「いやー、今日はよかったね。最高のトークだったよ」と、ロフトの平野悠店長に言われた。「保坂、雨宮さんがよかったからですよ。僕は必死で付いて行っただけです」と答えた。「いやいや、鈴木さんは面白かった。気迫も全然、違っていたし」と平野さん。
気迫か…。それはあったかもしれないな。「場末の居酒屋にいる」と思わないで、今、俺は「国会にいるんだ!」という気迫と緊張感で喋ったからだ。普段のボーッとして、やる気のない、投げやりな私とは違う。その全く違う「鈴木邦男」を見せてやった。
国会の話からしよう。一昨年、教育基本法の改正が論議されていた時だ。自民党は条文に「愛国心」を入れようとした。しかし公明党はあからさまに入れる事に反対した。当然だろう。天皇制や愛国心が強制された時代に、創価学会は酷い弾圧をされた。その嫌な記憶がある。だから公明党との妥協で、「文化と伝統を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」となった。逆に民主党なんかが「愛国心」でいいじゃないか、と言い出す。自民党も本当はそれの方がいい。しかし、公明との連立を壊したくないので、一歩退いた表現になった。
しかし、「我が国を愛する…態度」となると、国を愛する「心」よりも「態度」の方が本当は強い。「幸せなら態度に示そうよ」という歌があったが、体を動かして、何か具体的にやらなくてはならない。「幸せを態度に示す」時は、「手を叩く」だけで済んだからいい。でも、国を愛する時にはどうする。学校ではキチンと起立し、大きく口を開け、心から誇りをもって、大声で「君が代」を歌う。そんなことが強制される。〈型〉だけが強制される。愚かな話だ。そして必ず、「形式上」の「競争」と「排除」の論理が生まれる。40年間、「国を愛する態度」(=愛国運動)をやってきた私が言うんだから間違いない。
「愛国心」は〈心〉だから、心に持っていればいい。他人に見せる必要はないし、見せようがない。でも、「態度」は見せなくてはならない。実行しなくてはならない。「俺は国歌を500回歌った。お前は50回しか歌ってないだろう!」「俺は大声で歌ったが、お前はゴニョゴニョと歌ってた。愛国心がない!」「お前は北朝鮮への憎しみが足りないから売国奴だ!」…と。
つまり、(極論を言うと)日本は「連合赤軍国家」になる。連赤は、「立派な革命家」というモデルがあって、それになろうとした。その自覚の足りない人間は次々と批判・総括されて殺された。「イヤリングしてるから革命家じゃない」「寝ていて、隣りの人にチリ紙をとってくれと言ったから革命家じゃない」…と。下らない難癖をつけて、皆で批判し、総括し、殺した。
今、戦前・戦中じゃないから、「愛国心」で殺しまではしない。しかし、愛国心を持った「真の日本人」をモデルにして、その自覚の足りない人間を批判し、総括している。その点では、立派に「連合赤軍国家」だ。怖い話だ。
そんな主張は以前からしていた。教育基本法に「愛国心」を書く必要はない。「国を愛する態度」も入れる必要はない、と言ってきた。そしたら社民党衆院議員の保坂展人さんが、「じゃ、国会で参考人として出て下さいよ」と言う。いいですよ、と言った。楽しみにしていた。予習もした。でも、国会ではゆっくり審議もしないで、自民党は強行採決をしてしまった。私の出番もなかった。ガッカリした。
私が参考人で出ていれば、変わったかもしれない。いや、無理かな。それどころか、「社民党の参考人で出るとは何事か!」「売国奴め!」「非国民!」と全右翼から糾弾されただろう。前にアパートに放火された事があったが、そんなもんじゃ済まんだろう。「右翼の恥さらし!」と言ってテロにあってたかもしれん。うん、確実に殺されていたな。でも、それもいいだろう。暗殺されて、政治的に死ぬなんてチャンスはなかなかない。名誉なことだ。歴史に残るだろう。教科書にだって載るかもしれない。
そんな決死の覚悟で国会に行こうとした。その時の緊張感と気迫を思い出して、阿佐ケ谷ロフトに行ったのだ。2月10日(日)だ。テーマも「愛国心について」だ。私を国会に呼ぶ予定だった保坂展人さん。そして「元ミニスカ右翼」の雨宮処凛さんと三人だ。保坂さんと私の話は、だから、国会での質問と証言だ。それを〈再現〉したのだ。我々二人の心の中では、そこは「国会」だった。首相を初め居並ぶ国会議員を前にして二人は喋ったのだ。「国会での参考人質問・証言」をロフトの皆は聞けたのだ。幸せだったろう。こんな機会はもうない。誰かビデオに撮ってたら、ユーチューブにでも流してくれよ。
雨宮さんとも「愛国問答」をした。彼女は、今は、右翼・左翼を超えて、プレカリアートの運動をしている。しかし、以前は右翼運動をしていたし、右翼バンドをつくって、歌をうたっていた。右翼バンドの時は、何と、始まる前に「君が代を歌おう!」と客に強制する。それも茶髪のネエちゃん(雨宮さんだよ)が。「ペッ!歌ってらんねえよ」と私は拒否した。「そう、鈴木さんは歌わなかった!非国民!」と言ってたが、いいんだよ、非国民で。私は今まで「君が代」を5千回も歌っている。「愛国者のノルマ」はとうに達成した。
「何で、あんなことをしたの?」と逆に私はロフトで聞いた。「右翼なんだから、そうするのが当然だと思った」と雨宮さんは言っていた。いや、「日本人だから日本を愛するのは当然だ」「国歌をうたうのは当然だ」…と。この「当然」が曲者だ。怖い。
でも、「日本人」というのは、いろんな人がいての「日本人」だ。いろんな考えがあった上での「日本人」だ。もっとはっきり言えば、右翼も左翼もアナキストもおり、その存在を認めた上での「日本人」だ。雨宮さんは月刊「創」の3月号で、「革命運動の師匠」見沢知廉氏のことを書いていた。いい文章だ。見沢氏はかつて新左翼過激派の戦旗派にいた。その時代のビデオを見せてもらった。成田闘争のビデオも。雨宮さんはそれに衝撃を受ける。そして〈運動〉をする。右翼をやった。左翼もやった。さらに、そこをアウフヘーベン(止揚)して、「変革運動の原点」に回帰する。右翼、左翼が出現する前の明治維新前夜の「ええじゃないか」、(さらにその前の)百姓一揆に「先祖返り」する。だから、「私たちの運動は“平成のええじゃないか”だ!」と言う。「平成の百姓一揆だ!」と言う。いいですね。
つまり、〈変革運動〉というものは、右も左も含んだ上でのものだ。やってる本人たちは気づかなくても、そういうものだ。右翼のルーツといわれる頭山満の玄洋社だってそうだ。憲則(会則)を見てみよう。
天皇を戴いた上での「自由民権」だ。「天皇は当時の日本人にしては常識的なことであり、第一章は、いわば、「我々は日本人である」と言ってるようなものだ。そして、第二章は「国権」だ。第三章は「民権」だ。
特に、第三章は「固守すべし」と特に強調している。これが大事だ。ただ、国がフラフラし、いつ他国に侵略されるか分からないのでは「民権」も守れない。そのために、「国権」も大事だ。その程度のことだ。本当は第三章の民権だ。そういうことだ。
ここで話は本題に入る。自由民権から右翼と左翼は別れる。右翼は「国権」を、左翼は「民権」を主に主張するようになる。しかし、本当はひとつだ。両方がバランスよく入っていればいい。よくしたもので、右脳(情緒をつかさどる)と左脳(論理をつかさどる)というのも同じだ。どちらかに偏るとおかしい。一方だけに偏向したら、リハビリをして治さなくてはならない。人間もそうだ。変革集団もそうだ。国家もそうだ。
でも、これは運動として元は一つだし、人間の体としても一つだ。
そんな私の考えに「そうだよ」と勇気を与えてくれた番組があった。2月10日(日)NHKスペシャル「闘うリハビリ」だ。この日は第一回で「あなたはここまで再生できる」だった。見ていて、アッと気が付いた。私はビデオに録って翌日見たが、これは10日(日)の夜に放映されていた。私がロフトで話してる時、同時にNHKでは、この放送をやっていたのだ。つまり、別の方向から、〈同じ問題〉を扱っていた。
NHKの放送を紹介する。脳梗塞などで倒れ、半身がマヒすると、マヒした方は諦めてもう「半分」で動き、仕事しようとする。右半身がマヒし、右手がつかえなくなったライターがいる。昔ならそれで書くのを諦める。しかし、今はパソコンがある。自由な左手を使いパソコンで書く。そうしてライターとして再生した人が何十人もいる。日本のリハビリはそうやっている。
ところが、アメリカのリハビリは違う。特に、「新しいリハビリ」をやっている人たちは違う。神経生理学者のエドワード・トーブ博士のやっている「CI療法(強制使用法)」が紹介されていた。早い話、マヒした方の手を「再生」させるのだ。今までは無理だと思われてきたが、その不可能に挑戦するのだ。
右手がマヒしたら、普通、左手ばかりを使う。でも右手は少しは動く。「なぜ右手を使わないのですか?」とトーブ博士は患者に聞く。「ほんの少ししか動かないし。じれったいし。言うことをきかないから」と患者は答える。でも、脳は働いている。「動かそう」という思いだけで、随分変わる。他の器官がその「動かそう」という脳に応えて努力する。〈代替〉しようとする。でも人間が諦める。「じれったい」「遅い」「それより左手を使ったら早い」と。
それではダメだと博士は言う。それでCI療法だ。マヒした右手をともかく動かす訓練をする。そのために自由になる左手を体に縛りつける。あるいは大きな手袋をする。そして、マヒした右手だけで全てをやらせる。ほんの少ししか動かない。じれったい。進まない。でも、やらせる。だから「強制使用法」と言われる。それを、1日6時間。そして2週間続ける。
それで画期的な効果があった。全くマヒして動かなかった右手が動いたのだ。これは凄い話だ。
マヒしたら、「どうせ動かないんだ」という思い込みがある。それで、「動く方」だけを使う。それが日本のリハビリだ。又、老人になるとリハビリすらも諦める。治療も打ち切られる。そして、寝た切りになる。
骨法道場の堀辺正史先生に聞いた話だ。老人が雪道で転んで骨折する。本当はリハビリしなくてはならないが、痛い。寝てる方が楽だ。それに今さら、運動選手になるわけでもないし…と、諦める。寝てた方がいい。しかし、体を横にして寝てると、脳にも血が行かなくなる。それでボケる。「寝た切り」や「ボケ」はそうして起こるという。
日本では、このリハビリが遅れている。「寝た切り」も多い。そして医療費もかかる。アメリカはリハビリを思い切って取り入れ、医療費を半分に減らしたという。これは凄い。アメリカのいい点は日本も見習うべきだ。
私も10年前、スキーで左肩を強打し、左腕が全く上がらなくなった。痛みがひいてから動かそうと思った。しかし、痛みがひいてからも全く動かない。これではダメだと思い、痛くとも少しずつ動かすようにした。それで何とか動くようになった。危なかったと思う。
最近、左膝がいたくなった時、又、腰が痛くなった時は骨法道場で治してもらった。でも、そこを知らなかったら、「ムリしないで」家で寝ていただろう。「歩くと痛みが増すから」と思い、「痛みがひいてから歩けばいい」と思ってずっと寝ていたら、いつまでも治らない。脳にも血が行かない。脳だって、「あっ、こいつはもう動く気がないんだな」と見放す。それで、ボケちゃう。ボーッとした中年になる。(昔からボーッとしてたが、これは病気じゃない。精神的余裕だ!)。
歩くことで血のめぐりもよくなり、脳に血が行く。(だから、足は第二の心臓と言われる)。ものを書くのだって、健康だから書けるのだ。私らは、どこかで「自己限定」をし、諦めている。「もうダメだ」と。本当は脳はもっともっと動いて、身体を動かしたいのに。もっと成長したいのに。もっと勉強したいのに…。
「この世の中は思う通りになるんです」と昔、「生長の家」の講演会でよく聞いたことがある。そんなことはないと反撥するだろう。悪いことばかりが続く。失敗ばかりする。「世の中なんて思う通りにならんよ」と皆、思っている。しかし、「思う通りにならん」と〈思う〉、その〈思う〉通りになっているのだと。なるほどと思った。特に、悪いことや、マイナス・イメージは強い。ダメだ。不幸だ。憎たらしいという「悪い言葉」やイメージは力が強いのだ。効果があるのだ。だから気をつけて、プラスのことを考えるべきだ。
NHK「闘うリハビリ」の第2回は2月11日(月)の夜で、「早期リハビリ“常識”への挑戦」だった。病気になり、これは「絶対安静」です、と言われると、ずーっと安静のままにしておく。それが悪いという。早くからリハビリをすべきだ、と。
これも「生長の家」の話だ。谷口雅春先生はこんなことを言っていた。「病気はない」と。そして、「絶対安静とは寝ていることではない。心を安静にして、元気に働くことだ」と。これには驚いた。その時は「言葉のアヤ」というか、「言葉のレトリック」かな、と思ったが、NHKスペシャルを見たら、案外、本当じゃないかと思った。
僕が小学校5年の時、秋田県湯沢市にいた。盲腸をこじらせて入院した。もう1日遅れたら危なかったと言われた。1ヶ月位入院し、退院した。家で寝ていた。「起きたい」と邦男少年は言ったらしい。「寝てるのに飽きたし、起きて遊びたい。モチも食いたい」と。「絶対安静なんだ。とんでもない」と家族は思った。ところが、生長の家の講師の伊藤先生が秋田市から来ていて、「邦男君の思い通りにさせましょう」と言った。「さあ、立ちなさい」と言った。「立ちて歩め!」と言ったイエス・キリストのようだ。邦男君は大波のようにフラフラしながら起きて、遊んだそうな。無謀なガキだ。そして、モチをガツガツ食ったそうな。食い意地の張ったガキだ。それ以来、クニオ少年は治ってしまった。まさに「神の子」だ。
(後日談だ)伊藤先生の息子、邦典君は、後に「生長の家学生道場」に入る。私が入っていたからだ。そして「楯の会」に入る。私が勧めたのだ。そして神奈川大学に入り、そこで古賀、小賀氏をオルグし、「楯の会」に入れる。その二人が中心になり、三島事件が起きる。凄い話でしょう!
盲腸をこじらせた時は例外だが、私の家では普通は、どんなに熱があっても医者は呼ばない。薬も飲ませない。「病気はないんだ」し、あると思っても「幻」だ。その幻を消すために祈る。私がカゼをひいて40度の熱に苦しんでる時も、母は冷然と、枕元でお経を読んでるだけだ。大声で読むからうるさい。眠れない。仕方ないから、「もう治った。大丈夫だ!」と言って外に出る。メンコやビー玉をやって熱中し、遊んでるうちに、自分が病人だったことを忘れる。本当に治っていた。「神の子」だ。
だから、今でもカゼをひいても一人で治している。
さて結論だ。私は40年間という長い長い間、「愛国運動」をしてきた。いわば右脳(情緒)だけを使い、右の翼(右翼運動)だけを使ってきた。左脳や左の翼は必要ないと思っていた。全く使わなかった。マヒしていたのだ。しかし、人間は左右の脳を使って初めて人間だ。鳥だって、左右の翼を使って初めて飛ぶことが出来る。国家だって右翼(国権)と左翼(民権)があって初めてうまく機能する。そういうことだ。
だから今は、意識的に「左」を動かすようにしている。40年間、マヒしていた「左」だから初めはサビついて動かない。大変だったが、徐々に動くようになった。そして、思想的リハビリに成功している。左の人たちとも会っている。何せ社民党本部にも呼ばれて講演をした。JR東労組でも講演したし、部落解放同盟でも講演した。赤軍派や連合赤軍の人たちとも友達だ。今まで使わず、マヒしていた「左」もグンと使えるようになった。思想的CI療法(強制使用法)だ。
「左の脳」も使え、「左の翼」も使え、ようやく大空を飛ぶことが出来る。だから今年は、いい仕事も出来るだろう。アッと驚くようなサプライズも起こしてやる!そんな決意と祈りを込めて、2月13日(水)には伊勢神宮にお参りに行ってきた。