驚きましたね。感動しました。舞い上がってしまい、何も喋れないだろう。と思ってました。だって、高校の時から憧れていた大スター、小林旭さんに会えたからです。
文化放送で11月16日(水)に会ったのです。「夕やけ寺ちゃん活動中」のゲストに出てくれたのです。
「マネージャーです」と若い人が名刺をくれる。「あれっ、同じ小林だ」と思ったら、「息子です」と旭さん。やはり、イケメンだ。
「小林旭さんにはずっと憧れていて、この本にも書いてます」と『失敗の愛国心』を差し出しました。高校時代、小林旭さんの映画ばかり見ていた。これこそ男の生き方だと思った。
この本の200ページには旭さんの写真も載っている。出版社が事務所に連絡して正式に許可をもらって載せたものだ。そうでないと私も、本を渡せない。
写真の下には「S」のマークのシャツを着た私がいる。「S」はスーパーマンかと思ったら、単に鈴木の略らしい。そのS君が、こう叫んでいる。
〈マイトガイ・アキラ! そのニックネームが示す通り、アクション映画のスクリーンにダイナマイトな魅力をひっさげて登場し、誰もが青春のヒーローとして彼にあこがれたんだ。これは、『ギターを持った渡り鳥』にはじまる〈渡り鳥〉シリーズの第三弾、『渡り鳥いつまた帰る』(1960年)でのアキラだ。なんてかっこいいんだろう!〉
この当時、日活は石原裕次郎と小林旭の2人を表に出して勝負していた。観客動員数や、稼ぐのは小林旭だが、裕次郎の方は扱いが違う。初めから大スターで、子役からのし上がってきた大部屋出身の小林旭とは違う、「太陽と月」だったという。
1960年は私は高校2年だった。男は「裕次郎派」と「旭派」に分かれていた。いや、ほとんどが旭派だったな。だって、裕次郎は、模範的で、映画も文学的で面白くない。その点、旭は、不良っぽくて、流れ者で、自由だ。アナーキーだ。
さらに、私らは学校に対する反撥があったんだ。厳しいミッションスクールで、あらゆる欲望を否定し、めっちゃ、ストイックだった。服装はうるさいし、時間もうるさい。ちょっとでも乱れたり、遅れたら、ビンタ打ちされた。「何が神の愛だ」と思った。男子校であり、「女性と付き合った人間は、即、退学。姉や妹と街を歩いてはダメ」。映画館に入ってもダメ。
でも、皆、秘かに見に行った。特に、旭の映画だ。学校に対する反撥、抑圧への反撥。それが「マイトガイ・アキラ」への共感になったのだろう。
それ以来、ずっと小林旭の映画は見ている。全て見ている。歌だって全部歌える。
「おとといはカラオケに行って、『昔の名前で出ています』と、『恋の山手線』と『自動車ショー歌』を歌ったんですよ」と言ったら、旭さんも喜んでいた。
特に、「恋の山手線」は、いい歌だ。若者たちにも大受けだ。「こんないい歌を知らなかったなんて…」と皆、悔しがる。学校でキチンと教えるべきだよ。
(そうだ。旭さんに会った翌日、学校で言ったら、フェローさんが、「これはいい歌だから、メモして、必ず聞くように」と言って『熱き心に』を教えていた。おっ、いいフェローだな、とホロリとした)
私は、旭さんの歌謡ショーを随分と見ている。ファンだから当然だ。新宿コマ劇に行った時、旭さんがこんなことを言ってた。アクション映画を撮影中、かなり高い所から落ちて、首の骨を折る重傷を負った。普通なら即死だ
ところが、無意識のうちに、受け身を取っていた。それが幸いして、重傷だったが回復した。その時は、昏睡状態の中で、川を泳ぎ、向こうまで着く寸前に、医者の声で呼び戻されたという。「あれは臨死体験かもしれません」と言う。
でも、「受け身」を取ったというから、きっと柔道をやってたんだろう。そう思った。それに旭さんの映画では、アクション場面で、一本背負いや払い腰など柔道技で投げてるのがある。きっと柔道の有段者に違いない。
でも本人に「何段ですか?」を聞くのも失礼かと思って、打ち合わせの時にマネージャーの息子さんに、小声で聞いた。「5段です」と言う。エッ?とビックリしてしまいました。その声が旭さんにも聞こえて、「あっ、5段ですよ」と言う。凄い。これじゃ、誰もかなわない。
(あとでWコロンのねずっちさんにも言った。「我々2人が一緒にかかっても勝てませんよ」と。そうですね、とねずっち。「2人で向かっても勝てないね」と掛けて…。と聞けばよかったな。来週会った時に言ってみよう)。
本番の時、大怪我の話、柔道の話も聞いた。スタントマンを使わなかったんだ。そんな危険な撮影をやっていた。その状況を詳しく話してくれた。
でも、大スターなんだ。もの凄い数の映画を撮っている。柔道の練習をする時間はなかったでしょう、と聞いたら、「小学生の時からやってました」。「でも劇団に入って子役をやってたんでしょう」。「子役といっても、子供が習い事をするような感じだったから、時間はあるし、柔道をしてました」。
「後に日本チャンピオンになった醍醐敏郎先生に教えてもらいましたよ。もっとも、子供が一杯いて、そのうちの1人だから先生も覚えてないでしょうが…。それに、三船十段にも教えてもらいました」。
うわー、凄い。三船十段は亡くなられたが、醍醐先生は、講道館で現在も指導している。「おとといもお会いしたばかりですよ」と言ったら驚いていた。
醍醐先生は80を越えているが、元気だ。「先週はイタリアに行ってきたよ」と話してくれた。先生は三島由紀夫とも親交があり、三島の『にっぽん製』は醍醐先生に取材して書いた柔道小説だ。
あっそうだ。文化放送では、柔道の話だけじゃない。旭さんの『不器用なもんで』(扶桑社)の本の話もしたんだ。これがメインだ。
1週間前に、ゲラでもらって私は読んだ。凄い本だ。一気に読んだ。旭さんが話し、それを金子達仁さんが書いている。あの有名なノンフィクションライターが書きたいと思ったのだ。それだけ魅力のある人物だし、惹かれる人生なんだ。
本の帯にはこう書かれている。
〈ヤクザとの関係、莫大な借金。業界の因習、事業失敗…。さまざまな苦難を乗り越え、不器用に生きてきた小林旭の人生がここに〉
ここまで赤裸々に書いていいのだろうかと思った。でも、いわゆる「告発本」ではない。筋を通した本だと思う。あの当時、日活も東映もヤクザ映画を量産した。ヤクザ映画全盛だった。
原作、制作現場、いろんな所で、そういう関係者に相談し、力を借りてヤクザ映画を作った。会社ぐるみ、組織ぐるみの付き合いだ。役者も付き合う。
しかし、ヤクザ映画が下火になると会社は手を引いた。そして人間的な付き合いのある役者だけが責められた。「個人の責任」にすりかえられて、攻撃されたのだ。そんな気がする。
小林旭は不器用だった。それで週刊誌に叩かれた。又、その後も、事業に手を出し、監督をやり…と、不器用ゆえに、失敗した。ただ、そのたびに苦難を乗り越えてきた。
そうか。これも、「受け身」なんだと思う。「人生の受け身」だ。無意識のうちに受け身を取ったのだろう。文化放送では、そんな話もした。寺ちゃんも、「なるほど、人生の受け身ですか」と言っていた。
小林旭さんは、70を過ぎている。いくつなんだろう。本の中には、こんな記述がある。
〈ヒトラー・ユーゲントの初来日を日本中が歓迎した昭和13(1938)年、小林は生まれた〉
じゃ、私より5才上なのか。73才か。でも、高校2年(17才)の時、日活映画を見て、「カッコいい!」と思い、こんな大人になりたい、こんなに暴れてみたいと思った。
でも、5才しか違わなかったんだ。私らはガキで、小林旭は大人だと思ってたのに。それに、いつまでも、マイトガイだ。いつまでも若い。この本の巻頭は、こんな言葉から始まる。
〈老いとは、諦めである。と小林旭はそう思っている。
「この年になって、同窓会とかに顔を出したりするだろ。そうすると、みんな昔話ばっかりなんだ。懐かしいのはわかるよ。俺だって、そういう思いに駆られることはあるんだから。だけど、なあー」〉
そうか。諦めるから老いるのか。小林旭は諦めない。常にチャレンジしているし、前進している。内面にはいまだ怒りというマグマがうごめいている。
だから、この本を読んで、皆、衝撃を受ける。励まされ、勇気を与えられる本だ。
小林旭が映画で大活躍していた頃、どこに行っても人、人、人だった。群衆に囲まれて、恐怖すら覚えたという。又、コンサートホールもない。
だから、冷房もない学校の講堂で歌う。お客さんがバタバタ倒れる。今は、涼しいホールがある。又、かつて、「ノストラダムスの大予言」が言われた。しかし、「破滅」は来なかった。では今は、素晴らしい日本になったのか。
大宅壮一は、かつて、テレビの出現に「一億総白痴化」を危惧した。昭和32年だ。ネットの出現で、それはさらに進んだ。旭さんは、こんな凄い指摘をする。
〈白痴化した“主役”たちが、インターネットでつぶやく。「死ね」「殺す」「曝せ」
確かに冷房も効かない体育館で人が次々と倒れていった頃の日本は滅亡している。ノストラダムスはみごと、日本に限り予言を的中させることに成功したのだ〉
そうか、ノストラダムスは的中したのか!驚きだ。これは知らなかった。この本を読んで、一番ショックだった箇所だ。
さらに、なぜ今の映画がつまらないのか。それについて触れたところがある。
〈小林が看板を背負っていた頃の日活では、こんな常套句が使われていた。「どぶ板社会で生きている客に、どぶ板の映画を作っても誰も見ない」〉
なるほど。真理だ。
〈小林が出演した極道映画の多くも、
「悪党は悪党の映画を見ない」
という観念の元に製作されていた。
「悪人は、善人の映画を見て、少しでも更正しようとする。善人には、逆に悪党の映画を見せて、『そういう世界を絶対作っちゃいけないぞ』と感じさせるんだ。とにかく「日常茶飯事」ってのは絶対にやってはいけない禁止条例の一つとして語られていたんだ」〉
確かに、映画にはそんな〈作用〉がある。今は、「日常茶飯事」を撮るだけだ。その背後には思想性がない。そんな時代になってしまったのだと思う。
これでは面白くない。小林はクイズやバラエティに出ない。スターの誇りだ。そして常に闘っている。闘っているから、若いのだ。その秘訣がこの本には書かれている。これは今までにないスター本だ。
個人史だけではない。告発本ではない。〈現代の日本〉を憂え、問題提起をしている。
学んだことは余りに多い。小林旭の映画ばかり見、憧れっ放しだった高校時代を思い出した。さらに今の自分に勇気をもらった。
〈大前研一が福島第一原発事故の真相を解明〉
〈欧州危機が誘発する「中国大崩壊」〉
凄い話ばっかりでした。
そのあとは、Wコロンとの謎かけ。そして「Ust延長戦」は、私の本、『愛国と憂国と売国』について皆で語り合う。
番組が終わって、来週の打ち合わせ。それから急いで高田馬場へ。「カフェ・ミヤマ」で『紙の爆弾』の対談。かつて「革命左派」にいた雪野建作さんに話を聞く。
革命左派と赤軍派が合体して出来たのが連合赤軍だ。そして1972年の連合赤軍事件になる。その直前、雪野さんは、革命左派にいて、栃木県真岡の銃砲店を襲い、散弾銃10丁、散弾2000発などを強奪する。その時の話を詳しく聞く。
銃砲店には主人、奥さん、子供2人がいたが、4人を縛り上げて、銃を奪って逃走した。夜中、「電報です」と言って玄関を開けさせ、雪野さんが主人にいきなり飛びかかり、柔道の技で押さえ込んで縛ったという。「高校時代に柔道をやってたのが役に立ちました」。
でも、そんなことに使っていいのかな。小林旭さんは、ロケ現場で転落し、瞬間的に柔道の受け身を取って助かったというし。こっちの方が柔道の「正しい利用法」だと思うけどな。
その他、初めて語られる連赤秘話があって、驚いた。対談のあと、居酒屋「土風炉」に行って、飲みました。
⑤11月12日(土)、「連塾」を主宰する〈知の巨人〉松岡正剛さんと。「連塾・日本を聴きたい」は午後1時から8時まで、松岡さんが唐十郎・高橋睦郎など6人を相手に知的・スリリングなトークを展開しました。会費3万円。でも、それ以上の価値はあります。そのあと懇親会。本の読み方について、いろいろと教えてもらいました。
⑥「男たちの国防論」vol.21。この日は「右から考える脱原発」。「国防を考える我々が、なぜ脱原発に走るのか!?」。11月7日(月)7時より。ネイキッドロフト。(左から)呼びかけ人の針谷大輔氏、鈴木。noiehoieさん(Twitterのカリスマ)。そして、松沢呉一さん(ライター)。活発な論議ができました。
⑧11月16日(水)午後7時20分より、高田馬場、カフェ「ミヤマ」会議室で。『紙の爆弾』の対談。元「革命左派」の雪野建作さんに、連合赤軍事件。そして、真岡の銃砲店襲撃の話を聞きました。これも昭和史発掘です。
⑪「日刊スポーツ」(11月16日付)です。前日のサッカー(日本対北朝鮮)のことが出てます。「よど号犯も観戦」と出てます。若林盛亮さんが、北朝鮮を応援しようと思ってきたけど、試合を見ているとやはり日本を応援してしまうな、とコメントした。と出てました。いいコメントですね。
〈古今東西の有名絵画の登場人物や映画女優に扮する作品で知られる著者。今回は、レーニン、ゲバラ、毛沢東から三島由紀夫といった、主に20世紀に内外を揺るがせた有名人に扮した表題の個展が全国を巡回したのを機に、多彩な分野の人々と交わした対談を集めたものだ。
新右翼団体の鈴木邦男、作家の平野啓一郎、社会学者の上野千鶴子、政治学者の藤原帰一…。テーマも芸術論から20世紀論まで、縦横無尽。それにしても、三島の自刃が与えた衝撃の大きさに改めて気づく〉