2011/03/28 鈴木邦男

日本の底力を見た!
=そして、プエブロ号事件を考えた=

①「戦闘なき救国戦争」だ

「プエブロ号」の前で(3/2)
「プエブロ号」の前で(3/2)

東日本大震災発生から2週間。想像を絶する災害で、多くの貴い命が失われた。家屋が流され、破壊され、避難所生活をされている人も多い。何と言っていいのか分からない。心が痛む。

そして、こんな状況の中で、生命を懸けて救援、復旧のために闘っている人々がいる。これは、「戦闘なき救国戦争だ」と、宮家邦彦氏は言っていた。(産経新聞。3月24日)。まさにその通りだと思う。

特に、自衛隊や、警察、消防のハイパーレスキュー隊などの命懸けの活動は心強いし、頭が下がる。3月23日(水)、文化放送に出た時に、詳しい話を聞いた。自衛隊は10万人以上が現地で命懸けの活動をしている。ハイパーレスキュー隊も放射能という恐怖に立ち向かい、活動している。

ハイパーレスキュー隊は、東京消防庁の所属だ。1995年に発生した阪神・淡路大震災で、消防の救助隊(レスキュー隊)だけでは対応できない状況になった教訓を踏まえて、災害時に機動力を発揮する特別な技術を持った部隊として誕生した。だから、レスキュー隊の中でさらに選ばれた人間だけで編成されているのだろう。

船外で説明する北朝鮮の元兵士
船外で説明する北朝鮮の元兵士

事故や災害に伴う人命救助が主な任務で、ブルドーザーやパワーショベルなどの大型重機、赤外線スコープ、様々な救助資機材を使用し、ダイナマイトを使った爆破も行う事が出来る。凄い能力を持った部隊だ。

こうした人々の命懸けの活動で、日本は救われているのだ。テレビにも出ていたが、交替して帰ってきたメンバーも、「再び特命が下りれば迷わず飛び込む」と話している。こうしたものが本当の〈愛国心〉だろう。そんな言葉は口にしないだろうが…。

それにしても、凄い覚悟だし、行動力だ。それと共に、この人たちを支える、奥さんや、家族も凄い。現地で放水活動を行ったハイパーレスキュー隊の佐藤康雄総隊長は、「これから出動してくるよ」と家族にメールしたところ、奥さんから「日本の救世主になって下さい」と1行の返事が来たという。なかなか言えないことだ。奥さんも腹が据わっている。「しっかり責任を果たして来て下さい」と言った奥さんもいたそうだ。凄いですね。

乗組員の自己批判書が…
乗組員の自己批判書が…

ハイパーレスキュー隊員たちは、激しい訓練や、あるいは武道もやり、その中で、覚悟や決意を固めていくのだろう。しかし、奥さんたちはどうやって、そういう覚悟を持つのか。そんな訓練や教育をするわけではないだろう。あるいは初めから、そうした覚悟を持った人が結婚するのだろうか。ともかく、これも驚異です。

又、テレビでやってましたが、被災地の人が、「制服の警察官を見ると、ホッとする」と言ってました。私は昔は、警察官を見ただけで、敵愾心を持ちましたが、今は、こうした人々の気持ちも分かります。自衛隊、消防、警察官…こういう人々の命懸けの活動で、日本は守られているんですね、ありがたいです。

現地には、多くの人々が救援活動に行き、義援金も送られています。一水会でも若者たちが行きました。25日からは木村代表も若者を引き連れて石巻、仙台に行くそうです。ご苦労さまです。「出来たら仙台の兄貴のとこにも寄って様子を見てきてくれ」と頼みました。

②スパイ船「プエブロ号」を見た

トレバー・アンブリスター『情報収集艦プエブロ号』
トレバー・アンブリスター『情報収集艦プエブロ号』

では、話が変わって、北朝鮮レポート④です。こんな時に何ですが、忘れないうちに書きとめておかなくては、と思います。

今回は、プエブロ号の話です。「プエブロ号事件」というのは聞いたことがありますが、詳しくは、知りませんでした。しかし、その現物が北朝鮮には大同江につながれ、公開されています。「さらしもの」のようですね。だって、アメリカのスパイ船です。北朝鮮に拿捕されたのです。1968年です。よど号事件の2年前です。

乗組員82人はスパイ行為を認め、自己批判書を書き、それが、船の中には展示されています。(1人は戦死してる)。

さらに、アメリカ大統領もスパイ行為を認め、謝罪文を書きました。それも展示されてました。北朝鮮の大勝利です。初めは、アメリカは、「スパイ船ではない」と言い張り、「釈放しろ、釈放しなければ北朝鮮を攻撃するぞ」と脅しました。あやうく、〈イラク戦争〉と同じ状況になるところだったのです。

でも、北朝鮮は一歩も引かず、断固として世界に〈正義〉を示し、交渉したのです。そして、捕まったプエブロ号の乗組員も、「アメリカ大統領、認めて下さい。私たちが悪かったのですから」と本国に言い、ついに、アメリカのジョンソン大統領も、自らの非を認め、北朝鮮に謝罪したのです。それで、やっと、乗組員は釈放され、アメリカに帰国できたのです。

凱旋門で
凱旋門で

えっ、そんな完璧な勝利だったのか。現物を見て、説明を聞くまで、そこまでの事件とは知りませんでした。3月2日(水)に、プエブロ号を見学したのですが、寒い寒い日でした。河は凍っていました。プエブロ号の中は勿論、暖房なんてありません。鉄の船だから、さらに冷えます。体がゾクゾクとしました。ガタガタと震えました。

その船の中で、向こうの人は、「北朝鮮の全面勝利」の話を誇らしげにします。ウーン、その時から、アメリカに対しては、〈勝ち〉続けていたんだ。外交の天才ですよね、北朝鮮は。そう思いました。

そうか、〈戦争〉も辞さずの覚悟でやったんですね。そういえば、1962年、アメリカとソ連は「キューバ危機」で対決し、あの時も、互いに〈戦争〉も辞さずの状況でした。あっ、第三次世界大戦になるのでは…と世界中が恐怖しました。しかし、ギリギリのところで、ソ連は退き、キューバにミサイルを運ぶ船を引き返しました。

多分、北朝鮮は、それを見て、「だらしない奴だな」と思ったのでしょう。ソ連のことを。だから、自分たちがアメリカと対決した時は一歩も引きません。やるんなら、やってみろ。という感じです。そして、勝ったのです。凄い国ですね。

「ミシマ・ダブル」を見た
「ミシマ・ダブル」を見た

だから、日本に帰ってきて、プエブロ号のことを、いろいろ調べました。あまり、本は出ていません。ネットで探したら、トレバー・アンブリスターの『情報収集艦プエブロ号=日本海のミステリー』(大日本絵画)が出てたので、買いました。これから読んでみます。今、途中まで読んでます。

ウィキペディアで引いてみました。そしたら、ちょっと違うんですね、北朝鮮で聞いた説明とは。どうも、アメリカ寄りの〈説明〉です。どうせ北朝鮮では誰も見ないからでしょうか。これを見て訂正し、書き加える人がいないんですね。

③あれっ、話が違うよ

岩井さんと「世界の歴史」について対談
岩井さんと「世界の歴史」について対談

大体、ウィキペディアでは、書き出しからして、「アメリカ寄り」です

〈プエブロ号事件は、1968年にアメリカ海軍の環境調査船プエブロが朝鮮民主主義人民共和国に拿捕された事件である。
 事件は北朝鮮が青瓦台襲撃未遂事件によって大韓民国大統領の朴正煕殺害を狙った1968年1月21日から僅か2日後の1月23日に起こった〉

えっ、こんなことは北朝鮮では説明してなかったぞ。

これじゃ、「殺害未遂」を隠すためか、あるいは、失敗の腹いせとして、プエブロ号を捕まえたように聞こえる。実際、拿捕された場所は、公海上であるか、又、「北朝鮮の領海」だったか、大いに怪しいと言う。えっ、これも北朝鮮では全く聞かなかった。

高取英さん、中森明夫さんと(3/17)
高取英さん、中森明夫さんと(3/17)
〈北朝鮮東岸の元山沖の公海上でNSAの電波情報収集任務に就いていたプエブロ号が、領海侵犯を理由に北朝鮮警備艇などから攻撃を受け、乗員1名が死亡。残る82名が身柄を拘束され、北朝鮮当局の取り調べを受けた。但し、本当に領海侵犯が行われたかどうかについては、現在もアメリカと北朝鮮で主張が食い違っている〉

ただ、そういうギリギリの危ない所だった。プエブロ号はそれを承知で、北朝鮮の情報を取っていた。明らかにスパイ船だ。北朝鮮当局が目を付けることも知っていた。それは、アンブリスターの本にも書かれていた。

ただ、それでも、「北朝鮮は我々を捕まえるはずはない」とタカをくくっていた。トレバー・アンブリスターの『情報収集艦プエブロ号』には、興味深いことが書かれている。

「絶対に攻撃されることはない」と思って、タカをくくっていて、本当に攻撃されたのだが、アメリカにとって、こうした「奇襲」は、実は、これで3度目だという。

三井環さんを囲んで
三井環さんを囲んで
〈アメリカは以前にも、奇襲を受けたことがある。1941年、わが国の当局者は、日本が真珠湾を攻撃することなどあり得ない、と考えていた。同じように、1962年には、ソ連がキューバに核ミサイルを配置することなどあり得ない、と考えた。
 そして1968年には、アメリカの当局者は、この小さな艦—プエブロ号が、自衛能力を持たず、空軍と海軍が援助に急行できなくても、公海上にある限り、合衆国海軍161年の伝統がこの船を守ってくれるだろう、と考えていた〉

これは衝撃的な事実だ。私も初めて気がついた。これは他人事ではない。日本は1941年に真珠湾を奇襲した。ソ連は1962年、キューバにミサイルを運ぼうとした。当時の大国が、アメリカに戦争をしかけた。準備に準備を重ねて。アメリカは、「そんなことはあるまい」と思っていた。不意をつかれて、慌てた。

ただ、それでも「アメリカは勝った」。これは事実だ。日本とソ連は撃退されたのだ。

中川右介さんと対談(3/14)
中川右介さんと対談(3/14)

ところが、1968年のプエブロ号事件では、小国・北朝鮮に奇襲され、「完敗」した。アメリカ大統領は、その小国に全面的に謝罪し、82名の乗組員をやっと返してもらった。

その意味では、北朝鮮は凄い国だと思う。日本やソ連がやれなかったことをやったのだ。それも、長く準備してやったのではない。2日前の「朴大統領暗殺未遂」の仕返しなんてもんじゃない。その前から、この「スパイ船」のことは警戒していた。そして捕まえた。

でも、大国アメリカから恫喝されたら、普通なら、すぐ釈放する。日本だって最近、尖閣の領海を侵犯した中国船長を逮捕したが、すぐに釈放した。中国は謝りもしないのに…。

④建国以来、アメリカは初めて「完敗」した!

対談が終わって
対談が終わって

実際、アメリカの「恫喝」は凄まじかった。再び、ウィキペディアを見る。

〈アメリカ政府はアメリカ空軍に戦闘準備を命じ、海軍空母部隊(航空機200機)を日本海に展開して乗組員の解放を要求したが、北朝鮮はこれを拒否し、アメリカからの(領海侵犯についての)謝罪を要求した。アメリカは朝鮮戦争の休戦協定を破るわけにはいかず、またベトナム戦争が拡大し続ける中であり、戦線の拡大は北朝鮮の同盟国であるソビエト連邦の自動参戦を招きかねないことでもあった〉

北朝鮮も大きな賭けに出たものだ。アメリカの置かれた状況も見つめながら、賭けに打って出る。この辺は、日本やソ連も出来なかったことだ。大国アメリカの方が追いつめられ、世界中に恥をさらしたのだ。そして、アメリカ建国以来の「敗戦」を体験する。

国会議事堂前で
国会議事堂前で
〈結局、アメリカは外交的解決として、板門店での会談で北朝鮮の用意したスパイ活動を認める謝罪文章に調印することになった。乗員は11ヶ月の拘束の後の同年12月に解放された。プエブロ号の船体は返還されず、現在も北朝鮮の管理下に置かれていて、平壌市内の大同江で一般公開され、反米宣伝に利用されている〉

それを私は見てきたんですよ。写真を出したけど、小さな船だ。中も隅々まで見たが、こんな小さな、寒い船に83人も乗っていたのか、と驚く。暗号室もあり、いろんな機密の文書も全て押収された。「スパイ船」であることは間違いない。

乗組員も全員、自供し、謝罪文を書いた。「早くアメリカ大統領も認めて、我々を帰してほしい」と訴えたが、アメリカは頑として拒否。だた、力だけで押そうとした。「釈放しなければ、戦争を仕掛けるぞ」と。北朝鮮は大国アメリカの軍事恫喝に一歩も引かない。そして、アメリカの方が負け、大統領が謝罪した。

ビールのCMポスター
ビールのCMポスター

これは画期的なことだ。北朝鮮では、「愛国心教育」の一環として、このプエブロ号見学がある。又、外国人の観光客も沢山、見に来ている。あの事件の時、プエブロ号と闘った北朝鮮の兵士はまだ生きている。その人たちが、船を下りたところで、「体験談」を語っている。

では、釈放された82人はどうなったんだろう。アメリカに無事、帰った。でもアメリカは冷たく迎えたようだ。「裏切り者め」「自供しやがって」という声もあったようだ。そんなことは、北朝鮮では言わない。日本に来て、いろいろ調べている。

この事件の2年後、よど号事件があったが、あの時は、飛行機もろとも返している。本当は、よど号も返さず、キム・イルソン広場にでも展示され、「さらしもの」にされたかもしれない。いや、プエブロ号事件の「大勝利」が、「よど号」に対する寛大な処置になったのかもしれない。

【だいありー】
書評を書きました
書評を書きました
  1. 3月21日(月)午前中、原稿を書いていた。午後から図書館。夕方5時半から横浜で、「蜷川正大氏の還暦を祝い激励する会」に出席の予定だったが、東日本大震災で、延期になった。
  2. 3月22日(火)朝一番の新幹線で大阪へ。「死刑囚」になったカレー事件の林眞須美さんに会う。今、弁護団が再審請求をしている。その補佐人として、私を含め3人を申請している。だから、補佐人の私も会える。
     …はずだったが、私は裁判所から拒否された。認められなかった。それで、今日の大阪行きもなしになった。残念です。
     昼から、別の打ち合わせ。原稿。
  3. 3月23日(水)今週は連載などの〆切が多く、必死で書いている。午後3時から、文化放送。今日も地震の問題だが、今日のテーマは、「だから日本は大丈夫!」。自衛隊、警察、消防のハイパーレスキュー隊などの命懸けの活躍について紹介した。本当に大変だ。やはり自衛隊は必要だ。あってよかった。石原都知事が言っていた。
〈このすさんだ日本で、人間の連帯はありがたい。まだまだ捨てたもんじゃないということを示してくれた。これを踏まえてこれにすがって、この国を建て直さなければいかん〉
 

同感です。

 

「編集長は見た!」のコーナーは、『サイゾー』編集人の岩崎貴久さん。初登場だ。震災の裏で、怪しげな募金をやってる人もいる。という。

〈「募金詐欺」にご注意を!震災後、マスコミに届いた怪しすぎる“寄付”メールの正体〉
 

人の不幸につけ込んで、金を集めるなんて卑劣だ。

 

又、

〈マンガ最大のタブー「ワンピース」誰も知らないヒットの真相〉
 

私も知りませんでした。この作品は、現在、61巻。60巻までの累計発行部数は2億冊突破だという。凄すぎる。私も読まなくちゃ。

これが表紙です
これが表紙です
  1. 3月24日(木)午後から河合塾コスモ。休暇中の特別授業も再開していた。化学の授業に出て、「なぜ地震は予知できないのか」「地震兵器はあるのか」と質問した。詳しく教えてもらった。
     そのあと、自習室で勉強。
  2. 3月25日(金)朝の新幹線で大阪へ。読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」に出る。1回目の収録が12時半〜2時半。2回目の収録が3時〜5時。地震の話題が中心だが、地震学者、研究家など専門家が沢山出ていて、これも勉強になった。「放射能は全く心配ない!」と断言する人いるし、「安全な原発」を力説する人もいる。
     又、地震が及ぼす政治、経済、医療、スポーツなどについても話し合う。小泉さんの秘書官だった飯島勲さんは、「鈴木さんのことはよく知ってますよ。テレビで見てたし」と言っていた。案外、優しい人で驚いた。よく本を読んでる武田邦彦さん、岸博幸さんにも会った。志方俊之さん、中村仁信さん、木村政昭さん、武藤武さん、鈴木哲司さんにも会った。とても勉強になりました。又、始まる前に、ネットの番組のために取材される。北朝鮮について。「よど号」について語った。  夜、遅く帰京。
  3. 3月26日(土)午前中、原稿を書いていた。午後から小田原へ。作家の夢枕獏さんが、「陶素人展」をやっている。久しぶりだ。夢枕さんの作品を見ながら、北朝鮮の話、地震の話などをした。
  4. 3月27日(日)午前10時半から午後5時まで、『維摩経解釈』の勉強会。かなり難解だが、とても勉強になりました。
     村上正邦さんに会いました。近いうちに北朝鮮に行くと言ってました。
【写真説明】
「プエブロ号」の前で(3/2)

①アメリカの「スパイ船」。プエブロ号です。1968年から、ピョンヤンの大同江につながれています。これも「観光名物」です。大きい船ではありません。ここに80名以上の乗組員が乗っていて、拿捕されました。

乗組員の自己批判書が…

②艦内は凍り付くような寒さです。中には、暗号、作業室、プエブロ号乗組員の謝罪・自己批判文、アメリカ大統領の謝罪文も展示されていました。

船外で説明する北朝鮮の元兵士

③見物客は多いです。外国人もいます。1968年の事件の時、プエブロ号と闘い拿捕した英雄兵士が、外で説明しています。

トレバー・アンブリスター『情報収集艦プエブロ号』

④トレバー・アンブリスター『情報収集艦プエブロ号』(大日本絵画)。上下2巻です。今、読んでる途中です。

凱旋門で

⑤凱旋門で。

「ミシマ・ダブル」を見た

⑥3月18日(金)に三島由紀夫原作の芝居「わが友ヒットラー」を観ました。翌、19日(土)は、「サド公爵夫人」を観ました。感動しました。三島の他の本、『金閣寺』なども飛ぶように売れてました。

岩井さんと「世界の歴史」について対談""

⑦「わが友ヒットラー」を観たあと、岩井正和さんと対談しました。〈「世界の歴史」を読む〉です。近いうちにこのHPにアップします。

高取英さん、中森明夫さんと(3/17)

⑧3月17日(木)、月蝕歌劇団の芝居を観た後で。高取英さん、中森明夫さんと。

三井環さんを囲んで

⑨三井環さんを囲んで。高田馬場の「土風炉」で。

中川右介さんと対談(3/14)

⑩3月14日(月)、『紙の爆弾』で、中川右介さんと対談しました。

対談が終わって

⑪終わって椎野さん、白井さんと。唇を突き出している、挙動不審な人もいます。何をしようとしてるのでしょうか。愛でしょうか。

国会議事堂前で

⑫国会議事堂をバックに。議員会館の中から撮ったようです。素晴らしいアングルです。

ビールのCMポスター

⑬皆が同じ方向を見つめています。そして、1人が指さしてます。まるで北朝鮮のポスターじゃないか、と思いました。でも、日本のビールのCMのようです。日本のCMは北朝鮮化してます。街は暗いし、寒いし、北朝鮮化してます。このHPも、北朝鮮化してます。

書評を書きました

⑭「アエラ」(3月28日号)に書評を書きました。大谷昭宏さんの『冤罪の恐怖』(ソフトバンククリエイティブ)てず。いい本です。ぜひ、読んでみて下さい。

これが表紙です

⑮この書評が載った「アエラ」の表紙です。「放射能がくる」と書かれてます。「社会不安を煽る」「恐怖心を煽る」と批判され、謝ったそうです。電車の吊り広告も外されたようです。

【お知らせ】
  1. よど号の帰国支援センターで発行している「かりはゆく」(3月20日号)に、私の「訪朝報告」が載ってます。〈北朝鮮に行き、「よど号」グループと会った!〉です。私がブログに書いたものを転載していいですか、と言われたので、快諾しました。一度、発表したものは、公のものです。自由に使ってもらって構いません。私なんて、批判的に書いたり、不真面目に書いたりする時も多い。それなのに、全文載せてくれた。ありがたいです。
  2. 4月4日(月)午後7時半。ネイキッドロフト「元連合赤軍幹部・永田洋子とはなんだったのか?」
    (前に、「阿佐ヶ谷ロフト」と告示しましたが、間違いです。新宿のネイキッドロフトです。すみませんでした)
     永田さんが亡くなりました。永田さんを送る会も行われました。そんな中で、再び、連合赤軍事件とは何だったのかを考えます。映画「実録連合赤軍」の若松孝二監督。『連合赤軍物語・紅炎』(徳間文庫)の著者・山平重樹氏。そして、連合赤軍の兵士、関係者の人たちも出ます。私も出ます。
  3. 4月13日(水)午後7時。サンルートホテル高田馬場一水会フォーラム。講師は、和田春樹先生(東大名誉教授)です。「昨今の日朝関係を考える=日朝関係の打開策はあるか=」です。刺激的なお話が聞けると思います。
  4. 9月9日(金)〜11日(日)。劇団再生による、見沢知廉七回忌追悼公演があります。「天皇ごっこ『蒼白の馬上』」です。小田急線千歳船橋駅前の「APOCシアター」です。11日(日)の14時からは特別トークがあります。大浦信行(映画監督)、山平重樹(作家)、高木尋士(劇団再生代表)、鈴木邦男による、「作品としての見沢知廉」です。