2011/02/28 鈴木邦男

再び、「連合赤軍」を語る時ですよ

①連赤兵士のスナックが10周年

植垣康博さんと(2/19)
植垣康博さんと(2/19)

スナック「バロン」の10周年記念パーティには全国から多くの人々が集まりました。左翼過激派、右翼過激派、アナーキスト、マンガ家、芸術家。そして弁護士、市会議員、大学教授、予備校講師…と。200名ほどの人が、静岡市の「クーポール」に集まったのです。

若い時に学生運動をやって暴れていた人々が、ほとんどです。ほとんどの人々が逮捕歴のある、元気な人達です。中には刑務所に何年も入っていた、という人もいます。その過激派の弁護をした弁護士さんもいます。壮観です。危ない人々が、これだけ一堂に集まった様子は、なかなか見られません。

逮捕歴のある人、刑務所体験のある人が多いのですが、この日の「主催者」には敵いません。主催者はスナック「バロン」のマスター、植垣康博さんです。(あれっ、本当は「祝われる人」だからゲストか。でも、ずっとメインで喋ってた)。植垣さんは元連合赤軍の闘士です。逮捕されて、27年間、刑務所に入ってました。凄いです。出所してから、この静岡市でスナック「バロン」を開店し、この日で10年目です。偉いですね。毎晩、客相手に酒を飲みまくり、それで10年です。

蜷川正大氏(中央)高須基仁氏(右)と
蜷川正大氏(中央)高須基仁氏(右)と

でも、その間に、ベストセラー『兵士たちの連合赤軍』(彩流社)などを書き、「朝まで生テレビ」などにも出ています。連合赤軍事件といえば、必ず呼ばれます。連赤の〈闘士〉であり、〈生き証人〉です。

この日は、マンガ家の山本直樹さんも来てました。連合赤軍を描いている大河マンガ『レッド』の5巻目が出たといって、もらいました。「赤軍派時代の植垣さんの話が面白くて…。なかなか、京浜安保と連合するとこまで行きません。連合赤軍が出来るのはまだ先です。これから10年は続きます」と言っていた。

この『レッド』は今、人気沸騰で、何と、第14回「文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞」に選ばれた。凄い!山本さんは皆の前で挨拶し、「権力の勲章をもらって済みません。自己批判します。総括でも何でもして下さい!」と言ってました。そして、一緒に連れて来た歌手のジョニー大蔵大臣と2人で、ギターを弾きながら、「インター」を歌いました。ヤンヤの拍手でしたね。『レッド』を描いてるうちに、本当に赤くなったんですね。

前之園紀男氏(中央)山平重樹氏(右)
前之園紀男氏(中央)山平重樹氏(右)

次には、赤軍派の大幹部・前之園紀男さんが挨拶しました。昔の全共闘のアジ演説だ。又、河合塾コスモの牧野剛先生も過激な挨拶をする。そして弘前大学の植垣さんの恩師(教授)も挨拶する。よく来てくれました。普通なら来ないよ。教え子が犯罪者となって、人を殺し、刑務所に27年も入った。出てきて飲み屋をやってるから、「来てくれ」と、言っても行かないよ。「そんな犯罪者を育てたおぼえはない」と言って、普通なら、拒否する。でも、この先生は、わざわざ来た。「とても優秀で、爽やかな学生だった」と語っていた。そうだよな。「世界一爽やかな犯罪者」だ。

植垣さんは、昔から「人望」があったのだ。人を惹きつけるるものがある。最近、『連合赤軍物語』(徳間文庫)を出した山平重樹氏は言っていた。

「刑務所を出てから知り合ってよかった。もし、学生時代に知り合っていたら、確実にオルグされて赤軍派に入っていた」。

植垣さんの『兵士たちの連合赤軍』
植垣さんの『兵士たちの連合赤軍』

そうですね。私だってそれは言える。こんな楽しくて、魅力のある人間と知り合っていたら、すぐ、爆弾闘争だ。革命のためには資金が必要だ。「ちょっと銀行に行って下ろしてこよう!」なんて誘われたら、「下ろしに」行く。別に預金はないけど、全ては人民のものだ。人民のために革命するんだから、それを我々が借りても当然だ。そんな理屈になる。

そんな植垣さんと学生時代に知り合ってたら、「右翼よりも面白そうだから」と、きっと赤軍派に入ったよ。

でも、銀行強盗くらいならいいけど、連合赤軍になって、山に入ったら、もう私はダメだな。だって、寒さにはメチャ弱い。「総括」だ、なんて言われて、外に縛られたら、10分もしないうちに死ぬよ。確実に死ぬ。そしたら20代で死んでいたよな。そう思うと、学生時代に知り合わなくてよかった。

②「永田さんはもう敵じゃない」と野村さん

植垣さんが描いたボールペン画
植垣さんが描いたボールペン画

蜷川正大さん(二十一世紀書院)が、いい挨拶をしていた。先頃亡くなった永田洋子さんの話だ。実は、野村秋介さんは永田洋子さんに一度だけ会っている。面会に行ってるのだ。植垣さんから永田さんのことを紹介され、野村さんは、永田さんに面会に行った。その直後、野村さんは言っていた。

私も挨拶しました
私も挨拶しました

「永田さんはもう、我々にとって敵ではない」と。アッ、そうなのか、と思った。

そして、永田さんの境遇に同情していた。事件についても、「拙くも哀れな、それが純真であるがゆえの悲しみが切々と伝わってくる」と言っていた。野村さんはこのことを、〈「十六の墓標」は誰がために〉と題して、『月刊宝石』(平成5年4月号)に書いていた。実に感動的な文章だった。永田さんについて、あれだけの文章はないだろう。

『月刊宝石』はなかなか、手に入らないが、幸いなことに、この文は野村さんの最後の著『さらば群青』(二十一世紀書院)の中に収められている。実にいい文章だ。

まずは、「敵ではない」というところだ。

〈永田さんはもう、我々にとって敵ではない。敵とは、いまも闘いうる存在の人間であって、永田さんは、もう決して闘いの対象としての存在ではない。極端なことをいえば、永田さんの存在こそ反面教師として、我々が多くを学ばせてもらわなくてはならぬ。人生の、そして運動家としての師でもある〉
本人が司会してますね
本人が司会してますね

凄いですね。〈師〉とまで言ってますよ。あそこまで革命を思い、思いつめての事件だ。明治維新でも、あるいは多くの革命前夜にも多く起こったことだ。それは、よく考え、検証する必要性がある。我々だって、いつそうなったかもしれない。それを考え、〈師〉だという。

最近でも、新聞や週刊誌に、連赤の文字が出る。実際の連赤だけでなく、「国会はあさま山荘化している」「民主党は連合赤軍のようだ」なんて、発言が載る。殺人こそしないが、皆で、罵倒し、足を引っ張り合っている、ということらしい。

だったら、日本人の常に陥りやすい事なのかもしれない。人間が集団になると、必ず暴走し、異端者を摘発し、排除する。これは、昔からあった。今もある。これからもあるだろう。だからこそ、野村さんの言うように、永田さんを、むしろ〈師〉として学ぶべきなのだ。

③「永田さんたちはアマチュアだった」

マンガ家の山本直樹さん
マンガ家の山本直樹さん

さらに、野村さんはこう言う。

「永田さんたちも、結局はアマチュアだっただけさ、と私は彼女の『十六の墓標』を読み進むにつれ、その思いを深くした」。

えっ、あれだけのことをした人が、アマチュア?と驚いた。でも、本当の犯罪者ではない。一般の普通の学生たちだった。それが〈革命〉に目覚め、思いつめ、次々と過激な闘いをする。しかし、皆、初めてだ。「プロの犯罪者」から見たら、危うい。そんなこと実現しない。もっと、うまくやればいいのにと思う。でも、アマチュアだから、突っ走った。

たとえば、獄中にいる川島氏の奪還を考えてた。川島氏に言われ、すぐ「同意」する。そして、奪還のためには銃が必要だ。交番を襲おうと思い、実行し、逆に仲間が殺される。野村さんに言わせれば、「川島の奪還」に同意した時点で、アマチュアだ、という。

山本直樹さんの『レッド』⑤
山本直樹さんの『レッド』⑤
「永田さんは人間の心理、それも暗渠にひそむ表裏などまるで知っていない」

と言う。どういうことか。「奪還」を指示した獄中の幹部・川島のことだ。

〈しょせん人間は弱い。獄中にいれば、理屈を超えて娑婆に出たいという本能がある。それをいかに正当性を装おうと、理論武装しようと、それは人間の弱さを隠蔽しようとする建前でしかない。私も長い獄中生活の中で、とことん思い知らされた。理屈なんかではない〉

野村さんに言われれば説得力がある。永田さんは、アマチュアだったんだ。そして、こう言う。

「インター」を歌う山本さん
「インター」を歌う山本さん
〈永田さんはこんなことも知らず、一事が万事で、何事に対しても精一杯忠実たらんとしているのか。『十六の墓標』の全編に横溢していて、彼女はそれを精神主義とかなんとか、いまもって理屈の話をしようと懸命だが、したたかな私から見れば、拙くも哀れな、それが純真であるがゆえの悲しみが切々と伝わってくるのが、やるせなくて困った。結局は、スターリンや金日成やポル・ポトから見れば、アマチュアだった〉

これはぜひ、皆さんにも読んでほしい。永田さんに対する最高の理解だし、同情だ。私も、あの事件は、「マイナスの国家遺産」だと思っている。もっともっと、知らしめるべきだ。

④植垣さんにはご迷惑をかけました

「ビールのヨコタ」のママさんと
「ビールのヨコタ」のママさんと

それにしても、植垣さんという人がいてよかった。いろんなメディアに出て、又、本を書き、「連赤」の真実を語る。さらに、そこに行くまでの赤軍派の明るくも過激な闘いを語る。もし私が、植垣さんに出会わなければ、連赤を考えることもなかった。「ただの陰惨な犯罪」だと思っていた。それが、植垣さんに会い、植垣さんの本を読み、変わった。連赤の見方が変わった。

こういうと、植垣さんに出会い、その後は、ずっと「仲良し」のように思えるだろう。しかし、その間には、山あり谷ありだった。植垣さんの『兵士たちの連合赤軍』(彩流社)を読み、感動し、「レコンキスタ」に書評を書いた。こんな純真な人たちが、思いつめて革命をやろうとしたのか。失敗したからといって、全てをゼロにしてはならないと思った。その書評を出版社に送ったら、獄中の植垣さんに送ってくれた。そして、何と、植垣さんから手紙が来た。普通、「ペッ!右翼かよ」と無視するだろう。それなのに、ていねいな手紙だった。それから文通が始まり、面会に行った。出所した時は、東京と、鳥取で会った。

大津弁護士と
大津弁護士と

何度も対談した。でも、「何を書いてもいいや」と思い、大変失礼なことを書いちゃった。「週刊SPA!」に。それに、植垣さんというよりは周りの支援者が怒り、ロフトで私の糾弾大会が開かれた。元連赤の人も3、4人いた。うわー、これが連合赤軍の総括か!と「感動」した。

その後、ある集会で失礼なこと言い、植垣さんの奥さんの怒りを買った。「結婚式には絶対に鈴木を呼ぶな」と言われた。結婚と友情の板挟みになった植垣さんは、結婚をとった。私は結婚式には出席を拒否された。「鈴木が来たら、私はウエディングドレスのままて、逃げ出す」とまで言ったようだ。

そんなこともありましたっけ、と、10周年パーティでは、挨拶しました。そばで、奥さんと息子さんがニコニコしながら聞いていました。今は奥さんの怒りも解けて、友情も復活した。他にもあったかな。ともかく、スナック「バロン」10周年おめでとうございます。

出来ることなら朝まで飲まないで、12時で閉店し、あとは原稿を書いて、どんどん本を出してほしいですね。それに、又、ロフトでやりましょう。

【だいありー】
三島弁護士と
三島弁護士と
  1. 2月21日(月)午前中、原稿。午後、取材。夜、柔道。
  2. 2月22日(火)朝まで原稿を書いていた。昼、雑誌社との打ち合わせ。夜、対談。
  3. 2月23日(水)午前10時から11時半。テンプル大学日本校で講演。テンプル大学は、アメリカの伝統のある大学だ。麻布に、日本校がある。そこで、渡辺真也氏が教えている。渡辺氏は、4年前、ニューヨークに私を呼んでくれた人だ。憲法24条を書いたベアラさんを初め、アメリカの学者と私で「憲法9条を考えるシンポジウム」をニューヨークでやった。渡辺氏はずっとニューヨークに住んでいたが、最近、日本に帰ってきて、テンプル大学で教えている。そこの授業で話してくれといわれ、三島由紀夫の話をする。学校に行って驚いた。全部アメリカ人だ。三島や日本文化、日本のナショナリズムなどについて話をした。
     終わって、学生たちから活発な質問も出た。そのあと、渡辺氏と昼ご飯を食べて、文化放送へ。3時半から5時。文化放送の今日の特集は、「スパイは必要か?」。何とも刺激的なテーマだ。国家のスパイ、産業スパイなど、いろんなスパイについて話をした。
     「編集長は見た!」のコーナーは、「サイゾー」の揖斐憲編集長。「サイゾー」の今月の特集は、「ヤバイ!裏社会学」。ラジオでは紹介することのできないものが多いが、その一部を紹介し、話し合った。「宗教とヤクザ」「偽造」「芸能人、スポーツ選手のタニマチ事情」など…。
ガマです
ガマです
  1. 2月24日(木)月末は原稿の〆切が重なって大変だ。ほとんど寝てない。午前11時、千駄ヶ谷で若松孝二監督と会う。午後3時、河合塾コスモ。「現代文要約」。5時、「基礎教養ゼミ」。今週は私が選んだ本を皆で読む。植村和秀『昭和の思想』(講談社)。平泉澄、丸山眞男、西田幾多郎、蓑田胸喜の4人を中心軸に置いて、昭和の思想を考える。平泉澄さんには私は二度、お会いしたことがある。その話を中心にしながら、思想と日本人について考えた。
     そのあと生徒たちと食事会。今期の授業は今日が最後だ。
  2. 2月25日(金)、午前9時、東京発の新幹線で広島へ。原田正治さんと一緒に、広島拘置所へ。光市事件の元少年に面会する。原田さんは、前から面会し、今日で4回目。地元の支援者と3人で会う。マスコミで言われてるのとは全く違う印象だった。
     そのあと、原田さんの知り合いの喫茶店「小夜曲」で打ち合わせ。そしたら、「あら、鈴木さん」とママさんに言われた。「前に来たわよ」と。全く忘れていた。すんません。
     夜5時から、原田さんと2人で講演会。アムネスティ広島の主催で。広島市まちづくり市民交流プラザ会議室で。原田さんは弟さんを殺され、その犯人を憎み、しかし、犯人と面会する中で、「犯人を殺しても何も変わらない」と思い、死刑制度に疑問を抱くようになる。その過程は『弟を殺した彼と、僕』(ポプラ社)に書かれている。これは凄い本だった。今まで読んだ中で最も素晴らしい本だった。  その話を中心に、原田さんと話をした。かなり突っ込んだ話ができた。
     そのあと、近くの居酒屋で打ち上げ。広島のカキを食べました。夜は市内のホテルに泊まる。
雪のミヤマ山荘
雪のミヤマ山荘
  1. 2月26日(土)昼、東京に帰る。帰ったら、大変なことになっていた。ずっと対応に追われた。朝までかかった。
  2. 2月27日(日)全く寝てない。午前6時半の新幹線で新大阪へ。10時に着く。岩井さんが迎えに来てくれた。そこから芦屋に。芦屋で、吉本千穂さん、高橋あづささんと落ち合い大和田啓子さんの家に行く。  大和田さんは絵本『ムツとわたし』の著者だ。前にNHKで放映していたが、戦争中に愛犬「ムツ」を供出させられた。「お国のためだ」と言われて。その時の悲しい悲しい話が、NHKで放映され、衝撃を受けた。「犬の特攻隊」をつくり、敵に体当たりさせ、名誉の戦死をさせるという。しかし、実際は、犬の毛皮を使って、防寒外套などにされたようだ。「創」の2008年3月号にこの話を書いた。一度、お会いして実際にお話を聞いてみたかった。やっと実現した。感動的なお話だった。お昼ご飯までご馳走になった。
     それから、西宮へ。2時から、第4回「鈴木邦男ゼミin西宮」。今回は、「受刑者のアイドル」と呼ばれ、刑務所でPrisonコンサートの活動を繰り広げている女性デュオ「Paix2(ペペ)」のお2人。ManamiさんとMegumiさん。まず、1時間、コンサート。素晴らしかった。そのあと、お2人と私のトーク。凄い人たちだと思った。とても大変な仕事なのに、楽しそうに語ってくれた。終わって近くの居酒屋で打ち上げ。最終の新幹線で帰った。さて、来週も忙しくなりそうだ。
【写真説明】
植垣康博さんと(2/19)

①植垣康博さんと。2月19日(土)。スナック「バロン」10周年記念パーティで。静岡市「クーポール」です。

蜷川正大氏(中央)高須基仁氏(右)と

②パーティで。蜷川正大氏(中央)、高須基仁氏(右)と。

前之園紀男氏(中央)山平重樹氏(右)

③元赤軍派大幹部の前之園紀男さん(中央)。右は、『連合赤軍物語』(徳間文庫)を書いた山平重樹氏。この本の「解説」は私が書きました。

植垣さんの『兵士たちの連合赤軍』

④植垣康博さんの代表作、『兵士たちの連合赤軍』(彩流社)。なぜか私が、この本の「解説」も書きました。

植垣さんが描いたボールペン画

⑤この本の中には挿し絵が沢山入ってます。全て、植垣さんが描いたボールペン画です。とてもうまいです。

私も挨拶しました

⑥私も挨拶しました。喧嘩もし、総括もされ、そして今も友情は続いております。

本人が司会してますね

⑦余りに凄い人ばかりなので、他の人には任せられない。自分で司会する、と植垣さん。大変です。

マンガ家の山本直樹さん ⑧マンガ家の山本直樹さんと。

山本直樹さんの『レッド』⑤

⑨山本直樹さんの大ヒット漫画『レッド』第5巻です。連合赤軍事件を扱ってます。「まだまだ続く」と言ってます。「第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞」を受賞しました。凄いですね。革命マンガで、文化庁の受賞ですよ!

「インター」を歌う山本さん

⑩文化庁受賞の山本さんは、ジョニーさんと一緒に、何と「インター」を歌ってました。

「ビールのヨコタ」のママさんと

⑪スナック「バロン」の下のお店。「ビールのヨコタ」のママさんと。

大津弁護士と

⑫大津卓滋弁護士と。「よど号」の田中義三さんの弁護をやってくれました。あの裁判の時、「鈴木さん、弁護側証人として出てよ」と頼まれ、出ました。生まれて初めてです。貴重な体験です。田中義三さんの人間性について語り、「こんな優秀な人を長期間、刑務所に入れるなんて、“国家の損失”だ!」と言いました。

三島弁護士と

⑬三島浩司弁護士と。三島弁護士は、私の本を昔から読んでくれてます。「鈴木さんの『若書き』の本も読んでます」と言う。今度、どこかで対談しましょう。椎野礼仁さん、お願いします。

ガマです

⑭スナック「バロン」の10周年パーティからの帰り道。大きなガマがいました。「おい!鈴木」と声をかけられました。あっ!最近、亡くなった塩見孝也・赤軍派議長でした。もう、生まれ変わったんですね。パーティに行けなくて淋しかったと言ってました。「植垣に伝えとけ」と言われたので、伝えました。

雪のミヤマ山荘

⑮雪のミヤマ山荘です。あの大雪の日です。

【お知らせ】
  1. 3月14日(月)午後7時、サンルートホテル高田馬場一水会フォーラム。孫崎亨先生(元外務省国際情報局長)が講師で、今後の日米関係について語ってくれます。
  2. 4月4日(月)午後7時、阿佐ヶ谷ロフト。「連合赤軍事件とは何だったのか」。
     永田洋子さんが亡くなりました。山平重樹氏の『連合赤軍物語』(徳間文庫)が出版されました。そんな中で、もう一度連赤事件を考えようという集まりです。映画「実録連合赤軍」の若松孝二監督。『連合赤軍物語・紅炎』の山平重樹氏。そして、元連合赤軍の兵士、赤軍派の人たちも出席します。私も出ます。