2010/11/15 鈴木邦男

歌と講演。「三島由紀夫と蕗谷虹児の世界」
=大杉栄の故郷・新発田で。11月6日=

①抒情画の蕗谷に、なぜ、三島は惹かれたのか

蕗谷虹児。24才頃
蕗谷虹児。24才頃

11月6日(土)、新潟県新発田市で、「三島由紀夫と蕗谷虹児」について講演した。蕗谷虹児(ふきや・こうじ)は新発田が生んだ偉大な抒情画家だ。その蕗谷と三島の接点。そして、三島の思い、さらに遺魂について話した。蕗谷については、まず記す。

〈大正から昭和の前半にかけて、夢見がちな「少女」のハートをつかんだ抒情画家たちがいた。その系譜は竹久夢二のエキゾチシズムから、高畠華宵、蕗谷虹児のモダン、そして中原淳一のスタイリッシュなイメージへとつながる。その始まりは、たおやかな江戸の浮世絵美人画であろうか、そしてその現代の末裔がつぶなら瞳にキラリと星が輝く少女マンガのヒロインたちである〉

現代の少女マンガのルーツになったのが蕗谷虹児だ。これは、神林恒道の『にいがた文化の記憶』(新潟日報事業社)に書かれていた。神林は、會津八一記念館館長だ。実は、「蕗谷虹児と三島由紀夫」の講演の翌日、新潟市のジュンク堂で講演とサイン会を行い、その後に、會津八一記念館を訪れ、そこで買った本だ。この本には、こんな記述もある。

蕗谷の口絵と三島の「あとがき」
蕗谷の口絵と三島の「あとがき」
〈「抒情画」の命名者は、蕗谷虹児だといわれる。抒情画家は、同時に詩人でなければならない。竹久夢二には「宵待草」があり、蕗谷虹児には「花嫁人形」の歌がある。華宵も淳一もまた然りである〉
 

ああ、あの歌かと思い出す人も多いだろう。「金襴緞子の帯しめながら 花嫁御寮はなぜ泣くのだろ」の歌だ。

 

抒情画家の中では文学への関心が最も強かったのは虹児で、自伝小説『乙女妻』などがある。

〈また「抒情」画家らしい純な魂を持ち続けたのも虹児だろう。夢二は派手な女性遍歴で知られ、華宵には少年愛への傾向があった〉

②魯迅も絶讃した蕗谷の抒情画

第2部は私の講演
第2部は私の講演
 

芸術家なんだから何をやっても許される。「芸術無罪」だ。しかし虹児は、純な魂を持ち続け、「虹児の生涯は、さながら一編の純愛物語である」と神林恒道は言う。写真を見ると、好男子だ。イケメンだ。女が放っておかなかったろう。しかし、夢二のようにはならなかった。意志の力なのか。

 

虹児は新発田の生まれだ。母は湯屋の看板娘で京風の美人だったという。新聞記者の父と駆け落ちして虹児を産むが、貧困の果てに27才で病没している。虹児は「花嫁」や「花嫁人形」を何枚も描いているが、それは若くして死んだ美しい母を偲んで描いたという。

 

母の死後、一家は離散。虹児は印刷会社にでっち奉公。夜学に通いながら絵を勉強。日本画家尾竹竹城の弟子になる。父の仕事の関係で樺太(サハリン)に渡り、旅絵師として漂泊の生活を送る。その後、上京、日米図案社に入社し、グラフィック・デザインの仕事に携わる。流麗で緻密な線画は、この時期学んで得たという。やがて竹久夢二に見いだされ、『少女画報』誌でデビュー。一躍時代の寵児となる。

打ち上げで(11/6)
打ち上げで(11/6)
 

しかし、そこで満足しない。安住しない。こんなものは身過ぎ世過ぎの仕事でしかない。本物のアーティストとして世に立つべく、家族と渡仏する。自己否定だ。そして、あくなき向上心だ。フランスでサロン入選を果たし、一流画廊で個展を開催。藤田嗣治の知遇も得る。日本に帰国後の虹児について、神林は書く。

〈帰国後は再び挿絵に専念。パリ仕込みのモダンな画風で人気は頂点に達する。そのファンの一人に中国の文学者魯迅がおり、上海から自らの訳語も添えた『蕗谷虹児畫選』を出版している。抒情画と魯迅の革命思想とがどこで共鳴し合ったのか、不思議な気がする〉
 

もっと不思議なのは、三島由紀夫との出会いであり、「共演」だ。11月6日(土)の「三島由紀夫と蕗谷虹児」のパンフレットには、こう書かれている。

豪華限定本『岬にての物語』
豪華限定本『岬にての物語』
〈昨年、初めて蕗谷虹児記念館を訪れた鈴木邦男は、2階の展示コーナーにあった一冊の装丁本を見て、驚愕した。その本は、蕗谷虹児が装丁し、自らの挿絵を入れた、三島由紀夫の『岬にての物語』だった。作られたのは1968年一あの衝撃的な死の2年前だ。前日、「大杉栄メモリアル2009」で講演したテーマは、「大杉栄と三島由紀夫」だった。新発田と無縁だと思っていた三島が、蕗谷虹児によって繋がれていた。それから、その真相を探る旅が始まった…〉
 

その「旅」について、11月6日は話をしたのだ。『岬にての物語』は決して三島の代表作ではない。20才の時に書いた、いわば若書きの作品だ。それなのに、死の2年前、豪華本として、特別な思いを込めて作った。限定300部。定価1万5千円だ。40年前の1万5千円だ。今なら、15万円か20万円だ。その豪華限定本の口絵と挿絵を蕗谷虹児に頼んだのだ。

 

その「謎」を解こうと思い、「蕗谷虹児記念館」の人や、新発田のいろんな人に聞いたが分からない。本をいろいろ読んでみたが分からない。「だったら、蕗谷さんの息子さんに聞いてみれば」と、記念館の人が紹介してくれた。そして話を聞き、「そうだったのか」と分かった。謎が解けた。11月6日は、そんな話をした。

③「三島の小説から音楽が聞こえる」と柳本さん

ソプラノ歌手・柳本幸子さん
ソプラノ歌手・柳本幸子さん
 

当日は、私の話の前に、柳本幸子さんの歌があった。むしろ、こっちの方がメインだ。蕗谷と三島がらみの歌を歌ってくれた。「朝日新聞」(10月31日付・新潟県版)には、こうでている。私の講演のことを書き、その次に…。

〈もうひとり、登壇するのが新潟市出身のソプラノ歌手・柳本幸子さん。三島文学に詳しい柳本さんは、19世紀末から欧州に広がったデカダンス(虚無的な風潮)の影響を2人の共通点と指摘。
 「2人が日本古来の文化や古典を志向したのも、その影響があるのでは」と話す。当日は「花嫁人形」や「平城山(ならやま)」などを歌う予定だ〉
 

「ソプラノ柳本幸子。三島由紀夫と蕗谷虹児の世界を歌う」と書かれている。当日は、「花嫁人形」「平城山」の他、8曲を歌ってくれた。素晴らしかった。それも、チェンバロ(笠原恒則さん)、リュート・ガンバ(白澤亨さん)も共演。「カッチーニAve Maria」。デュフリ作曲「三美神」。パッヘルベル作曲「アポロンの六弦琴」。ヘンデル作曲「オンブラ・マイ・フ」…などだ。

蕗谷虹児記念館にある三島由紀夫の『岬にての物語』
蕗谷虹児記念館にある三島由紀夫の『岬にての物語』
 

何故、この曲を選んだのか。又、三島と蕗谷に対する思いも語ってくれる。2人の惹かれた古代ギリシャの世界を再現してくれる。柳本さんは新潟市出身。東京音大卒業後、パリ、イタリア、スペインを中心に7年間を欧州で活動。イタリアで三島の小説に出会い、イタリア語で読み始め、さらに日本に帰国後、読み続けているという。三島が20才の時に書いた『岬にての物語』には特に感動し、この日、朗読してくれる。「言葉から音楽が聞こえてきます」。なるほど、と思った。三島の文章は音楽なんだ。

 

素晴らしい演奏会で感動した。とても贅沢な時間を持てたと思う。音楽で三島と蕗谷の世界を表現するなんて、他の人ではとても出来ない。客席の皆も、そう感じ、堪能した。もうこれで十分だ。私の講演は必要ないよ。と思ったけど、やりました。

④あの豪華本は母に捧げたのか

 

「新潟日報」(11月5日)には、私についてはこう予告されていた。

〈…講師は右派の論客で作家の鈴木邦男さん(一水会顧問)。1970年に自決した三島は、その2年前に自作「岬にての物語」の装丁や挿絵を抒情画家、蕗谷虹児に依頼している。虹児の絵が好きだった母親にささげたといわれ、その絵は新発田市の蕗谷虹児記念館に展示されている。講演では、当時のエピソードや背景を語る〉
「月刊タイムス」(09年12月号)より。出版秘話について書いた
「月刊タイムス」(09年12月号)より。出版秘話について書いた
 

そうなのです。「謎」はこれだったんです。これは、蕗谷虹児の息子さん(蕗谷龍生さん)に私が電話をして、聞いたことなのだ。それを、去年、「月刊タイムス」の私の連載で書いた。「月刊タイムス」の連載をまとめて、『遺魂』(無双舎)を出版したが、この「蕗谷の回」は入っていない。第2巻が(出来たら)入れたいと思っている。

「蕗谷虹児記念館」で(11/7)
「蕗谷虹児記念館」で(11/7)
 

三島は死の2年前に、300部限定の豪華本を作った。1冊が15,000円。初めは、「楯の会」の資金集めかと思ったが、違う。豪華本を集める熱狂的なファンもいるが、むしろ、お世話になった人々に三島がサインして贈ったものが多い。三島の記念碑的な、思い入れのある豪華本だ。それも20才の時の『岬にての物語』だ。決して代表作ではない。それに、何故、蕗谷虹児に頼んだのか。

 

蕗谷の息子さんの話によると、三島と蕗谷はその前に何度も会っている。三島も好きだが、三島の母が特に好きだった。大正・昭和とかけて、蕗谷の絵は一世を風靡した。女性たちの心を捉えた。三島の母も大ファンだった。その母に捧げたのだろう。と言う。

 

なるほど、そうだったのか。と思った。三島は早熟の天才だった。早くから小説を書いていた。しかし父も祖母も、それを好まない。父は、三島の原稿を破り捨てたりもした。理解してくれたのは母親だけだった。母だけが、三島の原稿を全て読んでくれ、励ましてくれた。その母を残して、自分は自決する。親より先に死ぬことは最大の親不孝だ。その母に対し、敬意と愛情を込めて、この豪華本を残したのだろう。

⑤翌日は、ジュンク堂。そして會津八一記念館へ

新潟ジュンク堂でのトーク(11/7)
新潟ジュンク堂でのトーク(11/7)
 

この『岬にての物語』には、少年時代の〈三島〉本人が出てくる。文学に対し、唯一理解のある母親も出てくる。しかし、岬での避暑の体験は「小説」だ。

オルガンの音に惹かれてさまよい、そこで出会った兄妹がいる。どうも愛し合っているようだ。「禁断の愛」だ。主人公の少年と3人で「隠れんぼ」をやる。少年が鬼になっている間に、2人は消える。この世から消える。海に投身し、心中したのか。幻想的な小説だ。

柳本さんが言うように、文章が音楽になっている。「母への思い」と共に、三島と蕗谷の、共通するデカダンスがあると柳本さんは言う。そう言われてみると、又、違って読める。読み直すたびに、考えさせられる小説だ。20才の「若書き」と言ったが、どうも違うようだ。三島文学の〈原点〉がここにあるようだ。

きじま正之さんを囲んで(11/7)
きじま正之さんを囲んで(11/7)
 

この日の講演では、2人の出会いについて。さらに、私が新発田に来るようになったキッカケの大杉栄について。又、大杉を書いた竹中労について話した。最近出版された、大杉のことを書いた中森明夫の『アナーキー・イン・ザ・JP』(新潮社)などについても話をした。

終わって打ち上げ。大杉栄研究家の飛矢崎雅也さん(ライター)も来ていたので、大杉の話を聞いた。

翌日は、6代、140年続いた吉原写真館を訪ね、その歴史を聞く。ここでは少年時代の大杉栄も写真を撮っている。

その後、市島春陽記念館に行く。又、蕗谷虹児記念館を再訪し、さらに、今、新発田市長選に出ているる、きじま正之氏を訪ねる。月刊『現代の眼』オーナーの木島力也氏の甥なのだ。

東京から聞きに来てくれた2人
東京から聞きに来てくれた2人

「木島力也氏にはとてもお世話になりました」と挨拶した。木島力也氏と野村秋介さんは前からの知り合いで、それが縁で、昭和51年(1976年)2月号の『現代の眼』で野村さんと私の対談「反共右翼からの脱却」が載った。これが「新右翼」を作った対談といわれた。

「現代の眼」は左翼的な雑誌で、売れていた。学生は皆、読んでいた。それでいて右翼の野村さん、私なども載せてくれた。幅広い雑誌だった。木島力也さんがスケールの大きな人だったのだ。

それから、急いで新潟市に。駅前のジュンク堂でトーク。飛矢崎雅也さん、斎藤徹夫さんと3人で話す。斉藤さんは前日の集会の主宰者だ。三島由紀夫、大杉栄、そして蕗谷虹児の話をする。さらに野村秋介さんのことも。東京から、「週刊金曜日」の白井基夫さんが、わざわざ聞きに来てくれた。ありがたいです。又、阿佐ヶ谷ロフトによく来てる2人も来てくれた。(それも前日から)。ありがたいです。

柳本幸子さん(中央)、主催者の斎藤徹夫さん(左)
柳本幸子さん(中央)、主催者の斎藤徹夫さん(左)

終了後、白井さんが、「會津八一記念館に行く」と言うので、一緒に行きました。會津八一と交流のあった今成隼一郎の写真があった。驚いた。この曾孫が白井さんの知り合いだ。會津八一記念館の事務局長は、昔、左翼運動をやっていた。それで私のことも知っていた。

「じゃ、お孫さんに電話しましょう」。白井さんの知り合いの曾孫さんのお母さん(つまり、今成隼一郎の孫)に電話してくれた。新潟で大きな漬物屋をやっている。私も電話で話をした。なんか、急に、會津八一が身近になった。

それにしても會津八一だ。名前に数字が付いてる人は気になる。山本五十六は、お父さんが56才の時の子供だからだ。じゃ、會津八一はお父さんが81才の時の子供か。と思ったら違う。8月1日に生まれたからだという。私は8月2日生まれだから、「鈴木八二」だ。鈴木ヤジ。野次になっちゃうな。まずいな。それで親は「八二」をやめて「邦男」にしたんだろう。

⑥新発田を「アナキスト宣言都市」に!

私の本が置かれた受付で
私の本が置かれた受付で

そのあと、三浦重周氏が自決した新潟の埠頭に行き、黙祷。(三浦重周さんのことは『遺魂』に書いてある)。さらに、坂口安吾の記念館を訪ねて、やっと昼食。5時頃です。そして、帰京しました。実に文学的な、アートな2日間でした。先週の奈良の旅もそうでしたが、今回の旅もとても勉強になりましたし、精神的、文学的、哲学的に得るところの多い旅でした。

そうだ。11月6日の私の講演の時に配られた「ゲスト紹介」に、新発田のことがこう記されていた。

〈(鈴木は新発田出身の)大杉栄には、学生時代からシンパシーを感じていた。今回は3度目の新発田訪問。来るたびに魅力を感じる街、と語る。堀部安兵衛(赤穂浪士)、大倉喜八郎(大倉財閥)、今村均(陸軍大将)、吉屋信子(作家)、加藤楸邨(歌人)、木島力也(『現代の眼』オーナー)、寺田ヒロオ(漫画家)、青山杉作(築地小劇場)、原久一郎(トルストイ全集翻訳)、市島春城(早稲田大学初代図書館長)、田宮高麿(よど号ハイジャック事件のリーダー)を生んだ地。また、かつて三大サーカスだった「シバタサーカス」の本拠地でもある。変わり種としては、新発田市の北部を通る北緯38度線を記念した碑もある。新発田はおもしろい街だと思っておられる〉

こんなに多くの人達を生んでいるんだ。新発田は。自由人の街だ。そのルーツに、アナキスト大杉栄がいる。新発田は「大杉栄記念館」をつくるべきだ。そして、駅前には、「アナキスト宣言都市」と大々的に宣言塔を建てたらいい。

そして小林多喜二の小樽市。幸徳秋水の四万十市と「姉妹都市」になったらいい。さらには、世界中から自由人、アナキストを呼んで、「アナキスト・サミット」を新発田市で開催したらいい。

【だいありー】
會津八一記念館で
會津八一記念館で
  1. 11月8日(月)新宿で本屋を回る。探してる本があったので。その時、面白い本を見つけた。佐藤忠之さんの『富木合気道の実力=崩しの黄金法則』(ベースボールマガジン社)だ。
     富木謙治先生は私の合気道の師匠だ。懐かしくて買って、貪り読みました。岡野功さんと佐藤さんの対談がよかった。「第5章。日本柔道を本道に戻すには今しかない!=柔道に富木合気道を生かす可能性について=」だ。又、その〈実践篇〉が写真で詳しく出ていた。目からウロコだった。
     そうか。合気道を柔道に使えるのか。読んで悟った。よし、使ってやろう。それで講道館に行って、試してみた。初段クラスには効くが、四段、五段の人には通用しない。私の研究が未熟なのか、それ以前に、体力がないんだろう。筋トレをやって、もっと力をつけ、体を大きくしなくっちゃ。
  2. 11月9日(火)1日、原稿を書いていた。夜、打ち合わせ。それから、知り合いに呼ばれ、東中野で飲む。drink,drank,drunken。「飲む」の活用だ。それがどうした、と言われると困るが。
「安吾・風の館」で(11/7)
「安吾・風の館」で(11/7)
  1. 11月10日(水)午前中、原稿を書いてた。午後3時半から5時。文化放送。今回は日米安保の話が中心だ。三島由紀夫の日米安保観などの話をした。『SAPIO』の編集長とも話をした。尖閣ビデオ流出は、「私がやった」と神戸海保保安官が名乗り出た。そのニュースが中心になった。
  2. 11月11日(木)昼、取材。午後3時、河合塾コスモ。現代文要約。5時、「基礎教養ゼミ」。今週は牧野剛先生の選んだ本を皆で読む。内山節の『共同体の基礎理論(農文協)だ。いい本だった。終わって、生徒たちとカレーを食べる。
  3. 11月12日(金)「週刊金曜日」(11月12日号)発売。能川元一さんと私の対談が載ってます。「いま排外主義者の病理を撃つ」だ。それと私の本『遺魂』の書評が出ていた。成澤宗男さんが書いてくれた。ありがたいです。
  4. 11月13日(土)午後1時から5時。新宿住友ホール。西部邁事務所主催によるシンポジウムを聞きに行く。(「尖閣」を忘れるな。自主防衛のほかに道はなし)。木村三浩、丸川珠代、稲田朋美、宮崎正弘、西部邁、富岡幸一郎氏などが講演。…の予定でしたが、「たかじん」のネットテレビの仕事で、急遽、横浜へ。APECに対するデモを取材し、解説する。朝から行きました。「中国のアジア侵略、人権弾圧を阻止する抗議デモ」を取材。キチンとデモに参加した上で、取材しました。疲れました。でも、整然としたデモで、とてもよかったです。5千人が参加しました。
     終わって小田急線千歳船橋のAPOCセンター。「APECからAPOC」だ。7時半から劇団再生の交響劇第二番嬰イ短調。面白い芝居だった。「再生」代表の高木尋士氏は、ネットで「戦争柄」の着物を買ったと言ってた。役者が着ていた。なかなかいいね。芝居の前に高木氏とトーク。「劇場論」。戦争柄の話。三島由紀夫と野村秋介と見沢知廉。日本浪漫派の保田輿重郎の話などをした。観客無視で、高木氏と私だけの関心のある話をした。これも〈劇場論〉だ。
  5. 11月14日(日)今日は「劇団再生」は午後1時半から。始まる前に、高木氏とのトーク「劇場論2」をやる。今日は主に読書論。そうだ。このHPでも、高木氏と読書論をやらないと。
     2日間、超満員でした。役者も素晴らしく、体を張った熱演でした。神戸から見に来ていた人もいました。
【写真説明】
‘蕗谷虹児。24才頃

①蕗谷虹児(ふきや・こうじ)。24才頃の写真です。映画俳優のような美男です。

豪華限定本『岬にての物語』

②これが三島由紀夫の豪華限定本『岬にての物語』の表紙です。昭和43年(1968年)に出版されました。自決の2年前です。300部限定で、定価は15,000円です。今ですと15万円か20万円でしょう。今、ネットオークションでは70万円ほどです。
 この写真は蕗谷虹児さんの息子さんの蕗谷龍生さんから頂きました。「本当は、会場に聞きに行きたいのですが」と言って、蕗谷虹児記念館の人に預けてくれました。ありがとうございました。ご丁寧な手紙も頂き、三島との関係について、いろいろ詳しく教えてもらいました。

蕗谷の口絵と三島の「あとがき」

③『岬にての物語』の口絵です。蕗谷虹児の作品です。又、三島は、「あとがき」で書いている。「(蕗谷)氏の畫風ほど、この小説にふさはしいものはないと思はれたので、お願ひをして快諾を得た。殊に口繪の百合の花束の少女像は、今や老境にをられるこの畫家が、心の中深く秘めた美の幻を具現してあますところがない」

ソプラノ歌手・柳本幸子さん

④11月6日(土)午後6時半より、新発田市生涯学習センターで、「三島由紀夫と蕗谷虹児=うたと講演のゆうべ」が開かれました。第1部はソプラノ歌手・柳本幸子さんの歌で、「花嫁人形」などが熱唱されました。実に感動的な歌でした。伴奏は、白澤亨さん(リュート)、笠原恒則さん(チェンバロ)。

第2部は私の講演

⑤第2部は私の講演で、「三島由紀夫と蕗谷虹児=一枚の挿絵に込めた思いとは」でした。

「月刊タイムス」(09年12月号)より。出版秘話について書いた

⑥「月刊タイムス」(09年12月号)に書いた「三島由紀夫と野村秋介の軌跡」。連載第55回で、
〈三島が母に捧げた手彩色豪華本。
=老画家・蕗谷虹児との交流と『岬にての物語』出版秘話〉

柳本幸子さん(中央)、主催者の斎藤徹夫さん(左)

⑦「三島由紀夫と蕗谷虹児=うたと講演の夕べ」が終わって。(左から)主催者の斎藤徹夫さん。ソプラノ歌手の柳本幸子さん。鈴木。

打ち上げで(11/6)

⑧その後の打ち上げ会場で。

蕗谷虹児記念館にある三島由紀夫の『岬にての物語』

⑨翌日、11月7日(日)、午前中、「蕗谷虹児記念館」を訪ねました。2回目です。2階には、蕗谷の装丁し、口絵を描いた豪華本『岬にての物語』が展示されております。三島の「あとがき」も。

「蕗谷虹児記念館」で(11/7)

⑩「蕗谷虹児記念館」の前で。教会風のモダンな建物です。11月7日(日)。

新潟ジュンク堂でのトーク(11/7)

⑪11月7日(日)午後1時より、新潟のジュンク堂書店で。トークしました(左から)斎藤徹夫さん、鈴木、飛矢崎雅也さん。テーマは「三島由紀夫と大杉栄」です。

私の本が置かれた受付で

⑫トークの受付です。トークのあとにサイン会をやりました。こんなに私の本があったんですね。

東京から聞きに来てくれた2人

⑬阿佐ヶ谷ロフトの常連客です。わざわざ東京から聞きに来てくれました。それも、6日、7日と。顔が似てるので兄妹かと思いました。さては『岬にての物語』と同じ、「禁断の愛」なのでしょうか。
 と思ったら違いました。男性はIT関係の仕事をしている。女性は?「病院です」。「じゃ、患者さん?」「失礼な。医者です」。凄いですね。内科医です。女医さんです。Joyfullな人でした。「騒乱ロフトで、いろんな変な人を観察してるから、香山リカさんのような作家になれるでしょう」と私は断言しました。「でも、本人が酔っ払って、騒乱を起こしてます」。それもいいでしょう。

會津八一記念館で

⑭ジュンク堂トークのあと、「會津八一記念館」に行きました。中央が記念館の事務局長・武藤斌(あきら)さんです。詳しくお話を聞きました。左は、東京から来た「週刊金曜日」の白井基夫さんです。

「安吾・風の館」で(11/7)

⑮旧市長公舎・「安吾、風の館」です。坂口安吾記念館です。 よかったです。

きじま正之さんを囲んで(11/7)

⑯きじま正之さん(中央)を囲んで。(左より)飛矢崎雅也さん、きじまさんの息子さん、きじま正之さん、鈴木、斎藤徹夫さん。きじま正之さんは、一世を風靡した理論誌『現代の眼』のオーナー・木島力也さんの甥です。

【お知らせ】
  1. 月刊「創」(12月号)発売中。原田正治さんの『弟を殺した彼と、僕』(ポプラ社)について私の連載で書きました。又、『紙の爆弾』(12月号)で、「幸福の科学」広報局長、里村英一さんと対談しております。なかなか、楽しい対談になりました。
  2. 11月15日(月)午後6時半。新宿ジュンク堂で、三島由紀夫没後40年のトークがあります。『昭和45年11月25日』の著者・中川右介さんと、『遺魂』の著者の私です。
  3. 11月23日(火・祝)午後2時。「鈴木邦男ゼミin西宮」。第2回目です。場所は前回と同じで、喫茶店「カフェインティ・ライミ」です。
     阪神西宮駅東口を南へ3分 0798(22)0913です。TVで何度も取り上げられましたが、BSE牛肉偽装告発で有名な「西宮冷蔵」の水谷洋一社長と鈴木のトークです。お楽しみに。
     主催は鹿砦社・松岡利康プロデュース。参加希望者は岩井まで。080(5702)8405。参加費は2千円です。
花園神社への地図はこちら
花園神社への地図はこちら
  1. 11月24日(水)三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼四十年祭「野分祭」が行われます。午後7時より、新宿の花園神社。
     野分祭のあと、荒谷卓先生(至誠館館長)による記念講演「神道と武士道の現代的意義」があります。お問い合わせは「野分祭実行委員会」へTEL03(3364)2015。
  2. 11月25日(木)三島事件から40年のこの日、衝撃的な本が出ます。「40周年記念本」の決定打です。板坂剛さんと私の対談で、『三島由紀夫と1970年』(鹿砦社・1200円)です。貴重な資料3篇と衝撃映像のDVDも付いてます。
  3. 11月28日(日)渋谷アップリンク。6時50分から8時まで、「ベオグラード1999」の上映。
     その後すぐ、金子遊監督と私のトークがあります。
  4. 12月4日(土)7時半。ネイキッドロフト。伊勢崎賢治さん、前北美弥子さんと一緒に出ます。テーマは、「ソフト・オーダー」。やわらかい国境・やわらかい勇気について語ります。
  5. 12月7日(火)夜6時半、新宿のロフトプラスワン月刊「創」主催のトークイベントがあります。森達也『極私的メディア論』出版記念。「視点が変われば世界が変わる」です。「創」のHPを見たら、大槻ケンヂさんも出るそうです。凄い!見に行かなくちゃ。あっ、私も出演者か。司会は「創」編集長の篠田博之さんです。私も出ます。
  6. 12月15日(水)7時、サンルートホテル高田馬場。一水会フォーラムです。講師は石井一二先生(政治評論家・元参議院議員。元外務政務次官)。「ここが間違っている現下の日本。将来のために提起する」。
  7. BBS、見てます。赤犬さん、ありがとう。東北でも講演会やトークライブをやりたいですね。考えましょう。