天安門でコスプレしました。店の人に服を着せてもらい、パイプも手渡されました。アヘンです。昔、実際に使用されていたパイプです。もう、アヘンは残ってないはずなのに、吸ったら酔いました。歴史を吸い、歴史に酔ったのでせう。
成田に帰国したら、麻薬犬に嗅ぎ回られました。脅えました。私は無罪なのに。ともかく、コスプレの写真から紹介しました。「まるでキョンキョンだね」と言われました。キョンシーの間違いじゃないでせうか。まあ、どっちでも同じか。25年前に中国に行った時はこんなコスプレ店はありませんでした。中国の自由化の現われでしょう。いいことです。オリンピックも成功してほしいです。
4月23日(水)から30日(水)まで8日間、中国・北朝鮮に行ってきました。今回はそのレポートの第3弾です。24(木)〜28(月)の5泊は北朝鮮ですが、その前後の23(水)と29(火)の2泊は北京でした。29日(火)は時間があったので、天安門広場に行きました。広大な所です。ダダッ広いです。ここで幾多の歴史的儀式があり、歴史的事件がありました。天安門事件もそうです。まさに歴史的広場です。
天安門には、毛沢東さんの大きな肖像が掲げられています。でも、ここだけです。他は、どこにもありません。かつては、国中どこにでもありました。
天安門では国のトップが居並び、人民に手を振ってました。そんなニュース映画を見た人も多いでしょう。だから一般の人は登ることは出来ませんでした。゛ても今は出来ます。入場料を払えば登れます。今やここは中国の貴重な観光資源です。世界中から観光客が来ますし、来たら、天安門と万里の長城は最大の観光スポットなんです。
毛沢東さんが手を振ったのは一番手前(広場前)の門です。城壁です。そのすぐ後ろの門で、このコスプレ屋やみやげ物店があります。さらに、その後ろが故宮博物院です。その全体を紫禁城といいます。故宮博物院からは、蒋介石さんが、ここの中の、いいものをゴッソリ持ち出して台湾に渡りました。だから、台湾にも故宮博物院があります。私は両方とも見ました。ルーブル、MOMA、大英博物館、と世界の美術館・博物館は結構、見ています。子供の頃、絵がうまくて、「東北のゴッホ」といわれてたからです。今だって、絵描きになる夢は捨てていません。
北京では初めて地下鉄に乗りました。大阪の地下鉄と同じです(「日本の」といわないところがミソですね)。人が大勢います。驚くことに携帯で電話してる人も多くいます。こんな地下なのに、こんなに騒音が大きいのに。そのうち隣りにいた木村氏の携帯も鳴ります。東京からのようです。「今、鈴木さんと一緒だから替わります」。新宿のフィポナッチとかいうスナックのママさんらしい。「どうせ聞こえないからいいよ」と言ったけど、無理に押しつけられた。ビックリした。ハッキリと聞こえる。東京よりも明瞭だ。
「北京にいるなんて嘘でしょう。こんなにハッキリ聞こえるんだから!」とママさんは怒鳴っている。「勿論、嘘ですよ。今、新宿の中村屋でコーヒーを飲んでます」と話を合わせてあげた。東北人の優しさというか、気配りだ。
北京はどこでも電話が聞こえる。うるさい地下鉄でも、飲み屋でも。現地の記者が教えてくれた。その秘密を。実は、電波がとてつもなく強いんだという。日本や他の国では、脳への悪影響を考えて、電波を弱くしている。しかし、中国では目一杯、強くしてるという。だから、どんな所にいても、はっきりと聞こえる。東京からだろうと、アフリカからだろうと、はっきり聞こえる。途中で切れることもない。凄い。人間の健康よりも、まず利便性なのだ。「だから2年位、中国にいると、かなり脳がやられる」と言う。ホントなのかな。じゃ、そのうち、健康のために突如、携帯を禁止にするかもしれない。あるいは、「健康のため携帯のかけ過ぎにはご注意下さい」と注意書きが入るかもしれない。だって、社会主義の国なんだ。人民は大切にしなくっちゃ。北朝鮮なんて、携帯は一切、禁止だよ。静かでいい。社会主義国はこうでなくっちゃ。
さて、北朝鮮の話だ。「よど号」の話だ。残念ながら、今回は会えなかった。近いうちに又、行く。その時は必ず会える。そうだ。5月14日(水)若松孝二監督から電話がかかってきた。
「きのう帰ってきたばかりだよ」と言っていた。若松監督も北朝鮮に行ってきたのだ。あるグループと一緒に。映画「実録・連合赤軍事件」を持って行って、「よど号」の人たちに見せたという。皆、感動し、喜んでいたという。そりゃそうだろう。「よど号」ハイジャック事件(1970年)、連赤事件(1972年)…と、激動の時代だ。連赤から36年。ハイジャックから38年になる。もうすぐ40周年だ。
若松さんは、さらに言う。「鈴木さんのブログ読んだよ。俺も同じ感想を持ったよ。その上で、北朝鮮問題について、もっとじっくり話し合おうよ。ロフトでもいいから」と言っていた。いいですね。「よど号」の人たちの反応も聞きたいし、どんな話をしてきたのかも聞きたい。だから、近々、ロフトでやることになるだろう。
「よど号」ハイジャックから38年。「よど号」グループも正念場を迎えている。当時のメンバーは、9人のうち、4人が死亡した。田宮、吉田、岡本、田中氏だ。そして、1人は日本に帰り、出獄して自由の身になっている。北朝鮮に残っているのは4人だ。何とか日本に帰ろうとしている。
5月11日(日)、「かりの会」の総会に呼ばれて参加した。「よど号」グループの帰国を促進し、支援する会だ。そこで私も「訪朝」の報告をした。そして、「よど号」問題についても、衝撃的な話をした。「よど号」グループや家族、支援者が聞いたら、「とんでもない!」「許せない!」と叱られると思った。しかし、すでに5月7日(水)の「訪朝記者会見」の時も報告したことなので。「かりの会」だけ黙っていたら、場所によって言ってることが変わってると思われちゃう。それで、どちらでも同じことを報告した。
実は、5月7日(水)の「記者会見」の時も、言うつもりはなかった。いや、向こうの話の内容をどこまで言ったらいいのか分からなかった。だから、隣りにいた木村三浩氏に小声で聞いた。「『よど号』の件は公表していいの?」と。「いいですよ。どうぞ」と言うので、思い切って喋った。そして、5月11日(日)の「かりの会」でも喋ったのだ。では、その内容だ。
北朝鮮での党幹部との会談は4月24(木)〜28(月)の5日間、じっくりやった。そして最後の日、「よど号」の話をした。1970年3月31日、「よど号」をハイジャックした9人の赤軍派の学生(1人は高校生)は、北朝鮮に降り立つ。「亡命」だといって。しかし、本心は、「金日成をオルグして世界革命に立ち上がらせる」などと豪語してたのだ。又、北朝鮮で軍事訓練を受けて、半年後、日本に攻め上り、革命をやる!などとも言っていた。壮大というか、身のほど知らずの大言壮語だ。
それに、北朝鮮には勝手にやってきたのだ。「冗談じゃない。そんな奴は叩き返せ!」といって追い払ってもいい。あるいは国内の刑務所に入れてもいい。まあ、何をされても仕方ないということだ。それだけの事をしたのだ。
でも北朝鮮は快く受け入れてくれた。そして厚遇してくれた。飢餓で国民の多くが苦しみ、餓死者が出た時でも彼らを厚遇してくれた。この好意はありがたい。「日本人を代表し、お礼をいいたい」と私は礼を言いました。
北朝鮮は、彼らが日本に帰りたいのなら帰そうと努力した。日本政府と何度も交渉したようだ。日本に帰り、1,2年刑務所に入り、それで自由になるのなら、帰そうと思った。しかし、日本政府はかたくななで、「法に則って厳正に処罰する」という。田中義三さんは12年の刑を受け、受刑中に亡くなった。北朝鮮にいる人はもっと重くなる可能性がある。さらに、国民の裁判員制度が始まったら、もっと重くなる。嫌な話だが、「人民裁判」になる。そうしたら、15年どころか、20年、無期といった重刑が課せられるかもしれない。
「それでも帰りたい」と「よど号」グループは思っているらしい。初めのうちは、「無罪帰国」などと景気のいいことを言っていた。「帰ってやるが、罪は問うな」というのだ。そのあとは、「帰って裁判を受けるが、在宅でやれ」とか、いろいろ言っていた。日本政府や政治家に「よど号」グループ自身も手紙を出して「交渉」したらしい。しかし、相手にされない。勝手なことを言うな、と思われたらしい。
国交回復をしたら、「超法規的措置」で彼らを「無罪帰国」させてもいいだろう。と私は思っている。「恩赦」という形でもいい。かつて日本赤軍はハイジャックして、日本の獄中にいる仲間を釈放させた。それに比べたら、こっちの方がずっと簡単なはずだ。やってやれよと思う。
それにもう38年も経ったのだ。いいだろう。殺人だって、15年経ったら時効だ。今は時効が25年になったのか。とっくに経っている。又、人は一人も殺してない。一人も傷つけていない。それどころか、「人質」になった人は、皆、元気で、かえって長生きだ。お医者さんの日野原重明さんは今、91才かな。マスコミにもよく出ているし、本も随分と出している。あの事件の「人質」だった人だ。ハイジャック事件に遭うまでは体が弱くて、「60才まで生きない」といわれていた。ところが、「人質」になり、助かった。「これからは死んだと思って生きよう」と悟ったら、元気になり、90過ぎの今も元気だ。毎日のように全国を講演し、階段だって二段ずつ上っている。私なんかよりも元気だ。
ハイジャックの「犯人」側は9人のうち4人が死亡している。機長だった石田さんも死んだ。「身代り」を申し出た山村元議員も死んだ。しかし、日野原さんを初め「人質」の人は皆、元気だ。「あの時、死んだと思えば、あとはおまけだ」と悟ったからだ。かえって元気になっている。たまに、あの事件がテレビで取り上げられる。証言する「人質」は元気で若い。スチュワーデスだって、今は65才位のはずだが、皆、30代にしか見えない。「死ぬかもしれない」というショックを受けると、脳細胞も活性化し、お肌も若返るのだろう。
だから、「よど号」グループは「人助け」をしてるのだ。「超法規的措置」で帰してやれよ、と思う。私が首相なら、決断するね。
それに「時効」の話だ。殺人でも時効は25年だ。ただし海外に逃げた場合は、「時効は停止する」。つまり、海外に行ったら、何十年逃げても、「時効」はないのだ。でも、昔は、海外といえば、捜査も及ばないし、情報もない。そういう時代に作られた法律だ。古い。「これは時代にそぐわない」という声もある。実際、タイなど、いくつかの国では、海外に逃げても、時効は停止しない。この方が進んだ法解釈だと思う。こちらの方が今は増えているという。詳しいことは弁護士さんにでも聞いてみよう。
でもこうした法の進歩には日本は全く逆行している。どんどん刑を重くしろ、死刑にしろ、といった風潮だ。こんなに犯罪が多いんだ。もっと刑罰を重くしろ。小さな罪でも見逃すな、少年でも許すな…という感じだ。「死刑廃止」とか、「国外での時効の見直し」など冷静に議論できる風潮ではない。嫌な話だ。
私は田中義三さんの裁判の時、弁護側の「証人」として呼ばれ、証言をした。「私なんかでいいの?」と聞いた。だって長年、運動を共にしていた同志は沢山いる。私なんて、学生時代は敵対していた右翼学生だ。「いや、だからこそいいんです」と弁護士さんは言う。それで、考えの違う二人が「民族主義」について話し合い、一致する点が多かった、という話をした。立場、考えが違っても理解し合えるし、又、〈人間〉として田中さんが好きになった。出てきたら、一緒に新しい運動をしたい、とも言った。
又、田中さんほど、この日本を愛し、考えている人はいない。又、たった一人で何万人分もの〈体験〉をしている。こんな貴重な体験を持った人をこれから長く刑務所に閉じ込めるなんて、「国家の損失だ!」と言った。こうした人材を生かすべきだ。それが、〈国益〉に適うことでもある。そのことを強く主張した。
明治政府ならば、決断しただろう。私と同じことを考えるはずだ。
だって、明治政府に最後まで徹底抗戦した榎本武揚、大島圭介は捕らえられたが、しばらく獄に入れた後、釈放し、何と明治政府の高官として登用している。死刑が当然と思われていたのに、その才能を惜しんで、明治政府は活用したのだ。凄いことだ。
それに比べたら、「よど号」の人たちは国家に反逆し、戦争をしたり、人を殺したわけではない。むしろ、ベトナム戦争をはじめアメリカの言いなりだった政府にかわって、アメリカと戦った勇気ある人々だ。反米闘争を戦った英雄だ。人を殺さないどころか、「人助け」までしている。釈放してやれよ。そして、外務省の役人にでもしてやったらいい。ついでに重信房子さんも釈放し、アラブ大使にしたらいい。アラブでは重信さんは英雄だ。日本のアラブ外交もこれでうまくいく。
でも、日本政府はやらないだろう。明治政府とは違う。政治家も、テレビに出て、人気をとることしか考えていない。バラエティ番組の(政治部門の)タレントだよ。情けない。
そんな政治家や、マスコミや国民を相手に、いくら正論を言っても、誰も聞く耳を持たない。特に、北朝鮮問題、「よど号」問題についてはそうだ。冷静な議論が出来ない。狂的な空気ばかりだ。
だから、北朝鮮の党幹部との話し合いの時、そうした日本の状況を説明した。北朝鮮当局の努力には感謝するが、「無罪帰国」「軽い刑での帰国」は無理だと言った。又、「よど号」グループの〈望郷の念〉は分かるが、それは〈甘え〉だと言った。彼らには失礼だが、そう言った。日本に帰り15年か20年の刑を科されても、それでも帰りたいのか。護送車の中からでもチラッと懐かしい日本の風景を見たいのか。日本の山河を見たいのか。気持ちは分かるが、〈甘え〉だ。
帰ってきたら、隔離され、連絡もとれない。そして、マスコミを初め右派、保守派の「バッシングの嵐」だ。そんな日本に帰りたいのか。
だから私は「よど号」グループに言いたい。そんな日本への未練は捨てろ!日本の国籍も捨てろ。もともと、世界革命をやろうとして北朝鮮に行ったのではないか。それなのに、「日本人」という小さな枠にしがみついている。情けない。そんなものは捨てろ。国際人になれ。でも、具体的に国際人という国籍はない。だったら、朝鮮人になれ。日本国籍を捨てて、朝鮮に帰化しろ!
そして、数年後に国交が回復したら、「北朝鮮」の大使や外交官として日本に来たらいい。北朝鮮外務省の役員でもいい。「あれっ、よど号の人と似てるな?」と言われても、「いえ、立派な朝鮮人です」と言ったらいい。大使ならば、入国時の荷物検査もないし、指紋も調べられない。記者会見して、「日本は大好きな国です。まるで〈前世〉で住んでいたような錯覚をおぼえます。デジャヴでしょうか」とでも言ったらいい。
この話を私は北朝鮮の党幹部の前で言った。私も勇気がある。こんなことを言うなんて。でも、正直なところ、笑い飛ばされるかなと思った。「荒唐無稽だ!」と叱られるかと思った。あるいは無視されるか。日本の政治家なら間違いなくそうだ。しかし、向こうの幹部は違った。スケールが大きいと思った。笑わない。真剣に聞いてくれた。そして、「それはなかなかいいアイデアだ」と言った。「実現性もある」と言う。エッと思った。私は自分で言いながらも、「でも無理かな。夢物語かな」と思った。しかし、党幹部は、「いや、出来るかもしれない」と言う。「しかし、我々から彼らには言えない」と言う。つまり、「よど号」グループに対し、「日本国籍を捨てろ」とは言えない。そういうことだ。なるるほどと思った。「よど号」の人々は愛国者だ。日本人であることに誇りを持っている。日本人と結婚し子供が出来ると、「日本がいかに素晴らしいか」を子供に教えている。立派だ。その教えたことをまとめて〈教科書〉にしてもいい。
ともかく、「誇りある日本人」に対し、「日本人を捨てろ。朝鮮人になれ」とは言えないと党幹部は言うのだ。確かに、言う通りだ。「よど号」グループの自主性を大切にしている。「ああしろ、こうしろ」と命令は出来ないという。党幹部の温かい配慮を感じた。思わず涙ぐんだ。お礼を言い、そしてキッパリと言った。
「分かりました。私が説得します!」
これが訪朝時の最後の夜の会談だった。だから、又、行くことになる。拉致問題、国交回復、日本人遺骨の収集問題…難問が山積みだ。しかし、確かな〈手応え〉は感じた。これで歴史は動くと思った。 最後に、蛇足ながら付け加えておこう。亡命や、あるいは警察に追われて、その国を離れた人間が、別の国の国籍を取って帰国するという話は、決して荒唐無稽な話ではない。歴史上にもいくらでもあることだ。これは歴史学者や新聞記者に聞いて、確証を得ている。決して、「その場の思いつき」だけでものを言ってるのではない。「どうせ鈴木の言ってることだから…」と思われては困る。真面目にやる時はやる。