若林盛亮さん(左)と、小西隆裕さん(右)(10/23)
北朝鮮に行ってきました。3度目です。「よど号」グループに会うのは2度目です。
急に決まった「ミッション」でした。5日間、日本を留守にするだけですが、連載の原稿や、単行本、対談本の原稿・校正など、大変でした。飛行機の中でも校正をしてました。ピョンヤンのホテルでも、原稿を書いてました。
こんなことは初めてです。慌ただしく、パニック状態で仕事を処理し、準備して行った北朝鮮でした。
向こうに着いたらぶっ倒れるんじゃないかと心配でしたが、でも大丈夫でした。パワースポット・ピョンヤンの霊気で元気になったのでしょう。
「よど号」の人たちとも連日、じっくりと話し合いました。政府・党関係者とも、じっくり話し合いました。さらに、他の人たちとも会いました。
拉致や国交に関し、日本国民が何を考えているのか。北朝鮮に対する激しい怒りの感情も、キチンと伝えました。拉致問題をどう解決するか。国交は出来るのか。「よど号」の帰国問題などについて、かなり突っ込んだ話をしました。
それに基づいて、これから行動します。
高麗ホテルの展望レストランで。後ろに柳京ホテルが見える
10月21日(金)の午前10時50分成田発のJL863便で北京に向かい、その日は北京泊まり。3月に泊まった時と同じリドホテルです。
夜は、日本人の新聞記者たちと会いました。又、中国の独立撰稿人(フリーライターでしょう)の人たちとも会いました。
翌、22日(土)は、昼、北京からピョンヤンへ。「よど号」の小西隆裕さん、若林盛亮さんも迎えに来てくれました。感激です。前回は、今年の2月28日(月)から3月5日(土)までの訪朝でした。でも、「よど号」に会えたのは、たった1回。帰国前の3月4日(金)の夜でした。朝方まで、7時間もぶっ通しで話し込みました。そのことは、前のHPでも書きました。
今回は、毎日、「よど号」の人たちと会えました。これはありがたかったです。他にも政府関係者、党の人をはじめ多くの人と会いました。
朝から晩まで、話し込み、「観光」は全く出来ませんでした。前回の時は、金日成さんの銅像や、生家。キム・イルソン広場。中学校。朝鮮戦争勝利記念館。それに、板門店に行ったし、プエブロ号も見ました。建設中の柳京ホテルも見ました。
その間に、向こうの人たちと話し合い、時には激論しました。だから、ハードスケジュールでした。
104階の柳京ホテルが見えます
ところが今回は、「観光」は全くなく、話し合いの実務ばかりです。それが目的で来たのですから、それはありがたかったです。
でも、帰る前の日に、ハッと気がつきました。「絵」がない。これでは、北朝鮮に行ってきたという「証拠」がない。
金日成さんの銅像とか、生家に行って、写真を撮らなくちゃ。それで案内人に無理に頼んで、出かけました。
でも、金日成さんの銅像には行けない。今、周りに巨大なドームや建物を建てている。それで立ち入り禁止です。と言う。エッ?でも3月に来た時は行けたし、建設なんか始まっていなかった。「それから、始めたんです」と言う。
近くに行って見たら驚いた。巨大なドームや、巨大な住宅が建設中だ。もう半分以上、出来てるんじゃないのか。たった半年で。来年は金日成さんの生誕100年で、それまでに間に合わせるそうだ。急ピッチの建設だ。
あの三角形の、ガラス張りの、104階の柳京ホテルも、完成寸前だ。そのそばに行ってきたが、凄い。他にも、いたる所で建設ラッシュだ。私の泊まったホテル(高麗ホテル)の最上階の回転レストラン(47階)からピョンヤン市内を一望できる。
又、羊角島ホテルは74階の回転レストランからも全体が見える。高層ビルが建ち並んでいて、何か、ニューヨークのような感じがする。「そんな馬鹿な!」と思う人も多いだろうが、これは正直な感想だ。07年にニューヨークに行って、ベアテさんたちと憲法についてのシンポジウムに参加したが、あの時見たニューヨークと似ているのだ。
勿論、ピョンヤンには老朽化したビルも多いし、貧しい人々もいる。ピョンヤンから一歩外に出れば、農村風景が広がる。決して裕福ではないだろう。日本のようにカラフルな服装が溢れているわけではない。
でも、人々は毅然としている。子供も老人も背筋をピンと伸ばして歩いている。道端の樹木や花も、1本1本がピンと直立している。そんな感じさえした。
キム・イルソン広場で(10/24)
「よど号」の人たちは、22(土)に空港に迎えに来てくれた。25日(火)は空港に見送りに来てくれた。23日(日)、24日(月)は、じっくりと話し合った。だから、4日間、話し合ったわけだ。
42年前のハイジャックの話。北朝鮮に来てからの話。83年にリビアを訪ねた時の話。亡くなった田宮さん、田中さん、柴田さんの話…と、話は尽きない。
42年前の「よど号」ハイジャック事件は、2人とも鮮明に覚えている。つい昨日のように語る。面白い話も沢山ある。
24日(月)の夜、ピョンヤンホテルで焼肉を食べた。「共和国に来た時、ここに泊められたんです」と言う。石田機長や、「身替わり」を申し出た山村新治郎さんたちも一緒だった。
「すぐに逮捕されて警察や収容所に入れられると思ったのに、意外でした」と若林さん。そうだよね。ハイジャックの「犯人」側と、被害者側が一緒に、仲良く、同じホテルに泊まったんだ。よく話もしたようだ。
選手を送る壮行会です
「あの事件では皆に迷惑をかけたけど、スチュワーデスの人たちはよく頑張ってくれたよな」と思い出話をする。パニックにもならず、対応してくれたという。普段から、いろんな乗客の対応には慣れているのだろう。でも、ハイジャックに会うとは思わなかっただろう。
羽田から乗って、ハイジャックし、一度、給油のために福岡空港に降りた。そこで女性、老人、子供は降ろした。その時、警察がドドーッと、乗り込もうとした。リーダーの田宮さんは、「ドアを閉めろ!」と叫んだ。
近くにいたスチュワーデスが、「はい!」と言ってドアを閉めた。「返事がよかったな。大きな声で、ハイ!だもんな。すぐに閉めた」と2人は言う。犯人に協力したことになるのだろうか。その場の光景が見えるようだ。
その後は、かなり、リラックスして、なごんできたという。初めは皆、緊張していたのに。退屈するだろうと思い、本を配ったりした。日野原さんは、『カラマーゾフの兄弟』を借りて、読んだという。その日野原さんは今年、100才だ。「会いたいですね」と2人。「日本に帰ったら会えますよ」と私も言った。
ホテルの前で
「でも、赤軍派の本は誰もリクエストがなかったな」と2人。そうだろうよ。
又、驚いたことに、乗客の中には、「武器を見せてくれ」と言う人もいた。「いいですよ」と見せたという。信じられないが本当の話だ。
「この鉄パイプ爆弾は不十分ですね。刻みを付けないとダメですよ。それがあって初めて、四方に粉々に飛び散るんですから」と、アドバイスしてくれた乗客もいたという。それなんかも「共犯」じゃないのか。ともかく、和やかなムードになった。
たまりかねて、リーダーの田宮さんが絶叫した。「君たちは人質だということを忘れないように!」。
つまり、余り、馴れ馴れしくするな。自分の分を守れということか。「その時のことは、キチンと書いておいて下さいよ。本にしたらいい」と私は言いました。
チュチェ塔をバックにして
83年に、リビアに行った時の話も聞きました。87年、88年には、竹中労さんが、頻繁にリビアに行った。ピース缶爆弾事件の牧田吉明氏や、元「楯の会」の阿部勉氏、それに岐阜の右翼の花房東洋氏などもリビアに連れて行った。そのことについては、別の本に今、書いている。その関係で行ったのかと思ったら、違う。独自で行ったという。
83年に、リビアで「全アフリカ青年フェスティバル」が開催されると聞いて、「参加したい」と申し込んだ。「どうぞ、歓迎します」と返事があったので行ったという。
これは驚きだ。別に朝鮮の人間として、北朝鮮のパスポートで行ったのではない。北朝鮮政府は、特別に、「亡命者用のパスポート」を作ってくれた。それで、堂々と日本人としてリビアに行ったという。カダフィは原稿も見ないで、2時間でも3時間でも喋る。世界中から多くの人たちが来ていて、感動したという。当時のカダフィはそれだけの魅力があったのだ。
「最近はアメリカに屈服したのが間違いでしたね。あの頃から今日あることは予想してました」と小西さん。「その点、共和国(=北朝鮮)はどんなことがあってもアメリカに屈服しない。闘い続けている」と言う。
そうだ。21日(金)、成田に行く電車の中で新聞を見たら、「カダフィ−、死亡」と出ていた。昔、右翼の中でもカダフィを信奉する人がいて、私も『緑の書』を読まされた。あの頃は、世界中の革命家、人民の人望を集めていたのに。
「退き時」を失ったからか。ただの独裁者として罵倒された。拘束され、その直後、殺されたという。一抹の淋しさを感じる。
「よど号」の帰国問題にも、突っ込んだ話し合いをした。そのことについては、又、詳しく書こう。
ドームの右も建設中のアパート
政府・党関係者とも随分と話し合った。「日本は今、大変ですね」と皆、心配している。東日本大震災には北朝鮮からも義援金をもらっているが、政府やマスコミは発表しない。おかしな話だ。すみませんと謝った。ありがとうございました、と日本人の1人としてお礼を言った。
「共和国にはレアアースも豊富にありますし、中国に次いで、レアアース埋蔵量第2位です。他にも地下資源はあります」と言う。
「共和国は、日本の経済制裁で何ら痛手を受けていません。困っているのは逆に日本の方でしょう」と言う。
11月15日のサッカーの試合では日本から300人ほどが来るという。「何人でも来てほしい」と北朝鮮は言うが、「国交がないから」「経済制裁してるから」と、日本側が、腰が引けてる。スポーツは政治を越えるものだ。そのはずだ。
国交が回復し、日本の大使館や新聞社の支局もあった方がいい。何かあったら、日本人が逃げ込める。拉致の悲劇を繰り返さないためにもその方がいい。
高層ビルが林立しています
今のままでは、パスポートに、日本—中国間の記録しか残らない。誰が北朝鮮に入り、そして出たのか。あるいはまだいるのか。それが分からない。そうならないためにも、(すぐに国交が出来ないとしても)、もっと、オープンにした方がいいだろう。
私は、そう言いました。同時に、こうも言いました。「でも、日本ではこういう冷静な話が出来ないのです。“拉致問題が解決しない限りダメだ!”と言われます。“交渉しよう”というだけで、国賊!売国奴!と言われる」
そして、文句も言いました。大体、北朝鮮は日本人の気持ちが分からない。拉致被害者は生きている。生きている前提で交渉しよう。と言ってるのに、「死んだ人間を生かして返せというのか」「拉致問題は全て終わった」と言う。
それでは日本人の感情を逆撫でしている。拉致問題を横に置いて、それで国交交渉を進めるなんて出来ない。日本から、マスコミや警察も入れて、拉致問題を徹底的に調べ直すべきだ。それをやらない限り、進展はない、と。
古賀茂明さんと
そうしたら意外な答えが返ってきた。3月の時は、平行線だったのに、今回は違う。「実は前の政権の時は、“拉致見直し。その後、経済制裁解除”で話が出来てたんです。
しかし、政権が変わって、それが反故になったのです」。民主党政権になってからは、ロクなことがない。強硬な世論を前にしては、「経済制裁解除」なんて言えない。だから、「拉致見直し」もダメになった。そして、「交渉するな」「やっちまえ」「徹底的に追い詰めろ!」という声ばかりが渦巻いている。
「前に鈴木さんが言ってましたね。『北朝鮮に文句を言う会』を作って訪朝したいと。ぜひ、やって下さい。その他、家族会、救う会の人にもぜひ来てもらいたい。徹底的に話し合いましょう」と言う。驚いた。
これは、せひ行くべきだ。「たとえ行っても話は平行線だ」と言うのだろうが、たとえ、どんなチャンスでも利用すべきだ。日本にいて、「オレは闘っている」と内向きに叫んでいるだけではダメだ。とにかく、あらゆる手段を尽くし、あらゆる訴えかけをすべきだと思う。
今回は、よど号、政府、党関係者と、連日会って、話し合った。又、それ以外の人々とも会った。
福島みずほさんと(10/18)
「それ以外の人々」から聞いた話だが、横田めぐみさんの娘さん、ヘギョンさんが、先月、結婚したそうだ。教えてくれた人は、「横田滋さん、早紀江さんにも伝わっているはずです」と言う。ヘギョンさんに最近、会ったというので印象を聞いた。「早紀江さんにそっくりです」。
めぐみさん生存については韓国でも今、ニュースになっている。横田さんご夫妻も、お孫さんのヘギョンさんに会いたいだろう。会って、聞いてみたいこと、確かめたいこともあるだろう。
会って初めて分かることもあるはずだ。拉致問題解決のためにも、ぜひ行ってほしいと思う。「北の謀略に乗るから反対だ」と言う人もいるだろう。
しかし、たとえどんな小さなキッカケでも掴み取るべきではないのか。又、国交の問題。よど号の帰国の問題。多くの困難がある。少しでも前進するように努力していきたい。又、書く。
亀井静香さんと
保坂展人さんと
田中優さんと