2011/10/31 鈴木邦男

北朝鮮に行ってきました!
=拉致、よど号、国交について突っ込んだ話し合いをしました=

①又もや、「ミッション・インポシブル」でした

若林盛亮さん(左)と、小西隆裕さん(右)(10/23) 若林盛亮さん(左)と、小西隆裕さん(右)(10/23)

北朝鮮に行ってきました。3度目です。「よど号」グループに会うのは2度目です。

急に決まった「ミッション」でした。5日間、日本を留守にするだけですが、連載の原稿や、単行本、対談本の原稿・校正など、大変でした。飛行機の中でも校正をしてました。ピョンヤンのホテルでも、原稿を書いてました。

こんなことは初めてです。慌ただしく、パニック状態で仕事を処理し、準備して行った北朝鮮でした。

向こうに着いたらぶっ倒れるんじゃないかと心配でしたが、でも大丈夫でした。パワースポット・ピョンヤンの霊気で元気になったのでしょう。

「よど号」の人たちとも連日、じっくりと話し合いました。政府・党関係者とも、じっくり話し合いました。さらに、他の人たちとも会いました。

拉致や国交に関し、日本国民が何を考えているのか。北朝鮮に対する激しい怒りの感情も、キチンと伝えました。拉致問題をどう解決するか。国交は出来るのか。「よど号」の帰国問題などについて、かなり突っ込んだ話をしました。

それに基づいて、これから行動します。

高麗ホテルの展望レストランで。後ろに柳京ホテルが見える 高麗ホテルの展望レストランで。後ろに柳京ホテルが見える

10月21日(金)の午前10時50分成田発のJL863便で北京に向かい、その日は北京泊まり。3月に泊まった時と同じリドホテルです。

夜は、日本人の新聞記者たちと会いました。又、中国の独立撰稿人(フリーライターでしょう)の人たちとも会いました。

翌、22日(土)は、昼、北京からピョンヤンへ。「よど号」の小西隆裕さん、若林盛亮さんも迎えに来てくれました。感激です。前回は、今年の2月28日(月)から3月5日(土)までの訪朝でした。でも、「よど号」に会えたのは、たった1回。帰国前の3月4日(金)の夜でした。朝方まで、7時間もぶっ通しで話し込みました。そのことは、前のHPでも書きました。

今回は、毎日、「よど号」の人たちと会えました。これはありがたかったです。他にも政府関係者、党の人をはじめ多くの人と会いました。

朝から晩まで、話し込み、「観光」は全く出来ませんでした。前回の時は、金日成さんの銅像や、生家。キム・イルソン広場。中学校。朝鮮戦争勝利記念館。それに、板門店に行ったし、プエブロ号も見ました。建設中の柳京ホテルも見ました。

その間に、向こうの人たちと話し合い、時には激論しました。だから、ハードスケジュールでした。

②観光なんてしてるひまはなかとスミダでした

104階の柳京ホテルが見えます 104階の柳京ホテルが見えます

ところが今回は、「観光」は全くなく、話し合いの実務ばかりです。それが目的で来たのですから、それはありがたかったです。

でも、帰る前の日に、ハッと気がつきました。「絵」がない。これでは、北朝鮮に行ってきたという「証拠」がない。

金日成さんの銅像とか、生家に行って、写真を撮らなくちゃ。それで案内人に無理に頼んで、出かけました。

でも、金日成さんの銅像には行けない。今、周りに巨大なドームや建物を建てている。それで立ち入り禁止です。と言う。エッ?でも3月に来た時は行けたし、建設なんか始まっていなかった。「それから、始めたんです」と言う。

近くに行って見たら驚いた。巨大なドームや、巨大な住宅が建設中だ。もう半分以上、出来てるんじゃないのか。たった半年で。来年は金日成さんの生誕100年で、それまでに間に合わせるそうだ。急ピッチの建設だ。

金日成さんの銅像が左に小さく見えます
金日成さんの銅像が左に小さく見えます

あの三角形の、ガラス張りの、104階の柳京ホテルも、完成寸前だ。そのそばに行ってきたが、凄い。他にも、いたる所で建設ラッシュだ。私の泊まったホテル(高麗ホテル)の最上階の回転レストラン(47階)からピョンヤン市内を一望できる。

又、羊角島ホテルは74階の回転レストランからも全体が見える。高層ビルが建ち並んでいて、何か、ニューヨークのような感じがする。「そんな馬鹿な!」と思う人も多いだろうが、これは正直な感想だ。07年にニューヨークに行って、ベアテさんたちと憲法についてのシンポジウムに参加したが、あの時見たニューヨークと似ているのだ。

勿論、ピョンヤンには老朽化したビルも多いし、貧しい人々もいる。ピョンヤンから一歩外に出れば、農村風景が広がる。決して裕福ではないだろう。日本のようにカラフルな服装が溢れているわけではない。

でも、人々は毅然としている。子供も老人も背筋をピンと伸ばして歩いている。道端の樹木や花も、1本1本がピンと直立している。そんな感じさえした。

③42年前にタイムスリップして、「よど号」体験を…

キム・イルソン広場で(10/24) キム・イルソン広場で(10/24)

「よど号」の人たちは、22(土)に空港に迎えに来てくれた。25日(火)は空港に見送りに来てくれた。23日(日)、24日(月)は、じっくりと話し合った。だから、4日間、話し合ったわけだ。

42年前のハイジャックの話。北朝鮮に来てからの話。83年にリビアを訪ねた時の話。亡くなった田宮さん、田中さん、柴田さんの話…と、話は尽きない。

42年前の「よど号」ハイジャック事件は、2人とも鮮明に覚えている。つい昨日のように語る。面白い話も沢山ある。

24日(月)の夜、ピョンヤンホテルで焼肉を食べた。「共和国に来た時、ここに泊められたんです」と言う。石田機長や、「身替わり」を申し出た山村新治郎さんたちも一緒だった。

「すぐに逮捕されて警察や収容所に入れられると思ったのに、意外でした」と若林さん。そうだよね。ハイジャックの「犯人」側と、被害者側が一緒に、仲良く、同じホテルに泊まったんだ。よく話もしたようだ。

選手を送る壮行会です 選手を送る壮行会です

「あの事件では皆に迷惑をかけたけど、スチュワーデスの人たちはよく頑張ってくれたよな」と思い出話をする。パニックにもならず、対応してくれたという。普段から、いろんな乗客の対応には慣れているのだろう。でも、ハイジャックに会うとは思わなかっただろう。

羽田から乗って、ハイジャックし、一度、給油のために福岡空港に降りた。そこで女性、老人、子供は降ろした。その時、警察がドドーッと、乗り込もうとした。リーダーの田宮さんは、「ドアを閉めろ!」と叫んだ。

近くにいたスチュワーデスが、「はい!」と言ってドアを閉めた。「返事がよかったな。大きな声で、ハイ!だもんな。すぐに閉めた」と2人は言う。犯人に協力したことになるのだろうか。その場の光景が見えるようだ。

その後は、かなり、リラックスして、なごんできたという。初めは皆、緊張していたのに。退屈するだろうと思い、本を配ったりした。日野原さんは、『カラマーゾフの兄弟』を借りて、読んだという。その日野原さんは今年、100才だ。「会いたいですね」と2人。「日本に帰ったら会えますよ」と私も言った。

ホテルの前で ホテルの前で

「でも、赤軍派の本は誰もリクエストがなかったな」と2人。そうだろうよ。

又、驚いたことに、乗客の中には、「武器を見せてくれ」と言う人もいた。「いいですよ」と見せたという。信じられないが本当の話だ。

「この鉄パイプ爆弾は不十分ですね。刻みを付けないとダメですよ。それがあって初めて、四方に粉々に飛び散るんですから」と、アドバイスしてくれた乗客もいたという。それなんかも「共犯」じゃないのか。ともかく、和やかなムードになった。

たまりかねて、リーダーの田宮さんが絶叫した。「君たちは人質だということを忘れないように!」。

つまり、余り、馴れ馴れしくするな。自分の分を守れということか。「その時のことは、キチンと書いておいて下さいよ。本にしたらいい」と私は言いました。

④83年にリビアに行った話も聞きました

チュチェ塔をバックにして チュチェ塔をバックにして

83年に、リビアに行った時の話も聞きました。87年、88年には、竹中労さんが、頻繁にリビアに行った。ピース缶爆弾事件の牧田吉明氏や、元「楯の会」の阿部勉氏、それに岐阜の右翼の花房東洋氏などもリビアに連れて行った。そのことについては、別の本に今、書いている。その関係で行ったのかと思ったら、違う。独自で行ったという。

83年に、リビアで「全アフリカ青年フェスティバル」が開催されると聞いて、「参加したい」と申し込んだ。「どうぞ、歓迎します」と返事があったので行ったという。

これは驚きだ。別に朝鮮の人間として、北朝鮮のパスポートで行ったのではない。北朝鮮政府は、特別に、「亡命者用のパスポート」を作ってくれた。それで、堂々と日本人としてリビアに行ったという。カダフィは原稿も見ないで、2時間でも3時間でも喋る。世界中から多くの人たちが来ていて、感動したという。当時のカダフィはそれだけの魅力があったのだ。

ピョンヤン駅です
ピョンヤン駅です

「最近はアメリカに屈服したのが間違いでしたね。あの頃から今日あることは予想してました」と小西さん。「その点、共和国(=北朝鮮)はどんなことがあってもアメリカに屈服しない。闘い続けている」と言う。

そうだ。21日(金)、成田に行く電車の中で新聞を見たら、「カダフィ−、死亡」と出ていた。昔、右翼の中でもカダフィを信奉する人がいて、私も『緑の書』を読まされた。あの頃は、世界中の革命家、人民の人望を集めていたのに。

「退き時」を失ったからか。ただの独裁者として罵倒された。拘束され、その直後、殺されたという。一抹の淋しさを感じる。

「よど号」の帰国問題にも、突っ込んだ話し合いをした。そのことについては、又、詳しく書こう。

⑤かえって同情された

ドームの右も建設中のアパート ドームの右も建設中のアパート

政府・党関係者とも随分と話し合った。「日本は今、大変ですね」と皆、心配している。東日本大震災には北朝鮮からも義援金をもらっているが、政府やマスコミは発表しない。おかしな話だ。すみませんと謝った。ありがとうございました、と日本人の1人としてお礼を言った。

「共和国にはレアアースも豊富にありますし、中国に次いで、レアアース埋蔵量第2位です。他にも地下資源はあります」と言う。

「共和国は、日本の経済制裁で何ら痛手を受けていません。困っているのは逆に日本の方でしょう」と言う。

11月15日のサッカーの試合では日本から300人ほどが来るという。「何人でも来てほしい」と北朝鮮は言うが、「国交がないから」「経済制裁してるから」と、日本側が、腰が引けてる。スポーツは政治を越えるものだ。そのはずだ。

国交が回復し、日本の大使館や新聞社の支局もあった方がいい。何かあったら、日本人が逃げ込める。拉致の悲劇を繰り返さないためにもその方がいい。

高層ビルが林立しています 高層ビルが林立しています

今のままでは、パスポートに、日本—中国間の記録しか残らない。誰が北朝鮮に入り、そして出たのか。あるいはまだいるのか。それが分からない。そうならないためにも、(すぐに国交が出来ないとしても)、もっと、オープンにした方がいいだろう。

私は、そう言いました。同時に、こうも言いました。「でも、日本ではこういう冷静な話が出来ないのです。“拉致問題が解決しない限りダメだ!”と言われます。“交渉しよう”というだけで、国賊!売国奴!と言われる」

そして、文句も言いました。大体、北朝鮮は日本人の気持ちが分からない。拉致被害者は生きている。生きている前提で交渉しよう。と言ってるのに、「死んだ人間を生かして返せというのか」「拉致問題は全て終わった」と言う。

それでは日本人の感情を逆撫でしている。拉致問題を横に置いて、それで国交交渉を進めるなんて出来ない。日本から、マスコミや警察も入れて、拉致問題を徹底的に調べ直すべきだ。それをやらない限り、進展はない、と。

古賀茂明さんと 古賀茂明さんと

そうしたら意外な答えが返ってきた。3月の時は、平行線だったのに、今回は違う。「実は前の政権の時は、“拉致見直し。その後、経済制裁解除”で話が出来てたんです。

しかし、政権が変わって、それが反故になったのです」。民主党政権になってからは、ロクなことがない。強硬な世論を前にしては、「経済制裁解除」なんて言えない。だから、「拉致見直し」もダメになった。そして、「交渉するな」「やっちまえ」「徹底的に追い詰めろ!」という声ばかりが渦巻いている。

「前に鈴木さんが言ってましたね。『北朝鮮に文句を言う会』を作って訪朝したいと。ぜひ、やって下さい。その他、家族会、救う会の人にもぜひ来てもらいたい。徹底的に話し合いましょう」と言う。驚いた。

これは、せひ行くべきだ。「たとえ行っても話は平行線だ」と言うのだろうが、たとえ、どんなチャンスでも利用すべきだ。日本にいて、「オレは闘っている」と内向きに叫んでいるだけではダメだ。とにかく、あらゆる手段を尽くし、あらゆる訴えかけをすべきだと思う。

今回は、よど号、政府、党関係者と、連日会って、話し合った。又、それ以外の人々とも会った。

福島みずほさんと(10/18) 福島みずほさんと(10/18)

「それ以外の人々」から聞いた話だが、横田めぐみさんの娘さん、ヘギョンさんが、先月、結婚したそうだ。教えてくれた人は、「横田滋さん、早紀江さんにも伝わっているはずです」と言う。ヘギョンさんに最近、会ったというので印象を聞いた。「早紀江さんにそっくりです」。

めぐみさん生存については韓国でも今、ニュースになっている。横田さんご夫妻も、お孫さんのヘギョンさんに会いたいだろう。会って、聞いてみたいこと、確かめたいこともあるだろう。

会って初めて分かることもあるはずだ。拉致問題解決のためにも、ぜひ行ってほしいと思う。「北の謀略に乗るから反対だ」と言う人もいるだろう。

しかし、たとえどんな小さなキッカケでも掴み取るべきではないのか。又、国交の問題。よど号の帰国の問題。多くの困難がある。少しでも前進するように努力していきたい。又、書く。

【だいありー】

亀井静香さんと 亀井静香さんと
  1. 10月21日(金)、成田へ。9時50分成田発のJALで北京へ。北朝鮮はユーロしか使えないので、ユーロに替えてゆく。
     昼、北京に着き、打ち合わせ。夜は北京在駐の日本人記者たちと会う。又、中国人のライターとも。SMAPやAKB48が熱狂的に歓迎された。日中の政治的対立・空白を彼らが埋めてくれてるようだ。(「北朝鮮もSMAPを呼んだらいい」と私は北朝鮮の人々に提言しました)。中国の若者も、日本の文化、アニメ、音楽が好きだ。
     それなのに、政治対立だけを煽って、彼らを「反日」に追いやることはない。「反日デモをやってた人も皆、今はやってません。方向転換しました」と言う。「そうした人々とも会わせて下さい」と言った。
     又、三島由紀夫の本がやたら売れてるそうだ。それも「奔馬」や、「憂国」などの右翼的な本も…。又、よど号や、日本赤軍をどう見ているかも聞いた。中国のネット事情も。日本で伝わっているのとは大違いだった。
  2. 10月22日(土)、昼、北京空港からピョンヤン空港へ。北京は、大都会だが、空気が悪い。砂ぼこりばかりだ。
     その点、ピョンヤンは空気がいいし、整然としている。婦人警官が交通整理をしている。北京では、空気が悪いから出来ないだろう。空港には「よど号」の小西さん、若林さんが迎えに来てくれた。それからホテルに行き、向こうの政府、党関係者と会談。そして、夕食。かなり突っ込んだ話になった。
保坂展人さんと 保坂展人さんと
  1. 10月23日(日)「よど号」の人たちと一日中、話し合う。午前中にホテルの喫茶店で。午後は、展望レストランで。
     43階から見るピョンヤンの街は高層ビルばかりだ。そこを眺めながら、42年前の「よど号」ハイジャックの話を聞く。その後の北朝鮮での生活。これからの展望を聞く。
     望郷の念、やみがたく、すぐにでも帰国したいのかと思ったが、違う。「ヨーロッパでの日本人拉致はやってない。そんなことで日本の警察は逮捕状を出している。それを撤回しない限り、帰国出来ない」と言う。
     そんなことは私らも信じない。だから日本に帰って、裁判で主張したらいいだろうと、私は言ったが、ダメだった。
     「犯罪者として、日本政府に〈投降〉する形での帰国は出来ない」という。リビアもアメリカに屈服して政治路線を変えた。その時からダメになった。「その点、共和国は違う。断固としてアメリカと闘っている」と言う。
     夜は、政府、党の人たちと食事、会談。
  2. 10月24日(月)午前中、政府・党の人たちと突っ込んだ話をする。昼食後、街に出る。キム・イルソン広場に行く。104階の柳京ホテルを見に行く。
     夕方、「よど号」の人たちと会談し、ピョンヤンホテルで焼肉を食べる。おいしかった。アヒルだけは遠慮した。そのあと羊角島ホテルの74階の回転展望レストランに行く。全体的に暗いが、キム・イルソン広場、チュチェ塔など、ところどころがライトアップされ、ポッと明るい。それが、幻想的に見える。
     そこで、「よど号」のこれからについて話す。こんな優秀な人たちを、ずっと置いておくなんて、勿体ない。
     明治政府なら、こんな優秀な人間なら帰国してもらい、日本のために働いてもらうよ。皆がワーワーと言い合い、言論の自由がある。でも、「手段の民主主義」は急激に進んでも、「結果の民主主義」は、全く、享受してない。そんな気がする。
  3. 10月25日(火)、昼、ピョンヤン空港から北京空港に。「よど号」の小西さん、若林さんも送ってきてくれた。見沢知廉氏は、木村三浩氏と、1995年に来たことがある。「毎日、夜を徹して話し合いました」という。
     若林さんは見沢氏に聞かれたという。「武装蜂起は諦めたんですか?」と。思いつめた顔付きで言ってたそうだ。「見沢氏の映画が出来たんで、DVDを送ります」と約束した。
     昔は、赤軍派や左翼は〈敵〉だったのに…。早大では全共闘と連日、殴り合いをしてたのに…。でも、今は、懐かしい「戦友」だ。同じ時代を闘った〈仲間〉だ。そんな感じがする。4日間、いろんな話をした。学生時代に彼らと知り合っていたら、私もきっと赤軍派になっただろう。そして、北朝鮮に来ただろう。だから、他人事ではない。貴重な体験は記録したいし、彼らが日本で、活躍する場を作りたい。
     2時間で飛行機は北京へ。夕方まで、空港で約1時間。日本の記者と会って、中国の状況を聞く。4時出発。
     7時半、成田着。ホッとした。無事、着いた。無事、ミッションを終えて、帰国出来た。
     家に帰ると、郵便物、宅配便、メール、留守電…の山だ。夜中までかかって処理・整理する。
田中優さんと 田中優さんと
  1. 10月26日(水)夜中、目が覚めた。あれっ、変だな。ピョンヤンじゃないぞ。そうだ。帰ってきたんだ。みやま荘だ。起きて原稿を書き、送る。
     午後3時、文化放送。北朝鮮の話をする。帰国した「よど号」の家族の人たち、支援者も聞いていたようだ。ありがたい。「編集長は見た」は「クーリエ・ジャポン」の富倉由樹夫編集長。世界の新しい「経済学」の話。韓国の電力不足の話。アメリカの恐い「無人機」の話など。どれも興味深かった。
     「Ustream延長戦」では、数日前に亡くなった北杜夫さん(作家)の話をする。「楡家の人びと」は、大河小説だ。これを読んだ時の感動は忘れられない。又、「どくとるマンボウ青春記」「同・航海記」などもいい。帰ってきて、遅れていた原稿を書く。帰ってきても忙しい。
  2. 10月27日(木)午前中、取材。午後3時、河合塾コスモ。現代文要約。5時、基礎教養ゼミ。牧野先生が選んだ本を読む。『現代思想』(青土社)。「総特集・古事記 1300年目の真実」。梅原猛、鎌田東二、安藤礼二さんらが書いている。鎌田vs安藤の対談を読む。「神話を生きなおす=古事記が語るもの」。難しいけど、教えられることが多い。
     終わって、急いで、芝公園の東京プリンスホテルへ行く。衆議院議員の松木けんこうさんを囲む会。遅れて行ったけど、超満員だった。松本さんは元気一杯だ。海江田万里さんとも会った。「総理になると思ったのに残念でした」と言った。最後に抽選会があった。何と、私は「毛蟹」が当たった。あとで送ってくるそうだ。ありがとうございます。松木さんは民主党を飛び出した快男児だ。ゆっくり話を聞いてみたい。『日本をダメにしたこの民主党議員たち』(日本文芸社)も、もらった。
     平沢勝栄さんが、「いい本だ。私以外なら、自民党議員のことも、どんどん批判してほしい」と言ってた。社民党の阿部知子さんとも会った。「おととい北朝鮮から帰ってきた」と言ったら、ビックリしてた。「もう右翼じゃないわね」。右翼も左翼も超えましたよ。
  3. 10月28日(金)、夜中、目が覚めて、「あっ、ピョンヤンじゃない」。そのまま起きる。原稿を書く。午後、新幹線で名古屋へ。牧野先生が過労で入院したので、見舞いに行く。天気だった。安心した。
     夜、WOWOWに出たらしい。私が。見れないので分からん。送ってくれるだろう。
  4. 10月29日(土)、今日から、大浦信行監督の「天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命」がk’s cinemaで上映。1時から。終わって、大浦監督とトーク。超満員だった。見沢氏の思い出を語った。北朝鮮に行った時の見沢氏の話もした。終わって、聞きに来ていた人たちと食事。
     徐裕行さんやレーニンさん、白井さんたちが来てくれた。一緒に食事。紀伊国屋書店で「見沢知廉ブックフェア」をやっているので見に行く。
     それから経済産業省前で抗議の座り込みをしている、塩見孝也さん、三上治さんたちを激励に行く。
     そして11時半、ロフトプラスワンに行く。深夜12時〜5時のイベントに出る。居島一平さん主催の「苦肉祭95〜やらずに死ねるか アパッチ砦編」。楽しかったです。「言論の自由と天皇制」「お笑いは無敵か」などについて語り合った。
     その後は、お笑い芸人の競演。つい朝まで見ちゃった。
  5. 10月30日(日)昼、k’s cinemaに行く。今日、ゲスト出演する田原総一朗さんに会いに行く。北朝鮮の話を報告する。
     そのあと、来てた人と食事。
     夜は新聞社の人との取材。

【写真説明】

若林盛亮さん(左)と、小西隆裕さん(右)(10/23)

①「よど号」グループの若林盛亮さん(左)と、小西隆裕さん(右)です。10月23日(日)、高麗ホテルのロビーです。

高麗ホテルの展望レストランで。後ろに柳京ホテルが見える

②高麗ホテルの43階、展望レストランで。後ろに見える三角形の建物が、104階の柳京ホテルです。

キム・イルソン広場で(10/24)

③キム・イルソン広場です。広いです。いろんな記念日には、ここに人々が集まるのです。

選手を送る壮行会です

④泊まったホテルの前が騒々しかったので、出てみたら、選手を送る壮行会でした。

ホテルの前で

⑤そこで記念撮影を。

チュチェ塔をバックにして

⑥キム・イルソン広場で。後ろにチュチェ(主体)塔が見えます。前に訪朝した時、上まで登りました。

104階の柳京ホテルが見えます

⑦104階の、ガラス張りの柳京ホテルが見えます。車が少なかったので、車道で撮りました。

ピョンヤン駅です

⑧ここがピョンヤン駅です。モスクワまでは、列車で1週間だそうです。

金日成さんの銅像が左に小さく見えます

⑨金日成さんの銅像が、左に小さく見えます。その右にドームを作っている。

ドームの右も建設中のアパート

⑩そのドームのさらに右端。巨大なマンション、ビルの建築が急ピッチで進んでいる。

高層ビルが林立しています

⑪高層ビルが林立しています。

古賀茂明さんと

⑫元官僚の古賀茂明さんと。 文化放送で。

福島みずほさんと(10/18)

⑬10月18日(火)、福島みずほさんと。「秋の夜長パーティ」(都市センターホテル)で。

亀井静香さんと

⑭亀井静香さんと。福島さんのパーティで会いました。

保坂展人さんと

⑮保坂展人さんと。10月24日(月)に「保坂世田谷区長を励ます集い」があったんです。行けなくてすみませんでした。

田中優さんと

⑯今や、すっかり有名人になってしまった田中優さんと。

【お知らせ】

  1. 「見沢知廉ブックフェア」が新宿紀伊国屋書店5Fで開催されています。映画の帰りに、ぜひ寄ってみて下さい。
  2. 森村泰昌さんの対談集『なにものかへのレクイエム=二十世紀を思考する』(岩波書店)が発売です。私も出ております。詳しくは次週に。
  3. 11月3日(木)k’s cinemaの、映画「天皇ごっこ」。この日は1時からの上映の後、植垣康博さん(もと連合赤軍兵士)がゲスト出演。大浦監督とトークをします。私も聞きに行こうと思ってます。
     10月29日(土)から始まり、毎日、豪華なゲストとのトークもあります。
  4. 11月6日(日)「vs原和美トークライブ=護憲派の原和美、今度は神戸の地で保守派論者と激突=」。午後1時半開場、午後2時スタート。神戸市勤労会館
     ゲストは、飛松五男、本山美彦、鈴木邦男です。
  5. 11月7日(月)午後7時、ネイキッドロフト。針谷大輔氏の「男たちの国防論」。私も出ます。脱原発デモについて語ります。「週刊SPA!」で一緒に座談会に出たnoiehoieさんも出ます。
  6. 11月19日(土)、「マガジン9」主催の特別セミナー。何と、中学生アイドルの藤波心ちゃんと私が対談します。
  7. 11月24日(木)、三島由紀夫・森田必勝追悼の野分祭です。
鈴木邦男ゼミin西宮 鈴木邦男ゼミin西宮
(クリックでPDFファイルが拡大します)
  1. 11月27日(日)2時、「鈴木邦男ゼミin西宮」。ゲストは寺脇研さんです。教育問題や映画の話をします。楽しみです。
     お問い合わせ、お申し込みは、鹿砦社 鈴木邦男事務局まで。0798-49-5302
  2. 11月28日(月)7時、代官山「山羊に聞く?」。「山羊に聞く?で羊に聞く」(第2回)。この日は、佐高信さんとの対談本『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)をテキストに私が話します。桃江メロンさんに又、突っ込まれます。
  3. 12月10日(土)神戸。午前中、映画館で大浦信行監督の「天皇ごっこ」の上映(10時半より)。その後、雨宮処凛さんと私のトーク。
     さらに場所を移して午後2時から「コミスタこうべ」2階セミナー室で2人のトークがあります。
  4. 12月11日(日)昼、大阪で「天皇ごっこ」上映の後、大浦信行監督とトークをします。
雨宮処凛×鈴木邦男 左右を超えて反原発・脱貧困 雨宮処凛×鈴木邦男 左右を超えて反原発・脱貧困
(クリックでPDFファイルが拡大します)
  1. 12月13日(火)午後6時より、神保町・東京堂書店。鎌田慧さんとトークします。大逆事件をテーマにした鎌田さんの新刊『坂本清馬の一生』(金曜日)の出版記念トークです。
  2. 12月29日(木)午後4時、ネイキッドロフト。Wコロンの木曽さんちゅうさんとロケット団の三浦昌朗さんの「月刊浅草新聞=学べるニュース」に出ます。
  3. 1月に、岩波ブックレットで、『未来に語りつぐ戦争』が出ます。東京新聞で毎年、終戦記念日に特集していた対談(7年分)をまとめたものです。2007年に品川正治さん(経済同友会幹事)と私の対談も入るそうです。ありがたいです。楽しみです。