若松孝二監督の衝撃の大作「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち=」が完成しました。見せてもらいましたが、凄い映画です。
当時の「楯の会」を初めとした右派学生の思いつめた気持ちが実によく表現されてます。来年の夏に全国ロードショーです。
しかし、11月25日(金)、夜8時よりテアトル新宿にて完成披露上映会があります。上映前に監督及び出演者らによる舞台挨拶があり、上映後にトークイベントがあります。森達也さんと私で、「11.25自決の日に『三島』を語る!」です。
1970年11月25日、三島事件でした。そして8ヶ月前の3月31日に、「よど号」ハイジャック事件が起こります。
このハイジャックに三島は大きな衝撃を受けて、「先を越された!」と叫びます。又、「あの日本刀の決起がいい」と言いました。三島の映画については又、紹介します。
今回は、先週に続いて「よど号」についてです。
どんな手掛かり、どんな契機でも貪欲に利用すべきだと思う。拉致問題解決の為にだ。
国内にいて、国内向けに、「北朝鮮は許せない!オレは闘っている!」と叫んでいるだけでは何も解決しない。その「怒りの声」をバックに北朝鮮当局と交渉しなければならない。交渉のテーブルに着かせなくてはならない。
「いや、話し合ってはならない。交渉してはならない」と言う人もいる。経済制裁し、とことん追い詰め、彼らがギブアップするのを待つ。というのだ。
では、それがいつなのか。そんな悠長なことでいいのか。
それに彼らはギブアップしない。強がりだろうが、「経済制裁は全くこたえてない。共和国を支援してくれる国は多いし、我が国にはレアアースを初め、地下資源も多い」と言う。
又、「日本は今、大変ですね」と、かえって、同情された。東日本大震災では、日本に義援金を送っている。「もっと日本に支援したい」という。レアアースも利用してほしいという。
「それは北朝鮮の謀略だ。甘言に乗ってはならない」と言う人も多いだろう。しかし、経済制裁を続け、自滅を待つのか。苦し紛れの「方向転換」を待つのか。それでは悠長だし、能がない。政府、民間レベル、あらゆる方面からの交渉・談判・闘いが必要だと思う。
サッカーW杯予選、ヘギョンさんの結婚、「よど号」の帰国、国交などを含め、日本側も、積極的に出るべきだと思う。「無視しろ。一切相手にするな」では、拉致問題解決の進展もない。
「経済制裁」だと言いながら、実は、文化制裁でもあり、スポーツ制裁でもある。
たとえば、私が連載している月刊「創」も送れない。時々書評を書いている「アエラ」や、単行本も送れない。又、スポーツ交流も出来ない。今回のサッカーだって、北側は、いくらでも受け入れると言ってたのに、日本政府は、経済制裁してるのだから、行くな。と言う。
そして、ギリギリになって、「例外的に緩和」した。
しかし、遅すぎる。向こうの準備もあり、北の受け入れは150人だという。日本は200人から300人の入国を希望しているのに…と、言う。罪を全て、北朝鮮に押しつけている。
「産経新聞」(11月2日付)によると、藤村修官房長官は1日の記者会見で、こう語っている。
〈藤村氏は、「非常に国民的関心も高く、政府としても勝ってもらいたいという思いがある。今後のわが国の国際競技大会の招致活動に(国際社会で)否定的な意見を引き起こしたくない」と説明した。
一方、公式ツアー以外の手段での渡航については自粛を求めるとした〉
つまり、本当は、サッカー選手や関係者にも行ってほしくない。だが今回は例外的に「緩和」してやる。というのだ。
でも北でやることは前々から予定されていた。じゃ、「W杯に出るな」と(本当は)言いたいのかもしれない。そんなことをしたら、サッカーファンの猛反発をくう。それで、苦渋の選択なのか。
しかし、スポーツ、文化は〈政治〉を超えるものだ。昔、アメリカに言われて、モスクワの五輪をボイコットした愚を繰り返してはならない。
産経には出ているが、政府は「JFAが斡旋(あっせん)する公式観戦ツアー参加者に限り、特例的に渡航自粛要請を緩和する方針を明らかにした」。
特別に「許可」してやったんだ。ありがたく思え、という態度が見え見えだ。それも、サッカーの2週間前だ。これはないだろう。遅すぎる。「スポーツ交流を通じ、日朝が仲良くなっては困る」と思っているのか。
もう一つ、ヘギョンさんの結婚のことだ。先週のHPに書いたら、多くのマスコミから問い合わせがあった。又、私以外の筋からも発表されたようで、多くの新聞に、このニュースは載った。
横田めぐみさんの娘さんのキム・ヘギョンさん(24)が、大学を卒業して、北朝鮮の男性と結婚した、というニュースだ。
産経新聞(11月3日)によると、めぐみさんの両親の話が紹介されている。
〈めぐみさんの父、滋さん(78)は、、「大学を卒業したことは聞いていたのでそろそろそんな年かなと思っていた。結婚の記念写真を見たいですね」。
めぐみさんの母、早紀江さん(75)は、「そういう年になったのかと感慨深いものがあります。お祝いしたい気持ちはあるが、拉致問題が解決しない中、仕方がないのかと思います」と話した〉
支援してもらってる人や、救う会などに対し、遠慮してるのかもしれない。本当は、北朝鮮に行ってお孫さんに会いたいのだろう。会うことによって、確認できることもある。拉致問題解決の手掛かりにもなると思う。
もう一つ、「よど号」だ。以前、私は、「帰ってくることはない。北朝鮮に帰化したらいい」と言ったことがある。
暴論かもしれないが、元々、インターナショナルで、「世界革命」を目指した彼らなら、分かってくれると思った。日本人を捨てて、朝鮮の人民になる。そして日朝国交が出来たら、北朝鮮の外交官として日本に来たらいいだろうと。
ところが、彼らは、あくまでも日本人にこだわる。日本人の誇りがある。そして、「日本に帰りたい」と言う。
でも、帰ったら10年以上、刑務所に入る。「それも覚悟」だという。海外に出ていて捕まり、日本に送還され、裁判を受けた田中義三さんは、懲役12年だった。しかし、熊本刑務所で亡くなった。
今、北朝鮮にいる「よど号」の4人は、田中さんよりも先輩だ。又、ヨーロッパでの日本人拉致に関与してるのではないかと言われている。
そうすると、田中義三さんで12年だから、他の人たちは15年か20年になる。今、60代後半だから、出所する頃は80だ。それでも帰りたいという。
でも、無事、出所できるかどうか分からない。日本の刑務所の条件は悪い。又、「政治犯」に対しては過酷だ。田中義三、永田洋子、丸岡修…さんたちは刑務所で亡くなっているし。
あるいは、成田から、警察までの護送車の中から見る日本の風景。又、検察調べのため、裁判のために出かけられる。その時、チラリとでも日本の光景を見られる。そんなことを考えているのかもしれない。
訪朝して、「よど号」の小西隆裕さん、若林盛亮さんに、「三条件」を提案した。日本のマスコミを呼び、記者会見をする。その席で、この三条件を認めて、日本に堂々と帰る。そうしたら、いいだろうと。
その三条件とは、「謝罪。感謝。解明」だ。
第1に、42年前にハイジャックをして、人質にした乗客に謝罪する。今まで、これは言ってるが、改めて言う。
第2に、北朝鮮政府への感謝だ。勝手に押しかけたのだ。飛行機ごと撃ち落とされても文句は言えない。又、すぐに逮捕され、収容所送りにされても文句は言えない。
それなのに「亡命者」として優遇してくれた。人々が飢餓で苦しんでいる時も、何不自由ない生活をさせてくれた。これは、ちゃんと感謝すべきだ。
勿論、彼らはそれを常に言っているが、改めて言う。又、日本政府も言うべきだ。42年前、撃ち落とされては大変だと、日本側は、「赤軍派の9人を受け入れてくれ」と北朝鮮政府にお願いした。それによって受け入れたんだし。
第3は、ヨーロッパから日本人を拉致したとして、逮捕状が出ている。彼らは、「愛する日本人同胞を拉致するはずはない。逮捕状を撤回してくれ」と言っている。
しかし、「撤回」は無理だろう。日本に帰ってきて、裁判で争う。この件では起訴は出来ないと思う。彼らも拉致はしてないと言うし、立証出来るだろう。
この「三条件」だ。1、2は問題ない。しかし、第3は、どうしても譲らない。「いや、撤回しない限り、帰国出来ない」と言う。
ハイジャックの罪は認め、その件では服役する。しかし、日本人を拉致した犯人として帰国は出来ない。デマを流す日本政府に屈服する形での帰国はあり得ないと言う。
「だから、日本に来て、それを立証して下さいよ。私らも全面的に協力しますよ」と言ったが、無理だった。決意は固かった。
それから、リビアの話を聞いた。彼らは1983年にリビアに行っている。その時が、「初めての出国」だ。それから何度か、ヨーロッパに行っている。
その頃は、北朝鮮と同様に、リビアは魅力的な国だった。世界革命の拠点だと思った。日本でも、リビアのカダフィは人気があった。竹中労は、左右の青年を連れて何度も行っている。ピース缶爆弾の牧田吉明、元「楯の会」の阿部勉、岐阜の右翼青年・花房東洋などが行っている。1987年頃だ。
その頃、「よど号」も行って、リビアで合流したのかと思ったら違った。それよりも前に、83年に行っている。カダフィの演説にも感動したという。
「その時のことは、『週刊プレイボーイ』に出てますよ」と若林さんが言う。「83年の11月ですよ。日本で探したらあるでしょう」。驚いた。
実は今、竹中労について本を書いている。それで出版社の人に連絡したら、早速、国会図書館で調べ、見つけてくれた。何と、若林さんが「週刊プレイボーイ」に原稿を送っているんだ。それも6ページも大々的に載せている。熱い記事だ。
多分、今なら、こんなことはしないだろう。「犯罪者だし、経済制裁をしてるのだから…」と、載せるのを躊躇するだろう。たとえ載せたとしても、こんなに大々的に、載せたりはしない。タイトルも凄い。
〈独占!大スクープ!平壌→モスクワ→トリポリ。あの“よど号事件”の日本赤軍が13年ぶり北朝鮮出国!!
No.3若林盛亮が本誌に寄稿。リビアからの熱いメッセージ!〉
リビアには2週間いた。写真もふんだんに載っている。日本赤軍ではなく、正式には赤軍派だ。日本赤軍と言うと、アラブに行った重信房子さんのグループを指す。編集部で混乱したのか。
「よど号」の9人は1970年にピョンヤンに渡り、軍事訓練を受けて、半年後に日本に帰り、日本革命を起こす計画だった。でも、訓練は受けさせてもらえない。
若林さんの文章で書かれているが、(若林さんの話を聞いて)、編集部がまとめた解説もある。これは活字を小さくして書かれている。そこに、「半年後に日本に帰って革命をする」という決意について書かれている。
〈13年前彼らは、“世界同時革命”をとなえ“国際根拠地”づくりのために「北朝鮮」に行った。そこでなんとか軍事訓練を受けて、日本に帰ってくるという、かなりムシのいい計画である。
もちろん軍事訓練などやらせてもらえるはずもなく、「日本に帰るというなら、どうぞ。ただし、帰り方は来た時のようにそちらで確保して下さい」
と、とりつくしまもない。そこで一時は領海ギリギリまで船を出してもらって泳いで帰ることまで考えたという。これがジョークでなかったことには、テドンガン(大同江。ピョンヤンを貫流する大河)で水泳訓練までしたという〉
そうなのか。それまでして、日本に帰り、革命をやりたかったんだ。そのテドンガンは訪朝時、よく通った。ここで水泳訓練したのか、と思った。ただ、間違って、「テポドン河」と言って、皆に笑われてしまった。
ピョンヤンで、軍事訓練は受けさせてもらえないが、いろんな記念集会には、よく出た。出させられたのだろう。「我が国を慕ってきた革命の同志だ」と。
そして、挨拶もしたようだ。そうした大会には、実は、他の外国人も多くいた。揃いの制服を着ている、アフリカ人の人たち、南米の人たち、アジアの人たちだ。
話を聞いてみると、「ここで軍事訓練を受けて、祖国に帰り、革命に成功した」と言う。今は「政府」側の人間として、堂々と、北朝鮮に来て、感謝の挨拶をしてるのだ。(これは「プレイボーイ」の記事ではなく、私が直接、小西さんたちに聞いた話だ)。
その革命に成功した国だが、ニカラグア。アンゴラ。モザンビーク。ジンバブエ。などだという。
だから、軍事訓練を受けて、日本に帰り、革命をやるというのは全くの「妄想」ではない。
ただ、アンゴラなどと違い、日本は〈革命的状況〉がなかった。9人を受け入れて、とても革命は出来ない。だから、冷静に判断して、北朝鮮政府は軍事訓練をさせなかったのだ。
もし、許していて、半年後に日本に帰国させたら、すぐ捕まるか。戦闘で射殺されるか。そうしたら、「北朝鮮は日本人ゲリラを使って戦争をしかけた!」と言われるだろうし。日本の背後にいる米軍との戦争も覚悟しなくてはならない。そこまでのリスクは犯したくないと思ったのだろう。
ただ、リビアへの出国は許可した。リビアで「全アフリカ青年フェスティバル」が行われることを「よど号」グループは聞く。アフリカの人たちが北朝鮮に来ていて教えたのだ。「ぜひ、参加してみたい」と思った。
しかし、パスポートはない。ところが何と、北朝鮮政府は、「亡命者用のパスポート」を作ってくれた。それは、「レセパセ」といって、世界的にも認められているという。それに、1991年のソ連崩壊の前だったから、ソ連、東欧や、友好国にはそれで堂々と行けたのだ。
モスクワを経由して行くのだから、北朝鮮にあるモスクワ大使館に行った。
「あっ?あの有名な連合赤軍か!」と言われた。
「プレイボーイ」は日本赤軍と間違い、ソ連は連合赤軍と間違った。でも、同じグループだ。それに、「連合赤軍でも構わない」と温情あるソ連だ。堂々と、レセパセで小西、若林氏はリビアに行った。そして、大歓迎された。革命家だし、亡命者だ。犯罪者ではない。亡命の手段として、少々荒っぽい手段はとったが、立派な亡命者であり、革命家だ。
その自覚、プライドが強いのだろう。「来たことを発表してもいいか?」とリビア政府に聞いたら、「どうぞ、どうぞ。光栄です」と言う。
それで日本のマスコミ、プレイボーイに発表した。日本政府としては驚いただろう。「犯罪者のくせに、亡命者として堂々とリビアに入国し、大歓迎されている」と。
北朝鮮政府も、「これはいい」と思ったのだろう。これ以降、いろんな国の集会にも出ているし、いろんな国の革命家、運動家たちとも会っている。東欧は「自由」に歩いている。これは悪いことではないし、詳しく発表したらいい。
もしかしたら、その中で、「自分たちはソルジェニツインと同じだ」と思ったのかもしれない。政治的な弾圧を受けて、ソルジェニツインはソ連を離れ、アメリカに亡命した。
しかし、政治体制が変わると、トップと話し合い、帰国した。英雄だ。
だから、「よど号」グループも、政治体制が変われば、トップと話し合って堂々と帰国出来るかもしれない。ハイジャックの逮捕状の罪はそこで償ってもいい。そんな考えかもしれない。
私はそう思い、彼らに問いただした。「そんなことは考えてません。自分らをソルジェニツインだとは思ってません」と否定した。
しかし、革命家としてのプライドと自覚は持ってると私は見た。だからこそ、42年間も耐えて来れたのだと思う。並の人間なら、とても出来ないことだ。
もし、明治時代ならば、「交渉するトップ」はいくらでもいる。「42年間も苦労したんだ。身をもって世界のことを一番知ってるし、これは貴重な人材だ。国家のために働いてもらおう」となるだろう。
だって、函館に立てこもった「反逆者」の榎本武揚、大鳥圭介だって、ちょっと刑務所に入れて、あとは政府高官として使ったのだ。そのくらいの腹はあった。
しかし、今はそんな政治家はいないよ。それが不幸だ。そんな日本の実情を話し、その中で、どうやって帰国するか。又、帰国を日朝国交にどうつなげるか。その点を連日、話し合った。
若林さんは「プレイボーイ」のリビア・レポートの最後をこう結んでいる。
〈われわれは、今後も積極的に海外へ進出するつもりである。アフリカでも、アジアでも、ヨーロッパでも、ラテンアメリカでも、機会があれば、いつどこへでも出かけていくつもりである〉
〈当面、帰国がままならぬ中で、世界を舞台に日本の若い人々とも大いに会っていくつもりである。
会おう、世界で!ともに語ろう 日本を! そしていつの日か日本で—〉
そうですね。日本で会うために。私も努力したい。このままでは、余りに勿体ない。これだけの闘い、貴重な体験を持った人々だ。日本の再建のために大いに働いてもらったらいいだろう。
①若松孝二監督の話題の超大作「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち=」が完成し、11月25日に完成披露上映会がテアトル新宿で行われます。上映後、森達也さんと私のトークイベントがあります。来年初夏、全国ロードショーです。
⑯10月29日(土)、K’s cinemaで監督とトークをし、そのあと、居酒屋に行き、酔って頭がボーッとしてるのに、塩見孝也さんを激励に行きました。反原発で経産省前で座り込みをしてるんです。三上治さんたちもおりました。テントを張って、泊まり込みで抗議をしてます。偉いです。「だから、代わりに北朝鮮に行ってきました」と言いましたよ。