どこの本屋も活気がある。人が多い。本が売れている。特に原発、放射能関連の本だ。広瀬隆の本や武田邦彦の本を初め、どこも、原発コーナーを設けている。どこの書店も、関連本が何十冊と積み上げられている。他にも地震、津波の本などもうずたかく積まれている。「出版不況。本が売れない」というのは嘘だ。こんなに売れてるのに…と思ってしまう。
「おかげで『週刊金曜日』も毎週、売り切れですよ」と佐高信さんが言う。そして今週号(4月15日号)を見せてくれた。特集は、〈電力会社に群がる原発文化人の罪〉だ。養老孟司、茂木健一郎、勝間和代、アントニオ猪木…と、実名が挙げられ、批判されている。凄い。凄すぎる。「じゃ、下さい」と言って、ひったくるようにして、もらった。
内容も濃いし、激しい。
原発文化人への論告求刑(佐高信)
電力会社が利用した文化人ブラックリスト
TBSラジオを降ろされた真相(上杉隆)
=東京電力・電事連がもたらす「大本営発表」=
見事に斬りまくっている。佐高信さんは、最近まで『週刊金曜日』の社長だった。今は社長を辞めた。「じゃ、今は会長ですか?」と聞いたら叱られた。「元の編集委員に戻ったんだよ。社長の次は会長だ、という日本の企業の悪しき体質を我々は批判しているのだ」と言う。すみません。
佐高さんの「25人への論告求刑」は、リードにこう書かれている。
〈各電力会社や関連団体は、原発の「安全性」やイメージ向上を図るため、多くの著名人をPRに用いてきた。原発推進の一翼を担ってきた彼ら彼女らを佐高信が斬る〉
25人が著書で書いたこと。対談での発言。テレビでの発言を調べ、糾弾する。たとえば、勝間和代は、「放射性物質が怖いと思われていることに問題がある」と、「朝生」で発言している。弘兼憲史は、「石油はこの世からなくなってしまう。はっきりゆうて原発反対なんて言ってる場合じゃない」と言っている。
北野武なんて、こんなことを言っている。
〈原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうするんだ』とか言うじゃないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはず。だから、地震が起きたら、本当はここへ逃げるのが1番安全だったりする(笑)。でも、新しい技術に対しては『危険だ』と叫ぶ、オオカミ少年のほうがマスコミ的にはウケがいい〉
これは、『新潮』(2010年6月号)で原子力委員会委員長の近藤駿介(東京大名誉教授)と対談した時の発言だ。これに対し、佐高さんは言う。
「原子力発電所に逃げるのが一番安全なら、たけしはいまこそ、福島の原発に逃げたらいいだろう。専門家であるはずの近藤の対答もひどいが、たけしの暴走には歯止めがない。次の発言には絶句するばかりである」。
では、その「絶句」した発言だ
〈相変わらず原子力発電に反対する人もいるけど、交通事故の年間の死者の数を数えて、自動車に乗るのを止めましょうとは言わない。やっぱり使ったほうが便利だからね。どうも原子力発電というとリスクばかり言う傾向があるけど、実際、おいらたちはもっとリスクのある社会に生きている。変質者に刺される確率のほうがよほど高いって(笑)〉
又、アントニオ猪木の「青森県知事選挙応援事件」を紹介している。猪木の秘書だった佐藤久美子の『議員秘書 捨身の告白』(講談社)を引いて、こう言う。
〈最初、原発一時凍結派の候補から150万円で来てほしいと頼まれた猪木は、その候補の応援に行くつもりだったが、推進派のパックにいた電事連から一億円を提示され、あわてて150万円を返して、そちらに乗り換えたというのである〉
ひどい話だ。でも、猪木信者にとっては、「何をやっても許される。猪木らしい」と言うのかもしれない。最後は、原発CMに出ていたタレントを斬る。渡瀬恒彦、星野仙一、森山良子、岡江久美子、中畑清…らだ。その人たちについて、「売る芸がないから身を売る」と斬って捨てる。何とも凄い事を言う。
こういう人たちは、今でも原発が安全だと思うのなら、そう言うべきだ。間違っていたと思ったら、謝るべきだ。いや、2倍、3倍にして、被災地へ送るべきだろう。タレントの中には、よく知らなくて事務所に言われるままに、「仕事」と割り切って出た人もいるだろう。「マズイ。悪かった」と思っても、事務所が謝ることを許さない。ということもあるだろう。だったら、事務所を辞めてでも、本人の誠意を貫くべきだろう。
昔、北海道の原野を〈高級住宅地〉だと偽って売った会社があった。山に登り何時間も歩かなくてはならない。明らかに「詐欺商法」だ。有名な俳優が広告塔に利用されていた。会社の人間は逮捕されたが、俳優は、「私も騙された。私も被害者だ」と言って、お咎めなしだった。
しかし、変だろう。多分、俳優は、事務所から言われ、事務所を信じて広告に出たのだろう。だから、「騙された」のも本当かもしれない。しかし、土地を買った人は、「その大物俳優が薦めてるのだから」と思い、安心して買ったのだ。だったら、一番罪は重いだろう。本人が一生かかっても賠償すべきだと思う。
ともかく、「週刊金曜日」は凄い。佐高さんも、社長を辞めて編集委員に戻ったので、時間も出来、思い切って書けるのかもしれない。いいことだ。それにしても、「売る芸がないから身を売る」なんて、凄いことを言う。訴えられたらどうするんだ。その時は闘いますよ、と言うが、今時、こんな思い切ったことを言う人は、他にいない。「竹中労さんのようですね」と言っちゃった。そうだ。竹中さんなら、言ったね。そして今は、佐高さんだけだ。
あっ、いけない。これでは、「週刊金曜日」の話と原発の話だけで終わってしまう。大体、佐高さんに会ったのも、別の話をする為だったんだ。4月18日(月)、午後4時から河出書房新社で会ったのだ。それも、竹中労さんについての対談だ。
竹中労さんは、無頼のルポライターだ。アナーキストだ。偉い人を斬りまくった。その斬り方に、佐高さんはシビレ、学んだという。そういわれると、「「売る芸がないから身を売る」なんて、斬り方が竹中的だ。実は、竹中さんの本を読み、その斬り方に心酔し、学んだ人は多い。
大袈裟に言えば、「物書き」を目指した人は、全て、竹中さんを意識し、竹中さんに学んだはずだ。ただ、そのことを正直に言う人は少ない。
ライターは皆、「ネタ本」を隠すのだ。自分がオリジナルだと、見せたいのだ。その点、佐高さんは正直だし、偉いと思う。私も、竹中さんには、もの凄く影響を受けた。思想的にもそうだし、又、人脈的にも竹中さんのおかげで、グンと広がり、世界が広がった。人間も変わったと思う。佐高さんとは、そんなことを話した。
竹中労さんは1991年に亡くなった。今年で、没後20年だ。それを記念して、河出書房新社では本を出したいという。いろんな人が竹中さんの思い出を話し、書く。その一環として、佐高さんと私は対談をした。
編集部の人が、竹中さんの本を机の上に並べる。厖大な量だ。これでも一部分だ。竹中さんについて書かれたものも多い。今、手元に、別冊宝島の『日本アウトロー列伝』がある。竹中さんについては、こう書かれている。
〈芸能、社会、時事、何でもメッタ斬り。反体制を貫いた“元祖ルポライター”〉
“ルポライター”という言葉は竹中さんの造語だという。又、こんな有名な言葉を残している。
「人は、無力だから群れるのではなく、
群れるから無力になる」
まさに、今のマスコミ人、原発に群れる文化人のことを言っている。
もう一冊、竹中さんを特集したムック本がある。『中州通信』(1998年3月号)だ。「元祖ルポライター 竹中労の軌跡。無頼のゆめ」だ。
パラパラとページをめくっていたら、あらら、私の写真も出ていた。竹中さんは上野の木馬亭で、よく独演会をやっていた。毎月やっていたのかもしれない。
時にはゲストを呼んでやったこともある。私も、そこに呼ばれたのだ。竹中さん、猪野健治さん、そして私だ。テーマは、「大東亜戦争を語る」。1977年12月8日、と出ている。もう34年も前じゃないか。でも、同じ背広を着ている。貧乏だから背広は1着しか持っていないのだろう。かわいそうに。
1977年というと、産経新聞をクビになってから3年目だ。1975年に『腹腹時計と〈狼〉』(三一新書)を書き、それが縁で竹中労、太田竜、平岡正明といったゲバリスタと知り合った。それが私にとっては大きな転機になった。そんなことを佐高さんと話した。
竹中さんと佐高さんは似てるのに、でも一度も会ったことはないという。勿体ない話だ。私は、随分と可愛がってもらったし、叱られもしたし、多くのことを教わった。よく、独演会、抗議集会などをやっていた。そこで多くの人を紹介してもらった。私の左翼人脈はほとんどそこで生まれた。遠藤誠、千代丸健二、小沢遼子…さんと。珍しいところでは、漫画家の巨匠、手塚治虫さんも紹介してくれた。隣りに座って、長時間、話をしました。
ちょっと横道に外れるようだけど、3月1日~5日の北朝鮮訪問、「よど号」会見記は、いろんなところに書いた。このHP、レコンキスタ、「創」、マガジン9、月刊タイムス…と5つだ。少しずつ変えて書いてるが、まあ中味は一緒だ。「月刊タイムス」に書いたのが一番詳しい。だから、4月18日に佐高さんに会った時に渡した。そこに書いたのだが…。
僕は「よど号」グループとは初対面だ。でも、小西さんは「31年ぶりですね」と言う。不思議だな、と思ったら、31年前に訪朝した古屋能子(よしこ)さんが、「新右翼に鈴木邦男という面白い男がいる。ぜひ会ってみなさい」と勧めたという。それ以来、意識していたという。多分、その直後から、機関紙を交換し合ったりして、連絡を取り合ったのだ。
「あっ、古屋さんだろう。私も知ってますよ」と佐高さんは言う。「いつも和服を着てた人だよね」。そうです。べ平連の関係者です。じゃ、小沢遼子さんのパーティで紹介されたのかもしれない。小沢さんは竹中さんが紹介してくれた。そうすると、「全て」は竹中さんから出てるのかもしれない。
竹中さんのことは又、思い出しながら、じっくり考えてみたいと思います。
「編集長は見た!」のコーナーは「サピオ」の三浦和也編集長。今週の特集は…。
〈「助け合う日本人」の陰で跋扈(ばっこ)する「残念な人々」〉
便乗値上げ、あやしげな宗教団体…など。
さらに、
〈将来230基増設の大建設ラッシュ!
「中国原発」で危惧される「3つの不安」〉
これは怖いですね。日本も速く収束し、脱原発をやって、だから中国も教訓にしろ!と言ってほしい。
⑨プラカードを見たら、「剛腕維新」「日本再生の礎・小沢一郎」「東北はオザワだ」「誰が小沢一郎を殺すのか」…といったのが多い。あれっ、「脱原発社会を作ろう!」デモだと思ったけど。でも、チラシを見たら、もう1つ、「菅首相は危機対応に失敗した責任を取れ!」と書かれていた。小沢待望の人たちが多いデモでした。
⑫4月15日(金)午後3時から、ロシア大使館の中で記者会見があり、出席しました。ロシアから来日した露連邦医療生物学府のウラジミール・ウィバ長官(真ん中の人)が会見。「東京の放射線、モスクワより低い」と話してました。又、露外務省に「訪日自粛制限を解除するよう提案したい」と語っておりました。終わってロシア連邦大使館のM・M・ベールィさんと話をしました。