最後にケーキが運ばれてきました。ローソクが6本、立ってます。「では一気に吹き消して下さい」と司会者に言われました。でも、肺活量がないから、フー、フー、フー…と、なかなか消えません。
その時、「ハッピーバースディ・クニオ!」という歌声が。歌手の宮崎美乃利さんの歌です。そして会場の全員が歌います。ハッと我に返りました。「そうか。今日は私の誕生会なのか」「それで、こんなに大勢の人々が集まってくれたのか」と思いました。感謝感激です。
すっかり忘れていました。自分の誕生日だということは。だって、この日の誕生日は私の誕生日であって、実は私の誕生日ではないのです。
要は、この日をネタにして、いろんな人に会ってみたい。話を聞いてみたい。そして、騒いでみたい。そういうイベントなんですよ。その意味では大成功でした。これだけのビッグな人たちが、よく、これだけ多く来てくれた、と思います。
又、これだけ深く、濃い話をしてくれたイベントもないと思います。何より、私自身が、1番楽しめました。その意味では、やっぱり、私の誕生祝いだったのか。
8月7日(日)午後1時から始まりました。阿佐ヶ谷ロフトです。定員80人なのに、5日前には、予約だけで50人以上がありました。当日は又、ドッと来るだろうと思ってたら、やっぱり、超満員でした。100人以上です。1時から4時半まで。
終わって、駅前の白木屋で二次会をしましたが、そこには50人。二次会に、これだけの人が残っていたのも初めてです。名残惜しいのでしょう。さらに、三次会、四次会と行きました。最後まで盛り上がりました。
生誕祭は今年で2年目です。なぜ「生誕祭」が生誕したか。その由来から話しましょう。
子供の時や、青年の時なら、「お誕生会」も意味があるでしょう。でも、40を過ぎたら、もう嬉しくもないし、誕生祝いなんて、やってる人は誰もいない(いるか)。
ましてや、60過ぎからの誕生会なんて、祝われたくない。むしろ、秘密にしたい。でも、「やろうよ」と周りの人たちが言う。嫌だ、と断り続けていました。
そしたら、「じゃ、生前葬」をやろう、となり、その準備が進んでいった。慌てた。恐怖した。あんなことだけはしたくない。あれは生恥祭だ。「それだけはやめてくれ!」と懇願しました。
「じゃ、生誕祭を認めるか?」「はい」と言いました。つまり、「究極の選択」で、始まったわけですよ。
でも、よかったと思います。1年に一遍しか会えないような人もいるし。じっくり、話を聞きたいと思ってる人にも会えるし。いいイベントになったと思います。
そんな話をオープンの時に言ったんですよ。そしたら、壇上のゲストに言われた。
「生誕祭だなんて、生意気だ。思い上がっている。ふざけている。やるんなら、ちゃんと生前葬をやれ!そんな誠実さがお前にはもうないのか!」と。厳しく糾弾されました。
塩見孝也さんだった。元赤軍派議長で、1970年に逮捕され、20年間、獄中にいた偉い人だ。そうか。この人は、数年前に「生前葬」をやって、週刊誌などでも話題になった人だ。批判されていた。でも、私は「すみませんでした」とすぐに詫びを入れた。塩見生前葬は、「アホらしい」と思いながらも、私は行きました。そんなことがあった。
私の生前葬、じゃない、生誕100年祭は、2部形式で行われた。赤組と白組だ。よく分からんが、NHKの紅白歌合戦のようだ。総合司会がいて、赤組、白組の司会がいる。
そして、どっちが勝ったかを競う。私をダシにして皆が楽しむんだから、ダシの私に文句を言う権利はない。あれよ、あれよと見てました。それも実に楽しいものでした。
来年もぜひ、思いっ切り面白いイベントにして下さい。では終わり。と終わっちゃいけないな。これから報告だ。まず、オープンニングは宮崎さんの歌で始まる。そして、
第1部 鈴木邦男と〈赤組〉 1時15分から2時15分。テーマは、「左翼革命とは、いったに、なんだったのか?—民族運動・革命運動・維新運動・北朝鮮・マルクス・レーニン主義」
と盛り沢山だ。これだけで一日中やれるのに、たった1時間だけだ。勿体ない。ゲストは…。
塩見孝也(革命家、元・赤軍派議長)
若松孝二(映画監督。最近、三島由紀夫の映画を撮り終えた)
筆坂秀世(元・日本共産党№4、元・参議院議員)
金廣志(元・赤軍派。指名手配になったが、15年逃亡し、時効を迎え、社会復帰。今は進学塾のカリスマ講師)
平野悠(ロフト創始者)
椎野礼仁(編集プロダクション代表)
赤岩友香(「週刊金曜日」編集部。「美人すぎる記者」と言われている)
この豪華な7人だ。あっ、私もいるから8人だ。椎野、赤岩さんは司会を兼ねている。忙しいのに皆、よく来て下さいました。ありがとうございます。
若松監督は、映画「三島由紀夫」を撮り終えたばかり。11月に試写会をやり、来年公開だという。衝撃的な作品のようだ。
「連合赤軍」「キャタピラー」と続き、それを凌駕する作品になったという。1960年の山口二矢の事件から始まっている。試写が楽しみだ。公開が楽しみだ。
若松監督は、連赤やPFLPの映画を撮っているし、日本赤軍の人々とは同志的連帯もある。アラブにも北朝鮮にも行っている。だから、左翼的な監督と思われている。
でも、山口二矢、三島由紀夫、森田必勝にも大いなる関心と、シンパシーがある。そして、長年の夢だった映画「三島由紀夫」を撮った。その監督が、この日、ロフトでは、「右とは何か、左とは何か」を語り、映画の世界を語る。
筆坂さんは、ずっと、日本共産党幹部だった。その人が、塩見、金さんといった「反日共系」「新左翼」の人々と同席するなんて、あり得なかった。今回が初めてだ。
共産党は自分たちこそが本当の左翼だと思っている。だから、「新左翼」なんて言葉も認めない。自分たちより「新」しいなんて、あり得ないと思っている。いつも、「トロツキスト」といって罵倒してきた。
でも、党の発表、公式見解はそうだが、内心は「彼らも、頑張っている」と思ってたのか。
「それは全くありません」と筆坂さんはズバリと言う。ウーン、そうなのか。
「でも、昔は日本に共産党しかなかった。そこから全ては別れたんだ。中国寄り、ソ連寄りといって除名した人たちも、元々は共産党だ。共産党だって、中国寄り、ソ連寄りの時代はあった。その意味で、(いい意味でも、悪い意味でも)全ては共産党の責任ではないか」
と、金さんは聞く。私もそう思って筆坂さんの答えに注目した。少しは、「疚しさ」を持って、でも、非情な革命運動だから、他の人たちを批判してたのではないか。そう思った。
しかし、「そんな気持ちは全くありません」と言う。共産党の体質がかなり分かった。
さらに、話は連赤事件に移る。共産党は、口を極めて罵倒した。それも皆、本心からだ。
塩見さんは、「私が獄中にいた時に起こった野合だった。外にいたら、起きなかった」と言う。
金さんは、「赤軍、日本赤軍、よど号赤軍など、全ての赤軍のルーツは塩見さんなんだから、連赤事件にも責任はあるだろう」と言う。しかし、「いや、全くない」と塩見さんは言う。
ともかく、凄いやりとりでした。日共、反日共の幹部が同席するなんてことも、なかったことだ。そして、ロフト席亭の平野さんが、鋭い突っ込みを入れる。
全体のやりとりをどっかに載せるべきだね。1冊の本にしてもいい。「鈴木邦男のバースディ・ブック」とか。編集プロダクションの椎野さん、考えて下さいよ。何なら、絵本にしてもいい。楽しい絵本になるだろう。
2時15分。第1部が終わって、休憩。この間に、金子遊監督の映画「ベオグラード1999」特別ヴァージョン最新作の上映(15分)がある。一水会の海外での活動を描いた貴重な映画だ。
そして第2部だ。第2部が、又、凄い。濃すぎる人々が登場する。
第2部は、「鈴木邦男と〈白組〉」で、テーマは、
「ここまでおかしいぞ、ニッポン! どこへゆく、ニッポン!
---殺人・冤罪・死刑制度・エログロ・ナンセンス・原発・菅政権」
ゲストは…。
佐川一政(作家。1981年に起きたパリ人肉事件の犯人)
徐裕行(オウム真理教の村井最高幹部を刺殺し、12年刑務所に入っていた)
北芝健(元刑事。作家。空手道場「修道館」館長)
飛松五男(元・兵庫県警刑事。テレビコメンテーター)
三井環(元・大阪高検公安部長)
明石昇二郎(原発問題に詳しいライター)
塩田祐子(「NPO法人監獄人権センター」。人権活動家)
椎野礼仁
桃江メロン(作家)
これらの人々が、一堂に集まることは、ない。これが最初で最後かもしれない。
佐川さんは久しぶりだ。肉を食い過ぎて糖尿病だ、と言ってたが、元気そうだった。
徐裕行さんは、こうしたイベントに出るのは全く初めて。野村秋介さんの墓前祭で私は知り合った。たたずまいが毅然としている。それに、もの凄い勉強家だ。信念の人だし、志の人だ。
事件が起きた時、「背後に大きなバックがある」「教唆されたのだ」といったマスコミもあったが、それは全くない。又、そんな風聞は全く気にしない。
12年の獄中では本を読みまくり、2000冊読んだという。今度、読書についての対談をしてみたい。
北芝、飛松さんは元刑事の眼から、佐川事件、オウム事件を語る。こんな形で、、「追う側」と「追われる側」が同席することはない。画期的だ。これはぜひ、単行本にすべきだ。映像は撮っているのだし、少しずつ、HPにupしましょう。
しかし、何度も言うように、こんな凄い人々を集めながら、時間がない。第2部も1時間15分位で、終わり、質疑応答に移る。活発な質問が出た。
又、この日、客席に来てくれた人の中にもビッグな人がいて、コメントしてもらった。『週刊SPA!』の名編集長だった、つるしさん。
元民主青年同盟幹部で、「全学連委員長」だったが査問され除名された川上徹さん(現・同時代社代表で、『査問』『アカ』などの著書がある)。
そうだ。赤組の司会は礼仁さんと赤岩さん。白組の司会は礼仁さんと桃江メロンさん。そして、総合司会が、白井基夫さん。「週刊金曜日」の敏腕編集者だ。つまり、「週刊金曜日」の白井、赤岩コンビで、今日のイベントが行われたといえる。
初めの予定では、8月2日(火)だった。元々、鈴木の誕生日は8月2日らしい。ところが、2日は「週刊金曜日」の校了で忙しいから、ずらそうと、「誕生日」を8月7日(日)にしてしまった。これから、私の誕生日は「8月7日」に訂正されるのだろう。あるいは、来年は又、変わるのか。
来年はもう朝から晩までやってもいいね。ところで、何で「生誕100年」か。本当は、実年齢でやろうと思った。でも、いい年をしてお誕生会なんて恥ずかしい。
ということで、えーい、面倒だ。四捨五入して100にしよう。となったのだ。本人のいい加減な性格をよく表している。
去年は100年だから、今年は101年か。それでは、面白味がない。だから、「100年祭」は固定しておいて、№2、№3としていったらいいだろう。
そのうち実年齢もこれに近づくさ。そして一致した時が、人生の爆発だ。ということで、終わり。
そうだ。皆さんから沢山のバースディプレゼントを頂きました。ありがとうございます。阿佐ヶ谷ロフトからはワインを頂きました。とてもおいしゅうございました。
佐川さんからは機関銃を頂きました。オモチャですが、本物そっくりで、音も光も出るし、その辺の女の子に撃って、面白がってます。
北芝さんにはカバンを頂きました。来週の海外遠征(秘密のミッション)の時に使わせて頂きます。
それから二次会でしたね。いろんな立場の人々が、各々、話し合ってました。15年逃亡した金さんは、実は兵庫県に長くいたそうで、クラブのバーテンをしてたという。「エッ、あそこなら、よく知ってる。チキショー、捕まえたかった!」と飛松さんが悔しがってました。凄い話ですね。又、それからが飛松さんの凄さだ。
「じゃ、警察学校で講師で話したらいいのに」。面白い。警察官に対しても、いい勉強になる。でも、金さん。「警察に協力する気はありません」。今でも革命家だ。それと、徐さん、佐川さん、北芝さんを囲んで盛り上がってました。
いやー、凄かったですね。この日はとりわけ暑い日でした。又、阿佐ヶ谷は七夕祭りでした。それ以上に熱い集まりでした。
①8月7日(日)午後1時〜4時半。「鈴木邦男生誕100年祭」(Part2)です。第1部、左から、赤岩友香さん(週刊金曜日)、若松孝二さん(映画監督)、筆坂秀世さん(元日本共産党№4)、鈴木、金廣志さん(元赤軍派)、塩見孝也さん(元赤軍派議長)
⑩生誕祭に行く前に、阿佐ヶ谷駅前で「島田英会話」に会いました。昔、私が学生時代に島田さんに英会話を習いに行ったそうです。きっと、アメリカに行って勉強したいと思ったのでしょう。
島田さんにも、阿佐ヶ谷ロフトに来てもらいました。壇上に上がって喋ってもらおうと思ってたのに…。
⑫8月2日(火)は本当の誕生日でした。田中義三さんのお宅で。奥さんとお嬢さんたちや、義三さんのお友達が祝ってくれました。義三さんを偲びながら、飲みました。ケーキのローソクも消しました。左はアメリカに帰る直前のエミちゃんです。