日の丸を先頭に「脱原発デモ」が進む。日本を愛するが故に、「原発はやめろ!」と叫ぶ。〈福島の子供たちを救い出し、麗しき山河を守れ!〉と主張する。これが統一テーマだ。これは歴史的なデモだ。歴史を変えるだろう。日本を変える!
「7.31 右から考える脱原発集会&デモin東京」が行われた。呼びかけ人代表は針谷大輔氏(統一戦線義勇軍議長)だ。実に勇気ある行動だ、と感動した。批判・反対も多かっただろう。
「何故、右翼が脱原発なのだ」「左翼を利することになる」…と。その状況の中で、敢然と、勇気を持って立ち上がった。これは画期的なことだ。
7月31日(日)は朝から小雨が降っていた。「雨じゃ、中止かな」と思った人もいただろう。私だって、そう思った。集会をやっても、大雨になったらデモは出来るのかな、と不安だった。
傘を差して、当日は会場へ向かった。午後2時、芝公園23号地。ここが集合場所だ。ここで集会をやり、その後、デモに移る予定だ。早く来たせいか、まだ人は少ない。時間が近づくと、どんどん人が来る。マスコミの取材も多い。
だって、そうだろう。関心がある。興味がある。「何で右翼が脱原発なんだ?」「右翼は皆、原発推進ではないのか?」。右翼が「脱原発」を言うだけでも大事件なのに。さらに集会をやり、デモをやるという。どんなことをやるのか。何をやるのか。ぜひ、行って取材しなくては…と思ったのだろう。
「右から考える脱原発」と銘打ちながら、決して右翼ばかりではない。呼び掛け人代表が右翼の人だ。でも賛同人には、いろんな人がいるし、集会にも、一般の人を含め、幅広い人々が来ていた。
ロフトプラスワンの平野悠さん、元大阪高検公安部長の三井環さん。外山恒一氏のグループ、それに、元「戦旗派」の早見慶子さん。などだ。どっちかといえば、「左翼的」な人々もかなり多い。「右から考える」と書かれても、気にしないで出てくれた。これはありがたい。又、日の丸以外は右翼・民族派を表すものはない。これは爽やかだったし、スッキリしてよかった。
「右翼のデモというから、恐い人たちが黒い街宣車を連ねて行進するのかと思いました」と言う人もいた。そんなものはない。これは、よかった。
この集会&デモをやるために、何度も準備会をやったという。この中で、いろんな注意事項が出て、事前に通達された。その2番目に、こんな言葉がある。
〈各団体の幟や旗及び趣旨に相応しくないプラカードや服装・言動はお断りとさせていただきます〉
これはいい。脱原発を訴えるのが目的だ。それなのに、「せっかくだから、日教組打倒!も入れよう」「中国は許さんぞ!」「北朝鮮を制裁しろ!」なども入れよう…となったら、肝心の「脱原発」が霞む。日の丸以外に、右翼色は全くない。淋しいと思う人もいるだろう。
しかし、それがよかった。沿道の人々も、初めは「日の丸」と「脱原発」に戸惑っていた。
しかし、右翼・民族派の人々も「脱原発なのか」と思い、心打たれて、拍手していた。
だったら、「右から考える」もいらないだろう。と思うかもしれないが、政府、国会議員、東電、経産省などに対しては、与えた影響力が大きい。今までは「左翼の運動だ」と思っていたのに。いや反対の右翼も立ち上がった。となったら、彼らも焦る。その意味で〈効果〉は大きい。
日の丸以外は右翼色はないと言った。これは、スッキリしていた。たとえば、当日、取材に来ていたマスコミの人もそう言っていた。たとえば、8月15日の靖国神社に比べたらいい。戦闘服だけでなく、軍服を着、突撃ラッパを吹き、サーベルを抜く人もいる。そして集団で行進する。「8月15日、靖国神社」にだけ突如現れる現象だ。普段は、街でこんなシーンを見ることはない。日本中、どこでもない。
ところが、8月15日を取材するマスコミは、〈変わったこと〉を探しているし、この「旧軍人」「軍人らしき人」たちを撮り、世界中に配信する。そうすると、世界中の人々は思う。驚いて叫ぶ。「おう!日本は又、戦争を起こす気か!」と。
そんな〈誤解〉をさせないためにも、「注意事項」を徹底したのだ。それに、デモコースもいい。
集会が終わり、午後3時半からデモ行進だ。3時半に出発し、5時頃、解散地点の水谷橋公園に着く。それまで、2時間のデモだ。東電前を通る。中部電力東京支社の前を通る。経産省前も通る。これだけのコースを、よく許可したものだ。だって、血の気の多い人もいる。「よし、突入しよう!」「座り込みをやろう!」という声も出る。そういう過激な声は通りやすい。
しかし、心配は無用だった。主催者側が、細心の注意を払って、デモを進める。これは主催者側が特に気を使ったことだろう。
東電、経産省前では針谷氏が、大演説をし、激しく糾弾する。さすがは現役の活動家だ。迫力が違う。
これは針谷氏でなくてはとても出来ない。「原発の安全神話は完全に崩れ去った!」「麗しき山河を守るために、脱原発を!」と叫ぶ。「国の宝である子供の命も未来も考えないではないか!」と糾弾する。
デモの呼び掛け文にはこうも書かれている。
〈戦中の大日本帝国は戦時下の大変な最中でも国の宝である子供たちを疎開させています。我々は先祖から与えられている麗しき山河を守らなければいけない立場にあると思います。それで左翼の運動と言われていた反&脱原発運動を本来やるべき右の側の視点、発想で捉え、脱原発の在り方を考えたく、この運動を立ち上げました〉
これはいい。好評だった。動画でも流されている。このHPでも動画を流す。又、針谷氏のHPを初め、多くのHPでも取り上げられている。さらにはツイッター、フェイスブックでも語られている。
今回は「in東京」のデモだ。これからはさらに、地方に、そして全国でやるのだろう。又、シンポジウムなども開催する予定だという。この勇気ある立ち上がりによって、日本も大きく変わるだろう。
この集会とデモについては私も、「マガジン9」でも書いた。ツイッターでも呟いている。週1回更新のHPより、毎日、呟くツイッターの方がニュースとしては新しい。しかし、HPでは、こうして、じっくりと書ける。各々、長所がある。他に、雑誌の連載や、長い原稿も書いてるし、大変だ。
今年の夏は、今までで一番、忙しい夏だ。原稿や、仕事やデモや、それに、柔道をやったり、肉体的にも精神的にも、かなり、厳しい夏になっている。夜、遅く帰ってきて、でも、朝早く起きて、原稿を書いている。この一週間だけ見ても、ハードだったな、と思う。
7月31日(日)は、集会で演説した。そのあと先頭でデモをした。2時間も歩いただろう。先頭だから、大声も出すし、拳も突き上げる。終わって、ヘトヘトだった。
8月1日(月)夜、柔道に行った。疲れてるんだからやめりゃいいのに、時間を見つけて稽古し、強くなりたいと思う。左膝が悪いのに、この日は、叩きつけられて、右足首を捻挫した。足を引きずりながら帰ってきた。痛くて眠れない。
8月2日(火)は、元「ザ・ニュース・ペーパー」代表の杉浦正士さんと、荻窪でトークライブ。昔、武闘派で暴れていた時の話をする。3日(水)は、文化放送。やはり武闘派時代の話をする。
そして、4日(木)だ。ツイッターでも呟いたが、この日は、もう死ぬかと思った。だって、朝から、4時間半も、ダイビングの特訓を受けたのだ。あまり泳げないし、10年振り位に泳ぐのに、いきなり、5メートルの深いところで、潜水訓練だ。シュノーケルをつけ、ウエットスーツを着、フィン(足ひれ)をつけて、本格的な訓練だ。インストラクターは優秀な人なので、随分勉強になった。この日だけで、かなり潜水できるようになった。
しかし、突然、何のために、ダイビング特訓なんだろう。自分でもよく分からない。分からないまま、肉体の限界までやった。終わったら、歩けない。メシを食う気力もない。このまま、死ぬんじゃないかと思った。
「次は又、メールで連絡します」という。次は、「もりの突き方」を特訓するのか。あるいは水中銃かな。楽しみだが、恐い。
普段使わない筋肉を使うと、柔道や合気道よりも厳しい。本当にヘロヘロだ。こんなに大変だったらやめたのに。本当に、ぶっ倒れるかと思った。もう、これで私も終わりかと思った。30分か1時間、水泳の練習をするだけだと思ったのに。
それに、「秘密の特訓」に誘った人が、イルカ保護運動家と、元新左翼過激派だ。何か、魂胆があるのかもしれない。ある日、突然、「ミッション・インポシブル」が届く。「○○の海のイルカを助けろ!」「囲っている網を切れ!」とか。もう、そんな体力はないよ。私は、武装闘争はもうやめたんだし、私を引き戻すなよ!と叫びたい。
私は柔道をやってるけど、あくまでも、日々の健康のためだ。自分の為だ。エゴイズムでやっているんだ。国家、社会のために、この肉体を使おうと思ってるのではない。それは誤解しないでほしい。
元首相の小渕恵三さんは、私の合気道の先輩だ。 大学時代、よく稽古をつけてもらった。強かった。ポンポンと私は投げ飛ばされていた。
「何で合気道をやろうと思ったんですか」と、私は聞いた。だって、小渕さんは、国会議員になったばかりで、忙しい。とても、合気道の練習をやってる暇はない。でも、週に一遍は必ず練習していた。
小渕さんは言ったんです。「国のためです」と。
エッ?戦争で使うんですか。「いえ、違います。乱闘国会に備えるためです」。
これには驚いた。60年安保の〈乱闘国会〉のイメージがあって、ああなったら、どうするかと考えた。
ボクシングや空手では、使ったらすぐ分かる。テレビカメラがあるからだ。柔道で投げても分かる。その点、合気道なら、「やめて下さい!」「待って下さい」とやられるふりをして、関節を取ったり、体さばきをしたり出来る。だから、政治家の武道としては合気道が一番ピッタリなんです。と言っていた。
「又、万が一、私が首相になった時、暴漢に襲われるかもしれない。まあ、首相になることはないでしょうが…」という。
でも、本当に首相になった。その時、2.26事件のように右翼に襲われるかもしれない。
ウーン、そこまで考えていたのか。そういえば、当時、学生だった私は、木の短刀を持って向かった。小渕さんは、「どこからでも突いてきなさい!」と言った。それをさばいて投げ飛ばすのだ。「遠慮してはダメです。思い切って、刺すつもりで向かってきなさい!」と言われ、こっちも本気でぶつかっていった。
しかし、一度もかすらない。さばかれ、吹っ飛ばされた。
そうか。あの時、自分がいつか首相になった時のことを考えていたのだ。私を右翼テロリストに見立てて…。うーん、先見の明がある人だ。
でも、稽古だけで終わったからよかった。20年後、本当に「首相とテロリスト」で対面したかもしれない。そうならなくてよかった。
かつては、右翼テロリストになろうと思ったこともある私だけに、危なかった。今はもう、そんな覇気もない。危ないことも考えてない。健康のために柔道をやり、健康のためにスキューバダイビングを楽しもうと思っているだけだ。悪利用を考えないでほしい。悪い道に誘わないでほしい…。
⑧〜⑩『新・言論の覚悟』など、私の本を3冊、編集してくれた椎野礼仁さんが、このたび、出版社を作りました。ハモニカブックスです。その第一作目が、この『8月6日のこと』(1300円)です。文・中川ひろたか、絵・長谷川憲史で、素晴らしい絵本です。感動します。