2008/03/10 鈴木邦男

日教組問題と「集会の自由」

①これでは右翼はただの「騒音」「妨害」集団にされてしまう!

『レコンキスタ』(3/10号)

 心配していた。これは酷いと思っていた。日教組(日本教職員組合)のことだ。今年の2月2日〜3日、日教組の全国教研集会がグランドプリンスホテル新高輪で開かれる予定だった。かなり早い時期に予約し、予約金も払い、客室も予約していた。ところが、開催直前になってホテルは日教組の使用を拒否した。
 その理由として、「周辺住民、お客さまに多大な迷惑がかかる」という理由だ。つまり全国の右翼が黒塗りの街宣車で押しかけ、大変なことになる。又、この時期は受験生も泊まるし、それでは安心して泊まれない。又、近所には学校、病院も多い。迷惑をかける。だから断わったという。
 これに対し、「日教組の教研集会をつぶした!我々の勝利だ」と言う右翼もいる。しかし、「これではいつまでも右翼は〈悪者〉にされる」「右翼の集会だってつぶされるようになる」と危惧する右翼の人もいる。
 だが、「直前になって断わるなんてホテル側はひどい」という声と同時に、「そこまで追い込んだ右翼が一番悪い」という声も多い。「右翼が大挙して嫌がらせに来るんじゃ断わっても仕方ないか」とホテルに同情する人もいる。悪いのはホテル側なのに、「もっと悪いのは右翼だ」とされている。

 私は新聞記者に聞かれたので、こう答えた。「右翼は思想だ。思想を訴えるために運動をしている。日教組とも堂々と討論したらいい。それを望んでいる。それなのに、こんなことになっては両者とも不本意だろう」と。又、「右翼の妨害があるから」といって断わられたら、当の右翼だって街宣、デモ、集会が出来なくなる。これでは自分で自分の首を絞めることになる、と。
 実際、そういう動きは出ている。いろんな所で右翼の集会も断わられている。これではやはりマズイ。木村三浩氏(一水会代表)から先週電話があって、「この件は許せない」と言う。「右翼はただの嫌がらせ集団と思われてしまう!」と激怒していた。「右翼はスケープゴートにされる。我々は思想運動なのに、ただの〈騒音〉であり、〈妨害〉だと思われている。たまらない!」と言う。「だから次のレコンキスタでそのことを書きますよ」と言っていた。賛成だ。それは心強いと思った。
 そして3月4日(火)、発行された「レコンキスタ」(一水会機関紙)の3月号の一面で木村氏が大々的に書いていた。タイトルも凄い。

〈右翼運動を単なる“騒音妨害行為”と貶(おとし)められてたまるか!
=日教組全国教研集会の会場不使用問題を考える=〉

 右翼運動に誇りを持ち、愛するが故の提言だ。勇気ある問題提起だ。この中で、木村氏はこう言っている。

〈妨害活動によって相手の集会を封じるようなことをしたら、いずれは体制側から我々右翼の集会も封じられる危険性がある。ましてや、このような行動を起こしては、かつての「暴対法」同様の結果になると思うのです。この点が一番危ぶまれるところです〉
〈今回の一件は誰が仕組んだか分かりませんが、右翼に対する貶(おとし)め効果という見方もできます。こういう事件を通じて、世間に「右翼は単なる妨害集団だ」とアピールするわけです。この点を十分に自覚しないとまずいと思います。「なぜ、右翼が日教組に抗議しているのか」が重要で、多くの国民に理解してもらうのが先決ではないでしょうか。
 そうしないと「日教組も右翼も共に騒いで危ない連中だな」と世間に思わせられれば、利益を得るのは体制ではないですか〉

 まさにその通りだ。ここに全てが尽きている。〈勝利だ〉と浮かれている場合ではない。右翼が「最大の悪役」にされている。思想運動なのに、「思想もない騒音、妨害集団」とされている。これでいいのか!と木村氏は憂国の提言をしている。生命を賭けて叫んでいる。
 この提言を読んで、「確かに木村氏の言う通りだ」「ホテル側もひどい」という声が右翼からも起きている。これは運動の第一線で闘い、他の右翼の人達とも常に共闘して闘っている木村氏が言うから説得力があるのだ。運動からドロップアウトした私などがいくら言っても、右翼の共感は得られない。それだけに、この「木村提言」は嬉しかったし、絶大な効果があると思った。

②たとえ「天敵」でも、日教組とは話し合えるはずだ!

『論座』(05年6月号)

 しかし、日教組もだらしがない。テレビや新聞の記者を集めて記者会見をやったらいい。「右翼は思想運動でしょう。単なる嫌がらせじゃないはずだ。だったら堂々と話し合おう。一対一でやろう。あるいは教研集会に時間をとるから右翼の代表が一人でやってきて、日教組反対の理由を述べてくれ。我々も静かに聞く。そして質問をする。話し合いの場を作る。そのかわり、街宣車で押しかけ、騒音で妨害することはやめてくれ!」と。
 あるいは、日教組は本当は「対話」を求めているのかもしれない。それを我々は知らないだけかもしれない。そう思って、日教組のHPを見たら、「集会の自由を守ることを訴えます」という森越委員長の文が目についた。今回の事件についてこう書いている。

〈今回の問題を、ある右翼団体幹部は「活動の成果」と話したと報道されました(朝日新聞)。誰であろうが集会の自由は守られなければなりません。戦前の日本では、政府に批判的と判断されると、どんな組織であれ弾圧されました。今日でも集会が妨害される事例は、徐々に増えてきています。
 気に食わないからと理屈抜きに高圧的な態度で相手を黙らせるやり方は、子どもたちの「イジメ」にも共通しています。対話がない・対話ができない人間関係が、いっそうこの国を寒々とさせているのではないでしょうか。自分の主張は向き合って堂々と話し合うといった、言論の覚悟がお互いに必要です〉

 おっ、さすがは森越さんだと思った。前に、一度、私は森越康雄委員長と対談している。『論座』05年6月号だ。「誰とでも話し合う」という勇気には感動している。あの時は、「史上初の対談。日教組委員長と右翼」というタイトルだった。リードにはこう書かれていた。

〈対極にいた二人が、初めて一対一で向き合った。教育を語り、「君が代」「日の丸」を語り、憲法や自衛隊を語り合った。そしていま、58年続いた「vs」の関係の中から、「&」を築こうと一歩を踏み出した〉

 今読み返してみても、いいリードだ。編集部がつけたのだが、うまい。対立点はいくつもあったが、分かり合える点も多かった。特に森越さんは、岩手出身だ。朴訥とした人柄で、静かに話す。怒鳴ったり糾弾することはない。だから、「朝生」などに出ると、余り喋れない。そういう人を見ると、「あっ、いい人だなー」と思う。「朝生」はそういう効果がある。人間の真価があらわれる。
 二人の対談のラストは、この「朝生」について触れている。

〈森越 「朝まで生テレビ!」のときも、うちの連中から「あんたみたいに口下手な人間は、さんざん論破されて二度と立ち直れないんじゃないか」と心配されてました(笑い)。だけど、自分が批判されてぶっ壊されて否定されても、前に出ていくんだという考えがなかったら、新しい時代の新しい考え方、新しい関係がつくっていけないですから。御身大切で守っていたら、前に進んでいかないです。

鈴木 そういう意味で、いままでの日教組の委員長の中で、森越さんはいちばん勇気のある委員長だと僕は思ってます。日教組の集会に呼んでもらって、「日の丸」「君が代」、憲法で論争したいです。ひとりで行きますから、ぜひ僕を呼んでください〉

 日教組とは48年間も話し合いが出来なかったというのが不思議だ。お互い「天敵」だった。話し合いをしない方が「男らしい」「戦ってるんだ!」というムードを出せるからかもしれない。話し合うと、「敵と同席した」「馴れ合っている」「ボス交だ」と批判される。変な話だ。又、論破されるのが怖いのか。相手にもしかしたら同意する点があり、それが怖いのか。どちらにしろ、会わないで、「許せん!」と絶叫してる方が楽だ。しかし、本当は〈話し合う〉のが一番勇気がいるのだ。ヘタをしたら、論破され、自分がズタズタになるかもしれない。それでもいいと思い、出てゆく。それこそが勇気だろう。森越さんはさらに言う。

『論座』(05年6月号)
〈私は「右翼の人とも話したい」とあちこちでしゃべってますから。今回それが実現したわけですけども、自民党だって、行ってしゃべりますよ。「袋叩きになるかもしれないけども、そのときは泣いて帰ってくるから」って〉

 いやー、いい人だなと思った。ここまで言える人は本当は強い人だ。それと、『論座』で話した時、印象深い話を聞いた。以前、森越さんは青年部長として「右翼対策」をやっていた(1980年から3年間)。右翼が抗議文を持ってきたら会って、抗議を聞き、抗議文を受け取る役目だ。
 深作清次郎さんが抗議に来た時だ。(深作さんは野村秋介さんや僕もよく知ってた人だ)

〈森越 その方が私のところに抗議文を持ってきて、巻紙を読むんです。じっと聞いてたら「何か言うことあるか」と言われるので「体に気をつけて頑張ってください」と返したら、ボロボロと泣かれてね。「お前は槙枝みたいになるなよ」って言われて。「はい」と言ったんですよ。ところが、こうなってしまって。深作さんに合わせる顏がない。(笑い)〉

 これは何度読んでもいい話だ。涙ぐむ。槙枝さんは何代か前の委員長で硬派の人だった。そのことを言ってる。これを聞いて、深作さんも森越さんもいい人だなと思った。だったら、部屋に来てもらって、ゆっくりお茶を飲みながら話し合ったらよかったのに、と思うけど、傍にいる公安がそんなことはさせないのだ。「対立」の図式を作っておかなくては彼らが困るのだ。
 せっかく『論座』にこれだけの貴重な場を提供してもらったのに、その後が続かなかった。申し訳ない。残念だ。全ては私のせいだ。

③考えの違う人達の「言論の自由」も守るのだ!

『論座』(05年6月号)

 森越さんは右翼とも自民党とも、出て行って誰とでも話し合うと言っている。ぜひやってもらいたい。このままでは日教組もマズイだろうし、右翼だって、〈悪役〉のままだ。会って話し合う必要があるだろう。森越さんは「青年部長」として右翼の抗議を受けていた時、「敵」とばかり思っていた右翼にも人間性を見たという。先に紹介した深作さんの例もそうだったし、又、こんな、ほのぼのとした話もある。『論座』の中の発言だ。

〈森越 右翼といっても、大組織もあれば小さい零細組織、家内制手工業みたいなとこもあって、おやじさんが巻紙を読むのを奥さんがちっちゃいテープレコーダーに録音して、写真撮ってるんです。ご苦労さまという感じでしたね(笑い)。はじめは私、鬼か悪魔みたいに考えていて、相手も同じだったと思うんだけど、話をしていくうちに、立場は違っても一生懸命みたいなのが伝わってきましたね〉

 これもいい話だ。キチンと認めるところは認めている。だったら、話し合いをしたらいい。たとえ〈平行線〉に終わってもいいじゃないか。話し合いの〈場〉をつくるということは大事だ。そこでこそ右翼も「日教組反対」の主張を伝えられる。国民に対しても、「こういう理由で我々は反対してるのだ」という理由、主張が伝わる。そうでないと、「何か知らないが右翼は騒いでいる」「嫌がらせをしている」で終わってしまう。
 ましてや、2月の受験期だ。ホテルには受験生もいる。その人達に迷惑をかけてまで右翼が妨害するはずはない。子供は日本の宝だ。大切な宝だ。そんなことを「愛国運動」をする人々がやるはずがない。それをホテル側も知るべきだ。
 実は、私たちも〈日教組反対運動〉を昔はやったことがある。街宣車で押しかけたこともある。だから自己批判をこめてこれは言っている。ただ、車で押しかけ、怒鳴っていた時だった。「グループ日本」の人達が中心になって別の集会を開いた。「ただ、押しかけるだけではダメだ。我々もキチンと会場を借りて、集会を開こう」と言う。「そんな手間暇のかかることはイヤだな」と思った。世間に訴える力もない。車で押しかける方が手っ取り早いし、〈効果〉もある。実際それで、日教組は会場を借りられず、転々としたこともある。我々は「勝利した」。そう思っていた。
 「でも、住民の人はどう思ってるか知ってますか」と彼らは言う。「日教組が嫌だから来ないでほしいと思ってるんだろう。いいことじゃないか」と言ったら、
 「そんなことはありません。右翼の騒音と妨害、暴力が怖いからです。それだけです。日教組は巻き添えになってかわいそうだと思ってるんです。又、これによって右翼の主張が伝わることはありません」
 そんなものかなーと思った。この「グループ日本」の人々は日蓮宗の教えを基にした民族派団体だった。笹井大庸・宏次朗兄弟が中心になり、「良識復活国民運動」「グループ日本」という名前で活発な運動をやった。これがキッカケで、一水会とも一緒にやることが多くなり、笹井宏次朗氏は、一水会の「レコンキスタ」の編集をやることになる。又、1976年に米沢で「新しい日本を創る青年集会」をやった時は、笹井氏も参加している。一水会創設期の貢献者だ。
 その笹井氏達が、「これじゃダメだ!」と新しい「日教組批判」の運動を始めたのだ。そして、日教組大会の会場近くに、自分達で会場を借り、大々的な集会を開いた。そのために、電柱にポスターを貼り、駅前でチラシを配った。大したもんだ、偉い人達だと思った。〈右翼史〉の中では、こうした運動は例外的だったかもしれないが、実際にあったのだ。

3/1、伊藤塾で講演した

 今でも右翼の街宣車のボディには「日教組打倒!」と大書されてるものもある。だったら、なおのこと、その〈主張〉〈思想〉を大々的に表に出すべきだ。〈その声〉を一般の人に届くようにすべきだ。「日教組も出てこい!」「我々と討論しよう!」と言うべきだ。そのかわり騒音による妨害はしない。堂々と話し合いをしよう、と言えばいい。
 「君達の考えには反対だ。しかし、それを言う自由は命をかけて守る」といったのはボルテールだったと思う。それこそが「民主主義の基本」だと高校の社会で習ったことを覚えている。「日教組の集会はつぶす。しかし我々の集会だけをやらせてくれ」では通用しない。又、体制側だってそんな甘いことは考えていない。うるさいものは両方ともつぶしたいのだ。彼らの目論見に手を貸してはならない。たとえどんな考えでも、対立し許せない考えでも、それが「言論」である限り、「言論の場」に上げる。そこで闘う。それしかない。それでこそ、我々の思想も伝わるし、人々に分かってもらえる。その勇気を皆が持つべきだろう。

【だいありー】
伊藤塾・伊藤真塾長(右)と(3/1)
  1. 3月3日(月)『幼なじみのバッキー』(月曜社 文・澤田サンダーさん。絵・増山麗奈さん)の出版パーティに出る。麗奈さんは康芳夫さん(怪人プロデューサー)に昔、紹介してもらった。芸大生だった頃だ。秋山祐徳太子さんのお弟子さんでもある。学生のうちから個展をやってたりして、めきめき才能を伸ばしていた。絵も売れていた。学生のうちからプロだった。一水会の勉強会にもよく来ていた。ところが、イラクに行ったりして、いつの間にか「桃色ゲリラ」を組織し、活発な活動をやるようになった。「今は新左翼です!」と言っていた。「左翼がだらしないから私が立て直すんです!」と。凄いね。
     「鈴木さんも本を出したら絵を描いてやるよ」と言っていた。光栄です。私ごときのために。ぜひお願いしたいです。
     文を書いた澤田サンダーさんに紹介してもらった。「『若者たちの神々』を読みました」と言う。古い話だね。でも、嬉しいですね。井家上隆幸さんのお弟子さんだという。「あの世界一の読書王の?」「そうです」。
     「ジャナ専の先生やってたんだよね。そこで僕も一緒だったよ。今も元気?」
     「74才ですが、今も元気です」
     「やっぱり、月に百冊読んでんの?」
     「そうです」
     ウーン。凄い。やっぱ、「世界一の読書王」だ。この人には逆立ちしてもかなわない。
     「月に百冊なんて、お金が大変でしょう?」と麗奈さん。でも、出版社がこの先生に書評してもらいたくって、皆、送ってくるんだよ。常にカバンにはジャンルの違った本を6冊、入れてるそうだ。違う分野の本だから、脳が活発に働き、決してボケない。私も真似してみよう。「それに、手帳に300冊の本のリストがあるんです。書評などで読まなくちゃならん本です」とサンダーさん。ウーン、凄い。
     なんせ、電車の中は勿論、家の中でも、食事中も、風呂の中も、トイレでも、ともかく、どこでも、ずーっと本を読んでいる。1日24時間のうち、6時間寝るとして、あとの18時間は本を読んでいる。凄いね。奥さんと会話する時も本を読んでるんだろう。いや、そんな「ムダな時間」はないのかもしれない。又、会ってみたいな。読書の話を聞いてみたい。
     そうだ、この日は、午後7時から10時まで、又もや読書の話をした。井家上さんにはかなわないか、「月40冊」読破する「平成の読書王」高木尋士氏と対談した。高木さんは脚本家で、見沢知廉氏のお芝居『天皇ごっこ』を上演した人だ。
     今、筑摩書房の「戦後日本思想大系」(全16巻)を読破し、「現代日本思想大系」(全35巻)の半分まで行っている。これから「近代日本思想大系」(全36巻)に挑戦する。そして、立花隆の『天皇と東大』(文芸春秋、上・下巻で1500ページ)を読破した。私に言われて、芹沢光治良の『人間の運命』(全14巻)にも挑戦している。(よし、この写真を紹介しよう!)この〈時点〉での話をした。中川、早見氏との「革命座談会」が好評だったので、今度は高木氏と「読書戦争対談」をやったわけだ。近いうちにこのHPに載せる。楽しみにしてくりゃんせ。タイトルはそうだな、「人間やめて、本になれ!」です。
     「やはり、シリーズものを読まなくてはダメだ!」と私は言った。全く知らなかった本、毛嫌いしていた本も含め、シリーズで読むと、意外な発見、貴重な発見がある。学生時代、青年時代を通し、私はこの「シリーズ全巻」読みで、勉強してきた。今、本を書いたり、喋ったり出来るのはそのおかげだ。その蓄積のおかげだ。だから、「人間・鈴木邦男」が話してるのではない。「本」が話しているのだ。「本」が書いてるのだ。「本」が書き、メシを食い、風呂に入り、運動してるのだ。あらあら、これでは、井家上隆幸になっちゃうよ。
     私は文学、思想と、たいがいのものは〈シリーズ読破〉したと思ったが、まだまだ世界は広い。さらに挑戦は続くのだよ。最近は、『はじめての文学』(文芸春秋 全12巻)を読破した。又、理論社から出ている『よりみちパン!セ』シリーズ30巻を読破した。これは中学生のための人生書だ。でも深い。全く知らなかった世界も多い。とても勉強になった。深見填『こどものためのドラッグ大全』、田口ランディ『ひかりのメリーゴーランド』、多田文明『ついていったら、だまされた』、新井紀子『生き抜くための数学入門』、小倉千加子『オンナらしさ入門(笑)』、村瀬孝生『おばあちゃんが、ぼけた』、などなどだ。「全巻読み』をしなかったら一生知ることのなかった本だ。いい本に触れて感動した。
     「これも早急に読みなさい!」と「平成の読書王」高木氏に言った。「ハイ、分かりました」と言っていた。30冊だから全部買ったら3万円位だ。でも、〈人生〉の知恵、教養、エッセンスが全てつまっている。3千万円の価値がある。3千万円のものがたった3万円で買えるのだ。買わない奴はバカだ!持ってけドロボー!あっ、いかんな。バナナの叩き売りじゃないんだ。でも、本当にいい本ですよ。買ってみて、「それだけの価値がなかった」と思った人には私がお金を返します。それだけ自信を持って薦められる本だ。
「アエラ」(3/10号)
  1. 3月4日(火)1時半。宝島社。前・戦旗派代表の荒岱介さんと対談。4月17日に別冊宝島で『左翼はどこへ行ったのか』が出る。そのための対談だ。荒さんは最近、『新左翼とは何だったのか』(幻冬舎新書)を出した。出て1ヶ月なのにもう3刷だ。売れている。右や左に関心のない若い世代にも売れている。荒さんは自分の運動だけでなく、そこを飛び抜けて、上から全体を見ることが出来る。その点では希有の人だ。私より2才若い。早稲田では敵対してたから、よく殴り合いをしていた。
     社学同の代表だ。社学同は「組織された暴力を!」と言っていた。その「組織暴力団」の親分が荒さんだった。力は強いし、社学同の数は多いし、我々少数派の右翼学生なんて、いつもボコボコに殴られていた。でも今はこうして対談出来る。ありがたい話だ。
  2. 3月5日(水)「マガジン9条」に私が書いたものが今度、岩波ブックレットに載る。10人位の人の文が入る。『使える9条』(800円)として4月9日に発売だ。3時から、その撮影。「マガジン9条に載った時に写真撮ったじゃないですか」と言ったら、「でも、ピンボケだったんです。だから撮り直したいんです」。
     えっ、そうは見えなかったけどな。それに、「本人がボケてるからですよ。カメラマンのせいじゃありませんよ」と言ったら、まあまあ、となって、この日の撮影になった。
     そういえば他の雑誌でも先月、撮影があったな。「目の白眼が多いですね。黒目のとこが茶色できれいですよ」。えっ、知らなかった。最近は考え方が欧米化してるので、目はブルー゛たと思ってた。知らなかったなー。茶色だっのか。それで、いい年して、「お茶目だわ!」なんて言われるのか。御厨貴さん(東大教授)にも「皇居美術館」の座談会の時、「恐い人かと思ったら、お茶目な人ですね」と言われた。最近、茶豆ばかりり食べてるからだろう。「赤い鳥、小鳥。なぜなぜ赤い。赤い実を食べた」という童謡があったな。茶豆を食べてる鳥(私だよ)は茶色になるんだ。
     ライターの友人が、「最近、胃が痛い。飲みすぎかな」と言う。「じゃ、枝豆を食べなさい。豆さえ食べてればマメ(健康)になる」と教えてあげた。「胃腸だったら特にギンナンですね」。「そうですか。ありがとうございました」と礼を言われた。「いちょう(イチョウ)には銀杏(ギンナン)だよ」と付け加えるのを忘れてた。
     3月8日の産経新聞を見てたら、「大豆で乳がん予防。成分のゲニステイン効果」と出ていた。やはり豆を食べるとマメ(健康)になるんだ。おかげで私も乳がんにはなりません。
  3. 3月6日(木)昼、映画「母べえ」を見た。映画の対談を最近やらにゃならんので。「日本映画なんてつまらねえや」と思って、考えが欧米化してたが、なかなか捨てたもんじゃないね。思想家の映画だった。考えさせられた。治安維持法で捕まり、転向を強制されるが、転向しない。美人の奥さんは小学校の先生で、がんばって子供を育てる。思想映画だ。まるで塩見さんみたいだ。3時から学校。河合塾コスモは先週で授業が終わったのに、今週も「追加」で授業。牧野剛先生が選んだ本をテキストにして皆で読む。麻野涼の『満州「被差別部落」移民』(彩流社)。全く知らなかった。こんな事実があったなんて。とても勉強になったし、考えさせられた。
芹沢光治良『人間の運命』(全14巻)
  1. 3月7日(金)午前10時半から河合塾コスモの全体会議。午後2時から千秋楽。生徒が芝居をしたり、落語をやったり、食べ物を作ったりする。文化祭みたいなもんだ。なかなか楽しかった。
     『創』(4月号)発売。連載では、田中卓先生をお訪ねした時の話「YP体制打倒」を書きました。又、佐藤優、森達也、そして私の座談会「死刑制度と国家を論ず!」も載ってます。
  2. 3月8日(土)午後2時から飯田橋の仕事センター。「格差×監視=戦争国家--監視社会を超えて Part2」。斎藤貴男さん、上原公子さん、清水雅春さんらの講演、トーク。私も挨拶をした。斎藤さんが、「来週の『サンデー毎日」に鈴木さんの本の書評をしました」と言ってた。ありがたい。感謝感激です。
  3. 「アエラ」(朝日新聞社・3月10日号)に特集「三浦和義と右翼」が出ていました。三浦さんは人権問題や冤罪問題に熱心にかかわり、支援してきました。又、右翼・民族派の人々との交流も広いものがあります。親しい右翼の友人が話してます。木村三浩氏もコメントしています。
  4. 「週刊読書人」に早見慶子さんが私の『愛国者の座標軸』の書評をしてくれました。ありがたいです。タイトルが、
    〈時事評論として、思想として…。
    =孤独に運動をつづける一人の男の迫力ある言論=〉
  5. 3月12日(水)発売の「月刊TIMES」には、田中いずみさんに取材し、24年前に書いた『死んでも〈男〉』の話を聞きました。野村さんについて書いた本で、今読み返すとギクッとすることや、〈大いなる予言〉になってるところがあります。当時、2万部出た本ですが、皆大事に所有してるため、古本屋には1冊も出ていません。「幻の名著」になりました。これを機に復刊してほしいと思います。
『週刊読書人』(3/14号)より
  1. 3月1日(土)伊藤塾で行った講演の写真を載せます。伊藤塾のHPにも出てるようです。見て下さい。
  2. どんな原稿、仕事も〆切だけは守ろうと思ってるのですが、今月は一度にドッと集中してるので、大変です。でも、私ごときに仕事があるというのが、ありがたいことです。がんばってやります。死闘(デスマッチ)ならぬ、デスマーチ(死闘の3月)になりそうです。あれっ、マーチって3月だっけ。
  3. 3月8日(土)の「朝日新聞」の「ひと」欄に若松孝二さんが出てました。「実録・連合赤軍」がベルリン映画祭で2賞を受けたのです。「次は社会党委員長を刺した山口二矢が題材だ」とはっきり言ってます。「鈴木さんの言ってたことは本当だったんですね」と記事を送ってくれた人は言ってました。朝日を見て初めて信用したのか。まいるなー。私の言ってることは全て本当ですよ。
  4. 3月9日(日)「土方巽生誕80年記念」の舞踏と鼎談を見に行ってきた。三島の写真を撮った細江英公さんも出ていた。東京都庭園美術館ホールで。
【お知らせ】
  1. 3月15日(土)この日から若松孝二監督の「実録・連合赤軍」が上映です。テアトル新宿他です。ぜひ見て下さい。
  2. 3月17日(月)7時、一水会フォーラム。講師は宮本雅史氏(産経新聞社会部編集委員)。「戦後60年余、日本人が忘れてきたもの=特攻精神にみる自己犠牲の精神=」
  3. 3月21日(金)木村三浩氏の出版記念会。
  4. 3月24日(月)7:30 阿佐ヶ谷ロフト。康芳夫さんが映画「家畜人ヤプー」を作るそうです。それを記念してのトークです。「暗黒プロデューサー・康芳夫の世界」です。康さんの他、高取英さん(月蝕歌劇団主宰者)など。私も出ます。
  5. 4月3日(木)7:30p.m.新宿のロフトプラスワン。映画「靖国」の公開記念トーク。私も出ます。
  6. 4月7日(月)阿佐ヶ谷ロフト。藤井誠二、竹富健治さん、そして私。
  7. 4月9日(水)岩波ブックレット『使える9条』(800円)発売。私も書いてます。
  8. あの衝撃の舞台、「天皇ごっこ」が再び帰ってきます。何と今度は阿佐ヶ谷ロフトで。4月12日(土)、13日(日)の2日間です。終わって高木尋士さんのトークがあります。切通理作さん、そして私が出ます。詳しくは又、お知らせします。