〈「週刊金曜日」創刊20周年大集会〉に行った。11月2日(土)午後1時20分より、日本教育会館・一ツ橋ホール。
超満員だった。チケットは早々に売り切れ、当日券はなし。私は編集部の赤岩さんからもらっていたので入れた。
地下鉄・神保町で降りると、ゾロゾロと人の波が出来ている。それについて行く。
突如、大音響が。「日教組は偏向教育をやめろ!」「反日・日教組は解散しろ!」と街宣車が大声をあげている。何台もいる。
会場の日本教育会館には、日教組が入っている。それで右翼の格好の標的にされている。私も昔は、抗議に来た。
今日は、「金曜日」の20周年もある。それで右翼も大挙して押しかけ抗議してるのかもしれない。
私は足早に、コソコソと入った。見つかると、糾弾されそうで怖い。
ここの一ツ橋ホールは、いろんな集会が行われていて、私もよく来ている。他の階には日教組本部もある。
実は、そこの本部にも一度来たことがある。前に月刊『論座』(朝日新聞社)があった頃、日教組委員長の森越康雄さんと私の〈激突対談〉をやってくれた。〈史上初〉と銘打っていた。
その打ち合わせで、『論座』の編集部の人とここを訪ねたのだ。
かなり厳重だ。「右翼がここに入ったのは私が初めてですかね」と言ったら、「招待されて入った人は初めてです」と言う。
「招待されない人って?」と聞いたら、「いきなり殴り込みに来た人たちです」
「ドアを開けたら、いきなりピストルを撃たれたこともあります。これがその時の傷です」と足を見せる人もいる。怖い。
そんな事を思い出しながら、一ツ橋ホールへ。
「週刊金曜日」創刊20周年大集会は始まった。
最初に、編集長の平井康嗣さんが挨拶をする。
20年前、「今の新聞ではダメだ!」ということで、創った。
朝日新聞にいた本多勝一さんを中心に、初めは「月刊」でスタートした。全国から予約を取って、「5万部になったら週刊誌にしよう」と決めた。
ところが、アッという間に5万部に達した。だから、その年のうちに週刊になった。凄い話だ。
それに初めは、「書店に置かない」と言ってた。だから、事前にお金を送って、「年間購読」するしかない。
それが5万部だ。それだけ全国の期待が大きかったのだ。
20年前、創刊の時、全国で講演会をやった。どこも超満員だった。皆、新しい、自分たちのメディアに飢えていたのだ。
20年前は、私にとって「週刊金曜日」は、「左翼」であり、「敵」だった。
でも、この〈勢い〉は一体何だと思い、驚いた。ぜひ見ておこうと思って、申し込んだ。
しかし、東京集会は売り切れ。「関西集会ならまだチケットがあります」と言うので、京都(大阪だったかな)まで、聞きに行った。
これで、世の中が大きく変わる。その「歴史的現場」を自分の目で見、確かめようと思ったのだ。その時のことを思い出した。
今は「週刊金曜日」も書店に置いている。そして、当時の5万部よりは少し落ちているようだ。
でも健闘している。出版不況で、月刊誌、週刊誌はどんどん潰れている。その中で唯一、頑張っている。又、硬派の雑誌で残っているのは「金曜日」だけだ。
それに、ガチガチの左翼雑誌ではない。編集委員の中には、保守主義者を自任する中島岳志さんもいる。
又、私にも書かせてくれるし、対談も随分とやっている。
「20周年大集会」だが、平井編集長のあとは、司会の北村肇発行人が出て、挨拶。
これから8人の編集者から挨拶をもらいます、と言う。
トップバッターは本多勝一さんだ。〈「源流」は読者によって「大河」となる〉。
ちょっと変装している。かつて朝日にいた頃、又、「週刊金曜日」を創った頃、右翼に狙われたからだ。「反日!」「売国奴!」と言って攻撃された。
赤報隊事件も、「実は本多が標的だった!」と言う人がいる。ガードが固いので、無防備の阪神支局の社員を撃ったというのだ。酷い話だ。
本多さんは、「金曜日」創刊当時の話をする。
当時、「書く場がない」と思った。制約が厳しくて、書けない。
だから自分たちで「日刊紙」を作ろうと思った。壮大な話だ。
新しい日刊紙の名前は、『XY新聞』にする予定だったという。
そして大判のノートを見せる。表紙に、『XY新聞』と書かれている。
でも、新聞はダメだとすぐ悟る。「新聞が主流の時代は終わった」と思い、週刊誌を作ろうと思う。
しかし果たして予約者数が集まるか。そのためにまず月刊誌からスタートし、予約者が一定の線に行ったら、週刊誌にしようと思った。
本多さんは、なかなか経営の才があるんだ、と思った。
今、月刊誌、週刊誌、はどんどんなくなり、「金曜日」の使命は大きい、と結んだ。
2番目は、落合恵子さん。〈それぞれに、でもいっしょに〉。
でも、前から決まっていた仕事があるとのことで、「ビデオ・レター」の出演。これもいいですね。
でも私は最近、会ったな。10月29日(火)の福島みずほさんの「議員生活15年」のパーティだったな。落合さんのやっているクレヨンハウスでやったのだ。
その時、いろいろ話をした。
ビデオ・レターでは、言っていた。「いろいろある。それがいい」。
私も賛成ですね。とこが今は、右傾化・総保守の時代だ。日本そのものが「一つの思想・一つの集団」になっている。
そうか。それに「安心」し、「満足」している人も多いんだ。いかんよな。
そして、「金曜日」の元編集委員の井上ひさしさんや筑紫哲也さんの話をする。
この偉大な人も編集者だったんだ。本多勝一さんは筑紫さんと朝日に入ったのが同期だったと言っていた。
落合さんの結びでは、「絶望ならいつでも出来る。だから今はしない。希望をもって頑張りましょう!」
3番目の編集委員は2人まとめて登場。
田中優子さんと中島岳志さんだ。テーマは「石牟礼道子を受け継ぐ」。
「和服を着て出てくると、演歌歌手のようですね」と中島さん。
「あなたこそ随分とラフな格好ね」。
そうなんです。大学の先生だし、大舞台で挨拶するのにTシャツの上にカラーシャツ。ズボンはジーンズ(のようだ)。そして、サンダル(靴だったかな)。ホント、その辺の若者って格好だ。
「まるで、演歌歌手とラッパーですね」と司会の北村さん。
「並んでいると親子面談ですね」と中島さん。
「でも、そんなに年が離れているのかな」と。まあ、姉と弟くらいでしょうよ。
2人で石牟礼道子さんの話をする。
石牟礼さんはかつて「金曜日」の編集委員だった。
中島さんは大学に入った時、石牟礼さんの本に出会い、衝撃を受けた。
田中さんは言う。「渡辺京二さんと対談した時、石牟礼さんの『祈り』について話をした」。
そして、今、なぜ、石牟礼さんに注目し、考えなくてはならないのか。について2人で話す。
又、現在のヘイトスピーチについても話す。
中島さんは言う。ガンジーは非暴力主義だ。言葉で闘った。
しかし、「暴力的スローガン」については、それも〈暴力〉だと言って、ただ祈る。
今、脱原発デモでも〈言葉〉だというが、「おい、野田、出てこい!」とか、「許さんぞ!」と叫んでいる人がいる。私はそれも〈暴力〉だと思いますと、中島さん。
これは私も気が付かなかった。「一発殴られるよりも痛い言葉はある」と。確かにそうだ。
インドはイギリスに酷い目にあった。しかし、「イギリスを招いたインド」の責任を考えるべきだ、とガンジーは言った。その思想を我々も持つべきだ。
又、非暴力運動が揉めた時、「こんなことではインドは独立する資格はない」と言った。
そうか。私も、もう一度、ガンジーの本を読んでみよう。そして、中島さんに話を聞こう。
4番目は石坂啓さん。「ピョンタくんからの伝言」。
漫画家だ。だから、今の漫画やテレビの話から入り、その世界でもどれだけ右傾化しているかを話す。
「戦争が出来る普通の国」に突き進んでいる、と言う。
安倍首相は、おじいさんの岸信介の膝の上で遊んでいた。「安保反対!」の声が全国で叫ばれている時、岸はそれに全く耳を貸さずに毅然としていた。そんな岸を「格好いい」と思って育った。
だから我々とは全く感覚が違うのです、という。
さらに、自衛隊も、今はテレビ番組に堂々と出ているし、そこに入った人々の訓練風景のドキュメントも流されている。
普段人々は見ることがないから、視聴率も上がる。
そうか。私も見た。えっ、ここまで撮って大丈夫なのかと思った。
「新婚さん、いらっしゃい」でも制服の自衛官が出ている。訓練の様子も詳しく語る。
大丈夫なのかと思うが、自衛隊のPRになるから、許されているんだろう。
そして、ここで休憩。「この時間に本にサインしてくれ」と言われていた。
私は佐高信さんとの対談を金曜日から出している。2人並んでサインしようとしたが、余りの人で、中止。本多勝一さんだけがサインをしていた。
廊下は人、人、人でした。私は、「東北学院榴ヶ岡高校」の後輩に声をかけられました。
又、秋田に私を呼んでくれた市会議員さんにも声をかけられました。「朝日の河井さんは横浜に戻ったんですね」と。
知らなかった。昔、「SPA!」にいて、「夕刻のコペルニクス」の担当だった人だ。「えっ、知らなかったんですか」と言って、その場でメールして抗議していた。
休憩後は、ゲスト出演。松元ヒロさん(スタンディングコメディアン)。
いやー、面白い。過激です。
「改憲」だというが、「壊憲」です。何を考えているのか。安倍政権は、「あべこべ政権」です。改憲は許せません。改憲案は皆、おかしい。文章も汚い。
その点、現憲法は美しい。「憲法前文は実に素晴らしい」「前文を守りましょう」「前文を守るためなら戦争も辞さない!」と笑いを誘う。
他にも面白いのは沢山あるけど、紹介しづらい。実際に見るしかないだろう。
ジャンケンで何か重要なことを決めようとする。そこで「あいこでしょう」という子供がいる。
ウーン、かなり日本の将来の大きな事を暗示しているようだ。思想的なお笑いだ。
それにしても、今日の挨拶の中でも、最も過激だったな。段違いだ。他の人たちも見習ってほしいよ。
次は誰だろう。編集委員はもう3人残っている。と思ったら、(時間がないのか)、3人一緒に登場だ。
雨宮処凛、宇都宮健児、佐高信だ。テーマは〈「週刊金曜日」の今までとこれから〉。
でも壇上には椅子が4つだ。あっ、発行人の北村さんが司会をするのか。と思っていたら、北村さんが、突然。「せっかくですから鈴木邦男さんも上がってもらいましょう!」。
えっ、聞いてないよ。何だこりゃ、と思った。
そして、ハッと気が付いた。「謀(はか)られた!」と。
だって、「満員になるから席を用意します」と早めに赤岩さんが券を送ってくれた。「えっ、一番前かよ」「だって、他に空いてないんですもの」。
まいるなー。一番前じゃ、居眠りできん。本も読めない。でも満員じゃ仕方ない。
当日、座っていたら、舞台と近いから、出演者が皆、挨拶する。
まいるなー。隣りにカメラマンの石郷さんがいる。「きっと挨拶させられますよ。だからこの席ですよ」。そんなことはないだろう。私は、ただの客だ。
でも、石郷さんの見方が当たっていた。壇上に上げるために最前列に座らせておいたんだ。
そういえば、ここに来る時も、エレベーターに乗ろうとしたら、金曜日の社員に「控え室は4階です」と声をかけられた。「いや、私はただの客ですから」と、まっすぐ、ホールに来た。
そうか。皆、グルだったのか。共同謀議だ。まいった、まいった。
仕方なく、壇上に上がり、4人のトークが始まった。
「すっかり騙されましたよ」と負けを認め、さて、どこで倍返しをしようかと考えた。私も半沢直樹ですよ。
宇都宮さんは前の日弁連会長。今までは、東京、関西の派閥のボス的な人が会長になっていた。宇都宮さんは、派閥に入ってない。
だが、フリーの人々を集めて当選した。こういう民主的に投票をして会長を決めてるのは、世界の弁護士会の中でも日本だけなんです、と言う。
そうか。知らなかった。世界の弁護士の連合体というか連絡協議する会もあり、支援することもあるという。知らなかった。
そして、「金曜日」の今までの闘いや、雨宮さんの闘いの話になる。「初めて会った右翼が鈴木さんだったので、右翼って、こんなにボーッとしていて、ぬるいのかと思って、安心して右翼に入っちゃった」と言う。
それが間違っていたんでしょう。今は軌道修正し、プレカリアートだ。
「最後に時間もなくなりましたのので、一言ずつ」と佐高さん。
だから私は言ってやりましたね。衝撃の提言を。10倍返しだ!
〈宇都宮さんの話には感動した。日本の弁護士会は世界で最も民主的だという。派閥のない人でも立候補して、会長になれる。これは「週刊金曜日」も見習うべきです。だから提言します。編集委員も選挙で選びましょう! 私も立候補します!〉
ここで会場がウォー!と響めきましたね。「そうだ!」「そうだ!」という声も。「異議なし!」という人も。
そして、選挙のやり方を説明した。
全国の読者が1票だ。ただ、その月だけ買う人が増えると不公平だ。だから年間購読をしてる人が1票だ。2冊年間購読してる人は2票だ。自分の好きな人を当選させたいと思ったら、何冊でも年間購読する。
部数も増えるし、「自分たちが編集委員を選んでる。私たちの雑誌だ」という一体感も増える。
何も、私が編集委員になりたくて言ってるわけじゃない。活性化のために言ってるのだ。「立候補はしても私には1票も入らないでしょうが」と、ちゃんと謙虚に認めた。
「うわー、大変な奴を上げちゃったな。誰が呼んだんだ!」と佐高信さんは頭を抱えてました。
そんな混乱した興奮の中で、閉会。閉会の挨拶は北村肇さん。「選挙もいいですね」と言ってました。
そのあと、この会館の地下の中華料理店で打ち上げ。
話題は、もっぱら選挙の話ばっかり。「AKBの選挙みたいで、面白いね。盛り上がるよ」「マスコミも飛びつくよ。これで低迷している雑誌界も活気づくよ」「でも、自分は落とされるかもしれないな」と言ってる編集委員もいる。
そんな中で、10倍返しを果たした私は、勝利の美酒でしたね。気持ちよくて、ビール、日本酒、紹興酒をチャンポンで飲んで、すっかり酔ってしまいました。
ここには、筑紫哲也さんの奥さん、娘さんも出席していて、「とてもお世話になりました」とお礼を言い、思い出話をしました。
それから、赤岩さんたちと、「読者会」の飲み会へ。
全国で読者会をやっている。その人たちが集まって飲んでいる。「地方の読者だけだと盛り上がらない。講師を派遣してくれ」という要望が多い。
私が言いました。「編集委員は月に2回、必ず地方の読者会に行く。これを義務付けたらいい。出来ない人は落とします」。
「いいね−、いいねー」と皆、賛成してました。
さらに四次会へ。佐高信さん、田中優子さんたちがカラオケに行ってて、そこに来いという。
10人ほどがいた。行ったらカラオケなどほったらかしで、皆選挙の話をしている。
ヤバ。みな、本気になってるよ。私は、その場の思いつきだけで口を滑らしただけなのに。実現したらどうしよう。言い出した責任上、出なくちゃなんない。
でも、年間購読してないから投票権はない。結局、1票も入らず、恥を晒して終わりだ。まいったなー、と思った。
それで、出ていたマッコリをグイグイ飲んじゃいました。知らないで。ジュースかと思って。そして、家に帰ってから大変でした。頭は割れるようにように痛いし、眠れない。
真也君はニューヨークの美術館のキュレイターをしていた。その時、私をニューヨークに呼んでくれた。「憲法24条」を書いたベアテさんに紹介してくれた。そして、憲法改正問題についてのシンポジウムを開いてくれた。
旅費を出してくれ、ギャラも(ドルで)出してくれた。やり手の青年だ。
今から7年前だ。その時、真也君は26才。今はドイツで研究生活をしている。日本に一時帰国したので、対談したわけだ。
ニューヨークでの憲法討論会のこと。その後の、日本での美術展開催のこと。ドイツでの生活について、詳しく聞きました。
終わって、「土風呂」で飲みました。さらに、カラオケに行きました。
⑪〈緊急シンポジウム・「行動する保守運動の矜持とは何なのか?」〉を聞きに行きました。中野ゼロホール、西館学習室A・Bで。10月31日(木)午後6時半から。
凄いメンバーです。在特会(在日特権を許さない市民の会広報局長)の米田隆司氏。「日本の自存自衛を取り戻す会」の金子吉晴氏。そして「維新政党・新風」(東京都本部練馬区支部長)の荒井泉氏。司会は「政経調査会」代表の槙泰智氏。(左から)槙氏、米田氏、金子氏、荒井氏。
⑮11月1日(金)午後1時、日比谷公会堂でJR東労組。「えん罪。JR浦和電車区事件を支援する会」主催の集会に出る。
〈弾圧に抗した11年!
美世志会とともに当たり前の職場活動を守り抜く11・1大集会〉