2012/02/27 鈴木邦男

「右から左まで」革命的な脱原発デモでした!

①共産党と共に、西尾幹二さんも発起人だよ!

デモの先頭はカラオケ・カー デモの先頭はカラオケ・カー

足が痛い。これじゃ膝も治らない。だって、2月は3回もデモに行ったんです。それも皆、長距離、長時間デモだ。

2月5日(日)は大阪に行って、「右からデモ」に参加しました。7キロも歩きました。3時間です。2月19日(日)は杉並デモで、「右から左まで」6千人が集まった超大型デモでした。3時間歩きました。

そして、2月21日(火)は、夜の「右からデモ」でした。その時は、東京電力や経産省に抗議に行き、テント村で頑張っている人々を激励しました。右、左を超えて、脱原発の力強い連帯の絆が生まれました。

大阪デモは前に報告したので、杉並デモと右からデモについて書きましょう。

「2・19(日)杉並デモ」は画期的でしたね。革命的でした。文字通り、「右から左まで」6千人が集まり、地域も協力したデモでした。

だって、解散地点の阿佐ヶ谷では、「デモの方、2割引き」なんていう貼り紙が、多くの店に出ている。洒落たデモのポスターも貼っている。そこに、多くの人が詰めかけ飲んでいる。これは凄い!と思いました。

新社会党の人たちと 新社会党の人たちと

このデモのことは、前から話題になってました。松本哉さんの「素人の乱」だけでなく、日本共産党、民主党、社民党、新社会党も参加するという。

それだけなら、「左翼と市民派のデモ」だろうと思われるが、保守派の大御所・西尾幹二さんが発起人に名を連ねている。又、菅元総理の奥さんも発起人だ。さらに私までが発起人だ。いいのかよ、と思った。

だって、西尾さんは、元は原発賛成だった。原発事故以来、「私が間違っていた」と自己批判し、原発反対派に回った。4月に一緒にテレビに出て、衝撃的な告白をした。

私はその現場にいた。感動した。これだけ、正直で、潔い学者はいない。さらに、共産党や、社民党と一緒に発起人に名を連ねている。これも凄いし、勇気がある。

日本共産党の人々と 日本共産党の人々と

「反原発というのはいい。しかし、何も共産党や社民党と一緒になって発起人になることはないだろう」「お前は左翼になったのか」「共産党を利する」と周りの人たちにも批判されたと思いますよ。

それでもやった。体調が悪いが、車椅子でも来たいと言ってたそうだ。

さらに、共産党も偉いですね。ちょっと前ならば、絶対に認めなかった。上が認めない。どんなに立派な集会でも、西尾さんのような保守反動の人や、鈴木のような右翼と一緒に日本共産党が発起人に名を連ねるなんて、あり得なかった。日本共産党の名が汚れる。

ところが、発起人として堂々と並んだ。さらに当日は、「日本共産党」というノボリが多数立っている。うわー、凄い。と思い、私は一緒に写真を撮りましたよ。

新社会党の人とも記念撮影した。「原和美さんとはよく講演会、一緒にやってますよ、この前は、委員長さんにもお会いしましたよ」と言った。「こちらこそ、お世話になってます」と新社会党の人々。皆、脱原発の同志ですよ。

②右を代表して挨拶しましたよ

保坂展人・世田谷区長と 保坂展人・世田谷区長と

この杉並デモは、人が多すぎて、どこに誰がいるか分からない。中央ステージがどこかも分からない。東高円寺のそばの蚕糸の森公園というところで集合した。「さんしのもり」と読むらしい。カイコが住んでたんだろう。いや、カイコから糸をつくる工場があったのだろう。

午後1時、集会は始まりました。「今日は、文字通り、右から左まで広範な人々が、こんなにも沢山、集まりました!」と司会者。「ウオー!」と人民が叫びます。

でも、「右から」なんて、私1人じゃないのかな。1人で幅をグンと広げて、「広範囲な人々」を作っちゃった。最初の挨拶は、保坂展人・世田谷区長だ。区長がよく来れたもんだ。偉い。堂々の演説だった。

そして、2番目は何と、私だ。人が多くて、前に出れない。「ハーイ、いますよ!」と叫んで、人民の海を泳ぎながら、やっと正面に出る。

「脱原発に、右も左もない!」と挨拶 「脱原発に、右も左もない!」と挨拶

「原発をやめさせる!これには右翼も左翼もありません!」と私が言ったら、「そうだ。仲翼(なかよく)だ!」と声が上がる。いいですね。6千人も人がいるし、喋る方も、実に気分がいい。

「本当は右翼、保守派の人も参加したいんですよ。でも、そんなことをしたら、左翼を利する、なんて思っている。もう利する左翼なんて、どこにもいないのにね」と言ったら、ドッと笑ってました。

「だから、そんなシャイな保守や右翼の人たちを代表して、私が参加しました!」と言ったら、ウケてました。

あとで知ったけど、「鈴木邦男さん、一水会顧問」というフリップが出てました。人民が持って掲げてくれたのです。アナログですが、嬉しいですね。

演説が終わって、下に降りたら、「久しぶりにいい演説だったね」とロフトの平野さんに言われました。元全共闘のおっさんには、「よかったね、“革命的”なんて言ってたよね」。

横では名前を掲げて紹介している 横では名前を掲げて紹介している

あれっ、言ったっけ。そうか。共産党、社民党、新社会党、それに右翼、保守派が集まった。これは画期的なことだ。「革命的だ!」と私は興奮して叫んだ。そのことを言ってたのだ。

人民の海の中には、ブントのリーダーだった三上治さんがいた。又、元「反戦自衛官」の小西誠さんがいた。「三島由紀夫の予言は当たりましたね」と小西さんと話をした。

三島は1968年に「楯の会」をつくる。その時、ドッと、入会希望者が来た。だって、「平凡パンチ」や「プレイボーイ」のグラビアによく出ていた。キャー、格好いい!となって、申し込みが殺到した。

でも、三島は冷静だった。学生長の持丸博に、「一人一人、必ず面接をしろ」と言った。「左翼が潜入するかもしれないから、気をつけろ」と言った。

そんなことはないですよ、と思いながらも持丸は面接した。「楯の会」は自衛隊と密接な関係がある。左翼が自衛隊に働きかけ、反乱を起こす心配がある。自衛隊に入るのは難しいから、まず「楯の会」に入るだろう。と三島は考えた。

③小西誠さんと三島の話をした

小西誠さんと 小西誠さんと

「考えすぎですよ」と思いながらも、持丸は面接をした。しかし、余りに人間が多い。一人一人、思想を聞くわけにはいかない。だから、「目の輝いている人間を採りました」という。

幸か不幸か、「楯の会」に左翼は潜入しなかった。もし潜入していて、見つかったら、「スパイ発見」といって、「査問」をしたのだろうか。

とにかく、「楯の会」には左翼は潜入しなかった。ところが、「楯の会」が作られた翌69年、何と、自衛隊の中から「反戦自衛官」が出現した。小西誠さんたちだ。

やはり、三島の予言は当たっていたのだ。「だから、その辺のことを、じっくり聞きたいですね」と小西さんに言った。「いいですよ」と言っていた。

あの時、(もう42年も前だが)、持丸博は、「やっぱり三島先生は凄いよ。小西さんたちのことを見越していたんですよ」と言っていた。

その話を小西さんとしていた時、「あっ、鈴木さん」と1人の青年に声をかけられた。ゲッ、その持丸博の息子だよ。「お母さんも、様子を見に来てますよ」と言う。松浦芳子・杉並区議会議員だ。持丸博の奥さんだ。

松本哉さんと 松本哉さんと

持丸は、松浦芳子さんと結婚した。紹介したのは私だ。芳子さんの家は女の子ばかりだ。それで持丸はお婿さんにいく。だから本当は「松浦博」だ。でも、長年使ってきた名前だし、「楯の会」では、持丸博で通していた。

「いま、お父さんの話をしてたとこだよ」と言った。松浦芳子議員は、保守派のバリバリだ。杉並区議には、中核派の人や、元中核派の人もいる。世界一、幅の広い議会だ。

なんせ、「中核派から楯の会までいる」と言われている。素晴らしい。だからこそ、杉並で、「右翼、左翼を超えた」デモが行われたのだ。

そうだ。三上治さんや小西誠さんは、「反日共」だ。全共闘も皆、「反日共」だ。右翼以上に共産党が嫌いな人だ。

でも、この日は、その日共と反日共が一緒に集まり、一緒にデモをしている。凄い話だ。革命的なことですよ。

それに、「共産党の人がいるらしい」「個人で来てるかも分からない」というものではない。「日本共産党」と大きなノボリが何十本、何百本と林立している。又、共産党系の労組の人もいる。

謎の「反原発」忍者と 謎の「反原発」忍者と

かわいい女の子が、「カンパして下さい」と来たので、千円、カンパした。「あなたはどこの人?」と聞いたら、「民青です」と堂々と言う。日本共産党の青年組織の民青だ。感動した。

私らが学生の頃は、民青(民主青年同盟)なんて大声で言えない。言ったら、全共闘に殴られる。皆、ひっそりと、身分を隠して生きていた。

早大で右翼学生だった頃、よく全共闘の学生に声をかけられた。「おい、鈴木。民青、殴らせてやろうか」と。

嫌だよ。意味もなく殴るなんて。と私は断った。全共闘は〈反日共〉だ。彼らにとって共産党は右翼以上に嫌いなんだ。だから、見つけたら、すぐに殴る。毎日、殴っている。それに参加させてやる、というのだ。酷い話だ。

④日共も反日共も。右翼も。みんな「仲よく」だ!

雨宮処凛さんと 雨宮処凛さんと

そんな民青が、40年経って、今は、「はい、民青です」と堂々と言える。反日共の小西さんや三上さんたちと一緒に集会に出、デモに出ている。

それに、「日大全共闘」というノボリを持っている人もいる。日大全共闘の生き残りなんだろう。偉い、偉い。長生きして下さい、と思ったら、ヘルメットに覆面の集団も。「ML」と書かれている。

ML派か。マルクス・レーニン主義派なんだろうが、中国に近かったので、「毛沢東・林彪派」とも言われていた。まだいたのかと思ったら、「鈴木さん一緒に写真撮って下さい!」。

本物のML派なら、こんなに馴れ馴れしいはずはない。よく見たら、若者だ。遊び感覚でヘルメットをかぶっているようだ。そうか。生まれる前のことだ。学生運動は。時代劇の着物を着る感覚でヘルメットをかぶってみたんだろう。いいことだ。

次は私も、MLのヘルメットをかぶって参加しよう。

でも、でも、デモが荒れて、警察に捕まったら格好悪いな。「ML派に偽装した右翼が捕まりました!」とニュースに出るよ。「新左翼なら何をやってもいいと思って暴れました」という右翼の自供も出たりして…。

神田香織さんと 神田香織さんと

その時、共産党の人たちとも話をした。「偉いですね。怪しげな人が多い中に、ちゃんと共産党のノボリを持って参加するなんて」と私は言いました。

そしたら、傍にいた、おばちゃんが、「じゃ、あんたもノボリを持って歩いてよ」と「日本共産党」と大書きされたノボリを渡す。

「いいですよ」と言ったら、「まずいよ、鈴木さんにそんなことさせちゃ」と男の人。「なーに、鈴木って?」とおばちゃん。

そんなやりとりがあって、ノボリは返しました。私が「日本共産党」のノボリを持って歩いたら面白いよな。

でも、沿道で見ている、右翼の人が日本共産党のノボリを目印に襲撃し、私は殴られるかもしれない。「共産党に偽装した右翼が、右翼に刺された」「誤爆だ」と新聞に出るだろう。これじゃ、双方にとってマズイか。

⑤杉並デモの翌々日は、「右からデモ」でした

元気いいぞうさんと 元気いいぞうさんと

この日は他にも、多くの人に会った。6千人だから、憶えきれない。雨宮処凛さん、神田香織さんとも会ったな。

デモの先頭はカラオケ・カーだった。カラオケを歌いながらの反原発デモだ。替え歌で、反原発を訴えた人もいたようだ。

司会は元気いいぞうさん。芸人だ。昔からの知り合いだ。物真似をよくやる。「聖徳太子の物真似をします」と言ってやる。「すみません、間違いました。今のは藤原鎌足でした」と言う。大昔の人だし、誰もその声を聞いたことがない。でも、元気さんには分かる。違いも分かる。

又、ウクレレ片手に歌もうたう。私も覚えている。「電車の中で、痴漢に間違えられたら」という社会告発ソングだ。とてもいい歌だ。全体はこんな歌だ。

「電車の中で痴漢に間違えられた
お尻を触っただけなのに…」
2/21(火)の「右から」デモ 2/21(火)の「右から」デモ

いいですね。「だけなのに」がいい。お笑い芸人なんだから、何を言ってもいいんですよ。アナーキーですよ。

でも、この日は、その持ち歌は封印して、もっぱら司会に専念してました。カラオケ・カーの他にも、チンドン屋さんもいた。新たなデモだ。新たな文明の衝突だ。ハンチントンだ。

あれあれ、「杉並デモ」だけで終わってしまった。この2日後の「右からデモ」もよかったんですよ。それは、「だいありー」に書きましょう。

この右デモも、長かったな。いつもは1時間ちょっとなのに、2時間半もかかった。東京電力の前で叫んだし、経産省前で叫んだからだろう。

又、経産省前ではテント村が出来、闘っている。元全共闘の人もいるし、左翼的な人も多い。

寒い中、頑張りました 寒い中、頑張りました

でも「右からのデモ」の針谷氏は、「脱原発に右翼も左翼もありません! 共に闘いましょう!」と言っていた。

「そうだ!なかよくだ!」と声も上がりました。いいですね。「脱原発に右翼、左翼もない。みんな、仲よくだ!」。

これはいい。「みんな、仲よく」。これが今年の「流行語大賞」になるでしょう。

元々は、沖縄のミュージシャン・喜納昌吉さんが言い出したのですが、流行りましたね。作家の宮崎学さんは、「右翼も左翼もない。混浴(混翼)だ!」と言ってました。

でも脱原発の集会じゃ、「そうだ混浴だ!」「混浴いきたい!」なんて、言えないよな。まあ、「なかよく」で満足しましょう。もっといい標語があったら教えて下さい。

【だいありー】

『ソクラテスの弁明』の勉強会 『ソクラテスの弁明』の勉強会
  1. 2月20日(月)午前11時、椎野レーニンさん、貞包みゆきさんと仕事の打ち合わせ。それから、座談会の仕事。夜、7時から「ミヤマ」会議室で、高木尋士さんたちが「読書会」をやってるので、参加した。
     随分集まって、真面目に本を読んでいる。驚いた。『ソクラテスの弁明』か。懐かしい。学生時代は、ソクラテス、プラトン、アリストテレス…と一応は読んだが、皆忘れていた。死に際しての演説でもソクラテスは堂々としている。北一輝や幸徳秋水なども死の法廷で堂々としていた。ソクラテスを読んでいたのだろう。と高木氏は言う。
     ウーン、そこまでは考えなかった。勉強になりました。もう一度、ソクラテスを読み直します。そして私の勉強会でも使いましょう。「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか。皆、悩んで大きくなった」と昔、野坂昭如も歌っていたな。あの歌はカラオケにあるんだろうか。今度、「勉強会」の時、探してみよう。
  2. 2月21日(火)原稿が遅れていて、必死で書いた。デモばっかり行ってて、仕事をしてない。今日も又、デモだよ。6時半、京橋の水谷橋公園に集合。5、6人しかいない。
     エッ?大丈夫なのかなと思ったら、デモが始まったら、100人以上いた。東電前、経産省前で大声で抗議した。又、経産省前でテント村を作り抗議している人たちにも激励した。三上治さんもいた。「おとといの杉並デモでも会いましたね」と。
     左翼、右翼を超えて、「仲よく」です、と針谷氏も演説してました。新橋で解散し、そのあと「意見交換会」。
鈴木宗男さんを囲んで 鈴木宗男さんを囲んで
  1. 2月22日(水)あまり寝てない。夜中まで、ずっと原稿を書いていた。3時、文化放送。今日は大物ゲストで、鈴木宗男さんが来てくれた。
     12月に出所してから、「新党大地・真民主党」を立ち上げ、ドッと人が集まってきた。普通、中に入ったら、落ち込んで、出所しても仲間は去る。というケースが多い。でも宗男さんは逆だ。中でも元気で闘っていたし、出てからも、さらに党は大きくなっている。人徳だろう。それに明るいし。どんな時でも、人を力づける。
     本人が大変なのに、そんなことは言わない。本番中、寺ちゃんが宗男さんの本の中に出ている娘さんの手紙を読むと、ポロポロと涙を流している。いい人だ。温かい人だ。と感動しました。この日は、芸人の古賀シュウさんも飛び入り参加。
     何と、宗男さんの物真似をする。似ている。宗男さんも大喜びで、「今度、影武者をやってもらおう」。「女房に電話で謝る時はやってもらおう」と。いろいろ考えてました。このあと、Wコロンと謎かけ。そして、Ust延長戦。終わって、来週の打ち合わせを終え、車で市ヶ谷に。
Wコロン、古賀シュウさんと Wコロン、古賀シュウさんと

衆議院議員・松木けんこうさんのパーティが6時半から始まっている。私は1時間ほど遅れて参加した。会場に入ったら、何と、宗男さんが挨拶していた。松木さんも「新党大地・真民主党」に入ったのだ。幹事長だ。「とても力強い」と宗男さんも言ってました。

「さっきはどうも」と宗男さんと挨拶。1日に2回も会うなんて、なかなかないよ。名古屋市長の河村たかしさんとは久しぶりに会いました。前は、大阪の「たかじん」の番組で会ってました。愛知県知事の大村秀章さんとは初めて会いました。

ボクシングの元世界チャンピオン・平仲信朗さんは、「実は松木さんは学生時代、ボクシングをやってたんですよ」と教えてくれました。だから、政治家になっても〈覚悟〉が違うんだ。本人に聞いたら、「いやいや、ボクシングじゃモノにならないので、他に進んだんですよ」と言う。でも、政治家になっても、ボクシングの精神は生きている。今度、ゆっくりそんな話を聞いてみたい。

グレート・サスケさんとも会いました。平沢勝栄さんとも会いました。

  1. 2月23日(木)午前11時、「ミヤマ」会議室で、元赤軍派議長の塩見孝也さんと対談。…のはずだが、誰もいない。部屋もとってない。「予約は入ってません」と店の人。慌てましたね、私は。
     いけない。ちゃんと聞いておかなかったから悪いんだ。今日じゃないのか。あるいは、場所が違うのか。他のルノアールの会議室かな。ともかく店を出て、公衆電話を探してかける。司会の椎野レーニンさんは出ない。他の出席予定者にかける。出ない。まいったなー。何回かレーニンさんにかけて、やっと通じる。
     「すみません。部屋を予約するの忘れていて」。それでも部屋が空いてたからよかった。ダメだな。「革命は実務だ」と竹中労は言ってたじゃないか。予約する。確認する、メールする…。大事なんだよ。
     実務をおろそかにしちゃいかんがな。
     少し遅れて、対談しました。今年は連合赤軍40年だ。その当時赤軍派の最高責任者が塩見孝也さんだ。今、何を考えてるのか。この40年の〈責任〉をどうとるのか。詳しく聞きました。2時まで。
     「鈴木君とは昔は敵だったけど、今は、国共合作だ。共に反米で闘おう!」とエールを送られました。「承知しました。新・連合赤軍を作りましょう」と言いました。
     午後3時、河合塾コスモ。「現代文要約」。5時、「基礎教養ゼミ」。今日は、川村湊さんの『原発と原爆=「核」の戦後精神史』(河出書房新社)を皆で読んで、話し合いました。河出は、いい本が沢山ありますね。昔は、『世界の大思想』という大型の凄い本を出していた。
     高木さんは次は、この全集に挑戦すると言ってました。ゼミが終わって、生徒たちと食事会。
  2. 2月24日(金)今日、北朝鮮に出発。のはずでした。今月24日から28日の予定でした。「よど号」グループとも詳しく話を聞いて本にしたいと思ってました。
     でも、金正日総書記が亡くなられて、とても行ける状況ではありません。中止になりました。午前中、原稿。昼、打ち合わせ。それから、雑誌の対談。
  3. 2月25日(土)、午前中、原稿。午後2時、「マガ9学校」に行きました。伊勢崎賢治さんと蓮池透さんの対談です。新宿のカタログハウス本社です。とても勉強になりました。私も発言しました。
     夜は、飯田橋の東京しごとセンターで、連合赤軍事件の殉難者を追悼する会。連合赤軍の全体像を残す会が主催でした。マスコミの人が多かったです。私も挨拶しました。
     今年は、連合赤軍40年で、新聞、雑誌、テレビでも、特集が随分とあるそうです。私も、いくつか呼ばれてます。終わって、連赤関係者と飲みました。
  4. 2月26日(日)午前中、図書館。午後から雑誌の対談。夜6時、上尾に行く。とてもお世話になった先輩で、青木證司さんが亡くなった。上尾で「偲ぶ会」が行われた。野村秋介さんとも、親しかったし、運動面、個人面でも、とてもお世話になった人です。

【写真説明】

「脱原発に、右も左もない!」と挨拶

①2月19日(日)午後1時から、反原発・杉並デモです。6千人が集まりました。集会は挨拶の第1弾が保坂展人・世田谷区長。そして、2番手が私でした。「脱原発に右翼も左翼もない!」と挨拶しました。

横では名前を掲げて紹介している

②横には、挨拶する人を紹介する人がいたんですね。アナログです。いいですね。

保坂展人・世田谷区長と

③保坂展人・世田谷区長と。「世田谷でもやりましょうよ!」と私は言いました。国会議員の時よりも忙しそうです。国会議員の時と違い、区長に土、日もない。その日に区の行事が沢山あるんだそうです。頑張って下さい。

小西誠さんと

④元「反戦自衛官」の小西誠さんと。昔は〈敵〉でしたが、遠藤誠弁護士が引き合わせてくれました。三島事件の前に、反戦自衛官として、登場した。あの頃の話を、じっくり聞きたいです。

松本哉さんと

⑤「素人の乱」の松本哉さんと。

元気いいぞうさんと

⑥元気いいぞうさんと。デモの先頭のカラオケ・カーの司会をしてました。

デモの先頭はカラオケ・カー

⑦そのカラオケ・カーです。凄いアイデアですね。

神田香織さんと

⑧講談師の神田香織さんと。「林眞須美さんを救う会」の集会以来ですね。

日本共産党の人々と

⑨日本共産党の人たちと。沢山来てました。皆、明るく、元気でした。

新社会党の人たちと

⑩新社会党の人たちと。神戸では、原和美さんと何度かトークしました。お世話になってます。委員長にもお会いしました。

雨宮処凛さんと

⑪雨宮処凛さんと。「先頭のカラオケ・カーで歌いなさいよ!」と言われました。「カラオケなんて歌ったことないし。歌も全く知らないし」と言ったら、「女の子とカラオケに行ってるじゃないの。ブログに出てたよ」と言われました。マズイ。

謎の「反原発」忍者と

⑫解散地点で。謎の「反原発」忍者と一緒に。

2/21(火)の「右から」デモ

⑬2月21日(火)6時半。「右から考える脱原発集会&デモ」です。京橋の水谷橋公園に集合して、歩きました。寒かったです。長かったです。でも皆、元気にデモしてました。

寒い中、頑張りました

⑭東電本社前、経産省前でも抗議しました。テント村で頑張っている人々にも激励しました。左右を超えた、脱原発の〈絆〉が生まれました。

鈴木宗男さんを囲んで

⑮2月23日(水)文化放送です。鈴木宗男さんが特別ゲストで来てくれました。宗男さんの横は、宗男さんの物真似をした古賀シュウさんです。左は、寺ちゃん。右は、貞包アナウンサー。

Wコロン、古賀シュウさんと

⑯Wコロン、古賀シュウさんと一緒に。

『ソクラテスの弁明』の勉強会

⑰劇団再生の高木尋士さんが主宰で毎月、読書会をやってます。初めて参加しました。皆、真面目に勉強しています。この日は、プラトンの『ソクラテスの弁明』(講談社現代文庫)をテキストに勉強していました。凄いですね。「鈴木さんもよく、カラオケ屋で〈勉強会〉をやってるんでしょう?」と高木さんに聞かれました。「いや、あれは、その…」と「鈴木邦男の弁明」をやりました。

【お知らせ】

西宮ゼミ クリックでPDFが開きます
  1. 3月4日(日)午後2時、西宮のcaféインティライミで、「鈴木邦男ゼミ」。ゲストは重信メイさん(ジャーナリスト)です。テーマは「これからの世界を語る。アラブ、アメリカ、そして日本」です。
     お問い合わせ、出席申し込みは岩井まで。
    080(5702)8405
  2. 3月10日(土)、11日(日)、「オフィス再生」プロデュースの読書劇。「青春の墓標〜盗まれた革命〜」。千歳船橋駅のAPOCシアターで。10日は午後7時半より。11日は12時より。
     そして、15時よりプレトーク「盗まれた革命」。椎野礼仁さん(編集者)と私のトークです。司会は高木尋士さんです。
  3. 3月18日(日)京都で反弾圧集会。
  4. 4月24日(火)政治・社会のあり方を問う!「佐高信政治塾」の2012年(第Ⅵ期)が仙台で行われます。
     第1回は、4月24日(火)で、佐高信さんと私の対談です。「右翼と左翼の交差点」です。18時30分より。会場はハーネル仙台です。
     これ以降、月に1回ずつ、行われます。講師は、鴨桃代、照屋寛徳、長谷川公一、朴慶南…さんなどです。
  5. 4月25日(水)午後7時、池袋ジュンク堂。宮台真司さんと私のトークがあります。
  6. 5月13日(日)連合赤軍40年を考える集い。目黒区民会館。シンポジウムで、私も出ます。
  7. 6月20日(水)池袋ジュンク堂。7時半より、佐高信さんとトーク。3月からいろんな人を招いて、トーク「佐高信書店」が始まります。6月は私です。