心配していた。これは酷いと思っていた。日教組(日本教職員組合)のことだ。今年の2月2日〜3日、日教組の全国教研集会がグランドプリンスホテル新高輪で開かれる予定だった。かなり早い時期に予約し、予約金も払い、客室も予約していた。ところが、開催直前になってホテルは日教組の使用を拒否した。
その理由として、「周辺住民、お客さまに多大な迷惑がかかる」という理由だ。つまり全国の右翼が黒塗りの街宣車で押しかけ、大変なことになる。又、この時期は受験生も泊まるし、それでは安心して泊まれない。又、近所には学校、病院も多い。迷惑をかける。だから断わったという。
これに対し、「日教組の教研集会をつぶした!我々の勝利だ」と言う右翼もいる。しかし、「これではいつまでも右翼は〈悪者〉にされる」「右翼の集会だってつぶされるようになる」と危惧する右翼の人もいる。
だが、「直前になって断わるなんてホテル側はひどい」という声と同時に、「そこまで追い込んだ右翼が一番悪い」という声も多い。「右翼が大挙して嫌がらせに来るんじゃ断わっても仕方ないか」とホテルに同情する人もいる。悪いのはホテル側なのに、「もっと悪いのは右翼だ」とされている。
私は新聞記者に聞かれたので、こう答えた。「右翼は思想だ。思想を訴えるために運動をしている。日教組とも堂々と討論したらいい。それを望んでいる。それなのに、こんなことになっては両者とも不本意だろう」と。又、「右翼の妨害があるから」といって断わられたら、当の右翼だって街宣、デモ、集会が出来なくなる。これでは自分で自分の首を絞めることになる、と。
実際、そういう動きは出ている。いろんな所で右翼の集会も断わられている。これではやはりマズイ。木村三浩氏(一水会代表)から先週電話があって、「この件は許せない」と言う。「右翼はただの嫌がらせ集団と思われてしまう!」と激怒していた。「右翼はスケープゴートにされる。我々は思想運動なのに、ただの〈騒音〉であり、〈妨害〉だと思われている。たまらない!」と言う。「だから次のレコンキスタでそのことを書きますよ」と言っていた。賛成だ。それは心強いと思った。
そして3月4日(火)、発行された「レコンキスタ」(一水会機関紙)の3月号の一面で木村氏が大々的に書いていた。タイトルも凄い。
〈右翼運動を単なる“騒音妨害行為”と貶(おとし)められてたまるか!
=日教組全国教研集会の会場不使用問題を考える=〉
右翼運動に誇りを持ち、愛するが故の提言だ。勇気ある問題提起だ。この中で、木村氏はこう言っている。
〈妨害活動によって相手の集会を封じるようなことをしたら、いずれは体制側から我々右翼の集会も封じられる危険性がある。ましてや、このような行動を起こしては、かつての「暴対法」同様の結果になると思うのです。この点が一番危ぶまれるところです〉
〈今回の一件は誰が仕組んだか分かりませんが、右翼に対する貶(おとし)め効果という見方もできます。こういう事件を通じて、世間に「右翼は単なる妨害集団だ」とアピールするわけです。この点を十分に自覚しないとまずいと思います。「なぜ、右翼が日教組に抗議しているのか」が重要で、多くの国民に理解してもらうのが先決ではないでしょうか。
そうしないと「日教組も右翼も共に騒いで危ない連中だな」と世間に思わせられれば、利益を得るのは体制ではないですか〉
まさにその通りだ。ここに全てが尽きている。〈勝利だ〉と浮かれている場合ではない。右翼が「最大の悪役」にされている。思想運動なのに、「思想もない騒音、妨害集団」とされている。これでいいのか!と木村氏は憂国の提言をしている。生命を賭けて叫んでいる。
この提言を読んで、「確かに木村氏の言う通りだ」「ホテル側もひどい」という声が右翼からも起きている。これは運動の第一線で闘い、他の右翼の人達とも常に共闘して闘っている木村氏が言うから説得力があるのだ。運動からドロップアウトした私などがいくら言っても、右翼の共感は得られない。それだけに、この「木村提言」は嬉しかったし、絶大な効果があると思った。
しかし、日教組もだらしがない。テレビや新聞の記者を集めて記者会見をやったらいい。「右翼は思想運動でしょう。単なる嫌がらせじゃないはずだ。だったら堂々と話し合おう。一対一でやろう。あるいは教研集会に時間をとるから右翼の代表が一人でやってきて、日教組反対の理由を述べてくれ。我々も静かに聞く。そして質問をする。話し合いの場を作る。そのかわり、街宣車で押しかけ、騒音で妨害することはやめてくれ!」と。
あるいは、日教組は本当は「対話」を求めているのかもしれない。それを我々は知らないだけかもしれない。そう思って、日教組のHPを見たら、「集会の自由を守ることを訴えます」という森越委員長の文が目についた。今回の事件についてこう書いている。
〈今回の問題を、ある右翼団体幹部は「活動の成果」と話したと報道されました(朝日新聞)。誰であろうが集会の自由は守られなければなりません。戦前の日本では、政府に批判的と判断されると、どんな組織であれ弾圧されました。今日でも集会が妨害される事例は、徐々に増えてきています。
気に食わないからと理屈抜きに高圧的な態度で相手を黙らせるやり方は、子どもたちの「イジメ」にも共通しています。対話がない・対話ができない人間関係が、いっそうこの国を寒々とさせているのではないでしょうか。自分の主張は向き合って堂々と話し合うといった、言論の覚悟がお互いに必要です〉
おっ、さすがは森越さんだと思った。前に、一度、私は森越康雄委員長と対談している。『論座』05年6月号だ。「誰とでも話し合う」という勇気には感動している。あの時は、「史上初の対談。日教組委員長と右翼」というタイトルだった。リードにはこう書かれていた。
〈対極にいた二人が、初めて一対一で向き合った。教育を語り、「君が代」「日の丸」を語り、憲法や自衛隊を語り合った。そしていま、58年続いた「vs」の関係の中から、「&」を築こうと一歩を踏み出した〉
今読み返してみても、いいリードだ。編集部がつけたのだが、うまい。対立点はいくつもあったが、分かり合える点も多かった。特に森越さんは、岩手出身だ。朴訥とした人柄で、静かに話す。怒鳴ったり糾弾することはない。だから、「朝生」などに出ると、余り喋れない。そういう人を見ると、「あっ、いい人だなー」と思う。「朝生」はそういう効果がある。人間の真価があらわれる。
二人の対談のラストは、この「朝生」について触れている。
〈森越 「朝まで生テレビ!」のときも、うちの連中から「あんたみたいに口下手な人間は、さんざん論破されて二度と立ち直れないんじゃないか」と心配されてました(笑い)。だけど、自分が批判されてぶっ壊されて否定されても、前に出ていくんだという考えがなかったら、新しい時代の新しい考え方、新しい関係がつくっていけないですから。御身大切で守っていたら、前に進んでいかないです。
鈴木 そういう意味で、いままでの日教組の委員長の中で、森越さんはいちばん勇気のある委員長だと僕は思ってます。日教組の集会に呼んでもらって、「日の丸」「君が代」、憲法で論争したいです。ひとりで行きますから、ぜひ僕を呼んでください〉
日教組とは48年間も話し合いが出来なかったというのが不思議だ。お互い「天敵」だった。話し合いをしない方が「男らしい」「戦ってるんだ!」というムードを出せるからかもしれない。話し合うと、「敵と同席した」「馴れ合っている」「ボス交だ」と批判される。変な話だ。又、論破されるのが怖いのか。相手にもしかしたら同意する点があり、それが怖いのか。どちらにしろ、会わないで、「許せん!」と絶叫してる方が楽だ。しかし、本当は〈話し合う〉のが一番勇気がいるのだ。ヘタをしたら、論破され、自分がズタズタになるかもしれない。それでもいいと思い、出てゆく。それこそが勇気だろう。森越さんはさらに言う。
〈私は「右翼の人とも話したい」とあちこちでしゃべってますから。今回それが実現したわけですけども、自民党だって、行ってしゃべりますよ。「袋叩きになるかもしれないけども、そのときは泣いて帰ってくるから」って〉
いやー、いい人だなと思った。ここまで言える人は本当は強い人だ。それと、『論座』で話した時、印象深い話を聞いた。以前、森越さんは青年部長として「右翼対策」をやっていた(1980年から3年間)。右翼が抗議文を持ってきたら会って、抗議を聞き、抗議文を受け取る役目だ。
深作清次郎さんが抗議に来た時だ。(深作さんは野村秋介さんや僕もよく知ってた人だ)
〈森越 その方が私のところに抗議文を持ってきて、巻紙を読むんです。じっと聞いてたら「何か言うことあるか」と言われるので「体に気をつけて頑張ってください」と返したら、ボロボロと泣かれてね。「お前は槙枝みたいになるなよ」って言われて。「はい」と言ったんですよ。ところが、こうなってしまって。深作さんに合わせる顏がない。(笑い)〉
これは何度読んでもいい話だ。涙ぐむ。槙枝さんは何代か前の委員長で硬派の人だった。そのことを言ってる。これを聞いて、深作さんも森越さんもいい人だなと思った。だったら、部屋に来てもらって、ゆっくりお茶を飲みながら話し合ったらよかったのに、と思うけど、傍にいる公安がそんなことはさせないのだ。「対立」の図式を作っておかなくては彼らが困るのだ。
せっかく『論座』にこれだけの貴重な場を提供してもらったのに、その後が続かなかった。申し訳ない。残念だ。全ては私のせいだ。
森越さんは右翼とも自民党とも、出て行って誰とでも話し合うと言っている。ぜひやってもらいたい。このままでは日教組もマズイだろうし、右翼だって、〈悪役〉のままだ。会って話し合う必要があるだろう。森越さんは「青年部長」として右翼の抗議を受けていた時、「敵」とばかり思っていた右翼にも人間性を見たという。先に紹介した深作さんの例もそうだったし、又、こんな、ほのぼのとした話もある。『論座』の中の発言だ。
〈森越 右翼といっても、大組織もあれば小さい零細組織、家内制手工業みたいなとこもあって、おやじさんが巻紙を読むのを奥さんがちっちゃいテープレコーダーに録音して、写真撮ってるんです。ご苦労さまという感じでしたね(笑い)。はじめは私、鬼か悪魔みたいに考えていて、相手も同じだったと思うんだけど、話をしていくうちに、立場は違っても一生懸命みたいなのが伝わってきましたね〉
これもいい話だ。キチンと認めるところは認めている。だったら、話し合いをしたらいい。たとえ〈平行線〉に終わってもいいじゃないか。話し合いの〈場〉をつくるということは大事だ。そこでこそ右翼も「日教組反対」の主張を伝えられる。国民に対しても、「こういう理由で我々は反対してるのだ」という理由、主張が伝わる。そうでないと、「何か知らないが右翼は騒いでいる」「嫌がらせをしている」で終わってしまう。
ましてや、2月の受験期だ。ホテルには受験生もいる。その人達に迷惑をかけてまで右翼が妨害するはずはない。子供は日本の宝だ。大切な宝だ。そんなことを「愛国運動」をする人々がやるはずがない。それをホテル側も知るべきだ。
実は、私たちも〈日教組反対運動〉を昔はやったことがある。街宣車で押しかけたこともある。だから自己批判をこめてこれは言っている。ただ、車で押しかけ、怒鳴っていた時だった。「グループ日本」の人達が中心になって別の集会を開いた。「ただ、押しかけるだけではダメだ。我々もキチンと会場を借りて、集会を開こう」と言う。「そんな手間暇のかかることはイヤだな」と思った。世間に訴える力もない。車で押しかける方が手っ取り早いし、〈効果〉もある。実際それで、日教組は会場を借りられず、転々としたこともある。我々は「勝利した」。そう思っていた。
「でも、住民の人はどう思ってるか知ってますか」と彼らは言う。「日教組が嫌だから来ないでほしいと思ってるんだろう。いいことじゃないか」と言ったら、
「そんなことはありません。右翼の騒音と妨害、暴力が怖いからです。それだけです。日教組は巻き添えになってかわいそうだと思ってるんです。又、これによって右翼の主張が伝わることはありません」
そんなものかなーと思った。この「グループ日本」の人々は日蓮宗の教えを基にした民族派団体だった。笹井大庸・宏次朗兄弟が中心になり、「良識復活国民運動」「グループ日本」という名前で活発な運動をやった。これがキッカケで、一水会とも一緒にやることが多くなり、笹井宏次朗氏は、一水会の「レコンキスタ」の編集をやることになる。又、1976年に米沢で「新しい日本を創る青年集会」をやった時は、笹井氏も参加している。一水会創設期の貢献者だ。
その笹井氏達が、「これじゃダメだ!」と新しい「日教組批判」の運動を始めたのだ。そして、日教組大会の会場近くに、自分達で会場を借り、大々的な集会を開いた。そのために、電柱にポスターを貼り、駅前でチラシを配った。大したもんだ、偉い人達だと思った。〈右翼史〉の中では、こうした運動は例外的だったかもしれないが、実際にあったのだ。
今でも右翼の街宣車のボディには「日教組打倒!」と大書されてるものもある。だったら、なおのこと、その〈主張〉〈思想〉を大々的に表に出すべきだ。〈その声〉を一般の人に届くようにすべきだ。「日教組も出てこい!」「我々と討論しよう!」と言うべきだ。そのかわり騒音による妨害はしない。堂々と話し合いをしよう、と言えばいい。
「君達の考えには反対だ。しかし、それを言う自由は命をかけて守る」といったのはボルテールだったと思う。それこそが「民主主義の基本」だと高校の社会で習ったことを覚えている。「日教組の集会はつぶす。しかし我々の集会だけをやらせてくれ」では通用しない。又、体制側だってそんな甘いことは考えていない。うるさいものは両方ともつぶしたいのだ。彼らの目論見に手を貸してはならない。たとえどんな考えでも、対立し許せない考えでも、それが「言論」である限り、「言論の場」に上げる。そこで闘う。それしかない。それでこそ、我々の思想も伝わるし、人々に分かってもらえる。その勇気を皆が持つべきだろう。