スナック「バロン」の10周年記念パーティには全国から多くの人々が集まりました。左翼過激派、右翼過激派、アナーキスト、マンガ家、芸術家。そして弁護士、市会議員、大学教授、予備校講師…と。200名ほどの人が、静岡市の「クーポール」に集まったのです。
若い時に学生運動をやって暴れていた人々が、ほとんどです。ほとんどの人々が逮捕歴のある、元気な人達です。中には刑務所に何年も入っていた、という人もいます。その過激派の弁護をした弁護士さんもいます。壮観です。危ない人々が、これだけ一堂に集まった様子は、なかなか見られません。
逮捕歴のある人、刑務所体験のある人が多いのですが、この日の「主催者」には敵いません。主催者はスナック「バロン」のマスター、植垣康博さんです。(あれっ、本当は「祝われる人」だからゲストか。でも、ずっとメインで喋ってた)。植垣さんは元連合赤軍の闘士です。逮捕されて、27年間、刑務所に入ってました。凄いです。出所してから、この静岡市でスナック「バロン」を開店し、この日で10年目です。偉いですね。毎晩、客相手に酒を飲みまくり、それで10年です。
でも、その間に、ベストセラー『兵士たちの連合赤軍』(彩流社)などを書き、「朝まで生テレビ」などにも出ています。連合赤軍事件といえば、必ず呼ばれます。連赤の〈闘士〉であり、〈生き証人〉です。
この日は、マンガ家の山本直樹さんも来てました。連合赤軍を描いている大河マンガ『レッド』の5巻目が出たといって、もらいました。「赤軍派時代の植垣さんの話が面白くて…。なかなか、京浜安保と連合するとこまで行きません。連合赤軍が出来るのはまだ先です。これから10年は続きます」と言っていた。
この『レッド』は今、人気沸騰で、何と、第14回「文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞」に選ばれた。凄い!山本さんは皆の前で挨拶し、「権力の勲章をもらって済みません。自己批判します。総括でも何でもして下さい!」と言ってました。そして、一緒に連れて来た歌手のジョニー大蔵大臣と2人で、ギターを弾きながら、「インター」を歌いました。ヤンヤの拍手でしたね。『レッド』を描いてるうちに、本当に赤くなったんですね。
次には、赤軍派の大幹部・前之園紀男さんが挨拶しました。昔の全共闘のアジ演説だ。又、河合塾コスモの牧野剛先生も過激な挨拶をする。そして弘前大学の植垣さんの恩師(教授)も挨拶する。よく来てくれました。普通なら来ないよ。教え子が犯罪者となって、人を殺し、刑務所に27年も入った。出てきて飲み屋をやってるから、「来てくれ」と、言っても行かないよ。「そんな犯罪者を育てたおぼえはない」と言って、普通なら、拒否する。でも、この先生は、わざわざ来た。「とても優秀で、爽やかな学生だった」と語っていた。そうだよな。「世界一爽やかな犯罪者」だ。
植垣さんは、昔から「人望」があったのだ。人を惹きつけるるものがある。最近、『連合赤軍物語』(徳間文庫)を出した山平重樹氏は言っていた。
「刑務所を出てから知り合ってよかった。もし、学生時代に知り合っていたら、確実にオルグされて赤軍派に入っていた」。
そうですね。私だってそれは言える。こんな楽しくて、魅力のある人間と知り合っていたら、すぐ、爆弾闘争だ。革命のためには資金が必要だ。「ちょっと銀行に行って下ろしてこよう!」なんて誘われたら、「下ろしに」行く。別に預金はないけど、全ては人民のものだ。人民のために革命するんだから、それを我々が借りても当然だ。そんな理屈になる。
そんな植垣さんと学生時代に知り合ってたら、「右翼よりも面白そうだから」と、きっと赤軍派に入ったよ。
でも、銀行強盗くらいならいいけど、連合赤軍になって、山に入ったら、もう私はダメだな。だって、寒さにはメチャ弱い。「総括」だ、なんて言われて、外に縛られたら、10分もしないうちに死ぬよ。確実に死ぬ。そしたら20代で死んでいたよな。そう思うと、学生時代に知り合わなくてよかった。
蜷川正大さん(二十一世紀書院)が、いい挨拶をしていた。先頃亡くなった永田洋子さんの話だ。実は、野村秋介さんは永田洋子さんに一度だけ会っている。面会に行ってるのだ。植垣さんから永田さんのことを紹介され、野村さんは、永田さんに面会に行った。その直後、野村さんは言っていた。
「永田さんはもう、我々にとって敵ではない」と。アッ、そうなのか、と思った。
そして、永田さんの境遇に同情していた。事件についても、「拙くも哀れな、それが純真であるがゆえの悲しみが切々と伝わってくる」と言っていた。野村さんはこのことを、〈「十六の墓標」は誰がために〉と題して、『月刊宝石』(平成5年4月号)に書いていた。実に感動的な文章だった。永田さんについて、あれだけの文章はないだろう。
『月刊宝石』はなかなか、手に入らないが、幸いなことに、この文は野村さんの最後の著『さらば群青』(二十一世紀書院)の中に収められている。実にいい文章だ。
まずは、「敵ではない」というところだ。
〈永田さんはもう、我々にとって敵ではない。敵とは、いまも闘いうる存在の人間であって、永田さんは、もう決して闘いの対象としての存在ではない。極端なことをいえば、永田さんの存在こそ反面教師として、我々が多くを学ばせてもらわなくてはならぬ。人生の、そして運動家としての師でもある〉
凄いですね。〈師〉とまで言ってますよ。あそこまで革命を思い、思いつめての事件だ。明治維新でも、あるいは多くの革命前夜にも多く起こったことだ。それは、よく考え、検証する必要性がある。我々だって、いつそうなったかもしれない。それを考え、〈師〉だという。
最近でも、新聞や週刊誌に、連赤の文字が出る。実際の連赤だけでなく、「国会はあさま山荘化している」「民主党は連合赤軍のようだ」なんて、発言が載る。殺人こそしないが、皆で、罵倒し、足を引っ張り合っている、ということらしい。
だったら、日本人の常に陥りやすい事なのかもしれない。人間が集団になると、必ず暴走し、異端者を摘発し、排除する。これは、昔からあった。今もある。これからもあるだろう。だからこそ、野村さんの言うように、永田さんを、むしろ〈師〉として学ぶべきなのだ。
さらに、野村さんはこう言う。
「永田さんたちも、結局はアマチュアだっただけさ、と私は彼女の『十六の墓標』を読み進むにつれ、その思いを深くした」。
えっ、あれだけのことをした人が、アマチュア?と驚いた。でも、本当の犯罪者ではない。一般の普通の学生たちだった。それが〈革命〉に目覚め、思いつめ、次々と過激な闘いをする。しかし、皆、初めてだ。「プロの犯罪者」から見たら、危うい。そんなこと実現しない。もっと、うまくやればいいのにと思う。でも、アマチュアだから、突っ走った。
たとえば、獄中にいる川島氏の奪還を考えてた。川島氏に言われ、すぐ「同意」する。そして、奪還のためには銃が必要だ。交番を襲おうと思い、実行し、逆に仲間が殺される。野村さんに言わせれば、「川島の奪還」に同意した時点で、アマチュアだ、という。
「永田さんは人間の心理、それも暗渠にひそむ表裏などまるで知っていない」
と言う。どういうことか。「奪還」を指示した獄中の幹部・川島のことだ。
〈しょせん人間は弱い。獄中にいれば、理屈を超えて娑婆に出たいという本能がある。それをいかに正当性を装おうと、理論武装しようと、それは人間の弱さを隠蔽しようとする建前でしかない。私も長い獄中生活の中で、とことん思い知らされた。理屈なんかではない〉
野村さんに言われれば説得力がある。永田さんは、アマチュアだったんだ。そして、こう言う。
〈永田さんはこんなことも知らず、一事が万事で、何事に対しても精一杯忠実たらんとしているのか。『十六の墓標』の全編に横溢していて、彼女はそれを精神主義とかなんとか、いまもって理屈の話をしようと懸命だが、したたかな私から見れば、拙くも哀れな、それが純真であるがゆえの悲しみが切々と伝わってくるのが、やるせなくて困った。結局は、スターリンや金日成やポル・ポトから見れば、アマチュアだった〉
これはぜひ、皆さんにも読んでほしい。永田さんに対する最高の理解だし、同情だ。私も、あの事件は、「マイナスの国家遺産」だと思っている。もっともっと、知らしめるべきだ。
それにしても、植垣さんという人がいてよかった。いろんなメディアに出て、又、本を書き、「連赤」の真実を語る。さらに、そこに行くまでの赤軍派の明るくも過激な闘いを語る。もし私が、植垣さんに出会わなければ、連赤を考えることもなかった。「ただの陰惨な犯罪」だと思っていた。それが、植垣さんに会い、植垣さんの本を読み、変わった。連赤の見方が変わった。
こういうと、植垣さんに出会い、その後は、ずっと「仲良し」のように思えるだろう。しかし、その間には、山あり谷ありだった。植垣さんの『兵士たちの連合赤軍』(彩流社)を読み、感動し、「レコンキスタ」に書評を書いた。こんな純真な人たちが、思いつめて革命をやろうとしたのか。失敗したからといって、全てをゼロにしてはならないと思った。その書評を出版社に送ったら、獄中の植垣さんに送ってくれた。そして、何と、植垣さんから手紙が来た。普通、「ペッ!右翼かよ」と無視するだろう。それなのに、ていねいな手紙だった。それから文通が始まり、面会に行った。出所した時は、東京と、鳥取で会った。
何度も対談した。でも、「何を書いてもいいや」と思い、大変失礼なことを書いちゃった。「週刊SPA!」に。それに、植垣さんというよりは周りの支援者が怒り、ロフトで私の糾弾大会が開かれた。元連赤の人も3、4人いた。うわー、これが連合赤軍の総括か!と「感動」した。
その後、ある集会で失礼なこと言い、植垣さんの奥さんの怒りを買った。「結婚式には絶対に鈴木を呼ぶな」と言われた。結婚と友情の板挟みになった植垣さんは、結婚をとった。私は結婚式には出席を拒否された。「鈴木が来たら、私はウエディングドレスのままて、逃げ出す」とまで言ったようだ。
そんなこともありましたっけ、と、10周年パーティでは、挨拶しました。そばで、奥さんと息子さんがニコニコしながら聞いていました。今は奥さんの怒りも解けて、友情も復活した。他にもあったかな。ともかく、スナック「バロン」10周年おめでとうございます。
出来ることなら朝まで飲まないで、12時で閉店し、あとは原稿を書いて、どんどん本を出してほしいですね。それに、又、ロフトでやりましょう。
⑨山本直樹さんの大ヒット漫画『レッド』第5巻です。連合赤軍事件を扱ってます。「まだまだ続く」と言ってます。「第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞」を受賞しました。凄いですね。革命マンガで、文化庁の受賞ですよ!
⑫大津卓滋弁護士と。「よど号」の田中義三さんの弁護をやってくれました。あの裁判の時、「鈴木さん、弁護側証人として出てよ」と頼まれ、出ました。生まれて初めてです。貴重な体験です。田中義三さんの人間性について語り、「こんな優秀な人を長期間、刑務所に入れるなんて、“国家の損失”だ!」と言いました。
⑭スナック「バロン」の10周年パーティからの帰り道。大きなガマがいました。「おい!鈴木」と声をかけられました。あっ!最近、亡くなった塩見孝也・赤軍派議長でした。もう、生まれ変わったんですね。パーティに行けなくて淋しかったと言ってました。「植垣に伝えとけ」と言われたので、伝えました。