった。リトル・ピープルだった。
その時、主人公の千葉潔のように、食を断って、抗議のために断食死出来るのだろうか。そんなことを真剣に考えた。
話は、さらに飛ぶ。麻原を信じ、「キリストのように受難死」する願望の麻原を信じた幹部たちだ。
でも、個人差、時間差はあっても、「この人は違う」と気付き始めた。「キリストではない」「おかしい」と。
さらに、犯罪を次々と指示し、その「共犯関係」で、結束を強めようとする。皆、イエスマンになる。麻原に都合のいい、麻原に喜ばれることばかりを言う。
それを聞いて麻原はさらに自らの「確信」を強める。
誰も反対出来ない。「選挙に出よう」「選挙の結果がおかしい。投票箱がすりかえられたのではないか」「こんな奴はボアすべきではないか」…と。弟子たちに問いかける。弟子たちは、「心から」賛成し、自らの意見を述べる。
その「意見」の数々が、ますます麻原の確信を強固にする。
しかし、上祐さんだけは違った。公然と反対する。よく言えたもんだ。命が惜しくなかったのか。特に、「投票箱がすりかえられた」など、あるはずがないと言う。
当然の話だ。投票をした人たちに聞いてみたが、麻原に投票した人は1人もいなかった、と言った。
しかし、そんな「現実」よりも、もっと受け入れたい話の方を、麻原は信じる。
ある弟子は言う。「これだけ、我々は世の中に受け入れられてるのです。当選しないはずはありません。どこかで謀略が行われているのです」
「投票を終えて出てきた人に、誰に投票しましたかと聞いて、『麻原さんです』とは言いにくい。マスコミや人々が見ている。だから、本当は、投票しても、そう言えないのだ」
「だから、本当は当選してたのだ。投票箱がすりかえられたのだ…」と。
その方が、心地よい物語だ。その「物語」が、いつしか「真実」になる。そして、自分たちを陥れている世の中に復讐を誓う。
妄想と狂信と、恨み…それが個人の中に埋没しているだけなら問題はない。不幸なことに、それを信じる多くの人々がいた。又、その妄想にかられて復讐を実行する「集団」がいた。
森達也さんは、「主語が複数になると述語は暴走する」と言った。1人ならば、いくらでも謙虚になり、謝ることも出来る。
しかし、「我々は…」と複数の運動体になると、謙虚になれない。「我々こそが正しい」となり、間違いを犯しても謝れない。いや、「間違い」など犯すはずがないと思い込む。
オウムの場合は、「主語が単数」の時は、ただの妄想で、ただの狂気だった。それが、複数になると、妄想や狂気と「実行する力」が備わる。
又、その「力」は、自らを信じ切っている「忠実な弟子」たちだ。「述語」は、どんどん暴走する。
ただ、上祐さんは覚めていた。
教団が犯罪に手を染めていると気付きながら、でも、「ゾルレンの麻原」を信じて、必死に教団を護ろうと、弁護する。どうしようもない殺人犯でも、何とか助けようと必死で弁舌をふるう辣腕弁護士のようだ。
しかし、もうダメだ。守り切れないと思った時はあっただろう。その時、逃げようと思わなかったのか。
「それはありませんでした」と言う。他の弟子たちにしてもそうだ。何故だろう、と思いながら、ハッと気が付いた。
他人のことは言えない。自分だってそうだった。そのことに気が付いた。
学生運動に命を賭け、でも、その挙げ句、「除名」された。「こんな奴はリーダーとしてふさわしくない」「こんなダラ幹がいるから、我々の運動は伸びないのだ」と糾弾されて…。
その時、キッパリと辞めたらよかったんだ。「愚かな活動家たちだ。オレを理解出来ないのか。こっちから辞めてやる」と言って。そして、別の世界で生きたらいい。
「右派学生運動」という、本当に、チッポケな世界じゃないか。こんな小さな世界になぜこだわるんだ、…と、今の自分なら言える。
ところが、当時、そうは思えなかった。「この世界」が全てだった。この世界から追放されることは死ぬことよりも辛い。そう思ったりした。
その頃の自分を思い出した。あるいは、西宮で、上祐さんの話を聞いていた全員も思っただろう。
「待てよ、自分にもそんな経験はあるぞ」と。
あれほど破滅的ではない。でも、「失敗」は我々にもある。もっともっと小さいが、各人が「オウム問題」を抱えている。そんな気がした。
上祐さんは、11月末に、単行本を出すという。これは、衝撃を与えるだろう。オウム事件を再び考え直す契機になるだろう。
今回のこの文章は、上祐さんの話を聞いて、私が感じたことを書いた。私自身のモノローグかもしれない。
ぜひ、11月に出る上祐さんの本を読んで、正確に理解してほしい。考えてほしい。
11時、岩井、藤井さんが迎えに来てくれました。『アエラ』(10月15日号)が今日、発売です。孫崎享さんの『戦後史の正体』(創元社)の書評を書きました。凄い本です。20万部も売れてます。厚いし、簡単には読破出来ません。でも、20万部です。これだけの歯ごたえのある本を読めるということは、確実に、日本人の知的レベルが上がったのです。出版元の創元社は古い出版社です。でも、これだけのヒットはないそうです。いや、大正時代に、谷崎潤一郎の『春琴抄』がベストセラーになり、それ以来だそうです。ツイッターで孫崎さんが感謝してました。いやいやい、こんな素晴らしい本を読ませて頂いて、こっちの方が感謝感激ですよ。
12時、西宮に着く。喫茶店で、上祐さんたちと落ち合う。すでに来て、待ってました。申し訳ありません。上祐さんは、「11月末に本を出します」と、内容を教えてくれました。これは素晴らしいと思いました。「鈴木さんのことも書いてます」。エッ?と思ったら、「村井さんの刺殺事件」のことでした。「いろんな陰謀説が言われて、私も迷いましたが、鈴木さんは実行犯の徐さんと会って、じっくり話をしている。その中で見えてきたものが大きいと思います」と言います。この本は、嵐を呼ぶでしょう。これも、戦後史の「正体」でしょう。
喫茶店で、皆で食事しながら、打ち合わせ。初めは、上祐さんに40分ほど話してもらって、その後、私が質問しながら2人でトーク。そして、会場の皆との質疑応答…という予定でしたが、「初めから質問してもらった方が今日の主旨に合う話が出来るでしょう」と上祐さん。それで予定を変えました。
会場に、2時20分前に入る。超満員で、上祐さんの休む場所もない。すぐに演壇に座ってもらう。そして、10分前だが、「もう始めましょう」と私が言いました。主催者の鹿砦社・松岡社長の挨拶。司会者の岩井さんの挨拶。そして、初めに私が10分ほど、話し、すぐに質問に入りました。
前置きの話として、この日発売の「アエラ」で書評した孫崎享さんの『戦後史の正体』について、紹介。そして、新聞、テレビ、ニュース映像などの情報の中で、私たちは〈見てる〉と思ったものが、実は〈見てない〉ことが多い。オウム事件もそうではないか。という話をした。過剰な情報の洪水の中で、我々は、あらゆることを見、あらゆることを知った、と思った。
しかし、それは「錯覚」ではないのか。事件の渦中にいて、上祐さんは、その中でも、麻原に反対し、ロシアに飛ばされ。又、事件後は呼び戻されて、連日テレビに出て、オウムを必死に弁護した。その時の気持ち。又、最終的には麻原、オウムと訣別する。最も麻原、オウムを知り、その善も悪も知り尽くした上祐さんが、今、語ってくれる。その〈証言〉を謙虚に聞きたいと思う。そう前置きして、「なぜ止められなかったのか」「よく、反対出来ましたね。ボアされる恐れもあったでしょうに…」と聞きました。
又、オウムに入った動機。「麻原は今、正気なのかどうか」「今、どう思っているのか」「今、“ひかりの輪”で何をやっているのか」…などについても聞きました。全てに、丁寧に答えてくれました。
休憩をはさんで、質疑応答。ただ、時間が勿体ないので、事前に質問用紙に書いて出してもらい、岩井さんが読み上げて答えてもらう。5時近くに終わる。その後、その場所で懇親会。上祐さんの周りに多くの人たちが詰めかけ、質問したり、サインをもらったり、記念撮影をしたり…。7時過ぎまで、付き合ってくれました。一人一人に、丁寧に、キチンと対応し、話してくれました。とてつもなく、度量の広い人だと思いました。「『失敗の愛国心』読みましたよ。鈴木さんこそ心の広い人ですよ」と言いますが、とんでもない。私なんて、今も失敗の連続です。
とても教えられ、考えさせられたゼミでした。上祐さん、広末さん、来て下さった皆さま、ありがとうございました。私は、最終の新幹線で帰りました。
乗り換えの梅田に着いたら、大変な騒ぎでした。号外が配られ、人々が騒いでいる。「又、東京で何か、あったのか?」「ハルマゲドンか?」と思いました。でも、「山中さん、ノーベル賞」の号外でした。ホッとしました。よかったです。
〈三遊亭円朝作 歌丸が語り直して
真景累ヶ淵 第二部
深見新五郎〉
〈真景累ヶ淵 第三部
豊志賀〉
を聞く。これは私にだけ語ってくれたんだ、と思った。だから、絶対に聞かなくてはならない。そう思った。この日は、「脱原発ロックの会」があったが、「円朝」の方が優先だ。ロックの会は、大幅に遅刻して行った。
だって、この日、集まったお客さん500人の中で、「円朝全集」を読破したのは、私だけだ。多分、そうだろう。今まで、知り合いの落語家40人ほどに聞いてるが、全巻読んだ人はいない。でも私は読んだ。大判の本で、大変だったが、東中野図書館で1冊ずつ借りて、それを2週間かけて読み、それを20巻ほどだ。面白かったし、あっ、こうやって〈物語〉を作るのか、と考えさせられた。
寄席は8時45分に終わり、車で表参道の会場へ。カフェ・ロータス2Fだ。「脱原発・ロックの会」に行く。終わり頃に間に合った。又、広瀬隆さんに久しぶりに会った。藤波心ちゃん、愛ちゃんに会った。「緑の党」の須黒奈緖さんに会った。岩井俊二監督と会った。又、ブラジルの出稼ぎの子供たちを撮った中村真夕監督にも会った。「前に岩井監督の下で仕事をやってた」と言う。
〈オスプレイ配備て見えてくる、歪んだ日米関係〉
6日、山口県の岩国基地に残っていたオスプレイ3機が沖縄県の普天間飛行場に到着し、12機すべてが沖縄に配備された。
これまでに沖縄で、すべての市町村と県議会がオスプレイ配備反対の決議を採択。10万人を超える反対集会が行われてきた。しかし、沖縄の声は完全に無視された。9日、野田政権は、沖縄県の仲井真知事と総理官邸で会談した。知事がオスプレイ普天間飛行場への配備撤回を求める要望書を手渡したのに対し、野田総理は「地域住民の生活に最大限配慮する」と話したものの、配備の撤回には応じず、話し合いは平行線で終わった。
孫崎享さんの言うように、「アメリカ追随」の典型的な姿だ。これだけ沖縄が犠牲になっているのに、アメリカに対しては何も言えない。尖閣、竹島を抱え、「でも、アメリカに頼らなくてはダメだ」という思いがあるのだろう。琉球新報の報道や、田原総一朗さんの発言なども紹介しながら、オスプレイ問題を考えた。
続いてのコーナーは、「編集長は見た!」。月刊『文芸春秋』の島田真編集長。今日発売の11月号だ。私は、朝早く、本屋に行って買い、「ロイヤル・ホスト」で3時間いて、主要な特集は読んだ。忙しい。今月も充実した特集だ。
まず、〈イギリス「エコノミスト」が分析した2050年の日本〉
悲観的なものが多いと思ったが、結構、日本を評価している。人口減は避けられないが、高齢者対策は世界一、進むだろう。又、民主、自民という二大政党制はなくなり、多数党化するだろう。「政治は政党のものと考えられているが、それが、日本では、改められるだろう」と、予測というよりは、批判だった。又、激励だ。
第2の特集は、
〈日中文明の衝突 どうすれば勝てるのか?〉
中西輝政さん、春名幹男さん、佐藤優さん、宮家邦彦さんの4人。外交のプロばかりだ。中国に対する厳しい批判もあるが、この雑誌は品がある。他の雑誌、週刊誌だと、こういう問題を扱うと、やたらと口汚く罵り、攻撃するのが多い。「批判の中味」よりも、批判の仕方、品のなさ…だけが目に付く。だから説得力がない。
その点、『文芸春秋』は品格がある。論争の品格がある。日本に『文芸春秋』があってよかったと思った。
〈スクープ 習近平が消えた2週間。「深刻な病状」〉
ジャーナリストの宮坂聰さんの記事だ。宮坂さんは私も知ってるが、とても優秀なジャーナリストだ。それにしても、大手新聞社の中国在住の記者たちは、どうしたのか。情報が入らないのか。書けないのか。もどかしさを感じる。
この日、取り上げる時間がなかったが、〈60才になったら読み返したい41冊〉もよかった。「名著再発見」だ。小川洋子は『夜と霧』をあげている。私も、昔読んだのとは全く違った感動を与えられた。中村吉右衛門はカミュの『異邦人』。三浦雅士は太宰治の『晩年』。
意外だったのは、弘兼憲史(漫画家)が、大江健三郎の『セブンティーン』をあげていた。テロリストの少年の物語だが、その根本には、青春小説としての普遍的なテーマがあり、「だからこそ若かった私は、この小説に激しく共振した」と書いている。私もそうだ。〈政治〉、〈テロ〉もあったが、それ以上に、青春小説として、読んだ。弘兼さんに同感だ。いつか、この小説について話し合ってみたい。
江夏豊は司馬遼太郎の『燃えよ剣』だ。これも意外だし、嬉しかった。新撰組副長の土方歳三が主人公だ。実は、学生時代、森田必勝氏(三島さんと自決した25才の青年)に薦められて読み、感激した。先日は四日市に行って森田必勝氏のお墓参りをした。お兄さんにお会いしたので、土方歳三の話をした。土方のお墓参りもしなくっちゃ。函館にある。
文化放送が終わって、急いで高田馬場へ。一水会フォーラムだ。講師は元NHKの小林和男さん(ジャーナリスト)。テーマは
〈プーチン再登場と日露関係〉
NHKに長くいたし、ロシアのことは全て知っている。ロシア語も堪能だし、ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンなどともサシで話してきた。だからこそ、領土問題、シベリア出兵、シベリア抑留の話は迫力があった。こうしたら北方領土問題は解決出来る、という具体策にも説得力があった。1940年生まれと聞いて驚いた。若い。今は作新学院の教授をしてるという。だから、学生相手の授業のように、分かりやすかった。とても勉強になった。柔道家のプーチンと山下の話も面白かった。それについての本も小林さんは書いている。
私は最近、浜辺祐一さんの『救急センターからの手紙』を読んだ。それに小林さんが「解説」を書いていた。「あの本はよかったですね」と言ったら、「えっ、あの本を読んだんですか?」と驚いていた。とてもいい本だ。救急センターについて、生命について、「生命を助ける」ということについて。考えさせられた。
一水会フォーラムが終わって、近くの居酒屋で打ち上げ。お酒を飲みながら、小林さんの話をじっくり聞きました。
その時は、私のあとに続いて孫崎さん。でも収録で、こんなに時間が空いて、大変だ、と思った。終わって、車の中で気付いたが、「しまった。私の方から時間を変えてもらったのだ。申し訳ない。初めは、「1時か2時に」と言われていたが、「学校がありますので、早めに」と言ったら、「午前11時はどうですか?」となったのだ。こっちの都合で変えてもらい、文句は言えない。申し訳ありません。BS11のあとは、新宿へ。
3時から河合塾コスモ。「現代文要約」。午後5時「読書ゼミ」。今日読んだ本は、孫崎享さんの『戦後史の正体』(創元社)。前にも読んだが、2回目だ。
それから、車で六本木へ。ラジオの「J−WAVE」に出演する。やはり、「愛国心」をめぐっての話。竹田圭吾さん(国際ジャーナリスト)と、じっくり話しました。「J−WAVE」は六本木ヒルズの33階にあります。とても眺めがいいです。でも、窓に背を向けて話すようになってます。夜景に見とれて、話すのを忘れては困るという配慮からでしょう。
⑦10月7日(日)、大阪十三の第七劇場下の「シアターセブンBox1」で。河合由美子監督の映画「わたしの釜ヶ崎」が上映され、そのあと、トーク。超満員でした。(左から)司会の松村厚さん。生田武志さん(ライター)、鈴木、河合由美子監督。
⑯10月11日(木)「BS11」での収録。14日(日)の午後6時から放送されました。「田中康夫のにっぽんサイコー!」。「サイコー」は最高であり、再考であり、再興であり、砕鉱だそうです。この日のテーマは「愛国と憂国と売国」でした。「愛国心再考」ですね。
⑰10月11日(木)夜8時50分から9時20分まで、「J−WAVE」の「JAM THE WORLD」に出演しました。パーソナリティの竹田圭吾さん(国際ジャーナリスト)と。スタジオは六本木ヒルズタワーの33階です。素晴らしい夜景です。左に東京タワーが見えます。金子哲雄さんのことを思い出しました。
⑲週刊「アエラ」(10月15日号)です。孫崎享さんの『戦後史の正体』(創元社)の書評です。写真を見ると、本の後ろの影には星がありますね。星条旗です。アメリカの「影」と「工作」がある、ということでしょう。うまいですね。
「鈴木邦男の『言論人の覚悟』を問う!」
[ゲスト]斉藤貴男、森達也、中川右介、金廣志、徐裕行、塩見孝也、平野悠、松元ヒロ(特別パフォーマンス)
[司会]白井基夫(編集者)
おっ!凄いゲストですね。驚きました。