〈責任者〉探しが始まっている。〈悪役〉探しが始まっている。映画「靖国」の上映をつぶしたのは一体、誰だったのか、と。「火をつけた週刊誌が悪い」「事前検閲を要求した国会議員が悪い」「右翼が悪い」「いや、こんなことですぐ中止した映画館が悪い」「“時代の空気”が犯人だ」…と。
でも、誰も責任を感じてない。「いや自分たちは文化庁が750万出すことに疑問を呈しただけだ。上映中止しろなんて一言もいってない」と週刊誌や国会議員は言う。「街宣は表現の自由だ。他に〈発言の場〉はない」と街宣をかけた右翼は言う。「時代の空気」だって、「何も私のせいじゃない。お前たち人間がやったことだろう」と反論する。皆、「責任転嫁」に必死だ。「自分は問題を指摘し、表現の自由を行使しただけだ」と。
だらしがない。情けない。皆、〈責任〉はあるだろう。少しでも「責任がある」と言ったら、そこだけにドッと批判が集中すると思ってるのか。それが怖いのか。
私は自分の責任を感じる。痛切に感じる。はっきり言おう。この問題は全て、私の責任だ。申し訳ない。私に力がなかったばかりに、こんなことになってしまった。お詫びしたい。
「全国5館で中止です」と映画配給会社から電話があった時、私は絶句した。涙が出た。悔しかった。その涙は、他人を責めるものではない。不甲斐ない自分に対して責める涙だった。40年も右翼運動をやってきて、右翼の人を説得できなかった。自分の気持ちを分かってもらえなかった。「いくらでも反論し、右翼の意見を言う場をつくる。だから事前に街宣をかけて、つぶすのはやめてくれ」と言ってきたが、私には説得力がなかった。「反日め!」「左翼かぶれめ!」と思われているからだ。全く、人徳がないし、発言権がないからだ。
又、週刊誌に対しても、「何を書いてもいい。でも、不必要に右翼を煽らないでくれ」と言った。「じゃ、“言論の自由”への干渉ではないか」と言われ、その言葉は撤回した。情けない。確かに、何を書いても自由だ。記事を見て、「煽ってる」と思い、行動する人間が悪い。つまり、これは私も含めて、「右翼の問題」だ。「それは、そっちが解決することだろう」と言われたら、一言もない。
又、国会議員だって、「750万を出すのはいかがか」と疑問を持った。それだけだ。だから、映画を見せろと言った。しかし、「中止しろ」とは一言も言ってない。それなのに、「右翼が騒いだから中止になった」と言う。「こんな右翼を止められないお前の責任だ」と言われたら、私も反論できない。私のせいだ。
「映画館が怖がっているなら私が話に行きます」と配給会社の人に言った。でも出来なかった。行っても、かえってマイナスだったろう。「そんなに大変なことか」「そんなに危ないことか」と、映画館はさらに恐れる。
「2回位の街宣で上映を中止するとは情けない」と叩いていた新聞もあった。しかし、それは違う。マスコミや思想運動をしている人は、それなりの覚悟がある。あって当然だ。だが、その「覚悟」を他人に強制することは間違っている。(愛国心の問題と同じだ。個人が内心で持てばいい。他人に強制したら嘘になる)。
普通の人は、「右翼」と一生、縁はない。右翼に怒鳴られたり、街宣をかけられたりすることもない。「右翼」は怖い。その怖い右翼の街宣車が映画館に来たのだ。又、電話が来たのだ。それで、恐怖に震える。パニックになる。電話を取った人も、街宣を受けた人も同じだ。それが普通の日本人の、普通の反応だ。
「右翼を怖がるな!」「毅然として対応しろ!」と言っても無理だ。
私はそんな「恐怖」を取り除こうと、必死で頑張ってきたつもりだ、40年間。右翼にも「発言の場」を与え、そのことで、「街宣車攻撃」をやめてもらおうとしてきた。しかし、無力だった。だから、映画館がパニックになり中止したのは、全て私のせいだ。私一人の責任だ。だから、私を攻撃してほしい。
私は、この映画を見て、素晴らしい映画だと思った。だから映画のチラシにも「推薦文」を書いた。それだけの覚悟を持って書いた。そして、配給会社の人に言った。右翼が攻撃してきたら、「同じ右翼の鈴木が推薦してるじゃないか。文句があるなら鈴木のところへ行け。鈴木をやっつけろ!鈴木を殺せ!」と。そう言ったらいい。私を突き出せ。私はいつでも「人身御供」になる。そう言った。
4月3日(木)にロフトで集会をやった時も、はっきりとそう公言した。チラシに私の名前を載せてくれたのも、少しは「防波堤になれば」と思ったのかもしれない。しかし、全く「防波堤」にはならなかった。かえって右翼の怒りの火に油を注いだ。だから今回の事件は不甲斐ない私のせいだ。
それと、お詫びついでに、これも言っておかなくてはならない。4月7日(月)に、TBSの「ニュース23」に出る予定です、と先週書いた。ところが出なかった。直前に私の出演が中止になったのだ。テレビに出た時は「出た後」で報告すればよかったんだ。誰が、いつ出るかは、流動的なのだ。テレビ局にも都合がある。それなのに、〈決まった事実〉のように書いた私が悪かったのだ。申し訳ありません。私のせいです。
それと、同じ4月7日(月)に出た「週刊朝日」のことだ。「取材されたので、コメントが載るでしょう」と書いた。でも出てなかった。私のコメントがつまらなかったからだ。記者は何十人にも会って取材する。どれを取りどれを外すかは記者の判断だ。又、記者が書いてもデスクが削ることもある。「せっかく時間をとってもらいながら、載せられなくて申し訳ありませんでした」と記者から、丁寧なお詫びの手紙をもらった。恐縮している。
私が悪いのだ。さも決まったかのように書いた私のせいだ。それで「週刊朝日」を買った人もいるだろう。週刊誌代を私が弁償します。言って下さい。
「わざわざ時間をとって話したんだろう。抗議しろよ」というライターもいる。しかし、それは違う。一般のライターなら出来る。でも、私は出来ない。「ほら見ろ、右翼だからすぐに抗議するんだろう」と思われる。「右翼の原罪」だ。私は全く気にしてない。いや、そんなことで、TBS、週刊朝日の関係者に気をつかわせ、迷惑をかけた。申し訳ないと思っている。
そうだ。TBSについては、むしろ、「大きな成果」があったと喜んでいるし、感謝している。街宣をかけた21才の青年を出してくれたからだ。
4月7日(月)は7:00から阿佐ケ谷ロフトで、「よりみちパン!セ」の著者の人たちとトークをした。『「悪いこと」したら、どうなるの?』の著者、藤井誠二さん、その漫画を描いた武富健治さん。『ついて行ったら、だまされる』を書いた多田文明さんだ。とても楽しかったし、勉強になった。前から会いたいと思い、話を聞きたいと思っていた人々だったので、嬉しかった。それに、『男子のための恋愛検定』『さびしさの授業』の2冊を書いてる伏見憲明さんも来てくれ、途中から壇上に上がってトークに参加してくれた。実は私は、伏見さんの本は、以前から読んでいた。勇気のある人だと思っていた。会って話したいと思っていた。でも、「右翼の原罪」がある。それで、ためらった。「右翼が私に何の用事があるの?抗議するの?」と思われちゃイヤだ。右翼なんだから、「人に会いたい」と思っちゃダメだろう、と自主規制していた。自粛していた。
でも、「鈴木さんの本を読んで、ぜひ会いたいと思った」と伏見さんは来てくれた。ありがたい。武富さんも、多田文明さんも、そうだ。「右翼」への偏見もなく、快く会ってくれた。ありがたかった。藤井さんは前から知り合いだ。
前にこんなことがあった。自分なりに興味を持って、「この人に会いたい」「対談したい」と言う。でも、「右翼なんかと嫌だ」と断わられることが多かった。「右翼なんかと同席できるか」と露骨に言われたこともある。又、パーティなどで、いろんな人に紹介してもらう。ありがたい。でも、「この人が鈴木さん」と言うと、知らない人は、「はあ」と言って名刺を出そうとする。紹介する人が、「ほら、右翼の人で…」と言うと、その瞬間、相手の顔色がサーッと変わる。「なんでこんな奴を紹介するんだ!」と目が言っている。「すみません。名刺がなくて」と名刺も出さない。
そんなことが何十回とあった。だから、人に「紹介してくれ」と頼んだら迷惑だなと思った。私は生きているだけで罪なんだ。申し訳ない。
そんな事ばかりあったので、ロフトの出会いは嬉しかった。「右翼なんか一生会いたくねえよ」と普通の人は皆、思ってるはずなのに、会ってくれた。「前から会いたいと思ってました」と言われた。人の情に泣いた。パンセの清水さんが司会してくれた。実に楽しかった。
7時半から11時半までやって、そのあと、打ち上げで、夜中の2時半まで飲んだ。楽しかった。
ところが、実はこの日は10時20分で中座する予定だった。4月3日(木)に「靖国」問題でロフトに出た時、TBSの人が来ていて、「4月7日(月)のニュース23でこの問題をやる。出て下さい」と言われた。夜遅くならいいですよ、と言った。はじめに、自民党の稲田さんと森達也監督、そして私の3人でやるという。面白いと思った。特に、稲田さんは〈悪役〉にされている。かわいそうだ。私は同情している。稲田さんの心情を、きちんと聞くことも出来ると思った。ところが、稲田さんは断わった。
じゃ、「森さんと2人でやつて下さい」という。いいですよ、と言った。
稲田さんは、4月6日(日)の「サンデープロジェクト」にも出演を要請されたが断わった。スケジュールの都合がつかなかつたのだろう。でも、田原さんは「出るべきだ!」と怒っていた。「反論があるなら、電話ででも言ってくれ」と言っていた。でも、行ったら皆に糾弾される。それはいやだろう。
今からでも、私は稲田さんとは会いたい。「わしズム」で会ったことがあるし、穏和ないい人だ。静かに話せると思う。私は、同情してる。ところが「ニュース23」も断わった。残念だ。
それで、森さんと私のトークの予定だった。「ニュース23」のラストで対談だから、「ロフトを10時20分に出て下さい」という。だから、パンセの人にその旨、伝えておいた。中座して悪いが、こういうことだから、と。そしてこのHPにも書いた。
ところが、ロフトに行く直前にFAXがまた来た。「靖国」の李纓監督が中国から帰って急遽出演することになったから、申し訳ないが鈴木さんはいいです、と言う。
「それはよかった」と私は電話して言った。李監督なら、私なんかが出るよりも、ずっといい。
そして、この日は、(あとでビデオを見たが)李監督と森監督の話が中心だって。ただ、直前に断わって申し訳なかったと思ったのか、4月3日のロフトでのシーンが出ていた。私もちょっと出ていた。それと前に、みやま荘で取材されたシーンも出ていた。気を使ってもらって申し訳ないと思った。
この「ニュース23」で驚いたのは、映画「靖国」で映画館に街宣をかけた当事者の右翼が出ていたことだ。これには驚いた。TBSは偉い、と思った。
まだ、あどけなさが残る21才の青年だった。この映画は許せないと思い街宣車で行った、と言う。「自分たちには言論の場がない。街宣車しかない」と言っていた。その若者にTBSが連絡をとり、「言論の場」に上げた。TBSは偉い。この「靖国」騒動の中で、一番よかった。快挙だ。
「なんで抗議したのか」と聞かれ、「週刊誌などで反日映画だと言われてたから」と、彼ははっきり言っていた。そして、「映画は見てない」と言っていた。見てないが、週刊誌が「反日だ」というから、これは抗議しなくっちゃと思ったのだ。
「でも、見なかったんでしょう」とTBS。
「そうですね、キチンと見たかったですね」
「でも、あなたがつぶしたんですよ」とTBS。
これは凄い。TBSも勇気がある。「何だ、別に怖くないじゃないか」と思った人が多かっただろう。だったら、皆、そうすればよかったのだ。「街宣車で行くぞ!」と電話が来たら、テレビ局や新聞社が、映画館前でズラリと並んで待機する。1台でも来たら、周りを囲んで、質問をする。記者会見をしてもいい。記者に、「そんなヒマはない」とは言わせない。どうでもいいタレントが「付き合ってる」「別れた」「結婚する」といったこと位で何十人も待機し、張り込みし、本人をワッと取り囲み、マイクを付きつけているではないか。そんなに人数がいるんだ。その人間が皆、行ったらいい。芸能部門の人間だっていいよ。右翼は何も「嫌がらせ」や「妨害」の為に行ってるのではない。〈思想〉を訴えるために行っているのだ。だから、それを聞いたらいい。右翼は堂々と答えるだろう。右翼だって、街宣車で抗議するよりも、この方がその何倍も〈思想〉が伝わると思う。そう思ったら、街宣などやめる。
あるいは、中には、「ちょっと脅かしてやってみよう」と思う右翼がいたとしても、記者団に取り囲まれて、マイクを付きつけられるのでは、怖い。「そんなのは嫌だ」と逃げ帰るかもしれない。街宣車よりもマイクの方が怖いのかもしれない。
「コロンブスの卵」だ。「なんだ、ちゃんと話せるじゃないか」「別に怖がることはないよ」と思ったかもしれない。でも、今までどこもやらなかった。TBSが初めてやった。偉い。私の出演がキャンセルになったって恨まない。この右翼青年を取り上げてくれたことだけで嬉しい。どんどんと取り上げ、テレビにも、新聞にも出してもらいたい。
「抗議があったらテレビ局に言ってくれ。発言を取り上げる。だから、街宣をかけて、怖がらせるのはやめてくれ」と言えばいいのだ。街宣に比べ、テレビの方が何万倍も影響力がある。「言論の力」がある。それを知らせたらいい。
このTBSの番組は最近の騒ぎの中にあって、最大の〈快挙〉だった。ありがたいと思った。