2011/03/14 鈴木邦男

列島最大の激震です。街ごと壊滅した地区もありました。恐るべき光景です。被災された皆さんに心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧を心からお祈り申し上げます。
 では、今週の「主張」です。

北朝鮮レポート②。そして新しい本

①果たして〈暴論〉か!『自滅列島』

『言論自滅列島』(河出文庫)
『言論自滅列島』(河出文庫)

北朝鮮から帰ったら、本が出来ていた。3月5日(土)の夜に成田に着いたが、この日、『言論自滅列島』(河出文庫)が全国書店で発売された。斎藤貴男、森達也、そして私の激しくも危ない鼎談だ。本の帯には、

〈この真っ当な暴論を浴びよ!〉

と書かれている。驚いた。〈暴論〉なのか俺たちは。でも、こんな暴論を出版する河出も〈暴挙〉だ。

今までとは、全く雰囲気が違っていた。鼎談中の雰囲気だ。ピリピリしていた。殺気立っていた。覚悟を決めて発言している。そんな気がした。ここは〈戦場〉だ。言論の〈弾丸〉が飛び交っていた。「えっ、いいの?」「そこまで言ったらマズイだろう」。私などはヒヤヒヤしていた。ギリギリの一線を越えてるよ。

だって、斎藤さんは、こんなことを言う。「こんな、中流以下に生まれたら最後、どうせ兵隊か慰安婦にしかされっこない世の中で、だれが子どもなんか産むかって」。ギャー、ここまで言うか、と思った。「人間がお上に番号扱いされる社会の行く末はわかりきっています」とも言う。

『言論統制列島』(講談社)
『言論統制列島』(講談社)

普通、こんな危ない発言は、ゲラの段階で編集者がカットする。しかし、しない。又、発言者も、「あの時は、ちょっと言い過ぎたかな」「これじゃ誤解されるよな」と思って、校正の時にカットする。でも、しない。これは凄い。森さんも、このままでは、ジョージ・オーウェルの書いた『一九八四年』の監視社会になると言う。森さんは、さらに、

〈縛られていることに、みんなが気づかないままに縛られている。だれに縛られているかといえば、自分たちです。相互監視だ〉

次に、こんな衝撃的なことを言う。

〈だから、僕はね、北朝鮮みたいな独裁者国家のほうが、支配されているという自覚がある分、まだましな側面があると思う〉

ギャ!と思った。そこまで言うかよ。でも、ゲラの段階でカットするんだろうと思っていたら、しない。命知らずの男たちですよ、この人たちは。こんな危ない雰囲気に呑み込まれて、私までも暴論を吐き、暴走してしまったようだ。読み返すのが怖い。

②他国を罵倒する「愛国心」なんて贋物だ

「闘うぞ!」と3人で
「闘うぞ!」と3人で

この本では北朝鮮の話も随分としている。森さんのような暴論を吐く勇気が私にはないが、今考えると、一理あるのかもしれない。今、北朝鮮については、何でも言える。どんな批判、罵倒でもできる。あんな独裁国家はない。国民は日々飢えている。一切の自由がない。もう消滅しそうだ。早く潰れてしまえ。…と。

でも、そうして罵倒することで、「日本はいい」「日本には言論の自由がある」と安心し、酔っているのだ。しかし、それほど日本は自由な国か。言論の自由があるのか!と森さんは吠えるのだ。うーん、と考え込んでしまった

それと、斎藤さんの「だれが子どもなんか産むか」という怒りの発言だ。日本は少子化だ。子供はいなくなる。老人ばっかりだ。「安心して子供を産み、育てる環境」がないからだろう。「その点、我が国は子供を生み育てる環境を最優先してます」と言う。北朝鮮に行った時に、党の幹部が言っていた。

これは意外だった。だって、政治、外交、拉致、歴史認識…の話を中心にしていた。その時に、ポッとこの話題が出た。「でも、北朝鮮は貧しいし、独裁国家だろう」と言われるだろう。その通りだ。だからといって、全てを否定していいわけはない。どんな環境でも、人民は生きている。たくましく生きている。それを忘れて、(人民もろとも)「北朝鮮は滅びてしまえ」「攻めてしまえ」と言うのは酷い話だ。

政治体制はどうであれ、そこに暮らす国民同士の交流・連帯は出来る。その中から、国民意識が変わり、別の政治体制を選択するかもしれない。それは、その国の問題だ。又、そうする自由が持てるように、我々も協力すべきだ。

北朝鮮のポスターのようだな
北朝鮮のポスターのようだな

さて、少子化の問題だ。「我が国には少子化の悩みはありません」と北朝鮮の党幹部は言う。エッ、嘘だろう。どこの国だって、悩みはあるはずだ。しかし、子供を産んだ人への配慮が違うという。たとえば、第三子を産んだ人は、給料がグンと上がるし、勤務時間も大幅に短縮されます。国家も「出産・子育て」に真剣に取り組んでいます、と言う。これも、国家の仕事なのかもしれない。若い、溌剌とした国民を増やす。これは大事なことだろう。

そう言われてから気を付けて見ると、子供が多いような気がする。それに、我が儘な子供がいない。おとなしいし、それでいて毅然としている。そんな気がした。お隣りの中国には、ここ2年間に4回ほど行った。その時、感じたのは、「一人っ子政策」の弊害だ。人口が多いから、これ以上、子供を産まないようにさせる。1人だけだ。どこの家庭も、たった1人だから、子供は大事に大事に育てられる。我が儘一杯に育てられる。子供は「小皇帝」と言われる。以前、NHKスペシャルで、その「小皇帝」を特集していた。

③〈少子化〉を脱するために…

祖国解放戦争勝利記念館で
祖国解放戦争勝利記念館で

「小皇帝」には、誰も注意しない。去年、北京から東京に帰る時、母親を「引き連れた」小皇帝の集団が飛行機に乗り込んできた。20人ほどだ。そのうるさいこと、うるさいこと。飛行機の中を駆け回り、大声で騒ぎ、暴れている。「小皇帝」にハイジャックされた感じだった。親は誰も注意しない。まさに地獄だった。中国の子供は「世界一うるさい」と思った。

板門店で(3/3)
板門店で(3/3)

又、今はそんな「一人っ子」同士が結婚するから、うまくいくわけがない。離婚率が異常に高い。又、相手に求めるものが大きくなる。たとえば、中国の男性は、「ダメだな。中国の女は。我が儘で、気が強くて」と思う。そして、「日本の女性がいい」「いや、ベトナムの女性がいい」と思い、結婚する。

日本では、そんな事情を知らないから、中年男は、中国女性と結婚する。結婚したあとで、「こんなに気が強い女とは知らなかった」と嘆いている。私の知っている右翼や左翼にも多い。

ともかく、子供が「1人」だけだと、我が儘一杯に育てられ、過保護、過期待だ。その点、3人目は優遇され、3人以上産もうと思う北朝鮮とは大違いだ。私は無知だったから、中国も北朝鮮も社会主義国だから、同じだろうと思っていた。でも、違うんだ。特に子供の出産・教育については正反対だ。「認識不足ですみませんでした」と私は謝りました。たとえ北朝鮮でも、いい点は学んだらいいだろう。

④よど号版「愛国教科書」を出版しよう!

向こう側が韓国側の監視塔
向こう側が韓国側の監視塔

それと、「よど号」グループと話していて分かったが、「民族教育」を許している。「よど号」グループは9人だった。日本から来た女性と結婚し、子供は総数20人だ。その20人をどう育てるか。あとで、学校にも入れるが、基本的には、自分たちで「日本人教育」をした。

日本とはどういう国か。日本人とはどういう人々か。それを教えた。その為に自ら、「教科書」を作った。「日本は富士山という世界一美しい山があり、四季の変化に富み、自然の美しい国です」「日本人は勤勉で、お互いに信頼し、思いやりのある民族です」…と、書いていた。そして、歴史を教える。

北朝鮮の普通の学校に入れながらも、家庭では、徹底的な「日本人教育」をやっていた。これは凄いことだ。

考えてみたらいい。私たちだって、「日本人教育」は一度も受けてない。たまたま生まれた国が日本だった。それで、ボーッとして、生きてきた。「日本人になるにはどうしたらいいか」なんて、一度も考えなかった。

「6月9日中学校」で(3/4)
「6月9日中学校」で(3/4)

右翼学生運動をやってた時も、一水会を作ってからも、考えてない。日本人であることは「当然」だとして、そのことをとりわけ考えることはなかった。それなのに、北朝鮮では、20人の子供たちに、生まれた時から、「日本人教育」をした。又、学校に行かせないで、家庭だけで教育していた時期もかなりあるという。北朝鮮の中にいて、勝手に「民族教育」をやっていたんだ。北朝鮮当局も、よく、それを許したもんだと思う。

だって、日本では、許さない。朝鮮学校は弾圧し、教育内容を変えろ、とか、金を出すな、とか言っている。学校で国家元首の肖像を掲げるのは許せない、という人もいる。拉致問題の「解決」のためだという。奇妙な理屈だ。ともかく、日本では、他の国の「民族教育」は許さないというのだ。偏狭な国だ。排外的な国民性だ。

その点、「よど号」グループは、北朝鮮にいながら、日本を愛し、立派な日本人になる愛国・民族教育をやってきた。これは凄い。やった親たちも立派だが、それを許した国も凄い。

だから、彼らが作った「教科書」を日本で出版しましょうよ、と「よど号」の小西、若林さんに言った。『新しい歴史教科書』以上の、愛国教科書になる。「これはいい!」と右派、保守派の人々も皆、飛びつくよ。そして、日本国民は全て、「よど号」版愛国教科書で学ぶことになる。

生徒たちと
生徒たちと

41年前は飛行機をハイジャックしたが、今度は、日本の「教科書ジャック」だ。いいねー。夢が広がる。

北朝鮮のことは、書くことが多い。これからも少しずつ書いていこう。又、「マガジン9」「創」「レコン」「月刊タイムス」などに書いていく。毎週水曜日の文化放送でも喋っていく。

「帰る時、ビデオの画像はチェックされたんですか」と言われたが、それは全くなかった。ただ、念のために持って行った「使い捨てカメラ」は、「何だ、これは?」と不思議がられた。「日本ではまだこんな古いカメラを使っているのか?」「すみません、私だけです」と謝った。

そうそう、ピョンヤン空港で一番驚いたことは、荷物だ。ベルトコンベアーから、乗客の荷物が回ってくる。圧倒的に多いのが、大型の液晶テレビだ。50台以上あった。

だって、北京からピョンヤンまで乗ってた人は100人もいない。それなのに50台以上だ。別に政府用ではない。だったら、こんな運び方はしない。もっと大事に運ぶ。テレビは皆、一般家庭や、店用だという。そんなに一般の家で、テレビが普及してるんだろうか。無知な私は疑問に思った。

「随分と普及してますよ。鈴木さんのマンションだって、大型液晶テレビをずっと前から使ってるでしょう」。ギクッ!古い小さな胴長テレビだ。「早くデジタルに変えろ」と画面の下に出ている。私は遅れているよ。それに、マンションじゃなくて、みやま荘だし、カメラも「使い捨て」だし。人間だって、アナログで「使い捨て」だし…。

⑤拉致、歴史認識。今後の日朝関係について

北朝鮮の案内人と
北朝鮮の案内人と

党関係者には4度ほど会った。かなり長時間、話し合った。拉致の問題が中心になる。「こちらとしては、あらゆることをやった。日本の警察関係者にも来てもらい説明した。しかし、日本側は、『何もしてない』という。日本で行方不明になった人は皆、我々のせいだという。又、『死んだ人を生かして返せ』というのか」と言う。苛立ちは多少理解できる。しかし、何年、何十年かかっても、徹底的に捜査すべきだ。日本から警察、マスコミ、政治家、右翼、あらゆる人々に来てもらい、全国で捜査する。徹底的にやる。それと同時にねどうしたら二度とこのようなことを起こさないように出来るか。それを考えるべきだ。と私は口を酸っぱくして言った。

北朝鮮を強く批判する人こそ受け入れるべきだ。今まで、「北朝鮮万歳」という人ばっかり受け入れてきたし、そんな人たちは日本に帰っても発言に「説得力」も「リアリティ」もない。又、そんな人たちは、拉致事件以降、皆、逃げ出してしまった

「時の人」山路徹さんと
「時の人」山路徹さんと

そんなことを北朝鮮も、十分に分かっているのだ。「鈴木さんの本や、『創』に書いてることは興味深く読ませてもらいました」と言う。これはありがたい。何度もビザを申請する時に、「北朝鮮について、こんな発言をしてきた」という本や雑誌、コピーを出した。北朝鮮を批判したり、チャカしたりしたものも多い。しかし、それでも(いや、それだからこそ)、交流は必要だし、国交も必要だと思う。国交が出来、大使館が置かれ、新聞、テレビ局の支局も置かれたら、何かあった時、「逃げ込める」。

又、国交がないと、パスポートに「朝鮮入り」は全く書かれない。成田から北京に行って、ここに5日間いて、成田に帰ってきた、ということだけだ。北京で北朝鮮への入国ビザを取り、そこから行くが、パスポートには一切「記録」は残らない。

だから、どの位の人が、北朝鮮に行って、帰ってきたのか、分からない。今もどれだけの人が入っているのかも分からない。国交をして、その点は透明にすべきだろう。国民の命を守るのが、国家の第一の役割だ。その点からも、これはやるべきだ。

⑥日本人は優しさ、思いやりがなくなった!

「人質同窓会ナイト」で(3/7)
「人質同窓会ナイト」で(3/7)

それと、帰国してから、「嫌だな」と思ったことがある。前原前外相が北朝鮮を訪問し、「よど号」メンバーと写真を撮ったという。そのことが、あたかも〈犯罪〉のように新聞や週刊誌で批判されている。いやだなと思った。それに、随分と前の話だ。野党時代の平成11年というから、もう12年前か。その際、平壌市内のホテルで「よど号」の人たちと写真撮影したという。

〈前原氏は「玄関でばったりと会った」「偶然だった」と釈明。ここでも「故意性」を否定した〉
(産経新聞3月8日)

この記事は帰国してから見たが、その前から、週刊誌などで取り上げられていた。だから、3月5日(土)、高麗ホテルのロビーで、「よど号」グループの小西さん、若林さんに会った時、聞いてみた。

「あっ、ここのホテルのロビーですよ。あそこあたりですね」と小西さんが指さす。小西さんたちは自由に、どこでも出歩ける。高麗ホテルはよく来る。そしたら、前原さんたちがいた。だから声をかけた。少し話をして、一緒に写真を撮った。

元連赤兵士・植垣さん父子と(3/6)
元連赤兵士・植垣さん父子と(3/6)

前原さんだって、声をかけられて、驚いただろうが、何も悪いことをしてはいない。これがもし、いけないのなら、「お前らは犯罪者だ。近寄るな」「写真を撮るなんてとんでもない」と言って、追い返せばいいのか。違うだろう。

おっ、日本人がいる。あの「よど号」の亡命者か。大変でしょうね。生活はどうですか。帰りたいですか。…と聞くだろう。どんな事情があっても、同じ日本人が、ここにいる。話をし、写真を撮るのは当たり前ではないか。ましてや、政治家なんだから、当然だ。国民の生命を守るのが政治家の第一の務めだ。出来れば、「お困りのことはありませんか。私に出来ることがあれば、やりますよ」と言ってほしかった。(実際、言ったのかもしれないが)。

外国人からの献金問題で、外相を辞めさせられた。同時に、この「よど号」との写真でもバッシングされている。今、言ったように、写真を撮らずに、追い払う方が、人間的じゃない。日本人じゃない。こんな事で批判するなんて、いつから日本人は、こんなに冷酷で、非寛容な民族になったのだろうか。愕然とする。

【だいありー】
足立正生さんと(3/6)
足立正生さんと(3/6)
  1. 3月7日(月)。ほとんど寝てないよ。5日(土)の夜に北朝鮮から帰国。6日(日)は、京都の「反弾圧集会」に行った。「よど号」の帰国した家族の人もいた。「えっ、共和国に行って来たんですか」と驚いていた。ニュースが届くより、私の行動の方が早い。夜、東京に帰り、朝までパソコンに向かってHPを書いていた。北朝鮮からは、メールも打てないし、パソコンも出来ない。帰ってから書くしかない。眠い。
     7日(月)は午前中、ホテルサンルートで出版社の人と打ち合わせ。午後1時、同じ所で、テレビ局の人と打ち合わせ。昔の学生運動のビデオを見て、解説してくれという仕事。ここじゃ、うるさくてパソコン画面を見れない。「じゃ、うちの事務所で見ましょう」と椎野さん。それで行った。初めてだ。「いや、鈴木さんは2度目です」と椎野さん。全然、記憶にない。
     夜、7時半から、ネイキッドロフトに行く。凄い企画があるので、見に行く。そしたら、「じゃ、鈴木さんも壇上に」と、トークに入れられた。私は「人質」じゃないのにな。
     この日は、「イラク開戦8周年イベント。人質同窓会ナイト」。何だ、こりゃ!と思ったね。こんなことをやるのは、ロフトしかない。イラクなどで、人質になった人が集まり、激論を闘わせる。出演は4人。山路徹(APF通信社代表)、常岡浩介(ジャーナリスト)、安田純平(ジャーナリスト)、高遠菜穂子(活動家)。
     山路さんは「時の人」だ。美人女優、美人コラムニストから愛された超モテモテ男だ。どんな人か見てみたい。にがみ走ったいい男だろうな、と思ってロフトに入ったら、「やあ、鈴木さん、久しぶり!」「じゃ、上にあがって喋って下さいよ」。あれっ、知り合いだっけ。そういえば、以前、テレビで何回か一緒に出たような気がする。でも大桃さんは知らないよ。いかんなー、訪朝前の記憶が飛んでいる。でも、北朝鮮の話をしっかりとしました。終わってからも、皆で酒を飲み、お話ししました。
浜井浩一さんと(3/6)
浜井浩一さんと(3/6)
  1. 3月8日(火)たまってた原稿を書いていた。夕方、ライターたちとの勉強会を兼ねた飲み会。
  2. 3月9日(水)午前中、図書館。午後3時半から5時。文化放送。今日のテーマは「北朝鮮レポート。その1」。あれもこれもと喋ろうと思ったけど、アッという間に終わってしまった。来週は「よど号」の話をする。「編集長は見た!」のコーナーは『SAPIO』編集長の三浦和也さん。何と、三浦さんは、私が訪朝してた時に、韓国のヨンビョンドを訪れていたそうです。同じ時間に板門店にいたら、両方から見ることが出来た。でも、三浦さんは、去年の11月23日に北朝鮮から砲撃を受けた韓国の島、ヨンビョンドに取材で行ったのだ。「よく入れましたね」とお互いに言い合った。しかし、戦いの跡が生々しいヨンビョンドだ。
     終わって、来週の打ち合わせ。そのあと、取材。打ち合わせ。
  3. 3月10日(木)、11時半、新宿。朝鮮問題を考える集まり。昼食をはさんで、話し合い。午後3時、ホテルサンルート高田馬場。訪朝の報国と記者会見。木村三浩氏(一水会代表)が司会をし、私が喋る。「拉致問題」「よど号」などについて話す。どうしたら北朝鮮を交渉のテーブルにつかせるか。日本にいて、「北朝鮮は許せん!やっちまえ!」と叫んでいるだけではダメだ。実際に話し合い、拉致被害者を取り戻すことを考えるべきだ。私は26回、ビザを申請して、やっと2回行けた。それも、「よど号」には今回、初めてだ。マスコミの人も、ビザを申請し、どんどん行って、打開の道を探ってほしい。と言った。向こうでは、マスコミや、政治家、右翼を受け入れてくれと要望した。「北朝鮮に文句を言う会」を作って訪朝してもいい。これから、政治家も行き、マスコミも行くだろう。その中で、〈話し合い〉〈拉致問題の進展〉も必ずある。情況は変わります。と言った。「よど号」のメンバーの現況、望郷の思いなどについても話した。
     そのあと、何人かと喫茶店で話す。木村氏はネイキッドロフトで7時半から出るという。青木理さんも出るという。青木さんは何度も訪朝してるし、私もちょっと会って報告しよう、と思い、遅れて行く。
     ネイキッドロフトは、この日も、危ないイベントだった。
    〈青木理×久田将義の「ダークサイドトーク」第1回—ネトウヨをセンメツせよ!〉
     うわー、凄い。
    第1部は「在特会の化けの皮を剥ぐ」
    第2部は「リアル右翼vs在日〜ネトウヨは糞ハエだ!」
    出演者は、青木理(ジャーナリスト)、久田将義(『実話ナックルズ』発行人)、安田浩一(ジャーナリスト)、木村三浩(一水会代表)。
     青木さんに挨拶して、すぐ帰ろうとしたら、「参加して下さいよ」と上に。11時半まで激論。終わってから、近くの韓国料理店で飲む。1時頃、眠くて眠くて、帰った。すみません。
     今日発売の「週刊新潮」(3月17日号)に、〈出自を秘めて三鷹市議に立候補する「よど号ハイジャック犯」長男〉と出ていた。田宮高麿さんの長男が立候補する。批判してるが、いいことじゃないか。大歓迎ですね。「週刊文春」(3月17日号)にも出てた。頑張ってもらいたい。
  4. 3月11日(金)「週刊読書人」(3月11日号)が送られてきました。何と1面トップでした。椎根和さんと私の対談が。
    〈勤勉な文字労働者=没後40年を経て三島由紀夫を振り返る〉
    「三島の死後の二つの疑問点。十一冊の関連本を読んでの収穫」です。ぜひ読んでみて下さい。
     午前中、原稿書き。午後から河合塾コスモ。訪朝の報告をしよう。それに来週の特別授業のテキストを出さなくては。と思ったら、突然の大地震。怖ろしい。思わず外に飛び出してしまった。仙台は大変な被害らしい。電話するが、固定も携帯も繋がらない。こんなことは初めてだ。ずっとテレビを見ていた。心配だが、何も出来ない。
  5. 3月12日(土)昼、余震に脅えながらも、取材。夕方6時、映画関係者、大学教授たちと会食。北朝鮮の話が主だった。
  6. 3月13日(日)午後2時、西馬込の「ライフコミュニティ西馬込」で。「棺を覆いて--永田洋子を送る会」。革命左派、赤軍派の人たちが沢山集まりました。私も挨拶させられた。二次会にも出たが途中で抜ける。如水会館でやっている、「朝倉喬司さんを偲ぶ会」に出る。朝倉さんにはとてもお世話になった。
【写真説明】
板門店で(3/3)

①板門店です。3月3日(木)。ピョンヤンから高速道路で2時間のところです。緊張しました。後ろが板門店の全体図です。左の軍人さんが説明してくれました。観光客の一人一人のために説明し、案内し、警護してくれる。見学客が大勢来る時もあるだろうし、そのために軍人さんが動員される。大変だ。停戦中であり、戦争は続いているのだ。
 そんな状況の中で、我々のために、時間とエネルギーをさき、申し訳ないと思った。そう言ったら、「いや、任務ですから」と答えていた。でも、やっぱり申し訳ないと思った。

向こう側が韓国側の監視塔

②すぐ向こうの、きれいな建物が韓国側の監視塔。向こうの見学客が、大きな望遠鏡で、こっちを見ていた。日本人もいた。「あっ、鈴木の野郎がいた。北の手先め!」と思ってることだろう。真ん中に停戦ラインがあり、その一つの建物の中で、双方の交渉が行われる。

「6月9日中学校」で(3/4)

③3月4日(金)、「6月9日中学校」を見学しました。変わった名前の学校だな、と思ったら、1969年6月9日に、開かれた会議で作られた学校だから。と言ってました。教室、生物実験室、音楽室、体育館などを見学しました。「革命思想学習室」という教室もありました。共和国の革命の思想と歴史が書かれております。週に1回はここに来て学習するそうです。このポスターも革命思想を学ぶためです。私も感動し、学びました。子供がかわいい。凛々しい。

生徒たちと

④生徒さんたちと。私1人のために、こんなに多くの生徒さん達が出迎え、歌い、踊ってくれました。本当に申し訳ないと思いました。感動していたら、生徒が来て、私の手を引きます。そして一緒に、踊りました。恥ずかしかったけど、楽しかったです。

祖国解放戦争勝利記念館で

⑤このあと、祖国解放戦争勝利記念館に行きました。人民と共に歩む金日成主席の絵です。主席の顔は、正面を向いてます。でも、離れて斜めから見ても、真横から見ても、主席の顔は正面なんです。どうなってんでしょうか。不思議です。絵が生きているのかもしれません。

『言論自滅列島』(河出文庫)""

⑥今発売中の『言論自滅列島』(河出文庫)です。斎藤貴男、森達也、そして私の鼎談です。過激な本です。暴力的な本です。

『言論統制列島』(講談社)

⑦これは、同じく、「暴論三人組」で作った本です。『言論統制列島』(講談社)です。2005年6月発売だから、6年前です。実は、この本を基にし、書き直し、そして、大幅に追加鼎談をやって出来たのが、河出文庫です
 。大きく変身したんだし、同じタイトルじゃつまらない。タイトルを変えようとなりました。「あの頃より、もっと悪い状況になっている。“言論統制”というよりも、もう“言論自滅”だ」と私がポロリと言ったら、それが本の題名になりました。申し訳ありません。

「闘うぞ!」と3人で

⑧6年前の単行本では、こんな写真が沢山入ってるんですね。3人で拳を突き上げ、「闘うぞ!」と叫んでいます。「でも、姜尚中だったら、こんなことはさせないだろうな」と森さんが呟いていました。いいじゃないの。姜さん以上の「自由」が我々にはあるんですよ、スミダ。

北朝鮮のポスターのようだな

⑨皆が一つの方向を見て、闘うポーズをする。北朝鮮には、こういうポスターがよくあります。なんなら、銃を持ってたらよかったね。

北朝鮮の案内人と

⑩北朝鮮で案内してくれたお嬢さんです。でも、日本人に似てますね。それに私は、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのグッズを持ってますね。

「時の人」山路徹さんと

⑪3月7日(月)、ネイキッドロフトで。「人質同窓会ナイト」で。「時の人」山路徹さんと。にがみ走ったいい男です。だから、モテるのです。ダレた隣りのオっさんとは違います。それに、以前、警察に尾行された時、その車をつかまえて、厳しく糾弾し、ボンネットの上にあがって暴れたといいます。単なる「モテ男」ではありません。反警察の闘士です。偉いです。勇気があります。

「人質同窓会ナイト」で(3/7)

⑫「人質同窓会ナイト」です。各地の戦争で取材に行き、人質になった人です。左から、常岡浩介さん、安田純平さん、高遠菜穂子さん、私、山路徹さん。

元連赤兵士・植垣さん父子と(3/6)

⑬3月6日(日)、午後1時半から、京都の大谷婦人会館。反弾圧集会に行きました。前日の夜、北朝鮮から帰ったばかりで、全く寝ないで京都に行きました。北朝鮮の報告もしました。終わって打ち上げ会で。元連合赤軍兵士の植垣康博さんと息子さんです。イケメンの息子さんです。幼稚園なのに、女の子に言い寄られているそうです。将来は山路徹ですね。あるいは革命兵士か。お母さんが中国美人だから、そっちに似たんでしょう。
 よく結婚の許しをもらったね、と聞いたら。中国に行き、両親に会って説明したら、「あっ、連合赤軍は中国の人民解放軍のようなものか。それは立派だ」と言って、すぐ許してくれたそうです。凄いですね。
 あれっ?後ろに、北朝鮮の案内人がいるよ。あっ、違った。神戸のお嬢さんだ。じゃ⑩の写真も、日本で撮った写真か。パソコンの中で、データが混在してるんで、間違っちゃった。
 この写真のあと、息子さんは、机の下に潜り込んで遊んでました。「あっ、もう地下活動をしてる!」と言われてました。私が言ったのかな。

足立正生さんと(3/6)

⑭映画監督の足立正生さんと。奥さんと子供を連れて来てました。

浜井浩一さんと(3/6)

⑮この集会で記念講演をした浜井浩一さん(龍谷大教授)と。浜井さんは、大学卒業後、法務省に入省。矯正機関や保護観察所で勤務。法務総合研究所の研究員を務め、犯罪白書の執筆にも携わる。「犯罪は減っている。しかし、重罰化の傾向にある」と言います。説得力があります。最近出した、『2円で刑務所。5億で執行猶予』(光文社新書)はとても分かりやすくて、いい本です。
〈おかしいぞ、日本の司法と犯罪対策。さまざまな“犯罪神話”を解体し、事実に即した犯罪対策・刑事政策を提唱する〉
 と本の帯に書かれています。読んでみて下さい。

【緊急お知らせ】

北朝鮮で私が撮った動画をアップしました。「よど号」グループと会ってる様子、地下100mの地下鉄、板門店などです。

【お知らせ】
  1. 今、発売中の『週刊読書人』(3月11日号)の1面〜2面の対談に出ています。椎根和さん(編集者)と私です。「勤勉な文字労働者=没後40年を経て三島由紀夫を振り返る」です。椎野さんは『平凡パンチ』で、最後の「三島番」だった記者です。三島については一番詳しい人です。とても教えられる対談でした。
  2. 3月14日(月)午後7時、サンルートホテル高田馬場一水会フォーラム。孫崎亨先生(元外務省国際情報局長)が講師で、今後の日米関係について語ってくれます。
  3. 4月4日(月)午後7時、ネイキッドロフト。「連合赤軍事件とは何だったのか」。
     永田洋子さんが亡くなりました。山平重樹氏の『連合赤軍物語』(徳間文庫)が出版されました。そんな中で、もう一度、連赤事件を考えようという集まりです。映画「実録連合赤軍」の若松孝二監督。『連合赤軍物語・紅炎』の山平重樹氏。そして、元連合赤軍の兵士、赤軍派の人たちも出席します。私も出ます。
  4. 月刊『創』、『紙の爆弾』が発売されました。私も書いてます。
  5. 9月9日(金)〜11日(日)。劇団再生による、見沢知廉七回忌追悼公演があります。「天皇ごっこ『蒼白の馬上』」です。小田急線千歳船橋駅前の「APOCシアター」です。11日(日)の14時からは特別トークがあります。大浦信行(映画監督)、山平重樹(作家)、高木尋士(劇団再生代表)、鈴木邦男による、「作品としての見沢知廉」です。