えっ、まさか。と思いましたね。突然の辞任だ。福田首相は、飄々としてるし、打たれ強いのかと思っていた。私は結構好きだったんですがね。でも、辞めた。政権を投げ出した。安倍さんと同じだ。二人とも途中で投げ出した。安倍さんの時は、ただ呆れたけど、今度は、何か同情しちゃうな。そんなにきついのか。そんなに苛められたのか。そんなに孤立してたのかな。
支持率が何%上がった、下がったと。そんなことを気にしないで、達観してる人かと思ったが、案外、気が小さい人だね。それに、民主党など野党や、マスコミは、あれだけ「辞めろ!」「辞めろ!」と言ってた。「支持率がこんなに落ちてるんだから辞めるしかない!」と。じゃ、その「要望」に従って辞めたら、「なぜ辞めるんだ!」「無責任だ!」と批判される。「なんだ、お前らが辞めろと言うから辞めたんじゃないか」と福田さんも言いたいんだろう。言ってやればいいんだ。
次に誰がなっても、最初のうちはよくっても、すぐに「辞めろ!」になるさ。大体、何でもかんでも〈政治〉の責任にし、〈政治〉にだけ期待するのがおかしいんだよ。バラエティ番組にも政治家は出っ放しだ。そして〈人気〉を取らなくちゃと思っている。
安倍さんは一年、福田さんも一年。「これじゃ外国に笑われる」と言うが、でも、前は、1年に2人か3人、首相が代わった時もあった。アメリカやロシアでこんなことがあったら大変だ。国の危機だ。「革命」になる。国家は崩壊する。世界大動乱になる。でも、日本はたとえ1年のうちに何人首相が代わっても、国家は崩壊しない。「次に誰がなっても大勢に変わりはない」と安心し切っているからだ。だから、ちょっと人気がなくなると、すぐ「辞めろ」「辞めろ」と言う。「共産党になるわけじゃないから大丈夫だ」と思っているのか、又、「日本には天皇がおられる」という安心感があるのかもしれない。
安倍さんも、キツかったんだろう。福田さんもキツかったんだろう。同情する。野党は「反対」だけで、つぶしにかかる。連立を組んでる公明も文句を言う。自民の人間たちも批判ばかりする。マスコミも、無責任に叩く。「少々のことがあっても任期中はやらせる」位のことをしてもいい。どうせ、誰になっても大して変わらないんだから。
ところが「全ては首相のせい」だと責める。「イジメ」に耐えかねて、政権を投げ出す。これじゃ、子供に言えないよ。「イジメるな!」とか、「イジメに負けるな!」なんて、トップがイジメに遭い、政権を投げ出してるんだから。皆、やさしさがないんだ。
それと大事なことだが、トップと思われている首相も、イジメに遭い、いやになったら投げ出すことは出来る。「野党のせいだ。俺はがんばってたのに」とグチも言える。しかし、天皇さまや皇太子さまは言えない。投げ出すことも出来ない。グチも言えない。そのくせ、評論家やマスコミは批判ばかりする。これもひどい。ご病気の雅子さまに対し、「休養ばかりしているな」と言い、「本当は病気じゃない」とまで言う人もいる。雅子さまをかばう発言をした皇太子さまにまで文句をつける。おかしいよ。みんな、「やさしさ」がないんだ。いやな日本人だ。「あの結婚は間違っていた」なんて今さら言う人もいる。
この前の「朝生」で高森明勅氏はがんばっていた。他にも冷静に話していた人はいた。でも、全体的に、皇太子さま雅子さまに対し、失礼な発言が多い。それも、一般の人々に言えないことを、皇室の人に対してはズケズケと言う。
それも、「天皇制は必要だ。支持している。だから、あえて批判するのだ」と言って。これなら右翼も文句は言えない。陰湿だ。昔、「天皇制は差別の元凶だ」「共和制の方がいい」と言って、天皇制打倒を言う人々がいた。その頃の方が議論が健康だった。今の方が、いやらしいし、陰湿だ。皇室があり、皇室が存在することで、日本は存続し、日本は守られている。いて下さるだけでありがたい。大変なお仕事だ。それを国民はお願いし、強要している。それだけでも感謝しなければならない。それなのに、初めから欠点を見つけてやろうと思う人々が、「この発言はおかしい」「この病気はおかしい」と文句をつける。やさしさを忘れてる。病んでいるのは一体、どっちだ、と言いたい。
もっともっと自由にされていい。我が儘にしていただきたい。それだけ大変なお仕事をしてもらってるのだから。
そういえば、アフガンで殺された伊藤和也さんも、かわいそうだ。そしてもう忘れられている。次から次とニュースがあり、あわただしい。一青年の死なんか、いつまでも覚えていられない。…ということか。驚いたことに、危機意識もなく、あんな危ない国に行ったのが悪い。武装もしないで丸腰で行ったのがおかしい。と言う人もいた。「やさしさ」がない。危ない国に、丸腰で行ってボランティアをするなんて、並の覚悟じゃない。立派だと思う。「国葬」にすべきだと思う。日本では政治家がバラエティに出て、浮かれている。首相も、いやになって投げ出す。そんな中で、あんな危ない国に行ってボランティアをしている。そういう命がけの青年がいた。世界に誇ることではないか。「国民栄誉賞」をあげるなら、彼にこそ、あげたらいい。
「やさしさ」を忘れ、自分をも省みず、他人の批判をし、アラ探しばかりする国民、マスコミ。「安全圏」にいて、「過激な発言」をする評論家。いやな日本人ばかりだ。
そんな中、月刊『東京人』(10月号)の特集「アウトロー列伝」はよかった。〈時流にこびない反逆者たち〉の特集だ。昔はこんな反骨の日本人もいたんだ。今はどこにもいやしない。そんな懐かしい気持ちで読んだ。
取り上げられたアウトローは、こんな人々だ。大杉栄、色川武大、山口二矢、高田渡、深沢七郎、竹中労…などだ。
『東京人』ではアウトローの「定義」から書いている。これは、なるほどと思った。本来はロー(法)の外(アウト)にいる人間のことだ。無法者だ。しかし、
〈無法者ということではなく、御上に楯突く民衆のヒーロー、反骨精神にあふれる異端者、アンチヒーローとしてのアウトローは、絶えず時代の狭間にいた。「掟」に生きたアウトローを紹介する〉
そして、「魅力あるアウトローの五カ条」を紹介する。
この定義にはしびれた。うまい。なるほどと思った。そして、一人一人これに当てはまる人の写真や絵を紹介する。1は後藤新平。2は、侠客花川戸助六。3は国定忠治。4はシェーン。5は山口二矢だ。「反権力、反体制の意志こそが大切」という代表に山口二矢が入っているのだ。これは驚くべきことだ。ここまではカラーグラビアページ。そして、次のページから、具体的なアウトローについて、いろんな人々が書いている。
トップは山口二矢だ。つまり、「5の反逆者たること」から続いて、トップは山口二矢になる。このつながりがうまい。日比谷公会堂で山口二矢が浅沼さんを刺殺する。その写真が大きく出ている。次のページでは、浅沼さんの葬儀の写真だ。そして、山口二矢を「完璧なテロリスト」と評している。私が書いた。こうした素晴らしい企画のトップに書かせてもらい、光栄だ。ありがたかった。
やはり、山口二矢を書いてよかったと思った。昔は、「権力の手先」「大人に操られただけだ」と言われたが、今はそんなことはない。左翼の中にも〈評価〉する人がいるし、堂々のアウトローになっている。映画「実録・連合赤軍」を撮った若松孝二監督は、「次は山口二矢を撮る」と言っていた。2年後は、事件からちょうど50年だ。それに合わせてやるのだろう。再評価の本も出るだろうし、劇画にもなるだろう。NHK大河ドラマにもなる。今はちょっと早いが、50年後にはなる。
山口二矢は憂国のテロリストだ。「アウトロー」という言葉には似合わないかもしれない。しかし、ロー(法律)など初めから超越していた。命すらも捨てていた。その意味では究極の「アウトロー」だとも言える。そのことを『東京人』にも書いた。
この特集では、大勢の人々が、「自分の好きなアウトロー」を書いている。でも重複しない。事前に調整した。私は事前に「候補」を何人か挙げた。「でも、他に書く人がいたらそれは避けよう」と思った。竹中労も僕の候補に挙っていたが、『東京人』では水道橋博士が書いていた。これもありがたい。
初め、私が挙げた「アウトロー」は6人だった。「三島由紀夫、野村秋介、竹中労、大杉栄、山口二矢」だ。あれっ、これじゃ5人か。もう1人誰を挙げたんだろう。あっそうだ。「私」を挙げたんだ。とぼけてるし、飄々としている。法律の中で慎ましく生きているように見えるが、案外にワルだ。アウトローだ。ヘソ曲がりだし、無欲だし、自らが課した掟を持っている。うん、ピッタリじゃないか。と思ったが、冗談と思われたようだ。
「じゃ、三島でお願いします」と初め言われた。それで書き始めたら、「いや、山口二矢にして下さい」と言われた。誰か三島について書くのかと思ったら、違った。三島は余りにビッグだ。今じゃ、誰も批判する人もいない。完全に「認められた人」だ。その点、山口二矢は、まだ賛否両論があり、評価は定まらない。そういう「成長期」だ。その危うさに『東京人』は賭けたのだろう。そして、これは成功したと思う。
前に週刊誌で対談した時、テリー伊藤さんも山口二矢を高く評価していた。17才にして、あれだけ完璧なテロをやって、自決した。法を超えただけでない。「人生」も、「人間」をも超えていたのだろう。
(完璧の璧は「壁」じゃい「璧」だ。なぜ、「玉」なのかについては『愛国の昭和』で書いたので、読んでみてほしい。いつか、日本版『史記』を書く人が出たら、「刺客列伝」の中に、山口二矢は確実に入るだろう。その意味では私たちは、まさに〈歴史〉を生きているのだ。
「世界は神の手で書かれた巨大な一冊の書物なのだ」と澁澤龍彦は言った。神が書いているその現場に我々はいる。我々はその「活字」になるかもしれないのだ。実に感動的ではないか)。
この『東京人』では20人以上の「アウトロー」が取り上げられている。書き手も「アウトロー」あるいは「アウトロー」に憧れる人々だ。ちょっと紹介してみよう。書いた人は最後のカッコの中だ。
ともかく、充実した本だ。鹿島茂と佐藤優の特別対談「時代の枠組みがアウトローを作る」もいい。というわれで、オワリ。
と思ったが、この「アウトロー列伝」という言葉、前にも聞いたことがある。そんな気がする。それで調べてみたら、「別冊宝島」で2年前にやっていた。「日本アウトロー列伝」。それに表紙の写真も似ている。『東京人』は色川武大。『別冊宝島』は阿佐田哲也。でも顔がそっくり。実は同じ人だ。やっぱり、「アウトロー」といったら、この人しか思いつかないのか。別に真似たわけじゃなくて、アウトローを取り上げると、似た発想になるのだろう。やはり、「時代」が作るからだ。
それで、相乗効果で『別冊宝島』も売れるだろう。こちらは、40人ほどのアウトローが大挙、取り上げられている。野村秋介、見沢知廉もいる。竹中労もいる。「よど号」の田宮高麿もいるし、金嬉老もいる。金嬉老については私がコメントしている。又、野村秋介さんについても。この時も、私はかなり関わっている。唐牛健太郎(全学連委員長)もいるし、奥崎謙三もいる。私が会った人も6人ほどいる。こんな凄い人たちに会ったなんて、私も幸せだったと思う。
そうだ。別冊宝島の表紙のトビラにはこう書かれている。
「人は、無力だから群れるのではなく、
群れるから無力になる」
竹中労さんの言葉だ。けだし、名言だ。この言葉も歴史に刻まれるだろう。これから何十年かしたら、教科書に載るだろう。「昔、右翼、左翼、市民運動というのがあった。でも、群れたから弱くなり、つぶれたんだ」と。
その「未来の教科書」を今、私たちは読んでいるのだ。そして神が書く「大きな書物」を同時代的に読んでいるのだ。幸せな話じゃないか。
最近、川本三郎さんの本を全部読もうと思って、読んでいる。買えるものは買い、ないものは図書館から借りてきて読んでいる。川本さんと対談し、いろんなことを学んで、それを機に、全部読んでみようと思ったのだ。そしたら、気がついた。川本さんは、この『東京人』ではかなり縁がある。よく、ここに書いていた。それをまとめた本も随分と出ている。
たとえば、『東京万華鏡』(筑摩書房)は1992年に出た本だ。東京歩きの本だ。その「あとがき」を見たら、『東京人』に連載したものをまとめたと書いてあった。そして、『東京人』編集長・粕谷一希さんへの謝辞も出ていた。
この粕谷さんはもう、『東京人』は辞めた。『東京人』の前は、中央公論にいた。あの「風流夢譚」事件の時は、中公にいた。深沢七郎が、『中央公論』に載せた「風流夢譚」は夢の中で革命が起こり、天皇・皇太子殺される。「ブラック・ユーモア」だが、右翼はそうは思わない。激怒して、中央公論社に押しかけた。そして、愛国党にいた17才の小森一孝は中央公論社の社長の家に行き、お手伝いさんを殺し、奥さんに重傷を負わせた。「風流夢譚事件」である。
なぜこんな危ない小説を載せたのか。それだけの覚悟をもって載せたのか。三島が推薦したから大丈夫だと思ったのか。その辺のことを、この粕谷一希さんに会って聞いた。前々から会いたいと思っていたが、実現しなかった。『論座』がその場を作ってくれた。ありがたかった。でも、その『論座」も今月で休刊だ。残念で仕方がない。
この危ない小説を書いた深澤七郎はこの直後、全国逃亡の旅に出る。それだけ右翼が怖かったのだ。又、「天皇のことを書けば右翼が殺しにくる」という〈天皇タブー〉もここから生まれた。しかし、この小森少年の事件については、実は右翼はほとんど評価していない。むしろ、批判声明を出している所が多い。その点も、右翼は誤解されている。このあたりの話は、一度、じっくりと書いてみたいと思っている。
『レコンキスタ』縮刷版(101号〜200号)が現在発売中です。一水会の闘いと思想の歴史です。いや、日本の右翼・民族派運動の歴史が書かれています。760ページの大冊です。25,000円と高価ですが、それだけの価値はあります。文句なしに素晴らしい本です。発行はエスエル出版会です。一水会で申し込みを受けつけています。03(3364)2015。FAX03(3365)7130です。
この『縮刷版』については、このHPでも、又、詳しく紹介します。当時を知る人たちと対談するのもいいですね。