ニイハオ。今、中国に来ています。日本の中国地方です。加古川です。あっ、加古川は関西でしたね。じゃ、岡山です。でも、成田から飛行機に乗りました。4時間も乗りました。だから、本物の中国です。北京です。木村三浩氏と、先週の水曜日(4月23日)から来ています。明後日、4月30日(水)帰国します。今、北京のホテルでパソコンに向かって打ってます。
別に北京オリンピック反対で来たわけじゃありません。私は北京オリンピックは大賛成で、ぜひ成功してほしいと思っています。今回も、オリンピック会場を見て回りました。聖火リレーも、妨害しないで、走らせてやれよ、と思います。聖火を守って走るランナーになりたいくらいです。ダライ・ラマさんも「実力で妨害するのはやめてほしい」と言ってるのだし。抗議するのなら、聖火のあとで、「チベット弾圧を許すな!」と書いた垂れ幕を持ち、こっちも別の「聖火」を持って走ったらいい。
北京には去年も来たな、と思いました。10月だ。あの時は3日ほど滞在しただけで、慌ただしく帰国した。中国の学者、評論家、政治家の人々と話をした。今回はそれを踏まえての訪問だ。続きだ。去年行った時は、「書かないでくれ」と言われたが、今回はちゃんと発表できるだろう。その〈成果〉も発表できるはずだ。
そうそう、去年は春にニューヨークに行ったな、と思い出した。そして、ノートパソコンで見たら、何と4月23日から30日までの8日間だ。今回の中国行きと全く同じ日程だ。驚きですね。偶然はないんです。いえいえ、神様のご配慮です。
では今回は、(先週約束したように)「靖国の乱」のことを書きましょう。右翼向けの試写会が行われ、大激論、大バトルが展開されました。当日の夜のニュースで放映されましたし、ネットでも動画配信され、次の日の新聞は全紙が大々的に報道しました。だから見た人は多いでしょう。
映画「靖国」の右翼向け試写会が行なわれたのはロフトプラスワンだ。靖国通りの新宿からちょっと中に入り、コマ劇場の向かいにあるライブハウスだ。4月18日(金)の2時から4時。その後、1時間ほど、壇上の「呼びかけ人」が感想を言い、客席の右翼からも活発な声があがった。全員が「許さん!」「つぶして当然だ!」というのかと思ったら、違う。「無視したらいい」「反日的じゃない」という声もあって、右翼の多様性が見られた。その意味でも画期的な試みだった。都内で活発な行動をする右翼人150人が見て、時には激しく、時には冷静に話す。映画に対する感想だけでなく、「今後の対応」「具体案」についても語る。それも、押しかけた80人のマスコミ人の前で、公開で、堂々と論議したのだ。右翼運動の大きな〈変化〉だと思う。これは、革命的なことだろう。後々、この「4月18日」は記念すべき日として残るだろう。
呼びかけ人の人は大変だったと思う。偉いと思う。それに、急遽この危ないイベントを引き受けてくれたロフトプラスワンの平野悠さんは勇気がある。偉い。日本にロフトがあってよかったと思った。
だって考えてみたらいい。「右翼にまず見せたい。それで試写と討論をやりたい」と言ったら、どこだって貸してくれる所はない。公会堂、区民センターは絶対に貸さない。ホテルを借りようとしても、貸さない。日教組の大会だって、断わった位だ。それも右翼の攻撃が怖いという理由で。その右翼が集会を開くんじゃ、その何百倍も怖い。じゃ、映画館を借りようとしても、貸さない。右翼が怖くて、映画「靖国」を中止したのだ。その怖い右翼が150人もまとめて来るのだ。震え上がって、貸すわけはない。
「上映すべきだ」と言った、新聞社、テレビ局のホールだって貸さない。この危急の時にあたり、「よし、うちが会場を貸そう」と言ってくれたのはロフトだけだ。日本広しといえども、ロフトしかなかったのだ。ロフトは偉い。本当に偉い。皆、「言論の自由を守れ!」と言うが、「安全圏」にいて言っているだけだ。身をもって「言論の自由」を守ったのはロフトだけじゃないか!これは立派だ。それと共に他のメディア、言論人があまりにも情けない。そんな日本の現状をはっきりと示したイベントだった。
さて、当日だ。午後1時半入場開始なので、その直前に行った。そしたら、入口に長蛇の列だ。主にマスコミ人だ。予約のある人しか入れないが、満員。それでもあきらめ切れず並んでいる。ロフトに入ったら、すでに右翼の人は全員席に着いている。150人以上だ。やがて、マスコミ人の入場が始まる。80人ほどだ。全マスコミが来た。ロフトは、全部で230人。ロフト始まって以来の超満員だ。
普通なら、食事や飲物をとってもらうのだが、この日は一切なし。そんなことをする余裕はない。ギューギュー詰めだから、テーブルもないし、店員も通れない。客は身動きも出来ない。
2時ちょっと前に大学教授の大原康男さんが「解説」をする。「見る前に先入観を与えたくない。まず見て判断してほしい。ただ、この映画に文化庁が750万円出している。それが是か非か、問題がある。又、映画に出ている刀鍛冶の人が当初出演依頼された時と、出来上がった映画とでは大きな隔たりがあって抗議している。他にも問題がある」と個人的見解を話し、2時間の上映になる。
映画の時は僕は関係者と控え室でテレビを見ていた。これで見るのは3回目だ。その間、ホンコンのテレビ局や日本の新聞、週刊誌の取材があったので受けた。そして、上映後の右翼大激論は直に見なくてはと思い、会場に入ってしっかりと見た。歴史的なイベントだ。画期的な出来事だ。私は「歴史」に立ち合った。歴史の大変動を自分の眼で見た。体感した。当日の様子は、私の文章よりも「朝日新聞」(4月19日付朝刊)の記事の方が正確だろう。それを紹介しながら、説明しよう。
「靖国を理解していない」
「反日的ではない」
〈右翼系団体が試写会。
150人鑑賞、賛否の意見)
と見出し。続いて…。
〈上映中止で話題の映画「靖国」をめぐり、主に右翼系団体の会員向けの試写会が18日、東京都新宿区のライブハウス「ロフトプラスワン」で開かれた。試写後、参加者らは「駄作」「労作」「靖国を理解していない」「反日と思えない」など賛否の意見を交わした。
主催者のロフトによると、全国から活動家ら150人が集まった。試写する機会を設けたいという右翼・民族派団体幹部らの要望や相談を受ける形で企画したという。呼びかけ人の一人、木村三浩・一水会代表は「右翼が上映を中止させたかのような間違った言われ方をされていたから」と説明した。
2時間の試写の間、会場は静寂そのもの。国会議員らが問題視した南京事件の写真を使ったシーンでも、何の声もあがらなかった)
ここは私も意外だった。「バカヤロー、日本人はこんなことやってねえぞ!」とか、「ニセ写真だ!」という声が上がると思った。激昂して壇上に上がり、スクリーンを切り裂く人間が出るかとも思った。「こんなもの見てられるか!」とスクリーンや映写機を壊す人が出るかもしれないと思った。しかし、杞憂だった。皆、実に紳士的だった。国会議員の試写会の方が、私語や、抗議の声が出たらしい。
勿論、不愉快なシーンはあったろう。でも、右翼の先輩達が苦労に苦労を重ね、こういう〈場〉をつくってくれたんだ。それを壊してはいけないと思ったのだ。その点は、国会議員よりも右翼の方が真面目だし、情に厚い。ずっと紳士的だ。「ハプニング」や、「何か」を期待して詰めかけた80人のマスコミ人も拍子抜けしたようだ。
それに、この映画はスクリーンを切りづらいな、と思った。僕は知り合いの右翼の人には、「スクリーンは切らないでくれ」と頼んでいた。スクリーンは150万円位する。高価だ。小さな映画館では保険にも入ってないし、(「右翼保険」なんてあるんだろうか)、切られたら、しばらくは映画は上映出来ない。だから、「映画館のスクリーンを切るのはやめてくれ。切りたかったら、ここ(ロフト)でやってくれ」と言った。まァ、冗談だが。冗談を真に受けて、本当に切ったら私が弁償する。5千円位だから、私が払う、と言った。
「そんな、これはスーパーで売ってるシーツじゃないんですから」と店長は言ってた。いやいや、シーツで通用するよ。それに、ロフトは毎日のように喧嘩はあるし、乱闘、流血騒ぎがある。壇上のゲストがコップを客に投げつけて怪我させたこともある。反対派が乱入して、壇上の人間を殴ったこともある。一本の脅迫電話に脅え、老革命家が、警察に電話して、警察を導入して、大騒ぎになったこともある。要するに、ロフトは「何でもあり」なのだ。「治外法権」だ。全共闘時代の大学と同じだ。中で乱闘、流血、リンチ…何でも自由だ。殺しさえしなければ、あとは何をやってもいい。そんなアナーキーな暴力空間が今も、ここロフトにだけはある。ロフトの店長も、覚悟を決めた。大暴動になり、乱闘、流血があるかもしれない。スクリーンだって切られてもいい。それだけの覚悟をもってやった。勇気のある男だ。ロフトの外には警察官が、何かあったら踏み込もうと待ち構えていた。
でも、右翼の人は冷静だ。紳士だ。誰もそんなことをする人はいない。それに、スクリーンは切りづらい。上映に苦労した先輩達に迷惑をかけてはならないと思う。もう一つ、「切るシーン」がないのだ。タイミングが合わないのだ。久しぶりに、「テロリストの眼」でこの映画を見て、そう思った。
たとえば、一般の映画館で上映したとして、そこに決意を固めた右翼が行くとする。やみくもに切るわけにはいかない。「一番ひどいシーン」を切らなくてはならない。昔、伊丹十三の映画を切った人間に実際に聞いた話だから本当だ。
衝動的に切るわけではない。ここで切ろうというシーンを見定めるために、最低一回は下見する。そして、時計を見、メモをとる。よし、36分40秒後のこのシーンで切ろう、と思う。そうでないと、ここはいいか、ここもやめとこうと思ってたら映画は終わっちゃう。下見で、きちんと時間を決め、「この人物がこの部屋に入ったシーン」で、壇上に駆け上がり、左から右に切る。…とシミュレーションをする。そして、2回目に見た時に実行した。
去年、ソクーロフ監督の「太陽」が上映された。昭和天皇を扱った映画だ。「不敬だ。許せん!」と思い、スクリーンを切ってやろうと思った人が何人かいた。下見をした。どこで切ろうかと考えた。メモをつけ、時計を見ながら、綿密に計算した。しかし、「切りかかるタイミング」がつかめない。だって、どのシーンにも天皇が出てくる。役者が演じた天皇だが、でも天皇だ。いくら何でも天皇を切るわけにはいかない。じゃ、マッカーサーが出てる時に切ろうと思ったら、場面の切りかえが早いから次は天皇が出る。皇后が出る。これではやれない。
それに、右翼は〈思想〉だ。スクリーンを切る行為だって〈思想的事件〉だ。何のためにやったか、言葉を発しなくてはならない。「天皇を冒涜している。こんな映画は許せない!」と短く「演説」する。名乗りを上げる。それで、壇上に上がり、スクリーンを切る。でも、ただの布ではない。すぐ後ろに堅い板がある。初めての人には切るのは大変だ。予行演習も出来ない。
名乗りを上げ、「なぜこの挙に出たか」を演説して、壇上に上がった時にはシーンはかわっている。又、天皇が出ている。だから、彼は、「切るタイミング」の取れない映画だと言っていた。そうなのか、「切る立場」で見たことがなかったので、その視点は新鮮だった。
では、映画「靖国」はどうか。そう思って、私は映画「靖国」を、今回はその「テロリストの視点」で見てみた。3回目にして、初めて、「阻止する側」に身を置いて見た。驚いた。やはり、スキがない。李監督、恐るべしと思った。だって2時間の映画のうち、ほとんどは、旧軍人や、軍服を着た若者、右翼、保守派の人々ばかりなのだ。それらの映像が延々と続く。まさか「靖国刀」をつくる老人を切るわけにいかない。向こうも刀のプロだ。逆に斬りかかってきて、斬り捨てられるだろう。いやいや、映画の人は、飛び出しはしないか。
じゃ、左翼の人が出てるシーンを切るか。でも、左翼が靖国神社に抗議してるシーンは下品だ。「こいつらは下品だ」と観客も思う。じゃ、こんなシーンは思う存分、見せてやればいい。じゃ、ラストの「南京虐殺」のシーンか。でも、何分の1秒かで、瞬間にかわる。昭和天皇が出てくる。バンザイを叫んでる日本兵が出てくる。英霊を迎える母親たちが出てくる。これじゃ、切りつけるシーンがない。「これはニセ写真だ。許せん!」と思って、切ったら、その瞬間、昭和天皇になっている。誤爆で天皇を切ったら、あまりに畏れ多い。
だから、「切れない」と思って、私は諦めた。いや、諦めたんじゃない。初めからそんな気はない。ただ、「テロリストの視点」から見ても、切れないと思ったのだ。では「朝日新聞」の続きだ。
〈試写後は、会場で活発な意見が交わされた。文化庁の公的助成は納得できず、「返還を求める訴訟を起こす」という声がでると、「我々も助成を受けて親靖国映画を作って反対すればいい」。「別になんということもない作品なのに、メディアが注目をあおった」との意見もあった。
同血社の河原博史会長は「個人としては、日本民族に根ざした信仰心を侮辱するものを感じた」としながら、「意義ある会だった。右翼が反社会的だというイメージは違う。だれもが(映画を)見もせず抗議するわけでもない。大事なのは表現者同士のガチンコ(勝負)。そういう意味では映画館が屈してしまったのは問題だと思う」と話した。一水会の鈴木邦男顧問は「試写会を開き、建設的な議論ができたのはいいことだ」と話した〉
「こんな映画は750万もかからない。350万で出来る」と言う人もいた。「我々の側が親靖国の映画をつくろう」と訴えたのは統一戦線義勇軍の針谷議長だ。いいことだ。大賛成だ。それで公的助成を受けたらいい。
ちょっと一言いっておきたい。「文化庁の助成」の問題だ。誰が、どういう基準で助成してるのか。過去、どんな映画に、どれだけ金が出ているのか。「靖国」は助成に値するのかどうか。それは冷静に論じたらいい。自民の稲田さんや、火をつけた「週刊新潮」も含めて、「その点だけ」に絞って論じる会をやってもいい。僕もぜひ出たい。
文化庁の公的助成は(年によってかわるが)年間2億円近いという。「靖国」には750万円だ。他は、どんなものに出してるのか。驚くことに、ほとんどが娯楽作品とアニメだ。こんなものは、黙っても人が見るんだ。わざわざ助成することはない。又、「靖国」のように問題になり、日本とは、歴史とは、靖国とは…と考えさせるような映画はほとんどない。逆に、日本人にものを考えさせないようにしている。アニメ、娯楽作品に大金を出している。
ものを考えない人間をつくる、という点では、こっちの方が、より「反日的」だともいえる。(「反日」という言葉は嫌いだが)。
それに、「靖国」のような骨太な、勇気あるドキュメンタリーは、ほとんどない。2億近い助成金の予算のうち、「半分はドキュメントに出す」と決めてもいい。あるいは「今年の予算は全て「靖国」にあげる」と言ってもいい。暴論を承知で私は問題提起している。そうした点も含め、「文化庁の公的助成」だけを冷静に論じる場をつくってほしい。これは、新聞、週刊誌、テレビにお願いしたい。
稲田さんたちも、そのことを問題にしたかったはずだ。でも、映画が中止になることによって、「公的助成を論じる機会」も失われてしまった。だから、一緒に上映運動をしよう。その上で、「公的助成が是か非か」を冷静に考えましょうよ。
ロフトでは、かなり激しくこの映画を攻撃する人もいた。「撮り方がアンフェアーだ」「許せない」「監督と対決させろ!」と。それはいい。監督も出てくるだろう。ただ、右翼が150人いるところに監督一人を呼びつけるのは失礼だ。人民裁判になる。こんな中国のやり方は右翼が最も嫌うところだろう。だから、雑誌かテレビで1対1で堂々とやってもらいたい。あるいは弁護士の集会や、言論人の集会に、右翼はたった一人で来てもらい、監督と対談してもらったらいい。右翼の人は皆、日本のために、たとえ一人でも闘うと覚悟している。一千万人といえども我、ゆかんと思っている。そんな〈場〉が与えられたら、喜んで行く。だから、言論人は「言論の自由」を守れ!と言ってるだけでなく、そうした〈場〉を積極的に作ってほしい。そうした〈場〉さえあれば、キチンと議論になるし、テロもなくなる。
「朝日新聞」(4月19日付)には、試写会を「見終えた活動家らの感想」が出ていた。4人の発言があった。
「通底するのは反靖国、反日の歴史観だ」
「東京大空襲を経験し、目頭が熱くなるほど心を打たれた。あまり反日的とは思わない」
「神道や靖国について事実誤認がある」
「反対派より民族派の方がしっかりした信念を持って拝観していると思ってもらえる面もある。見てもらうことが大事」
二番目の意見は民族革新会議の山口申さんが言ったのだ。体験者でなくては分からない貴重な証言、感想だ。「こんなに率直に自分の気持ちを言う人が右翼にいるのか」とマスコミの人も驚いていた。又、右翼人も、「そう思っても、敵を利するようなことは言っちゃいけない」と思っている。僕も昔はそうだった。「反日だ!」と決めつけたら、たとえ部分的にいいシーンがあっても、そう認めてはいけないと思っていた。その意味で山口さんの発言は、実に勇気ある発言だし、素晴らしいと思った。又、マスコミの「誤まてる右翼像」を正すことになったと思う。
四番目の意見は朱光会の阿形さんだ。冷静に見ている。先入観なしに見ている。「右翼の人も、キチンと公平に見てるんですね」と記者に言われた。〈右翼〉のイメージが変わった。これは嬉しい。
「いや、それでも許せない」と言う人もいる。「やはり上映させてはダメだ」と言う人もいる。「愚作だ」「駄作だ!」と言う人も多い。
しかし、それならなおのこと、全国民に見せたらいい。翌日は、「朝日」だけではない、他の新聞全てに右翼の発言が載っていた。「そうか、右翼はこんなことを言ってるのか」「右翼にも、いろんな考えがあるんだ」と初めて知った人も多いだろう。
その上で、国民が見たらいい。下らない愚作だ、反日だと国民が思ったら、「やっぱり、右翼の言う通りだった」と、右翼の評価は上がる。その方がずっといいだろう。
というわけで、ロフトでの上映会は大成功だったと思う。各新聞には右翼の人たちの意見も載ったし、マスコミ人も右翼を見直した。これは大きな成果だ。夕方5時で終わったが、そのままずっと夜までやってもいい…。と思った。でも、夜6時から大川興業のイベントが入ってたんだ。終わって帰ろうとしたら、大川興業の人たちが入って来た。「お久しぶりです」と江頭さんに声をがけられたので一緒に写真を撮った。平野店長に紹介したら、「あっ、なんとか90分!」。アバウトなことを言う店長だ。「ゲバゲバ90分」じゃないんだから。
僕は長い間、街宣活動をやってきましたし、その中で勉強し、鍛えられたと思います。一水会でも毎週新宿で街宣をやってます。街宣の重要性と必要性は十分に認識しています。むしろ、警察は規制しないで、もっともっと自由にやらせるべきだし、駅のロータリーには「街宣車優先ゾーンをつくれ!」と言ってきました。チラシ配り、ビラ貼りも規制せず、自由にやらせろと主張してきました。街宣のスタイルや方法論については意見を言ってますが、街宣そのものを否定したことはありませんし、街宣をやってる人を「はね上がりだ」などと誹謗したこともありません。私の発言が間違って、そのように報道されたのであれば申し訳ないと思います。誤解を招くような話し方をした僕が悪いのです。愛国者の皆様には本当にご迷惑をおかけして、お詫びいたします。又、なぜそのような報道になったのかもいろいろ調べて、報告させて頂きます。生命をかけて愛国運動をされている愛国者の方々に心からお詫びいたします。
鈴木邦男