2008/09/29 鈴木邦男

「パルチザン前史」には圧倒された

①「日本のゲバラ」の物語だ

映画「パルチザン前史」より

 あの「伝説の映画」を見た。知る人ぞ知る。歴史的・衝撃的な映画だ。土本典昭監督のドキュメンタリー『パルチザン前史』(1969年)だ。9月19日(金)の夜9時からポレポレ東中野で見た。2時間の大作だ。今、土本典昭監督の追悼上映会をやっている。その中で上映された。
 「日本のゲバラ」と呼ばれた革命家・滝田修の闘いを追ったドキュメンタリーだ。京大闘争を中心に権力・機動隊と闘う。ゲバ棒で闘い、火炎瓶を投げ、時には機動隊を蹴散らす。ポンポンと火炎瓶が飛び、ポッ、ポッと火の手が上がる。車が燃えている。凄い。「学生運動」の域を越えている。内乱だ。内戦だ。こんなに凄い闘いだったのか。こんなに熱く燃えた時代だったのかと改めて驚いた。

 滝田修は革命家だ。「過激派の教祖」だ。京大の中で、外で、学生たちに演説し、アジる(煽動する)。実にいい。やはり、「日本のゲバラ」だ。それに、「火炎瓶の作り方」までも紹介されている。おいおい、いいのかよ。と見ていて心配になった。でも1969年の映画だ。いいんだろう。39年も昔なのか。
 滝田修は「職革(職業革命家)」ではない。京大の助手だ。インテリだ。ローザ・ルクセンブルグの研究者としても有名だ。自宅で原稿を書き、勉強する姿も映し出される。奥さん、子供も出てくる。今なら、こんなシーンはない。「プライバシー」とか言って、映せないだろう。それなのに滝田は全てを晒す。子供を抱っこしている。なかなかいい。

 そして、驚いたことに、予備校生を相手にアジるシーンもある。彼は、機動隊と闘いながら、京大で助手をやり、又、同時に予備校で講師もやっている。〈生活〉の為だ。教室は超満員。立ち見もいる。英語の授業なんだが、〈革命〉の話ばっかりだ。予備校生も滝田に釘付けになって一言も聞きもらすまいと、集中している。映画の「解説」にはこう書かれている。

『ドキュメンタリーの海へ』(現代書館)
〈予備校の教壇に立つ滝田。受験生を前に大学解体を唱えながら生活のために大学の助手をし、大学入学を目指す予備校生を教える矛盾について、率直に語る。
 自宅には妻と二人の子供が待つ。敬愛するローザ・ルクセンブルグの文章を朗読し、子供を抱く。
 「暴力に憧れる」のではなく、祭りのように全人民の暴力とならなければ敵は倒せない」。滝田の声の背景には大阪の町。電光掲示板に「万博まであと148日」の文字。
 滝田は言う。「自分の責任で生活し、自分のお金で武器を買う…。地域の人間すべてから信頼され、戦う戦士の絆をつくる。それがパルチザン五人組共産主義労働団の理念であると〉

 この「解説」は映画のパンフではなく、土本の本から引いた。ポレポレ東中野で当日、買った本だ。3600円の高い本だが、それ以上の価値はある。『ドキュメンタリーの海へ=記録映画作家・土本典昭との対談』(現代書館)だ。土本が喋る。聞き手は石坂健治だ。本の帯には、こう書かれている。

〈学徒動員、全学連、山村工作隊、獄中体験を経て、岩波映画、「青の会」、「ある機関助手」、“1968年”から、原発、アフガニスタン、失われた90年代、“9・11”まで。そして、水俣シリーズ17本の金字塔〉

 これを見て驚いた。えっ、こんな凄い人だったのかと。自分の無知を恥じた。

②「大学解体」を叫びながら、予備校で教える

「週刊SPA!」より

 土本監督といったら「水俣」の映画と思っていた。知り合いの映画監督・藤原敏史さんは、最近、土本監督を追ったドキュメンタリーを撮っている。土本が再び、水俣を訪ねる、その姿を追い、土本に話を聞く。なかなか硬質のいい映画だった。その上映の時に、私も呼ばれて藤原さんとトークをした。その時、「土本監督は昔、学生運動をしたんだよ」と聞いた。しかし、こんなに凄い体験をした人だとは思わなかった。会ってみたかった。学徒動員、山村工作隊の話なども聞きたかった。
 そうだ。この『パルチザン前史』は小川プロが制作し、土本が監督をやった。藤原監督とトークした時、元小川プロにいた人と会い、その時の話を聞いた。「パルチザン前史」を見たいというと、ビデオを送ってくれた。その時も凄い映画だと思ったが、ポレポレの大画面で見ると、さらに圧倒された。感動した。「チクショー、俺達もこんな闘いをやりたかった!」と悔やんだ。嫉妬した。
 京大の助手でありながら、全共闘の学生を煽動し、「京大解体!」を叫ぶ。一方、生活のために予備校で教え、そこでは「京大に入れ」という。まさに矛盾だ。日本の『矛盾論』だ。そのことについて、この本の中で、土本は言う。

〈このときに彼は予備校の教壇で自分を裏切らない喋り方をしようと思ったんだろうね。浪人生に「あなたは大学で入試反対闘争なんかやっているけど、俺らどうなるんだ」って言われて、答えようがないじゃない。大学解体を叫んでいる張本人が予備校で教えているんだから。彼のそのあとのあけすけな話が面白かった。「自分の助手の給料3万8千円。家賃が1万1千円。このあと幼稚園の費用6千円。これを引いたら」と白状していく。この正直さと聞く生徒への対応ぶりは、この作品の白眉でしたね。
 で、この撮影のあと、間髪入れずに「家を撮らせてくれ」と言ったら、彼、断わらなかった。もう自分を開放してるから。それで家に行って、ローザ・ルクセンブルグ(1871〜1919年。ポーランド生まれのマルクス主義哲学者。ドイツ共産党創設者)の本を開いて好きなところを読むみたいな話になっていく。そのときに僕は、「この人はローザのここを読んでいるのか」と意外な感じがした。それは、自然と人間の素晴らしさを謳った叙情的な一章でした。アジテーションのかけらもない。そこを長々と撮っている僕たちに、彼も好意を持ったと思う。彼もすごく開放的になってくれて、奥さんが連れて来た赤ん坊を彼が抱いているシーンを撮った。僕は、これが彼を撮れる限度だなと思いました〉
「沢口友美物語」(「漫画実話ナックルズ」07年3月号より)

 そうか。「限度」だよね。監督が希望したら、もっと撮らせてくれたと思う。子供と遊び、たわむれてるシーンとか。奥さんや子供と食事してるシーン。入浴してるシーン。散歩してるシーンと。でも、それでは平和な「日常生活」になってしまう。反体制・革命の映画なのだ。「日本のゲバラ」「過激派の教祖」滝田修を撮る映画なのだ。それがぶち壊しになる。そう思ったのだろう。
 予備校で自らの〈生活〉について語る滝田。そして、家で子供を抱く滝田。これが限度だ。限界だ。ギリギリの領域で土本は勝負を賭けた。それに、これは「一日の撮影」だったという。午前中に予備校で講義し、午後は自宅で子供を抱く。さらに土本は補足して言っている。

〈彼の小さな借家の一間に、カメラとテープをもって入ることは、私にとっては、百万遍の闘争で機動隊の前に立つよりはるかに怖ろしく、難儀である。何故なら、カメラとテープがそこにあるからだ。それが酸素か空気のように、当然「ある存在」になる時は滅多にないことだ—。この一日の滝田のディテールを撮り終えたとき、私は“出産”を感じた〉

③いきなり滝田は「有名人」になり、そして…

「沢口友美物語」(「漫画実話ナックルズ」07年3月号より)

 「出産」か。凄い表現をする。その時、産み落とされたのが、この映画だ。そういえば、土本監督には、〈出産〉に関連する表現が多い。『私論“滝田修”—「パルチザン前史」前後』という文章だ。

〈滝田修にとって、映画「パルチザン前史」は映画でなく、自己の語らいであり、闘いの表現であった。(中略)
 彼の対話は、その言葉が精子のように泳いで、むすび、ひとつの懐胎を求めて動きまわる。一つの事象が、真逆に転倒する言葉、正反対の意味づけで登場しようとも、それは極めて発作的にみえ、滝田自身が一瞬、アレアレと困惑する〉

 滝田の言葉は精子なのか。じゃ、滝田にアジられた女子学生なんかは、すぐに孕(はら)んじゃうよね。土本監督のこの文章は、滝田修の『ならずもの暴力宣言』(芳賀書店)に入っているそうだ。
 なつかしい。この『ならずもの暴力宣言』は我々右派学生も熱心に読んだ。シビれた。うろ覚えだが、「革命は好きだからやるんだ。使命感や義務感でやるのではない」と言っていた。「道楽だ」とも言っていた。だから、自分で働き、自前の金で武器を買い、自分の金で闘いをやるんだ。そう言っていた。他人にカンパを求め、他人の金をアテにするのは間違っていると言う。
 「革命運動は好きだからやっているんだ。女とラブホテルに行くのと同じだ。友人に、“ラブホテルに行きたいからカンパしてくれ”と言う奴はいない。革命だって同じことだ」
 凄いことを言う奴だと思った。でも、それを読んで、ふっきれた。そんなことを覚えている。久しぶりに、もう一回、読んでみようかな。

正狩炎『沢口友美伝』(グラフ社)

 そうだ。この「革命=ラブホ論」を川本三郎さんにしたんだ。『本と映画と「70年」を語ろう』(朝日新書)の中でだ。すかさず川本さんは、「でも、朝日新聞社に来て、よくたかってましたよ」と。ウーン、難しい。友人からカンパをもらうのは許せないが、ブルジョア・マスコミにたかるのは正義だと思っていたのかもしれない。でも、川本さんは「革命家・滝田修」をリアルタイムで知り、話したのだ。うらやましい。
 土本監督は「本」の中で、映画の完成と、「その後の滝田修」について発言している。

〈完成後、『パルチザン前史』は映画と講演というセットで巡回されたので、滝田は一路、全国区になっちゃった。あちこちの大学が、全共闘をそれなりに作って旗は上げたけど、どういうふうに旗を下すかという時期で、どうやって後退戦を戦うかというときに、あの映画はそうしたきっかけになるような使われ方をしたんです。それで巡回しているうちに彼は有名人になって、『週刊朝日』の大橋巨泉との対談にも出るような、いわゆる有名人にされていきましたが、やがて、1971年8月の朝霞自衛官死亡事件で指名手配されることになります〉

④滝田修、そして野村秋介さん、沢口友美さん

川本三郎さんと滝田修について語った

 1970年の三島事件の時、滝田は、「我々は負けた。我々の側からも第二、第三の三島を出さなければ」と叫んだ。有名人となっていた滝田だからこそ、マスコミもコメントを求めたのだ。しかし、その「有名人」が狙われた。そして朝霞事件に巻き込まれ、彼の転落が始まる。
 1970年代。小さな過激セクトが数多く生まれた。日大生・菊井良治が率いる「赤衛軍」もその一つだ。滝田のもとを訪れ、教えを乞う。そして、朝霞自衛隊に忍び込み、武器を奪取しようとした。その武器で武装し、日本革命をやろうとした。その時、武器庫を守っている自衛官ともみ合いになり、刺殺してしまう。
 川本さんはこの時、「朝日ジャーナル」の記者で、滝田修や菊井良治を取材していた。その過程で、菊井から「証拠」品を預かり、燃やす。「証拠隠滅」の罪で逮捕され、朝日新聞社はクビだ。
 当時、私は産経新聞社に勤務していて、新聞で読んで知った。「男気のある記者がいるもんだ」と驚いた。しかしその2年後、私も政治事件がらみで逮捕され、産経新聞社をクビになる。川本さんと同じことになった。
 そして37年経って、その川本さんと会い、対談した。それが朝日新書から出た本だ。

 「革命家・滝田修と会ってたなんて、うらやましいですね」と川本さんに言った。「鈴木さんだって、その後、会ってるじゃないですか」と言う。でも、僕が会った時は、もう「革命家」ではなかったし、「墜ちた偶像」だった。その意味では残念だ。

日本国体学会で講演した(9/24))

 実は、ポレポレ東中野で『パルチザン前史』をやるらしいよと、何十人かにメールした。ところが、誰も見に来ない。「ストリッパーの沢口友美の追っかけだろう」と言う。えっ、そんな噂が広まっているのだ。誰だ、そんな話を広めて、革命家の顏に泥を塗るのは。あっ、私だったか。確か、『週刊SPA!』の連載で書いたんだよな。
 でも本当だ。私が実際に見た。聞いた。真実だ。滝田は、朝霞事件の「黒幕」として、全国指名手配になり、逃げる。10年以上も逃げる。逃げながら、『只今、潜行中』などという不敵な本を出し、警察を挑発する。
 しかし、とうとう逮捕され、刑務所に。出て来てから私は会った。野村秋介さんの出版記念会だった。須藤久さん(「狭山の黒い雨」の監督・アナーキスト)が野村秋介さんに紹介したのだ。その後の滝田と私のことは『夕刻のコペルニクス』に詳しく書いた。朝霞事件(1971年)から、何十年か経ち、同じ朝霞自衛隊に入ったのが沢口友美さんだ。〈事件〉の日は自衛官の命日だ。この怨みを忘れるなと、毎年、訓示がある。滝田修の名前も聞いていたし、「極悪非道な男」だと思っていた。

 ところが私が紹介したら、二人は意気投合。特に滝田は沢口さんに夢中になり、今日は横浜、明日は八王子…と、連日、追っかけ、さらに、「今、はいているパンティを下さい」とねだって、もらう。「毎日、そのパンティを頭にかぶって喜んでオナニーしてるんだろう」と「夕コペ」の筆者は書いていたが、いくら何でも、それは酷い。そんなことはしてないだろう。いかんな、この筆者は。筆が滑って、いつも問題を起こしていた。そんな筆禍事件が重なり、連載もクビになってしまった。

日本国体学会で講演した(9/24))

 でも、滝田修は「墜ちた偶像」となり、沢口友美さんは白血病で亡くなった。44才の若さだった。『漫画実話ナックルズ』(07年3月号)では、「沢口友美物語」をやっていた。ありがたいと思った。私が渋谷で街宣をしていた時だ。その雄姿を見て、「カッコいい」と思い、沢口さんは私に声をかけた。そこで知り合い、さらに私が、滝田に沢口さんを紹介した。これは事実だ。
 一説によると、上野のストリップ劇場に私が見に行き、沢口さんを見て、それが知り合ったキッカケだ、と書いてる本もあるが、それは嘘だ。ましてや、「タッチショー」で沢口さんのお乳を私が触ったなどと書いてる本もあるが、それも嘘だ。歴史はキチンと書き直しておかなくてはいかん。

 私は渋谷で街宣をしていた。
 「我々はいつまでもアメリカのいいなりになってるわけにはいかない!安保を破棄して完全な独立を勝ち取るべきだ!日本に原爆を落としたのはアメリカだということを忘れてはならない!」
 と私が、火のような演説をした。私の言葉も、精子となり、懐胎を求めて、渋谷中に漂ったのだろう。それを聞き、沢口さんが声をかけてきた。「実は私は被爆二世なんです」と。その後、木村氏とも知り合い、イラクには三度行く。そして、原爆の話をし、アメリカを糾弾する。それが、イラクの人々の心をとらえた。
 そういう話が、この漫画では、キチンと報じられている。ぜひ、単行本として出版してほしいものだ。

【だいありー】
司会の笹井宏次朗氏と(9/24)
  1. 9月22日(月)午前中、取材。午後、雑誌社との打ち合わせ。図書館。
  2. 9月23日(火)徹夜で原稿を書いてたので眠い。取材、打ち合わせ。人と会う。
  3. 9月24日(水)夕方まで原稿を書いていた。午後6時半から中野サンプラザ。8階会議室で、日本国体学会の集まりで講演する。「現今の天皇論をめぐって—里見国体学との出会い」。140人が集まった。国体学会の人だけでなく、一般の人も集まった。「正論」や「諸君」にも案内を出してるからだ。
     終わって、厳しい質問も出て、大変だった。でも、私は里見岸雄に一番影響を受けてるし、里見の戦略で闘っているという自負もある。『国体に対する疑惑』『天皇とプロレタリア』は、名著だし、今こそ、多くの人々に読んでもらいたい。ここに「全ての答えはある」と思う。私も、その信念はあるし、そのもとに闘ってきたと思っている。
     終わって打ち上げに行く。関口君も来てくれた。関口君の友達で広島の運ちゃんも来ていた。天プラとソバが出たが、その運ちゃんは、天ツユでソバを食っていた。「日本文化を理解しとらん!」「反日だ!」と批判されていたっけ。面白い。
島倉千代子の歌を熱唱した
  1. 9月24日(水)午後11時、打ち合わせ。仕事が遅いので、まいる。がんばってやんなくちゃ。読む本も多い。書く原稿も多い。能力がないので、厳しい。
     午後3時から河合塾コスモ。現代文要約。雨宮処凛さんが「週刊読書人」に私の書評を書いてくれたので、コピーして生徒に渡す。5時から「基礎教養ゼミ」。今週は牧野剛先生の選んだ本、二冊をテキストに勉強する。『週刊ダイヤモンド』(8月30日号)。特集が「『下流』の子は下流?格差世襲」。それと三浦展の『下流大学が日本を滅ぼす?』(ベスト新書)。両方とも面白かったし、教えられることが多かった。
  2. ⑤9月26日(金)一日、原稿を書いていた。夜、柔道。
  3. ⑥9月27日(土)図書館。取材。夜、仕事に必要なのでビデオのカメラを買いに行く。頭が悪いので、操作が覚えられん。
  4. ⑦9月28日(日)午前11時。講演の打ち合わせ。午後1時から日比谷公会堂。「あの戦場体験を語り継ぐ集い」。満員だった。貴重な話を聞けた。もっともっと多くの人に聞かせるべきだと思う。夕方、取材。闘病中の上田哲さんが病院を抜け出し駆けつけてくれた。力強い挨拶をした。感動的だった。
【お知らせ】
「劇団再生」のメンバーと座談会をした(9/21)
  1. 10月12日(日)午後1時から9時まで「憲法ひろば・杉並」一周年記念集会。「映画『靖国』から見えるもの」。映画の上映、そしてシンポジウムがあります。「憲法ひろば・杉並」と「週刊金曜日」の共催です。

    1時30分から映画「靖国」第1回上映。

    4時から6時、シンポジウム。

    6時10分から映画「靖国」第2回上映。

    この4時からのシンポジウムに私も出ます。伊藤塾塾長の伊藤真さん(法学館館長)との対談です。コーディネーターは古山葉子さん(元ピースボート)です。がんばってやります。会場は、杉並区立産業商工会館3階ホールです。JR阿佐ケ谷駅から徒歩7分です。資料代千円です。映画「靖国」を見逃した方も、この機会にどうぞ。
  2. 10月14日(火)慶応大学で講義。
  3. 10月15日(水)午後7時、高田馬場サンルートホテル。一水会フォーラム。何と、堀辺正史先生が講師です。堀辺先生は日本武道伝骨法創始師範です。武士道の本を沢山書いております。小林よしのりさんとも武士道の対談を『わしズム』でやっており、単行本にもなってます。『武士ズム』(小学館・1300円)です。なかなか直にお話は聞けません。今回は凄いチャンスだと思います。ぜひいらして下さい。
「劇団再生」のメンバーと座談会をした(9/21)
  1. 10月18日(土)10:30a.m.〜6:15p.m.品川のきゅりあん。「輝け9条!世界へ未来へフェスティバル2008」
  2. 10月21日(火)午後6時、四谷区民ホールで、野村秋介追悼15年・群青忌。追悼講演は小林節先生(慶応大学教授)です。会場整理費3000円(記念DVD進呈)。
  3. 10月30日(木)7時より、新宿のロフトプラスワン。「創」のイベント。映画監督とトークします。
  4. 11月9日(日)大阪に行きます。北朝鮮、よど号問題を考える集会に出ます。
  5. 11月24日(月)野分祭。
  6. 12月6日(土)、7日(日)阿佐ケ谷ロフトで劇団再生の演劇「スーザンナ・マルガレータ・ブラント」が上演されます。その前に、7時半より高木尋士氏と私のトークがあります。
  7. 劇団再生のメンバーと私の座談会がyoutubeで流れております。
  8. 先日、代官山でやった太田昌国さんと私のトークもyoutubeで見れます。