衆議院議員・石川知裕さんと阪中香織さんの結婚披露パーティが2月4日(土)、行われました。
午後2時から、ANAコンチネンタルホテル東京です。私も招待されて出席しました。私なんかが、いいの?と思いましたが、光栄です。感動しました。
きっと国会議員ばかりで、国政の話ばかりの、堅苦しいパーティだろうな、と思ったら、大違い。
500人ほどの参列者の中で、国会議員は小沢一郎さんと松木けんこうさんの2人だけ。元議員の鈴木宗男さんも含めても政治家は3人だ。
あとは、地元の人、高校、大学の同級生など。お二人の同級生がドッと登場し、校歌を歌ったり、一気飲みをしたり。在学中の秘密の話をバラしたり。
酔って裸になろうとして止められたり(残念ながら、これは新郎の同級生)。
ともかく、今時の若者らしい結婚式でした。そこがとてもよかったですね。
ただ、始まってしばらくは緊張しましたね。師匠・小沢一郎さん、鈴木宗男さん、そして松山千春さんの挨拶が続きます。「前科一犯の佐藤優です」と佐藤さんも祝辞。
そうか、宗男さんはずっと収監されていて、年末に出てきたばかりだ。小沢さん、石川さんは裁判中だ。
そう考えると凄い結婚式だ。石川さんは、これからも大変だ。
小沢一郎さんが言っていた。「これからはますます激動の政局です。石川君の人生も平穏ではありません。波瀾万丈でしょう。香織さんも大変だと思います。
しかし、波瀾万丈なだけに支え甲斐があると思います」
なるほどと思った。「支え甲斐がある」か。香織さんも、「ハイ」とばかりに、うなずいておりました。
新婦の阪中香織さんはBS11のアナウンサーでした。今は辞めて、石川さんの地元の北海道に移っています。
結婚式にはBS11の社長や、上司、同僚も来てました。実は私は去年、BS11に出ました。二木啓孝さんの「報道原人」です。その時のアナウンサーが阪中香織さんです。
私の何ヶ月か前に、石川知裕さんもこの番組に出てました。それで親しくなったそうです。(知り合ったのは、その少し前らしいですが)。ともかく、BS11はお二人の結婚の大きな契機になったわけです。
「じゃ、私が出た時は、結婚は決まってたんですかと香織さんに聞きました。結婚披露パーティのお忙しい中で、聞いたのです。
「付き合ってはいましたが、結婚はまだ決めてなかったです」と言ってました。
それから、しばらくして、2人で落語を聞きに行った後、飲み屋で、「籍を入れようか」「そうね」という話になったそうです。
ほう、「芝浜」でも聞いて、「夫婦っていいなー。じゃ、私たちも」と決意したのでしょうか。
でも、誰の噺を聞いたのか。志の輔さんかな。談春さんかな。ブラックさんてことはないよな、と思って香織さんに聞いたら、「8人位出てました。上野の演芸場でした」。
じゃ、「鈴本」か。今度、石川さんにちゃんと聞いてみよう。
司会者が言ってたけど、石川さんは、子供の頃からお笑いが好きで、小学校の作文に、「大きくなったらお笑い芸人になりたい」と書いたそうです。ビートたけしのような芸人になりたいと。
それを父親が見て激怒し、「お笑い芸人」を「医者」に直されたそうです。今は、国家の病を治す医者になってるのかもしれない。
それに、いかに逆境にあっても明るい気持ちを失わないのは、「お笑い」「落語」好きがあるのかもしれない。
今度、そんな話をじっくりと聞いてみたいですね。
石川さんは函館のラサール高校を卒業して、早稲田に入る。ラサールって鹿児島が有名だが、函館にもあるんだ。両方とも有名だし、難しい。東大の進学率も高い。
私は仙台の東北学院だ。「同じミッションスクール出身ですね。でもレベルが違いますけど」と石川さんに言った。
ラサールは東大進学者が多い。東北学院は、東大はいない(だろう)。でも、東北大には随分と入っている。
私の半生記『増補・失敗の愛国心』(イーストプレス)が1月に出たが、その中でも、ミッションスクールのことが書かれている。ミッションとは、神さまの使命(ミッション)を実現する為に作られた学校という意味らしい。
ミッションスクールは、どこも優秀だ。勉強も厳しい。いい大学に何人入れるか、それで学校の評価が決まる。
だから先生たちも必死で教える。スパルタ教育の学校も多い。
高校の時、私は反撥した。「神は勉強のできる子どもだけを可愛がるのでしょうか?」と。
「そんなことはない」と先生は言いました。99匹の羊を残しても、迷った1匹の羊を探すために出かけるのだ、と。
「だったら、高校で入試をして、上の者から取るのはおかしい。全員入れるか。あるいは、下の者から順番に入学させるべきではないか」と私は言いました。
でも、先生は答えません。「理屈を言うな!」と叱られました。でも、キリストさまならば分かってくれると思います。
あっ、話が外れちゃった。
函館ラサールを出て、石川知裕さんは早稲田に入ります。大学時代から政治家になろうと思い、いろいろ勉強し、いろんな人に会ったようです。
そして、卒業後、一度は会社に入りますが、政治への夢、断ちがたく、小沢一郎さんの秘書になります。部屋住みで、大変な苦労をされたようです。
「お前なんか、辞めてしまえ!」と言われたことが3回もあったそうです。「その時、辞めてたら、捕まることもなかったし、裁判になることもなかった」と言って笑ってました。
小沢さんも「石川君には大変な重荷を背負わせてしまった」と言ってました。
師匠・小沢さんについては石川さんの『悪党 小沢一郎に仕えて(朝日新聞出版)で詳しく書いてます。とてもいい本で、随分と売れているようです。
私は石川さんとは数年前に知り合いました。JR東労組の冤罪事件の支援集会で会いました。その時、石川さんが言ってたのです。
「僕は、学生時代に一水会の忘年会に出たんですよ」と。全く知りませんでした。大学の先輩に連れられて、「面白い会合があるから」と、よく知らないで出たそうです。
いろんな人に会い、いろんな会に出て、政治の勉強をしていた頃です。20年ほど前でしょう。高田馬場の居酒屋だったそうです。
「その時は、鈴木さんも木村さんも、まだ恐かったです」と言ってました。かなり過激な運動もしていた頃です。ピリピリしてたんでしょう。
では、話を結婚披露パーティに戻します。
鈴木宗男さんの祝辞もよかったし、松山千春さんの祝辞もよかったです。「俺に歌をうたえってことだけど、持ち歌に、結婚式用の歌って、ないんだよな」と言います。
〈「愛することにつかれたみたい…」じゃ、マズイだろう。「うつむいたあなたに」とか、「砕けた夢のカケラ」じゃマズイだろうし〉
と言って笑わせると、その次に、持ち歌を披露する。「この広い大空に…」と。やはり、お祝い用の歌があるじゃないか。
さすがに、うまいですね。すぐ傍で聞いて、聞き惚れました。
そうだ。披露パーティの司会は、香織さんの同級生2人だ。聖心女子大学の「アナウンス研究会」の人だ。2人とも、アナウンサーになっている。
他にも、テレビ局、ラジオ局で活躍してる人が多い。同級生が着物姿で登場し、歌をうたう。新婦も参加し、ジョッキでビールを一気飲み。
さらにマイクを奪って、大好きな森高千里の歌をうたう。「私がおばさんになっても」。うまい。おばさんになっても知裕さんは愛してますよ。
それから、新婦のスピーチ。
何でも香織さんのお父さんは以前、冤罪で捕まったことがあった。それで石川さんと初めて会った時に、逮捕、ガサ入れ、差し入れ、面会…といったことで盛り上がり、意気投合したという。
不当な逮捕だったが、そのおかげで、結ばれました、と言っていた。
そのあと、石川さんの挨拶。「嫁にこんな立派なスピーチをされちゃ、私の出番がない」と言いながらも、嬉しそうでした。
私も、女子アナを見直しましたね。美人なだけでなく、頭もいいし、行動力もある。今、どこのアナウンサーも入社試験では2千倍、3千倍だ。女性の憧れの職業だ。
昔はスチュワーデスだったが、今は女子アナだ。その女子アナだが、最近は、年下の野球選手やタレントに目を付けて、「職権」を利用して近づき、ゲットし、結婚するというケースが多い。あとは安泰だ。
それなのに香織さんは、あえて、厳しい道を選んだ。「支え甲斐のある道」を選んだ。
偉いですよね。BS11の人も、皆、祝福していた。一緒に番組をやっていた二木啓孝さんとも話をした。
「鈴木さんとは古いんだよなー」と言う。「そうですね、10年前にロフトで会って、トークしましたからね」と言った。
二木さんは昔、学生運動をやっていて、その時の過激な闘いもつい口が滑って喋ってしまった。
私は、当時「週刊SPA!」に連載していた「夕刻のコペルニクス」で、そのことを書いた。
書いてはいけないことも暴露して、書いた。大問題になった。告訴されても仕方ない内容だ。
でも二木さんは、「俺も脇が甘かったな」と言って笑っていた。人間の度量が違う。大きいと思った。
その二木さんが言う。「10年前じゃないよ1975年だから、37年前からだよ」。
エッ、そんな昔に会ってんの。大学で乱闘になったのかな、と思ったら違う。
私は、1975年に『腹腹時計と〈狼〉』(三一新書)を書いて、もの書きとしてデビューした。
しかし、その前に、新左翼の有名な雑誌の『情況』に原稿を頼まれて、書いた。
「その時、原稿を取りに行ったのが僕ですよ。高田馬場の喫茶店で会ったじゃないですか」。
えっ、思い出せない。でも、原稿を書いたのは覚えている。レベルの高い新左翼の雑誌に書くのだ。なめられちゃいけん、と思って、必死に書いた。
その原稿は、私の『時代の幽閉者たちに』(島津書房・1976年2月刊)に入っている。
「初出一覧」を見ると、トップの原稿だ。
〈幻想と神話の復権こそが
=もしくは変革の原基としての天皇=〉
というタイトルだ。『情況』(1975年6月臨時増刊号)となっている。確か、天皇制特集号だったと思う。
左翼だけでなく、右翼の論文も一つ入れようということで、私に依頼があったらしい。
今、読むと、文章は硬い。格好をつけている。今なら、こんな文章は、とても書けないな。
しかし、二木さんとはそんな昔から知り合いだったんだ。
二木さんは、この時は、学生運動をやめて、『情況』で働いていた。そのあと、「週刊ポスト」などに移り、今はフリーだ。
そして、BS11にも出ている。
というわけで、石川知裕さんも、阪中香織さんにも縁があって、私は披露パーティに呼んでもらえた。
いいパーティでした。おめでとうござしました。お二人とも、お幸せに。
〈「あさま山荘事件から40年」
「連合赤軍化」する現代日本〉
「本棚」というから、本を紹介するコーナーだ。連合赤軍関係の本は100冊以上出ている。「鈴木さんは全部読んでるでしょうから、その中から3冊位、多くて7冊位を選んで紹介し、事件のことを書いて下さい」と言われた。
これは大変だと思った。関係者や研究者は多いのに、私なんかでいいのかよ。と思ったが、必死に書きました。100冊以上なんて、とても読んでないが、主要なものは読んでいる。
その中で、10冊ほどを読み返して、メモをして、原稿を書いた。短い原稿だが、「これじゃダメだ」「これもダメだ」と、何回か書き直し、出しました。言いたいことは伝わったのかどうか。
「どうして鈴木が連赤のことを?」「どんどん左傾化してますね」と、読んだ人に言われた。
夕方から雑誌の対談で出る。
「今日のテーマ」は、「光市母子殺害事件」について。2月20日に最高裁の上告審判決が下される。事件は1999年、山口県光市で起こった。母子殺害事件で18才と1ヶ月の少年が逮捕された。一審、二審は「少年」であることも考慮され、無期懲役。しかし最高裁は「犯行時の年齢は死刑回避の決定的事情とまではいえない」として審理を広島高裁に差し戻した。
そして、差し戻し控訴審では、事件の悪質性などから、「極刑回避の事情はない」として死刑判決が下されている。弁護側は上告している。
その事件について語り合いました。私は、弁護士も知り合いだし、被告のF少年にも面会して会っている。しっかりした青年だと思った。自分の謝罪の気持ちがキチンと伝わらないことに苛立っていた。そんな話をした。
終わって、生徒と食事会。終わって、ファミレスに行って、レーニンさんにもらった本や、坪内祐三の『一九七二』(文芸春秋)などを読む。朝4時まで読み耽った。
①石川知裕さんと阪中香織さんです。本当にお幸せそうです。2月4日(土)です。結婚披露パーティです。2人の間に割り込んでいるようですが、皆で一緒に写真を撮る時間があるんですよ。それで、撮ってもらいました。
⑧そしたら、本物が来て、一緒に撮りました。ヤバイ、付き合ったら私も「暴排条例」で捕まるよ。「その筋の方ですか」と聞いたら、違った。工場に勤める工員さんだという。メガネを外すと可愛いし、「安田大サーカス」のクロちゃんに似ている。「クロちゃんでーす」と物真似までしてくれました。でも、こんな格好をするとキマってますよね。