明日、12月13日(火)、私の新しい本が発売になります。『竹中労』(河出書房新社)です。「竹中労没後20年の今年に出す」ということで必死にやりました。やっと間に合いました。今年最後のミッションでしょう。
そして、もう一つ、お知らせです。今発売中の「サンデー毎日」(12月18日号)で、中村敦夫さんと対談しています。中村さんは「木枯し紋次郎」で一世を風靡し、その後、参院議員。そして同志社大学院で教えました。来年のNHK大河ドラマ「平清盛」では清盛の祖父役で出演します。楽しみです。
その紋次郎さんと、今年1年を振り返り、原発、環境、日本の進路などについて語り合いました。
テーマは〈「左翼右翼」から見る原発と自然〉です。中村さんは言います。
「資本主義も社会主義も強烈な環境破壊を伴う」
「環境主義地域政党なら保革超える」
まさにその通りだと思いました。中村さんの話は、とても深いし、重みがあります。中村さんは、07年から09年にかけて、同志社大学大学院で総合政策研究科講師として環境社会学を講義しました。
だから、私は「講義を受ける学生」のようでした。とても刺激を受けましたし、勉強になりました。
11月中旬に出した『愛国と憂国と売国』(集英社新書)を読んで、あべ・あゆみさん(女優。『天皇ごっこ』主演)が、こんなことを言ってました。
「大局を見ながら、それでも関わり合う事から逃げない姿勢がいい」と。
これを聞いて、ギクッとしました。そうか。私は紋次郎の影響を強烈に受けていたのか、と。あゆみさんは、多分、映画「靖國」や「ザ・コーブ」などの闘いを言ってるのでしょう。
私は気が弱いし、人と争うのは苦手だし(すぐ負けるから)、人間嫌いで、引っ込み思案です。面倒くさいことには関わりたくない。逃げていたいと思います。
でも、いつも関わってしまう。〈事件〉に追いかけられ、追いつかれてしまうのでしょう。「日の丸・君が代」問題でも、北朝鮮問題でも、イラク問題でも、「靖国」「ザ・コーブ」問題でも…。あっしには関わりのない事と思いながら、ついつい、関わってしまう。
そういえば、72年から始まったんですね。「木枯し紋次郎」は。空前の大ブームになりました。70年は三島事件。72年は連合赤軍事件。そんな中で、三島なきあとの日本人の虚脱感、虚無感に、強烈な風を吹かせたのが紋次郎旋風だったんですね。竹中労と同じくらい、紋次郎の影響もあったのでしょう、私は。
中村敦夫さんは、84年、日本初の本格的情報番組『地球発22時』のキャスターに起用され、海外数十カ国を取材して国際的視野を持つようになります。98年、参議院議員になり、ついで「さきがけ代表」に就任。「サンデー毎日」の対談では、この辺のことも詳しく聞きました。
私は昔、一度だけ中村さんに会ってます。ロフトプラスワンがまだ富久町にあった頃です。16年ほど前でしょう。テレビのキャスターをやめ、参院選に出るずっと前です。ちょっと小休止というか、浪人の時だったと思います。中村さんは50代後半だったでしょう。「あの紋次郎が来るのか」「ぜひ見たい」とファン心理で行きました。その時、凄いことを言ったんですね。
「今でも挑戦している。闘っているし、勉強している。子供のようだ。大きくなったら何になろうか、なんてフッと思ったりする」
驚きましたね。言ってくれるじゃないか、紋次郎!と思いました。50代後半ですよ。でも子供のように知識欲旺盛で勉強し、チャレンジしている。「大きくなったら何になろうか」と思っちゃう。いいですね。実際、この数年後、請われて選挙に出、参院議員になるんです。
中村さんは1940年生まれ。今年71才です。元気です。「もう一度、紋次郎をやって下さいよ」と言ったら、「とても体が動きませんよ」と言ってましたが、そんなことはありません。元気一杯です。名刺にも紋次郎の写真が出てました。来年はNHK大河ドラマに出るし、紋次郎も夢ではないかもしれません。
昔、ロフトで会った時は、こちらは一ファンとして、ちょっと挨拶しただけ。憶えてるはずはない、と思ったのに、「富久町のロフトで会いましたね」と、ちゃんと憶えてました。
「サンデー毎日」は「同郷対談」と銘打ってます。リードには、こう書かれてます。
〈元参院議員の中村敦夫さん(71)と民族派団体「一水会」顧問の鈴木邦男さん(68)——共通点は「福島県出身」だ。津波と放射能に破壊されたふるさとを見た二人が年の瀬に、原発事故、復興から政治の現状に思いをぶつけあう〉
それでは、もう一つ、『竹中労』の本について。三島なき後の虚無感の中で、私は、紋次郎に大きな影響を受けた。と今、気付きました。
それと同時に、思想的には、竹中労ですね。この人については、キチンと書いてみたいと思ってました。そんな時に、河出から話があったんですよ。
「竹中労の評伝を書いて下さいよ」と。少々のエピソードなら書けるが、「評伝」は無理だと悩みました。話があったのは1年半前かな。そして、やってみるか、と思い、取りかかったのが春です。
今年は竹中労没後20年です。「だから秋には出しましょう」。そのために、6月までには原稿を300枚書いて下さいと言われました。今年は暇だし、やれるだろうと思いました。
ところが、北朝鮮に行ったり、帰ってきたら東日本大震災、そして原発事故。夏には、イルカと泳ぐミッション…と状況が激変。7月になっても、8月になっても原稿は出来ない。
「これじゃ“没後20年”に間に合いませんよ」とハッパをかけられ、急かされて、9月中旬でしたね。やっと「ミッション」をやり遂げたのは。
でも、それから又、大変でした。新しい「事実」が発見されるし、昔、私が竹中労の芝居をぶち壊した時の役者が出現したり。竹中がリビアに行った時の「新資料」が発見されたり…。何度も書き直し、書き足し、ヘトヘトでした。
そして、やっと出来ました。本の初版発行日を見たら、「12月30日」と出てました(実際は12月13日に書店に並びますが)。
フーッ! やっと間に合った。ミッションに成功した。という気分です。
12月5日(月)に、「衆議院議員 松浪ケンタ君と道州制で新世紀を拓く会」に出ました。この時、ケンタ君は言ってました。
政治家に必要なのは3つだ。「ミッション。ビジョン。パッションだ」と。
なるほどと思いました。ケンタ君は若い。30代後半だ。松浪健四郎さんの甥っ子で、格闘家でもある。東孝先生の主宰する「北斗旗」大会には何度も出てるし、健闘している。期待される政治家だ。
私には、ビジョン、パッションはないが、ミッションだけはある。本当は関わり合いになりたくないのに、巻き込まれ、関わってしまう。そして、ミッションに追いかけられる。竹中労の本だって、北朝鮮行きだって、野性のイルカと泳ぐんだって、とても出来ないと思っていた。「ミッション・インポシブル」だ。
でも、何とかやれた。ホッとしている。いくら何でも、今年のミッションはこれで全部終わりだろう。
さて、『竹中労』の本だ。もうちょっと説明する。河出ブックスは随分と本が出てるが、その中で、「人と思考の軌跡」というシリーズがある。いわば「評伝」シリーズだ。
今まで出てるのは3人だ。丸川哲史の『竹内好=アジアとの出会い』。細見和之の『永山則夫=ある表現者の使命』。前田英樹の『信徒・内村鑑三』だ。この評伝シリーズの4冊目が私の本だ。
『竹中労=左右を越境するアナーキスト』(1300円)だ。表紙には、こう書かれている。
〈「人は、無力だから群れるのではない。あべこべに、群れるから無力なのだ」
——権力と組織に抗い孤軍で奮闘した無頼の生き様を追う体験的評伝〉
〈没後20年。もはや、右翼も左翼もない。イデオロギーを超えた言論と行動を再生せよ〉
「体験的評伝」はいいですね。「客観的な評伝」は私の力では無理だ。竹中が生まれてから、どんな子供時代を過ごし、どうして共産党に入り…と詳しく書いてては、私の書きたい〈本質的なテーマ〉になかなか入れない。
それに、竹中労の〈全体像〉を書くのも無理だ。だから、私が会った竹中労、話をした竹中労、影響を受けた竹中労、仲違いをした竹中労…などについて、体験的に書いた。この人に出会ったおかげで、人間は「右や左ではない」ということを教えられた。
では「目次」を紹介しよう。
『竹中労=左右を越境するアナーキスト』
はじめに
第一章 呂律の人・竹中労
第二章 左右を弁別すべからざる状況=大杉栄と里見岸雄、その思想=
第三章 群れるから無力なのだ
第四章 科学から空想へ
第五章 友人、来たりて風となれ!
あとがき
竹中労は、大杉栄を愛し、信奉していた。『フォアビギナーズ大杉栄』(現代書館)では、「大杉栄とは、私である」と書いているくらいだ。私は竹中を通して、大杉栄を学んだ。又、竹中は、「三島以降」の私たちに、一つの挑発をした。「天皇で考えが一致しなければ、左右は話し合えないのか? 共闘できないのか?」と。
三島由紀夫は東大全共闘に対し、「君たちが一言、天皇と言ってくれれば共闘できるのに」と言った。それは、天皇と言わないから共闘できないという強い拒絶でもあった。
竹中はさらにその先を言う。「天皇で一致しなくても共に闘えるのではないか」と。三島事件から6年後だ。1976年12月6日。東京・大手町会館でのことだ。民族派青年を前にして竹中労は、「天皇はそんなに大事なのか?」と問いかけた。「当然じゃないか」と私らは思った。しかし、その時の竹中の言葉が脳裡に焼き付いて離れない。
「天皇問題では一致できなくても、アジアの風と光と呂律(リズム)を理解するなら、共に話せるのではないか。共に闘えるのではないか」と竹中労は言ったのだ。
衝撃的な言葉だ。勿論、反撥した。そこから〈竹中労〉との付き合いが始まった。私の本も、そこから始まる。
何とか竹中労という〈巨人〉を知り、理解しようと必死で考え、書いた。そして、死後20年にして、初めて分かったこともある。新発見もあった。竹中は、我々に「三島越え」を言っていたんだ。そんな気がする。
又、竹中は、「三島由紀夫の『文化防衛論』のネタ本は里見岸雄ですよ」と言った。それが、里見岸雄を勉強するキッカケになった。そんなことも書いた。
又、竹中は、実に多くの人々を紹介してくれた。遠藤誠、千代丸健二、中山千夏、矢崎泰久、小沢遼子、桐島洋子…などだ。
その中で私の「人脈」も広がり、考えも広がった。「左右を弁別すべからざる」状況は、まさに竹中が作った。そして竹中と野村秋介さんの友情についても書いた。大杉栄と北一輝のような厚い友情があると思った。
自分の最近考えた〈思い〉の全てを書き込んだ本だ。そんな本です。読んでみて下さい。
終わって、急いで、弁護士会館へ。2階講堂クレオで。
〈なぜ、無罪の人が「自白」をしてしまうのか。
=取調べの全過程の録画が必要なワケ=〉
広い講堂が満員だった。第1部は、高木光太郎さん(青山学院大教授)の講演。「自白の心理学—なぜ無実の人が『自白』をしてしまうのか」。
第2部は、パネルディスカッション「取調べの可視化(全過程の録画)が必要なワケ」。パネリストは、高木光太郎さん、桜井昌司さん(布川事件冤罪被害者)。青木和子さん(弁護士。布川事件弁護団)、小坂井久さん(弁護士)。コーディネーター、若林秀樹さん(アムネスティ・インターナショナル日本事務局長)。
とても勉強になりました。帰ろうとしたら、アッと思った。藤波心ちゃんがいた。聞きに来てたのだ。勿体ない。パネラーで喋ったらよかったのに。マネージャーと一緒だ。マネージャーに「可視化はなぜ必要か」を説明していた。大人に中学生が教えている。凄いですね。