「飛んで火に入る夏の虫」とは私のことですよ。さんざんでした。まるで、サンドバック状態ですね。7月13日(日)放映の「たかじんのそこまで言って委員会」です。そこまで苛(いじ)めていいんかい?と思っちゃいましたよ。私一人が北朝鮮問題で集中砲火を浴びました。ボロボロです。もうこの人は立ち直れないでしょう。「崖の上のクニョ」です。崖から見事に突き落とされちゃいました。
でも、あれだけ徹底的にやっつけられると、逆に、かえって爽やかになります。集中豪雨の中を走ってきて、全てが洗い流されたような爽快感すら感じました。もしかしたら、「たかじん」に出ることで、マゾ的快楽に目覚めているのかもしれません。(と、強がりを言ったりして)
あの日は、初めから「嫌な予感」はあったんですよ。北朝鮮問題がテーマになるというし。「テロ支援国家指定解除」に私は「賛成だ」と 言ったんだから。北朝鮮を交渉のテーブルにつかせることはいい事だ。北朝鮮を逃がさず、強力に交渉すべきだ。せっかくのチャンスなんだし、 と私は思った。「断固、経済制裁しろ!」「戦争も辞さず、北朝鮮を追いつめろ!」という威勢のいい言葉だけでは、何十年たっても解決しない。 そう思ったからだ。
番組が始まると、いきなり例の「加藤発言」の話になった。拉致被害者5人について、加藤さんは「北朝鮮に返すべきだった」と発言した。それで家族会、救う会をはじめ、強硬な批判があり、各新聞でも一斉に叩いていた。加藤さんの発言は、これだけ見ると誤解を与えるかもしれないが、全員救出に向けて、国家間の約束は守って、交渉すべきだと言ったのだ。そうしたら、交渉はもっともっと進展があったはずだ、と。
ところが、「犯罪国家との約束など守る必要はない!」「5人を再び地獄に戻すのか?」「それでも日本人か!」という感情的批判を浴びた。加藤さんの事務所には、毎日、50件以上の脅迫、抗議電話が来ている。 加藤さんの発言については「産経新聞」(7月10日付)に報じられているので、それを基に説明しよう。
〈自民党の加藤紘一(元幹事長)が拉致被害者5人について「国家と国家の約束だから北朝鮮に返すべきだった」と発言したことを受けて、拉致被害者「家族会」(飯塚繁雄代表)と「救う会」(藤野義昭会長)は9日、「拉致被害者や家族の思いや不安をまったく理解しようとしない加藤氏に強い憤りを覚える」と抗議声明を出した〉
では、加藤氏はどこで、そんな発言をしたのか。あるBS番組で言ったという。その点を産経はこう報じている。
〈加藤氏は7日夜のBS番組で、小泉純一郎首相(当時)が訪朝した平成14年秋、拉致被害者5人が帰国した際、政府が5人を北朝鮮に返さないことを決めたことを「当時官房長官だった安倍晋三前首相を中心に(拉致被害者を)返すべきでないと決めたことが日朝間で拉致問題を打開できない理由だ。
返していれば「じゃあまた来てください」と何度も何度も交渉していたと思う。そこが外交感覚の差だ」などと発言〉
これは言えると思う。あの当時、5人は日本に「一時帰国」するといわれていた。当時の新聞を見たら、皆、そう出ている。その「一時」が、果たして一週間か10日か。それが問題になっていた。又、一旦北朝鮮に帰って、今度は子供も連れて一緒に日本に帰る。他の人達も救出する、という交渉も出来る。その道筋が立っていた。
ところが日本政府は、5人を「北には帰さない」と決断した。そして、北朝鮮との「約束」を一方的に破った。そんな「約束」など、元々、無いと言い放った。では、「一時帰国」という言葉は何だったのだ。北朝鮮は激怒し、交渉は決裂した。子供たちは帰したが、その後の進展は全くない。
あの時、「かわいそうだ」「又、北に戻すのか」という国民の声が強くて、「じゃ、帰さない」と政府は決めた。だったら、北にキチンと説明したらいい。「帰すと約束しましたが、国民やマスコミが強く反対している。約束を破って申しわけないが、返せない」と。
あるいは、国民やマスコミの〈不安〉に対し、身をもって、説明し、説得したらよかった。「いや、全員を取り戻すために一旦帰るのだ。そのために首相はじめ国会議員も何十人も付いて行く。子供も、他の人達も連れて帰る。それまでは断固として北朝鮮に留まる」と。その位、言って国民やマスコミを説得し、実行してもよかったのではないか。少なくとも、そういう声はあった。又、向こうが差し出すどんな手だって利用して、交渉に持ち込む。その位の覚悟がなくてはダメだろう、と私は思った。
だから、「たかじん」の冒頭で、「加藤発言」に対し皆が「もっての外だ」「許せん」と言ってる時、私はつい、「加藤発言」を弁護した。もっとも、「そうだ。許せん」と一緒に批判することも出来た。でも、私は加藤さんの真意を知ってるし、加藤さんの勉強会でも話した。だから、「ちょっとそれはひどい」「加藤さんの発言も、もっともだ。理がある」とフォローした。そしたら、ドッと批判が私にきた。 それに、実は、加藤発言は「他人事」として見過せない事情があったのだ。実は加藤さんがBSで発言した時に、私のことが出てたからだ。
加藤さんはBS11の「西川のりおの言語道断」(7月7日放映)で話したのだ。あれっ、この番組は私も先月、出てるよ。
02年、拉致被害者の帰国に際して、官房長官だった福田さんは、「返そう。これは約束だから」と言った。安部さんは官房副長官で、「いや、返せない」と言った。「で、返した方がよかったわけですか」と西川さんは聞く。
「当然です。国家と国家の約束ですから」と加藤さんは言う。そのあとだ。
(西川)でも、国民の感情としては、もともと拉致されたものである。返すという道理はないっていうのがありますよね。なにを返すんだと、なりましたよね。加藤さんは、返したほうがよかったと。
(加藤)よかったと思いますよ。あのときに、ある新右翼の方が、毎日新聞にこう書いてました。「民族主義派、右翼の私がこんなことを言ったら、明日から私の家の電話はなりつづけるであろう。ただ、言う。返しなさいと。で、あんな北朝鮮みたいな国に、日本は政府と政府の約束さえ守らない国だといわれるのは片腹痛い。この理屈でしょう。
で、あのときに、実は、これ返すってことを、みんなで、政府も約束して、それで日本に帰ってきて、いつ、じゃあ、こんど平壌に帰るんだろう、その時期を政府は何日と決めるんだろう、それをスクープ合戦してましたよね。メディアも。
えっ、私が原因だったのか。少なくとも私の発言で加藤さんは、「うん、そうだ」と思ったんだ。じゃ、今回の「加藤発言」は、いろいろバッシングされてるが、本当は私のせいだ。申しわけない。じゃ、加藤さんに抗議電話をしないで、私にしてくれよ。まあ、私にも電話は少しはあるけど、加藤さんほどではない。加藤さんの事務所には電話だけでなく、直接、抗議に行く人もいるし、又、ビラを配って、「ここに抗議の電話、FAXを入れましょう」と呼びかけている人もいる。しかし、こんなビラ配りはいいのかな、と思う。だって、文句あったら、本人が堂々と名乗りをあげて行けばいい。それなのにビラに相手の電話を書いて、「ここに電話、FAXを集中させましょう」と不特定多数の人に呼びかけ、煽る。いいのかな、と思う。もう、これは「犯罪」に近いよ。まあ、私も昔やったから、自己批判をこめて言うのだが。
「でも、あの時、5人を帰していたら殺されるんじゃないか。帰せなんて、よくそんな酷い事を言えるもんだ。それでもお前は日本人か」という批判も出た。又、そう言われるのを恐れて皆、口をつぐんだ。でも、それに対し、加藤さんは断言した。
「そこが、外交感覚の差ですね。そんなことが出来るわけがない」と。
実は、「たかじん」では、李英和さん(関西大学教授)がゲスト出演した。この人は、北朝鮮とは命を賭けて闘っている人だ。脱北者の支援もやっ
ているし、本当に勇気のある人だ。でも、「テロ支援国家指定」を解除しても、拉致被害者を取り戻すことは出来ると発言した。その途端、
「あんたは二重スパイじゃないの」なんて言われた。それはないだろう。命を賭けて闘ってる人に対して。
李英和さんとは久しぶりに会ったので、番組が終わった後で話をした。「あの時5人を帰す」ということには反対だが、もし、帰していても、殺されることはないと言っていた。又、「最悪の事態」を憂慮する評論家もいるので、その点を聞いたら、「結構、理性のある国ですよ、北朝鮮は」と言う。「むしろ、ブッシュのアメリカの方が狂気の国ですよ」と。これには驚いた。北の酷さを知り抜いている李さんが言うからこそ、説得力がある。
李さんは命がけで北朝鮮と闘っている。でも、とても視野の広い人だ。狭量ではない。実は10年ほど前、李さんが主催するシンポジウムに出た。「在日の人の参政権」をめぐるシンポジウムだった。何と右翼の人を3人も呼んだ。まず、「参政権反対」の右翼2人。それに対抗するのが李さんと私だ。参政権を認める立場だ。かなり激しいバトルになった。
このあと、右翼の新聞には、私は徹底的に批判された。「鈴木が売国発言!」と。「反日だ!」と。あれは、激しかった。でも、李さんは立場の違う右翼、3人も呼んでシンポジウムをやってくれたんだ。本当に偉いと思った。頭が下がる。
ここで、「加藤発言」に戻る。加藤さんは北朝鮮に行った小泉さんを評価する。小泉さんのやったことで唯一よかったことだという。これは賛成だ。それまでは、皆、口だけ激しいことを言っても誰も行こうとしなかった。遠くにいて文句だけ言ってれば支持率は上がるからだ。「現実」に向き合おうとしなかった。それを唯一、小泉さんはやった。だから、あの路線でやれば、もっともっと進展があった。それなのに、日本が約束を破り、その進展をぶち壊してしまった。さらに加藤さんは「BS11」で、こう言っている。あの当時、福田さんは、約束だから一旦帰そうと言った。それを受けて、こう言う。
〈だからもし、その当時、福田さんの言うとおりやってたら、六者会談は日本で行なわれ、日本がアジアの一番困難な問題を解決し、世界の中のひとつの大問題の北朝鮮の核という問題も非核化し、おっ、日本もやるじゃないかと、世界に思ってもらえたと思います〉
今年の4月末に私は木村三浩氏と共に北朝鮮に行ってきた。労働党の幹部の人と徹底的に話してきた。その時、この「一時帰国」の話が出た。「北朝鮮は小さな国だと思って、日本はあなどっている。約束なんか破ってもいいと思ったんだ」と言う。確かにそう思われても仕方ない。
これは日本とアメリカの関係をみたら分かりやすい。日本は小国とあなどられ、アメリカから無理難題を押しつけられている。だから、同じ小国の北朝鮮の事情も分かるはずなのに、今度は自分が大国気分で小国北朝鮮をいじめている。約束なんて、初めからなかった、と居直っている。これじゃ、「日本は交渉しようという気がない」と思われてしまう。
又、日本の保守派の論調もひどい。「戦争を辞さずの覚悟で臨め」「金正日体制を打倒しよう」と言う。「この政権を打倒しない限り拉致問題の解決はない」と言う人もいる。
これは全て、北朝鮮も見ている。テレビも週刊誌も、保守派オピニオン雑誌も見ている。そして思う。「何だ日本は、我が国の崩壊を望んでいるのか。
じゃ、交渉するつもりはないのか!」と。
又、そう思われても仕方ない情況だ。さて、最後に、事の発端になった「毎日新聞」を紹介しよう。02年12月25日だ。6年前のクリスマスの日に、私は言っている。まるでキリストだ。じゃ、いろんな人々に、このテーマで聞いたのだろう。では、その時の私の発言を紹介しよう。
手詰まり日朝。私はこう見る
=日本社会は気味が悪い状態になってる= 鈴木邦男
〈仮に拉致被害者5人の誰かが「いったん北朝鮮に戻って子供に会いたい」と言い出したら、日本の社会は許すだろうか。たとえ北朝鮮がひどい国だとしても、5人を一度北朝鮮に戻すと約束したのなら、政府は約束を破ったことを北朝鮮にわびるべきだ。そのうえで、日本の事情を説明すればよい。だが、日本の社会はそういう意見が言える雰囲気だろうか。
9月の日朝首脳会談後、日本社会は気味が悪い、危ない状態になっている。北朝鮮問題に関する言論の自由がない。自由な言論を許さない人が政治家、そして市民の中に大勢いる。本当の意味での「戦い」をした経験がなく、拉致問題など二十数年間、無関心だったくせに、声の大きさで相手を威圧して押し切ろうとする「対北朝鮮強硬派」の大量出現である。
彼らの抗議が怖いから、特に民放テレビは北朝鮮を悪くいう意見ばかり報道する。「北朝鮮にも幸せを感じながら、暮らしている人がいるかもしれない」などと言おうものなら大変だ。私のこの発言を読み、早速、抗議と脅迫を考える人がいるかもしれない。多様な言論を認めない社会は北朝鮮と同じだ。
北朝鮮が独裁体制の危険な国だというのは分かるが、正常化交渉再開には賛成だ。交渉したから拉致被害者5人は帰ってきた。当面は中国やロシアに北朝鮮へ圧力をかけてもらうようお願いし、北朝鮮が話し合いのテーブルにつくのを待つしかないだろう。
「どうしようもない国だ」と言い続けるのは、外交ではない。強硬に臨むだけでは、問題は何も解決しない。〉
いつまでも、ダラダラと生きていると思われちゃ困る。やはり、やる時はやらなくちゃ。生きてる証(あかし)を見せてやる!来週は、世間をアッと驚かせてやる!