明けましておめでとうございます。今年は復興と再生、希望の年になりますように。タツの年です。ドラゴンです。いい年にしたいと思います。
去年は大変な年でした。大震災、原発事故の年でした。激動の年でした。今までの日本。これからの日本を考えさせられました。被災地には3回行きました。仙台の高校の同窓会にも出ました。又、北朝鮮には2回も行きました。3冊の本を出しました。夏は、野生のイルカと泳ぐプロジェクトに参加しました。多くのミッションをこなしました。
本も、毎月30冊のノルマを課してますし、実行しています。その結果は来週にでも発表しましょう。
「劇団再生」の高木尋士さんは、何と、昨年は500冊を超えたそうです。それに、80巻以上ある『世界の名著』を全巻読破したそうです。今年は、それを記念して対談をやりたいと思います。今は、『人類の知的遺産』(講談社)を読み始めたといいます。これもいい全集です。
デジタルの時代だからこそ、「本を読む」というアナログな努力が必要なんですよ。昨年は、我がみやま荘も急激なIT化の年でした。
ブログの他に、ツイッター、フェイスブックを始め、それに伴って、パソコン、スマホも増えたし、地デジ化で、大型ブルーレイテレビが入り、部屋の中は一新しました。コタツにあたって20インチのテレビを見ていたのは昔のことです。
IT化で、機械が並び、まるでサイバー基地ですよ。テレビに内蔵されたビデオで、80時間まで録れるし、凄いです。それに、同時に3番組を録れます。
「あれっ、これ、録画したかな?」と思って、念のために録って、再生すると同じ番組が2つも録画されてる、なんてこともあります。不思議ですね。どうしてこんなことが出来るのでしょう。
又、外に出ていて、「ヤベ、録画を忘れた」と思ったら、スマホで録画できるんです。
さらに、これは優れものですが、人と話していて、「きのう、こんな番組があって、面白かったよ」という話になって、「じゃ、きのうの番組を予約しよう」ということも出来るのです。過去に戻って予約するのです。タイムトカプセルです。
種を明かせば、ビデオの会社が、全番組を録画しておき、そこから我々が選ぶのです。これは〈革命〉ですよね。
又、普通の人が、「デモをやらにゃ」と思い、つぶやくと、それだけですぐに1千人が「反原発」デモに集まった。ということもあります。私も参加しましたが、「ツイッターデモ」です。
時代は大きく変わりました。まるで、エジプト革命のようです。
今、日本で、携帯やパソコンを持ってない人はいません。だから、〈知識〉や〈情報〉は、全国民同一にあります。均等です。少なくとも、そこにアクセスできます。
そして、先生と生徒の差がなくなります。評論家と読者との距離もなくなります。厖大な世界の知識・情報を誰でも瞬時に得られるのです。
大学のレポート事情も激変しました。皆、パソコンを使ってコピペして書くのです。コピーアンドペーストですよ。ネットの情報を切り貼りしてレポートを書くのです。
私も専門学校で教えていた時、発見しました。「おっ!これは凄いレポートだ。資料や数字も詳しいし」と思ったら、全て同じレポートが次々とある。何のことはない。パソコンで得た情報だったのです。
だから、「レポートなどはやめよう」という大学も増えました。たとえば、コピペを発見するソフトも開発されています。
又、もっといいのは、1対1で面接するのです。何を聞くかは、その時に決めます。そうすると、パソコンや携帯に頼れないから、その人間そのものが問われます。
寺脇研さんが「西宮ゼミ」の時、言ってました。子供のうちから知識や情報を詰め込むやり方はいけない、こんなものは大人になってからでも得られる。
又、子供でもパソコン、携帯を通し、先生なみの情報を得ている。つまり、そんなものは誰でも手に入れられます。平等にアクセスできます。
しかし、人間の感性だけは子供のうちでないと育てられない。他人に対する思いやりや、イザという時の判断力などです。大人になって、知識・情報は有り余るほどあるのに、人間としての常識、感性のない人は多くいます。失言を繰り返して辞めていった大臣もそうです。
つまり、デジタルの時代だからこそ、アナログが必要なのです。私の好きな増田さんの本を最近、再読しました。そのことを再び確信しました。
増田剛己『思考・発想にパソコンを使うな=「知」の手書きノートづくり=』(幻冬舎新書)です。とてもいい本です。皆さんも読んでみて下さい。
〈「デジタル」の時代だからこそ、「アナログ」で差がつく〉
と言います。これは名言ですね。竹中労の「人間は弱いから群れるのではない。群れるから弱いのだ」と同じように、素晴らしいキャッチフレーズですね。デジタルでは皆、〈平等〉です。アクセスする時間が何秒か違うだけです。「差」はないのです。
もし、人間に差がつくとしたら、それは「アナログ」だといいます。つまり、どれだけ本を読み、考え、あるいは活動し、体験し…と。そうしたアナログな行為によって、その人間の「発言」に差が付き、人々は注目するのです。
増田は、ノートパソコンに全て、入れてしまってはダメだといいます。小さな手書きのノートを持ち歩き、電車の中でもどこでも、思いついたら、わざわざ手書きでメモする。それらのメモをまとめて、原稿を書く時は、パソコンでいいでしょうが。ともかく、手を使ってメモをすることが大事だといいます。
いい論文を書くためだけではありません。実は、手書きをすると脳が活性化するのです。パソコンのキーを打つ時は、脳は全く働かないのです。慣れれば慣れるほど、指は事務的にキーを叩きます。だからこそ、増田は言ってます。
〈先月、あるテレビで携帯電話のメールを打つ際の脳の動きというのをやっていた。なんと驚くべきことに、携帯電話でキーを叩くとき、脳はまったく使われてないそうである。これに対して、手書きの場合は脳を使う。文字を書こうとするとき、蓄積された膨大なデータから書きたい文字の形を検索する高度な処理が、脳内で一瞬にして行われているという〉
これは驚きですね。「手書き」の方が、脳は活性化され、「独創的」なものをつくるのです。パソコンをいくら駆使しても、「分類」し、「整理」することは出来ても、新しいものは生まれません。「唯一、アナログな行為」によって生まれるのです。
12月21日(水)、談志さんのお別れ会に行きました。そこで、談志さんのCDや、娘さん・松岡弓子さんの本をもらいました。その本の中に、凄いなーと思ったことがいくつかありました。これは、デジタルでは生まれないと思いました。
談志さんの発想、面白さですよ。高田文夫さんが前に言ってました。落語を何百も憶えている人がある。驚くべき記憶力で、完璧に憶えている。頭はいい。「でも面白くない」。
一方、あまり、持ちネタはない。記憶力も悪い。時々忘れる。トチる。でも、「やたらと面白い」。芸人として、どっちが伸びるかだ。デジタル時代だからこそ、アナログで勝負が決まる、ということだ。
ちょっと話が外れた。娘さんの本だ。
松岡弓子『ザッツ・ア・プレンティー=父・立川談志との258日』(亜紀書房)だ。看病の様子が日記風に書かれている。何を食べたか、誰が見舞いに来たか、何を話したか、何を苦しがっていたか、などだ。それを、亡くなって、たった3週間で本にした。奇跡的だ。こんな記述がある。
「父は肌がきれいだ。こんなときでもスベスベしている。髪の毛は禿げなかったし、自慢の陰毛も黒いままだし」
「自慢の陰毛」か。娘に自慢して、いつも見せてたんだろう。不思議な父子だ。病室では、陰毛だけ見るわけにはいかないから、中の大根、いや牛蒡も見て、つまんでいたんだろう。体も拭くんだし。うーん、よく分からん。それよりも、次の言葉だ。
〈ちょうど去年の10月に週刊誌でお医者様との対談があり、父は「ふとした病で死にたいね。生まれ変わったら、ヘビでもカラスでも味の素でもいい。葬式はしないで、骨は海にまいてくれ〉
そして、次だ。アッと思いましたね。
〈「死後の世界はあると思う。きっと、いいからみんな戻ってこない、云々…」と言っていた。今読み返してみると父らしくて納得できる。父は落語家、立川談志。私は談志の娘なのだ。どんなときだって、シャレがわからなきゃダメだよ、パパ!〉
そうか。あの世は、いいとこだから、皆、戻ってこないんだ。これは一大発見でしたね。名言ですよ。人生訓ですよ。
こういうシュールな人生訓だけを集めて、教科書にしたらいい。情操教育になる。この言葉なんて、エッ?と思い、オーと思い、そんな馬鹿なと思い、でもそうかもしれんぞ、そうだったらいいな、と、いろいろ考えさせられる。いい言葉だよ。
そうだ、思い出した。内田百閒の言葉に、「酒やタバコは体に悪い」というのがある。みんな、やめたらいい。その「根拠」としてこう言う。
「子供を見てみろ。酒やタバコをやらないから、皆、長生きだ!」
凄いね。一瞬、真理かな、と思わせる。こういう目の付け所がいいよね。これは、いくら「知識」や「情報」を集めても出てこないものだ。デジタルの中からは発見できんよ。アナログの中で発見される〈独創性〉ですよ。異端ですよ。
ということで、今年もがんばって行きましょう。サイバー基地の中でも、「情報ダイエット」して、パソコンに向かう時間は極力抑えようと思っています。
電車の中でも、あえて、メールはしません。電車の中では必ず本を読むことにしています。「断捨離」も実行しています。
知り合いから送ってもらった本ですが、出久根達郎の『日本人の美風』(新潮新書)を読んでました。
〈美徳、清貧、義理がたさ、陰徳、思いやり…この国には不朽の礎(いしずえ)がある。時代を超えて胸を打つ「日本人論」〉
と本の帯には書かれています。私の知らない人もいますし、知らなかった事実もあった。
〈大津波から村を救った異能の実業家、分度を守り復興を成し遂げた二宮尊徳、著名な学者を唸らせた無名の人の志、貧 しくても守り通した義理から生まれる人の縁、災厄のときこそ人心を慰める皇后の読書歴――日本人の美点を体現した人びとの凄みを、歴史の襞の中から見つけ 出す秘話七篇〉
その中で、「義理がたい――樋口一葉の優しき清貧」の中に、こんなことが書かれていた。
〈長生きの秘訣は、義理を欠くことだ。
と言ったのは誰だったか。風邪で休んでいる最中に知り合いの訃報が届く。無理して、弔問に出かける。案じていた通り、こじらせてしまい、運が悪ければ義理で命を落とす破目になる。義理がたい人は短命だ、ということになる。いい人ほど早死に、と俗間言われるけれど、いい人は義理の人の意味かも知れない〉
すみません!と私は謝ってしまいました。これは私のことだ。義理を欠いてるから、今まで生きてこれたんだ。申し訳ありません。
去年だって、3冊の本を書くために、義理の欠きっぱなしだ。いろんな集まりには行けなかった。手紙には返事を出さなかった。本やお菓子を送ってもらっても礼状を書かなかった。
「そのうち、仕事が一段落したら、まとめて書こう」と思っているうちに1年が経ってしまった。本当にすみません。
これは、左右の運動にも言えるかもしれませんね。「デモに行って暴れよう!」「ハイジャックに行こう」「テロをやりに行こう」とお誘いに、義理がたく付き合っていたら、すぐに獄中だ。短命だ。
私は、義理を欠いたから、生き残っている。悪い人なんですよ私は。義理を欠き、「日本人の美風」に反する人間です。反日的人間です。そうか、「反日的人間」というタイトルもいいな、次の本は。と、義理を欠いた発想をしてしまいました。
すみません。そんなわけで、今年も、さらに義理を欠く1年になるでしょうが、よろしくお願いします。
①安田好弘弁護士の事務所で「死刑反対・フォーラム」の忘年会がありました。12月25日(水)です。何と、鈴木宗男さんが駆け付けてくれました。皆が「あっー!」と歓声を上げました。酒を届け、一度、挨拶をし、嵐のように去っていきました。
⑤阿佐ヶ谷ロフトで。12月23日(金)。私は「言論の自由」についての討論会かと思ったら、司会の白井さん(左)が、「鈴木邦男と4人の女性」とタイトルを変えてました。それぞれ仕事上でお世話になっている方々です。
「週刊金曜日」の赤岩さん、「劇団再生」のあべさん、監獄人権センターの塩田さんです。でも3人ですね。あとは女装癖の白井さんか。右は特別ゲストの佐川一政さん。