凄い芝居を見ちゃったよ!昼は横浜でデモをして、声をからして、シュプレヒコールをし、3万歩も歩いた。久しぶりの集会・デモ参加だったんで、ヘトヘトだった。終わって急いで、小田急の千歳船橋のAPOCシアターに駆け付けた。劇団再生の芝居「交響劇第二番嬰イ短調」を見るためだ。デモ疲れで、眠ったら大変だと思ってたが、心配は無用。衝撃的な舞台で、眠気など吹っ飛んだ。緊張、驚愕の芝居だった。その前に、30分間、劇団再生の高木尋士代表とトークをした。「劇場論」だ。
この日は、デモ帰りだから、ジャンパーだ。「これが戦闘服ですか?」と高木さんは聞くけど、戦闘はしない。もう若くはないんだし。闘争期も発情期も終わった。整然とデモをしてきた。ジャンパーは単なるデモルックですよ。
デモだって表現だ。『遺魂』を書くんだって表現だ。演劇をやるんだって表現だ。皆、この地球に自らの意志で生まれて来て、自分の役柄を演じてるんだ。私はよくパソコンに向かい、Amebaピグをやっているが、あれだって、私というキャラクターが未知の世界に入って、いろんな人と知り合い、励まし、闘う。現実世界だって同じことだ。劇場論の後は、三島由紀夫、見沢知廉、大杉栄、保田輿重郎、蕗谷虹児の話をした。
しかし、客は気もそぞろだ。次の舞台では一体何が起こるのだろうと、緊張し、身構えている。超満員でギューギュー詰めだ。そして、異様な舞台装置だ。いや、客席も含めて、全てが舞台空間だ。天井高く、鉄パイプが縦横に渡され、組まれている。急遽、作られた「樹」だ。「森」だ。まさか、この「樹の上」で芝居をやるんじゃないだろう。
客は、皆、不安そうに「空」を見あげている。一体、何が始まるのだ。不安だ。でも、期待もある。そんな、ドキドキする中で、私たち2人はトークした。その不安の気持ちも、こちらに伝わる。伝染して、同じように不安になる。だから、トークの話は、後にする。それよりも、始まった芝居の事だ。
「劇団再生」の芝居だ。素晴らしい。体が震えた。「劇団員一人一人の“個の爆発”を感じた」と椎野礼仁さんは言う。今までの「劇団再生」の芝居は、見沢知廉をメインにし、三島由紀夫や北一輝が出てくる世界だ。彼らの思想や行動を再結合した「高木尋士の世界」だ。その緻密に組み立てられた世界も素晴らしかったが、皆、割り当てられた〈役〉を、高木氏に言われるままに演じていた。高木ワールドを、どこまで理解し、自分のものにしたのかが分からない(私は理解して演じたと思っている)。ところが今回は、高木ワールドの役を飛び出して、個の役者が語り、叫び、行動している。その「爆発」を感じた、という。
編集者・椎野礼仁さんは、そう言う。なるほど。名編集者は言うことが違う。椎野さんは、(部下の高橋あづさ嬢と共に)、私の『遺魂』(無双舎)を編集してくれた人だ。私は必死に書いたつもりだが、「でも、編集がうまい」と編集ばかりが誉められている本だ。おかげで、いろいろと話題になっている。
神戸から、会社を休んで、わざわざ見に来た「モー娘」さんは自分のブログに、こう書いていた。
「劇評なんて書けないぞ。
なぜならあれは正確に言うと、劇ではなかったから」
アレッ?喧嘩を売ってるのかと思ったら違う。
劇、芝居…。そんなものを超えていた!と言うんだ。劇団員の演技は命懸け。見る方も命懸け。お互い、1回きりの命懸けだ。
「言葉で表現しきれないものを視覚・聴覚でとらえた後の、その言語化の難しいこと、苦しいこと、この上ない。下手な言葉にして、あの感動を台無しにしてしまいたくない。ただ、静かに目を閉じて、あの一枚の絵が、あの一言が思い出せればそれだけで満足なんだ」
ほう。この、「モー娘」さんは詩人ですね。きっと詩やエッセイを書き溜めているはずだ。本にしたらいい。椎野礼仁さんと高橋あづささんに編集してもらったらいい。きっと、凄い本が出来るだろう。さらに、それを劇団再生の芝居にしたらいい。読者(観客か)参加型のお芝居になる。双方向芝居だ。3D芝居だ。
舞台は完全に、度肝を抜かれた。普通、客席から見て、一段高いところに、適度の広さの舞台がある。それが「普通」だ。その「普通」の概念を打ち破ろうと、今まで、いろんな実験がされてきた。たとえば、左右に異常に長い舞台。あるいは左右は短いが、奥行きだけがやけに長い舞台。いろんなものを私は見てきた。ところが今回は、それらも「普通」にしてしまう。実験の先を行く、超実験だ。左右、奥行きではなく、「縦に長い」舞台にしたのだ。つまり、観客は見上げるのだ。見上げると、パイプで作られた「森」がある。その森の樹を渡りながら、役者は叫ぶ。芝居をする。そんな所に、よく、登れたものだ。高所恐怖症の私は、それを想像しただけで、目眩がする。
「初めは、客席も、パイプの上にしようと思ったんです」と高木氏は言う。パイプを差し渡した所に観客がよじ登り、しがみつく。あるいはぶら下がる。そして見る。役者だって命懸けなんだ。お前たちも命懸けで見ろ!ということか。
「今回は準備が間に合わなかったんですが、次はやってみたいですね」と高木氏は言う。皆が、梟になって演じ、梟になって見る。そうだ。「梟演劇論」を書いてみたらいいのに。…という話は、次の日の公演の前にした。
そうそう、芝居の中味だ。初めは、病院の話かと思った。見沢知廉が入れられた八王子の医療刑務所のような。でも、違う。カフカの『城』なのか。埴谷雄高の『死霊』の世界か。いや、それすらも超えていた。
千日熱が続くと死んでしまう女・イルがいる。私と同じだ。彼女の死を待つ死化粧師がいる。又、彼女に永遠の命を与える吸血鬼がいる。
もう一方に、病気を抱えた歩けない「かみさま」という名の少女がいる。彼女に恋するオートバイのシヴァがいて、最後は一緒に死ぬ。病院勤めの女医さんとIT企業幹部の「禁断の恋」のようだ。2人とも最後は死ぬ。三島由紀夫の『岬にての物語』のようだ。
劇団再生の芝居は、それらも超えて進む。「戦争柄」の着物を着た、森の番人もストーリーテラーとして出てくる。そして、ハラハラ、ドキドキさせながら、物語は展開する。
本当に命懸けの舞台だ。足を滑らせて、いつ役者が落ちてくるかもしれない。組んだパイプが外れ、観客の上に、パイプが降ってくるかもしれない。鉄パイプの雨あられだ。我々観客はそれを防ぐものはない。機動隊ならば学生デモの鉄パイプを防ぐ盾がある。僕らには盾がない。「楯の会」もない。無防備だ。非武装中立のままで、この宇宙にポンと置かれている。そして空を見上げている。星がある。いや、パイプで組まれた思想的宇宙がある。星になった役者がいる。梟のように、大空を飛び回り、雄叫びを上げている。
ウーン、凄い芝居だった。やはり言葉では表現できない。「モー娘」の言う通りだ。余りのショックで私も記憶のネジが外れている。11月13日(土)、14日(日)と2日続けて芝居を見た。2日続けて、「劇場論」を話した。その全てを忘れた。凄い芝居を見たショックで、トークの内容なんて全て忘れた。本当にトークなんかしたんだろうか。でもしたようだ。思い出したら又、書いてみよう。
(なお、記憶の飛んだ部分は、制作の高橋さんに聞いて補いました。ありがとうございました)
そうそう、横浜のデモに参加し、その足で、千歳船橋の「APOCシアター」に駆け付けたんだ。APECに抗議したデモだ。「APECからAPOCへ!」だ。ところで、「APOCって何だ」と話していて思った。人の名前か?バンドの名前か?トークをしている時、高木さんに聞いたら、「分かりません」。分からないのに、劇場と契約し、芝居をしてるのか。不条理な話だ。カフカのような人だ。その時、会場から、声があった。「それは、『ア・ピース・オブ・ケーキ』の略です」。A piece of cakeだ。「ケーキの一切れ」いや、「一切れのケーキ」だ。この劇場の建物が三角形になっていて、ちょうど、ケーキを切った一片のように見えるからだという。ほう、お洒落な話だ。これもポエムです。
次の日も、トークをしたんだよな。そうか。新宿のジュンク堂だ。『昭和45年11月25日』(幻冬舎新書)の著者・中川右介さんとトークをした。三島の中で「好きな3冊」をお互いがあげて、そこから話をスタートさせました。
中川さんは、『青の時代』『沈める滝』『絹と明察』。三島が力を入れて書いたのに余り評価されなかった本だ。
もし、これが評価されていたら、三島は社会派になり、戦後の重大事件を次々と取り上げただろう。そうしたら、松本清張が『昭和史発掘』を書く余地はなかったという。私もこの3冊は好きなので、その点は惜しかったと思う。私の「3冊」は、『奔馬』『英霊の声』『岬にての物語』をあげた。「右翼活動家としては月並みですね。意外性がありませんね」と中川氏に言われた。まあ、敢えて取り上げて、〈論争〉になる本だと思ったのに。
会場には神田の山口書店の山口真人さんも来てくれた。お父さんには随分とお世話になった。有名な書店で、右翼民族派の本はどんなものでもある。右翼人脈もあり、三島由紀夫本人とも親しかった。自決の2週間前には三島は山口書店を訪れている。
そのころ真人さんは10才。よく覚えていないが、お父さんにかかってきた三島の電話を取り次いだことをおぼえているという。お父さんは病気で入院中だという。「週刊金曜日」の白井さんが山口書店を訪ね、誘ってくれたのだ。嬉しかった。
それと、この日は、もう一つ、「大きな収穫」があった。自由国民社の清水均さんが来てくれた。「やっと出来ました」と分厚い本を差し出す。「今週の木曜日(11月18日)発売です。まだ、ジュンク堂にも入れてません」と、隣りにいるジュンク堂の社員を気にして言う。
『現代用語の基礎知識2011』(自由国民社)だ。1681ページもある。厚い!これで2838円だ。安い!
これで、〈現代〉の全てが分かる。20万部以上出ている。最盛期には100万部以上出ていた。そんなに売れるのならば、と、『イミダス』、『知恵蔵』も参入した。しかし、ネットなどの時代になり、『イミダス』、『知恵蔵」は撤退。『現代用語の基礎知識』だけは頑張っている。
実は、この3つの『用語辞典』には少々、不満があった。昔は、右翼用語、左翼用語、学生運動用語のページがふんだんにあった。知らなかったら、「現代人」ではなかった。ところが、どんどんページが減ってゆき、16年前からは完全に消えた。3つの用語辞典に全く載らない。かわって、IT用語が急増した。
「左翼は死滅した。右翼は乗り越えられた」と言った人が昔いた。名言だ。誰が言ったのかは忘れたが、その言葉通りになった。
でも、何も全く消すことはないだろう。と私は思っていた。自由国民社の清水さんに何年か前に会った時に言った。その後も、会うたびに言っていた。
確かに、左翼は死滅し、右翼は乗り越えられたかもしれない。でも、そいつの言葉だけを信用しちゃいけません。決して「死語」になったわけじゃないです。今でも、「ネット右翼」とか、「あいつは右翼だ!」と言われている。又、民主党の菅や仙谷に対し、「左翼だ!」と批判する人が多い。今でも使われている言葉だ。だから、復活すべきですよ!と言った。
それが実ったのか。やっと復活したんですよ。16年ぶりに!『現代用語の基礎知識2011』の巻頭。〈特集〉のところだ。48ページに私の原稿が載った。「愛国心の現在を考える」。4段組みで、5ページも。
まず大きく分けて、「右翼・左翼」「60年安保と右翼」「右翼とテロ」「三島由紀夫」「新右翼」「愛国心の現在」と見出しが立っている。その中で、個々の用語解説もやっている。赤尾敏、街宣車、新右翼、浅沼稲次郎刺殺事件、嶋中事件、テロの倫理、テロの影、三島由紀夫事件、楯の会、愛国と憂国、野村秋介、新右翼を生んだ対談、愛国心依存、保守派の市民運動、愛国者インターナショナル、二極化する愛国心…と。
なかなか、広範囲に取り上げている。自分も頑張って書いたが、資料集め、編集では椎野礼仁さん、高橋あづささんにお世話になりました。又もや、「編集がうまい」と皆に言われております。
さらに、1244ページには「どうなる歌舞伎と歌舞伎座」というテーマで中川右介さんが書いてます。三島について私と対談した中川さんです。歌舞伎とクラシックにメチャ詳しいのです。その延長線上で三島の本も書いたのです。ともかく、この『現代用語の基礎知識』は、お得です。お宝です。現代の分からないことが全て、分かります。分からないことが出たら、これに当たればいい。
あるいは毎日、少しずつ読んでもいい。興味のあるテーマから読んで、これ1冊を読破してもいい。読んだら確実に、血になり、肉になる知識です。
昔、野村秋介さんの何かのパーティだった。経団連事件で服役し、出てきた時のお祝いだったかな。「引き出物」に何と、『現代用語の基礎知識』を配ったのだ。その当時は、「右翼・左翼」もまだ載ってたし。「これは便利だ」と、皆、喜んでました。だって、あまり使わない「置物」や「お茶セット」よりは、ずっといい。私も出所祝いの時は、これを配ろう。
あっ、私が右翼の歴史や現状を書いたけど、『現代用語の基礎知識』には「左翼」はなかった。バランスをとって書いてもらおうと思ったけど、「書く人」がいなかったらしい。優秀な活動家がいるじゃないか。と思ったけど、全体を見て客観的に書ける人がいないようだ。やはり、左翼は「死滅」したのか。
そんな時に「安保闘争」の歌集を送ってもらった。これは面白いと思い、一気に読んでしまいましたよ。宮坂亨さんの『歌集〇一〇年安保』(北溟社)だ。「ぜろじゅうねん・あんぽ」と読む。昔、「60年安保」「70年安保」と言われ、闘争の一大テーマだった。しかし、80年安保、90年安保はあったはずなのに全く問題にされない。左翼が死滅したからだ。いかんよな、と思ってたら、「いや、「〇一〇年安保だ!」と声を上げた闘士がいた。宮坂さんだ。その闘いの歌集です。
実をいうと、左翼の人でも「歌集」を出してる人がいる。でもそんなに評判にならない。また、面白くない。なぜなんだろうと思っていたら、左翼の「評論」や「アジ」を書く心構えをそのままスライドさせて「5・7・5」ゃ「5・7・5・7・7」に移しかえただけなのだ。歌をうたうという心のパラダイム・チェンジがないのだ。
その点、宮坂さんは、それを十分に心掛けた上で、歌の世界で歌を詠んでいる。それがいいと思った。だから、新聞や雑誌などでも大きく取り上げられているのだ。本の帯は何と俵万智さんだ。
〈熱い思いが、定型と格闘している歌集だと思いました。平和への関心が高い宮坂さん。スローガンを越える短歌を詠んでいってほしいと期待しています〉
デモや集会や、沖縄や、いろんな闘いに行って、そこで詠んだ歌だ。たとえば、
目の前のキャンプシュワブの青年がイラクで人を殺す現実
ヒトの持つ尊厳・良心・夢・愛を捨てたくないとヤグラに登る
「神々の拒む海に基地はつくらせない」の旗はためかせ海人(うみんちゅ)がいく
いい歌だ。他にも、楽しい歌、思わず笑がもれる歌もある。これはいいと思った。私も作ってみたい。
つかこうへい『飛龍伝』読み革命を志したと自伝には書く
(いいねえ。私も『飛龍伝』は大好きですよ。でも、私らの時代は右翼も左翼も司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで活動家になったもんですよ)
筑紫哲也が生んだ言葉『新人類』ならばオイラは「〇一〇年安保」
(「新人類」の連載の前は、たしか「若者たちの神々」だったな。それに私も取り上げられたっけ。あれでデビューしたのかもしれない。ありがとうございました)
サッカーが五輪が選手がナショナリズム
燃え立つ年に謀反人として起つ
(その志や、よきかな。がんばって下さい)
ケータイに納めた君とのツーショットの写真を糧に頑張っています
(昔は、藤純子だね。寺島しのぶのお母さんだよ。「緋牡丹お竜」ですよ。東映ヤクザ映画の。そのブロマイドをヘルメットの裏に貼りつけて、機動隊と闘ったんですよ)
銀色の雲と海とがキスをする
水平線まだ青空は見えない
(ほほう、雲と海とが「キスをする」という表現がいいですね。俵万智的で。その辺の左翼活動家なら、こんな表現は思いもよらんだろう。だから、死滅した)
朝8時キャンプシュワブの浜辺には
「君が代」響くこれが「安保」か
(これも驚いた。その辺の左翼なら、こうした「現実」があっても、見ようとしない。無視する。ましてや、活字にしない。正直に書くと「反動勢力」に利用されると思い、「政治判断」をするからだ。その点、宮坂さんは良い。正直だ)
「沖縄の本土復帰闘争」の時、私も大学生だったが、何回か沖縄に行った。左の人だって皆、「日の丸」を掲げ、「本土復帰闘争」を闘っていた。又、砂川基地闘争の時は、「赤とんぼ」なんかの童謡を歌っていた。左翼の歌なんかはない。子供を背負った母親や、農家の人など、一般の人々が闘っていたんだ。左翼の歌なんかは知らない。皆が知ってる歌を歌ったんだ。
60年安保の時は、学生が国会を取り巻いた。しかし、「革命」の歌はない。あっても皆は知らない。仕方ないから、各大学の校歌を歌っていた、という。全学連委員長の唐牛(かろうじ)健太郎さんから聞いた話だから、本当だ。時には、「君が代」を歌ったという。ホントかよ、と思ったが、歌ったんだろう。宮坂さんの歌集を読んで初めて知ったが、今でも歌っているんだし。
平和省創りたいと願う文
『マガジン9条』に熱く書き込む
(あらあら、私も「マガジン9条」に、反戦平和の連載を書いてるよ。じゃ、同志じゃないか)
全日本プロレスジャイアントシリーズの古いポスター天井にある
(いやー、嬉しいですね。ユーモアがあると思ったら、プロレスファンだったのか。それだけでいい人だと分かるね。昔、あるライターが反天皇的なことを書いて、右翼団体の事務所へ呼びつけられた。怖かった。でも、その怖い右翼の人の机に『週刊プロレス』があった。「あっ、プロレスお好きでっか?」。それでもう2人は打ち解けて、天皇問題の抗議なんか忘れて、仲良くなったという。いい話だ。プロレスは天皇問題をも超える。戦前、プロレスがあったら日米戦争は起きなかった!と断定していた思想家もいた。名前は忘れたが)
ジャイアント馬場のキックで青春のモヤモヤ吹き飛び大人になった
(いいですね。同感です)
「ごめんなさい彼氏がいるの」「ありゃららら」
こういう結末今度で5度目
(こういう自虐的で、お茶目なところがよかとですよ)
血まみれの藤波辰巳を見て以来
30年間プロレスファンです
(私も右翼界の藤波辰巳と言われてます。ニュートラルで、自己主張がないからです。誰とでも話し合えるし、すぐに、感動して、説得されるからです。だから、ロフトで人がいない時、対談相手が逃げた時、いつも「代打」で私が呼ばれます。生涯、「代打」です。生涯、かませ犬です。でも、いい試合にしようと頑張ってます。これは泣けます)
広島の体育館での闘いの最後に決まった原爆固め
(意味深ですね。まさか、初めから考えてはいなかったでしょう。試合の流れで、それで決めたんでしょう。決めた後、「ありゃ、マズかったかな」と選手は悩んだはずですよ)
「お母さん助けてくれ!」と言えなくて
天皇陛下万歳と死ぬ
(確かに、そういう人も多かったんでしょうね)
右翼諸君何をしている 日本から黒髪賀消える 嗚呼ヒロスエまでも
(そんなこと右翼に言われてもなー。右翼だって金髪にしてるよ。私だって以前は金髪だった。右翼の娘さん、彼女も皆、茶髪か金髪だよ。黒髪だと「気分が暗くなる。ウザったい」と言ってるよ。それに、中国人と結婚してる右翼の人も多いし。単純に「攘夷」を叫んでる右翼はもうおらんぜよ)
カミカゼが大本営に突っ込んでいたなら原爆落ちなかった
(当日、そんな、飛び抜けた発想をする人はいなかったでしょうな。でも、戦後、右翼の黒幕・児玉誉士夫邸にセスナ機で突っ込んだ青年がいましたね。前野光保氏です。一水会の機関紙「レコンキスタ」で取り上げて絶賛したら、右翼の人達に怒鳴られたっけ)
左翼でも右翼でもなく仲良くです
笑って僕は僕の空を飛ぶ
(いいですね。「仲良く」は喜納昌吉さんも言ってました。宮崎学さんは、「オラは“混よく(混浴)”だ」と言ってました)
言論の自由の敵は弾圧より遠慮と想う憲法記念日
(そうですよ。弾圧される前に、引っ込める。こんなことやったら、きっと抗議されるだろう。されるかもしれない。されたら嫌だな、オラの責任になる。じゃ、ヤメとこ。となるんだよ。5年前、森達也さん、斎藤貴男さんと3人で『言論統制列島』(講談社)という本を出したけど、今じゃ、『言論自粛列島』だね。来年、文庫本になるそうだが、このタイトルを提起しよう。
あららら、随分、長くなっちゃった。ともかく愉しい歌集でした。だから、ついつい長く紹介しちゃった。ぜひ買って読んでみて下さい。他にも、闘いの歌、愛の歌、ユーモラスな歌など、沢山あります。私も歌集を作ってみたいな、という気になりました。
①劇団再生の舞台です。「交響劇第二番嬰イ短調」です。11月13日(土)と14日(日)、千歳船橋のAPOCシアターで上演されました。凄い舞台です。凄い設備です。役者が空中で演じてます。天井にもおります。
④上演後、APOCシアターの前で。中央は劇団再生の役者2人。「戦争柄」の着物を着た役者もいる。横は椎野礼仁さん。後列は左より、大久保鷹さん、山平重樹さん、高木尋士さん、鈴木、設楽秀行さん。(なお、①から④の写真は、カメラマンの平早勉さんに撮って頂きました。ありがとうございました)
⑬こんなプラカードもありました。
「仙石由人サンのアイドルは5千万人殺した毛沢東!!」
「政権交替は文化大革命」だ、と右に小さく書かれてます。そして毛沢東と仙石さんの写真が。毛沢東の横には、「五千万人殺戮世界記録」
仙石さんの横には、「日本のミニミニ毛沢東」。「別名『赤い小沢一郎』仙石サン」。
⑮11月25日(木)、全国発売です!板坂剛さんと私の対談本『三島由紀夫と1970年』(鹿砦社。1200円)。2人の対談は、「2010年、いま、振り返るミシマ。その意味と価値、あの“狂乱”の時代を再検討する」です。貴重な巻末資料。それに、驚きのDVDが付いてます。いいのかな、こんなことやって、と驚きです。売り切れないうちに買いましょう。