2008/08/11 鈴木邦男

日本は〈神々の闘い〉に負けた!

①源氏物語や古事記までも批判した「日本主義者」たち

折口信夫

 「日本は神国だ。必ず神風が吹く。その信念が間違っていたわけではない。むしろ、その〈事実〉を信じる力が衰弱したから戦争に負けたんだ」と言う人がいる。そんな馬鹿なと、誰もが言うだろう。僕もそう思った。こんなことを言う人は、「生長の家」の中にもいた。昔、右翼学生運動をしていた人にもいた。単なる「精神主義」じゃないか。信念さえあれば竹槍で原爆に勝てる、といった愚かな空威張りじゃないか、と思っていた。
 そんな精神主義者が日本に充満したから戦争に負けたのではないか。そのことは昭和天皇だって言っている。『愛国の昭和』(講談社)でも、そのことをずっと考えた。精神主義の極致である「特攻」「玉砕」を中心に、考えてみた。とても勝ち目のない戦争に何故、突入したのか。又、何故、途中で止められなかったのか。精神主義の狂乱が、その元凶だろう。そう思っていた。
 昭和天皇も、「精神」に重きを置きすぎて、「科学の力」を軽視したのが敗戦の原因だと喝破している。その言葉に尽きると思う。

 それなのに、いや、「科学の力」ではなく、「精神」の力が足りなかったから負けたという人がいるのだ。それは敗戦の事実によって論破されたのではなかったか。「いや、折口信夫だって、そう言っていた」と言う。それで、今、折口を読み直している。柳田国男と折口信夫は日本の民俗学、いや、日本思想界の二大巨頭だ。学生時代は夢中になって読んだ。かなり読んだ。それで理解したつもりになっていた。しかし、折口の「必勝の精神」については理解不足だった。その点についての「疑問」や「問題意識」が無かったから、読んでいても気が付かなかったのだろう。
 加藤守雄の『わが師 折口信夫』(朝日文庫)は、「「掟破り」」の本だった。師について、ここまで書いていいのか、と驚いた。噂されていたホモセクシャルのことについて、ズバリと書いている。それは後述するが、折口の「必勝の精神」についても、明確に書いている。
 折口は、思想も人間性も行動も、デンジャラスな人だ。危ない。過激だ。「普通」の域を大きく越えている。「必勝の精神」といっても、その辺の軍人や右翼のような精神主義ではない。加藤はこう書いている。

加藤守雄『わが師 折口信夫』(朝日文庫)
〈戦争に便乗する御用学者とちがって、客観的な研究態度を貫かれているのだが、世間からは、無条件に日本を讃美する精神主義者だと考えられていた。若い私たちには、そのことが残念だった。
 先生は、もちろん日本の戦いを信じていた。民族の情熱の奔流であり、古代の神々よりうけ継いだ怒りの表現であることに、正しさがあると考えていられた。しかし、軍部や右翼思想家が口にする、日本精神とか神ながらの道とかいう言葉の無内容さには、同調されなかった〉

 でも、どう違うのだろう。日本精神を信じ、日本の必勝を信じていた、その点では同じではないのか。「いや、違う」と加藤は言う。同じように思われているから、「小さな違い」でも許せない。精神主義者にはそういう「非寛容」の傾向がある。それを言ってるのかもしれない。それならば、現代でもある。
 しかし、加藤の本を読むと、もっと根本的、決定的な違いのようだ。だから、「不敬だ」といって攻撃されたり、検挙されるのかもしれない。弟子たちは、そこまで心配したという。

〈私たちはむしろ、先生の書かれる論文が、筆禍をまねくのではないかと、はらはらしていた。ある日、ラジオの講演で、日本文化の発生を説いていられるうちに、話が天皇家の系譜のことに及んだ。長子相続による万世一系ではなく、幾流れもの皇統があったこと、その後見者である豪族の力関係によって、日継ぎの皇子が定まることを述べかけられた。
 聞いていて、はっと思った。皇紀二千六百年が、中国の史書に照らし合わせると、六百年ほどの水増しがあることは、その頃すでに学界の常識になっていたが、それを言うことすらタブーだった。源氏物語から源氏と藤壷との密通事件を削れとか、日本書紀から雄略天皇の事蹟を抹殺すべきだという意見が、大まじめでさけばれる時代だった。だから言葉の末端だけでとがめられたら言い逃れ出来ないのである〉

②「神風はありうるよ」と、折口信夫は言った

左より2人目、藤井春洋。右端、折口(『新潮日本文学アルバム』より)

 そうなのか。そんな低レベルの「精神主義者」とは一緒にされたくなかったのだ。しかし、源氏物語の一部を取っちゃえという人もいたのか。誰なんだろう。だったら、「源氏物語を全部焼き捨てろ!」と言ったらいい。でも、源氏物語は日本の誇るべき古典だと思っているのだ。ただ、一部だけが悪いと。「日本書紀」にしてもそうだ。雄略天皇のような荒々しい天皇がいたのは認めるが、何もそこまで書くことはないだろう。そう言ってるのかもしれない。しかし、「古事記」にしろ「日本書紀」にしろ、歴代天皇の輝かしい事蹟だけを書いてるわけではない。親、兄弟で争うし、殺し合いもする。騙しもするし裏切りもする。じゃ、いっそのこと「古事記、日本書紀は焼き捨てろ!」と言ったらいい。ついでに、そんなことをする天皇制も廃止したらいい、と言ったらいい。でも、言えないやね。そんなことは。
 これじゃ、日本文化や天皇制を愛し、守っているのではない。自分の都合のいい部分を愛し、守っているのだ。つまり、自分を守っているのだ。本当の意味での「探求心」「考える心」がないのだろう。「学問する心」がない人々の教条的な「精神主義」は嫌いだったんだろうな、折口信夫は。私は、そう理解しましたね。
 でも、だからといって、醒(さ)めた眼で時代を見ていたのではない。時代から身を引き離して、冷たく眺めていたのではない。そこら辺の精神主義者より、もっと熱い心を持って、この日本を見ていたし、愛していたのだ。この日本を愛(いと)しいと思い、抱きしめていたのだ。女性なんかには興味はなかったが、日本という〈男〉に愛を感じ、抱きしめていたのだ。
 当時、ひた隠しにされていたミッドウェーの敗戦も、山本元帥や古賀司令官の戦死の実状も、いつとはなしに国民の耳に入っていた。このままではとても勝ち目はないと国民も思っていた。その頃の話だ。加藤は言う。

岡野弘彦さん
 「元寇の折と同じように神風の吹くことを期待する声が、巷に流れた。そのくせ、近代の戦争に、神の加護なぞあり得るはずがないことは、誰よりも心の底で知っていた」

 そうだよね。皆、「科学」の心は持っていた。神風よ吹いてくれ、と思いながら、そんなことはあり得ないと皆、思っていた。近代人なのだ。戦争のスローガンの通りには行かない。皆、理性でそのことを知っていた。しかし、そんな時に、折口だけは違っていた。これは驚くべきことだ。最も理知的であり、学問の人、合理的思考の折口がこんなことを言っていたのだ。

〈「神風はあり得るよ」。そんな不合理なことを、ある日、先生が言い出されたので驚いた。日本人には、まだ神風を信じ得るような蒙昧さが残っている。アメリカやヨーロッパのように、文明が著しく進んだ国では、もう超越的なものを信じることが出来なくなった。日本はさいわい、そこまで文明が発達していないからね」
 人々に非合理なものを信じる心がある限り、非合理なことが起こるチャンスがあると言う考え方だった〉
井上ひさしさん(右)と

 ウーン、何と考えたらいいのだろう。天才のみが捉え得る「直感」なのだろうか。特に、ラストの一行だ。元寇の時、日清、日露の時は、日本も文明が発達していなかった。この日本の山河の中に神々も共に住んでいた。神々も戦争に参加したのかもしれない。そして非合理なものを全員が信じていたからこそ、簡単に非合理なことも生じた。神風は吹いた。だから、今だって、「神風は吹く」と折口は言う。
 「信じたからといって勝てるわけじゃない」と今の私たちは思う。当時の人々も思ったはずだ。心の中で…。アメリカとは物量が違う。武器が違う。とても無理だ。勝てっこないよ、と。
 武器や物量によって戦争の勝敗は決まると思っている。その意味では私たちも、当時の国民も「唯物論者」なのかもしれない。
 さらに加藤守雄の『わが師 折口信夫』では、こう書かれている。

〈私たちが、戦争について批判的な歌を作ったりすると、
 「客観的な立場になって、高処(たかみ)から見下すような批評態度をとってはいけない。それは正しそうで正しくない。われわれは日本の詩人なんだから、民族精神の奔流するままに、情熱をたぎらせて歌いあげるべきだ」と教えられた〉

③物量や武器ではなく、「キリスト教の信仰」に敗れた!

松岡正剛さん(右)と

 冷たく、客観的に見ていては〈歌〉など作れないと言うのだろう。神々や日本を信じる力が弱かったから日本は敗けたんだ、と折口は言う。さらに凄いことを言う。昭和21年のことだ。『新潮日本文学アルバム・折口信夫』にはこう書かれている。

〈当時、折口はわれわれが今回の戦に敗れたのは、日本の神が彼らの神に敗れたのであってわれわれの信仰がキリスト教国民の信仰に敗れたのだ。物量や兵器に敗けたというだけで、本当の反省をしない日本人は間違っているという考えを深く持っていた。
 また、戦場からもどって来た荒涼とした心を持っている学生たちに対して、日本のやさしいもの、美しいものに眼を向けさせ、すさんだ心をなごめようと努めた〉

 私たちは思っている。日本は「兵器や物量」に敗れたのだと。その大きな違いも分からず、あるいは無視して、「精神力で勝てる」と無謀な戦争に突入した軍部を愚かだと思う。昭和天皇だって、「精神」だけで「科学」の心がなかったから負けたと言っている。
 しかし折口だけは違う。「物量や兵器」で負けたのではない。そんな〈反省〉をしてはダメだと言う。だったら、いつの日か再び日本が「経済大国」になり、充分な「物量や兵器」を備えたら、「今度は勝てる」と思い上がって戦争をするかもしれない。折口はそんな将来のことまで考えたのかもしれない。
 折口は、「信仰」の力で負けたという。アメリカ人のキリスト教を信じる心が勝ったのだと言う。キリスト教を基盤にした「民主主義」を信じる心が勝った。と言ったら分かりやすいだろうか。アメリカを中心とした「連合国」は民主主義国家であり、日独伊の「枢軸国」は「侵略国、独裁国家」だと決めつけた。その「決めつけ」に確信を持ち、何の疑問も持たない。その〈信仰〉に日本は敗れたのかもしれない。私は、この文を読んで、そう理解した。まだ理解が浅いのかもしれないが、折口については、さらに勉強してみたい。そして、この「信仰」の闘い、「神々の闘い」についてさらに考えてみたい。

(左より)若松孝二さん、山本直樹さん、鈴木(7/28。ロフトプラスワン)

 さて、この『新潮日本文学アルバム・折口信夫』は岡野弘彦が編集し、評伝を書いている。今、引いた文も岡野の文だ。この本は、、1985年に発売され、2003年で八刷だ。この本は、3度くらい読んでいる。しかし、「神々の闘い」として、あの戦争のことを考えたのは初めてだ。そうした意識がなかったから、今までは漠然と読み過ごしていたのだ。
 又、折口を読んでみようと思ったのは、最近、この岡野弘彦の話を聞く機会があったからだ。岡野は歌人で、折口の弟子だった。1947年から折口信夫の家の内弟子となり、その没年まで7年間、国文学・民俗学・和歌の指導を受けた。

 今年の7月5日(土)、午後1時から8時まで、松岡正剛さんが主宰する「連塾」で、この岡野さんが話をした。ドイツ文化会館で行われた。この日本には、いろんな講演会やトークが溢れているが、この「連塾」は最も知的レベルが高く、エキサイティングだと思う。受講料も高い。時間も長い。しかし、充分にそれに見合う内容だ。
 今回は、3人のゲストを呼んで、松岡さんと、じっくりと話す。ゲストは、岡野弘彦さん、押井守さん(映画監督。今、「スカイ・クロラ」が絶讃上映中だ)。そして作家の井上ひさしさんだ。映像を交えながら3人と話すのだ。豪華な勉強会だ。
 第一部の岡野さんとの話の時に、この「信仰の闘い」の話をしていた。これは重大な問題だと思った。又、当時、こんな歌が流行っていたという。

「太郎が大きくなる頃は、
日本も、もっと大きくなっているだろう」

エッ、何だこれはと思った。小さな子供の頭をなでながら、こんなことを言い、こんな歌をうたっていたのか。植民地を増やし、アメリカだって日本のものにするつもりだったのか。

④とてもかなわない、と思う人がいて幸せだ

(左より)鈴木、サルキソフ、コンスタンチン先生、木村三浩(7/11。一水会フォーラム)

 岡野は7年間、折口の内弟子をしていた。そこで松岡さんはズバリと「折口のタブー」に斬り込む。「それで、折口には迫られなかったんですか?」と。折口がホモセクシャルだったことは、もう、いろんな所で話されている。だから生涯娶(めと)らなかったし、弟子の藤井春洋などとの愛は有名だ。春洋を養嗣子として入籍する。硫黄島で春洋が玉砕すると、能登一ノ宮に春洋との父子墓を建立した。昭和28年(1953年)、66才で折口は亡くなり、今は春洋と共に眠っている。
 春洋は長く、折口の内弟子として同居していた。戦争に取られたあとは、加藤守雄が内弟子になり、そのあとは岡野弘彦が内弟子になっている。「内弟子になって同居する」と聞くと、「もしや?」と思ってしまう。しかし、岡野さんのような高名な歌人に対して、そんな失礼なことは聞けない。でも松岡はズバリと聞く。昔、学生運動の闘士だけあって、怖いもの知らずだ。
 その「掟破りの質問」に対し、岡野はキチンと答えていた。これも偉い。
 「私が内弟子になった時は、折口先生の晩年の時で、もう枯れておられました。だから、そんなことは全くありませんでしたよ」
 そうだったのか。でも晩年といっても、66才で折口は亡くなった。60代の7年間か。今だったら、若いよ。「私の前の加藤さんは、迫られたと本に書いてましたが」とサラリと言う。ヘエー、そんな〈告白〉もしてるのか。それで、加藤守雄の『わが師 折口信夫』(朝日文庫)を買って読んでみたのだ。すみません。不純な動機で。たしかに、その中には師に迫られた時の体験も生々しく書かれている。
 それと同時に、「神風はあり得るよ」という折口の信念も書かれていた。それは前の方に紹介した。その「収穫」が自分にとっては大きかった。
 さて、60過ぎの「枯れた折口」だが、春洋との噂は聞いていただろう。万が一、師に迫られたら、どうする気だったのか。そんな意地悪な質問も松岡さんはする。それに対する岡野の言葉が潔い。清々しい。

 「それは覚悟しておりました」

 これは凄い。いろんな噂はあった。でも師として尊敬し、内弟子になるのだ。何でも引き受けようと思ったという。偉い、と思った。岡野の『折口信夫の記』(中央公論社)にもこう書いている。「折口と同じ家に暮らしているうちに、もし先生がそれを求めるならば、受け容れてあげてもよいという思いに、自然になってくるのである」。でも、師はそんな行動には出なかった。岡野は、その後結婚し、現在は国学院大学名誉教授だ。宮内庁御用掛(和歌)なども歴任した。

鹿砦社弾圧3周年大会で(7/12)

 というわけで第1部の岡野さんが終わり、第2部の押井守さん、そして第3部の井上ひさしさんと、内容の濃いセミナーだった。終わって、打ち上げに出た。井上ひさしさん、松岡正剛さんも同席していた。
 この時はまだ、『愛国の昭和』は出ていない。それで、『失敗の愛国心』の話になった。井上さんは、「あの本はよかった。鈴木さんはもう右翼じゃないよ。もっとも真ん中ですよ。いい立ち位置にいます。がんばって下さい」と言う。「感想を書いて理論社に送ります」とも。ありがたい。
 松岡さんは、「鈴木さんの、ズバリと断言する、その手法が鮮やかだし、勇気がある」と言う。エッ、私なんて、いつも遠慮しいしい物を言ってるような気がするけど。「いや、そんなことはない。断定の仕方が実にいい」と言う。そういえば、松岡さんのブログで、以前、私の『愛国者は信用できるか』を書評してくれていた。そこでも、「断定の仕方」を褒めてくれていた。
 ともかくありがたい。勇気づけられた。井上さんは、400冊以上の本を書いている。ユーモアと政治的〈主張〉はなかなか両立しないが、井上さんだけは例外だ。キチンと強烈に〈主張〉する。それと共に、ユーモアもある。井上さん以外に、こんな人はいないだろう。
 松岡正剛さんは、NHKにもよく出ている。「知の巨人」だ。何でも知っている。もの凄い知のネットワークを持っている。又、もの凄い読書量だ。そうだ、松岡さんに言われた。『失敗の愛国心』についてだ。「あれだけ読書の大切さについて正直に書いた本は他にありませんね」。一瞬、何のことかと分からなかった。しばらく考えて分かった。あのことか…と。「あとがき」の質問コーナーだ。「あなたにとって今、一番大切なものはなんですか」「死んだら何になりますか」といった問いだ。両方とも「本」だと言った。大切なものは本。死んだら本になる。そう答えていた。こうした「断言」も、思い切りがいいことになるのだろう。

 結論。何をやっても、とてもかなわないという人がいる。そういう人が目標として存在することはいいことだと思う。井上ひさしさんや松岡正剛さんなどだ。私なんて、いくら努力したって、とてもとても…と思う。そして、まだまだ、これからだと思う。力不足、努力不足を感じる。もっと努力し、がんばろうと思う。これはありがたい。

【だいありー】
「憲法第九条と戦後美術」で(8/6)
  1. 8月4日(月)毎日暑い。秋葉原に行く。夏バテで暴れる気力も失せる。「夢はワイドショー独占」だったのに。加藤君に悪いことをした。一緒に案内してくれたライターの加藤君です。あの加藤君ではありましぇん。

     この日発売の「週刊朝日」(8月15日号)に特集記事。「いい加減にしろ、韓国人。竹島に続き、対馬も韓国領なんだって?」。木村三浩氏や全愛会議の矢野議長らが急遽、対馬に乗り込んだ。その闘いの様子が詳しくレポートされていた。

     夜7時、高田馬場。木村三浩氏、それに「マスコミ市民」の人たちと会う。懇談会。みんな国際政治を熱く論じ、大いに飲む。私はどちらにもついて行けない。ビール一杯で酔ってしまい、眠ってしまった。いかんなー。これじゃ運動家にもテロリストにもなれない。いいんだ私はどうせ落伍者ですよ。帰って家で落語を聞く。
  2. 8月5日(火)彼女はいない。友達はいない。ワーキングプアーだ。暑い。いらいらする。世の中の全てが敵だ。全てが面白くない。だから、そばにいた人を襲撃した。気が触れたのだ。いきなり飛びかかり、投げつけてやった。隣りにいる人間にも、胸ぐらをつかみ、投げ飛ばしてやった。さらに、その隣りの人にも飛びかかり、首を絞めてやった。狂気だ。こんな世の中が悪いんだ。相手はだれでもよかった。
     ところが最後は警察官に取り押さえられた。それで終わった。これは夢ではない。妄想でもない。実話だ。でも、私は捕まらないで、こうしてパソコンを打っている。だって、講道館での話だからだ。暑中稽古をしてたからだ。警察官や拘置所の人なども来ていて一緒に練習をしている。そういう稽古の風景なんですよ、これは。街で、知らない人に飛びかかり、投げたら即、逮捕ですけどね。格闘技があってよかった。
右は田原総一朗さん(8/7一水会フォーラムの二次会で)
  1. 8月6日(水)昼、雑誌の取材。口で喋るのは大変だ。いきなり殴りかかったり、投げ飛ばしたり出来ない。そのうち討論会も「ゲーム」になるだろう。ゲームの中だから、殴ろうと殺そうと自由だ。殺されたら、リセットして、もう一回やり直したらいい。私もそろそろ、リセットですね。
     午後6時半、代官山のヒルサイドフォーラムに行く。巨大な建物だ。びっくりした。「アトミックサンシャインの中へ。日本国平和憲法第九条下における戦後美術」。今日から8月24日まで、展示会だ。オノ・ヨーコさんの作品。大浦信行さんの政治的にも危ないアート。森村泰昌さんの三島由紀夫に題材をとったパフォーマンスなどなど。柳幸典さんの革命的な反戦アートも。凄い。よくこれだけのものを集めたものだ。
     そのオープニング記念シンポジウムが7時から開催された。太田昌国さん(現代企画室)と私。司会がキュレイターの渡辺真也氏。それに大浦さんや、柳さんなども参加する。超満員だった。それも若い美術家、画廊の人、学生などが多い。左右の運動家の集会ではとても出来ない試みだ。アートだから出来る無謀な試みだ。「アート無罪」だ。三島だって、右翼ではない。アーティストだ。
     政治運動は、常に「集団」で勝負をする。5千人より1万人集まった方が、「俺たちは正しい」となる。集会、デモで人を集めることに懸命になる。数の理論だ。数をバックにして、「正しさ」を競う。その点、アートは「個人」で勝負する。私も〈右翼〉として見ないでくれ。「集団」の中の人間として見ないでほしい。一人の「オブジェ」なのだ。と言ったら受けた。太田さんは、三島について真面目に語る。私も、三島、憲法、アートについて必死に考えて話した。楽しかった。改憲・護憲といった硬直した政治運動とは別に、こうしたアートを中心にして、天皇、憲法を考える試みの方が、力を得、リアリティを得るかもしれないと実感した。
     去年の秋にやった「皇居美術館」の構想だって、アートだから出来た。又、今週の土曜日には、日本教育会館で、「アートで表現するYASUKUNI」シンポジウムがあって出る。アートなら何でも出来る。
     この日、終わってから、二次会。まるでニューヨークのようなおしゃれな店で飲む。留学体験やニューヨーク在住体験を持つ人が多い。会話にも英語が多発する。去年4月、ニューヨークで呼ばれて憲法の話をした時のことを思い出した。渡辺氏と知り合って、グンと私の視野も拡がった。12時に帰る。「では又、ニューヨークで会いましょう」と言って…。
  2. 8月7日(木)ジャナ専に行く。レポートの採点を持って行く。遅れていて、前の夜に、徹夜で見た。それを届ける。そして、『愛国の昭和』を先生方と、教務、図書館にあげる。喜んでもらえた。
     それから、河合塾コスモに。この本の後半にはコスモの漢文の先生に個人授業をしてもらって書いた。いわば、「コスモ物語」になっている。先生や生徒にも好評で、嬉しい。夕方まで自習室で勉強した。
     夜、7時から一水会フォーラム。田原総一朗さん。「民族派への期待と疑問」。凄い人だった。入れない人も多く、廊下で聞いている。いい話しだった。田原さんの口から「大アジア主義」なんて言葉も出た。凄い。それに勇気のある人だと感心する。ありがとうございました。
  3. 8月8日(金)図書館で調べものをしていた。夏休みだから、学生で満員だ。夜、対談。北京オリンピックが開幕。凄いね。さすがだ。
  4. 8月9日(土)午後1時から日本教育会館。日教組の入っている会館だ。「アートで表現するYASKUNI」に出る。
     ここの1階の「一ツ橋画廊」で靖国に関連した「もうひとつの美術史」をやっている。8月11日まで。  その関連リレートークとして、1時から、ここの901号室で、シンポジウム「ヤスクニと表現をめぐって」をやる。針生一郎、毛利嘉孝、安星金さん、そして私だ。アートを軸にして靖国を語る。アートだから出来ることだ。なかなか意欲的な企画で、刺激的だった。とても勉強になった。
     夜、7時から、阿佐ケ谷ロフト。劇団再生の高木尋士氏らとトーク。「罪と罰?表現の自由」。私の最も好きな作家・ドストエフスキーについて大いに語った。又、「日本のドストエフスキー」といわれた見沢知廉氏の話もした。第二部は、劇団再生の芝居で「罪と罰」。これは思想劇だ。なかなか、よく出来ている。たった二日間の公演なんてもったいない。半年間くらい、ロフトで上演してほしい。他の企画は皆、やめてもらって。それだけの価値はある。
     地方から来た女性にお菓子とナイフをもらった。お誕生日祝いだ。テロリストになれということか。もう自決しろということか。迷う。
  5. 8月10日(日)昼、座談会。取材。夜7時半から、阿佐ケ谷ロフト。前日に続いてトーク。高木氏、私。そして椎野礼仁さんと、フランス文学と森田必勝について語る。そしてお芝居。連日、超満員だった。アンコール上演をしなくっちゃ。
【お知らせ】
「創」(9・10月号)より
  1. 月刊「創」(9・10月合併号)が発売中です。なかなかいいですね。田代まさしさん出所記念会のイベントが報告されてます。グラビアでは、私も一緒に出ています。
  2. 8月12日(火)6:30p.m.、渋谷のアップリンクファクトリー。ガンダーラ映画祭。私もトークで出ます。
  3. 8月20日(水)阿佐ヶ谷ロフト。落語家の快楽亭ブラックさんと出ます。(7月と8月の2ヶ月間で何と8回もロフトに出る。凄い。ちょっと出過ぎだ。申し訳ありません。
  4. 8月26日(火)午後7時から、Park自由学校で講義します。「靖国」について。
  5. 8月27日(水)午後9時より、新宿二丁目のゲイバー「Fmf(メゾフォルテ)で、伏見憲明さんとトークをします。「右翼と語る恋愛、結婚、同性愛、差別、国家、天皇。鈴木邦男とオカマが飲み明かすナイト!」。凄いテーマですね。がんばります。どうなることやら。楽しみです。チャージ500円+ドリンク1000円からだそうです。ぜひ、聞きにいらして下さいな。
  6. 8月28日(木)午後6時、樋口篤三さんの『社会運動の仁義・道徳』(同時代社)の出版記念会。この本では私も、巻末で樋口さんと対談しております。
  7. 9月5日(金)帝銀事件の平沢貞通さんの絵画の展示会が行われます。それを記念して、「国家に殺された画家・平沢貞通」のシンポジウムが行われます。午後3時から。平沢武彦氏、針生一郎氏、そして私です。私も、平沢さんの絵については少し勉強したし、書いているのです。お楽しみに。特に、戦時中に平沢さんが描いた〈戦争画〉については、いろいろと調べて勉強しました。
     実は『愛国者の昭和』に書いたのです。平沢さんの戦争画について、かなり詳しく書いてますので、読んでみて下さい。
  8. 9月16日(火)7時、一水会フォーラム。高田馬場サンルートホテル。「北朝鮮再考」。吉田康彦先生(大阪経済大学客員教授)です。興味深い話が聞けると思います。
  9. 9月18日(木)午後4時50分より、河合塾コスモ(新宿)で雨宮処凛さんの講演会。「生き地獄天国=生きにくい現代社会を楽しく生きる方法=」です。一般の人も参加できますので、いらして下さい。牧野剛、鈴木邦男も含めて、鼎談形式でやります。
  10. 9月24日(水)午後6時。日本国体学会で講演します。里見岸雄について話します。里見は『天皇とプロレタリア』『国体に対する疑惑』という衝撃的な本を書き、天皇論に革命を起こした人です。三島由紀夫や竹中労など影響を受けた人は多いです。私もそうです。そんな話をします。
     午後6時から、中野サンプラザ8階一号室です。演題は「現今の天皇論をめぐって−里見国体学との出会い」です。
  11. 10月12日(日)憲法についての集会で呼ばれて話します。