「ドストエフスキーと見沢知廉」という壮大なテーマで高木尋士氏(劇団再生)と語り合った。8月9日(土)の夜だ。阿佐ケ谷ロフトだ。『Symphony #09・罪と罰、マジで大迷惑!』の芝居が9日(土)、10日(日)に上演された。その上演前に1時間ほど高木氏と文学論、演劇論をやった。
9日(土)に話した内容は先週のこの欄で書いた。10日は編集プロダクション社長の椎野礼仁さんも加わり三人で文学論・演劇論をやった。開口一番、私は言った。「昨日は“ドストエフスキーと見沢知廉”だったので、今日は“スタンダールと森田必勝”について話します」と。高木さんも椎野さんも「エッ?」という顏をしていた。しかし、大部分のお客さんには受けなかったようだ。かえって白けたかな、と思っているうちに、話すのも忘れた。
先週のこの欄では、「10日(日)は“スタンダールと森田必勝”について話した」と書いた(ような気がする)。「話します」と言ったのは事実で、この時点でパソコンに打ち込んだのだ。でも、結局、話す時間がなかった。どうも不正確な表現になった。だから今週は、その穴埋めだ。スタンダールについて書く。
9日(土)、「どこの国の文学が最高か」という話を高木氏とした。「文学オリンピック」をやったら、どこが金メダルか。という話だ。私は躊躇なく、「ロシア文学」だと言った。ドストエフスキーがいる。トルストイがいる。ゴーリキー、チェーホフがいる。文句なしにロシア文学だ。いくら愛国者だからといって、根拠もなく、「日本文学が世界最高だ」と言う気はない。そんなのは間違った愛国心だ。
ところが、「文句なしにロシア文学というのはどうでしょうか」と高木氏は言う。フランス文学だって侮れない。いい勝負だという。そうか、サルトルがいる。カミュがいる。スタンダールがいる。
僕らも学生の頃は夢中になって読んだな、フランス文学は。どれだけ理解できたかは分からないが、とにかく読んだ。ほとんど全部読んだ。読んでなければ、学校で友達と話が出来ない。馬鹿にされる。「サルトルも読んでないの?それでも大学生かよ」と言われちゃう。だから難しいけど読んだ。
でも僕は、サルトルよりもカミュが一番好きで、しっくりと来た。肌になじむ感じがした。『異邦人』もいいが、『正義の人々』『シジフォスの神話』も好きだ。箱に入ったお洒落な全集が出ていて、それで読んだ。ロシア革命前夜のテロリストについても書いている。書き方が、あたたかい。明治維新の時の日本の志士たちと似てると思った。
さて、スタンダールだ。今から40年前の話だ。早大闘争の時代だ。早大は全共闘の天下だった。各学部ではストライキが決行され、連日、全共闘の学内集会、教授突き上げが行われていた。文化大革命の時の中国のようだった。僕ら右翼学生は圧倒的に少数で、全共闘に論破され、殴られていた。言論でも肉体言語でも、いつも粉砕されていた。キャンパスでは左右の学生による論争、殴り合いが日常茶飯事だった。それを一般学生が遠巻きにして見ている。時は、「そうだ、そうだ!」「おかしいぞ!」「ナンセンス!」と合いの手を入れる。掛け声をかける。野次る。声援する。
僕らは、一般学生に囲まれて、全共闘と闘っていた。闘いながら、まわりの「ギャラリー」の様子を観察する。「おっ、こいつは、いつも来てるな」「オレたちの発言にうなづいてるぞ」「全共闘に対し野次を飛ばしたな」と冷静に見ている。そして、討論が終わってから、その学生に声をかける。オルグ(勧誘)だ。いきなり「仲間になれ」とは言わない。「時間があったら喫茶店で話そう」と声をかける。我々と同じ団体に入れなんて言わない。「学園の正常化のために何が出来るか話し合おう」「各学部単位でスト解除の決議を出そう」…と、そんな話をした。そして、人間関係が出来れば、日学同、生学連などに誘った。仲間にした。
早大闘争があってよかたと思うのは、潜在的な〈右派学生〉を顕在化させたということだ。何もない平穏なキャンパス・ライフならば、右派的なことを考えていても、それで終わりだ。仲間も出来ないし、活動家になることもない。
その点、左翼(全共闘)が強くなると、それに対抗する勢力が出てくる。さらにそれを応援する勢力が出てくる。潜在的な人間を顕在化させた。だから全共闘に感謝している。
実は、森田必勝氏も「ギャラリーの一人」だった。僕らが、全共闘と論争し、殴り合いするのを、いつも見ている。時々、「そうだ、そうだ」と言っている。でも大体は、じっと見ている。学生服を着て、短髪だ。体はガッチリしていたし、きっと体育会系の学生だと思っていた。いつもいるので、思い切って声をかけた。いや、「思い切って」などと覚悟はいらなかった。普通に声をかけたようだ。何度か話した。そして、「喫茶店で話そう」と誘った。早稲田のすぐ近くにある喫茶店があって、そこが右派学生の「たまり場」だった。その喫茶店の名前が「ジュリアン」というのだ。
この喫茶店が果たした役割は非常に大きい。この喫茶店がなければ早大の右翼学生運動は生まれなかったろう。一軒の喫茶店が日本の新しい学生運動を作ったのだ。一杯のコーヒーから革命が生まれたのだ。
偶々(たまたま)そこが「たまり場」になって、右派学生が知り合い、連絡、組織化されたのではない。「一つの意志」「野望」をもって、この喫茶店がその重大な役割を果たしたのだ。
名前からして、野望を秘めている。意欲的だ。だって、スタンダールの『赤と黒』の主人公・ジュリアン・ソレルからとったのだ。そう説明されて初めて、「えっ、そうなのか」と今の学生なら思うかもしれない。しかし、当時の学生にとっては、こんなことは「基礎教養」だった。少なくとも、「この店のマスターはスタンダールが好きなんだな」と学生は分かる。今の学生とは違う。今の学生は、携帯やパソコンで、世界中の〈情報〉が分かり、映画、飲み屋、スポーツの〈情報〉にも通じている。でも、ドストエフスキーもスタンダールも読んだことはない。こんな連中ばかりだ。だったら、〈情報〉なんか要らないよ。
僕は森田必勝氏を「ジュリアン」に誘った。「おっ、スタンダールですね」と森田氏も言っていた。この時点では、まだ、ただの「一般学生」だった。後に日学同に入り、「楯の会」に入り、三島由紀夫に信頼されて、「楯の会」学生長になる。そして、三島と共に自決する。
三島に気に入られたキッカケは、森田氏の初対面の言葉だった。「三島さんの小説なんて一冊も読んでません」と言ったのだ。。三島はこれで気に入った。三島は、いわゆる「三島文学ファン」を嫌っていた。青白い文学青年を嫌っていた。そうではない学生、つまり「若きサムライ」を求めていた。それに森田氏はピッタリだったのだ。三島の本は読んでない森田氏も、スタンダールは読んでたのだ。
時間を遡る。僕が「ジュリアン」に誘った時の話だ。自決の3年前だ。「ジュリアン」に行ったことで森田氏の人生は変わる。別に、僕が変えたという気はない。「ジュリアン」には多くの右派学生がたむろしていた。かなり高度な政治論、文学論が闘わされていた。そこにいた実に多種多様な学生に接して森田氏は「一般学生」から「右翼学生」に変わっていったのだ。そう、スタンダールが森田必勝をつくったのだ。
これは何も、「もののたとえ」ではないし、極論でもない。スタンダールがいなければ、森田必勝はいなかった。三島事件も起きなかった。「そんな馬鹿な!」と思われるかもしれないが、事実なのだ。歴史の証言者の私が言うのだから真実だ。
この「スタンダールと森田必勝」については、私が連載している『マガジン9条』の「鈴木邦男の愛国問答」に少し書いた。「おすすめの3冊」をあげてくれと言われ、スタンダールの『赤と黒』をあげて、〈森田必勝〉を紹介した。
ちなみに、「おすすめの3冊」のもう二冊は、ドストエフスキーの『罪と罰』。そして、ジャック・ドラクルテールの『反逆児』だ。『罪と罰』については、いつかゆっくり書いてみたい。ともかく、『マガジン9条』を読んでほしい。
さて、右翼学生運動を作った喫茶店「ジュリアン」の話だ。一代の風雲児・矢野潤(じゅん)という人が作った。早稲田の合気道部の0Bだった。大学院を出て、早大そばに喫茶店を作った。情熱的な人だった。行動派だ。「早大の危機を救おう!」と思い、右派学生を集めた。いや、喫茶店に誘って、「育成した」のだ。大学院を出たばかりだから、僕ら学生とも、それほど年は違わない。4才か5才ほど上だと思う。でも、とてつもなく「大きな人」だと思った。頭はキレる。弁は立つ。どんな学生でも、やりこめる。説得する。仲間にする。本当をいうとこの人が、右派学生運動を作った最大の功労者だ。でも、歴史には残ってない。OBだったからか。運動の表に出なかったからか。ともかく、喫茶店を舞台にして、早大に右派学生運動を作った人だ。
この矢野さんの盟友が玉沢徳一郎さんだった。今、自民党の国会議員だ。防衛庁長官もやった。ベテラン実力者だ。岩手出身だ。矢野氏とは早大合気道部の仲間だった。この二人が、早大の右派学生運動を作った。
玉沢さんには、この頃の話を、いつかキチンと聞いてみたい。玉沢さんの秘書になってる人は、早大で右派学生運動をしていた人だ。森田氏や僕らとも仲間だった。
さて、矢野潤さんだ。一代の風雲児だが、もう亡くなった。話は聞けない。名古屋出身で、野心家だった。ジュリアン・ソレルの「野望と夢」を持っていた。それと自分の名前「じゅん」をかけて、「ジュリアン」と名付けた。
一応は普通の喫茶店だ。早大のそばには何十軒、いや何百件と喫茶店があった。学生が集まって話す場は喫茶店しかないのだ。又、学内に部室がない部やサークルは、喫茶店を「連絡場所」にしていた。いくつものサークルの「連絡ノート」が掛けてあったし、電話を取次いでくれた。それで客も増えるのだから、喫茶店も大歓迎だった。あたたか味があったのだ。今じゃ、どこの喫茶店だって、そんな面倒なことは引き受けてくれない。いい時代だった。
「ジュリアン」も、早い話が右派学生の連絡場所、たまり場だった。ただ、他と違うのは、マスターの矢野さんが、はっきりした「目的」と「野望」を持っていたことだ。二階建てのかなり大きな店だ。一階は、普通の喫茶店で、いろんなサークルの連絡ノートも置かれている。しかし、二階は右派学生の「たまり場」だ。それに矢野さんの太っ腹なところだが、二階の学生からは一切、金を取らない。コーヒーでもコーラでも、飲み放題だ。もっとも、学生も、「悪いから」と思い、何時間いても、コーヒー一杯くらいしか飲まない。
しかし、今、考えても凄い話だ。二階は、全て、右派学生に開放し、タダだ。よくやれたと思う。このオープン・スペースがあったから、いろんな学生がどんどん入り、話し、激論し、秘密の打ち合わせもしたのだ。
この「ジュリアン」にたむろしたのは、日学同、生学連、全国学協、日本学生会議、楯の会など多くの学生たちだった。いや、ここに集まって、話し合ううちに「一般学生」が活動家になり、そうした団体に入っていったのだ。『マガジン9条』には、その点を、こう書いた。
〈ここが右翼学生の拠点だった。ここから多くの右翼活動家が生まれ、あるいは政治家に、ジャーナリストに、活動家になった。野望に燃えた、多くの「ジュリアン・ソレル」が生まれたのだ〉
マスターの矢野潤さんだけでなく、僕ら右翼学生も「ジュリアン・ソレル」だった。野望を持ち、闘い、あるいは成功し、あるいは傷つき、倒れ…と。この『マガジン9条』では、スタンダールの『赤と黒』についても、こう紹介している。
〈貧しく野望に燃えた青年が世の中で、のし上がる為には二つの道しかない。軍人(赤い服)か僧侶(黒い服)だ。昔、日本でもそうだった。ちょっと前ならば左翼(赤)か右翼(黒)か、という選択肢もあった。この小説の主人公、ジュリアン・ソレルは僧侶の道を選ぶ。そして、あらゆる手段を使ってのし上がろうとする。女の愛も利用する。冷酷に。彼にとっては、人生も戦争なのだ。軍人の心を持って僧侶の出世階段を昇る。しかし…〉
結末は悲劇的だった。もう一度、読み返そうと思ったが、長い小説だ。それで、図書館で、木原武一の『要約世界文学全集II』(新潮選書)を借りてきて、確認のために読んでみた。『赤と黒』は1830年に発売された。168年前なのか。近代小説かと思ったら、日本じゃ徳川時代だよ。(戊辰戦争は1868年だし)。
この本の「作家と作品」では、こう紹介している。
〈『赤と黒』(1830)の主人公ジュリアン・ソレルはナポレオンの崇拝者として描かれているが、作者のスタンダール(本名はアンリ・ベール。1783〜1842)も1812年のモスクワ遠征に加わり、みじめな敗退を体験したフランス軍人のひとりである。彼は17才のとき、ナポレオン遠征軍とともにミラノに入城し、その後、軍人としてはなやかな経歴を歩んだが、ナポレオンの没落とともに失職し、はじめは美術、音楽、文学などの批評を手がけ、44才になって最初の小説を発表した。
タイトルの赤は軍人を、黒は聖職者を象徴するというのが普通の解釈であるが、ルーレットの赤と黒を示し、人生への賭けをあらわすという説もある。「1830年代史」という副題がついている〉
知らなかった。ルーレットの赤と黒という説もあったのか。でも、これじゃ、面白くない。やはり服の色から、赤(軍人)か黒(僧侶)とした方がいい。実際、ジュリアンは僧侶になって出世した。
日本の学生運動の世界なら赤は共産主義者で、黒は右翼だ。と言った人がいたが(私か)。でも、黒は一般的にはアナーキズムだ。大杉栄だ。そうすると、『日本の赤と黒とは、共産党(ボルシェビキ)とアナーキストになる。「アナボル論争」になる。誰か、『日本の「赤と黒」』゛ても書いてみたらいいのに。見沢君、やってくれよ。と思ったが、もういない。残念だ。ドストエフスキーの『悪霊』にならって、高橋和巳は『日本の悪霊』を書いたのだし。
そうだ。「赤と黒」を一身で同時に体験した男がいた。石原莞爾だ。満州事変の立役者で軍人だ。『最終戦争論』などの著書がある。軍人(赤)であると同時に、宗教家(黒)だった。日蓮宗の熱烈な信者だ。国柱会に属していた。国柱会は当時の熱烈な愛国的宗教団体だ。宮沢賢治もここにいた。又、国柱会会長・田中智学の三男は里見岸雄だ。『天皇とプロレタリア』『国体に対する疑惑』などのセンセーショナルなタイトルの本を書いた人だ。
石原莞爾は、この里見とも仲がよかった。石原は、軍人として戦争をやる。又、宗教家としては、平和を求める。その相矛盾するものを自己の中でアウフヘーベン(止揚)する。すなわち、世界最終戦争論だ。絶対の平和を求める。実現できる。そのためにこそ、〈最後の戦争〉をやるのだという。まさに「赤と黒」の融合である。同化・昇華だ。
さて、再び、スタンダールに戻る。スタンダールがもし、『赤と黒』を書かなかったら、早稲田正門に、「ジュリアン」という喫茶店はなかった。右翼の学生運動もなかっただろう。私が森田氏を誘ってオルグする場もなかった。右翼学生運動家から多くの「ジュリアン・ソレル」が生まれることもなかった。スタンダールの『赤と黒』がなかったら、森田氏も右翼学生にならなかったし、「楯の会」にも入らなかった。だから結論だ。「スタンダールが三島事件をつくった!」。
さて、スタンダールだが、『赤と黒』の他には、「パルムの僧院」などがある。そして評論としては、余りに有名な『恋愛論』がある。
これは大学の入試にも出る。又、恋愛したことのある人は皆、読む本だ。古典的名著だ。恋愛についての〈全て〉が書かれている。しかし、一番有名なのは、「結晶作用としての愛」だ。文章もきれいだ。こう書かれている。
〈ザルツブルグの塩坑では、冬、葉を落とした木の枝を廃坑の奥深く投げこむ。二、三ヶ月して取り出してみると、それは輝かしい結晶でおおわれている。山雀(やまがら)の足ほどもないいちばん細い枝すら、まばゆく揺れてきらめく無数のダイヤモンドで飾られている。もとの小枝はもう認められない。
私が結晶作用と呼ぶのは、我々の出会うあらゆることを機縁に、愛する対象が新しい美点を持っていることを発見する精神の作用である〉
というわけで、「スタンダールと森田必勝」は終わりだ。
そうだ。最近、森田必勝が出てくる漫画を読んだな。面白かった。加古川の青年会議所に講演に行った時、そこの人がくれたんだ。劇画・藤原カムイ、原作・大塚英志の『アンラッキーヤングメン』(角川書店)だ。連続射殺事件の犯人、3億円事件の犯人、赤軍派も出てくる。又、三島由紀夫、森田必勝も出て来て、活躍する。
もう一つ、三島、森田が活躍する小説がある。荒俣宏の『帝都物語』だ。以前、全部読んだ。どの辺で出てきたのかは忘れたが、読んでみたらいいだろう。私の知ってる限り、三島と森田必勝のコンビが大活躍する本は、この二冊だけだ。それと、中村彰彦の『烈士と呼ばれる男』(文藝春秋社)もいい本だ。読んだらいいだろう。
森田必勝氏つながりでもう一つ。大阪の学生・下中忠輝君から残暑お見舞いの葉書がきた。何と、森田必勝氏と写っている。といっても森田氏の像だ。四日市の森田家を訪ねたそうだ。お兄さんの森田治さんが住んでいる。庭には森田必勝氏の像が。私が昔、お訪ねした時には確か、なかった。下中氏に電話して聞いた。「2000年に造られたそうです」。2000年は自決30年だ。それで造ったようだ。私も今度お訪ねしよう。必勝氏に又、会える。