北朝鮮は大変だった。なんて、言えなくなりました。日本の方が大変です。心配です。一水会には交流のあるフランス、ロシア、中国、オーストリアなどからお見舞いが来ております。若者たちも救援物資を持って駆け付けています。
普段は日本に厳しい国々からも見舞いがあり、救援物資が届いています。「日本がんばれ」と。又、「こんな極限情況の中でパニックにならず、暴動、略奪もない」と驚き、賞賛の声も世界中のメディアで報じられています。「武士道」と報じてる新聞もあります。世界が一つになってます。
天皇陛下のお言葉もありました。本当にありがたいと思います。被災地の人々もどれだけ励まされたかと思います。自衛隊も頑張っています。東電の人々も頑張っています。命懸けの仕事には、ただただ頭が下がります。1日も早い復旧をお祈りします。
こんな時に何ですが、忘れないうちに、北朝鮮レポートを書いておきます。10日前のことなのに、もう随分と昔のような気がします。
北朝鮮は、寒かったです。緊張しました。思いがけないこともありましたし、予期しない〈発見〉もありました。「よど号」グループとの8時間の話し合い。党幹部との4回の話し合いなど、かなり突っ込んだ話し合いが出来ました。帰国後、木村三浩一水会代表や、他の人たちとも協議しておりますし、いろんな形で、日朝関係、拉致問題への進展につながるかと思っております。
いろんな所も見て来ました。地下鉄に初めて乗りました。板門店に行きました。高麗ホテルや羊角島ホテルの最上階の回転展望台から見るピョンヤンの夜景も素晴らしいものでした。それに、あの有名な柳京ホテルが、ほとんど出来ていました。巨大なピラミッドのような、三角形のガラス張りのホテルです。ずっと建設が中断されていて、もうダメじゃないのか、と思われていたホテルです。それが、急ピッチで建設が再開され、来年4月の、「金日成主席生誕100年」に完成するそうです。又、来て、見たいです。泊まってみたいです。
それと、高層ビルが多いのには驚きました。会社や、マンション、アパートです。円形の巨大なツイン・マンションも建ってました。「あれは芸能人などが入っています」と言ってました。そんな人たちがいるのか、と驚きました。
でも、こうした高層ビルが林立する写真を見せても、日本の人たちは、「これは北朝鮮ではない」と言います。こんな写真は新聞や週刊誌にも載りません。自分たちがイメージしている〈北朝鮮〉と違うからです。「北朝鮮は飢餓と貧困と戦争だろう。そういう写真こそが北朝鮮らしい」と言います。
だから、そんな日本国民の「欲求」に合った写真だけが氾濫しています。それを見て、「貧しい。かわいそうだ。独裁国家の悲劇だ。それに比べたら日本はいい」と、安堵するのです。優越感を持つのです。嫌な国民です。こっちの方が、心が貧しいのではないでしょうか。
北朝鮮は貧しいし、言論の自由もないでしょう。ネットもありません。節電で、街は暗いし、ビルの中も、暖房のないとこが多いのです。でも、経済制裁をしている日本にも責任があります。私にもあります。申し訳ないと思いました。貧しいし、地方に行くと、朽ちかけた家屋も多くあります。「昔の日本の風景かな」と思うこともありますが、それも傲慢なんでしょう。貧しい国でありながら、人々は毅然として、頑張って生きています。又、ピョンヤンは高層ビルがあり、高層ホテルもある。両方とも現実です。一方だけを言い立てても不公平です。
それに、不思議なものを見ました。巨大な遊園地がピョンヤン市内に2つありました。3年前、訪朝した時は、市の中心部のモランボン・ホテルに泊まりました。こぢんまりとした、お洒落なホテルです。日本でいえば山の上ホテルのような感じです。そのホテルの傍に、巨大な遊園地が出来ていました。他にも、もう一つありました。ジェットコースターがあります。高い塔の上まで登り、一気に落下する乗り物もあります。とても不思議で、奇妙なものを見た。と思いました。
だって、国家自体が、こんなにスリリングで危機的なのに、人々はさらにスリルを求めるのか。疑問でした。冬の間はお休みで、4月から再開だそうです。
北朝鮮は韓国とは停戦中です。つまり、戦時下です。時々、軍事紛争も起こります。あわや戦争突入か、という危機も何度もあります。そんな国で、ジェットコースターに乗りたいのだろうか。「平和な日本ならまだしも」と、その時、思いました。
でも、帰ってきて、すぐに、「平和な日本」は崩れました。震災は、戦争以上かもしれません。戦争ならば、始まらないように両国で必死に話し合うことも出来る。停戦交渉も出来る。しかし、地震相手では、話し合いも、停戦も出来ません。人間が引き起こす戦争以上に恐ろしいものでしょう。
世界中の国々が、日本に注視し、日本頑張れと応援し、救援物資を送り、救援部隊を派遣してくれてるのも、震災の恐ろしさを思い、他人事ではないと思っているからです。絶望的な状況の中で、日本人は耐え、秩序だって行動している。日本人は凄い。と思われているのです。この日本人の国民性、誠実さこそが、日本の底力だと思いました。
東京も今、節電です。夜の街は暗いです。北朝鮮も、寒いし、暗かったです。もっともっと暗いです。暖房があるのはホテルや高級レストランなどで、普通の土産物屋、本屋、それに博物館、図書館などは暖房がありません。暗いです。やっと見える位の電気しか使ってません。節電ではなく、電力がないのかもしれません。
「でも経済制裁には負けない」と、意気軒昂です。
博物館、図書館、学校など、屋内で案内してくれる人も、オーバーを着、手袋をしています。日本では絶対にあり得ない光景です。見学する我々も、オーバーを着、手袋をしています。日本から長袖の下着、ズボン下、ホカロンを持って行ったので助かりました。かつて、拿捕されたプエブロ号を見た時は、寒くて寒くて、震え上がりました。川につながれております。板門店も寒かったけど、このプエブロ号が一番寒かったです。「日本は冬でも暖かい。日本はいいよな」と思いました。ところが、帰ってきたら、そんなことも言えません。こっちも寒いし、暗いです。
3月4日(金)の夜に、「よど号」の小西さん、若林さんに会って、8時間位話しましたが、お二人は、結構、薄着です。シャツの上にブレザーを着て、あとはコートです。セーターなど着ていません。寒さには慣れたのでしょうか。私など、セーターを着込み、着ぶくれでいつも外出してたのに…。
それに、お二人は、ホテルの人とは、朝鮮語で喋ってました。「朝鮮語を喋れるんですね」と私は驚きました。「何言ってんですか。41年もいて、喋れなかったら、ただの馬鹿ですよ」と小西さんは言ってました。ウーン、そういうもんですかね。
そうだ。帰国して、3月17日(木)に月蝕歌劇団の芝居を見ましたが、「よど号」の小西さん、若林さんに会ってきた、と月蝕の代表の高取英さんに言いました。そしたら、「若林さんは私の先輩です」と言う。エッ?高取さんも赤軍派だったの」と思ったら違いました。大阪市大の後輩なんだそうです。大阪市大は戦争中は右翼大学で、戦後にその反動で左翼大学になった。フランス語の授業のテキストは「共産党宣言」の仏版だったそうです。「よど号」代表だった田宮高麿さんも大阪市大です。ともかく、新左翼の「拠点校」だったそうです。
今週は、地下鉄の写真も載せてます。エスカレーターに乗って下に降りるのですが、ずーっと、ずーっと続いています。地の底まで続くようです。行けども行けども着きません。だって、地下100メートルなんです。「そうか。核戦争に備えているんだ。シェルターなんだ。だから地下100メートルなんだ」と思う人がいるかもしれません。私も、見るまでは、そう思ってました。でも、(中国の地下鉄と違い)、エスカレーターも狭いし、地下鉄のホームも小さいです。大勢の人が逃げ込めるものではありません。実際、「ここはシェルターではありません」と向こうの人も言ってました。あくまでも掘る時の地盤の関係で、深くなっただけです、と言ってました。私もそう思いました。
しかし、地下100メートルの駅では、壁の両側に、勇壮な絵が描かれてます。これは目を見張りました。カメラで撮ったのですが、よく撮れていません。フラッシュも焚いたのですが…。地下100メートルのせいでしょうか。
それと、前にも少し書きましたが、駅名が凄いんです。地域の名ではなく、思想的なんです。「ピョンヤン5丁目」とか、「ピョンヤン駅前」なんていう名前ではないのです。思想的であり、ポジティブな名前です。たとえば…
戦勝駅。建国駅。革新駅。建設駅。勝利駅。統一駅。戦友駅。凱旋駅。赤星駅。復興駅。光復駅。楽園駅。黄金原駅(豊作をあらわすそうです)…
なかなか、いいですね。私は感心しました。でも市内のどこに出るか分かりませんね。それだけが不安です。「よど号」の人たちは、1970年、ハイジャックして北朝鮮に行き、軍事訓練を受けて、半年後には日本に凱旋帰国し、日本の闘う学生・労働者と合体し、日本革命をやる。と、本気で考えていたそうです。
1970年は、世界中から、反政府活動家、ゲリラが北朝鮮に来ていたそうで、その人たちの中には、南米やアフリカに帰国して、実際に政権を取った人々もいたそうです。だから、「よど号」グループの「日本革命プラン」は決して、マンガではなかったのです。そして、日本で、「よど号」革命が成功していたら、地下鉄の駅名も変わったでしょう。四谷、四谷三丁目、赤坂見附、中野、落合、高田馬場…なんて名前は全て廃止ですね。そして、よど駅、主体駅、革命駅、反米駅、自立駅、殲滅駅…になりますね。
彼らは、北朝鮮に渡ってから、民族主義に目覚め、それで私らと交流するようになりました。日本への思い、愛国心は、むしろ、私たちより強いものがあります。だから、愛国駅、望郷駅、祖国復興駅なんて駅名もつくるでしょう。亡くなった戦友たちを偲んで、丸ノ内線は「戦友線」にして、田宮駅、田中駅、樺駅、永田駅になるでしょう。永田町は永田洋子を偲んで、永田駅です。だから、変わりません。
「よど号」グループのアッと驚く「日本革命」プランについては、又、書いてみたいと思います。
③ピョンヤン市内です。高層ビルが多いのには驚きました。でも、こういう写真を見せても、「これは北朝鮮じゃない」「北朝鮮らしくない」と皆、言います。饑餓、貧困、脱北者の写真だけが「北朝鮮らしい」のでしょう。でも、これも北朝鮮です。キチンと現実を見て語るべきでしょう。
⑥3年前に訪朝した時は、このテレビ塔の左横のモランボン・ホテルに泊まりました。今はホテルの横に遊園地が出来てました。ジェットコースターや、落下傘などがあります。冬は閉鎖で、4月からオープンだそうです。
⑨3月10日(木)夜7時半から、ネイキッドロフト。「ダークサイドトーク」の第1回で、「ネトウヨをセンメツせよ!」。凄いことをやってます。出演は、青木理さん(ジャーナリスト)、久田将義さん(『実話ナックルズ』発行人)、安田浩一さん(ジャーナリスト)、木村三浩氏(一水会代表)。聞きに行ったら、私も壇上で喋らされました。
⑮『週刊読書人』(3月11日号)で椎根和さんと対談しました。1面トップでしたので、ビックリしました。
三島について、「勤勉な文字労働者」というタイトルも凄いですね。椎根さんのおかげで、とても密度の濃い対談になったと思います。