「楯の会」の人たちは本当に凛々しいですね。映画館に登場した瞬間、〈本物〉だと思いました。それだけ衝撃的でした。その時の写真を掲載しました。「役者さんたちもかなり緊張していました」とカメラマンも言ってました。
「制服を着る」というのは、それだけの力があるんです。若松孝二監督「11.25 自決の日=三島由紀夫と若者たち=」の完成披露上映会の時です。今年の11月25日(金)に行われました。詳細は先週のHPで紹介した通りです。
ともかく、衝撃的な映画でした。若松監督でなければ出来ません。日本に若松監督がいて、よかったと痛感しました。
ポール・シュレーダーの「MISHIMA」という映画がある。又、テレビでは、いろんな人がドキュメントをやっている。
しかし、この映画は違う。全く違う。意気込みが違う。東大全共闘との討論シーンがある。市ヶ谷での演説がある。学生と激論する。思想をぶつけ合う。まさに「思想映画」だ。
でも、堅苦しい映画ではない。キチンとエンターテインメントになっている。それでいて、深いし、考えさせられる。「あの時代」の三島や若者たちを考える上での最上のテキストになる。この映画のチラシにはこう書かれている。
〈「三島の美学だ」「三島の政治だ」「三島の限界だ」と、これまで、彼の作品や人生を分析、評論したものは数多ある。しかし、若松孝二が描き出そうとしたのは、「三島由紀夫」の人生の再現ではない。1936年2月26日の青年将校らによるクーデター未遂。あの将校らの姿を見つめるミシマ少年の眼差し。また、高まりゆく〈学生運動〉を見つめる作家ミシマの眼差し。若松は、そこに徹底的に寄り添おうとしている〉
ここに映画を撮る若松監督の決意と覚悟が表れている。映画を見ていて、まさに、「あの時代」に引き込まれた。あの時代の雰囲気、言葉、しぐさ…そのままだ。
元「楯の会」の人たちも、何人も招待されて見ていた。まさに、あの時代を見たと言っていた。自衛隊での訓練、「楯の会」の合宿、討論、そして、少人数だけでの決起。又、決起を決めてからの苦しい沈黙。自分の最も仲のいい人間を誘おうと下宿に行く。
しかし、友人の父親に会う。故郷から出て来たのだ。何かを察したのだろう。「一人息子だ。誘わないで下さい」と父親は涙ながらに頭を下げる。実話だ。こんな場面があったんだ。それも沢山。
忠臣蔵のようだな、と思った。〈大事〉をなすにあたって、小さなことはどんどん切っていく。徹底的に秘密を守る。大変なことだ。よく、あれだけのことを秘密裡に実行できたと思う
三島は完璧主義者だった。時間にも厳しいし、ちょっと遅れただけで、絶縁した人もいる。そうした三島の強靱な意志を感じるし、それをARATAは見事に演じきっていた。
又、森田、古賀、小賀、小川を演じる役者もいい。その4人は選ばれた栄誉ある人々だ。しかし、90人以上の他の「楯の会」隊員は、誰も知らない。ショックだった。「なぜ、自分を連れて行ってくれなかったのか」「なぜ、俺は残されたのだ」と叫び、恨んだ。そして42年。今でもその気持ちは同じだ。かわいそうだ。
映画の中の持丸博氏は、よく似ていた。「楯の会」の初代学生長だ。もの凄い秀才だ。大学1年の時から、もう旧仮名(歴史的仮名遣いという)で原稿を書いていた。「日本学生同盟」の新聞を編集し、「論争ジャーナル」の副編集長でもあった。
だが、あまりに優秀で、「学生ばなれ」してたので皆、やっかみ半分に、「爺さん」と言っていた。失礼な話だ。
映画では、その「老成した」学生ぶりがよく出ていた。「論争ジャーナル」と三島が意見が違い、別れる。その責任を取って、持丸も「楯の会」を離れる。そのシーンもいい。やはり、「忠臣蔵」だね。
持丸は別の道を行く。そして、11.25だ。最も衝撃を受けたのは持丸だろう。「あの時、三島先生とあんな別れ方をしたからだ」「俺のせいだ」と自分を責めた。
持丸の奥さんは今、杉並区議会議員だ。よく区政報告会をやる。昨年、皆を前にして、この三島事件の話をした。「この時以来、持丸は時間が止まりました」と言っていた。凄い言葉だ。
他の「楯の会」の人々だって、全員、時間が止まったのだ。真面目な学生たちだったから、なおさら、そうだ。「いい体験をした。本にでも書いてやるか」なんて思う人はいない。親たちは「うちの息子は参加してなくて」と思い、ホッとしただろう。
でも、そんなことを考える「楯の会」隊員は一人もいない。本人たちにしたら、「おいてゆかれた」「なぜ連れてってくれなかったのか!」という悔しさと恨みだけだ。これも忠臣蔵だ。
「神に出会った人間の恍惚と不幸」かもしれない。当時、20才ちょっとの学生たちが、世界最高の知性で、覚悟の人だった三島由紀夫と出会った。そして一緒に決起し、死のうと思った。でも、自分たちは連れて行ってくれなかった。取り残された。これから何十年、生きていても、三島ほどの人間に出会うことはない。絶対にない。
〈絶対者〉を見てしまった人間は、だから、幸福であると同時に、不幸だ。映画を見ていて、そんなことを感じた。
若い時に、〈運動〉に触れるというのはいいことだ。年取ってから、いくら体験しようと思っても出来ることではない。
私も、右派学生運動をやった。自分では頑張ってやったつもりだが、「無能だ」「ダメだ」と批判、糾弾され、全国学協の委員長を追われた。1969年だ。もしかしたら、私も、それで時が止まったのかもしれない。
世界は広いんだ。考え直して、全く別の世界にチャレンジすればよかった。しかし、いつまでも、クヨクヨし、この世界に未練を持ち、右派運動をやってきた。
しかし、「失敗の愛国心」運動だが、決してマイナスだとは思ってない。プラスだった。
あの当時、右であれ、左であれ、学生運動をやった人は皆、そう思っているはずだ。先週の「アエラ」に書評した本でも、そのことを感じた。
辻井喬さんと宮崎学さん(作家)の対談『世界を語る言葉を求めて=3.11以降を生きる思想』(毎日新聞社)だ。2人とも日本共産党の活動家だった。しかし辞めた(辞めさせられた)。
でも、2人とも偉いのは、その恨みつらみを書かない。又、反動で「反共産党」運動に走ったりはしない。これは素晴らしいと思う。
どんな思想であれ、宗教であれ、「素晴らしい」と思い、入ったのだ。辞めた後になって、後悔するのは見苦しい。中には「失われた青春を返せ!」なんてデモをしてる人もいた。下らないと思う。
そんなことをしてるから、これからだって、未来はないんだ。辻井、宮崎さんは、日共を辞めた後、右派的・保守的雑誌から、「書いてくれ」と注文が来た。「内部告発」をして、いかに日本共産党がひどい政党か、書いてくれというのだ。
2人は断った。これは偉いと思う。元日共No.4の筆坂秀世さんも、断ったという。だから、筆坂さんの本を読んでも、共産党の、特に現場で活動している人々への愛と励ましがよく表れている。
党を辞めて、悔しさの余りか、反共・右派雑誌に「告発」を書きまくり、喋りまくっている人がいる。
そんな人の講演を何度も聞いた。いやだな、と思った。本当は、その人たちは正直過ぎるのだろう。自分の悔しさをストレートにあらわしている。
しかし「もっとやり方があるだろうに」と私は思った。そう思う私の方がずるいのかもしれない。しかし、たとえどんな体験でも、客観的に見て、それを踏み台にして、飛んだらいい。「いい体験だった」と言うことによって、初めて未来が拓かれていくと思う。
たしかに嫌な体験もあるだろう。私にもそれはある。しかし、それだけを探し出して、不満を言っていたら何になる。これからの道も閉ざすことになる。
「アエラ」でも少し引用したが、もっと詳しく書いてみよう。たとえば、 宮崎氏だ。「共産党体験」について、こう言う。
〈黒字か赤字かでいえば、私は多分に黒字でした。いちばん恩恵を受けたのは、人を見る目を与えてもらったことです。辻井さんが『彷徨の季節の中で』で書かれているように、集会なんかでアジっている奴がいると「あれは嘘だな」ということが瞬間的にわかって嫌な気分になるんですね。それは一般社会でも同じだ。人を見抜ける感性を若い頃養ってくれたのは共産主義の経験のおかげです〉
いい話だ。人を見抜ける「感性」か。私も、同じ体験がある。植垣康博さんは元連合赤軍兵士だった。連赤のリーダー、森恒夫のことを、「どんな人でしたか」と聞いた時、植垣さんはこう答えた。「人の欠点を見つける天才でしたね」。
これは右派学生にもいたな。こいつを追い落とそうと思ったら、次々と欠点を挙げ、追いつめる。天才的だ。あるいは、会社や、他の仕事でもいるんだろう。これも「感性」か。それが分かるのも「感性」か。
辻井さんは他の本で、「敵をも味方にする言葉の力」について書いていた。これだって、若い時に共産党に入り、そこで磨いた「感性」だろう。
11月27日(日)、「西宮ゼミ」で、寺脇研さんとトークをした。寺脇さんは、「ゆとり教育」を提唱したとして、批判されることもある。しかし、当日、話を聞いて、「そうだったのか」と納得した。
「勉強よりは学習だ」と言う。押しつけるよりも、いかに、本人の学習する意欲を引き出すかだ。それに、若い時は、「知識」よりも「感性」を育てるべきだという。宮崎、辻井さんの体験とも通じる。
知識は大人になり、老人になっても、いくらでも得られる。今はパソコン、携帯があるから、なおさらだ。子供だって、〈知識量〉なら、先生に負けないだろう。なんせ、一瞬にして世界の情報がネットで見られるのだから。
でも、「感性」はそうはいかない。年とっても、偉い人になっても、他人への思いやりのない人。無責任な失言、暴言をする人…は沢山いる。知識は一杯あっても、人間としての感性がないのだ。
又、すぐ威張り、傲慢で、他人を見下す人がいる。政治家にも、裁判官にも、検事にもいる。自分だけが正義で、他の愚かな奴らを裁かなくてはならない。そう思っている人がいる。
これも、いくらいい大学を出、いくら知識があっても、人間としての「感性」がないのだ。又、辻井さんは、宮崎さんとの対談でこんなことを言う。
〈僕自身は共産主義に触れたことで今の自分があると思ってるんです。ものの見方、分析の仕方、「矛盾論」に即していうと、どこが主要な矛盾でどこが副矛盾か。そういった思考方法は、毛沢東やレーニン、マルクスあたりから相当借りていますよ。利子も払わずにね(笑)〉
「利子も払わずにね」はいい。さすが西武の経営者だ。私らも大学生の時、右翼学生でありながら、毛沢東の『矛盾論』や、レーニンの『国家と革命』などは必読書だった。感銘を受けたし、考えさせられた。そうだ。レーニンについて、辻井さんはこう言っている。
〈レーニンは本当の実践家であって理論家ではないですよね。スターリンに及んでは、すさまじい権力主義者です。だから、僕がマルクス主義を自分にとって黒字決算だと言えるのは、『聖家族』をはじめとして、まだ政党運動を始める前の、ヘーゲルから連なるマルクスからですね〉
なるほど。わたしも、もう一度、勉強してみましょう。高木尋士さん(「劇団再生」代表)は、『世界の名著』を全巻読破したと言っていた。この全集には、マルクスもレーニンもヘーゲルも、トロツキーも入っている。毛沢東も。
じゃ、『世界の名著』全巻読破対談をやりましょう。私も、40年前に読破したし。ただ、記憶があやふやだから、どこまで高木氏について行けるか分からないが…。
「次は何の全集を読めばいいですか」と聞くので言ってあげました。『人類の知的遺産』(講談社)を読みなさいと。原典だけでなく、その生涯や、著書解説も詳しく出てるし、面白くて読みやすい思想全集になっている。私も、読み返してみたいが、もう体力的に無理だ。
昔、読破した時のメモもない。これも、記憶だけで高木氏と対談しましょう。
そうだ。「アエラ」に書いたエピソードだが、付け加える。辻井さんが言う。
〈僕は上田耕一郎から、毛沢東と宮本顕治が掴みあわんばかりの喧嘩をしたことを聞きました。まさに66年か67年、文化大革命の始まりの頃です。毛沢東は日本の共産党に対しても「遊撃戦術を取れ」と言っていたそうですね〉
つまり、「武装蜂起しろ!」と言ったのだ。続いて辻井さんは言う。
〈「武装闘争以外には革命はあり得ない」と言って、強圧的な態度に出たらしいですね。それに対して、「それはコミンテルンと同じじゃないか。日本のことは俺たちがよく知っている」と宮本顕治は反撥した。それを見ていて「俺は死ぬまで宮顕さんを支持する」と上田は思ったそうで、やはり宮顕というのは偉いのかなと思ったものでした〉
これはいい話ですね。感動的です。宮本顕治は日本を救ったんです。「人間国宝」にすべきだった。と言ってた人もいるくらいです。
又、その場にいて、「死ぬまで支持する」と思った上田さんも偉いですね。私も一度、「朝生」のパーティでお会いし、お話ししたことがある。感動しました。
辻井喬さんは共産党を辞めて、本来なら、共産党の人とは誰とも会えない。でも、後に、上田さんなどとは堂々と会えるようになったという。
共産党も昔と違い、大きくなったんだ。今なら、「辞める」といっても、「査問」することはない。そして、辻井、宮崎さんも、「いい体験だった」「黒字だった」「利子も払わないで借りた」と言える。
右翼や左翼や宗教も、そうしたらいい。でも、まだまだ危ないグループもいる。入ったら、すぐに「テロをやれ」と言われたり、辞めたいと言ったら、「生きて帰さん」と脅されたり。
皆、共産党を見習ってほしいね。だから、いっそのこと、若者は皆、2年間、「日本共産党」に入れたらいい。そうしたら、人を見る目もできるし、世界のことも分かる。「感性」も磨かれる。
そんなことを言った人もいたね。どこかで。
「大阪W選挙。大阪維新の会W勝利。
大阪から日本は変わるのか?」
よかったですね。橋下さん。W勝利ですよ。市長選で勝っても、知事選で負けたら、ねじれになって、やりたいこともやれない。Wであって、初めて「勝利」だ。よかった。橋下さんが勝つのは分かっていたが、ぶっちぎりだと思っていた。9割位とるとか。でも、6割と4割か。4割の批判票は重く受け止めていくだろう。
橋下さんは弁護士だし、いつ辞めても食っていける。だから、他の政治家のように、「これを踏み台にして、無事にこなし、次は国政へ」なんてことは考えてない。全力で大阪を変える。そのひたむきさがいい。「独裁」といって口が滑ったが、独断で、最後は自分が責任をもって、どんどんやると言うことだ。会うと、爽やかで、謙虚な人だ。「これは大きく言い、強調しなくては」と思うとき、ああいう表現になるのだろう。応援してます。頑張って下さい。そんな話をしました。
「編集長は見た!」は『クーリエ・ジャポン』の富倉由樹夫編集長。今回の特集は、
〈『未来』はMITで創られる〉
MITとは、マサチューセッツ工科大学だ。とりわけ、メディアラボは「未来を創る研究所」として注目を浴びている。その驚くべき研究・成果を報告している。
グーグル・ストリートビューのもとになった「アスペン・ムービー・マップ」。レゴとロボットを組み合わせた「レゴマインドストーム」など。
又、今年の9月、第4代社長に日本人の伊藤穣一氏が就任した。
他の特集は、
〈住民情報“流出”でわかった、ピョンヤン市民の知られざる素顔〉
〈死刑執行人が不足するインド。「スキルある人材求む!」〉
〈賛否渦巻くメキシコの“結婚更新制”とは〉
これが一番興味深かった。メキシコ市議会で、結婚を2年ごとの更新制にしようという民法の改正論議が行われている。
メキシコでは09年11月までに結婚した3万3000組のうち、2年も経たずに離婚したカップルは1万6500組になる。つまり、2年以内に半分は別れている。情熱的な国だからか、「一生」を縛ることはない。2年ごとの「更新」もいいでしょう。うっかり更新を忘れていたら、もう離婚していた、となる。「自動延長」はないんだ。これからの「結婚の未来」を示すものだろう。注目したい。