今日、7月28日(月)、本が出ます。私の最後の本です。今まで皆さまには本当にお世話になり、ご迷惑をかけてきましたが、これが最後です。私ごとき人間にお目をかけて頂き、本当にありがとうございました。
本の帯には、「これは鈴木邦男の遺書である!」と書いてあります。手に取ってよくご覧になって下さい。すかしで、そう読めるはずです。
今日、全国の書店に並びます。でも私はそれを見ることが出来ません。遠い所へ旅立っているからです。
本の題名です。『愛国の昭和』です。サブタイトルは「戦争と死の七十年」です。本を手に取って、異様な感じがするでしょう。ギョッとするでしょう。真っ黒な本です。死です。葬式です。〈遺書〉らしくていいでしょう。あの有名な「鈴木成一デザイン室」がブックデザインをやってくれました。天才です。私は何も言いませんでしたが、私の〈遺志〉を汲み取って、こんな素晴らしい死のデザインをしてくれたのです。発売は講談社です。途中、何度も「やめよう」「引き返そう」と思いました。こんな本を出したら何と批判されるか分からない。全国民から総スカンだ。一水会にもいられない。いや、「国賊だ!」「売国奴め!」と右翼に殺されるでしょう。でも、殺される前に死んでしまえば、テロも無効です。怖いものはありません。そう心を決めて書き、出版しました。
本の帯には、こう書かれています。
〈日本で最もリベラルな男が衝く
日本人の「愚」〉
〈「滅びの美学」で平和の歴史は打ち砕かれた!〉
危ないですね。危ないけど、うまいですね。担当者だった講談社の岡部ひとみさんが考えてくれました。今、考えると「日本人の『愚』」を衝く、なんて凄まじいですね。又、とても僭越ですし、おこがましいです。それに、「日本で最もリベラルな男」も誉めすぎです。恥ずかしいです。先週と先々週の2週間で私は大阪まで5回行ってきました。おかげで随分と本を読めましたし、「読書のノルマ」を達成できました。だから、「日本で最もトラベルな男」です。
いや、そんなことはないか。毎日、全国を飛び歩いているモーレツ社員はいますね。大会社の幹部クラスはなおさらです。「社長副社長」だったか、「部長課長」だっか、「課長係長」だっかか忘れましたが、一日で東京・大阪間を三往復したと言ってました。そんな馬鹿なと思いました。果たして出来るんでしょうか。大阪で仕事して東京に行き、そこで仕事して大阪に行き、そこで仕事して東京に行き、そこで仕事して又、大阪に行って、東京に行く。いくら飛行機を使っても、無理じゃないでしょうか。
でも、一日に三ヶ所で講演した、という評論家の話は聞きます。売れっ子評論家で、一時間、喋って百万円です。セレブです。朝、東京を出て、札幌で午前中、講演です。1時間、話してすぐに飛行機で福岡へ。午後2時から3時まで講演し、次は大阪へ。午後6時から7時まで講演し、東京に帰ります。十分、出来ます。三ヶ所とも同じ話です。聞いてる人が違うのだからいいんです。
そして、講演はテープにとり、そのまま本になります。1年後には文庫になります。いいビジネスです。3ヶ所で講演するのですから、日収300万円です。1日で稼ぐのです。いくら女性が苦界に身を沈めても、こんなに稼ぐことは出来ません。1日で300万円稼ぐなんて、普通は出来ません。銀行強盗の世界です。でも、この仕事(講演ビジネス)は危険はありません。それどころか、皆に尊敬され、誉め称えられます。講演の中では、「日本人はモラルを失った。嘆かわしい」と言います。「愛国心を持て」と言います。「人生は金だけではない! 昔の日本人は、貧しくても高貴なる精神を持っていた。他人への思いやりがあった。助け合いの精神があった」と言います。自分のことは棚に上げて。天に唾するとはこういう事でしょう。
とてもとても、私はそうはなれません。僻みもあるでしょうが、そうなったなら終わりだと思います。私なんていろんな支援集会や、市民運動の会に、自費で行ってます。少しでも協力し、支援しようと思うからです。そして挨拶して帰ってきます。帰りがけに、「カンパして下さい」と言われ、応じます。だから、「トラベルな男」にもなれません。
そうか。皆に迷惑ばかりかけているから、「日本で最もトラブルな男」か。これなら言えるでしょう。それに、私がこの『愛国の昭和』の帯を書くとしたら、こう書きますね。
〈日本で最も愚かな男が衝く
日本人の「愚」〉
「愚」が二回出てますね。愚の二乗ですね。グー!ですね。エド・はるみですね。
さて、本の帯の裏には「目次」が書かれています。「何だ!これは。許せん!」と手に取った愛国者の方々に、破り捨てられるのではないかと心配です。いっそのこと、帯の中に街宣車を描いてくれればよかったのに。街宣車で糾弾しようと思って本を手に取ったら、「あれっ、もう行ってるのか」と思って納得するでしょう。そんなことはないか。
では、デンジャラスな「目次」を紹介します。
〈はじめに〉四十年の呪縛
〈第一章〉悪魔の言葉「玉砕」
〈第二章〉藤田嗣司の玉砕画と「少年の切腹」
〈第三章〉「神になった三島」と死の文化
〈第四章〉神風は吹かなかった。しかし…
〈第五章〉日本人は天皇に不忠ではなかったか
〈第六章〉「日本沈没」は現代の「玉砕」か?
〈第七章〉果たして特攻は〈神〉だったのか
〈第八章〉犬だって〈特攻〉をやろうとした
〈第九章〉砕ける「玉」はなぜ貴いのか
〈第十章〉「玉砕」に秘められた驚くべき真実
〈あとがき〉玉砕を辞さず
何だ。これは!と激怒する人が多いでしょう。「特攻の人々を侮辱している!」「許さん!」と怒鳴られるでしょう。敢えて挑発的な小見出しをつけたのかもしれません。本をじっくり読んでもらえば分かります。いや、読んでも分からない部分が多いかもしれませんが…。
実は、この本は、かなり時間をかけて書きました。迷い、悩み、考えながら書きました。「でも、最近随分と本を出してるじゃないか」と言われるでしょう。しかし、その前から、考えていたテーマです。去年の末から3冊、本を出しましたよね。本当は、その3冊の前にこの『愛国の昭和』を書き上げる予定でした。でも、全く進みませんでした。
その時に、3冊の本の企画が入り、引き受けてしまいました。忙しくても、断わったら、もう依頼は来ないと思ったからです。それに、この3冊は、短期間でやれると思ったからです。考えが甘かったのです。
去年の末に『愛国者の座標軸』(作品社)を出しました。これはHPをまとめるだけだし、私は何もしなくてもいいと、愚かにも思い、軽い気持ちで引き受けました。ところか、大変でした。校正も大変でしたが、一つ一つの原稿に、今の視点から振り返ったコメントをつけたり、それだけでも100枚以上の原稿を書きました。
今年になって、『失敗の愛国心』(理論社)を出しました。〈中学生向け〉というのが魅力的で、やってみようと思いました。講談社の本と同時並行で出来ると思ったのです。でも、こっちにかかり切りになってしまいました。前から頼まれていた講談社の本はグンと遅れてしまいました。
さらに川本三郎さんとの対談です。『本と映画と「70年」を語ろう』(朝日新書)です。これは対談なんだから、何回か会えば、自動的に出来るだろうと思いました。ところが、そんな甘いものではありませんでした。そして、出す月も決まっているし。必死に集中してやりました。大変でした。
これら4冊の本を、いわば同時に進めていたのです。ですから、精神的に余裕がなくて、かなりパニクってしまいました。いろんな人に迷惑をかけたと思います。申し訳ありません。人と会う約束も、かなり破ったと思います。電話をもらっても、素っ気なかったと思います。全てはこの本のせいです。常に追いかけられ、イライラしてました。家のものにも迷惑をかけました。怒りっぽくなって、つい、家のものに悪態をつき、殴ったり、蹴飛ばしたりしました。家庭内暴力です。まあ、家のものと言っても「家の者」ではなく、「家の物」です。机や椅子や本棚に当たり散らしていたのですが…。
4月末に北朝鮮に行きました。帰ってきたら又、忙しくなると思いました。講談社からは、「まだなの?」「どこまで進んでいるの?」と何度も何度も催促されていました。だから、北朝鮮に行くまでに、走り書きでも書いておこうと思いました。それでボツになるならいい。ともかく、「考えている」「書き始めている」という誠意・証拠を示さなくてはいけない。そう思いました。それで何日か徹夜で、書き上げ、4月23日の昼に、宅急便で送りました。本当にキツかったですね。この日の夕方、成田から中国・北朝鮮に飛び立ったのです。
向こうでも不安でした。「こんな走り書きの原稿など読めない」「ダメだ」とボツになるのではないか、と。少なくとも、「誠意は分かった。だが、全面書き直してくれ」と言われるだろう。そう思っていました。その覚悟はしました。
でも、帰国したら、「いいですね。これで進めましょう!」との言葉。本当にホッとしました。
それで、ゲラが出来ました。でも「初校」ではありません。手書きの原稿では読めないので、一応、ワープロに打ってくれたのです。それを元に大幅に書き直し、やっと五月末に初校が出来ました。そして、再校、三校とやりました。その間、口には言えない苦労がありました。私よりも、担当の岡部さんの方が大変だったと思います。本の内容をめぐり、又、本に入れる写真をめぐり、本当に迷惑をかけました。こんなに苦労した本は初めてです。その苦労話の一部は、「あとがき」に書きました。でも、書けないことも多いのです。
「あとがき」にも書きましたが、この本は、奇妙な本です。不思議な本です。執筆に2年間かかりましたが、「構想」には40年かかりました。「はじめに」の「40年の呪縛」にその辺のことは書きました。よく、「命がけで練習しろ」「命がけで勉強しろ」なんて言います。「命をかける」ことが日本人は実に好きです。40年前、右翼の人に、「命がけ」でなければ「愛国心」は分からないし、右翼運動も分からないと言われました。そのことをずーっと考えていました。
戦争中は、日本人は特に「命がけ」を強調しました。その最たるものが「特攻」であり、「玉砕」です。神々しくも美しいものだと思ってきました。この人々のおかげで今の我々の生活もあると思ってました。この人々に申し訳ないと思いながら、その「死のかたち」について、無条件に感動し、感謝していました。
ところが、ある時、こんな残酷な言葉はないと思いました。自分が決意するだけでなく、上から「強制」される。周りから強制される。特に、「玉砕」です。きれいな言葉ですが、実に残酷な事実です。命令された集団自決ではないのか。玉となって美しく砕ける、と言うが、こんな悪魔的な言葉はないと思いました。
それで、考えました。一体、誰がこんな言葉を発明し、強制したのだろうと…。大東亜戦争の時に出来た言葉かと思ったら、違いました。何と、西郷隆盛の時に「玉砕」という言葉があったのです。では、「玉砕」のルーツは西郷か?と思ったら、実は、1500年前の中国の古典に、すでに書かれていたのです。
でも、その原文は手に入りません。読めません。それで漢文の先生に頼んで、原文を取り寄せてもらい、「個人教授」をしてもらいました。何日も何日も。そして、「玉砕」に秘められた驚くべき事実を発見しました。自分で書いていて、これは推理小説のようだ、と思いました。あとは、本を読んでみて下さい。
普通、本を書く時は、「主張」なり「結論」があるから書きます。このことを言いたいと。ところが、この本は、書きながら、どんどん「方向」が迷い、とんでもない方へ行きました。エッ、こんな所に迷いこんでいいのか?と思いながら書き進めました。
それに「特攻」や「玉砕」は日本人の〈聖域〉です。ここだけは、一切批判できません。そのことに、長い間、不満でした。これはおかしいと思ってました。確かに、特攻、玉砕をした人々はかわいそうです。純真です。その人達のおかげで今の平和もあります。
しかし、それを考えつき、命じた人々は悪魔です。「特攻の父」大西中将も、「これは外道の戦法だ」と言ってます。考えつき、命じた人まで、「犠牲者だ」「かわいそうだ」と弁護してはらないと思います。特攻や玉砕を軸として、あの戦争の全てを美化し、正当化することには我慢がなりませんでした。
そのことがあって、ずっと、何十年も考えていました。そして、やっと書き始めました。あるいは、「日本人のタブー」に触れるのかもしれません。しかしやらなくてはいけないと思いました。その結果、総スカンを食うかもしれません。でも、やろうと思いました。
それが、このHPの初めに書いた「悲壮な覚悟」になったわけです。大体、「愛国をテーマにした本」だって、これで4冊目です。ちょっと書き過ぎです。これで最後にします。いや、こんなキツイ仕事も、もうこれで最後にしたい位です。又、たとえ、何と言われようと、これは書く必要があると思いました。「あとがき」に書いた「玉砕を辞さず」の覚悟です。これが最後の本になるかもしれない。その位の覚悟を決めて書きました。
新書ではありません。だから、部数も少ないです。700円位で新書にしてもらった方が、部数も多いし、新書コーナーに書いてくれるので目につくと思い、そうお願いしました。でも担当の岡部さんは、「これは鈴木さんの生命をかけた本なのだから、新書ではなく、キチンと単行本として作りましょう」と言ってくれました。そして、鈴木成一デザイン室に頼んでくれました。岡部さんも生命がけでやってくれました。
私も、覚悟を決めて書きました。皆に読んでもらいたい。でも、これだけ必死に書いたんだ。誰にも手渡したくない。そんな気さえします。私にとっての宝ですし、玉です。出版することによって、この玉が砕けるような気さえします。でも、出さなくては私の気持ちも理解してもらえません。この一冊が最後になってもいい。その位の熱い思いを込めて書きました。
今日発売の『愛国の昭和』(講談社)の表紙です。
それと、7月19日(土)に渡辺真也氏と会いました。美術家仲間のホームパーティで。そこで石原都知事の四男、延啓氏と会いました。
その前日、7月18日(金)阿佐ケ谷ロフトで、「アキバ事件」についてのトークをやりました。その時、「三島なり切り」芸人のウェルダン穂積さんに会いました。面白かったです。
7月20日(日)は和歌山に行きました。和歌山カレー事件の林眞須美さんを支援する集会です。そこで、林健治さん、浅野健一さんなどと会いました。