2008/05/26 鈴木邦男

チベットに行ってきました!

①中国を孤立させてはいけません

(左から)ペマ・ギャルポさん、長島昭久さん、鈴木(木村氏出版記念会3/21)

 チベットに行ってきました。中国のチベット弾圧、虐殺は許せないと思ったからです。チベット独立を私も断固として支持します。チベット独立を認めたら他の少数民族も次々と独立して収拾がつかなくなると中国は心配してるのでしょう。それでは大国・中国の威信が保てないと思っているのでしょう。
 しかし、次々と続くわけではありません。数千人単位の少数民族が多いのですし、それらの民族が全て独立し、「国家」をつくれるわけではありません。大きなところが2つか3つ、続いてもいいじゃないですか。独立を認めてやったらいい。ソ連邦が崩壊し、今まで連邦の中にあった国々が独立しました。東欧の国々も民主化した。でも、それでロシアも再生できたのです。一時的な混乱があり、不安もあったでしょうが、再びアメリカと並ぶ強国に再生できたのです。
 中国だって、そのロシアを見習ったらいいのです。大国・中国の面子もあるでしょうが、チベットは独立させ、その上で対等の関係を作った方が、両国ともプラスです。経済的にもいいし、「さすがは中国だ」と国際的評価も上がります。胡錦涛さんに会えたら、私はそう提言しますね。いや、私に言われなくても、中国だってそう考えているはずです。薄々と。

 ただ、オリンピックの直前の大変な時に、このあわただしい時に、いきなり言い出さなくてもいいだろう。中国政府はそう思っているんです。オリンピックは今年の8月に始まります。ちょうど1年前に北京に行った時は、開会式をやる「鳥の巣」スタジアムはまだ建設中でした。今年の4月末に行った時も、まだ出来上がってはいません。ほとんど出来上がっているのですが、もうちょっとです。オリンピックまでもう3ヵ月しかありません。8月8日8時8分8秒に、北京オリンピックは開会します。八は末広がりです。世界平和のための競技です。政治のことは持ち込まずに、世界の人々が集い、仲良くしようという世界大のイベントです。
 「鳥の巣」城だけではありません。ホテルだって、マンションだって建設中です。道路だってまだ掘り返し、舗装しています。だから街中がホコリっぽくて大変です。こんな中で、マラソンする選手も大変です。「命が危ない」と出場辞退する選手もいます。

ダライ・ラマさん(正面)が見送りしてくれた

 又、最近は四川省の大地震です。「オリンピックなんかやっている場合か」と冷たく批判している新聞がありました。酷い話です。こんな時こそ、世界中が一致団結して中国を支援するべきです。中国を孤立させてはいけません。初め中国も、「海外の救援はいらない」と言ってたのに、一転受け入れました。「日本の救援に感謝する」という人々の声が日本大使館にどっと寄せられています。NHKで報道してました。「日本人への感謝の気持ちを伝えたい」と言ってます。
 こうした日中人民の交流がもっともっと盛んになれば、日中新時代もつくれます。「中国を許すな!」「北京オリンピックをボイコットせよ!」と大声で叫ぶだけでは何も解決はしません。オリンピックは世界全体の祭典です。皆で協力して成功させましょう。
 「でも、中国政府糾弾の為にチベットに行ったんだろう」と言われるかもしれません。確かにそうです。でも、ダライ・ラマさんは、「聖火の実力妨害はやめてくれ!」と言ってました。新聞にも出てました。武力でもってチベット独立を勝ち取ろうとは思っていないのです。これは、ご本人に会って聞いてきた話だから、本当です。

②ペマ・ギャルポさんの紹介で行ってきました

ダライ・ラマさんと

 話は変わって、今年の3月21日(金)です。木村三浩氏の出版記念会の時でした。民主党の長島昭久さん(衆議院議員)から声をかけられました。「初めまして」と挨拶しました。「初めてのような気がしませんね。鈴木さんの発言はよく聞いてるし、テレビでも見てますから」と長島さん。こちらにしてもそうです。長島さんは「太田総理」はじめ、テレビによく出ている。だから、いつも会ってるような気がした。  そこにペマ・ギャルポさんが来ました。チベット出身で、日本には長いし、大学の先生をしています。ダライ・ラマさんの最も信任の厚い人です。「鈴木さんとは昔からの知り合いなんですよ。立派な民族主義者です。チベット独立運動でも頑張っています」と私を長島さんに改めて紹介してくれた。チベット独立運動は支援しているが、私なんて非力で何もしていない。申し訳ない。
 「でも、この前、ペマさんの紹介でダライ・ラマさんに会ってきたんです」と長島さんに言いました。「エッ?本当ですか」と長島さんもビックリしてました。「世界のダライ・ラマさん」です。なかなか会えるものではありません。それも、直接会って、1時間もびっちりと話を聞いたんです。日本の政治家だって、なかなか出来ないでしょう。ペマ・ギャルポさんのお力添えがあったからです。
 「おかげで、ダライ・ラマさんにお会いできました。この体験は私の一生の宝です。本当にありがとうございました」とペマさんにお礼を言いました。

ダライ・ラマ猊下謁見記(レコンキスタ)

 そうです。あのダライ・ラマさんに会ってきたのです。「じゃ、北京から行ったのか?」と言われるでしょう。違います。北京からは今は入れません。無理して行っても、チベットにはダライ・ラマさんはいません。インドに亡命してるんです。インドの北部、ヒマラヤの麓のダラムサラに「チベット亡命政府」を作っているのです。だから、私らはそこに行ってきました。そしてダライ・ラマさんに会ってきました。
 インドのデリーまでは飛行機で行きます。そこから列車で2泊3日の長旅です。やっと、ダラムサラに着きます。そこから車で4時間。ダラムサラの山の上です。雪をいただいたヒマラヤの雄大な姿がまじかに迫ります。まさに〈聖地〉です。映画「未知との遭遇」では、UFOはここダラムサラに降ります。そして〈人間〉と初めて遭遇するのです。つまり、世界中が(いや、宇宙中が)認める聖地が、このダラムサラなのです。そこに「チベット亡命政府」があります。
 亡命政府ですから、「政府」です。チベットが独立し、チベットに戻れたら、この政府がそのまま、「チベット政府」として機能します。だから、首相も文部大臣も、国防大臣も、厚生大臣もいます。シャドー・キャビネットです。民主党の「影の内閣」のようです。民主党の長島さんとはそんな話もしました。民主党が天下を取ったら長島さんは何になるんでしょうか。文科大臣かな。いっそ、首相になったらいいのに。

 さて、ダラムサラという聖地です。聖地で聖人とお会いしたのです。「活仏」です。生き神様です。いや、生きた仏様です。よく知られているように、ダライ・ラマさんは「生まれかわり」で継承されます。親から子に継承されるのではありません。会議で決まるわけでもありません。最も修行をし、徳の高い人がなるわけでもありません。「生まれかわり」を探して、その人に、ダライ・ラマになってもらうのです。赤ん坊のうちに。でも、「生まれかわり」ですから前世でダライ・ラマだったわけです。その記憶もあります。それを高僧たちが試験し、調べるのです。全国の赤ん坊を探し歩き、調べるのだから大変です。
 ハリウッド映画にこんなのがありました。ダライ・ラマの「生まれかわり」を探したら、チベットにはいない。世界中探したら、アメリカにいた。白人だ。確かに前世の記憶もある。青い眼だし、金髪だ。でも、確かに、ダライ・ラマさんだ。そのあと、どうなったのか忘れましたが、面白い映画でした。宗教は国境も越えるのですから、それもあるでしょう。日本の子供になるかもしれません。そうしたらどうなるのでしょう。聞いてみようかな。

③ダライ・ラマさんに失礼な質問をしてしまいました

チベットの子供たちと(後列左が鈴木)

 でも、実際会ったダライ・ラマさんにそんな失礼なことは聞けません。もっぱら政治的なことを聞きました。ダライ・ラマさんは断言してました。「もし他国の力を借りるなら、2年で独立できます。確実にできます。しかし、それはやりたくなかったのです」と。
 ウーン、深い言葉だと思いました。暴力でもって打ち建てたものは暴力でもって奪いとられる。そのことを知っているのです。だから、オリンピックの聖火だって、「実力で妨害するのはやめなさい」と言っているのです。その真心が通じたからこそ、中国政府との話し合いも始まっているのです。

 あれっ、ちょっと勘違いした。この「他国の力を借りて」というのは、元々は私達の質問に対してダライ・ラマさんが答えてくれたのだ。「他国の力を借りてでも独立を達成するという選択肢もあるのではないか」と私達のグループの誰かが質問した。考えてみたら失礼な質問だ。私だったかもしれない。でもダライ・ラマさんは嫌な顔もしないで答えてくれたのだ。
 「いや、それは違う。自由を求める我々の闘いを支援してくれるのは有難いが、独立はあくまでチベット人だけの力でやる。他国の軍事力を借りてやる気なら、2年もかからずに独立できる。しかし我々はメソッドよりも動機と結果を重視する」

 深い言葉だ。「剣によって立つものは剣によって滅ぶ」というキリストの言葉を思い起こさせた。2年で独立できるなら、(普通なら)その方を選ぶ。又、実際、そういう〈話〉〈提案〉が何度も何度もあったのだろう。
 今年の4月、「たかじんのそこまで言って委員会」に出た時、この話を紹介した。「ダライ・ラマさんは暴力には反対している。オリンピックの聖火を実力で妨害していることにも反対している。他国の力を借りてまで独立したくないと言った」と。その時、三宅さんに突っ込まれた。「他国の力って言ったけど、具体的にどこの国のことを言ってたの?」と。「それを聞かなかったの?」「聞きませんでした」「ダメじゃないか。産経新聞の記者だったんだろう?ジャーナリスト失格だよ」と言われた。
 確かにそう言われればそうだ。ジャーナリスト失格だ。でも、今思うと、聞き返せる雰囲気ではなかった。というよりも、そんな具体的な国名を聞いては失礼だと思ったのだ。アメリカだとか、ロシアだとか、そういう名が出るかもしれない。しかし、ダライ・ラマさんは宗教家だ。争いを好まない。その人に、具体的な国名をあげてもらうのは失礼だし、やってはいけないことだ。と心のブレーキが働いたのだ。だって、「中国に対し、アメリカは軍を出してあげるから戦争をしなさい。必ず独立できると言いました」なんて言えないでしょう。又、そんなことは(たとえあっても)、宗教家として言わないでしょう。
 でも、あの時、私にそんな「遠慮」が働いたのはその一瞬だけだった。一時間の会見の間、皆、自由に質問したし、中には失礼な質問、無礼な質問もあった。でも、ニコニコと笑いながら、ダライ・ラマさんは答える。

チベットの演劇を観る

 その時の写真も紹介しよう。本当に会ってきたのだという「証拠」にもなる。私は「ダライ・ラマ猊下謁見記」を「レコンキスタ」(一水会機関紙)に書いた。そこに載せた写真では、横向きで写っている。それと、話を終えて我々が帰るとき、わざわざ建物の外まで見送ってくれた。その時2枚ほど写真を撮った。もっともっと撮っておけばよかったが…。これも、「ジャーナリスト失格」だ。ダライ・ラマさんは顔の色艶もいいし、大きいし、若い。まるで40代前半にしか見えない。
 チベットの僧衣なのだろう。サリーのような衣服だ。片腕をグイと出している。写真ではそうは見えないが、実際、傍で見た感じでは、「太い」と思った。太い腕がある、と思った。声も張りがあるし、身体も大きい。偉丈夫だ。自信に満ちて話す。ユーモアもある。そして、グイと太い腕を出している。(失礼ながら)、プロレスラーのようだと思った。そんな印象があった。全く失礼な私だ。
 カメラも、もっとパチパチと撮ればよかった。だって、ダライ・ラマさんは言ってくれたんだ。(「カメラを撮っていいですか」という質問に答えて)。
 「どうぞ、どうぞ。我々は共に自由の為に闘っているんです。全てについて自由に行きましょう」  瞬間的にこういう答が返ってきた。凄いと思う。ペマ・ギャルポさんの力だろうと思った。ダライ・ラマさんが信頼するペマ・ギャルポさんの紹介で来た日本人だ。そう思ったから、忙しい中、こうして一時間も会ってくれたんだ。普通なら会わない。それに、世界中から高名な政治家、宗教家、マスコミが会いに来る。それらを全て断わっているのに、我々日本人のグループだけ、特別に会ってくれた。「奇跡」だ。

④「武士道の国・日本なら決然と立ち上がるでしょうが」とダライ・ラマさん

チベットの人々と(左から3人目が鈴木)

 我々は総勢12人ほどだ。「チベット独立運動」を支援する民族派の有志だ。ペマ・ギャルポさんに無理にお願いし、会わせてもらった。しかし、皆、勝手なことを言ってた。失礼なこともズバズバと聞いていた。だって、こんなことを言ってたのだ。「チベットのラマ教があまりにも平和的だから、中国軍にやられたのだ。もっと戦闘的にやるべきだった」なんて言ってる。又、自国のことは棚に上げて、「チベットには武士道的なものがない」などと言う。これを言ったのも私かな。いやいや、私ならこんな失礼なことは聞かない。
 それにしても、ダライ・ラマさんは偉い。全く動じない。こんな失礼な質問をしたら、「じゃ、日本はどうですか」「あなたは何をやったんですか」と、反問してもいい。あるいは、「もう帰りなさい」と言ってもいい。しかし、ダライ・ラマさんは、ニコニコと笑顔を絶やさずに答えてくれる。
 「武士道の国・日本なら同じ状況でも決然と立ち上がって武力で解決したでしょう。でも我々ではそうはいかない。中国とチベットでは余りに力の差が違う。
 だが、独立のためのゲリラ活動は続けているし、中国軍もそれが恐くて少人数では絶対に動かない。必ず大部隊で移動しています」

 ダラムサラは「亡命政府」だと言った。ダライ・ラマさんも元々はチベットに住んでいた。ところが、チベットに突如、中国軍が侵略してきて、120万人のチベット人が虐殺され、中国領にされた。  ダライ・ラマさんたちは山を越えてインドに亡命してきた。そしてヒマラヤの山地、ダラムサラに「亡命政府」をつくり、「小さな国家」をつくっている。政府の建物、学校、工場、広場などもある。「小さな国家」だが、本当の国家ではない。そこはインド国内だし、インド政府の支援を受けて「亡命政府」をつくっているのだ。だから、ダライ・ラマさんが住んでいる建物は屈強なインド兵が警備をしている。我々も入る時に厳重なチェックをされた。
 でも、厳重なのはここだけだ。それ以外は実に平和的な町だ。子供たちが歓声を上げて遊んでいる。学校も見学した。「このままここに残る」という人が3人ほどいた。ボランティアで子供たちに勉強を教えたりするのだ。アメリカ、ヨーロッパからも、そうした人が来て、ボランティア活動をしている。
 今は中国領になったチベットから脱出した人は多い。まとまって住んでいるのでは、このダラムサラが最大だ。他にも世界各地に散っている。ここ、ダラムサラの亡命政府を中心に、アメリカ、カナダ、スイスなど全世界のチベット難民と連絡を取りあっている。
 アメリカでは、リチャード・ギアなど映画俳優も中心になり、募金を呼びかけ支援活動をしている。その点、アメリカは凄い。日本では、皆、口だけは大声で言うが、内実がついて行かない。又、単なる「反中国」「反共」運動として利用している人もいる。でも、ダライ・ラマさんは、はっきり言っていた。
 「私達は中国の侵略・弾圧に対して闘っています。しかし、だからといって、私達のやっていることは“反共運動”ではない。民族の独立運動はイデオロギーと関係ありません」…と。
 これも深い言葉だ。今回の旅は、ペマ・ギャルポさんにお願いして実現した。「日本・チベット文化協会」が主催し、高橋尚樹氏がリーダーで行った。

チベット亡命政府の大臣と

 ダラムサラには5日間ほどいた。寺院、学校、工場を見学し、演劇を見た。向こうの文部大臣、防衛大臣、厚生大臣などと会談した。青年や子供たちとも話をした。日本のことはよく知っている。「サムライの国」だという。もう、そんなことはないのに。もう、そんな〈精神〉なんかはない。「携帯とメールの国」だよ。かつての日本は滅んだんだ。
 ダライ・ラマさんと会った翌日、3月10日は「蜂起記念日」だ。中国軍の侵略にチベット人が立ち上がった日だ。それを記念して、広場で集会がある。2千人以上の人が集まる。昔の全共闘の決起集会のようだ。ダライ・ラマさんが演説する。人々は熱狂的に拍手を送り、歓声を上げている。「イギなーし!」と叫んでいる。チベット語でそう叫んでいる。若い男女が笛を吹き、太鼓を鳴らし、「ダライ・ラマ讃歌」を歌う。「中国は虐殺をやめよ!」「チベットはチベット人のものだ!」と横断幕に書かれている。
 イラクに行った時もこんな感じだったと思い出した。「ダウンダウン USA!」「ダウンダウン ブッシュ!」と大声で言っていた。「USAを打倒しろ!」と言っているのだ。
 夜は、ドラマスクールで演劇を見た。その時の、我々の写真もあるので紹介しよう。演劇は、チベットに中国軍が侵略し、虐殺した時の様子が演じられる。リアルだ。生々しいし、痛々しい。
 亡命政府の学校で子供たちと話した。写真も撮った。それも紹介しよう。ここダラムサラはヒマラヤの麓だ。といっても、かなりの高地だ。雪をいただいたヒマラヤの山々が、すぐ近くに迫る。又、野生の猿も遊んでいる。今、最も話題になり、激動の中心だ。でも、この〈中心〉はあくまでも静かだ。コマの中心軸のようだ。〈中心〉は動かないが。この中心を軸にして周りの世界は激しく回り、激しく動いている。

⑤北朝鮮の山の中で、この〈聖地〉を思い出したんだ

インドの蛇つかい

 この〈聖地〉ダラムサラは、インドの首都、デリーから列車で2泊3日の長旅だ。それは前に書いた。
 帰りも同じように2泊3日かかって、デリーに着いた。ここで、タジマハールを見た。お釈迦さまの生誕の地、入滅の地を見た。ヘビ使いも見た。夜、人力車に乗ったら、真っ暗な中を、全速力で走る。周りはどこにも光りはない。人力車にもない。よく走れるもんだ。驚いた。
 北朝鮮に行って党の幹部と会った時、ビョンヤンは明るかったが、南の方の政府の招待所で会談した時だった。まるで、キャンプデービットか八王子の日の出山荘のような感じだった。人里離れた所で、世界のトップが集まって会談する。こっちはトップじゃないが。向こうはかなりの幹部だ。そこで連日、会談をする。コテージが離れ離れに建てられている。メイン会場を出てコテージに夜遅く帰る。真っ暗だ。光りは一つもない。そこを案内してくれる。
 あっ、「インドでもこんなことがあったな」と、ふと思い出した。北朝鮮の人も、インドの人も、こんな真っ暗な中、よく見えるもんだと思った。よく歩けるものだ。真っ暗な中、ズンズンと歩いて行く。「どうしたんですか」と手を引いてくれた。私は見えない。全く見えない。明るい日本にいて、情報はあり余るはずの明るい日本にいて、でも、一歩外に出たら何も見えない。これが私だ、これが日本だ、と思った。

「毎日新聞」(5/21)

 闇の中で、北朝鮮のコテージまで歩いた。ああ、インドでこんなことがあったと思った。その時、ダライ・ラマさんに会い、〈光〉を見た。その時のことを思い出すまま書いてみた。ダライ・ラマさんに会ったのは「蜂起記念日」の前日だから3月9日だ。手帳を見てみた。今年の3月9日は日曜日だ。あれっ?日本にいるよ。目黒で、舞踏家・土方巽さんの追悼集会に出てるよ。そこで、三島由紀夫の写真集「薔薇刑」を撮った細井英公さんにも会っている。(最近、土方巽が主演した映画「恐怖奇形人間」のDVDを買った。なかなか面白かった。土方の演説がいい)。
 じゃ、ダライ・ラマさんに会ったのは今年の3月9日じゃない。去年でも一昨年でもない。じゃ、もうちょっと前か。そう思って、パソコンでデータを調べてみたら、驚いた。昭和53年(1978年)の3月9日なんだ。何と、30年も前だよ。ダライ・ラマさんも40代前半だ。若いわけだ。私なんて、小学生だ。違うか。34才か。写真を見ても若い。やせてたし、ジーパンなんかはいている。サングラスをかけてるのもある。北朝鮮では、御馳走攻めで、1週間で10キロも太ってしまった。「メタボ鈴木」と呼ばれている。ダラムサラに行った頃の、痩せて精悍なイメージはないね。

 木村三浩氏の出版記念会は今年(2008年)の3月21日(金)だ。その時、ペマ・ギャルポさん、長島昭久さんに会った。長島さんに、「この前、ペマさんの紹介でダライ・ラマさんに会いに行ってきたんですよ」と言った。「凄いですね」と長島さんは驚いていた。ペマさんにも、「この前はありがとうございました。おかげでダライ・ラマさんにお会いでき、感動しました」とお礼を言った。
 でも、「この前」と言ってたが、もう30年も前のことなんだ。しかし、38年前の「よど号」ハイジャック事件や三島事件も、「つい昨日」のように思える。まあ、そういう長いスパンで私はものを考え、生きている、ということですよ。おわり。
 実は、月刊「創」(08年5月号)にも、「チベット訪問記」を書いた。ちょっと別の視点から書いた。「何だ、最近行ったと思ったのに」と言われた。でも、私にとっては「最近」です。それにチベット亡命政府に行き、ダライ・ラマさんに会ってきたのは本当だ。私は何も嘘はついてない。実に真実の人だ。真実一路だ。

【だいありー】
  1. 5月19日(月)10時40分、ジャナ専の授業。「時事問題」。皇室問題の話をする。先週出た「週刊朝日」を中心にして話す。皆、勝手なことばかり言ってる。皇室に注文をつけ、批判している。嫌だね。大変なお仕事だよ。いて下さるだけでありがたいのに。
     3時から雑誌の打ち合わせ。能力がないのに、いろいろ仕事を頼まれる。ありがたい話だが、果たして出来るのだろうか。でも、やってみませう。それから、もう一つ、打ち合わせ。
  2. 5月20日(火)原稿の〆切が3つあって、必死で書く。朝早く起きて書いていた。家にいるうちはともかく原稿ばかり書いている。
     夜6時から、新宿の「玄海」。先輩の森洋さんを激励する会。久しぶりにお会いして感激した。それに学純同の大場俊賢先生も病気回復された。お目出度い。嬉しくて、遅くまで飲んだ。この「玄海」は頭山満さんの書がいくつかある。縁のある店だ。いい店だ。鳥肉専門店だ。鳥の刺身、鳥の天麩羅、鳥のフライ、鳥鍋、ささみ、鳥の味噌汁、…と全て鳥ばかり。鳥好きの私にはたまらない。本当に豪華な食事だった。おいしかった。
     この日、宝島文庫が3冊出る。『日本の右翼と左翼』。『ニッポンの黒幕』『日本を牛耳る巨大組織の虚と実』。3冊とも私は原稿を書いている。コンビニでも並んでた。凄い。
  3. 5月21日(水)今日の「毎日新聞」に私のインタビュー記事が載った。「だいあろーぐ。東京彩人記」という連載。6段の囲み記事。映画「靖国」などについて喋った。聞き手は社会部の前谷宏記者。「あえて気にくわない意見を取り上げなかったら、言論の自由じゃない。排除だ」と私が言ったら、記者は言う。

    〈この指摘はマスメディアにも向けられる。報道に身を置く一人として、これまでどれだけ多様な意見を取り上げてきただろうかと、重い課題を突きつけられた気がした〉

     真面目な人だ。謙虚な人だと思った。こっちの方が恥ずかしい。毎日新聞は頑張ってますよ。こうして私のような「異見」を取り上げてくれるのだし。それに数年前に、北朝鮮問題について、かなり思い切ったことを私は毎日新聞に書いた。あんな危ない意見を載せてくれたのは毎日だけだろう。ありがたかった。あれを見て、北朝鮮当局は、「こいつは面白い。入国させてやろう」となったのだろう。そんな確信がある。毎日新聞のおかげで訪朝できたようなものだ。
     一日中、家にいて原稿を書いていた。行かなくちゃならん約束が2件あったが、延してもらった。夕方、朝日新書から電話。川本三郎さんとの本『本と映画と「70年」を語ろう』が増刷になった。発売して1週間なのに。嬉しい。
     夜、快楽亭ブラックさんから電話。「川本さんとの対談、面白かった。感動しました。今度、3人でロフトでトークしましょう」。ありがたい。ぜひお願いします、と言った。
  4. 5月22日(木)午後3時から河合塾コスモ。「現代文」と「基礎教養ゼミ」。今日も徹夜で原稿を書いている。キツイ。
  5. 5月23日(金)大阪に行く。「たかじんのそこまで言って委員会」に出る。2日前に急遽決まった。この日、3件取材と打ち合わせがあったが、来週に延ばしてもらった。新幹線の中でも原稿の校正をしていた。「たかじん」では四川省の地震、裁判員制度などについて討論。有田芳生さんと久しぶりに会った。川本さんとの対談をほめてくれた。局でデーブ・スペクターさんと会った。「がんばってますね」と声をかけられた。
  6. 5月24日(土)3時、週刊誌の取材。6時から飯田橋の仕事センター講堂。「言論、表現、報道の自由をめぐるシンポジウム=映画「靖国」が日本社会に問いかけるもの」。熱気のある集会だった。私もパネラーとして発言した。そのあと打ち上げ。
  7. 5月25日(日)2時、週刊誌の取材。その後、必死に原稿を書く。朝5時までかかってやっと出来上がり、送る。10時40分からジャナ専。そして大阪へ。
  8. 『Kamipro(紙のプロレス)』(123号)が発売中です。特集が凄い。「連合赤軍とUWF=狂った季節とは何か」。私も6ページ。熱く語ってます。
【お知らせ】
  1. 6月10日(火)午後7時。高田馬場サンルートホテル。一水会フォーラム。講師はナサニュール・スミスさん(東京大学大学院研究生)で、「グローバリズムとサミット」。
  2. 6月16日(月)7時、阿佐ケ谷ロフト。「ガンダーラ映画祭」。傑作・力作ドキュメンタリー作品が4本上映されます。一番の目玉は衝撃の大作「日本イスラーム化計画」です。実は、私も出演しております。それらの映画を見ながら、トークをやります。私も出ます。