「次郎君ならば、そんな誘惑に乗らずに、きっぱりと拒絶したと思います。そして、たった1人でも自分の信じる正義の道を進んだと思います」
と、その生徒は堂々と言う。エッ?次郎君て誰だと思った。皆で本を読んでる時だった。学校の授業だ。何の本を読んでたんだろう。東電の「接待ツアー」の話かな。原発文化人の話かな。誘惑に負けやすい人達だ。
でも、もっと前のような気がする。明治維新か。敗戦後のことか。ともかく、危機に臨んで、〈人間の決断〉を迫られた。「覚悟」を問われた。そんな場面だったようだ。
その時、「次郎君なら、こうする!」と叫んだのだ。その生徒は。
でも、次郎君て誰だ。その授業の教室には「次郎」君はいない。この日、話題にしている本や事件にも、「次郎君」はいない。皆も、キョトンとしている。
だから、私が代表して聞いた。「次郎君って誰なの?」。彼女は言う。誇らしげに言う。「勿論、森次郎君ですよ」と彼女は言う。ますます分からない。
「誰ですか、その森次郎君って?」
「ひどい!鈴木さんが紹介してくれたんじゃないですか。忘れたんですか!」
エッ?私が紹介したの。それで2人は交際し、その次郎君の感化を受けた。どんな時でも、「次郎君ならどう考えるか」と思う。それほど影響力のある人間になったのだろう。「次郎君」は彼女にとって、もはや神のような存在かもしれない。
そこまで考えて、アッ!と思った。「次郎君」は実在の人間ではない。非実在青年だ。だって小説の主人公だからだ。芹沢光治良(せりざわ・こうじろう)の大河小説『人間の運命』の主人公だ。宗教と人間、社会主義と人間、愛と人間…に真正面から取り組んだ小説だ。芹沢の自伝的小説だ。
長い小説だ。第1部が6巻。第2部が6巻。第3部が2巻。計14巻だ。でも、私は一気に読んだ。「読書ノート」を見ると、第1部第1巻を読んだのが03年2月15日になっている。ラスト(第3部第2巻)を読破したのが03年7月25日だ。5か月かかって全14巻を読破したのだ。
五ヶ月かかったけど、まあ、「一気に読んだ」と言ってもいいだろう。この5か月は、まさに「至福の5か月」だった。森次郎の世界にどっぷりと浸りきり、自分も『人間の運命』の世界を生きていた。
森次郎君は、天理教の熱烈な信者の息子として生まれ、信仰を生きながらも、宗教と現実社会のギャップに苦しみながら、成長する。常に、世の中を良くしたい、周りの人達を幸せにしたいと思いながら、傷つき、苦しむ。青年になり社会主義を知り、その運動にもかかわる。
「そんな男とは付き合うな」と彼女の家族からは拒絶される。愛とは何か。世の中の変革とは何か。神の愛とは何か。迷い、悩む。そして行動し、衝突し、失敗する。『失敗の天理教』『失敗の社会主義』だ。失敗の連続だ。
天理教だけではない。どこの教団も「ただ信心しているだけではダメだ。救われない。行動に移しなさい」と言う。「行動に移す」とは、本部に「献金」することだ。又、1人でも多くの人に教えを広めることだ。人はそのことで救われる。そのはずだ。
しかし、「行動で示し」「他人のために」活動することによって、今まで味わったことのない苦労もする。苦悩を持つ。それも神を知るための苦行なのだろうか。
本部の人は言う。「本部の普請に献金すれば、1粒千倍になって戻って来る。幸福の種をまくようなもので、自分たちも幸せになる」。そういって会員に無性にお金を出させようとする。
極端な例もある。自分の全財産を処分して献金する。次郎君のお父さんはそうだった。子供のことなど全く考えない。でも、「捨てられた」子供たちは大変だ。親類を頼って生き、やっとこさ生きる。
もっと酷い例もある。自分の娘を売って、その金を献金する。その事実を聞き、次郎君は疑問に思う。「そんな金で普請してもらい、神さまは喜ぶのか」。もし、喜ぶようなら、そんな神さまを真面目に拝む気にはなれない…。
もしかしたら、神は人間が「発明」したのかもしれない。だったら、「素晴らしい発明」のはずだ。どんな人間にも「清らかな心」「聖なる心」がある。あるはずだ。それを発見して、〈神〉と名付けたのかもしれない。
だが、この時から、人間の苦悩も始まった。「自分だけ幸せではいけない」「他人をも幸せにしなくては」という気持ちだ。宗教も、政治運動〈革命〉も共に持つものだ。
極端にいうと、これが「戦争の始まり」かもしれない。自分だけが幸せでいい。他人はどうなってもいいと思っていると、皆、バラバラだが、戦争は起こらない。
ところが、「邪悪な神を信じてる人を解放したい」「神を知らない人に知らせたい」という〈善意〉の気持ちから戦争は始まる。十字軍戦争がそうだし、北米、南米に侵略し、神を信じない「野蛮な人々」を殺すのもそうだ。
「娘を売ってまで献金するのは間違っている」と思う人でも、集団の狂気には気がつかない。今のアメリカだって、そうだ。アメリカのイデオロギーを受け入れない国は、力ずくで潰す。
話が先走った。宗教が生まれて人間は幸せになった面はある。と同時に、宗教が生まれたために、人の心が常に不安になり、常に罪の意識を感じるようになった。
又、これは「神の愛」だからと、他人への侵略や殺戮をも「合理化」するようになった。とも言える。
次郎君も悩む。フッと、こう思う。
〈信仰のない人の心は、せっかく自然のままで、この空のように晴れているのに、信仰したばっかりに、いらざる悩みが雲のようにかかって、自分で不幸をつくるようなことになりますからね〉
だからといって、信仰を冷ややかに見て捨てるのではない。宗教は必要だ。そして、とことん考える。苦悩する。
これはまさに、現代の『聖書』だ。『人間の運命』は、いわば芹沢の「精神の成長物語」だ。森次郎は架空の主人公でありながら、自分自身だ。だって、次郎は小説家になって、多くの人々と交わり、教えを受ける。
これらは全て、実際の話だ。たとえば正宗白鳥が次郎の小説を誉めていた。三木清が、「自分達の時代の森鴎外になってほしい」と言った。次郎は「故郷の我入道を小説に書いておきたい」と弟の五郎に言うと、弟は言う。
「それはいいアイデアですよ。兄さんは『蟹工船』を読んでいないでしょうが、小林多喜二が兄さんの小説を読んで、将来を期待しているそうですよ」
弟は兄に、プロレタリア小説を書いてもらいたいようだ。でも、それはムリだ。でも、宗教を舞台にした人民の苦しみ、喜びを書いてもらいたいと言う。五郎はさらに、凄いことを言う。男の仕事は「物書き」か、「革命家」だという。
〈ぼくは男として甲斐のあることは、物を書くか、政治をするか、二つだと思います。物を書くには才能と運がなければならないでしょう?政治をするには、革命家らしく生命をすてる勇気がいるでしょう。ところがぼくはその勇気も才能もないから、絶望です。兄さんは羨(うらやま)しいですね〉
五郎の言うことは説得力がある。男は「作家」になるか、「革命家」になるか。物を書くのは、もどかしい。と思った人間は、命をかけて革命家になる。そして、どんどん死んでゆく。今だって同じだ。
さらに、革命家はプライドが強い。宗教家と同じだ。「世のため、人のため」にやってるのだ、という「使命感」があり、これは宗教と似ている。
五郎君の友達で、今は革命家になった人がいる。宗教などで悩んでいる五郎君を救いたいと思い、レポの女を寄越す。「党に献金しろ。そうしたら、君は救われる」と言う。宗教と同じだ。しかし、党のカンパに応じただけでどれだけの作家が捕まり、拷問されたか知っている。レポの女に、五郎君は、はっきり言う。
〈ぼくは命が惜しいから、弱虫だから、君たちの真似はできない。どうぞ早見君に伝えて下さい〉
早見君からレポ(伝令)、オルグ(勧誘者」として派遣された女性は言う。
〈わたしは今日、お宅に上って、彼の心がよく分かりましたわ。革命が今にも起きるというのに、先生はこんな大きな家に住むブルジョワで、平然と生きているのですもの。革命が起きたら生かしておいてもらえないでしょうからね。今のうちに資金のカンパに応じて、早く党に忠誠を示しておきませんと…。彼は先生を思えばこそ、わたしをよこしたんですわ。彼の友情ですわ〉
そうなんだ。「友情」なんだ。金を出させてやるのだ。そして、革命が起こっても殺されないようにしてやるのだ。愛情だ。友情だ。革命も宗教なのだ。
もうすぐ地球は滅ぶ。選ばれた人間だけが、UFOに乗れる。それが出来るのに、なぜ、あなたは迷っているのか。金を惜しんでいるのか。そういって布教している人もいる。
「愛」なんて皆、いいかげんなものだ。「愛国心」も、「人類愛」も、むしろ、そんなものがない人の方が、素直で明るい。
共産党のオルグは、「あなたを思えばこそ、救ってやりたいのだ」と言う。五郎君は応じない。論争が終わって、五郎君は言う。
〈「卑怯者だと笑って下さい」と面倒になって言った。
「ええ、卑怯ですわ。敵に飼われて豚になったんですわ。革命が起きたら、真先に豚は四辻につれ出されて、見せしめのために、血祭りに上げられるでしょう」〉
怖いですね。資金カンパが得られなかったからといって、こんな脅し文句はないだろう。
宗教も革命も人間が考えたものだ。しかし、今や、その人間をも支配する。怖い話だ。人間の考えた「観念」が人間に取り憑き、その人間を突き動かし、「命だって惜しくない」と思わせる。自分の命だけならいい。他人の命をも要求する。
次郎君は、アンドレ・ジイドの小説の文句を思い出す。こんな言葉だ。
〈観念は人間と同じように生きている。観念は闘う。そして死にもする。勿論、観念は人間を通してのみ知り得るものと言えよう。それは、風が、それに吹き靡く葦(あし)によって知り得られるのと同様である。だが、風は葦よりやはり重要である。〉
〈…観念は人間によって存在する。だが、そこが実に悲壮なところだ。観念は人間を犠牲にすることによって、生きているのだ〉
この『人間の運命』は、日本人全てに読んでほしい小説だ。そう思い、学校でも、言ったことがある。そしたら、本当に全14 巻を読破した生徒がいた。急に頭が良くなり、世の中のことが分かり、何と東大に入った。君だって全巻読んだら東大に入れる。
それなのに、世の中の愚かな連中は、電車に乗ると、携帯ばかりやっている。メールばかりしている。「本を読めよ!」と思う。昨日なんて、前のイスの9人、全員がメールしている。馬鹿のように。
突然襲いかかり、携帯を叩き落としてやろうかと思った。「本を読め!こんなことをしてると後で後悔するぞ!『人間の運命』を読め!」と。
今は私のことを狂気と思っても、後で感謝するだろう。これは確実だ。真理だ。でも、勇気がないから、携帯を叩き落とせない。私は革命家にも宗教家にもなれない。
その全巻読破した生徒と、この前、渋谷の「反原発デモ」で会った。今度、高木尋士さんや高橋さん達と『人間の運命』を読む座談会をやるんだけど、来てよ、と言った。いいですよ、と言ってた。
こんな時に、こんな所で会うなんて、人間の運命だ。レーニンさんや白井さんも読んでるという。でも全14 巻を読破した人でないと入れてあげない。
そうだ。最後に追記だ。03年の2月から7月まで5ヶ月で、14巻を読破した、と言った。よほど暇だったんだろう。と思った。
ノートパソコンを見たら、何と、イラクに行っていた。第1冊目を読んで、03年2月15日からは成田からイラクに向かった日だ。じゃ、飛行機の中で、読破した。バグダッドでデモや集会に出ながら、夜はホテルで読み、飛行機の中で読んでいたんだ。
さらに、3月10日は、「赤報隊」事件が時効を迎え、私は記者会見をしている。信仰していると、いいことがある。神の国が訪れたのだ。
又、4月18日〜21日は、「フランス国民戦線30周年大会」に招待され、木村三浩氏と共に、ニースへ行った。この時も、『人間の運命』を何冊もフランスに持って行って、飛行機の中で、ただひたすら読んでいたのだ。最も忙しく、最も激動的な時期だからこそ、頭に入り、考えながら読んだのだろう。
実は、『人間の運命』のことは、7月2日(土)の「仏教を考える会」で講師に呼ばれた時に、少し喋ったのだ。こんなに多くは喋らなかったが、少し話し、あと、日蓮宗のこと。なぜ右翼には日蓮主義者が多いのか(北一輝、井上日召、田中智学、石原莞爾など)…。又、創価学会をどう見てきたのか。について話をした。そのことを書く予定だったが、紙面が尽きてきたので、次の機会に。
又、『右翼は言論の敵か』で、中村武彦先生のことを取り上げた。右翼思想家だ。実は、その先生から、私は芹沢光治良の存在を初めて聞いたのだ。そのことも又の機会に書こう。アウフビーダーゼーエン。
①青木理さん(ジャーナリスト)と対談しました。7月8日(金)です。『紙の爆弾』の来月発売号に載ります。「死刑問題」を中心に話してもらいました。面会室で死刑囚の写真を撮り、大きな問題提起をしました。私は快挙だと思いました。これを契機に皆で、死刑の問題は、真剣に論ずべきだと思います。
③7月9日(土)、日本大学法学部三崎町キャンパス。「死刑廃止国際条約発効20周年記念集会」に行きました。集会の後、デモに行きましたが、「死刑台」もデモしました。絞首刑のロープも、実物そのまま(らしい)。後ろに「死刑囚」が控えています。
⑫鹿砦社が、訴訟を起こされて闘ってましたが、二つとも「不起訴」。その祝賀会が7月12日(火)、東京湾の屋形船で行われました。夜9時から陸に上がって二次会。私もそこに合流しました。松岡社長と2人でピースサインです。
ツイッターを始めたので大忙しです。でも一挙に1000人の友達が出来ました。励まされております。
@SuzukiKunyonです。