「日本人は大本営発表が好きなんですよ」と田原総一朗さんは言う。戦争中、大本営発表に騙されたのではない。その為に弾圧されて、自由なことを書けなかったのでもない。皆、進んで協力したのだ。つまり、日本人は皆、「大本営発表が好きなのだ」と言う。大本営発表があると安心だ。自分が責任を取らなくていい。
ものを書く人間は、その方が楽なのだ。同じことは今も言える。原発事故について、「大本営発表」だけが罷り通っている。戦争中と同じだ。これでは、「マスコミ」はどこにもないし、「自由な言論」もない、と田原さんは言う。
田原さんのような言論界の大御所がそう言うのだ。だから問題は深刻だ、と思った。「竹中労のように、たった1人でも闘うという、反骨のライターがいなくなったね」と言う。田原さんの口から竹中労の名前が出たので、驚いたし、嬉しかった。私の尊敬するライターだ。
「遠藤誠弁護士も面白かったね」と言う。この2人は私の恩人だ。この2人によって、実に多くのことを教えられたし、多くの人たちを紹介してもらった。今の私の左右を超えた人脈は、この2人にルーツがある。
そして話は「言論の覚悟」になった。実は、5月上旬、私の新著『言論の覚悟2』(創出版)が出る。それを記念して、田原さんとの対談になったのだ。4月11日(月)午後2時、全日空ホテルだ。
今、私は、月刊「創」に「言論の覚悟」を連載している。それを纏めた本、『言論の覚悟』が2002年4月20日に出ている。それから、9年。5月上旬に、『言論の覚悟2』が出る。「創」の連載を田原さんは毎月、読んでくれて、「これはいいね。頑張って」と言ってくれてる。ありがたい。それで、特別に対談をお願いした。単行本発刊を記念して、次号の「創」に載る予定だ。
今、9年前の『言論の覚悟』を取り出して見た。「鈴木邦男主義」とサブタイトルが付いている。本の帯にはこう書かれている。
〈「言論の自由」って何だ!
全ての“主義”を超える!鈴木邦男が問いかける〉
そうか。「言論の自由」について考えてきたのか。いろんな事件がある。いろんな人との出会いがある。闘いもある。それも書きながら、ずっと、「言論の自由」について考えてきた。この本の目次を見ても、取り上げたテーマが分かる。たとえば…。
凄いタイトルもあるね。いいのかよ、と思う。挑発的だ。思い切って断定し、挑発しているんだろう。
先週、文化放送に出た時、『ムー』の編集長が言っていた。この宇宙と平行したもう1つの世界があると。それは感じる。私も「パラレルワールド」の「もう1人の鈴木君」にからかわれまいとして頑張ったんだ。
95年5月から02年2月までの7年間の連載から49本を選んで載せた。多分、全連載の半分位をチョイスして載せたんだろう。それを時代順に並べている。
それに、「プロローグ」も凄い。過激だ。
〈天皇暗殺映画をめぐる場外乱闘〉と出ている。あの、超過激な映画監督・渡辺文樹氏と激突対談している。
さて、〈PartⅡ〉は、どうなるのか。今回は、椎野企画のレーニン、あづささんが編集をやってくれた。前回を上回る大胆な企画だ。〈PartⅠ〉を出したあとの、9年間の連載の半分ほどをピックアップし、それをシャッフルして、テーマ別に仕分けした。だから、グンと読みやすい。又、(年代順ではなく)テーマ毎に編集し、それが一連の話として続くように大幅に編集をした。これは凄いです。
第1章は「言論の覚悟」。第2章は「赤軍、よど号、北朝鮮」。第3章は「映画から読み解く日本」。第4章は「愛国心・憲法・人権を考える」。
うまいですね。第3章を読み返していて、あれっ、俺ってこんなに映画を見て、映画に関係してたんだっけ。と思いましたね。第3章には、10編が並んでます。
映画「靖国」「ザ・コーブ」「太陽」「Tokko」「あんにょんサヨナラ」…など、問題になり、争点になった映画を取り上げ、その騒動の中に飛び込んで、主張し、考えた原稿です。今、読み返しても、あの時は大変だったな、と思います。ぜひ、読んでみて下さい。
「第2章」の「赤軍・よど号・北朝鮮」にしろ、第4章の「愛国心・憲法・人権を考える」にしろ、さすが、元学生運動家のレーニンさんらしい区分だと思いました。でも、そういう内容を書いたのは私なんですね。私が「左」がかっている証拠なのかな。
でも、〈覚悟〉を語り、〈右〉を語り、〈左〉を語り、映画を語り、そして、日本の将来への展望、前途を語るのが第4章なんでしょう。どうも、そういう作戦が読み取れます。
「右を切り、左を切り、政治は中道を歩まねばなりません」というのは三島由紀夫の「わが友ヒットラー」の台詞ですね。私は、右を切り、左を切り、そして、その先は、更なる混沌です。アナーキーです。
その証拠に、第4章はこんなふうになってます。
うーん、いいですね。編集がうまいですね。「流れ」がいい。私だって読みたくなります。さらに、特別対談も入ります。今、必死で作っていますので、5月上旬には出来るでしょう。
話はちよっと戻りますが、4月11日(月)に田原さんと「言論の覚悟」の話をしました。今は大本営発表ばかりで、個人で、覚悟を持ったジャーナリストがいない!という話になりました。
そして、原発事故の話が中心になりました。「国民に不安を与えまい」という政府の思惑なのでしょうが、果たして何が正しいのか。安全なのか危険なのか。それが分からない。
そういえば、この1週間は、原発について考え、勉強し、討論した1週間でした。又、デモにも出ました。これだけ短期間に、まとめて考え行動した1週間はありません。
4月10日(日)と16日(土)は、「反原発」のデモに出ました。発言もし、合計5時間もデモをしました。
11日(月)は田原総一朗さん、12日(火)は平沢勝栄さんに会って、原発の話を聞きました。
13日(水)は文化放送で原発の話をしました。
14日(木)はチャンネル桜に出て、3時間、原発についての討論をしました。
15日(金)はロシア大使館に行って、ロシア連邦バイオ医学府長官・ウラジミール・ウィバさんの話を聞きました。とても勉強になった1週間でした。
10日(日)のデモは「素人の乱」の松本哉さんが呼びかけて1万5千人が集まりました。実は私は、「今さら、デモなんて」と思ってました。だって、右翼過激派の時に、何千回もデモに出てるし、もう、デモの「絶対量」はクリアーした。デモの「一生分のノルマ」は果たしたと思ってました。
それに、デモに行くと、ついつい警察の挑発に乗って、乱闘し、逮捕されたことが何回もあり、「デモ=逮捕」というイメージがあったのですよ。だから、「今さら捕まるのもヤダナ」と思ってたんです。
でも、ロフトの加藤さんから急遽、「出て、喋れ、歩け」と言われたんです。断ると、もうロフトには出してくれないかもしれない。それで、(気が弱い私としては)無理をして、行きましたよ。
しかし、昔の暗い、反権力のデモのイメージはありませんでした。若者たちが圧倒的に多いし、音楽に乗り、楽しくデモをしました。これはいいですね、と思いました。私も、ホッペや胸にワッペンを貼って、デモりました。
そして、14日(木)のチャンネル桜もよかったですね。「だいありー」のところでも詳しく書きましたが、原発をめぐる4対4の闘論と聞いて、かなり、ビビリました。
なんか一言いうと、ワーッと怒鳴りつけられ、封殺されるんじゃないか。大声で罵倒されるんじゃないかと恐れていました。そういう討論番組がかなりありますので。
でも、当日、参加して驚きました。実に皆、冷静に紳士的に話してます。
又、司会の水島さんが、皆に、公平に喋らせようと気を使ってました。それが分かりました。
私は原発はいらないと思いますが、すぐになくせるとは思わない。たとえなくすにしても、時間はかかるし、〈共存〉する時間はかなりあると思います。
その間の監視機関をいかに作り、(アメリカ以上の)放射能防護部隊を作り、何かあった時にはすぐ対処できるようにすべきでしょう。
又、「原発は安い」というのは分かります。効率がいいのも分かります。しかし、一番、危険は大きい。それに、今回の事故を見ると、その対応に莫大なお金がかかりますし、結果的に、「一番高い」ものになってる。「そういう面はありますね」と原発推進派の人も認めてました。
又、全体の3割を原発が支えているといいますが、それを他の地熱、太陽熱、波力、風力などで代替するように研究する。日本は技術力があるのだから、出来るでしょう。又、すぐには出来ないにしても、じゃ、原発なしの7割だけで生活出来るようにする。そういう生活・意識革命も必要ではないのか。
電力が必要なことは分かるし、その大切さは、痛感してます。しかし、安いが危ない原発よりは、高めについても、又、不便になっても、脱原発の生活の方を人々は選択するのではないでしょうか。
西尾幹二さんも、昔は、原発が必要だと思い、そういう発言もしてきた。しかし、今回の事故で、考えを改めた。今までのことは反省し、反原発に回ります、と言っていた。学者としては何と勇気のある態度かと思いました。
又、かつて原発の技術者だった人で今、反原発の人もいました。又、原発推進派の人でも、「代替エネルギーはどんどんやるべきだ」「今の原発行政のままではダメだ」と言う人もおり、かなり、建設的な話し合いが出来ました。これは画期的なことだと思いました。
〈最新理論が解明した時間と空間の秘密!
「タイムトラベルと並行宇宙の謎」〉
この世界と並行したもう1つの「宇宙」があり、そこには、もう1人の「自分」もいる。うん、これは私も感じている。困難な事態に直面して戸惑っていると、「パラレルワールドのもう1人の自分」が、からかうんですよ。「何だ鈴木、だらしないじゃないか。ビビってるじゃないか」と。「普段偉そうなことを言いながら、ダメだなー」と。それで、「何クソ!」と、こちらの世界の鈴木君が頑張るですよ。
そして、タイムマシーンの話に移る。「タイムマシーンに乗れたら、いつの時代に行って、誰と話したいですか」と寺ちゃんに聞かれました。「2.26事件に行って、北一輝に会いたいですね。あとは、大杉栄かな」と答えました。
「ムー」の記事。他には、
〈東北関東大震災の予兆だった!!イルカの集団異常行動の謎〉
イルカは予知してたんですよ。だから、イルカとは仲良くして、教えてもらったらいい。
そして、「ムー」の決定版は、これでした。
〈浮世絵ミステリー。
「東京スカイツリーは浮世絵に予言されていた!」〉
何と、歌川国芳が描いた東都名所ツアーの中の、「東都三ツ股の図」(1831年頃の作品)に、スカリツリーが描かれている。170年も前の絵に描かれている。場所も同じだ。井戸掘りの櫓か、火の見櫓だとされるが、ともかく、スカリツリーとそっくりだ。これは驚きです。
「誰かが後で描き足したのではないか」という疑いもあったが、絵の顔料の成分などから、それはないという。不思議な話だ。スカイツリーを設計した人が、どこかで見ていて、それがイメージされたのか。あるいは、パラレルワールドのもう1人の国芳が今、設計してたのか。科学的解明が待たれるところです。
5時に私の出番は終わりのはずだったが、今週も、ダブルコロンさんと一緒に6時までお付き合い。「謎かけ」の天才ですね。楽しかったです。アッという間に6時になりました。
それから、急いで高田馬場へ。7時から、ホテルサンルートで一水会フォーラム。和田春樹さん(東大名誉教授)の「昨今の日朝関係を考える~日朝関係に打開策はあるのか」。なかなか刺激的な話で、思い切った提言もあり、勉強になりました。参加者は、考えの違う人も多かったと思いますが、それでも皆、真剣に聞き入ってました。
終わってから、活発な質疑応答がありました。さらに、二次会会場でも、先生に皆、質問をしてました。私も、先月、北朝鮮に行って来た話をし、日朝国交のこと、「よど号」グループのことをお聞きしました。
「日本よ。今…闘論!倒論!討論!2011(220回目)」で。
〈原子力発電の未来を問う!〉
専門家ばかりが出る、その中に私のような素人が出ていいのかな。怖いな、と思ったが、「パラレルワールドのもう1人の私」に、「だらしないな。出なよ!」と言われて、出ました。勝ち、負けじゃないよ。原発推進派の人々の話をじっくり聞くだけでもいい勉強になる。その中で、自分の疑問も聞いてみたい。そう思って出ましたよ。
パネリストは8人。「原発推進派」は次の4人。
そして、「原発反対派」は、次の4人。
そして司会は、水島総(日本文化チャンネル桜代表)
3時間の闘論でした。でも、皆に、じっくり喋らせようという配慮があり、建設的な討論になった。これはよかった。「私は原発は必要だと思い、そう言ってきたが、今回の事故で変わった。反対派になった」と西尾氏。
これは勇気のある発言だと思った。西尾氏とは、大阪の「たかじん」の時は、「女帝論」で反対の立場だったが、今回は、全く一致していた。
それに前田さんも、「『ザ・コーヴ』の時は〈敵〉でしたが、今回は味方同士です」と言ってくれました。
これもいいですね。それに、「原発推進派」の人たちも、キチンと論理的・理性的に話してくれる。どうしても、こういうテーマだと、つい感情的になって、大声をを出して潰し合いになるケースが多いが、それはなかった。
エネルギーとしての原発が必要なら、その安全計画を今後、どうするのか。又、代替エネルギーはあるのか。地熱、風力、波力など、その可能性などについても具体的に話し合った。
罵倒し合ったり、堂々巡りになることもなく、とてもいい議論になったと思う。「推進派」の人にも、これからも会って、いろんなことを聞いてみたいと思った。これだけ具体的・建設的な討論も珍しい。私1人が勉強不足で、話についていけなかった感じで、申し訳なかったが。
④4月13日(水)、文化放送。「夕やけ寺ちゃん活動中」。寺ちゃん(後ろの左)、ダブルコロンさん(右)。私の右は貞金(さだかね)アナウンサーです。午後6時、本番が終わった直後に。いつもお世話になっております。謝謝。
⑥一水会フォーラムのあとの打ち上げで。和田先生の左は木村三浩・一水会代表。手前左は、この日のためにアメリカから聞きに来たスミスさん。経済に詳しくて、皆に、アダム・スミスと呼ばれてました。前にNHKの番組に出てたな。じゃ、有名な人かな。
⑦4月12日(火)新橋を通りかかったら、SLの前で裸の女の人たちが踊ってました。なんだ!と思って近寄って、シャッターを押しました。裸ではなく、フラダンスの人でした。(近いけど)。「がんばっぺ!いわき」のキャンペーンでした。「常盤ハワイ」があったんでハワイアンなんですね。「いわきの農産物は安全!」とキャンペーンしてました。
4月13日(水)、文化放送に出た時、寺ちゃんも行ったと言ってました。イチゴをもらいました。食べました。おいしかったです。
⑧4月12日(火)新橋でハワイアンを見て、高田馬場に行きました。『紙の爆弾』の対談です。「自殺サイト」で知り合って結ばれたという2人です。「雪山凍死オフ」に参加して、本当は亡くなっている2人です。「ゴースト・高田馬場の愛」です。右の人は、生きてます。多分。
⑨劇団再生の女優・あべ・ジャイアントパンダ・あゆみさんです。本当は「あべ・あゆみ」というんですが、誰かが、「大きなあゆみ」と呼んで、さらに誰かが、「ジャイアントパンダ」というミドルネームを付けたのです。だから、写真を撮ってもリアクションがオーバーです。「大きなあゆみ」です。
⑩4月10日(日)午後2時から、高円寺の「反原発」デモに行きました。「素人の乱」の松本哉さんが呼びかけたのです。凄い人でした。1万5千人の若者が集まりました。「若者の神様」雨宮処凛さんが挨拶してました。元気いいぞうさんが歌ってました。
そしたら、私も呼ばれて、挨拶させられました。前に進むのだけでも大変でした。そのあと、チンドン屋の人たちを先頭にして、楽しいデモに移りました。「反戦」「反原発」のチンドン屋さんです。だから、ハンチントンです。これも「文明の衝突」です。
⑫呼びかけ人の松本哉さん(中央)、そして、池田香代子さんと(右)。ほっぺに反原発のシールを貼ったおっちゃんもいますね。池田さんは他のデモが終わってから駆け付けました。デモのハシゴです。こっちは凄いね。若い人ばかりで、と言ってました。
松本さんは、「今日は7500人です」と発表してましたが、あとで新聞や警察発表では1万5千人でした。主催者発表の方が少ないなんて、何と、謙虚な人なんでしょう、と驚きました。