2011/03/21 鈴木邦男

世界中から支援の声が。人が…
=そして、北朝鮮レポート③=

①日本の方が大変でした

キムイルソン広場で(3/4)
キムイルソン広場で(3/4)

北朝鮮は大変だった。なんて、言えなくなりました。日本の方が大変です。心配です。一水会には交流のあるフランス、ロシア、中国、オーストリアなどからお見舞いが来ております。若者たちも救援物資を持って駆け付けています。

普段は日本に厳しい国々からも見舞いがあり、救援物資が届いています。「日本がんばれ」と。又、「こんな極限情況の中でパニックにならず、暴動、略奪もない」と驚き、賞賛の声も世界中のメディアで報じられています。「武士道」と報じてる新聞もあります。世界が一つになってます。

天皇陛下のお言葉もありました。本当にありがたいと思います。被災地の人々もどれだけ励まされたかと思います。自衛隊も頑張っています。東電の人々も頑張っています。命懸けの仕事には、ただただ頭が下がります。1日も早い復旧をお祈りします。

有名な柳京ホテルです(3/4)
有名な柳京ホテルです(3/4)

こんな時に何ですが、忘れないうちに、北朝鮮レポートを書いておきます。10日前のことなのに、もう随分と昔のような気がします。

北朝鮮は、寒かったです。緊張しました。思いがけないこともありましたし、予期しない〈発見〉もありました。「よど号」グループとの8時間の話し合い。党幹部との4回の話し合いなど、かなり突っ込んだ話し合いが出来ました。帰国後、木村三浩一水会代表や、他の人たちとも協議しておりますし、いろんな形で、日朝関係、拉致問題への進展につながるかと思っております。

いろんな所も見て来ました。地下鉄に初めて乗りました。板門店に行きました。高麗ホテルや羊角島ホテルの最上階の回転展望台から見るピョンヤンの夜景も素晴らしいものでした。それに、あの有名な柳京ホテルが、ほとんど出来ていました。巨大なピラミッドのような、三角形のガラス張りのホテルです。ずっと建設が中断されていて、もうダメじゃないのか、と思われていたホテルです。それが、急ピッチで建設が再開され、来年4月の、「金日成主席生誕100年」に完成するそうです。又、来て、見たいです。泊まってみたいです。

それと、高層ビルが多いのには驚きました。会社や、マンション、アパートです。円形の巨大なツイン・マンションも建ってました。「あれは芸能人などが入っています」と言ってました。そんな人たちがいるのか、と驚きました。

ピョンヤン市内
ピョンヤン市内

でも、こうした高層ビルが林立する写真を見せても、日本の人たちは、「これは北朝鮮ではない」と言います。こんな写真は新聞や週刊誌にも載りません。自分たちがイメージしている〈北朝鮮〉と違うからです。「北朝鮮は飢餓と貧困と戦争だろう。そういう写真こそが北朝鮮らしい」と言います。

だから、そんな日本国民の「欲求」に合った写真だけが氾濫しています。それを見て、「貧しい。かわいそうだ。独裁国家の悲劇だ。それに比べたら日本はいい」と、安堵するのです。優越感を持つのです。嫌な国民です。こっちの方が、心が貧しいのではないでしょうか。

②不思議なものを見ました

芸能人の住む高級マンション
芸能人の住む高級マンション

北朝鮮は貧しいし、言論の自由もないでしょう。ネットもありません。節電で、街は暗いし、ビルの中も、暖房のないとこが多いのです。でも、経済制裁をしている日本にも責任があります。私にもあります。申し訳ないと思いました。貧しいし、地方に行くと、朽ちかけた家屋も多くあります。「昔の日本の風景かな」と思うこともありますが、それも傲慢なんでしょう。貧しい国でありながら、人々は毅然として、頑張って生きています。又、ピョンヤンは高層ビルがあり、高層ホテルもある。両方とも現実です。一方だけを言い立てても不公平です。

それに、不思議なものを見ました。巨大な遊園地がピョンヤン市内に2つありました。3年前、訪朝した時は、市の中心部のモランボン・ホテルに泊まりました。こぢんまりとした、お洒落なホテルです。日本でいえば山の上ホテルのような感じです。そのホテルの傍に、巨大な遊園地が出来ていました。他にも、もう一つありました。ジェットコースターがあります。高い塔の上まで登り、一気に落下する乗り物もあります。とても不思議で、奇妙なものを見た。と思いました。

テレビ塔の手前が遊園地
テレビ塔の手前が遊園地

だって、国家自体が、こんなにスリリングで危機的なのに、人々はさらにスリルを求めるのか。疑問でした。冬の間はお休みで、4月から再開だそうです。

北朝鮮は韓国とは停戦中です。つまり、戦時下です。時々、軍事紛争も起こります。あわや戦争突入か、という危機も何度もあります。そんな国で、ジェットコースターに乗りたいのだろうか。「平和な日本ならまだしも」と、その時、思いました。

でも、帰ってきて、すぐに、「平和な日本」は崩れました。震災は、戦争以上かもしれません。戦争ならば、始まらないように両国で必死に話し合うことも出来る。停戦交渉も出来る。しかし、地震相手では、話し合いも、停戦も出来ません。人間が引き起こす戦争以上に恐ろしいものでしょう。

③室内でもオーバー、手袋でした

地下100メートルの地下鉄です
地下100メートルの地下鉄です

世界中の国々が、日本に注視し、日本頑張れと応援し、救援物資を送り、救援部隊を派遣してくれてるのも、震災の恐ろしさを思い、他人事ではないと思っているからです。絶望的な状況の中で、日本人は耐え、秩序だって行動している。日本人は凄い。と思われているのです。この日本人の国民性、誠実さこそが、日本の底力だと思いました。

東京も今、節電です。夜の街は暗いです。北朝鮮も、寒いし、暗かったです。もっともっと暗いです。暖房があるのはホテルや高級レストランなどで、普通の土産物屋、本屋、それに博物館、図書館などは暖房がありません。暗いです。やっと見える位の電気しか使ってません。節電ではなく、電力がないのかもしれません。

「でも経済制裁には負けない」と、意気軒昂です。

博物館、図書館、学校など、屋内で案内してくれる人も、オーバーを着、手袋をしています。日本では絶対にあり得ない光景です。見学する我々も、オーバーを着、手袋をしています。日本から長袖の下着、ズボン下、ホカロンを持って行ったので助かりました。かつて、拿捕されたプエブロ号を見た時は、寒くて寒くて、震え上がりました。川につながれております。板門店も寒かったけど、このプエブロ号が一番寒かったです。「日本は冬でも暖かい。日本はいいよな」と思いました。ところが、帰ってきたら、そんなことも言えません。こっちも寒いし、暗いです。

訪朝記者会見(3/10)
訪朝記者会見(3/10)

3月4日(金)の夜に、「よど号」の小西さん、若林さんに会って、8時間位話しましたが、お二人は、結構、薄着です。シャツの上にブレザーを着て、あとはコートです。セーターなど着ていません。寒さには慣れたのでしょうか。私など、セーターを着込み、着ぶくれでいつも外出してたのに…。

それに、お二人は、ホテルの人とは、朝鮮語で喋ってました。「朝鮮語を喋れるんですね」と私は驚きました。「何言ってんですか。41年もいて、喋れなかったら、ただの馬鹿ですよ」と小西さんは言ってました。ウーン、そういうもんですかね。

そうだ。帰国して、3月17日(木)に月蝕歌劇団の芝居を見ましたが、「よど号」の小西さん、若林さんに会ってきた、と月蝕の代表の高取英さんに言いました。そしたら、「若林さんは私の先輩です」と言う。エッ?高取さんも赤軍派だったの」と思ったら違いました。大阪市大の後輩なんだそうです。大阪市大は戦争中は右翼大学で、戦後にその反動で左翼大学になった。フランス語の授業のテキストは「共産党宣言」の仏版だったそうです。「よど号」代表だった田宮高麿さんも大阪市大です。ともかく、新左翼の「拠点校」だったそうです。

④地下鉄は核シェルターなのか

撮ってきたビデオを見せました
撮ってきたビデオを見せました

今週は、地下鉄の写真も載せてます。エスカレーターに乗って下に降りるのですが、ずーっと、ずーっと続いています。地の底まで続くようです。行けども行けども着きません。だって、地下100メートルなんです。「そうか。核戦争に備えているんだ。シェルターなんだ。だから地下100メートルなんだ」と思う人がいるかもしれません。私も、見るまでは、そう思ってました。でも、(中国の地下鉄と違い)、エスカレーターも狭いし、地下鉄のホームも小さいです。大勢の人が逃げ込めるものではありません。実際、「ここはシェルターではありません」と向こうの人も言ってました。あくまでも掘る時の地盤の関係で、深くなっただけです、と言ってました。私もそう思いました。

しかし、地下100メートルの駅では、壁の両側に、勇壮な絵が描かれてます。これは目を見張りました。カメラで撮ったのですが、よく撮れていません。フラッシュも焚いたのですが…。地下100メートルのせいでしょうか。

ネイキッドロフトで(3/10)
ネイキッドロフトで(3/10)

それと、前にも少し書きましたが、駅名が凄いんです。地域の名ではなく、思想的なんです。「ピョンヤン5丁目」とか、「ピョンヤン駅前」なんていう名前ではないのです。思想的であり、ポジティブな名前です。たとえば…

戦勝駅。建国駅。革新駅。建設駅。勝利駅。統一駅。戦友駅。凱旋駅。赤星駅。復興駅。光復駅。楽園駅。黄金原駅(豊作をあらわすそうです)…

なかなか、いいですね。私は感心しました。でも市内のどこに出るか分かりませんね。それだけが不安です。「よど号」の人たちは、1970年、ハイジャックして北朝鮮に行き、軍事訓練を受けて、半年後には日本に凱旋帰国し、日本の闘う学生・労働者と合体し、日本革命をやる。と、本気で考えていたそうです。

「永田洋子さんを送る会」で
「永田洋子さんを送る会」で

1970年は、世界中から、反政府活動家、ゲリラが北朝鮮に来ていたそうで、その人たちの中には、南米やアフリカに帰国して、実際に政権を取った人々もいたそうです。だから、「よど号」グループの「日本革命プラン」は決して、マンガではなかったのです。そして、日本で、「よど号」革命が成功していたら、地下鉄の駅名も変わったでしょう。四谷、四谷三丁目、赤坂見附、中野、落合、高田馬場…なんて名前は全て廃止ですね。そして、よど駅、主体駅、革命駅、反米駅、自立駅、殲滅駅…になりますね。

彼らは、北朝鮮に渡ってから、民族主義に目覚め、それで私らと交流するようになりました。日本への思い、愛国心は、むしろ、私たちより強いものがあります。だから、愛国駅、望郷駅、祖国復興駅なんて駅名もつくるでしょう。亡くなった戦友たちを偲んで、丸ノ内線は「戦友線」にして、田宮駅、田中駅、樺駅、永田駅になるでしょう。永田町は永田洋子を偲んで、永田駅です。だから、変わりません。

「よど号」グループのアッと驚く「日本革命」プランについては、又、書いてみたいと思います。

【だいありー】
「永田洋子さんを送る会」の二次会で
「永田洋子さんを送る会」の二次会で
  1. 3月14日(月)午前10時半から1時まで、中川文人さんと対談。『紙の爆弾』の連載「鈴木邦男の越境対談」で。中川さんは「週刊朝日」に、菅直人へのエールを書いた。菅首相こそは、全共闘世代で、唯一「革命」に成功した人だ!と。これは驚きの発言だった。随分と反響を呼んだ。
     中川さんは、クラシック、歌舞伎に詳しく、著書も多い。三島に関する本も売れている。『昭和45年11月25日』(幻冬舎新書)だ。又、菅直人夫人の本も書いているし、菅首相とは30年来の同志だ。最近の「菅直人バッシング」に反撥し、「週刊朝日」での発言になった。その真意を聞き、全共闘世代の〈責任〉を聞く。
     …という趣旨で、10時半から高田馬場の喫茶店「ミヤマ」の会議室で対談する予定だった。ところが、9時頃、司会の椎野礼仁さんから、「電車が動かない。行けないから中止にしよう」と電話が来る。仕方がないな。こんな時だから、と思って電話を切った。
     しかし、考えたら、司会がいなくても出来るじゃないか。中川さんと2人で対談し、私のICレコーダーとデジカメで記録する。それを基に司会が直す。それでやろうと、気がついて電話するが全く通じない。携帯はこんな時、不便だ。どっちにしろ、礼仁さんは午前中は東京に着かないと言ってたので、その間に「一仕事」する。税務署へ行って確定申告してきた。昨日、徹夜で算盤を入れて、計算し、作成した。大地震のこんな時に、とも思うが、申告すると源泉分が戻ってくるし、大切な収入だ。申告は無事済んだ。
     帰って、昼からずっと礼仁さんに連絡する。メールがやっと通じて、午後3時から、「ミヤマ」で対談することになる。5時半まで、なかなか、面白い話が聞けた。椎野さんは、昨夜、「永田洋子さんのお別れ会」でも一緒だった。そのまま、高田馬場の事務所に泊まればよかったのに、郊外の自宅に帰った。「それが編集長としての判断ミスでした」と自己批判していた。「節電で電車が動かないという情報があったじゃないか」「そんなに奥さんが恋しかったのか。プチブル的だ」…と、言う人もいた。でも、連合赤軍じゃないから、それ以上の査問・総括はなかった。
     午後7時から一水会フォーラム。サンルートホテル高田馬場で。講師は孫崎享さん(元外務省国際情報局長。元駐イラン大使)。「有事到来。米国は日本をどこまで守ってくれるのか」。
     なかなか、刺激的な話だった。果たして、「核の傘」はあるのか。信用できるのか。又、領土をめぐり、私らが知らない事実を次々と教えてくれる。領土問題に対する世界各国の対応などにも。とても勉強になりました。終わって、二次会に。「先週、北朝鮮に行って来ました」と言ったら、孫崎さんは「僕も以前、チュチェ研で呼ばれて、行き、向こうで討論してきました」と言っていた。同じ高麗ホテルに泊まったという。その時の話を詳しく聞いた。
「朝倉喬司さんを偲ぶ会」で
「朝倉喬司さんを偲ぶ会」で
  1. 3月15日(火)午前10時半から夜まで、河合塾コスモで特別ゼミの日だった。私も先週、テキストを決めて、提出してきた。ところが、前日、電話があり、「こんな時だから、生徒が来れないので、延期します」。仕方がないか。又、夜、6時半から、ホテルグランドヒル市ヶ谷で、「石川ともひろ君を励ます会」の予定だった。これも延期。
  2. 3月16日(水)午後3時半から5時。文化放送。そのあとも、6時半まで出る。今回は、ずっと、東北地方大震災と原発事故の話だった。本番中に天皇陛下のお言葉があった。ありがたい。被災者もどれだけ励まされるか分からない。寺ちゃんも、涙が出そうになりました、と言っていた。
     今日のテーマは、「東日本大震災!日本に届く世界のメッセージ」。アメリカ、ロシア、イギリスなどからエールが届いている。タス通信は、「日本には最悪の事態に立ち向かう人の連帯がある」。中国、韓国のメディアも日本へのエールを送り、募金を呼びかけている。温かい声が世界から届いている。今週の「編集長は見た!」は、「サイゾーウーマン」編集長のサエキ・カオリさん。海外セレブから大震災に寄せられた、祈りと支援の声の特集だった。
中村うさぎさん(中央)と
中村うさぎさん(中央)と
  1. 3月17日(木)午後1時、衆議院会館に。東北大震災と北朝鮮問題などについて議員と話し合う。
     又、一水会木村代表と打ち合わせ。一水会の若者たちが救援物資を持って現地に向かったと言ってた。一水会としても、全力で取り組んでいる。
     そのあと、新聞社の取材。午後7時半から、ザムザ阿佐ヶ谷。月蝕歌劇団の「人形の家・解体。パラレルワールドのノラ」を見る。2004年スロベニア・ベストプレイ賞を受賞した作品だ。面白かった。「途中で停電になったら、ローソクと乾電池で芝居を続けます」と言っていたが、幸いにも停電はなかった。終わって、演出の高取英さんたちと飲む。中森明夫さん、三上治さんも来ていたので、話をした。震災と原発の話が中心だ。「読書人の対談よかったね」と中森さんに言われた。
孫崎享さん(中央)と(3/14)
孫崎享さん(中央)と(3/14)
  1. 3月18日(金)、朝まで原稿を書いていた。少し寝てから、午後2時の新幹線で新大阪へ。そこから車で、大阪城公園そばの「シアターブラバ」に行く。三島由紀夫の芝居『わが友ヒトラー』を見る。東京でもやってたが、北朝鮮行きで見れなかった。大阪の公演も切符が売り切れで、ネットで、やっと手に入った。
     7時に始まって10時に終わる。岩井さん、吉本さんが迎えに来ていて、そこから、大阪駅へ。前から企画していた〈「世界の歴史」全集を読む〉の対談を岩井さんとする。いろんな「歴史」全集を読んだというし、私も、昔は、それらを読破した。「歴史を読むとは何か」「何を学ぶのか」について話をした。夜中まで話をし、私は、大阪で泊まった。
  2. 3月19日(土)午前中、大阪の人と仕事の打ち合わせ。午後、当日券があったので、『サド公爵夫人』を見る。「ミシマダブル」と銘打ち、2作品をやっている。とてもよかった。ジャニーズファンが多く、99.99%が女性だった。
     夜、東京に帰る。
  3. 3月20日(日)、午前中、図書館。午後2時半から、又もや、ザムザ阿佐ヶ谷。やはり、月蝕歌劇団だ。続けてやっている。今日は、「怪盗ルパン・竹久夢二の双曲線」。いいですねー。抒情と冒険とSM。我々、活動家の憧れの世界です。竹久夢二、お葉、伊藤晴雨、大杉栄、そして、怪盗ルパンまでが特別出演して暴れ回る。楽しかったです。
     考えたら、4日間、芝居を見ていた。こんな時に申し訳ないが、これも私の勉強だ。〈仕事〉だと思っている。特に三島の芝居には感動し、新発見も多かった。これから、書いてゆきたい。
「週刊読書人」(3/11号)
「週刊読書人」(3/11号)
「週刊読書人」(3/11号)2面です
「週刊読書人」(3/11号)2面です
【写真説明】
キムイルソン広場で(3/4)

①キム・イルソン広場です。広大なところです。パレードや集会はここで行われます。北朝鮮には3月1日(火)から5日(土)まで行ってました。これは、3月4日です。

有名な柳京ホテルです(3/4)

②後ろが有名な柳京ホテルです。とてもきれいです。来月の4月に完成するそうです。急ピッチで最後の仕上げをしておりました。

ピョンヤン市内

③ピョンヤン市内です。高層ビルが多いのには驚きました。でも、こういう写真を見せても、「これは北朝鮮じゃない」「北朝鮮らしくない」と皆、言います。饑餓、貧困、脱北者の写真だけが「北朝鮮らしい」のでしょう。でも、これも北朝鮮です。キチンと現実を見て語るべきでしょう。

芸能人の住む高級マンション

④丸ビルのような巨大なツインタワーがありました。「芸能人が入っているマンションです」と言ってました。これも驚きです。

地下100メートルの地下鉄です

⑤地下鉄です。下を見ると、延々と続いてます。地下100メートルまで、エスカレーターが続いているのです。驚きました。これは動画でもupしました。

テレビ塔の手前が遊園地

⑥3年前に訪朝した時は、このテレビ塔の左横のモランボン・ホテルに泊まりました。今はホテルの横に遊園地が出来てました。ジェットコースターや、落下傘などがあります。冬は閉鎖で、4月からオープンだそうです。

訪朝記者会見(3/10)

⑦3月10日(木)午後3時から、サンルートホテル高田馬場で、「訪朝記者会見」を開きました。左は司会の木村三浩・一水会代表です。

撮ってきたビデオを見せました

⑧記者会見が終わってから、私が撮ってきたビデオを見せました。私のノートパソコンで見てもらいました。

ネイキッドロフトで(3/10)

⑨3月10日(木)夜7時半から、ネイキッドロフト。「ダークサイドトーク」の第1回で、「ネトウヨをセンメツせよ!」。凄いことをやってます。出演は、青木理さん(ジャーナリスト)、久田将義さん(『実話ナックルズ』発行人)、安田浩一さん(ジャーナリスト)、木村三浩氏(一水会代表)。聞きに行ったら、私も壇上で喋らされました。

「永田洋子さんを送る会」で

⑩3月13日(日)午後2時。連合赤軍事件の「永田洋子さんを送る会」。ライフコミュニティ西馬込で。聞きに行ったら、私も挨拶させられました。

「永田洋子さんを送る会」の二次会で

⑪「送る会」の二次会で。(左から)鈴木。山本直樹さん(漫画『レッド』を描いている)。高須基仁さん、白井基夫さん。

「朝倉喬司さんを偲ぶ会」で

⑫同じ日、午後5時から、「朝倉喬司さんを偲ぶ会」があった。如水会館。遅れて行った。朝倉さんにはとてもお世話になった。

中村うさぎさん(中央)と

⑬作家の中村うさぎさん(中央)も来てました。偲ぶ会でVサインしてるよ。でも、朝倉さんは、面白がってくれるかな。

孫崎享さん(中央)と(3/14)

⑭3月14日(月)、一水会フォーラム。孫崎享さん(元外務省国際情報局長)が講演しました。「有事到来。米国は日本をどこまで守ってくれるのか」。講演後、孫崎さん(中央)と。右は木村三浩氏。

「週刊読書人」(3/11号)

⑮『週刊読書人』(3月11日号)で椎根和さんと対談しました。1面トップでしたので、ビックリしました。
 三島について、「勤勉な文字労働者」というタイトルも凄いですね。椎根さんのおかげで、とても密度の濃い対談になったと思います。

「週刊読書人」(3/11号)2面です

⑯『週刊読書人』の2面です。

【お知らせ】
  1. 北朝鮮の動画もアップしましたが、それで重くなって、HPが見られないという人がいました。だから、連動をやめて、切り離しました。ユーチューブで見て下さい。(3/22までにアップし、当欄でお知らせします)

 

 

 

 

  1. 3月21日(月)、この日、発売の『アエラ』(3月28日号)に原稿を書きました。書評です。大谷昭宏さんの『冤罪の恐怖』(ソフトバンククリエイティブ)です。これは今、国民にとって、最も重大なテーマです。
  2. 週刊朝日緊急増刊として、『朝日ジャーナル』(第2弾・3月19日号)が発売中です。「日本破壊計画=未来の扉を開くために」という挑発的な特集です。辺見庸、宮台真司、加藤典洋、中森明夫、川本三郎、そして木村三浩氏も書いています。刺激的な「知の逆襲」です。
  3. 4月4日(月)午後7時半。ネイキッドロフト「元連合赤軍幹部・永田洋子とはなんだったのか?」
    (前に、「阿佐ヶ谷ロフト」と告示しましたが、間違いです。新宿のネイキッドロフトです。すみませんでした)
     永田さんが亡くなりました。永田さんを送る会も行われました。そんな中で、再び、連合赤軍事件とは何だったのかを考えます。映画「実録連合赤軍」の若松孝二監督。『連合赤軍物語・紅炎』(徳間文庫)の著者・山平重樹氏。そして、連合赤軍の兵士、関係者の人たちも出ます。私も出ます。
  4. 4月13日(水)午後7時。サンルートホテル高田馬場一水会フォーラム。講師は、和田春樹先生(東大名誉教授)です。「昨今の日朝関係を考える=日朝関係の打開策はあるか=」です。刺激的なお話が聞けると思います。
  5. 9月9日(金)〜11日(日)。劇団再生による、見沢知廉七回忌追悼公演があります。「天皇ごっこ『蒼白の馬上』」です。小田急線千歳船橋駅前の「APOCシアター」です。11日(日)の14時からは特別トークがあります。大浦信行(映画監督)、山平重樹(作家)、高木尋士(劇団再生代表)、鈴木邦男による、「作品としての見沢知廉」です。