そういえば、「黒幕」といわれる人がいなくなったな。政治家も財界人も言論人も皆、小粒になったのかもしれない。いや平均化し、透明度が増したのかも知れない。金や暴力や顔(特殊人脈)を使ってこの国を裏から支え、動かしてきた人々が、「黒幕」だ。それらの人々がいなくなったのは、「民主主義の勝利」なのか。
でも、「手段の民主主義」ばかりが進むと、「結果の民主主義」が後退する。と喝破した人がいた。凄い思想家だ。予言者だ。
「手段の民主主義」というのは、今、行われている政治のことだ。知りたい。見たい。口を出したい。ということだ。「参加している」という実感だ。今は、あるだろう。言論の自由はあるし、ネットやツイッターで、何でも言える。映像だって流せる。「手段の民主主義」は頂点にまで達した。完璧だ。
しかし、その結果はどうだ。国民は幸せになったのか。日本は幸せになったのか。民主主義の「結果」をもらっているのか。「果実」はもらっていない。アップルはあるが、民主主義の果実はもらっていない。
むしろ、「手段の民主主義」が制限され、未発達だった明治時代の方が、国民は、安心し、誇りを持ち、人々に優しかったのかもしれない。「結果としての民主主義」の果実をもらっていたのだ。
国民皆が、政治評論家になり、国政を論じ、テレビでも、皆が騒いでいる。そんな国は不幸だ。国民がレベルアップして、政治家に近づいたのではない。政治家を国民のレベル1まで落としただけだ。ここでも、「手段の民主主義」は勝利した。
テレビに出て、好感を持たれ、喋れる人だけが持てはやされる。そして、金や、女のスキャンダルのない人だ。でも、こんな、クリーンだが政治力のない人ばかりだ。テレビや新聞などマスコミは、そして国民の民意・世論は、そんな人ばかりを作ってきた。そして、「学芸会国会」などと言われる。それでは、外国の、したたかな政治家たちに太刀打ちできない。小粒な人間ばかりをトップに立て、6ヶ月位で、取り替えている。そのくせ、「闘え!」「戦争も辞さずの覚悟でやれ!」と無責任な「声援」ばかりが飛ぶ。有能な政治家は、スキャンダルで潰し、消してゆく。これでは外に対しても闘えない。
一昔前までは、ダーティでも有能な政治家がいた。又、黒幕もいた。巨魁、妖怪もいた。「手段」はクリーンではない。でも、自分の身を捨てて天下国家のために粉骨砕身、努力した黒幕もいた。逆に、その方がしあわせだったのかもしれない。日本も、日本国民も…。
確かに、ダーティな人間、黒幕、巨魁などはいない方がいい。透明度が高い政治の方がいい。しかし、水を清くすることだけに熱中して、そこに住む魚も殺してきたのではないか。そんな気さえする。
最近、黒幕について2冊の本が出た。それについて衝撃を受け、2つの文章を書いた。衝撃的な本だ。その衝撃の余韻が残ってるせいかもしれない。こんなことを考えるのは…。
1冊は、『日本の「黒幕」200人』(宝島sugoi文庫)だ。これはsugoi本だ。児玉誉士夫、笹川良一、田中角栄…といった「黒幕」について書かれている。ダーティな「手段」によって、国民にはフルーティな「結果(果実)」がもたらされた時代だった。でも、200人のうち、ほとんどが亡くなっている。生きているのは20人か、30人か。その小粒になった「黒幕」たちで、この日本を裏から支えているのか。不安だ。
この本については、「マガジン9」の私の連載で書いた。今、アップされている。「マガジン9」は、「憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン」だ。私はそこで、「鈴木邦男の愛国問答」を連載している。もう、第64回だ。
もう1冊、「黒幕」について、衝撃的な本を読んだ。工藤美代子の『悪名の棺 笹川良一伝』(幻冬舎)だ。笹川良一は、生前、何度も会い、講演を聞いた。迫力のある人だった。その時から「黒幕」だったし、「タブー」だった。日本のドンだった。
工藤の本を読んで驚いた。笹川のことなんて知っているや、と思っていたが、実は何も知らなかった。本人に会いながら笹川伝説しか知らなかった。噂しか知らなかった。それで、書評を書いた。12月6日(月)発売の「アエラ」に書いた。〈笹川像〉が変わった。それは、「アエラ」で読んでもらうとして、この工藤の本には、帯にこう書かれている。
〈情に厚く、利に通じ—
「昭和の怪物」の正体〉
そして、こう書かれている。ちょっと長いが紹介しよう。読みたくなるだろう。
〈メザシを愛し、風呂の湯は桶の半分まで。贅沢を厭い、徹底した実利思考と天賦の才で財を成すも、福祉事業に邁進し残した財産は借金ばかり。家庭を顧みず、天下国家、世のために奔走。腹心の裏切り行為は素知らぬ顔でやり過ごし、悪口は“有名税”と笑って済ませた。仏壇には関係した女の名が記された短冊を70以上並べ、終生、色恋に執心した。日本の首領(ドン)の知られざる素顔〉
本当に、「知られざる素顔」だ。丹念に取材してるし、子供たちも親切に取材に応じている。そして、お父さんの「女関係」についても説明している。それが又、愛情をもって、明るく話している。やはり笹川は大物だ、と思った。
笹川については多くの人が、批判した。罵倒した。いろんなレッテルを貼った。でも、本人は全く気にしない。それどころか、そんな人が窮地に立つと必死に助けている。ちょっと出来ない。やはり、並みの人間ではない。それに、他人の悪口は言わない。出来ることではない。
もっともっと話を聞いておくべきだったと悔やんだ。でも、そうしたら、取り込まれていたかな。それが怖くて、距離を置いていたのかもしれない。
では次に、民主主義・議会主義を別の面から見てみよう。なぜ、近代スポーツはイギリスで生まれたか。そのことを考えた。ゴルフ、テニス、サッカーなどはイギリスで生まれて、世界中に広まった。これは凄いことだ。それに、イギリスは「我が国の国技だから」となどと狭いことは言わない。「本家のイギリスが勝たなければ」という気負いもない。これは素晴らしいと思う。
ではなぜ、イギリスで近代スポーツが次々と生まれたのか。これは民主主義・議会主義がここで初めて生まれたからだという。つまり、「政治」が「スポーツ」を産んだのだ。玉木正之の『スポーツとは何か』(講談社現代新書)に書かれていた。驚いた。
アレン・グットマンが「スポーツと帝国」で書いていたというが、それを引きながら、玉木は言っている。議会制度が発達する以前の社会では、支配者(権力)の交代は、主として「暴力(戦争)」によって行われた。
〈議会制度化とは、政治がいわばゲーム化したことを意味している。(略)その際、暴力は使われないのである。この時代から生じたスポーツは、このゲーム化する政治的歴史を、身体に移してモデル化したものであった〉
つまり近代スポーツは、〈イギリス地主階級の「議会制度化」対応物〉といえるのである
ほう、なるほどと思いましたね。昔は、政権交替は殺し合いだ。戦争か、革命か、クーデターだ。命懸けだ。スポーツだって、「殺し」の道具だった。あるいは、その名残がある。刀を使ったり、相手を殴り倒したり。槍投げ、砲丸投げもそうだ。
ところが、議会制度が発達し、「人殺し」をしなくても、選挙で政権交替が出来るようになった。昔は、徳川の世の中になったら、豊臣の人間は生きておれない。
しかし今は違う。鳩山でも麻生でも福田でも、かつての首相が生きている。それが民主主義だ。でも、悪くいえば、「政治のゲーム化」だ。ゲームに負けても死ぬことはない。だから真剣性が足りない。とも言えるが。
スポーツも、直接ぶつかり合い、相手を屈服させるものではなく、ボールを介在させて、勝負を競う。スマートなものになった。テニスもゴルフもサッカーも、スポーツ界の「議会制度化」だ。「民主化」なのだ。
だったら、政治的課題も、こうした近代スポーツで決めるようにしたらいい。
この本を読んで、もう1つ驚いたのは、「運動会」のことだ。こんなものは外国にはない。日本にしかない風物だ。日本の伝統・文化だ。走ったり、飛んだりする競技がある。と同時に、騎馬戦とかパン食い競争などがある。見てる方も、お弁当を広げながら見ている。一体、これは何なんだ。誰が考えたものだ。
「実は、これも〈政治〉の延長だったんだ」と玉木正之は言う。あんな、ごった煮のような運動会のどこに「政治」があるんだろう。絶対に違う。と思うだろう。
元々は、兵隊さんが体を鍛え、日頃の訓練の成果を発揮し、見せるものだった。日本では明治時代に生まれた。ただし、兵隊さんの慰安の意味もある。1874年(明治7年)に、海軍兵学校で始まった。ただ走るだけでなく、二人三脚、騎馬戦もやる。ごった煮だ。
その運動会は一般に広まり、種目もグンと増える。棒倒し、綱引きが入り、いろんな遊技も加わる。
そして、何と、「自由民権運動」が、革命的に介入し、「運動会」を広めたという。弾圧されていた自由民権運動が「運動会」に目をつけたという。玉木の説明を聞こう。
〈明治政府の弾圧によって、自由に集会を開くことができなくなった自由民権運動の志士たちは、「壮士運動会」と称する運動会を開催した。
そして、「圧制棒倒し」「自由の旗・奪い合い」「政権争奪騎馬戦」といった新たな種目を創造して、運動会の中で自らの主張を展開した。さらに仮装をして、デモンストレーションを行ったり、簡単な芝居を演じたりするなかで、薩長藩閥打倒、民権議院設立などの政治的主張を訴えた。それが今日の運動会における仮装行列のルーツである〉
「運動会」は政治的主張の場だったのか。だったら、今もやったらいい。東京ドームで、右翼と左翼と警察を集めて「運動会」をやる。思想対抗の棒倒し、綱引き、騎馬戦をやる。ヘルメットをかぶってもいいし、棒を持ってもいい。終わったら、ヘルメット、覆面の「仮装」をしたまま、行進だ。デモではない。「仮装行列」だ。いいじゃないか。なんのことはない。「壮士運動会」に戻ればいいんだよ。
明治の壮士運動会がルーツになり、そらに、文部省は、そうはさせじと指導した。又、地域住民は、これは「祭り」としてやろう、という声もあり、そんな3つの流れが合流し、渦を巻いて流れ、今日の運動会になったのだ。運動会の歴史も革命的だったんだ。
そうだ。玉木は、もう一つ、面白い指摘をしていた。「応援団」はいつ、誕生したか、だ。今なら、サッカーのサポーター、あるいはチアガール。こういった人々だ。応援する人は昔からいただろうと、思うかも知れないが、違う。昔は「観客」が観客の立場で満足して、「応援」に甘んじることはなかった。
つまり、拳闘や相撲なども素人が「飛び入り自由」だったし、プロがアマに負けることもあった。つまり、「市民参加型」であり、「手段としての民主主義」は確立されていたのだ。そんな時は、「応援団」なんかいない。そんなもので満足しない。自分が土俵に上がる。
近代スポーツ以前のものは、全て、「飛び入り」が自由だった。近代スポーツはイギリスで生まれたといった。議会制度が生まれたからだ。でも、かつてのスポーツは、「飛び入り」があった。今、民主主義の世の中になり、近代スポーツは盛んになり、「手段としての民主主義」は頂点を極め、皆が政治にスポーツに、直接参加できるようになった。いや、でも、かつてのように、「飛び入り」はないし、体でもって一体となって闘うことはない。その欲求不満から「応援団」が生まれた。そこで、体を動かし、闘うことにより、一緒に闘っている。ゲームに加わっているという実感・一体感を得るのだ。
アメリカでは、(日本でもそうだが)ファウルボールを奪い合う。ボールがプレゼントされるからだが、それだけではない。ナイス・キャッチした観客は、周囲の観客から賞賛の拍手を浴びる。逆にイージーフライを落球した観客はブーイングが浴びせられる。ここには、かつての「飛び入り自由の時代」の名残として、観客は今も、ゲームへの参加意識を探し続けている。
〈しかし、19世紀末に人工的に机上で創作されたバスケットボールとアメリカン・フットボールでは事情が異なる。誕生した当初から、YMCAやアイヴィ・リーグ(アメリカ東部の大学)の学生という限られた連中だけがプレイしたそれらのスポーツは、最初から〈する人〉と〈見る人〉が分離していた。そうなると、〈見るだけの人〉の欲求不満が募る。そこから、観客席での組織的パフォーマンスが生まれた。それがチア・グループである〉
なるほど。〈参加〉を求めるんだ。民主主義への欲求ですよ。北朝鮮の「喜び組」もそうですよ。違うかな。ともかく「政治」と「スポーツ」は、切り離せないものなんだ。
①『日本の「黒幕」200人』(別冊sugoi文庫)。笹川良一、児玉誉士夫など200人です。でも、亡くなった人が多い。生きてる人は30人位だろう。西宮ゼミに行ったら岩井さんが、「その30人の中に鈴木さんが入ってました」と言っていた。馬鹿な。目の錯覚ですよ。私など入ってるはずがおまへん。六畳一間の木造アパートに住んでるオッチャンが「黒幕」なわけがない。
②工藤美代子さんの『悪名の棺 笹川良一伝』(幻冬舎)。凄い本です。凄い人だったんですね。「最後の傑物日本人」と書かれています。笹川のイメージが変わりました。「アエラ」(12月6日発売)で書評しました。
⑧「青葉梁山泊一周年記念講演」です。11月27日(土)。6時半から、「三島没後40年。我々は三島を超えられたか?」のテーマで講演しました。右は青葉梁山泊の主宰者の杉浦正士さん。
会場は田園都市線の市が尾駅から車で5分でした。三島が自決したのは市ヶ谷の自衛隊。だから、「市が尾」で「市ヶ谷」の話をしました。
⑩隣りの杉浦さんの部屋の本箱には私の本が一杯ありました。『愛国者の座標軸』『夕刻のコペルニクス』『がんばれ新左翼』『新右翼』『これが新しい日本の右翼だ』『北朝鮮原論』『蟹工船を読み解く』『公安警察の手口』…などです。ありがたいですね。
⑪(左から)原武史さん(明治学院大学教授)、奥泉光さん(作家)、私です。11月26日(金)、明治学院大学の公開講座を聞きに行きました。原さんと奥泉さんの対談です。会場は満員でした。
奥泉光さんは『石の来歴』で芥川賞受賞。これは読んで驚きました。それでこのHPにも書きました。石も生きてるんですね。全ては石が循環して生きている。私たちも、その小さな小さな一部だ。そう思いました。その後、ずっと読んでます。『神器』『バナールな現象』『「吾輩は猫である」殺人事件』『新・地底旅行』『鳥類学者のファンタジア』などです。
会場では、『シューマンの指』を買いました。このあと、皆で、戸塚駅のそばの居酒屋に行って飲みました。とても楽しかったです。
⑫11月18日(日)。「戦争柄」の研究をしている乾淑子さん(東海大学教授)とお会いしました。午前11時にサンルートホテルで会い、そのあと、喫茶店「ミヤマ」の会議室で3時間、お話を聞きました。私だけでは勿体ないので、椎野、高橋、白井、高木、芝崎さんに呼びかけて、皆で、お話を聞きました。
この写真は、「劇団再生」の高木尋士さんが、芝居で使った戦争柄の着物を見せて、説明しています。
⑭この日の夜は、6時から、渋谷アップリンクで「ベオグラード1999」の上映。その後、8時から、椎野礼仁さんとトークしました。金子遊監督は、ちょっと挨拶して、「あとは三島の話をして下さい」。それで、『遺魂』の編集者の椎野さんと、じっくりと三島由紀夫の話をしました。