〈スクープ!謎に包まれたオウム真理教・村井秀夫氏刺殺事件から16年。
実行犯が初めて語った真相〉
が出ています。今、発売中の「週刊金曜日」(9月16日号)です。実行犯の徐裕行氏が初めて語ってくれました。聞き手は私です。
よく取材に応じてくれたと私自身が驚いています。『A3』(集英社)を書き、オウム問題をずっと追ってきた森達也監督は、「なんで鈴木なんだ」と悔しがってました。すみません。次は森さんにも紹介します。さらに詳しく聞いて下さい。
実は、徐裕行さんとは2年ほど前に知り合いましたが、事件のことは聞いちゃいけないんだろうな、と私の中に遠慮がありました。出所してからも、マスコミの取材には一切応じてないし、皆で話す時も、一切触れません。誰も聞きません。
初めて会ったのは、野村秋介さんの墓前祭です。野村さんを尊敬していて、獄中で本を読んだといいます。山平重樹氏(作家)の紹介で墓前祭に来ました。あっ!オウムの村井さんを刺殺した人か、と驚きました。12年の刑を終えて、出てきたばかりです。
いつも背筋はピンと伸び、毅然としています。それでいて、爽やかです。穏やかに話します。たたずまいが違う、と思いました。
獄中では12年間に2000冊の本を読破したといいます。水滸伝、三国志が好きで、吉村昭や司馬遼太郎も読んでます。「今度、読書の話でもしましょうよ」と言いました。でも、事件のことは聞いちゃいけないんだろうな、と思ってました。
事件について、少し触れてくれたのは、8月7日(日)の阿佐ヶ谷ロフトでした。私の「生誕100年祭」を聞きに来てくれたのです。佐川一政さん、金廣志さん、塩見孝也さん、筆坂秀世さん、若松孝二さん、飛松五男さん、北芝健さんなどが出てくれました。凄いメンバーです。
「面白い人たちが出ますから、聞きに来ませんか」と言ったのです。来てくれました。ゲストの皆にも紹介しました。皆、驚いてました。「ぜひ、徐さんにも話してもらったら」「私たちよりも凄い経歴を持ってる人だし」「もう、歴史ですよ。ぜひ話を聞きたい」とゲストの皆は言います。
でも、16年経っても一切、語ってない。言わないだろうし、聞いちゃいけないだろう。でも、獄中の2000冊の読書体験だけでも話してくれるかもしれない。恐る恐る徐さんに聞いたら、「いいですよ」。
それで、第2部で登壇してもらいました。事件についても、初めて語ってくれました。「いろいろありましたが、自分一人で決断し、やりました」「オウムについては皆、文句ばかり言ってるが誰も行動しない。自分がやるしかないと思いました。一つの問題提起です」と言いました。冷静に、理路整然と語ります。
こんなに話せる人だったのかと驚きました。じゃ、今度、ゆっくり話を聞かせてほしいと思いました。
阿佐ヶ谷ロフトに来ていた人々も驚いていました。事件当時は、「オウムの口封じで村井は殺された」「オウムが闇の勢力に大金を払って殺させた」「徐は鉄砲玉だ。背後に巨大な闇の勢力がいる」「バックに北朝鮮がいる。彼のアパートの大家は拉致犯の親類だ」「徐は仕事に失敗し、大きな借金を抱えていた」…と、マスコミは書き立てました。
「徐裕行」という個人はどこかに行ってしまい、「それを命じた闇の勢力」ばかりが論じられました。「命じられた」個人は全く主体性のない人間のようです。16年前の事件の時は、私もそんな印象を持ちました。
ところが、徐さんに会うと考えが全く変わりました。徐裕行という〈人間〉が主体になってやられた事件だと、ピンと分かりました。
いろんな事情はあったかもしれない。いろんな情報を聞いたのかもしれない。しかし、「闇の勢力」の命令でやれることではない。そんなことで動く人ではないと思いました。
山平重樹氏も言ってました。「僕もそう思います。徐さんに会うと皆、そう思います」。それだけ徐さんは存在感があるし、寡黙ながら、一つ一つの言葉に説得力があるんです。〈これは本当だ〉と思わせるものがあるんです。
あの事件にしても、偶然が重なって、実行されてます。青山さんや上祐さんの時は、やれなかった。村井さんの時だから、たまたま出来た。村井さんは下の地下室から入ろうとしたら、中からカギがかかっていて、上に出てきた。そこを刺した。これも偶然です。
しかし、「記者」は納得しない。中からわざとカギをかけて、上に行かせ、殺人に協力したのだ。謀略があった…とマスコミは書き立てます。又、刺され救急車で運ばれる時、村井さんは、「ユダに殺られた」とつぶやいた。つまり、「オウム内部に裏切り者がいて、その人間に殺られた」という意味です。
でも、本当に喋ったのかは疑問です。又、そんな危険性があったのなら、もっと気を付けていたでしょう。
しかし、「そんな偶然はあるか」とマスコミは煽り立て、記者も、「おかしい。裏がある」「大きな謀略だ」と思います。そして、「事件の真実」を知ろうとします。徐さんは犯行の前に、コンビニで女性と会っていた。秘密の指令を受けていたに違いない。そして、徐さんのアパートの大家は…と、マスコミは書き立てます。
「オウムは許せないと思い、青山、上祐、村井の誰でもいいから殺ろうと思った」と徐さんが言っても、「そんなはずはない。何時間も待ち伏せし、村井だけを狙っていたのだ」とマスコミや記者は言います。「その証拠に、青山、上祐が来ても全く襲う素振りも見せなかったではないか」…と。
「そうだ、そうだ」と思うでしょう。このHPを読んでる皆も思うでしょう。実は、ここが重要なところです。
実は、〈決行〉前から徐さんの様子はテレビで映されていたのです。
オウムの本部前は取材陣でごった返していました。しかし、後ろの方に、アタッシュケースを持った怪しい人がいるとマスコミは皆、気付いていたのです。だから、何度も写真を撮ったし、テレビカメラも映していたんです。
そして、「上祐、青山の時は動きを見せない」と、言ったのです。「動きを見せない」徐さんのことを何時間も前からマークしていたのです。
これこそ、不思議ですし、「最大の謎」です。そして、「怪しい人がいる」と警察に通報する人もいなかったのです。
さらに、その現場には警察官は全くいませんでした。サリン事件の後でオウムに対する全国民の怒りが渦巻いていた時です。「何かする奴がいるかも」と考えて当然でしょう。しかし、警察官はいない。
だから、決行は出来た。全てが終わった後に、警察官が駆け付けてきて、「誰がやったんだ!」と聞きました。酷い話です。
「私がやりました」と、徐さんが名乗り出て、車に乗り込みます。マスコミは又、写真を撮るだけ。村井さん刺殺の時も、誰も止めない。初め腕を刺され、村井さんは腕を上げ、「あれっ、血が出ている」という顔をしています。それも、しっかり映像で撮られている。
そのあと徐さんは再度、体当たりして刺します。そんな一つ一つの動作、様子もテレビで流れました。ユーチューブでは今でもその映像が見れます。
実は、「週刊金曜日」で、インタビューの前に、その時の映像を徐さんに見てもらいました。実にリアルです。徐さんも、「初めて見ました」と言ってました。こんなにリアルに、克明に映像が撮られています。
皆、映像を撮ることに必死なんです。止めようとする人は誰もいませんでした。
昔、何かの事件の時、犯人に向かって止めようと、とっさにカメラを投げつけた記者がいました。高いカメラです。でも、人の命を救う方が大切だと思ったのです。
しかし、16年前はそんなことを考える人は一人もいませんでした。「そりゃ、怖いからだろう」と思うかもしれません。違います。皆、近くから撮っているんです。
それに、徐さんは凄いことを言ってます。
〈現場にいたマスコミは、「この男は何かやるぞ」と気づいていた〉
まさか、と思いました。しかし、当時の映像を見ると、納得します。何時間も前から、「怪しい男」がいる。カバンを持っている。時々、カバンを開けて、中のものを確かめている。この男は何かやる。何かやるために待っているんだ。そう気付き、そして〈期待〉していたのです。
あるいは、殺人までは予期しなかった。でも、ビラをまくとか、大声で抗議するとか、殴りかかるとか。そんなことはしてくれるかもしれない。その時は、「いい写真」を撮ろう。「いい映像」を撮ろう、と待ち構えていた。そういう状況だったようです。
徐さんの思い込みもあるでしょう。もし、当時、その場にいた記者がいたら、聞いてみたいです。
ともかく、マスコミは皆、徐さんの存在に気付いていた。だから、「上祐、青山の時は動きを見せなかった」と、キチンと映像を撮ってるのです。
でも、3人は、どこから来て、どのスピードで入口に入るか分からない。それからカバンを開けて、ナイフを取り出して…と、間に合わない。距離も遠いし、上祐さん、青山さんの時は出来なかった。徐さんは言います。
「ただ、村井の場合は、かなり遠くから歩いてきたので、体勢とかポジションの準備をする余裕はありました」。
これは本当だ、と思いました。襲ったことのある人しか分かりません。この心境は。私は分かりました。だから、もし、不十分な体勢のまま、青山さん、上祐さんを襲っていたら、失敗したんじゃないかと思い、聞いてみました。徐さんは即答します。
「失敗したでしょうね」
さらに、凄い話をする。事が終わり、逮捕され、車に乗り込む時だ。中学生がトコトコと近寄ってきて、徐さんの背中をポンと叩いた。そして言った。「がんばって下さい!」。それも信じられない話だ。そんなとこに中学生がいたのか。殺人犯の背中をポンと叩いたのか。
「激励されて、嬉しかったですか?」と私もトンチンカンな質問をした。その時の両者の気持ちが全く推測出来なかったからだ。そんなことは全くなかった、と徐さんは言う。「ただ、違和感を感じました」と言う。
これは、「金曜日」にも書いてないが、徐さんはナイフは捨てたとはいえ、手も服も血だらけだ。その、血生臭い「犯人」に近寄って、ポンと背中を叩く。そして、「がんばって下さい」と言う。何を言ってんだ、こいつは、という気持ちなんだろう。激励されたという嬉しさはなかったという。現場では、そういうものなのか。
しかし、中学生は恐くなかったのか。それに、警察も何もしなかったのか。近寄って、声をかけたら、普通なら、「共犯じゃないのか」と即、逮捕される。少なくとも、「一緒に来てくれ、事情を聞かせてくれ」となる。しかし、そんなこともない。
さらに詳しく聞いた。「現場の警察とメディア」について、又、「謀略説について」「取り調べ」についても聞いている。ぜひ読んでほしい。
私が一番、感じたのは、次の点だ。なぜ警察官は全くいなかったのか。なぜマスコミは気付いていて、誰も止めなかったのか。警察に通報しなかったのか。これは警察の失態だ。責任問題だ。それに、8時間も現場にいて待機していた徐さんに気付きながら、ずっと映像を撮っていたマスコミだ。極論すれば、「共犯ではないか」と思った。
今回のインタビューは、警察論、マスコミ論としては、考えさせられた。こんな凄い話が聞けるとは、実は全く思ってもみなかった。大体、徐さんが取材に応じてくれるとは思ってもみなかったんだし…。
そうだ。8月7日(日)の阿佐ヶ谷ロフトの話だ。そこで、初めて、徐さんが、〈事件〉のことを語ってくれた。そこでは「週刊金曜日」の白井氏と赤岩さんが司会をしてくれた。
その話を、「週刊金曜日」の平井編集長が聞いた。「ぜひ、金曜日で、徐さんの話を聞けないだろうか」と言ってきた。
「そんなの無理ですよ。受けるわけがありません」と、私は即答した。ロフトでは、ついポロリと言っただけですし。それに、左翼的な週刊誌になんか…と、言った。「でも、聞くだけでも聞いて下さい」と粘られて、「一応、電話はしますが、絶対に断られますから」と言った。本当にそう思っていた。
そして、徐さんに電話した。「ダメですよね。僕からも断っておきますから」と言ったら、「鈴木さんと話すなら、いいですよ」と言う。エッ?いいの。と思わず聞き返した。私なんかを信用していいんですかね。と、自分でも不安になった。
そして、8月27日(土)夕方、週刊金曜日の本社でやりました。16年前の映像を見て、そのあと、3時間ほど、詳しく聞きました。「週刊金曜日」では急遽、4ページを割いてくれました。テープ起こしのゲラはこの10倍ほどあります。赤岩友香さんがテープ起こしをし、原稿にしてくれました。美人なだけでなく、編集者としても実に有能な人です。
16年前のあの行動は、オウムに対する怒りと、「問題提起」だったと徐さんは言います。今回の「週刊金曜日」のインタビューは、さらに、警察とマスコミに対する大きな「問題提起」になってると思います。どうでしょうか。
この日は、急いで高田馬場に。一水会フォーラムが7時からある。慶應義塾大学教授の小林節先生が講師で、「我が国の行き詰まりは、やはり我が国の憲法に問題がある」。
とてもいい講演でした。先生は改憲論者ですが、「愛国心」の強制には反対だし、96条の「改憲規定」をまず変えるという考えにも、「やり方がせこい」といって反対します。堂々と改憲論議をすべきだといいます。又、「まず明治憲法に戻し、そこから改憲を」という考えにも反対です。時代は戻らないのだし、現在の改憲を考えるべきだといいます。
〈竹島問題で49年ぶりの国際司法裁判所提訴へ。
ついに外務省「領土派」の逆襲が始まった〉
これはいい企画だった。大賛成だ。他には、
〈「外規法適用」「携帯基地局」「台湾と協定」…。
これが尖閣諸島を“本気で守る”ための秘策だ〉
元海上保安官の一色正春さんの記事。
「台湾と漁業協定を結び、ある程度の漁業権を認めると、台湾を味方にすることにより、中国側を牽制できる」
これは大賛成ですね。昔は、こんなしたたかな外交をやれる政治家がいたんでしょう。今、全くいないのが問題だと思います。
このあと、Wコロンの謎かけ。
そしてUSTREAM延長戦の「鈴木邦男の芥川龍之介講座」。今日は『地獄変』です。自分の娘が焼け死ぬのも平然と見て、それを絵に描いたという絵師の物語です。冷酷なプロ意識というのでしょうか。
オウムの村井さんが刺殺された時、誰一人として止めないで、写真を撮っていたマスコミ陣。又、昔、豊田商事事件でも、マスコミ陣がいる中、犯人は窓を破ってマンションに押し入り、会長を斬殺した。マスコミ陣は誰も止めずに、写真を撮っていた。似ている、と思いました。
①今、発売中の「週刊金曜日」(9月26日号)です。
〈スクープ! 謎に包まれたオウム真理教・村井秀夫氏刺殺事件から16年。
実行犯が初めて語った真相〉
徐裕行さんが初めて語ってくれました。4ページです。私が聞きました。
⑪東北学院榴ヶ岡校校の東京支部の同窓会です。9月10日(土)で、私たちのテーブルです。他に3つありました。左端は化学の脇田先生です。先生と生徒の差はないですね、こうなると。「ジョジョの奇妙な冒険」の荒木飛呂彦さんは仕事が忙しくて来れませんでした。残念。
⑫9月13日(火)、午後7時、高田馬場サンルートホテル。一水会フォーラム。小林節先生(慶應義塾大学教授)が講師で、「我が国の行き詰まりは、やはり我が国の憲法に問題がある」。小林節先生(中央)、木村三浩氏(左)と。
⑭9月15日(木)、文京シビックホール。月刊「創」主催、緊急シンポジウム「原発とメディア第2弾」の第2部に出ました。「原発と市民運動」です。俳優の山本太郎さんが来ている、と知らせてくれた人がいて、急遽、登壇してもらいました。貴重な話が聞けました。
(左から)鈴木、山本太郎さん、鎌仲ひとみさん(監督)、雨宮処凛さん。