「危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である」
芥川龍之介の『侏儒の言葉』だ。
これは名言だ。真理だ。今も生きている。3千年経っても、これは真理だろう。『侏儒の言葉』は今まで13回読んだ。初めは高校生の時だ。その時は、よく分からないところもあった。フーン、とか、何か格好つけてんな、と思ったとこもある。
大人になるに従って、この本の凄さが分かってきた。読むたびに考えさせられる。又、さらに別のことを思う。
「侏儒」とは、小さい人、小人のことだ。私のような小さな、下らない人間の下らない言葉ですよと謙遜している。自虐的だ。でも、ここに書かれている言葉は、「思想の巨人」の言葉だ。凄い。何度読んでも衝撃的だ。人間の既成概念を打破してくれる。
ここで言う「危険思想」とは、「過激派」と言い換えてもいい。彼らは激しいから、時代を突き抜けているから、危険だ、過激だ、と言われている。いや、我々だってそう思っている。しかし、そう思わされているのだ。
たとえば、江戸時代において、「人間は平等だ」と言ったとする。気違いめ!と思われる。「乱心者め!」と斬り捨てられるかもしれない。「人間は平等だ」などと誰も考えないからだ。今の人から思えば、ごくごく常識的なことなのに。
今、「危険」といわれることも何十年後かには「常識」になる。
今週は、『侏儒の言葉』を読みながら、アトランダムにいくつかの警句を紹介してみよう。
「天才とはわずかにわれわれと一歩を隔てたもののことである。ただこの一歩を理解するためには百里の半ばを九十九里とする超数学を知らねばならない」
ウーン、つまり、とてつもなく違うと言っている。「こんな奴、大したことはない」と思っても、とても敵わない。そんな人間がいる。天才だ。
天才は、なかなか普通の人達からは理解されない。大して違わないと思い、正当に評価されない。そう、私のように…と芥川は言いたいのかもしれない。
「天才とはわずかにわれわれと一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。後代はまたこの千里の一歩であることに盲目である。同時代はそのために天才を殺した。後代はまたそのために天才の前に香を焚(た)いている」
例えば三島由紀夫を考えてみる。『愛国の昭和』(講談社)に書いたが、生きてる時は、「文士の遊び」だと思われていた。右翼は皆、三島を貶し、批判していた。ところが死んだ途端に絶讃した。私自身もそうだから他人のことは言えない。三島は〈神〉になったのだ。今は、あまりに「偉大」で、「遠い存在」だと思っている、三島も森田必勝も。それは彼ら二人にとっても迷惑なことかもしれない。「ほら、たった一歩だよ。君らも飛んでみろよ!」と言ってるのかもしれない。だから芥川はこうも言う。
「民衆も天才を認めることにやぶさかであるとは信じ難い。しかしその認めかたは常にすこぶる滑稽である」
「天才の悲劇は『小じんまりした、居心地(いごこち)のいい名声』を与えられることである」
三島はそんなものに満足しなかった。だから本当の天才になった。針生一郎さん(評論家)と話してた時だ。9月5日(金)、平沢貞通の絵の展覧会があり、オープニングで針生さんとトークをした。平沢は帝銀事件で「犯人」とされ、一生獄中にいた人だ。冤罪だ。ただ死刑囚だが、法務大臣は誰一人として判を押さない。もし鳩山邦夫が当時、法務大臣だったとしても、やはり押さなかっただろう。
平沢は画家だった。若い時から認められ、天才といわれた。帝展などでも「無鑑査」の特権を与えられた。舞い上がった。「それで平沢は慢心し、絵がダメになった。特に戦争中の絵はダメだ」と針生さんは言う。傷痍軍人や霊峰富士を描いたりして堕落したという。僕は、戦争中の絵でも、いいものはあると思い、『愛国の昭和』に書いた。その点では考えの違いはあるが、「戦争画」について、又、平沢の絵の変遷について実に詳しく教えてもらった。
従軍画家というものがいる。彼らは、嫌々ながら戦地に行ったのかと思った。ところが、ほとんどは自分から志願して、喜んで行ったのだという。日本にいても絵を描けない。戦地に行ってでも描きたい。又、こんな劇的な場面を描けるのだ。その機会を逃したくない。そう思ったのだろう。応募者、希望者が多くて、その中から軍隊の情報局が選んだ、という。選ばれた画家たちだから、実にうまい。リアルだ。そういう絵を見る選定眼はあったのだ。情報局に。
平沢は従軍画家を希望しなかったが、たとえ希望してもダメだったろうと針生さんは言う。平沢は天才ともてはやされていたが、人間の描き方が下手だ。だから、「いい戦争画」は描けないと情報局は見抜いた。そう針生さんは言う。なるほどと思った。
『愛国の昭和』の中で書いたが、平沢には一風変わった「戦争画」がある。題からして意表を衝いている。「霊峰の威力に撃たれてB29反転遁走す」だ。何だ、これはと思った。初め平沢武彦さんと片島紀男さんの対談『国家に殺された画家=帝銀事件・平沢貞通の運命』(新風舎文庫)を読んで、この絵のことを知った。驚いた。しかし、絵は出ていない。平沢武彦さんに聞いたら、画集に出ているという。しかし、絶版で、ネットの古書店で買ったら5万円位するという。でも、ぜひ見てみたいと思い、無理して買った。ところが、後ろの方に、ポツンと小さく出てるだけだ。富士山しかいない。B29はいない。一体これは何だと思った。もしかして、B29は逃げ帰ったあとなのか。そう思って平沢さんに電話したら、「そうです」と言う。左上にうっすらと白い線が見える。それが、逃げ帰ったB29の飛行機雲らしい。
そのあと、平沢さんはもっと鮮明な写真を送ってくれた。うっすらと飛行機雲が見える。うーん。これは何だ。もしかしたら、素晴らしい「反戦画」かもしれない。日本一の、いや「世界一の反戦画」だろう。
当時、人々は思った。日本は神国だ。負けるはずがない。イザとなれば神風が吹く。そして神が日本を護ってくれる。皆、そう信じていた。その「信仰」を平沢はそのまま描いた。B29はたとえ、来ても、神国の前に、逃げ帰るだろう。霊峰富士の姿を見ただけで、その霊光に撃たれて、遁走するはずだ。そういう絵だ。
でも、そうはならなかった。B29は次々と来襲した。富士の霊光に撃たれるどころか、富士を目標にして、B29は日本に来た。まるで富士が「手引き」するように。「現実」はそうだ。しかし、日本が神国だというならば、B29は逃げ帰るはずだ、という「信仰」を絵にした。そのことで、強烈な「神国」批判をしている。戦争反対の意志を示している。僕はそう理解した。詳しくは、『愛国の昭和』を読んでほしい。
「それはそうでしょうが」と針生さんは言う。「やはり戦争中の絵はよくない」と言う。その点を、さらに詳しく話し合った。
では芥川の『侏儒の言葉』に戻る。今、「道徳教育をやれ」という声が多い。若者がキレるのも、暴れるのも、全て、「道徳」を教えていかないからだと。我慢できず、すぐに投げ出すのも、「道徳」を教えていないからだと。でも、首相をはじめ、すぐに投げ出すのは大人も同じだ。まず、首相はじめ国会議員や全ての公務員に「道徳」を教えるべきだろうよ。日の丸・君が代と同じで、道徳を学校で強制したって意味はない。と私は思う。何と芥川も、80年も前に同じことを言ってたんだな。
「道徳は便宜の異名である。『左側通行』と似たものである。
「道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺(まひ)である」
「われわれを支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。われわれはほとんど損害のほかに、古人の恩恵にも浴していない」
「強者は道徳を蹂躙(じゅうりん)するであろう。弱者はまた道徳に愛撫されるであろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である」
「道徳は常に古着である」
そうか。使い古した服だ。もう小さくなった服だ。本人は大きくなったのに、着ようと思ってもムリだ。野村秋介さんは、教育勅語の復活・強制に反対していた。人間も社会も成長する。子供の時の服を着せようと思ってもムリだと。同じことを芥川も言っているのだ。では、『侏儒の言葉』の中で、最も有名な次の言葉だ。
「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である」
うまいですね。これだけ人生を的確に表現した人はいない。又、「人生」についてこうも言っている。
「人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかしとにかく一部を成している」
そうですね。きれいで、スベスベした本とは言い難いですね。失敗も多く、悔いることの多い人生だ。でも、「ともかく一部を成している」。『失敗の愛国心』ですよ。次は高木尋士さんの劇団再生がメイン・テーマとするドストエフスキーだ。
「ドストエフスキーの小説はあらゆる戯画に充ち満ちている。もっともその戯画の大半は悪魔をも憂鬱にするに違いない」
「古来賭博に熱中した厭世主義者のないことはいかに賭博の人生に酷似しているかを示すものである」
人生は賭博なのか。厭世主義者は、世の中の全てがいやなのだ。生きるために、わざわざ努力したくない。賭博は大変な努力を要求する。じゃ、余り努力を要求しない読書にでも熱中したらいい。そうしたら、厭世主義も治る。「うつ」も治ると、どこかの学者も言っていた。「月に10冊読もう」「20冊のノルマを決めた」と読んでいたら、うつになる暇はない。又、本を読むと、大勢の人生に触れ、その「生き方」に触れるから、私の悩みなんてこんなに小さいものかと気付くんだよ。では、『侏儒の言葉』を読んでいて、ハッと思ったところを抜き書きしてみよう。
「『勤倹尚武』という成語ぐらい無意味をきわめているものはない。尚武は国際的奢侈(しゃし)である。現に列強は軍備のために大金を費やしているではないか?もし『勤倹尚武』ということも痴人の談でないとすれば、『勤倹遊蕩』ということもやはり通用すると言わねばならぬ」
「われわれ日本人の二千年来君に忠に親に孝だったと思うのは猿田彦命もコスメ・ティックをつけていたと思うのと同じことである。もうそろそろありのままの歴史的事実に徹して見ようではないか?」
(北一輝も似たようなことを言ってる。我々日本人が皆、天皇に忠だったというのは嘘だと。我々は天皇を迫害し、試逆した子孫だと喝破している)
「倭寇はわれわれ日本人も優に列強に伍するに足る能力のあることを示したものである。われわれは盗賊、殺戮、姦淫等においても、決して「黄金の島」を探しに来たスペイン人、ポルトガル人、オランダ人、イギリス人等に劣らなかった」
(日本だけが素晴らしいという、最近の「自尊主義者」への批判のようですな)
「結婚は性欲を調整するには有効であるが、恋愛を調整するこには有効ではない」
(ズバリと言っている。だから、人々は結婚後も浮気をするんだね)
「男子は由来、恋愛よりも仕事を尊重するものである。もしこの事実を疑うならば、バルザックの手紙を読んで見るがよい。バルザックはハンスカ伯爵夫人に『この手紙も原稿料に換算すれば、何フランを越えてる』と書いている」
(だから、作家の手紙は皆、ゾンザイだし、走り書きだし、読めない。忙しいから、「こんなことをしていてはいけない」という気がするからだ。でも、それをもらった人が「殴り書き」「読めない」と文句を言うのは間違っている。もらっただけで有難いと思わなくちゃ。あるいは、一枚につき5千円(か1万円)ずつ「原稿料」を払ったらいい。そうしたら、作家も丁寧に書く。仕事として返事をくれるだろうよ)
これは決して私のことではない。私は誰に対しても、きれいな字で、読めるように書いている。「アーア、損した。原稿なら、ちゃんとお金がもらえたのに」なんて思ったことは一度もない。バルザックほどの大作家になって、言ってみたいもんだ。
そうそう、芥川はこんなことも言っている。
「古来熱烈なる芸術至上主義者は大抵芸術上の去勢者である。丁度熱烈なる国家主義者は大抵亡国の民であるように―われわれは誰でもわれわれ自身の持っているものを欲しがるものではない」
(ウーン、深いね。本当は、国への愛なんかないから「愛国者」と名乗っているのか。いや、国から疎外されて、外国をさまよっているから、愛国主義者になるのか。「よど号」グループのように。じゃ、愛しい国にいて、幸せに暮らしている人間はどうか。わざわざ「愛国」などという必要はないのだろう。難かしい。又、考えてみよう)
「蛍(ほたる)の幼虫は蝸牛(かたつむり)を食う時に全然蝸牛を殺してしまわぬ。いつも新しい肉を食うために蝸牛を麻痺させてしまうだけである。わが日本帝国を始め、列強の支那に対する態度は畢竟この蝸牛に対する蛍の態度と選ぶ所はない」
(特攻隊の人が死ぬと、蛍に生まれかわるという。そんな映画があった。だから決して、蛍を殺してはならない。でも、生まれかわった特攻隊は、今度は蝸牛をマヒさせて、新しい肉を食うのか。悲しい。
「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ」
(なるほど。これは心しなくてはならん。そう心がけたいですね)
「文を作らんとするものは如何なる都会人であるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人持っていなければならぬ」
(これはハッとしました。綺麗な文章は多い。うまい文章も多い。でも心を打つ文章は少ない。それはこの「野蛮人」がいないからだ。確かにそうだな、と思いましたね)
「消火は放火ほど容易ではない。こう言う世間智の代表的所有者は確かに「ベル・アミ」の主人公であろう。彼は恋人をつくる時にもちゃんともう絶縁することを考えている」
「恒産のないものに恒心のなかったのは二千年ばかり昔のことである。今日では恒産のあるものは寧ろ恒心のないものらしい」
(恒産は常の収入。恒心は平常心。正しい心の姿だ。「恒産なくして恒心なし」は右翼学生運動をやっていた時もよく言われていた)
「われわれは一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である」
「他人を弁護するよりも自己を弁護するのは困難である。疑うものは弁護士を見よ」
「自由思想家の弱点は自由思想家であることである。彼は到底狂信者のように獰猛(どうもう)に戦うことは出来ない」
(今の、私のことです)
「彼は最左翼の更に左翼に位していた。従って最左翼をも軽蔑(けいべつ)していた」
(今でも言えることだ)
「わたしはどんなに愛している女とでも一時間以上話しているのは退屈だった」
(本を読みたくなるのだろう。たまっている原稿も書かなくちゃ、と思うのだろう。こんなことをしていてはダメだと焦燥感にかられるのだろう。不幸な性格だ。私もそんな人を知っている)
これでは切りがないな。もうやめよう。箴言(しんげん)集(アフォリズム、警句)は西洋にはよくある。日本でもいろんな作家が試みているが、成功してるのは芥川一人だ。他の人も書いてるが、読むべきものはない。私はこの『侏儒の言葉』を13回読んだ。この『侏儒の言葉』は1923年から死の年、1927年にかけて書き続けられたものだ。81年前だ。しかし、少しも古くならない。ますます輝きを増す本だ。
数年前、私は心を決めて『芥川龍之介全集』を全巻読破した。その中で、「遺書」を読んで、衝撃を受けた。自殺に際し、子供たちに書き残したのだ。「お前たちもつらかったら自殺しな」と書いてあった。ゲッ!何ということを。最近、勢古浩爾の『日本人の遺書』(洋泉社新書)を読んでたら、芥川の問題の遺書が出ていた。紹介しよう。「わが子等に」と書かれ、「人生は死に至る戦ひたることを忘るべからず」で始まる、遺書も格調高い文学である。さて、問題の箇所だ。
「この人生の戰ひに破れし時には汝等の父の如く自殺せよ。但し汝等の父の如く他に不幸を及ぼすを避けよ」
これを初めて読んだ時は何と残酷な父親かと思った。人生の戦いに敗れたら、自分のように死ね、と言っている。普通なら、「父は弱いから自殺した。こんなことにならないように強く生きてくれ」と言うんじゃないのか。それなのに…。
でも、今、読み直してみて、逆に感じる。むしろ「父の愛情」を感じる。今の世は、いや、いつの世も、社会の「常識」では、「どんなことがあっても負けるな!」「苦しくても闘え!」とハッパをかけられる。たとえ100才になって、カゼをひいても、「病気に負けるな!闘え!」と言われる。「もう死んでもいい年だ。もう闘わなくてもいい」とは言わない。そんなことを言ったら、「残酷だ」「それでも人間か」と非難される。
そうした「常識」に反し、「苦しかったら自殺しろ。でも、まわりの人に迷惑をかけないように」と言う。究極の「癒し」かもしれない。そうか、戦って、どうしてもダメな時は自殺すればいいのか、と心がフッと楽になるのではないか。その時は分からなくても、何十年か経って、子供たちもそう思うはずだ。その証拠に、芥川の子供等は誰一人として自殺していない。最悪の時の対抗策、処理策を示してやることによって、その〈最悪〉を避けさせている。父の愛情だ。私も娘のアンジェラや孫のドングリに、このような遺書を残したいと思う。合掌。