皇室論議が沸騰している。週刊誌、月刊誌で熱く、激しく論じられている。とても大事な、とても大変なお仕事をされているのだ。それも国民の側が押しつけているのだ。皇室はあるだけでありがたい。国民の側から、何をガタガタ言うのだ、と思う。
そう思いながら、自分だって、週刊誌に出て喋っている。「ガタガタ言ってる」一人なのかもしれない。矛盾を感じるし、恥ずかしい。でも、あまりに酷い事を言う人がいる。「それはないだろう」と思う。だからついつい出てしまうし、喋ってしまう。書いてしまう。でも、勉強不足だし、表現が下手だから誤解されてしまう。悩む。苦しい。
でも、今の皇室論議はおかしい。例えば、こんなことを言う人が多い。「私は、皇室を大事だと思う。だから苦言を呈したい」「天皇制は続いてほしい。だからこそ、敢えて言う」…と。つまり、「天皇制打倒」「反対」という人は誰もいないのだ。共産党まで認めたのだし。皆が、天皇制を支持し、認めている。だったらそれでいじゃないか。と思う。それに今は政治的な立場にはない。精神的・文化的な日本の象徴だ。日本に存在して下さるだけでありがたい。そう思う。
ところが、いつの世も、他人の欠点を見つける天才はいる。又、〈敵〉がいないと淋しい人がいる。敵がいないと、無理にでもつくる。外にいないならば、内部に敵を見つける。「こいつは仲間のような顔をしているが、本当は敵だ!」とか言って…。「天皇を支持するといってるが、こいつは嘘だ。こんな奴がいるから天皇制は危うくなるのだ」「日本は危機だ!」と。
つまり、今の皇室論議は、天皇制支持論者同士の「内ゲバ」なのだ。嫌な風潮だ。そして内ゲバは必ず論議が下品な方向に行く。個人攻撃になる。やってられないな、と思う。これだったら、昔、「天皇制打倒」を叫ぶ人間がいて、その間に論争があった時代の方が、論争が健康的だったのではないか。とすら思う。「天皇制は差別の元凶だ」「天皇の戦争責任を問う」とか、「天皇制をやめて共和制にすべきだ」と言う人々がいた。元気に叫んでいた。そんな人々の方が、(僕らが学生の時は)多かった。
「天皇制はあった方がいい」なんて言うと、全共闘に取り囲まれて、ボコボコに殴られた。論争したって、常に負けていた。「人間は平等だ。生まれながらの差別はおかしい」「フランス革命、ロシア革命を見ろ。王制は打倒される運命にあるんだ」「再び天皇のもとで侵略戦争をするつもりか。反動め!」と徹底的に論破された。まわりで聞いている一般学生も、「そうだ、そうだ!」と全共闘の味方をする。その上、「右翼は帰れ!」と叫ぶ。「カエレ!」「カエレ!」と合唱する。「帰れ!」はないだろう。俺はここの学生なのに、と思った。天皇中心の「反動国家」に帰れと言っていたのか。
それから歳月はめぐり40年後。今や、「天皇制打倒論者」はいない。全共闘もいない。彼らに付和雷同した一般学生もいない。彼らは今も生きてるんだろうが、「天皇制打倒」と言わない。今は年老いて、「天皇制?まあ、あってもいいんじゃない」と思っているんだろう。あるいは積極的に、「天皇制は日本の文化だよ。大切にしなくっちゃ」と思っているんだろう。
そして、国民全部が「天皇制支持」だ。さらに、「支持だからこそ、皇太子さまに諫言したい」とか、「雅子さまに申し上げたい」などと言う。個人攻撃だ。「皇室は大切だ。守りたい。だからこそ言うのだ」と言う。そう言われたら、右翼も文句は言えない。右翼から防禦する楯を使いながら、天皇批判、皇室批判をしているのだ。嫌な話だ。卑劣な人々だ。
かつての反天皇論者の方が、まだましだったな。制度の問題を論じた。歴史の問題を論じた。思想の問題を論じた。反天皇論者との論争に破れ、殴られながらも、あの時の論争の方が、レベルが上だったと思う。健康的だった。「天皇制打倒」といいながら、個人攻撃はしなかった。又、論破された私らも悔しくて、必死になって勉強した。抽象的、情緒的な天皇論では対抗できなかった。より論理的な本を求め、読み、勉強した。三島由紀夫、田中卓、葦津珍彦…といった人々の本を貪り読んだ。
ところが今は、皇太子さまや雅子さまへの個人的攻撃が多い。だったら、「天皇制反対」と言ったらいい。その方がスッキリする。ところが、保守派の論客の中でも、「皇室を守り、心配するが故に文句を言うんだ」という人がいる。嫌な風潮だ。
そんな中で、竹田恒泰さんが我慢出来ずに『will』(7月号)に書いていた。これはいい論文だと思った。〈旧皇族が「雅子妃問題(西尾論文)」に大反論〉だ。「西尾幹二さんに敢えて忠告します。これでは「朝敵」といわれても…」とタイトルも凄い。
西尾幹二さんは『will』の5月号と6月号に論文を発表した。「皇太子さまに敢えてご忠言申し上げます」と題し、この中で、「この私も(中略)天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」と書いている。
じゃ、それでもいいだろう。むしろスッキリしていいと私は思った。保守派の論客がいくら「廃棄論者」になったところで、日本の皇室はビクともしない。又、天皇制賛成か反対かの論議にした方が論争のレベルも向上する。
ところが、竹田さんは、この西尾氏の言葉にこう反論する。鋭い。
〈天皇制度を「廃棄」するというのは、およそ保守派の言論人から出る言葉ではあるまい。廃棄とは、廃棄物などを処理することを意味し、この言葉を天皇に使った人物は後にも先にも西尾氏だけであろう〉
竹田さんは、西尾論文は東宮に対する不信があるし、一言でいえば、「卑怯」だという。これは私もそう思う。そして、西尾論文は「妄想に始まり妄想に終わる」と断じている。その妄想とは、東宮妃殿下を「反日左翼」と決めつけている点だ。西尾論文ではいう。
〈日本人の信仰の中心であるご皇室に反日左翼の思想が芽生え、根づき、葉を広げ、やがて時間が経つと取り除くことができなくなる「困難」について私は語ってきたつもりだ。それは皇太子妃殿下の心に宿る「傲慢」の罪に由来すると見た。ときすでに遅いかもしれない〉
何ともひどい論文だ。皇族に対し、「反日左翼」はないだろう。自分と少しでも考えが違ったら「反日」と決めつける保守派の「傲慢」だ。偏狭、排外的な考えだ。大らかで寛容な日本精神からは最も遠いものだ。雅子さまの父上が「進歩主義的反日思想」の持ち主であり、雅子さまが足繁く出向かれる国連大学は「反日左翼イデオローグの集会の場」だという。これも凄い決めつけだ。酷すぎる。
又、「皇太子殿下にとりあえず国民が期待しているのは、天皇ならびに国民に向けた謝罪のニュアンスのある言葉」だと西尾氏は言う。これも酷い。それに、皇太子さまに「謝ってもらいたい」などと考えてる国民はいない。
又、西尾氏はこう言う。
〈妃殿下のご病状が不透明なままに第126代の天皇陛下が誕生し、皇后陛下のご病気の名において皇室は何をしてもいいし何をしなくてもいい。という身勝手な(中略)異様な事態が現出することを私はひたすら恐怖している〉
これも冷たい。病いに苦しんでいる方への配慮も同情もない。又、その病いは、国民の側の無礼な注文、批判に原因があるのだ。これに対し、竹田さんは、はっきりとこう断言する。
〈だが、西尾論文は「皇后や東宮妃が宮中祭祀に参加されるべきであり、これなき場合宮中祭祀は不完全なものになる」という前提の上に成り立っている。
確かに宮中祭祀は重要である。先述したとおり、天皇の本質は「祭り主」であり、祈る存在こそが本当の天皇のお姿である。しかし、それは天皇の話であって皇后や東宮妃の本質は「祭り主」ではない〉
〈天皇は「上御一人(かみごいちにん)であり、全ての宮中祭祀は天皇お一人で完成するのが本質であって、皇族の陪席を必要とするものではなく、また皇族の一方が陪席されないからといって、完成しないものでもない〉
これを読んで、すっきりした。竹田さんに言ってもらって分かった。天皇は〈祈る〉存在だ。その祈り方が足りないとか、おかしいと国民の側が言うのは間違っている。不遜だ。だったら、「天皇制などいらない」と言った方がいい。天皇陛下は祈っている。皇太子さまもそうだ。そうした祈りによって日本は成り立ち、その祈りによって我々国民が守られている。その逆ではない。我々が皇室を守っているのではない。我々が守られているのだ。
天皇陛下がいる。皇太子さまがいる。その皇太子さまを雅子さま、愛子さまが支えている。そのだけで十分ではないか。他に、誰が支えているのか。皆、不忠な国民ばかりで、文句ばかり言っている。酷いのになると「仮病」だと言う。「笑わない愛子さま」と言ってた週刊誌もあった。これだけの大役を押しつけておいて、お前たちのせいじゃないか、と思う。
2.26事件で刑死した北一輝は『国体論及び純正社会主義』の中で、こう言っている。
「あヽ今日四千五百万の国民は殆どこぞりて乱臣賊子及びその共犯者の後裔なり」
凄い言葉だ。2.26事件は昭和11年だ。そのかなり前に書かれているが、当時は「4500万人」だったのか。日本の人口は。今の半分以下だ。三分の一くらいか。でも、今よりも、愛国者は多いはすだ。愛国のマスコミも多いはずだ。でも、「国民は殆(ほとん)どこぞりて乱臣賊子」だという。日本人は昔から天皇を愛し、守ってきたと思っているが、違うという。そんな忠良な国民ではなく、むしろ天皇を軽んじ、迫害し、島流しにしている。乱臣賊子ばかりだと。2.26事件の時だってそうだ。だから、青年将校の思想的バックボーンにもなったのだ。
今はどうだ。今の現状を北一輝が見たらどう思う。今の方こそが、もっともっと「乱臣賊子」だと思い、嘆くだろう。
元皇族・竹田恒泰(つねやす)さんは、昭和50年、旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫に当たる。私も何度かお会いした。木村三浩氏(一水会代表)の紹介だ。木村氏とは懇意だ。イラク戦争直前に、木村氏が組織したイラク訪問団で、竹田さんも一緒に行った。40人近い人が行った。塩見孝也、雨宮処凛、大川豊、PANTA…と凄い人たちが行った。
今年の3月21日(金)、木村三浩氏の出版記念会に竹田さんは来てくれた。大川豊さんも来てたので一緒に写真を撮った。「この三人はイラク訪問の時の同志ですからね」と大川さんは言っていた。イラクでは、向こうの政府の人に、「プリンス竹田」と言われていた。
でも、私らは皆、「竹田さん」と呼んでいた。昔ならば、「殿下」とお呼びするのだろうが、旧皇族だから、「竹田さん」だ。何か申し訳ないが、他に呼び方がない。元赤軍派議長の塩見孝也さんだけは、「竹田君!」と呼んでいた。旧皇族に対し無礼だろうと思ったが、塩見さんにとっては親愛の情の表現なんだ。今は「天皇制はあっていい」と言ってるが、赤軍派時代は、「天皇制廃止」「共和制を!」と言っていた。その上で、今のブルジョア憲法を廃棄して、「革命憲法」を作ると言っていた。
そんな〈革命意識〉がまだ残ってるのかもしれない。イラクで一緒にバスに乗ってた時、「おい、竹田!俺のバック取ってくれよ」と言っていた。旧皇族を呼び捨てだよ。驚いた。〈同志〉と思って親愛の情を示したのかもしれない。とても私らには出来んことだ。
ともかく、「Will」k5、6月号の西尾論文。そして7月号の竹田さんの反論。これは読んで、皆も考えてほしい。大きな問題提起になっている。それと、「週刊朝日」と「週刊現代」だ。この二つも大きな問題提起になっている。
「週刊朝日」(5月23日号)は、「さまよう平成皇室」と題し、「天皇家のありようを斯界の識者が語る」。16人が語っている。斎藤環、松崎敏弥、デヴィ夫人、弘兼憲史、竹田恒泰、岩井志麻子、土屋賢二、八木秀次、山下晋司、池坊保子、鈴木邦男、市田忠義、ドン小西、斉藤薫、カイ・レイニウス、水野俊平だ。
「週刊現代」(6月14日号)は、「激論 女性天皇、女系天皇。どうする皇室典範改正問題」の特集。「皇位 愛子さまか悠仁さまか」と題し、こちらも16人が語っている。鹿島茂、猪瀬直樹、池坊保子、鈴木邦男、さかもと未明、高橋紘、竹田恒泰、原幹恵、松崎敏弥、高樹のぶ子、新田均、成瀬弘和、田嶋陽子、八幡和郎、大島夏生、山下晋司だ。
両方に共通して出ているのは、池坊保子、竹田恒泰、松崎敏弥、山下晋司、鈴木邦男の5人だ。その中でも竹田さんは一番しっかりしている。「will」にも書いてるし、一人で頑張っている感じだ。
「週刊現代」の方が、かなり思い切った特集だ。「週刊朝日」の後にやっただけに、意識してやっている。さかもと未明さん(漫画家)は、「女系なんて論外、男系維持のためなら側室制度の復活も」と言っている。凄い。又、これは女性だからこそ言えることだ。漫画家だから言えることかもしれない。男が言ったら、「女性蔑視だ!」と叩かれるだろう。
高樹のぶ子さん(作家)は「皇位継承は第一子に、即位を辞退できる権利も」と言っている。オランダなどの王国は、こうした「第一子」を認めている国が多い。成瀬弘和さん(歴史学者)は、〈「男系継承」は中国の受け売り、「女帝容認」こそ日本古来のあり方だ〉と言う。これは勉強になった。
又、田嶋陽子さんは、〈「象徴」は国民投票で。皇室の恋愛は自由に。宮内庁は解体〉と、斬新な意見を述べている。
「これからの皇族は、すべてにおいてこれまでよりもっと自由に生きてほしい。国民は皇族に寛容になってほしい」
これは大賛成だ。今度会ったら、ゆっくり話し合ってみたい。さらに田嶋さんは言う。
「恋愛だって、開放的でいいと思います。いろいろ失敗して泣いたり笑ったりすればいいんです。〈中略〉愛子さまがヘンリー王子と結婚してもいいじゃないですか」
凄い。過激ですね。そして、天皇の地位は「国民の総意に基づく」と憲法で書かれている。だったら総意を問えという。でも、総意の上で天皇制はあるのが今の現状だ。それが嫌なら、改憲して1条から8条まで取り払えばいい。いや、憲法上の地位は認めるが、〈象徴〉だけは国民投票で、ということかもしれない。それもいいだろう。多分、圧倒的に多くの人が支持するだろう。何年かに一辺、国民投票をしてもそうなる。毎年やってもそうなる。そうしたら、「これだけ圧倒的な人々が認めてるんだ。それについて文句言うのは非国民だ。反日だ」という声が出るかもしれない。天皇制について論じるのも「反日」だとなるかもしれない。だから、わざわざ「国民投票」をしてダメ押しする必要はないと思う。天皇制是か非か、共和制がいいか、といった論議はいつでもオープンに出来た方がいい。しかし、下品な人格攻撃はやめにしてほしい。もっと、レベルの高い皇室論議を期待したい。
「時の人」竹田恒泰さんと写した写真です。木村氏の出版記念会の時(3月21日)です。大川豊さんと一緒です。
それから、「週刊朝日」「週刊現代」「will」を載せました。「サンデー毎日」には加藤紘一さんの勉強会に出た時の写真が出てました。
それと、銀座に試写会で行った時、面白いポスターを見つけたので写しました。ゾウがハイヒールを履こうとしています。面白いですね。靴の広告なんでしょうか。象の広告なんでしょうか。