2008/06/23 鈴木邦男

アキバ事件と私たち

①「彼らは本当は生きている」。果たして、都市伝説か?

逮捕された加藤容疑者(「SPA!」6/24号)

 奇妙な噂を聞いた。
 池田小学校で子供を無差別に殺して死刑になった宅間守だ。「死刑にした」と発表したが、実は、生かしておいて日本の「闇の部隊」に編入し、工作員としてA国に潜入させたという。又、幼女誘拐殺人で先日、死刑になった宮崎勤もそうだ。これから続発する(であろう)子供や弱い者を狙った無差別殺人への対策として「闇の公安機関」に編入された。どういう人間が、どういう状況でこうした犯罪をするのか。その貴重な〈資料〉として。又、同じような事件が起こった時、彼に聞けば犯人像が分かる。つまり、事件解明のプロファイリングのスタッフとして。もう一つ重要なのは、これから必ず事件を起こすだろう人間をピックアップし、あらかじめ逮捕する。それが無理なら、徹底追尾し、事件を未然に防ぐ。その秘密要員にしたのだ。
 だって、これだけの信じられない事件を起こした張本人だ。許されない悪党だが、むざむざ殺しては勿体ない。彼らはいわば、国家の「負の財産」だ。これからの犯罪予防に役立たせよう。そこまで考える。冷酷な国家としては、当然なことだ。
 大いにありうる話だ。「でも親が引き受け人として顔を確認してるんですよ」と反論する人もいる。でも、生かして国の為に仕事するのだ。親だって納得する。でも今回の秋葉原事件を阻止できなかった。じゃ、宅間は本当に死刑にされたのかもしれない。生かしておいて、「俺なら次はここをやる」と聞き出し、対策を打ってたら防げたかもしれないのに。悪には悪の発想で対抗するしかない。それなのに〈悪〉を生かそうとしない。愚かな国家だ。

取り押さえられた加藤容疑者(「FRIDAY」6/27号)

 「死刑にしたが、本当は…」という話は昔からある。30年前、私は『証言・昭和維新運動』という本を出した。血盟団事件、5.15事件、2.26事件などの関係者、生き残りを探して、聞いて取材した。その時、「2.26事件で処刑された人間は実は生きている」という話を聞いた。それほどの人間をむざむざ殺すのは勿体ない。「だから外地に出して秘密の任務につかせたのだ」と。実際、「満州で会った」という人の証言も聞いた。これには驚いた。
 堂々と生かして使った例もある。明治維新では、函館に立て籠もって徹底抗戦した榎本武揚、大島圭介を明治政府は捕らえ、刑務所に入れた。当然、死刑だ。しかし、これだけの人材をみすみす殺すことは勿体ないと思った。特に西郷はそう思い、助け出し、政府の要職につけた。
 その前なら、たとえば江戸時代。冷酷に大量殺人を続けた大盗賊を捕まえても、時には罪を許し、「情報源」として使った。小物ならば、岡っ引きにした。蛇(じゃ)の道はヘビだ。悪党でなかったら悪党の心理は分からない。
 アメリカでは、詐欺の天才を捕まえたら、終身刑なのに罪を許し、詐欺を摘発する捜査官に抜擢した。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」だったかな。そんなタイトルで映画にもなっている。ディカプリオが主演だった。全て実話だという。
 日本の公安も左右にスパイを放ち、情報をとっている。中には、公安が、完全にセクトの人間になり、「内ゲバ殺人」を実際にやってるという。殺人をやっているのだ。でも、逮捕しない。まるで007だ。「殺しの許可証(ライセンス)」を持っている。左翼が何人死のうと関係ない。これからどんな大きなことを計画してるのか。その全貌を知る方が大事なのだ。

取り押さえられた加藤容疑者(「FRIDAY」6/27号)

 映画「ランボー」では、ベトナム戦争帰りで逆ギレした青年が、暴れまわる。警察、軍隊を相手に一人で戦争をやる。人も大量に殺したんだろう。当然、刑務所に入る。死刑だ。しかし、これだけの能力ある男をむざむざ殺しては勿体ない。そう思い、合衆国政府は刑務所から出す。そして、ベトナムに行かせ、捕虜になった米兵を救出させる。さらに、アフガンに行かせる。今年公開された映画では、ミャンマーに行く。たった一人で米国人人質を救出し、ミャンマーと戦争をするのだ。次は北朝鮮だろう。
 勿論、フィクションだ。しかし、似たことはアメリカはやっている。かつての日本もやっていた。これだけの人間を殺しては勿体ないという気持ちだけではない。これだけ酷い奴だ。殺人鬼だ。簡単に死刑にはさせんぞ、という冷たさがある。国の為に、もっともっと地獄を味わえ。徹底的に国の為に使ってやる。という国家の冷酷な意志が見える。戦争中は日本でもよくやった。

 さて、現代の日本だ。それだけの国家の意志はない。だから、宅間守も宮崎勤も簡単に殺してしまったのだろう。「有効利用」することもなく。
 さて、秋葉原の加藤青年はどうだ。簡単に殺すのか。あるいは、〈負の財産〉として、闇の解明に役立たせるのか。これから続発するだろう同種の事件への「防止」のために役立たせるのか。国家の度量が問われている。

②「負の財産」は簡単に殺すな!

(左から)しまだゆきやすさん、鈴木、古澤さん(6/16阿佐ケ谷ロフト)

 アメリカでは、死刑囚に取材が出来る。映画「羊たちの沈黙」のように、女子大生が研究テーマを書くために面会し、取材することも出来る。ライターもやっている。あるいは、類似の事件があった時、警察は彼の意見を聞き、逮捕に協力させてもいる。日本では、そんなことは一切ない。面会を一切させないし、ただ殺すだけだ。
 特に鳩山法相は、どんどんと殺している。もう13人も殺した。自分の法相在任中に、100人余の死刑囚を全部殺し尽くす気なのか。「キラー鳩山」だ。そうして、「死刑囚のいない明るい国」にするつもりなのか。
 でも、何度も言うように、彼らは国家にとって「負の財産」だ。麻原にしろ、加藤にしろ、連合赤軍の人間たちにしろ…。とても信じられない事を平然とやり遂げた人間たちだ。人間の知られざる〈闇〉をのぞいた人間だ。もっともっと解明したいことがある。聞いてみたいことがある。
 だったら、一般人にもマスコミにも面会させたらいい。テレビでそれを放映したらいい。そのかわり、「一時間100万円」でもとったらいい。それで、被害者に賠償させたらいい。一生閉じ込めて、謝罪させ、なぜそんなことが起こったのか。どんな情況で起こるのか…を徹底的に聞いたらいい。取材攻めにし、一生、「働かせる」のだ。
 中には自殺志願で無差別殺人をした人間もいる。だから、簡単に死刑にしてはならない。徹底的に反省させ、語らせるべきだ。一般人の質問にも答える義務を課せばいい。そして、「同種の事件」再犯防止のために全面協力させたらいい。

花くまゆうさくさん(中央)、村田卓実さん(右)(6/16阿佐ケ谷ロフト)

 今回の事件では、いろんな人がいろんな事を言っていた。「全く希望の持てない社会が悪い」という人もいる。「格差社会だからこんな事件が起きる」と。そうかな、と思う。社会を変えるのは大事だ。しかし、「社会が変わらないから、事件が起きる」では、加藤容疑者を庇っているのと同じだ。
 はっきり言おう。どんな理想的な社会でも、同じような犯罪は起きる。だって、いつだって人間の欲望には限りはないし、絶望、嫉妬を持つ人間はいる。
 もし、そんな「悪い感情」を持たない人間ばかりにするなら、若者を全員ロボトミー手術し、欲望を持たない人間にするしかない。勿論、出来っこない。それに、加藤容疑者は「女にモテないから」とも言っている。今は、恋愛は自由だといいながら、〈格差〉は巨大だ。もてない男はどんどん増える。恋愛も結婚も出来ない。女性にハナも引っ掛けられない男が増えている。私もそうだ。「2割のモテる男が8割の女を独占している」、そういう社会なのだ。
 だからといって、「独占している男」たちに、「加藤にも回してやれよ」と法が強制することは出来ない。この格差はほったらかしだ。
 女がいない。仕事がキツイ。会社がいじめる、…と言う。だったら、〈責任者〉に向かえばいい。モテて、女を独占してる男に文句を言えばいい。会社に文句を言えばいい。殴り合いの一つもやってもいい。  でも、〈責任者〉にはいかない。そして、秋葉原を歩いている弱そうな人間たちを刺す。それも、ダガーナイフをもって。恨みをぶつける相手が違うだろう。

 6月11日(水)と6月16日(月)に阿佐ヶ谷ロフトに行った。両方とも秋葉原事件の話になった。6月11日(水)は、「プレカリアート右派」の集いだった。外山恒一、赤木智弘、佐藤悟志、中川文人氏らが出ていた。「生きる希望もなく、絶望的になって事件を起こした加藤の気持ちも分かる。しかし、同じ、プレカリアートを襲ってはダメだ」と皆、言っていた。「襲うなら、六本木ヒルズに行け!」「政治家をテロしろ!」「巣鴨に行け!」と言っていた。今のこの格差社会をつくった人間を攻撃しろという。同じプレカリアートや、年下の人間はこの社会をつくったことに全く責任がない。その「犠牲者」たちに向かってナイフをふるう。これはおかしいという。
 この日、あの事件を目撃したという青年に会った。終わって詳しく話を聞いた。携帯で撮った写真も見せてもらった。

③事件の「目撃者」に話を聞いた

加藤紘一さんの超党派勉強会で(5/29)

 そして6月16日(月)、この「目撃青年」はこの日も来てくれた。この日は、「日本イスラーム化計画」という映画の上映会だ。僕も出演したので行った。「目撃青年」はもう二人、やはり「目撃青年」を連れて来てくれた。もったいないからと壇上に上がって、喋ってもらった。三人のうち、一人は仕事柄、顔を出せないので、二人が出た。一人は「革命的非モテ同盟」書記長の古澤克大氏だ。何と、元自衛官だという。
 だったら、取り押さえたらいいじゃないか、と思ったが、とてもそんな情況ではなかったという。事件の詳しい情況は彼のブログにも書かれている。車が突入し、人を撥ねた段階で、皆、「交通事故」だと思ったという。スピードの出し過ぎか。ハンドルを切りそこねてか。だから、運転手(犯人)が降りて来た時も、皆、注意しない。警察官も逮捕しようとしない。それよりも、撥ねられた人を介抱するので必死だった。犯人は悠然と車を降り、介抱する警官の所へ来る。そしてポンと肩を叩いた。警官はそう思った。犯人に背を向けていたのだ。「必死に介抱しているのに、何だ、いたずらしやがって」と思ったのだろう。警官は振り返り、立ち上がった。いや、立ち上がろうとしたのだ。ところが膝からガックリと崩れ落ちた。警官も「刺された!」と初めて分かったのだ。

 刺される時はそんなものだ。池袋の通り魔事件の時も、犯人が通り過ぎたあと、おじいちゃんが歩いている。後ろの人が、「おじいちゃん、刺されてるよ。背中が真っ赤だよ」と教えた。それで刺されていたことを知り、おじいちゃんは気を失った。こんなふうに言葉をかけるのは危ない。プロの救急士なら、「あっ、返り血を浴びただけですよ。ちょっとかすってるかな。大丈夫だけど。念のために病院に行きましょう」と言って連れて行く。「刺された!」というショックで死ぬ人が多いからだ。出血多量よりも、「言葉の力」で死ぬ人の方が多い。

「京都新聞」(6/8付)

 それで、秋葉原の目撃青年の話だ。初めは何が何だか分からない。目撃青年のブログを見ても、いろんな情報が飛び交ったという。車で撥ねた男と、刺した男は違う。複数の男が暴れている…と。ナイフを見た人もいない。ただ、暴れている。でも皆、「キャー!」「ウワー!」と言って、逃げ出した。元自衛官も逃げ出した。当時の群集心理では仕方がないだろう。そして、犯人が逮捕されてから、遠巻きにしていた人々が皆、パシャパシャと携帯で写真を撮る。批判された悪名高い光景だ。
 でも、これも仕方ない。こんな〈歴史的事件〉に立ち会うことなんてない。歴史の目撃者だ。ともかく、撮ろうと思うだろう。こいつらは酷いと報道しているマスコミのカメラマンも撮り続けている。

 話が飛ぶ。ダガーナイフは堂々と売っていた。その店の主人がテレビに出て、「これは戦闘用ですから」と言っていた。日本のどこに「戦闘」があるんだよ。お前らが売ることによって、日本に「戦闘」をつくってるんじゃないか、と思った。販売禁止にして当然だ。
 アメリカのように、「銃を自由化」したら、通り魔犯罪を防げるという人もいる。逆だろう。まあ、いきなり刺したら、傍らにいた誰かがピストルで殺すかもしれない。被害を最小限にとどめるかもしれない。幼女を誘拐しようとしたら、幼女がいきなり発砲する。これじゃ、怖くて誘拐も出来ない。確かに、抑止効果もある。ナイフを持ってバスジャックをした犯人だって、乗客がピストルを持ってると思ったら、とても出来はしない。
 そのように、「抑止効果」はある。しかし、もっと大規模な犯罪も起こる。こっちの方が怖い。
 人間だから、フラストレーションのたまることもある。その時は、少なくとも素手で殴り合いをすとか、あるいは、全共闘のように、デモをして発散させたらいい。今、そういうことがない。だから、たまりにたまった若者のマグマは、こんな形で噴出する。チラシもまけない。デモも出来ない。これでは若者は鬱屈する。
 昔、学生運動が燃え盛っていた時は、皆、自由にデモに参加でき、そこで叫び、走り、時には機動隊に石を投げ、火炎瓶を投げていた。それで捕まっても二泊三日で出た。いい時代だ。若者は自由に、思い切り、激情を叩きつけられた。又、ゲバ棒で、機動隊に襲いかかった。あの位のことは、どんどんやらせたらいい。今からでも遅くない。大いにやらせたらいい。
 そんな風にして、若者の激情や、怒りのマグマが吸収されると、他の犯罪はない。なくなる。あの頃は、若者の通り魔はいない。幼女誘拐もない。かえって「健全な社会」だった。
 強い者(警察・政府)に怒りが向かったのだ。
 今はそれがない。事件を起こす人間は、本能的に知っているからだ。〈強い者〉には、とても立ち向かえないと。だから、「弱い人間」に向く。同じプレカリアートに突撃する。「プレカリアートの内ゲバ」だよ。

④なぜ、怒りは「弱者」に向かうのか

7/26(土)八王子で討論!

 今、政治家は、又、経済人も厳重にガードしている。六本木ヒルズもガードしている。元首相は10位いるが、24時間、SPがガードしている。閣僚、党首などもそうだ。誰も襲う奴はいないのに、それに、「洞爺湖サミット」に向けて、厖大な警備の人員、予算を投入している。しかし、襲う奴はいない。少しは反対の「意思表示」をする人間はいても。これは初めから分かっている。
 右翼、左翼は全て、割れている。公安は全て把握している。ヤクザだって、顔が怖いから、一般人もよけて通る。右翼、左翼も、顔で分かる。よけられる。しかし、「通り魔」はそれが出来ない。ついさっきまで、普通の兄ちゃんだ。それが突然、殺人鬼に変身する。街をボーツと歩いていて、いつ我々が被害者になるか分からない。又、いつ我々が加害者になるかも分からない。

 だから、警備するなら、こっちだよ。政治家なんかガードすることはない。首相も言ったらいい。「こんなにSPがガードしなくていい。自分の周りには秘書や番記者が大勢いる。彼らが体を張って守ってくれるだろう。だから、警察は全員、通り魔対策に回してほしい」と。
 又、左翼、右翼を取り締まる公安もいらない。何千人といる。あるいは一万人位いるのかもしれん。そんな公安は全部、「通り魔対策」に回したらいい。秋葉原、新宿、渋谷…と、そんなに多くはない。人が集まる盛り場に投入したらいい。「でも制服の警察官ばっかりじゃ、街が暗くなる」と思うだろう。だから、全て私服でやる。でも、体つき、目付きで分かる。だから、加藤のような「普通の兄ちゃん」風の人間だけを投入する。何なら、アキバのオタクから大量に警察官を採用してもいい。ついでに、女子大生や女子高生も婦人警官に大量採用する。普段はメイド喫茶に勤めているが、本当は警察官だ。事件があったら、身を挺して逮捕する。
 又、セーラー服を着て、キャピキャピ遊んでいるが、実は警察官だ。「スケバンデカ」だ。ヨーヨーを飛ばして犯人を逮捕する。
 うん、その位、やってもいいよ。そうしたら、犯人だって、無差別に通り魔なんか出来なくなる。弱っちいオタクかと思ったら、警察官ですぐに逮捕される。あるいは射殺だ。セーラー服のネエちゃんと侮って痴漢したら、回し蹴りで蹴殺される。これでは、怖くてやらんよ、犯人も。そして、アキバは明るい街になったのだ、…となるよ。

 ロフトでは、又、アキバ事件についてトークイベントをやるそうだ。目撃青年も含めて、大いに語り合いませう。

樋口篤三『社会運動の仁義・道徳』(同時代社)

 ともかく、いくら監視カメラを設置したって、何の役にも立たなかった、ということだ。こんなことなら刃物を持った人間を即座に逮捕する機械を設置したらいい。飛行場ではやってるじゃないか。あれをアキバの入口に設置する。誰もナイフを持ち込めないよ。武器さえ持たなければ、若者が少々キレても大丈夫だ。素手で殴り合う位、自由にやらせたらいい。
 数年前、新宿で私はキレた若者の「通り魔」を目撃した。若い青年が突然、通行人を殴り飛ばし、蹴っている。暴れ放題だ。人々は遠巻きにして見ている。自分の方に向かって来ると、ワーッと言って引く。でも、刃物は持ってない。素手だ。それで、飛び蹴りを繰り出したりしている。よほど鬱憤がたまっているんだろう。止めようかと思ったが、やめた。それだけ覚悟をもってやってるんだし、大して被害はない。素手で殴ったり蹴ったりしてるだけだ。学生運動の頃は、いくらでもあったな、と温かく見守っていた。隣りにいた人が「止めます!」と言ったから、その男を止めた。自由にやらせてやれよ、と。
 そのうち警察官が来た。刃物を持っていないのを確認し、安心して組み付く。そして払い腰一本で、地面に叩き伏せた。しかし地面はコンクリートだ。犯人が頭を打たないように、投げる時、頭を引き上げている。配慮している。さらに地面に俯せにし、肩のところに膝を乗っけ、体重をかけて制圧している。他の人間が襲って来るかもしれない。それを警戒し、いつでも立てるようにしてるのだ。ウーン、完璧だなと、警察官の制圧を見ていた。勉強になった。アキバの警察官とはここが違う。もっともアキバは「交通事故」だと思って、被害者を介抱してたんだから、油断したのだろうが…。

 素手の喧嘩ならば、学生時代、毎日のように左翼とやっていた。だから、今でも、見かけても、「勝手にやらせてやれよ」と思ってしまう。でも刃物を持っていたらどうする。逃げちゃいかんだろうな。「その場にいて、何もしなかった。右翼のくせに」と言われるだろう。
 何人かの格闘家に聞いた。そんな時、どうするかと。「立ち向かうしかないだろう」と言う。ただ、一対一ならいい。でも雑踏では、相手の刃を捌いて、パンチを入れようと思っても、捌いた瞬間、近くの人間に刃物が当たるかもしれない。それが怖いという。警察官なら、盾を持ってるから、それで防ぎながら、長い棒で闘う。しかし、我々民間人は、そんなものを持って歩くわけにはいかない。どうしよう。都合よく棒でもあれば、それで牽制して、殴り倒すことも出来る。じゃ、近くにいるアンちゃんか、ネエちゃんを盾にして、犯人にぶつけてやり、その瞬間に犯人を取り押さえるか。でも、一般人を盾にした私も逮捕されるかな。困った、困った。
 じゃ、通り魔に出会った時、対等に闘えるために、常々ダガーナイフを持つか。でも、これも捕まりそうだ。うーん、難しい。なかなか対策が立てられんよ。
 昔、非合法闘争をやってた時は、「襲うこと」ばっかり考えてたから、方法は無限にあった。しかし、今、こうして「防ぐこと」を考えている。だから難しい。しかし、私も平和的、体制的になった証拠かな。

【だいありー】
「SAPIO」(6/25号)
  1. 6月16日(月)この日は忙しかった。通り魔的忙しさだった。違う、殺人的な忙しさだ。朝10時からジャナ専の授業。「通り魔事件」の話をする。途中で早退。急いで羽田に。1時発の飛行機で大阪に。3時45分からのテレビ「ムーブ」(大阪朝日放送)に出る。パネラーは勝谷誠彦さん、吉崎達彦さん、そして私。西成の〈暴動〉の話になる。機動隊相手に暴れている。血が騒ぐる「いやー、凄いですね。がんばってほしい」「もっとやれ」とつい口走ってしまった。大体、警察が悪いんだ。自分の失敗はすぐに謝ったらいい。それをやらないからこんな暴動になる。いや、暴動じゃないな。「正義の決起だ」と言っちゃった。だって、警察が労働者を捕まえ、暴行し、放置して死なせたり、凍死させたりしている。労働者が怒るのも当然だ。
     他に、北朝鮮の話。「よど号はかわいそうだ。無罪にして帰してやれよ」と言った。「そこまで言うか。これは凄い番組だ」と勝谷さんが驚いていた。いや、私だけが暴走したんです。もう呼ばれないでしょう。
     番組は6時まであるが、5時30分に中座して、伊丹へ。6時半発の飛行機で羽田へ。それから阿佐ケ谷ロフトへ。「ガンダーラ映画祭」に出る。9時前に着く。一本目の映画は終わり。二本目の「人間爆発」。監督・花くまゆうさくさん。主演・村田卓実さん。二人の話があって、ラストの映画「日本イスラーム化計画」。私も特別出演していた。なかなか、面白い映画だった。監督のしまだゆきやすさんとトーク。この時、アキバ事件の「目撃者」の革命的非モテ同盟の書記長古澤克大さんともう一人にも壇に上がってもらい話をした。なかなか凄い話が出来たと思う。
     夜中、家に帰って、〆切の原稿を書く。
  2. 6月17日(火)一日、原稿を書いていた。夜7時から虎ノ門で新聞社の政治部の記者さんの勉強会に呼ばれる。木村三浩氏と二人。「警察は政治家ばかり厳重に守っているから、若者の怒りは同じ弱者に向く。ガードを捨てて、“俺に向かって来い!”と政治家は言ったらいい。学生運動の荒れ狂っていた時代の方が健全だった」と言ってやった。
  3. 6月18日(水)打ち合わせ。取材。夜、久しぶりに柔道。疲れた。体を鍛えておかんと、いつ通り魔に会うか分からんし。東大教授の松原隆一郎さんも稽古に来ていた。少し話した。
     夜、ロフトから電話。「鈴木さん、北朝鮮とチベットに行ってきたんでしょう。その報告をやって下さいよ」。いいですよ、じゃ、若松さんと一緒にやりましょう。ということになった。
  4. 6月19日(木)午後3時から河合塾コスモ。寝不足で、忙し過ぎたせいか、熱が出て、帰って来てすぐに寝た。いかんな、こんな弱い体じゃ、通り魔になれない。いや、通り魔と闘えないよ。
  5. 6月20日(金)午後10時半。堀の内の妙法寺。川本三郎さんの奥さんが亡くなったので葬儀に行く。川本さんとは対談して、朝日新書から本を出したが、その頃から入院していた。私なんかと対談するんで、奥さんにも心配かけたんじゃないかと思う。申し訳ない。丸谷才一さんが弔辞を読んだ。松本健一さんと会う。「昔からの知り合いですか?」と聞いたら、「川本と民主党の仙石由人、そして僕の三人は学生の同級生だった。文学半分、政治半分の同じグループだった」と言う。そうなのか。
     午後から図書館。カゼで頭が痛い。早く寝る。
  6. 6月21日(土)午前中、寝てた。午後から東大に行く。御厨貴さんと内海信彦さんの対談「学生反乱の時代」を聞きに行く。全共闘の記録映画「怒りをうたえ」も上映された。内海さんが編集したものでなかなかよかった。終わって、御厨研究室で東大生たちと話をした。
     7時から、新宿。志の輔さんの落語を聞く。久しぶりだ。面白かった。『失敗の愛国心』をあげた。
  7. 6月22日(日)夕方まで寝てた。調子が悪い。
【お知らせ】
  1. 7月11日(金)午後7時、高田馬場サンルートホテル。一水会フォーラム。講師はサルキソフ コンスタンチン先生(山梨学院大学教授)。「日露関係の現状と将来=ポスト・プーチンを考える」。
  2. 7月26日(土)午後1時半から6時。「平和力フォーラム」。八王子・子安市民センター3F。内田雅敏さん(弁護士)と私の「左右対決」です。テーマは「言論の自由と責任」。井上ともやすさんの歌もあります。
  3. 7月28日(月)7時、ロフトプラスワン。若松孝二さん(映画監督)と私のトーク。二人の北朝鮮報告です。若松さんは5月に訪朝し、「よど号」グループに映画「実録・連合赤軍」を見せて、語り合ってきた。その時の話を聞かせてくれる。
  4. 8月6日(水)シンポジウム「憲法9条と戦後日本・戦後美術」に出ます。太田昌国さん、中原佑介さんと。午後6時半より。代官山ヒルサイド・フォーラムで。
  5. 8月20日(水)阿佐ヶ谷ロフト。落語家の快楽亭ブラックさんと出ます。
  6. 「京都新聞」では、「格差を問う」という意欲的な特集を連続してやっている。6月8日(日)には私が出た。かなり大きく取り上げられた。「『愛国』は社会を救うか」「排除の論理こそ危険思想」。
  7. 「サンデー毎日」(6月29日号)に水口義朗さんが、川本さんと私の対談本『本と映画と「70年」を語ろう』(朝日新書)の書評を書いてくれた。〈「左翼」と新右翼の好取組〉と。ありがたいです。
  8. 「SAPIO」(6月25日号)では春田和夫さん(フリーライター)が、やはりこの本の書評をしてくれた。

    〈“合わせ鏡のような二人”が語り合う、全共闘、右翼、言論とテロ〉と題し。 〈鈴木氏が、川本氏に「会いたい」と申し込んだ理由は、個人的動機を超えて「70年代」を再考する刺激的対談に結実した〉

    嬉しいですね。ありがとうございます。
  9. 元・共産党の樋口篤三さんが『社会運動の仁義・道徳』(同時代社・1500円)を出しました。とてもいい本です。私との対談「甦れ!西郷精神」も収録されています。樋口さんが入院してる時に、病室でやった対談です。植口さんは点滴を受けながらの悲壮な対談でした。でも、なかなか内容の濃い対談になったと思います。8月に出版記念会をするそうです。