2008/01/21 鈴木邦男

『ガロ』がキッカケで、AKIRAさん、雨宮さんに初めて出会った夜

①とうじ魔とうじさんのライブが全ての始まりだ

AKIRAさんの描いた私の肖像画

 初めに、一枚の絵を紹介しよう。油絵だ。私の肖像画だ。みやま荘に飾ってある。かの有名な天才・AKIRAさんが描いてくれたのだ。私のお宝だ。バックが日の丸だ。しかし、「黒地に赤」だ。何やら意味深だ。
 AKIRAさんは雨宮処凛さんと私の共通の友人だ。雨宮さんの『生き地獄天国』(ちくま文庫)を読んだ人なら、ああ、あの人かと分かるだろう。この人に出会ったことで今の雨宮さんが出来た。恩人だ。  雨宮さんは、子供の時から、いじめられ、リストカット、自殺未遂、バンドの追っかけ…と、すさんだ少女時代を送っていた。ある日、高円寺のライブに行き、そこでAKIRAさんに出会う。もう1人、「ボーッとしたオジサン」に会う。この「ボーオジサン」が私だ。
 生まれて初めて「右翼」に会った雨宮さんはその後、見沢知廉氏に会い、さらに、「突撃隊」という過激右翼に出会い、入会し、右翼活動をする。「ミニスカ右翼」と言われた。その後、右翼バンドを作り、右翼や左翼の偉い人達に会う。木村三浩氏に連れられてイラクに行き、塩見孝也さんに連れられて北朝鮮に行く。やがて右翼を辞め、フリーター、ワーキングプアーの問題に取り組み、運動をする。プレカリアート(不安定層)問題の第1人者として執筆、講演、運動をしている。そして今は、誰もが知っている雨宮処凛になった。
 でも、このライブの打ち上げに来なければ今の雨宮さんはない。AKIRAさんや私と知り合うこともなかった。私と知り合ったことで右翼の世界に入ったのだから、「雨宮処凛」誕生の第一の貢献者は私じゃないか。ずっと、そう思ってきた。それなのに、市民運動のオバさんからは、「雨宮さんを紹介してあげますよ」と言われる。「あなたも元右翼なんでしょう。雨宮さんに引き上げてもらいなさいよ。そうじゃないと、いつまでもこのままよ」と言われた。いいんだよ、「このまま」の最下層で。と、いじけてしまった。
 傍で聞いていた中森明夫さん(ライター)が、「ひどいね。鈴木さんと知り合ったおかげで雨宮さんは世に出たのにね」
 と言ってくれた。でも違うんだ。私に会わずとも、世に出た。彼女の実力ですよ。持って生まれた徳ですよ。それと、私よりもAKIRAさんだね。『生き地獄天国』を読んで、そのことを痛感した。
 「サブカル街道まっしぐら」という章にそのことは書かれている。今から10年以上前のことだろう。(雨宮さんに電話して聞いたら、「1996年ですから12年前ですよ」と教えてくれた)。彼女は、雑誌『ガロ』のイベント告知欄でこの集会のことを知って、出かけてゆく。「ジャンル撲滅キャンペーン」という奇妙なイベントだった。高円寺のライブハウスで行われた。そこに、AKIRAさんも出演した。「たま」の石川浩司さんも出た。(ちなみに、「たま」は竹中労さんが大絶讃し、「ビートルズの再来だ」と言ったバンドだ)
 このイベントの主催者は、とうじ魔とうじさん(特殊音楽家)だった。コップでも洗面器でも、人の頭でも、何でも〈楽器〉にして、音楽を奏でる人だ。その人と僕は知り合いで、見に行った。又、当時、僕は『ガロ』に連載を持っていた。「文化サーフィン」という題で、プロレスラー、ミュージシャン、左翼、ストリッパー、犯罪者…などとの交遊日誌を書いていた。ネットサーフィンをやっていたので、このタイトルを思いついた。この頃から、ネットには詳しかったのだ。
 今、その当時の『ガロ』を見ていたら、とうじ魔とうじさんの連載もあった。このとうじ魔とうじさんの奥さんは作家で、「とうじ魔とう子」と言う。違ったかな。そうだ、塔島ひろみさんだ。このあと、『鈴木の人』(洋泉社)という本を出した。全国のスズキさんを取材し、スズキのルーツを探し、スズキさんの夢や希望や不満を紹介している。私も座談会に出た。

②糸楽器。数字紙芝居。フォークギター。奇妙なライブだった

(左から)平岡正明さん、若松孝二監督、雨宮処凛さん、鈴木

 さて、12年前の高円寺のイベントだ。私はぼんやりと覚えているだけだ。そこに出て、打ち上げで、雨宮さんと知り合った、と。それ位しか覚えてない。ところが、雨宮さんの本を読んで、ビックリした。イベントに誰が出て、どんなパフォーマンスをしたか、が実に詳しく書かれている。打ち上げで、誰とどんな話をしたかも。凄い、凄い。
 この頃、私は『ガロ』に連載を持っていたと言った。もの書きのはしくれだ。それなのに、全て忘れて、メモも取ってない。ところが雨宮さんは覚えている。キチンとメモを取ってたのか。でもこの時、彼女は作家ではない。将来、ものを書くことになろうとも思わなかったろう。1人の「一般人」だ。人形を作っていたというが、やはり、「普通」の女性だ。「いつかライターになったら、このことを書こう」と秘かにメモを取っていたのか。そんなことはないだろう。作家になってから、とうじ魔とうじさんやAKIRAさんに取材して書いたのか。不思議だ。今度会った時に聞いてみよう。いや、きっと記憶力がいいんだろうな。「ボーおじさん」と違って。
 記憶力といえば、佐藤優さんも凄いね。逮捕され、検事と対決するが、そのやりとりが、実に克明に本には書かれている。勿論、取り調べでは、メモなど取れない。被疑者なのだから。でも、あそこまで書かれたら、これからは検事もうかつに調べられない。
 ウーン、じゃ、記憶力の良し悪しが全てを決するのかな。だから、本屋に行くと、雨宮処凛と佐藤優の本ばっかりが並んでいる。この2人で日本の書店を占拠している。独占禁止法違反だよ。

 さて、12年前の高円寺のイベントだ。雨宮さんの本を手がかりに、その時の様子を再現してみよう。  「特殊音楽家」のとうじ魔とうじさんが糸を上下させていろんな音を出す、“糸演奏会”をやる。「たま」の石川浩司さんが泥酔状態で登場し、1本しか弦のないギターで歌う。それもただ、「チンポー!」「チンポー!」と歌うだけだ。(これが「日本のビートルズ」なんだろうか)
 そして、AKIRAさんだ。注射器を取り出し自分の腕から血を抜く。その血で、「努力」という字を書く。そして言う。

「題して“血の滲むような努力”」

 確かにあれは驚いた。よくそこまでやるもんだと思った。AKIRAさんの第二ステージは「数字紙芝居」で、タイトルは「家族ドラマ38(みつばち)」。数字だけで、異常な家族の「淫靡な日常」が再現される。

妹「8104!(やじゅうよ!)」
兄「3731!(みなさい!)」
妹「18!」(いや!)」
兄「481270!」(よつんばいになれ!)」
雨宮処凛『生き地獄天国』(ちくま文庫)

 こんな紙芝居だ。そういえば、あった、あったと思い出したが、雨宮さんはよく覚えている。天才だ。
 それから、キャンディ・ミルキーさんが登場し、普通のオジさんから「可愛らしい」女の子に変身するまでを披露する。
 じゃ、この時、僕はミルキーさんに会ってたのか。漫画「ケンペー君」を描いている奈良谷隆(漫画家)さんのパーティで会って写真を撮り、このHPにも載せたことがある。「初めまして」と言ったら、「鈴木さんには何度も会ってるわよ」と言われた。この時のライブのことかな。そうだ、元気いいぞうさんのライブでも会った気がする。いかんな、ボケてるよ。この「ボーおじさん」は。それに比べ、雨宮さんはよく覚えている。
 AKIRAさんは、この後、3回目のステージで、ギターケースを抱えて登場した。
 「今から、俺の作った曲をギターで弾き語るけど、ギターといえば、フォークギターだよね?」と言って、ギターケースからギターを取り出す。何と、フォークの形をしたギターが入っていた。

「これが私のフォークギターです」。

 客席は大爆笑だ。そうそう、そんなこともやってたね。面白い人だね、この人は。天才だよと思った。

「じゃこれから、阪神大震災やオウム事件といったタイムリーな出来事を受けて俺が作った、『明るい未来へ』という曲を歌います」

 とAKIRAさんが言う。
 何と、雨宮さんの本には、6番まで全て歌詞が紹介されている。じゃ、あとで、キチンと取材して書いてるんだ。でも、そんなことは感じさせない。雨宮さんと一緒に、読者はその場にいて一緒に驚く。うまいね。とてもかなわんよ。
 AKIRAさんの歌は、こんなんだ。

「天にまします我らの神様元気かい?
信じているなら最後に救ってくれんのかい?
だけど通勤地下鉄 土天海冥
人は毒ガスの中を逃げまどう
明るい未来へ、明るい未来へ…(と続く)
地球に優しい洗剤犯罪バーンザイ!
反核陰核俺って人間失格
人類チームと環境チームのワンシリーズ
ガイア(外野)でポップコーンを頬張る」

③この瞬間だね、「雨宮処凛」が誕生したのは!

『ガロ』の連載「鈴木邦男のCulture Surfin」

 この歌に大笑いしながら、雨宮さんは涙が出そうになる。共感する。感動する。この人は凄い。この人と話してみたい。私も何か言わなくちゃいけない。この人を逃しちゃいけない。

「だって今、私はこの歌で、大きなヒントを掴(つか)んだ気がするから」

 と書く。そして、打ち上げの席に参加する。そうか、この瞬間に、「雨宮処凛」は誕生したのか。と、私は、秘密が分かった。AKIRAさんとの出会いが一番大きかったのだ。それがなければ「雨宮処凛」は生まれなかった。打ち上げで会った「ボーおじさん」なんか全く関係なかったんだ。この「ボーおじさん」と会って、右翼に関心を持ち、右翼団体に入り、それがスタートだと思ってたのに。違っていた。うーん、知りたくない真実だね。歴史は時に残酷だ。
 この打ち上げで、雨宮さんはいろんな人に会う。話し合う。『ガロ』のイベント情報を見て来ただけの女の子のために、皆、親切に話してくれる。

「みんなが口々に、出会うべくして出会ったんだよ。みたいなことを言ってくれる」

 憧れていたとうじ魔とうじさんは言う。「これから長い付き合いになると思うよ。だから処凛ちゃんも、今日来たことを後で後悔するくらいになるよ!」
 なるほど。運命的な出会いだ。この打ち上げに出なければ、右翼に入ることもなかった。右翼や左翼やオウム信者と知り合うこともなかった。右翼は楽しかったが、結局、やめた。悲しいこともあった。後悔もしたんだろう。しかし、それらを通し、シビアーな体験をして、スーパースター「雨宮処凛」は出来上がってゆくのだ。その、「製造過程」をこの本で私らは詳しく知ることが出来る。
 打ち上げで、AKIRAさんに話しかける。その時の話が又、凄い。AKIRAさんはこんな話をした。ニューヨーク、アテネ、マドリッド、アジア、中東など、世界各国を10年間も旅していたこと。ヒッチハイクの途中、ホモの黒人にフェラチオをさせられたこと。日本に帰って来てお金がなくて、電話帳にマヨネーズをかけて食べたこと。麻原彰晃とよく間違えられて、職務質問をされたこと。アンディ・ウォーホールに奨学金を貰っていたこと。…などなど。
 そして言う。

「処凛ちゃん、現状に満足してる人は絶対乗れない、とんでもなく楽しいお祭りがこれから始まるよ」

一体、何だろうと思ったら、

「一揆だよ。革命が起こるんだよ!」

と予言する。

 うーん、凄いね。AKIRAさんは。だって、このあと、実際に、「平成のええじゃないか」が何回か行われたし、フリーターなどが結集して、デモや集会をやることになる。雨宮さんは言っていた。「これは平成の百姓一揆だ!」「米よこせデモだ!」と。AKIRAさんの〈予言〉が的中したんだ。キリストに洗礼をほどこしたバプテスマのヨハネのような人なんだ。AKIRAさんは。この時は分からなかったが、今になるとそう思う。
 さて、この打ち上げで、AKIRAさんと感動的な話をし、自分の席に戻ると、「私の隣にボーッとしたオジサンが座っていた」。
 本当は前からずっと、座っていたんだよ。座敷童(わらし)のように。でも、この時、初めて気付いたんだね。

〈少し話をすると、その人もガロに連載を持っている人だという。もらった名刺には、“鈴木邦男”と書いてあった。初めて聞く名前だ。不意に、私たちの近くに座った人が、割り込んできた。
 「処凛ちゃんは、鈴木さんが何してる人か知ってる?」
 「えー?わかんないです」
 「鈴木さんはね、今はこんなに穏やかにしてるけど、実は右翼の怖い人なんだよ!〉

 でも、どこから見ても普通のオジさんだ。そして、いろんなことがありすぎた夜が終わり、家に帰る。そういえば『ゴー宣』に、右翼に関しての回があったと思い出し、本棚から取り出したら、3巻で、小林よしのりさんと対決している鈴木だった。

〈なんかこういうのって、すごくドキドキする。AKIRAさんの言うモノスゴイことが、ホントに起こりそうな気がしている〉

 そうですね。全ての始まりは、ここにあったのですね。そして、大スター「雨宮処凛」が誕生する。

④私は『ガロ』のサブカル・ライターでしたよ

とうじ魔とうじの連載。『ガロ』

 しかし、こんなに感動的な「打ち上げ」だったんだ。将来、そんな事になるとは知らず、私はただ、ボーッとしてただけだ。そして、今も、「ボーおじさん」のままだ。
 でも、あの時、私の隣には、フリーターの青年がいた。「今日は泊まるとこがないんですよ」なんて言ってた。そして、周りの人に皆、「ねえ、泊めて下さいよ」と言っていた。雨宮さんにも言ってたが、相手にしない。そのことしか覚えてない。AKIRAさんと革命的な話をしてたなんて、全く知らなかった。将来、大物になる人は違う。ちゃんとした観察眼があるし、記憶力もいい。
 ところで、AKIRAさんだ。この人は、知る人ぞ知る天才だ。『アジアに落ちる』(新潮社)は有名だ。これを読んだ、という人に何人か会った。ネットで見たら、1999年に出てるが、絶版だそうだ。他には、こんな本が出ている。

  • 『オラ!メヒコ』(角川文庫)
  • 『神の肉 テオナナカトル』(めるくまーる)
  • 『COTTON 100%』(現代書林)
  • 『アヤワスカ!』(講談社)
  • 『風の子 レテ』(青山出版)
  • 『アジアントランス出神』(太田出版)

 いっぱい本を出してるんだ。雨宮さんに喋ったことも、その通りだった。こう書かれている。

〈ニューヨーク、アテネ、フィレンツェ、マドリッドなど、十年ものあいだ日本をはなれ、アンディ・ウォーホールに奨学金を貰い、アジア、中東、アフリカ、南米など世界中を放浪しつつ、画家、彫刻家、書道家、写真家、小説家、詩人、ミュージシャンなど、あまりに多彩な作品群をもつ〉

 やっぱり天才だ。そんな天才に私は自画像を描いてもらった。光栄だ。鈴木家の家宝として子々孫々、伝えられるだろう。
 AKIRAさん、とうじ魔とうじさんと出会ったキッカケは、私が『ガロ』に「鈴木邦男の文化サーフィン」という連載を書いてたからだ。そのことは前に書いた。今、バックナンバーを見ていたら、実にいろんな人と会い、サブカル系のいろんなイベントに出ている。芝居、音楽会、ライブにもよく行っている。今とは全く違う。山藤章二さん、志の輔さん、山本小鉄さん、つのだひろさん、大槻ケンヂさん、エスパー清田さん、春風亭昇太さん、四谷桃子さん(花電車)、林由美香さん(AV女優)、ギュウゾウさん(電撃ネットワーク)、大川豊さん、浅草キッドさん、天龍源一郎さん、喜納昌吉さん、…などだ。それに、女子高生とも結構、会っている。会って何の話をしてたんだろう。
 そうしたら、ありゃりゃ、『ガロ』には、「とうじ魔とうじ、都内女子高に潜入!」なんて記事があった。
 何でも2人(とうじ魔さんと私)は、女子校に行ったそうな。それも文化祭とか演劇部の公演の日でもない。普通の授業の日の放課後に、有志が無届けで演劇をやり、それを2人のオジさんが見に行った。

〈いいですか。今日は鈴木さんは私のお父さん。とうじ魔さんはおじさんですからね」とAちゃん。そういう「設定」になるのだ。
 K女子高に着くと、校門の所でいきなり担任の先生に会った。早くもいざという時だ。「先生、私の父とおじです」。鈴木さんもすかさず「娘がお世話になりまして」と挨拶。鈴木さんもよー言うよ〉

 ヘエー、こんなことがあったのか。全く覚えてない。ホントかな、と思うが、女子高生に囲まれて2人が写真に収まっているから、本当なんだろう。
 というわけで、昔々、私が「サブカル・ライター」だった頃のお話でした。

【芹沢光治良について】
一水会の新年会(1/9)

 渡辺さん、ありがとうございます。芹沢光治良の『人間の運命』を読破したんですね。おめでとうございます。あの長い小説ですが、僕も一気に読みました。読み終わるのが勿体ない感じで、「もっとゆっくり読もうよ」と自分に声をかけました。読み終わって、自分の体の細胞のひとつひとつが生まれ変わったような感じがしました。「日本に芹沢光治良がいてよかった」と思いました。芹沢は東中野に住んでたんですね。ここは東京の聖地です。だから私も、あえてここに転居しました。
 予備校と専門学校で今、教えていますが、読書ゼミの時、何の本だか忘れましたが、感想を求められた女子生徒が、「次郎君ならきっとこう感じたと思います」と言って、説明し出した。「次郎君って、君の友達?」と私が訊いたら、『人間の運命』の森次郎だと言います。僕のHPを見て、全巻読んだと言ってました。驚きました。嬉しかったですね。
 そして今度は渡辺さんです。嬉しいですね。三人ですよ。魂の同志が。この日本で『人間の運命』を読み通したのは三人だけです。いや、そんな事はないでしょうが、ここ数年に限るなら、言えるかもしれません。次郎君の精神の成長物語であり、同時に、神や天皇について考える大河小説です。私も、いつかああいう魂の成長物語を書いてみたいと思います。
 それに、おっしゃるように芹沢はフランス文学をやったので、分かりやすく、「伝わる言葉」を使ったのでしょう。又、一人でも多くの人に伝えたいと思い、客観的に、冷徹に文章を書いてます。宗教的・情緒的なものに逃げていません。これをやると、分かる人には心地よいのですが、神を信じない人には取っつきにくくなります。だから、「神」という言葉を出さずに、〈神〉を書こうと思ったのでしょう。宗教団体や、それにたずさわる人(父をはじめ)に対しても、あえて厳しく描写しています。これを書いてる時はまだ体力もあったのでしょう。日本の〈歴史〉を書いてやるという意気込みもありました。
 それが、老境にさしかかり、『神の微笑』になると、そうした「構え」「気概」がなくなり、肩の力を抜いて、素直に神を語ってます。もういいだろう。小説は十分に書いてきた。これからは自分の本音だけで書いてみようという心境かと思います。だから、初めて『神の微笑』を読んだ人はきっと戸惑うでしょう。だから、必ず『人間の運命』から読んで下さい。
 本当のことを言うと、『人間の運命』は余り、ひとに紹介したくないですね。我々三人だけの魂の宝にしたいです。でも、勉強家の高木尋士さんにだけは許可します。読んでもいいです。ネットの古本屋にあるでしょう。

【だいありー】
鉄道博物館で(1/12)(急行まつしま。学生時代はこれで仙台に帰っていた)
  1. 1月14日(月)本屋に行ったら着物姿の女性が目につく。もう正月は終わったのに馬鹿だね、と思っていたら、成人式なんだ。成人の日は1月15日と思ってたから勘違いした。
     原稿を書くのにどうしても読まなくちゃならん本がある。難しい本だ。家だと集中できん。よし、ロイヤルホストで1日、読もうと思って出かけたが、僕の席には既に知らない人が座っている。「あのー、そこは僕の席ですが」と言ったら、怪訝な顏をされた。仕方がないのでルノアールに行ったら、やはり、僕の席に知らない人が座っている。こんなことで喧嘩して警察に捕まるのも馬鹿らしい。だから、他の静かな席に移った。そしたら、すぐ隣の席、前の席、後ろの席と、いきなり人が続々と来て座る。そして、何と、喋り出す。テレビの話、会社の話、彼氏の話、彼女の話。うるさい!そんなの、どうでもいいじゃないか。何で皆、私の読書の邪魔をするんだ!私に本を読ませないために、この人達は、意図的に私を邪魔しに来たんだ。きっと「集団ストーカー」だ。私には、静かに本を読む自由もないのか。そんなささやかな自由も許されないのか。それで、キレた。私は突然立ち上がり、彼らに言ってやった。「いいかげんにしないか! 邪魔をするな! 誰に頼まれてこんな事をやっているんだ!」
     (…と、言ってみたいね。でも、そんな事したら、110番されちゃうよ。だから、読書「環境汚染」と闘いながら、泣く泣く我慢して本を読んだ)
     夜、マックで原稿を書いた。深夜のマックは静かだ。朝4時まで書いて、仕上げた。偉い。
  2. 1月15日(火)昼、打ち合わせ。午後、ずっと原稿を書いていた。原稿の合間に、大藪春彦の『野獣死すべし』を読む。四度目。殺し屋の話だ。私の理想だ。原稿を書けなくなったら、殺し屋か「怪盗」になろうと思っている。『野獣死すべし』の主人公は伊達邦彦だ。邦の付く男は愛国者だと、どこかの学者がいってたから、彼もそうなのだろう。稼いだ金を愛国団体に寄付しているのか。いや、国の為にならない国賊を殺しているのだろう。それに姓は伊達だ。伊達政宗を見れば分かる。仙台だ。私と同じだ。つまり、伊達邦彦は「私」なのだ。久しぶりに銃と刀を取り出して、手入れをした。(銃は今、手元になかったか)。
  3. 1月16日(水)ジャナ専の授業が始まった。2時40分から「時事問題」の授業。学研の地球儀から台湾(中華民国)が消えた。中国の圧力で「台湾島」になった。でも新聞に叩かれて、これを破棄した。ひどい話だ。その話をした。それと、1970年の三島事件、1968年の金嬉老事件の話をした。「打倒メタボ」で、ジャナ専まで往復歩いた。1時間半だ。ちょうど1万歩だった。これだけで1日のノルマは果たした。よかった。でも疲れた。

     7時から一水会フォーラム。高田馬場サンルートホテル。講師は井川一久氏(元朝日新聞ハノイ支局長)。「ベトナム独立戦争の陰に日本人の血涙」。いい話だった。独立戦争に、これだけ日本人が関わっていたとは知らなかった。感動的な話だった。もっともっと多くの人達に報せるべきだと思った。井川一久さんとは昔からの知り合いだ。「初めて会ったのはいつでしたっけ?」と聞いたら、「1975年ですよ」と即座に答える。記憶力がいい。井川さんは「朝日ジャーナル」の記者で、三島の特集をやって、僕に取材に来たそうだ。
  4. 1月17日(木)午後、打ち合わせ。原稿。
  5. 1月18日(金)昼、取材。夜、久しぶりに柔道。講道館では、正月はずっと寒稽古がある。早朝だ。でも私は病弱だからやめた。別にオリンピックに出るわけじゃないし。それまでして強くなることもない。それに、心臓マヒで死んだらヤダ。でも、闘ってる最中に死んだら、これも「戦死」かな。靖国神社に祀られるだろう。
  6. 1月19日(土)図書館。夕方、TSUTAYA。毎週ビデオを4本ずつ見ている。「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」と「メグレ警視」と「CSI」(2巻ずつ)だ。
     それを見終わったら、TSUTAYAの犯罪物、推理物(760本)は全て見たことになる。今まで、アメリカでは「ER」が8年連続トップだった。だが、その9年連続を阻止したのが、この「CSI」だ。よく出来ている。「CSI」とは「Crime Scene Investigation」だ。「科学捜査班」と訳されている。とても勉強になる。こんな連中を相手に犯罪をするのは大変だ。手強い。私も気をつけなくっちゃ。夜6時から新宿で会合。
  7. 1月20日(日)朝10時半。乃木神社にお参り。学生時代にはすぐ隣が「生長の家学生道場」だったので、よく来ていた。玉砂利の上に正座して、「この日本を共産革命から守って下さい」と祈った。その祈りのおかげだよ。日本が今、平和なのは。左翼の暴力革命から日本は守られた。でも、私の祈りが効きすぎた。もうちょっと、「暴力左翼」は残しておいてもよかった。「ごめんなさい。左翼をちょっぴり復活させて下さい」と乃木さんに追加祈願した。そのあと、夕方まで、勉強会。毎日、勉強ばっかりしている。大学生に戻った感じだ。ついでに「青春」も戻れ!
【お知らせ】
  1. 1月21日(月)午後7時半。阿佐ケ谷ロフト。早見慶子さんの『I Love 過激派』出版記念トーク。『80年代、日本のラジカリズム』。出演は早見さんの他、外山恒一、中川文人、鈴木邦男他。
  2. 1月22日(火)7時半。高田馬場の「トリック・スター」。杉浦正士さんの歌、そして、私とのトークです。高田馬場駅から1分。柳原ビルの「ルノアール」の向かい(地下)です。電話は 03(3232)6616。料金は2500円(ドリンク付き)です。
  3. 2月6日(水)7時半、阿佐ケ谷ロフト。「塩見塾が提出する、〈実録・連合赤軍〉を受けた、白熱の連合赤軍総括論争の現在」。出演は、塩見孝也(元赤軍派議長)、足立正生(映画監督)、島崎今日子(ライター)、竹藤佳代他。
  4. 2月10日(日)7時半、阿佐ケ谷ロフト。「ユース・トーク」2nd edition「愛国心」。出演は、雨宮処凛(作家)、保坂展人(衆議院議員)、鈴木邦男。司会は内海守典(フリーター)。
  5. 2月12日(火)7時、高田馬場サンルートホテル。一水会フォーラム。一水会36年の激動の歴史を振り返り、今後の民族派運動の展望を語る。一水会代表・木村三浩氏と私のトークです。ご期待下さい。