暑い日だった。頭の中もヒートアップした。ジュンク堂も暑かった。熱い討論が行われた。雨宮処凛さんと。
そしてこの日、私の本が出た。さらに、「週刊金曜日」に私の原稿が載った。
又、この討論中、「よど号の柴田さんが亡くなりましたよ」とiPhoneを見せてくれた人がいた。58才じゃないか。若すぎるよ。6月24日(金)は、そんな日だった。
そうだ。この日の昼は、神田で本の打ち合わせをしていた。難航している。又、ジュンク堂には他の出版社の人が来ていて、「ちゃんと仕事やらなきゃダメですよ」と叱咤された。必死にやってます。
「私も月に30冊は本を読んでます」と雨宮さんが言っていた。驚きましたね。全国を駆け回り、講演に原稿に、寝る間もない忙しさなのに。どうやって時間を作ってるんだろう。
じゃ、2人で読書術の本を作ろう。雨宮人気で本は爆発的に売れるだろう。依存症だな。「ぶら下がる」生き方だな。それと、「ストーカー活用法」を言ってたな。
雨宮さんにはストーカーは沢山いるけど、デモや集会の時に、仕事を与えて、手伝ってもらってる、という。そんなこと出来るのかな。
この日は、2人の出版記念トークだった。本当は雨宮さん単独の出版記念だったが、私の本も出たので、急遽、加えてもらったのだ。2冊とも創出版だし、『ドキュメント雨宮☆革命』(1500円)だ。
雨宮さんの本は、5月13日に発売され、書評でも随分と取り上げられている。革命的、爆発的に売れている。私の本は、この日、見本が出来上がったばかりだ。トークのために大急ぎで間に合わせたそうだ。6月28日(火)に全国発売だそうだ。現在の私の考えていること、行動してること。その〈全て〉が入っている
〈右翼というより、アナーキスト。鈴木邦男は、いま最も過激で面白い人物だ!〉
という田原総一朗さんの言葉が本の帯には書かれている。ありがたいです。私なんて、時代に流され、ただ、ボーッとして生きてるだけなのに、こんな言葉を頂いて、恐縮しています。
それに表紙は、私の写真だ。恥ずかしいですよ。私ごときが。
後ろには、私の「戦闘シーン」が載っている。あっ、こんなことがあったな、と思い出す。いろんなとこで闘っている。叫んでいる。殴られている。そんな闘いの日々の記録だ。帯には、私の文章が。
〈今は駅前でも大学でも政治的ビラをあまり見かけない。郵便受けにビラを入れただけで逮捕される時代だ。右翼も左翼も含め「危ない連中」の表現や言論は一切排除した「清潔な日本」なのかもしれない。でも、こっちの方が本当のファシズムじゃないか〉
「本文より」と出ている。私も過激なことを言ってる。挑発している。この本は、私の「集大成」ですね。
この本は、写真もふんだんに入っているし、章分けもうまい。編集をやってくれた「椎野企画」のレーニンさんと高橋さんがうまいのだ。基本的には月刊「創」の私の連載をまとめたものだ。
しかし、古いものから時系列でまとめたのではない。テーマ毎に大胆に分け、編集し直している。又、ロフトでやった過激なトークを再現してるし、巻末には、田原総一朗さんが特別出演してくれて、対談が入っている。〈「天皇伝説」をめぐる右翼との激闘〉も入っている。
凄い。編集をした人は本当に大変だったと思う。ありがとうございました。
大きく分けて4章だ。それだけを紹介しよう。
そして、「番外編」の激論や対談が各章に入っている。巻末の田原さんとの対談は、
〈無難を求めるマスコミは本当につまらなくなった〉
田原さんも、いいのかな。こんなことまで言って。と私は心配しました。それだけ、腹を括った発言でした。
椎野企画のお二人にお世話になるのは、これで3回目だ。川本三郎さんとの対談本。『遺魂』、そして今回だ。どれも、「編集がうまいね」と言われている。
私の喋ったこと、書いたことは拙いが、編集のうまさで、読ませるものになっている。プロの編集者をも唸らせる腕だ。自分はこういうふうに覚悟をし、こんな闘いをし、思想もこう進化してきたのか。と、自分でも初めて気がついた。これは新しい「自分発見」だった。こんな体験をしたことは初めてだ。
たとえば、第1章では、「右翼の原罪」から始まり、街宣や、活動、告発、表現と暴力などについて考えている。
第2章は、「よど号」への関心。田中義三さんの死。初めての北朝鮮。そして今年3月、やっと、「よど号」グループに会った。私の中の、「よど号」物語になっている。これで完結ではない。これからも続く。
第3章は、「映画」にこんなに関わってきたのかと気づいた。「太陽」「あんにょん、サヨナラ」「Tokko(特攻)」、「ザ・コーブ」。そして連合赤軍の映画などだ。
表現は全て自由にしたらいい。その上で、それを素材として討論したらいい。
ところが、「こんなものは見せるな!」と言って上映阻止をする。それじゃ、「考える材料」もなくなる。それはマズイだろう。
それに、阻止運動をやられた映画は、皆、凄い問題提起を秘めている。それから逃げてはダメだろうと思う。
第4章は、さらに進化する私の「現在進行形」だ。40年の活動家生活の中から、悩み、つまずき、そして考えたものだ。ここの部分だけを紹介してみよう。
ニューヨークでは、ベアラさんたちと討論してきたな。去年の夏の、木村三浩氏が主催した「愛国者インターナショナル」のことも書いている。アムネスティやグリーンピースの話もある。私も、まだまだ発展途上だ。勉強中だ。いいことだ、と思った。
6月24日(金)のジュンク堂では、そこまでの話は出来なかった。私は、雨宮さんの本は全て読んでるし、デビュー作には「解説」を書いている。
今回の本も、付箋をはさんで、読んだ。「よし、このことを話そう」と思っていた。ところが、雨宮さんに見つかってしまった。
「あっ!付箋に文字が書いてある。ナニこれ!『1万円』とか。『AV』とか書いてるよ!」と言っていた。ヤバイな。話をしようと思ってたことをバラされてしもうた。
だから説明しましたよ。雨宮さんはプレカリアートの運動をしている。貧しい人が沢山集まってくる。時には、〈神〉にすがるように電話をしてくる人がいる。ネットカフェにいて、金がなくて、出れないとか…。
そんな時、駆け付けて助け出し、1万円を貸してあげた、という。偉いね。そこまでやるのか。だから、そこに付箋をはさんでいた。そんなことがよくあるのだろうか。聞こうと思った。
それに、仕事はどんな事でも断らなかった。でも、断ったのが2つあるらしい。
〈さて、先に、デビュー当時は「仕事は断らない」ことを優先させてきたと書いたが、そんな私でも断った仕事というのがいくつかある。特に記憶に残っているのは「戦時下のイラク・バグダッドでのAV撮影」だ。えーっと、突っ込みどころがありすぎて、どこからどう突っ込んでいいのかわからない…〉
これは面白い。何故、断ったんだよ。今からでも遅くない。ぜひ、やってほしい。日本の男たちは皆、買いますよ。私も買いますよ。
〈もうひとつ記憶に残っているのは「女優として自主映画への出演。役は、北朝鮮の工作員が足しげく通うスナックのママ」…。これも断ったんだけど。ちょっとやってみれば良かったかなと思っている〉
これも、ぜひやってほしいよ。このスナックのママさんは、「よど号」メンバーと結婚した人だ。八尾めぐみさんだ。日本に帰ってきて、ヨーロッパで有本さんたちを拉致したと認め、謝罪し、本を出した。その夫だった「よど号」メンバーは、実は、この日、亡くなったと発表された柴田泰弘さん(58)なのだ。
今、産経新聞6月25日(土)付を見ているが、出ていた。
〈よど号事件最年少 柴田もと受刑者死亡〉
と、1970年の「よど号」ハイジャックに加わって、9人の赤軍派の中では、最も若く、16才だった。「えっ、お前、高校生だったのか?」と、当日、他のメンバーも驚いていたそうだ。
国内潜伏中の63年に逮捕、服役後の平成6年に出所していた。
〈妻だった女性は、英国留学中に北朝鮮に連れ去られた神戸市出身の有本恵子さん拉致への関与を認める証言をしている〉
そして、この「元妻」を主人公にした映画も出来る。それを雨宮さんが演る、という話だったんだね。ぜひ今からでもやってほしい。ついでに、イラクでのAV撮影も入れて…。私も協力しますよ。
しかし、今年は随分と活動家たちが亡くなっている。「人権110番」の千代丸健二さん。連合赤軍の永田洋子さん。ブントの荒岱介さん。日本赤軍の丸岡修さん。そして「よど号」の柴田泰弘さんだ。多すぎるよ。
それと、この日、『週刊金曜日』(6月24日号)が発売になった。「原発いらない。東電解体」の特集号だ。私も原稿を書いている。1か月かけて書いた。
〈“東電丸抱え”と報じられた訪中団。「中国ツアー」に見るマスコミと金〉
だ。この「中国ツアー」に参加した元木昌彦さん(元「週刊現代」編集長)、平野裕さん(元毎日新聞社専務)、そして、ツアー責任者の石原萠記さん(元『自由』発行人)に、約10時間にわって話を聞き、まとめた原稿だ。赤岩記者にはとてもお世話になりました。ありがとうございました。
⑦元連合赤軍兵士で獄中27年の植垣康博さん(中央)。右は5才の息子さん。小さな車のオモチャで遊んでました。でもパトカーだけはない。「お父さんと2人でパトカーに乗りたい」と言ってます。「でも、お父さんだけ、乗ったことがあるんだ。ズルイ」と言ってました。植垣さんいわく、「この前なんか、突然、『お父さん、赤軍って何?』と聞かれてビックリした」。
⑧6月18日(土)夜。大河漫画「柔侠伝」作者、バロン吉元さん(右)と植垣康博さん。植垣さんは昔からのファンで、店の名前も「バロン」です。お二人を私が紹介しました。我々3人のトークがネイキッドロフトで9月2日(金)に行われます。ご期待下さい。植垣さんは、手を吊ってます。骨折したのだそうです。
⑬6月11日(土)、新宿のデモに参加しました。終わって、参加者と飲みました。中央は青砥幹夫さん。元連合赤軍兵士で、20年間獄中にいた人です。右は元赤軍派の金廣志さんです。指名手配になり、15年間逃亡し、時効になって、堂々と社会復帰した人です。今は、学習塾のカリスマ講師です。「文化放送、聞いてますよ」と青砥さん。「すみません、連合赤軍の謎かけをやったりして」。