2008/02/18 鈴木邦男

教基法・愛国心「国会」の再現だ!

①「歴史に残る死」なんて、格好いいよね!

(左から)保坂展人さん、雨宮処凛さん、鈴木(阿佐ケ谷ロフト。2/10)

 「いやー、今日はよかったね。最高のトークだったよ」と、ロフトの平野悠店長に言われた。「保坂、雨宮さんがよかったからですよ。僕は必死で付いて行っただけです」と答えた。「いやいや、鈴木さんは面白かった。気迫も全然、違っていたし」と平野さん。
 気迫か…。それはあったかもしれないな。「場末の居酒屋にいる」と思わないで、今、俺は「国会にいるんだ!」という気迫と緊張感で喋ったからだ。普段のボーッとして、やる気のない、投げやりな私とは違う。その全く違う「鈴木邦男」を見せてやった。

 国会の話からしよう。一昨年、教育基本法の改正が論議されていた時だ。自民党は条文に「愛国心」を入れようとした。しかし公明党はあからさまに入れる事に反対した。当然だろう。天皇制や愛国心が強制された時代に、創価学会は酷い弾圧をされた。その嫌な記憶がある。だから公明党との妥協で、「文化と伝統を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」となった。逆に民主党なんかが「愛国心」でいいじゃないか、と言い出す。自民党も本当はそれの方がいい。しかし、公明との連立を壊したくないので、一歩退いた表現になった。

(左から)保坂展人さん、鈴木、雨宮処凛さん(2/10)

 しかし、「我が国を愛する…態度」となると、国を愛する「心」よりも「態度」の方が本当は強い。「幸せなら態度に示そうよ」という歌があったが、体を動かして、何か具体的にやらなくてはならない。「幸せを態度に示す」時は、「手を叩く」だけで済んだからいい。でも、国を愛する時にはどうする。学校ではキチンと起立し、大きく口を開け、心から誇りをもって、大声で「君が代」を歌う。そんなことが強制される。〈型〉だけが強制される。愚かな話だ。そして必ず、「形式上」の「競争」と「排除」の論理が生まれる。40年間、「国を愛する態度」(=愛国運動)をやってきた私が言うんだから間違いない。
 「愛国心」は〈心〉だから、心に持っていればいい。他人に見せる必要はないし、見せようがない。でも、「態度」は見せなくてはならない。実行しなくてはならない。「俺は国歌を500回歌った。お前は50回しか歌ってないだろう!」「俺は大声で歌ったが、お前はゴニョゴニョと歌ってた。愛国心がない!」「お前は北朝鮮への憎しみが足りないから売国奴だ!」…と。
 つまり、(極論を言うと)日本は「連合赤軍国家」になる。連赤は、「立派な革命家」というモデルがあって、それになろうとした。その自覚の足りない人間は次々と批判・総括されて殺された。「イヤリングしてるから革命家じゃない」「寝ていて、隣りの人にチリ紙をとってくれと言ったから革命家じゃない」…と。下らない難癖をつけて、皆で批判し、総括し、殺した。
 今、戦前・戦中じゃないから、「愛国心」で殺しまではしない。しかし、愛国心を持った「真の日本人」をモデルにして、その自覚の足りない人間を批判し、総括している。その点では、立派に「連合赤軍国家」だ。怖い話だ。

(左から)若松孝二さん、鈴木、足立正生さん(阿佐ケ谷ロフト。2/6)

 そんな主張は以前からしていた。教育基本法に「愛国心」を書く必要はない。「国を愛する態度」も入れる必要はない、と言ってきた。そしたら社民党衆院議員の保坂展人さんが、「じゃ、国会で参考人として出て下さいよ」と言う。いいですよ、と言った。楽しみにしていた。予習もした。でも、国会ではゆっくり審議もしないで、自民党は強行採決をしてしまった。私の出番もなかった。ガッカリした。
 私が参考人で出ていれば、変わったかもしれない。いや、無理かな。それどころか、「社民党の参考人で出るとは何事か!」「売国奴め!」「非国民!」と全右翼から糾弾されただろう。前にアパートに放火された事があったが、そんなもんじゃ済まんだろう。「右翼の恥さらし!」と言ってテロにあってたかもしれん。うん、確実に殺されていたな。でも、それもいいだろう。暗殺されて、政治的に死ぬなんてチャンスはなかなかない。名誉なことだ。歴史に残るだろう。教科書にだって載るかもしれない。

②右翼も左翼もアナキストもいて、それで〈日本〉だ。その〈日本〉を愛するのだよ

入院中の樋口篤三さん(右)と対談。「社会主義と西郷」について(2/9)

 そんな決死の覚悟で国会に行こうとした。その時の緊張感と気迫を思い出して、阿佐ケ谷ロフトに行ったのだ。2月10日(日)だ。テーマも「愛国心について」だ。私を国会に呼ぶ予定だった保坂展人さん。そして「元ミニスカ右翼」の雨宮処凛さんと三人だ。保坂さんと私の話は、だから、国会での質問と証言だ。それを〈再現〉したのだ。我々二人の心の中では、そこは「国会」だった。首相を初め居並ぶ国会議員を前にして二人は喋ったのだ。「国会での参考人質問・証言」をロフトの皆は聞けたのだ。幸せだったろう。こんな機会はもうない。誰かビデオに撮ってたら、ユーチューブにでも流してくれよ。
 雨宮さんとも「愛国問答」をした。彼女は、今は、右翼・左翼を超えて、プレカリアートの運動をしている。しかし、以前は右翼運動をしていたし、右翼バンドをつくって、歌をうたっていた。右翼バンドの時は、何と、始まる前に「君が代を歌おう!」と客に強制する。それも茶髪のネエちゃん(雨宮さんだよ)が。「ペッ!歌ってらんねえよ」と私は拒否した。「そう、鈴木さんは歌わなかった!非国民!」と言ってたが、いいんだよ、非国民で。私は今まで「君が代」を5千回も歌っている。「愛国者のノルマ」はとうに達成した。
 「何で、あんなことをしたの?」と逆に私はロフトで聞いた。「右翼なんだから、そうするのが当然だと思った」と雨宮さんは言っていた。いや、「日本人だから日本を愛するのは当然だ」「国歌をうたうのは当然だ」…と。この「当然」が曲者だ。怖い。

 でも、「日本人」というのは、いろんな人がいての「日本人」だ。いろんな考えがあった上での「日本人」だ。もっとはっきり言えば、右翼も左翼もアナキストもおり、その存在を認めた上での「日本人」だ。雨宮さんは月刊「創」の3月号で、「革命運動の師匠」見沢知廉氏のことを書いていた。いい文章だ。見沢氏はかつて新左翼過激派の戦旗派にいた。その時代のビデオを見せてもらった。成田闘争のビデオも。雨宮さんはそれに衝撃を受ける。そして〈運動〉をする。右翼をやった。左翼もやった。さらに、そこをアウフヘーベン(止揚)して、「変革運動の原点」に回帰する。右翼、左翼が出現する前の明治維新前夜の「ええじゃないか」、(さらにその前の)百姓一揆に「先祖返り」する。だから、「私たちの運動は“平成のええじゃないか”だ!」と言う。「平成の百姓一揆だ!」と言う。いいですね。
 つまり、〈変革運動〉というものは、右も左も含んだ上でのものだ。やってる本人たちは気づかなくても、そういうものだ。右翼のルーツといわれる頭山満の玄洋社だってそうだ。憲則(会則)を見てみよう。

(対談が終わり)鈴木、樋口篤三さん、川上徹さん

 天皇を戴いた上での「自由民権」だ。「天皇は当時の日本人にしては常識的なことであり、第一章は、いわば、「我々は日本人である」と言ってるようなものだ。そして、第二章は「国権」だ。第三章は「民権」だ。
 特に、第三章は「固守すべし」と特に強調している。これが大事だ。ただ、国がフラフラし、いつ他国に侵略されるか分からないのでは「民権」も守れない。そのために、「国権」も大事だ。その程度のことだ。本当は第三章の民権だ。そういうことだ。
 ここで話は本題に入る。自由民権から右翼と左翼は別れる。右翼は「国権」を、左翼は「民権」を主に主張するようになる。しかし、本当はひとつだ。両方がバランスよく入っていればいい。よくしたもので、右脳(情緒をつかさどる)と左脳(論理をつかさどる)というのも同じだ。どちらかに偏るとおかしい。一方だけに偏向したら、リハビリをして治さなくてはならない。人間もそうだ。変革集団もそうだ。国家もそうだ。
 でも、これは運動として元は一つだし、人間の体としても一つだ。

③驚異の「CI療法(強制使用法)」に感動した

(左から)久保内薫氏、鈴木、原正寿氏、武藤好茂氏(2/3高田馬場)

 そんな私の考えに「そうだよ」と勇気を与えてくれた番組があった。2月10日(日)NHKスペシャル「闘うリハビリ」だ。この日は第一回で「あなたはここまで再生できる」だった。見ていて、アッと気が付いた。私はビデオに録って翌日見たが、これは10日(日)の夜に放映されていた。私がロフトで話してる時、同時にNHKでは、この放送をやっていたのだ。つまり、別の方向から、〈同じ問題〉を扱っていた。
 NHKの放送を紹介する。脳梗塞などで倒れ、半身がマヒすると、マヒした方は諦めてもう「半分」で動き、仕事しようとする。右半身がマヒし、右手がつかえなくなったライターがいる。昔ならそれで書くのを諦める。しかし、今はパソコンがある。自由な左手を使いパソコンで書く。そうしてライターとして再生した人が何十人もいる。日本のリハビリはそうやっている。
 ところが、アメリカのリハビリは違う。特に、「新しいリハビリ」をやっている人たちは違う。神経生理学者のエドワード・トーブ博士のやっている「CI療法(強制使用法)」が紹介されていた。早い話、マヒした方の手を「再生」させるのだ。今までは無理だと思われてきたが、その不可能に挑戦するのだ。
 右手がマヒしたら、普通、左手ばかりを使う。でも右手は少しは動く。「なぜ右手を使わないのですか?」とトーブ博士は患者に聞く。「ほんの少ししか動かないし。じれったいし。言うことをきかないから」と患者は答える。でも、脳は働いている。「動かそう」という思いだけで、随分変わる。他の器官がその「動かそう」という脳に応えて努力する。〈代替〉しようとする。でも人間が諦める。「じれったい」「遅い」「それより左手を使ったら早い」と。
 それではダメだと博士は言う。それでCI療法だ。マヒした右手をともかく動かす訓練をする。そのために自由になる左手を体に縛りつける。あるいは大きな手袋をする。そして、マヒした右手だけで全てをやらせる。ほんの少ししか動かない。じれったい。進まない。でも、やらせる。だから「強制使用法」と言われる。それを、1日6時間。そして2週間続ける。
 それで画期的な効果があった。全くマヒして動かなかった右手が動いたのだ。これは凄い話だ。

(左から)鈴木、矢野隆三氏、亀和田武氏、木村三浩氏(2/8新宿)

 マヒしたら、「どうせ動かないんだ」という思い込みがある。それで、「動く方」だけを使う。それが日本のリハビリだ。又、老人になるとリハビリすらも諦める。治療も打ち切られる。そして、寝た切りになる。
 骨法道場の堀辺正史先生に聞いた話だ。老人が雪道で転んで骨折する。本当はリハビリしなくてはならないが、痛い。寝てる方が楽だ。それに今さら、運動選手になるわけでもないし…と、諦める。寝てた方がいい。しかし、体を横にして寝てると、脳にも血が行かなくなる。それでボケる。「寝た切り」や「ボケ」はそうして起こるという。
 日本では、このリハビリが遅れている。「寝た切り」も多い。そして医療費もかかる。アメリカはリハビリを思い切って取り入れ、医療費を半分に減らしたという。これは凄い。アメリカのいい点は日本も見習うべきだ。

④長い間、使わなかった左の脳、翼も、意識的に使うようにした!

(左から)三輪尚信さん、田中卓先生、鈴木(伊勢市。2/13)

 私も10年前、スキーで左肩を強打し、左腕が全く上がらなくなった。痛みがひいてから動かそうと思った。しかし、痛みがひいてからも全く動かない。これではダメだと思い、痛くとも少しずつ動かすようにした。それで何とか動くようになった。危なかったと思う。
 最近、左膝がいたくなった時、又、腰が痛くなった時は骨法道場で治してもらった。でも、そこを知らなかったら、「ムリしないで」家で寝ていただろう。「歩くと痛みが増すから」と思い、「痛みがひいてから歩けばいい」と思ってずっと寝ていたら、いつまでも治らない。脳にも血が行かない。脳だって、「あっ、こいつはもう動く気がないんだな」と見放す。それで、ボケちゃう。ボーッとした中年になる。(昔からボーッとしてたが、これは病気じゃない。精神的余裕だ!)。
 歩くことで血のめぐりもよくなり、脳に血が行く。(だから、足は第二の心臓と言われる)。ものを書くのだって、健康だから書けるのだ。私らは、どこかで「自己限定」をし、諦めている。「もうダメだ」と。本当は脳はもっともっと動いて、身体を動かしたいのに。もっと成長したいのに。もっと勉強したいのに…。
 「この世の中は思う通りになるんです」と昔、「生長の家」の講演会でよく聞いたことがある。そんなことはないと反撥するだろう。悪いことばかりが続く。失敗ばかりする。「世の中なんて思う通りにならんよ」と皆、思っている。しかし、「思う通りにならん」と〈思う〉、その〈思う〉通りになっているのだと。なるほどと思った。特に、悪いことや、マイナス・イメージは強い。ダメだ。不幸だ。憎たらしいという「悪い言葉」やイメージは力が強いのだ。効果があるのだ。だから気をつけて、プラスのことを考えるべきだ。

鈴木の講演(3/1)

 NHK「闘うリハビリ」の第2回は2月11日(月)の夜で、「早期リハビリ“常識”への挑戦」だった。病気になり、これは「絶対安静」です、と言われると、ずーっと安静のままにしておく。それが悪いという。早くからリハビリをすべきだ、と。
 これも「生長の家」の話だ。谷口雅春先生はこんなことを言っていた。「病気はない」と。そして、「絶対安静とは寝ていることではない。心を安静にして、元気に働くことだ」と。これには驚いた。その時は「言葉のアヤ」というか、「言葉のレトリック」かな、と思ったが、NHKスペシャルを見たら、案外、本当じゃないかと思った。
 僕が小学校5年の時、秋田県湯沢市にいた。盲腸をこじらせて入院した。もう1日遅れたら危なかったと言われた。1ヶ月位入院し、退院した。家で寝ていた。「起きたい」と邦男少年は言ったらしい。「寝てるのに飽きたし、起きて遊びたい。モチも食いたい」と。「絶対安静なんだ。とんでもない」と家族は思った。ところが、生長の家の講師の伊藤先生が秋田市から来ていて、「邦男君の思い通りにさせましょう」と言った。「さあ、立ちなさい」と言った。「立ちて歩め!」と言ったイエス・キリストのようだ。邦男君は大波のようにフラフラしながら起きて、遊んだそうな。無謀なガキだ。そして、モチをガツガツ食ったそうな。食い意地の張ったガキだ。それ以来、クニオ少年は治ってしまった。まさに「神の子」だ。
(後日談だ)伊藤先生の息子、邦典君は、後に「生長の家学生道場」に入る。私が入っていたからだ。そして「楯の会」に入る。私が勧めたのだ。そして神奈川大学に入り、そこで古賀、小賀氏をオルグし、「楯の会」に入れる。その二人が中心になり、三島事件が起きる。凄い話でしょう!

4月、衝撃の映画「靖国」、ロードショー

 盲腸をこじらせた時は例外だが、私の家では普通は、どんなに熱があっても医者は呼ばない。薬も飲ませない。「病気はないんだ」し、あると思っても「幻」だ。その幻を消すために祈る。私がカゼをひいて40度の熱に苦しんでる時も、母は冷然と、枕元でお経を読んでるだけだ。大声で読むからうるさい。眠れない。仕方ないから、「もう治った。大丈夫だ!」と言って外に出る。メンコやビー玉をやって熱中し、遊んでるうちに、自分が病人だったことを忘れる。本当に治っていた。「神の子」だ。
 だから、今でもカゼをひいても一人で治している。

 さて結論だ。私は40年間という長い長い間、「愛国運動」をしてきた。いわば右脳(情緒)だけを使い、右の翼(右翼運動)だけを使ってきた。左脳や左の翼は必要ないと思っていた。全く使わなかった。マヒしていたのだ。しかし、人間は左右の脳を使って初めて人間だ。鳥だって、左右の翼を使って初めて飛ぶことが出来る。国家だって右翼(国権)と左翼(民権)があって初めてうまく機能する。そういうことだ。
 だから今は、意識的に「左」を動かすようにしている。40年間、マヒしていた「左」だから初めはサビついて動かない。大変だったが、徐々に動くようになった。そして、思想的リハビリに成功している。左の人たちとも会っている。何せ社民党本部にも呼ばれて講演をした。JR東労組でも講演したし、部落解放同盟でも講演した。赤軍派や連合赤軍の人たちとも友達だ。今まで使わず、マヒしていた「左」もグンと使えるようになった。思想的CI療法(強制使用法)だ。
 「左の脳」も使え、「左の翼」も使え、ようやく大空を飛ぶことが出来る。だから今年は、いい仕事も出来るだろう。アッと驚くようなサプライズも起こしてやる!そんな決意と祈りを込めて、2月13日(水)には伊勢神宮にお参りに行ってきた。

【だいありー】(先週とちょっと重なるけど)
鈴木も推薦の言葉を書いている
  1. 2月9日(土)入院中の樋口篤三さん(80才)と病院で対談。樋口さんは元日本共産党の革命家だ。「社会主義運動と西郷隆盛」について話す。同時代社の川上徹さん(やはり元日共幹部)が司会。3時間もやる。点滴をしながら。「大丈夫ですか?」と心配しながらの対談。「どうしても鈴木君と対談したい」と言うので実現した緊迫した対談だった。
     「3月3日が80才の誕生日だから、それまでに本を出したい」と言う。入院中じゃ大変だ。そこで私が革命家たちに向かって革命的提案をした。「じゃ、誕生日をずらせばいい!」。皆、驚いていた。「よく調べたら誕生日は5月5日だった。じゃ、この日に出して、出版パーティをしよう」と。それはいい!と家族も賛成してくれた。なんのことはない。「コロンブスの卵」ですよ。
     そういえば自分の誕生日を覚えられない人がいた。「たしか、4月の第1土曜だ」と言ってた。ウイークデーだと誰も祝ってくれないから、土曜にしたらしい。かわいそうな話だ。
  2. 2月10日(日)7時半から阿佐ケ谷ロフト。保坂展人さん、雨宮処凛さんだ。なかなか楽しいトークになった。この時の写真を載せよう。2月6日のロフトの写真もついでに載せる。又、先週の「だいありー」に書いたけど、矢野隆三さん、亀和田武さんと会った時の写真も。それに、久保内、原さん等、一水会創設当時の同志たちと会った時の写真も。
  3. 2月11日(月)昼、打ち合わせ。図書館。今日は休みだ。「あっ、バレンタインデーだから祝日なのか」と言ったら、「バカ!紀元節じゃないか。それでも右翼か!」と同業者に怒鳴られた。すっかり忘れていた。今日は日本の誕生日なのか。自分の誕生日だって覚えられんのに、国の誕生日まで覚えられんよ。
  4. 2月12日(火)5時、野村秋介さんの本、『死んでも男』(KKベストブック)を書いた田中いずみさんに取材した。7時、一水会フォーラム。36年目を迎えた一水会の反省と今後の展望について。木村三浩代表と話す。よかった。木村氏の本や、テレビを見て来た、という若者もいた。それだけ一水会も、信用されてるのだろう。「フラッと行っても大丈夫だ」と。嬉しい限りだ。
  5. 2月13日(水)朝一番の新幹線で名古屋に。そこから乗り換えて伊勢に。伊勢神宮にお参りした。雪だった。珍しい。私が行ったからか。皇学館高校の先生、三輪尚信さんに案内してもらう。それから田中卓先生(皇学館大学名誉教授)のお宅へ。田中先生にお目にかかり、いろいろと教えてもらいたかったのだ。随分と久しぶりにお目にかかった。お元気だった。先生は、僕らが右翼学生運動をやっていた頃から指導して頂いた人だ。「YP体制」という言葉を作った人でもある。平泉澄先生の高弟だ。戦前、戦中の日本の話。憲法の話。三島事件の話などを聞く。とても意義深いお話で、貴重な時間だった。本当にありがたい。
  6. 2月14日(木)昼、打ち合わせ。3時、河合塾コスモの授業。今日が本当のバレンタインデーらしい。学校の先生や生徒は、どんだけチョコをもらったかを自慢している。不愉快だ。私は一つももらったことはない。だから、私が総理になったら、バレンタインデーは廃止します!そうすると、もてる男ともてない男の格差はなくなり日本は明るくなります!  今日の「東京新聞」の「こちら特報部」を見て驚いた。「バレンタイン粉砕!」を叫ぶデモがあったんだ。「革命的非モテ同盟」の人々だ。私の知ってる人もいる。私も出たかった。がんばれ!「愛の格差社会」を打倒しよう!「ラブリー・プアー」を救済しろ!
  7. 2月15日(金)昼、取材。随分、仕事はやってるつもりなのに収入がない。本を大量に買い、地方に取材に行ったりしてるからだ。じっと我慢だ。家で仕事した。
  8. 2月16日(土)一日、勉強していた。原稿が遅れていて進まない。夕方、雑誌の対談。
  9. 2月17日(日)10時〜5時、勉強会。夜7時から、三上寛さんと伊藤篤宏さんのライブに行く。三上さんとは久しぶりに会った。いろいろ話をした。よかった。
【お知らせ】
  1. 3月1日(土)、6:30p.m.より。伊藤塾の「明日の法律家講座」で講演。「憲法改正と愛国心問題」。伊藤塾東京校(渋谷)で。
  2. 3月8日(土)14時から「監視社会を超えてPart2」。飯田橋の「東京しごとセンター」。斎藤貴男さんの講演など。私も参加します。
  3. あの衝撃の映画『靖国』が4月、ロードショー公開されます。銀座シネパトス、新宿バルト9などで。私もチラシに推薦文を載せました。
    〈靖国神社を通し、〈日本〉を考える。「戦争と平和」を考える。何も知らなかった自分が恥ずかしい。厳しいが、愛がある。これは「愛日映画」だ!〉
  4. 4月8日(火)岩波ブックレットで『わたしと9条』(800円)が発売になります。私も書いてます。
  5. 中川文人さんの『地獄誕生の物語』(以文社)はいい本です。力作です。人間は死んだら天国か地獄に行くそうです。生きてる間は体験できません。でも、「あの合宿は地獄だったな」とか、「結婚生活は地獄だった」などと、よく言います。〈地獄〉を見た人は多いのです。でも、どうしてそれが〈地獄〉だと分かったのか。オリジナルの地獄を知っていて言ってるのか。不思議です。サルトルは言ってます。「地獄とは他人のことだ」。
     大体、地獄絵だって、一体、誰が見て描いたのか。私もずっと疑問でした。その疑問に答えてくれる本がこれです。歴史的・実証的に、〈地獄〉は誰が「発明」したか。いや、誰が、最初に「見たのか」。その謎に中川氏が全存在を賭けて挑み、解き明かします。この本は歴史書であり、劇中劇もあり、まるでドストエフスキーのようです。又、詳しく書いてみましょう。あるいは対談をしてもいいかな。