12月12日(月)、文化放送で鈴木宗男さんと会いました。1年間収監されていて、出てきたばかりです。元気でした。
出てきてすぐ、国会議員の歓迎会があり、テレビで見ました。首相経験者が何人もいるし、かつては激しく追及した辻元清美さんもいました。手を握り合って喜んでました。
辻元さんも同じような試練があり、苦労が分かったんでしょう。この議員の歓迎会の時は出たばかりだから、気も張ってたんでしょう。元気一杯でした。
でも、文化放送に出てくれたのは、出てから1週間目です。外の生活にも慣れて、それでドッと疲れも出る頃かなと心配してました。
しかし、そんな心配は無用でした。元気一杯でした。「やあ、邦男さん、久しぶり」と、いきなり握手。全く変わりません。息子さんが秘書をやっていて、この日も文化放送に来てました。
「1年間の疲れが出ませんか? 大丈夫ですか」と私は聞きました。「元気ですよ」と言ってました。その後、「わが親父ながら驚きですよ。本当に、怪物ですよ」。そうか、怪物クンなのか。
ここまで読んで来て、「アレッ?お前は水曜日じゃないの?」と思われた方は、通ですね。確かに、文化放送で私は水曜日のコメンテーターです。宗男さんが文化放送に出てくれるのなら、ぜひ私の水曜日にお願いして下さいと言ってたのですが、どうしてもスケジュールが合わなくて12月12日(月)になったのです。
だから、月曜日は私の日じゃないのですが、文化放送に行きましたよ。月曜日のコメンテーターは岩上安身さんです。
「あれっ、鈴木さん、どうしたの?」と岩上さん。「宗男さんに会いに来たんですよ。それに、鉢呂さんにも会いたいし」と言いました。
そうなんですよ。12月12日(月)は、スペシャルゲストが2人で豪華です。前経産大臣の鉢呂(はちろ)吉雄さんと鈴木宗男さんです。でも一緒ではありません。初め、鉢呂さんが来て、40分位、出演し、しばらくしてから宗男さんが駆けつけ、30分ほど出演。ということでした。
勿論、お一人ずつ来てもらって、じっくり話をしてもらった方がいいんですが、都合がつかなくて、このように2人が出演という超豪華な日もあるんです。
鉢呂さんとは初対面です。でも有名人ですし、会ってみたいと思ってました。被災地・福島から帰ってきて、「ほら、放射能をくっつけてやるぞ」と記者に自分の上着を付けたという。
さらに、「まるで死の街だった」と言った。「許せない。福島の人々に対する侮辱だ」と連日、糾弾された。そして謝罪。でも、「謝罪くらいではダメだ」と大臣のクビを斬られてしまいました。
コメンテーターの岩上安身さんは、「死の街」というのは、「別に侮辱でも何でもない」と庇っていました。「ゴースト・タウン」と言ったら多分、全く問題にならなかったでしょう。
又、福島の地元の人たちは、「“死の街”というのは、その通りだ。その“死の街”から、どうやって復興するか、それをやるのが政治家じゃないか」と、注文されてるようです。地元民の反応の方が正しいですね。
「これは明らかな“言葉狩り”ですよ」と岩上さんは言います。ウーン、そうなのか。「前から鉢呂さんを追い落とそうという謀略があったんですよ」と岩上さん。
「そんなことは知りませんが」と鉢呂さん。まさか!と私も思いました。
ただ、「放射能、くっつけてやるぞ!」は完全に冤罪だったそうですね。鉢呂さんは全く言ってないんです。これは、今頃になって新聞や週刊誌にも出てました。
福島から帰ってきた時、ある記者が「放射能が服に付いてるんじゃないですか?」と聞いた。鉢呂さんは「えっ」と言っただけだ。
ところが、この話が、主客逆転し、鉢呂さんが言ったことになって報道された。酷い話だ。「書いた記者を訴えたらいいでしょう」と私は言ったが、「いやー」と言っていた。
今さら、済んだことだし、と思ってるのか。心の広い人だ。
「あとでテープを聴かせてもらったけど、私は言ってないんですよ」と鉢呂さん。完全な冤罪だ。テープも公開したらいいのに。全て可視化したらいい。真面目だし、いい人だ。土、日は地元の小樽に戻り、一日中、街頭演説をしている。
そういえば、1ヶ月前、私はたまたま小樽にいた。「鉢呂吉雄です」と大きな声が聞こえてきた。えっ、演説してるのかと思い、その声を頼りに追いかけた。そしてすれ違いざまに、「がんばって下さい」と声を掛け、手を振った。
「あの時の不審者が私です」と言ったら、「えっ、鈴木さんだったんですか。じゃ、一緒に街頭演説してもらえばよかった」。
いや、私じゃ、かえってマイナスですよ。文化放送で別れ際に、写真を撮りました。「握手しましょう。私と握手した人は皆、当選するんですよ!」。そりゃ光栄です。でも、選挙に出ることはないけどな。
それから20分ほどして、遅れて、鈴木宗男さんが入って来ました。『新・言論の覚悟』と『愛国と憂国と売国』を差し上げました。特に『新・言論の覚悟』には札幌で、宗男さんとトークした時の写真も載っている。
文化放送の人が、「お二人はとても親しいんですね」と聞くと、「親類のようなものですよ」と宗男さん。嬉しいですね。「それに同郷ですからね」と言ったら、局の人が、
「でも鈴木さんは仙台でしょう。宗男さんは北海道だし」。
しかし、元々、宗男さんは宮城県なんです。お父さんの代に北海道に移って来たんです。宮城県から来た人は他にも多くて、「伊達町」という所もある。仙台の伊達政宗にち
なんで付けた町名だ。「だから、そこに行くと、仙台の風情がありますよ」と宗男さん。
実は、鈴木宗男さんの名前も、伊達政宗から宗をとって付けたんです。おじいさんが「伊達政宗のようになれ!」という願いを込めて付けたんです。以前、本人から聞いたから本当です。
収監されていた1年間の話も、本番中、詳しくしてました。配膳係、それに老人の介護、おしめ交換などを毎日していたそうです。国会議員が。
冤罪ですが、嘆かず、暗くならず、与えられた環境で、一日一日、元気で務めたといいます。
宗男さんはいつも笑顔です。その笑顔で励まされた人たちが多かったといいます。偉いですね。普通なら、運命を呪い、自分を罪に落とした人を恨み、暗く、ジトーっとするでしょう。他人のことなど構っていられない。俺の方が大変なんだと思うでしょう。
でも宗男さんは、そんな逆境にありながら、笑顔を絶やさず、周りの人たちに声を掛け、元気づけているのです。周りをバッと明るくするのです。なかなか出来ることではありません。
「毎月、30分の運動時間がありますが、私は、走ったり、腕立て伏せをしたり、30分、フルに使いました」と言う。中には、「キツイから嫌だ」「何も今さら運動しても」と諦めてる人もいるそうですが、宗男さんは積極的です。
腕立てはどの位やるんですか?と聞いたら、「100回を4セットから5セットです」と言う。ゲッ、500回もやるのか。私なんて、柔道をやる時だけですよ。それも100回か200回で終わりだ。
私は格闘家だと思っていたけど、宗男さんの方が格闘家だ。走るのも速いし。とても、かなわない。息子さんじゃないが、「まるで怪物ですよ」。
宗男さんは出て来たが、これから5年間は選挙に出れない。これも変な法律だ。改正すべきだよ。でも外国には行ける。いろいろ、計画を聞かせてくれた。日本のエネルギー問題、領土問題のために、必死に考えている。
そうだ。民間人でも大臣になれるのだから、「領土問題担当大臣」を作って、宗男さんにやらせたらいい。ロシアには絶大の信用がある。
先月、ロシアの大学教授に聞いたら、「プーチンが最も信頼してるのが鈴木宗男だ」と言っていた。宗男さんとなら領土問題も話し合える。
来年は、プーチンが大統領になるし、この機会に宗男さんに行ってもらったらいい。又、中国、韓国にも行って、領土問題に尽力してもらいたい。民間人・宗男さんをどんどん使ったらいい。
そうだ。この日、12日(月)は、もう1人、国会議員に会った。夜、横浜のグランドインターコンチネンタルホテルに行った。プロレスラーのザ・グレート・サスケさんの所属するアルファ・ジャパンプロモーションの忘年会だ。
プロレスラーばかりかと思ったら、何と松木けんこうさんがいる。「あれ?どうしてここに?」と聞いてしまった。サスケさんやアルファ・ジャパンプロの荒井英夫さんとは前から親しいらしい。
「この前は毛ガニをありがとうございます」とお礼を言いました。先々月かな、松木さんのパーティに行ったら、抽選があって、毛ガニが当たったんですよ。とてもおいしかったです。
そうだ、グレート・サスケさんに選挙の話を聞かなくちゃと思った。前に、岩手県議をやり、知事に挑戦したが敗れた。今度又、県議選に出ると言っていた。8月15日にロフトプラスワンで会った時、言ってたんだ。選挙はまだなのかな、と思って聞いたら、「9月にあったんですが、落ちちゃいました」と。
えっ、残念ですね。準備期間が短かったんだ。
「昨日は後楽園ホールで、大仁田厚さんとタッグを組んでプロレスをやったんですが、“落選コンビ!”と言われましたよ」と笑っていた。
この日は、歌があったり、マジックがあったり、楽しい忘年会でした。そうそう、このマジックが凄かった。「タジマジック」さんだ。私はマジックは好きでテレビのマジック番組は全て見ている。アメリカから来るマジシャンは舞台で見ている。かなり見抜く目も持っている(つもりだ)。でも、この人は全く分からない。
缶ビールからビールを出し、それを握りつぶす。それを今度は、ふくらませ、完全な缶にして、フタもつける。さらにフタを開け、ビールを出す。間近にいたのに全く分からない。
これを見ただけでも横浜まで来た甲斐があった。このマジシャンのDVDをつい買ってしまった。年を聞いて又、ビックリ。その半分位にしか見えない。これもマジックか。
「この人に日本の復興もやってもらおう。政治の改革もやってもらおう」と私は挨拶しました。「あっ、松木さんがいた。政治だけは松木さんに変えてもらいましょう」と付け加えました。
この忘年会には、テレンス・リーさんも来ていて、久しぶりに会いました。元外人部隊の猛者です。ジムで鍛えているそうです。凄い肉体をしています。私もジムで鍛えなくっちゃ。このところ忙しくて、体を鍛える時間がない。獄中にいた宗男さんよりも私の方がひ弱だ。
それに、パナマ共和国大使館の経済参事官・リッテル・ディアスさんにも会いました。とても日本語がうまいです。
ともかく、12月12日(月)は、忙しくも有意義な1日でした。横浜に行く前にも、仕事で人に会ったし、ヘトヘトでした。でも、素晴らしい1日になりました。
そうか、これからは年末にかけて、忘年会続きだな。その嵐をどう切り抜けるか、大変だ。今年最後のミッションですね。
あっ、トム・クルーズの「ミッション・インポシブル」も始まるし、見なくっちゃ。
では、いいお年を。あれっ、ちょっと早かったか。