足が痛い。これじゃ膝も治らない。だって、2月は3回もデモに行ったんです。それも皆、長距離、長時間デモだ。
2月5日(日)は大阪に行って、「右からデモ」に参加しました。7キロも歩きました。3時間です。2月19日(日)は杉並デモで、「右から左まで」6千人が集まった超大型デモでした。3時間歩きました。
そして、2月21日(火)は、夜の「右からデモ」でした。その時は、東京電力や経産省に抗議に行き、テント村で頑張っている人々を激励しました。右、左を超えて、脱原発の力強い連帯の絆が生まれました。
大阪デモは前に報告したので、杉並デモと右からデモについて書きましょう。
「2・19(日)杉並デモ」は画期的でしたね。革命的でした。文字通り、「右から左まで」6千人が集まり、地域も協力したデモでした。
だって、解散地点の阿佐ヶ谷では、「デモの方、2割引き」なんていう貼り紙が、多くの店に出ている。洒落たデモのポスターも貼っている。そこに、多くの人が詰めかけ飲んでいる。これは凄い!と思いました。
このデモのことは、前から話題になってました。松本哉さんの「素人の乱」だけでなく、日本共産党、民主党、社民党、新社会党も参加するという。
それだけなら、「左翼と市民派のデモ」だろうと思われるが、保守派の大御所・西尾幹二さんが発起人に名を連ねている。又、菅元総理の奥さんも発起人だ。さらに私までが発起人だ。いいのかよ、と思った。
だって、西尾さんは、元は原発賛成だった。原発事故以来、「私が間違っていた」と自己批判し、原発反対派に回った。4月に一緒にテレビに出て、衝撃的な告白をした。
私はその現場にいた。感動した。これだけ、正直で、潔い学者はいない。さらに、共産党や、社民党と一緒に発起人に名を連ねている。これも凄いし、勇気がある。
「反原発というのはいい。しかし、何も共産党や社民党と一緒になって発起人になることはないだろう」「お前は左翼になったのか」「共産党を利する」と周りの人たちにも批判されたと思いますよ。
それでもやった。体調が悪いが、車椅子でも来たいと言ってたそうだ。
さらに、共産党も偉いですね。ちょっと前ならば、絶対に認めなかった。上が認めない。どんなに立派な集会でも、西尾さんのような保守反動の人や、鈴木のような右翼と一緒に日本共産党が発起人に名を連ねるなんて、あり得なかった。日本共産党の名が汚れる。
ところが、発起人として堂々と並んだ。さらに当日は、「日本共産党」というノボリが多数立っている。うわー、凄い。と思い、私は一緒に写真を撮りましたよ。
新社会党の人とも記念撮影した。「原和美さんとはよく講演会、一緒にやってますよ、この前は、委員長さんにもお会いしましたよ」と言った。「こちらこそ、お世話になってます」と新社会党の人々。皆、脱原発の同志ですよ。
この杉並デモは、人が多すぎて、どこに誰がいるか分からない。中央ステージがどこかも分からない。東高円寺のそばの蚕糸の森公園というところで集合した。「さんしのもり」と読むらしい。カイコが住んでたんだろう。いや、カイコから糸をつくる工場があったのだろう。
午後1時、集会は始まりました。「今日は、文字通り、右から左まで広範な人々が、こんなにも沢山、集まりました!」と司会者。「ウオー!」と人民が叫びます。
でも、「右から」なんて、私1人じゃないのかな。1人で幅をグンと広げて、「広範囲な人々」を作っちゃった。最初の挨拶は、保坂展人・世田谷区長だ。区長がよく来れたもんだ。偉い。堂々の演説だった。
そして、2番目は何と、私だ。人が多くて、前に出れない。「ハーイ、いますよ!」と叫んで、人民の海を泳ぎながら、やっと正面に出る。
「原発をやめさせる!これには右翼も左翼もありません!」と私が言ったら、「そうだ。仲翼(なかよく)だ!」と声が上がる。いいですね。6千人も人がいるし、喋る方も、実に気分がいい。
「本当は右翼、保守派の人も参加したいんですよ。でも、そんなことをしたら、左翼を利する、なんて思っている。もう利する左翼なんて、どこにもいないのにね」と言ったら、ドッと笑ってました。
「だから、そんなシャイな保守や右翼の人たちを代表して、私が参加しました!」と言ったら、ウケてました。
あとで知ったけど、「鈴木邦男さん、一水会顧問」というフリップが出てました。人民が持って掲げてくれたのです。アナログですが、嬉しいですね。
演説が終わって、下に降りたら、「久しぶりにいい演説だったね」とロフトの平野さんに言われました。元全共闘のおっさんには、「よかったね、“革命的”なんて言ってたよね」。
あれっ、言ったっけ。そうか。共産党、社民党、新社会党、それに右翼、保守派が集まった。これは画期的なことだ。「革命的だ!」と私は興奮して叫んだ。そのことを言ってたのだ。
人民の海の中には、ブントのリーダーだった三上治さんがいた。又、元「反戦自衛官」の小西誠さんがいた。「三島由紀夫の予言は当たりましたね」と小西さんと話をした。
三島は1968年に「楯の会」をつくる。その時、ドッと、入会希望者が来た。だって、「平凡パンチ」や「プレイボーイ」のグラビアによく出ていた。キャー、格好いい!となって、申し込みが殺到した。
でも、三島は冷静だった。学生長の持丸博に、「一人一人、必ず面接をしろ」と言った。「左翼が潜入するかもしれないから、気をつけろ」と言った。
そんなことはないですよ、と思いながらも持丸は面接した。「楯の会」は自衛隊と密接な関係がある。左翼が自衛隊に働きかけ、反乱を起こす心配がある。自衛隊に入るのは難しいから、まず「楯の会」に入るだろう。と三島は考えた。
「考えすぎですよ」と思いながらも、持丸は面接をした。しかし、余りに人間が多い。一人一人、思想を聞くわけにはいかない。だから、「目の輝いている人間を採りました」という。
幸か不幸か、「楯の会」に左翼は潜入しなかった。もし潜入していて、見つかったら、「スパイ発見」といって、「査問」をしたのだろうか。
とにかく、「楯の会」には左翼は潜入しなかった。ところが、「楯の会」が作られた翌69年、何と、自衛隊の中から「反戦自衛官」が出現した。小西誠さんたちだ。
やはり、三島の予言は当たっていたのだ。「だから、その辺のことを、じっくり聞きたいですね」と小西さんに言った。「いいですよ」と言っていた。
あの時、(もう42年も前だが)、持丸博は、「やっぱり三島先生は凄いよ。小西さんたちのことを見越していたんですよ」と言っていた。
その話を小西さんとしていた時、「あっ、鈴木さん」と1人の青年に声をかけられた。ゲッ、その持丸博の息子だよ。「お母さんも、様子を見に来てますよ」と言う。松浦芳子・杉並区議会議員だ。持丸博の奥さんだ。
持丸は、松浦芳子さんと結婚した。紹介したのは私だ。芳子さんの家は女の子ばかりだ。それで持丸はお婿さんにいく。だから本当は「松浦博」だ。でも、長年使ってきた名前だし、「楯の会」では、持丸博で通していた。
「いま、お父さんの話をしてたとこだよ」と言った。松浦芳子議員は、保守派のバリバリだ。杉並区議には、中核派の人や、元中核派の人もいる。世界一、幅の広い議会だ。
なんせ、「中核派から楯の会までいる」と言われている。素晴らしい。だからこそ、杉並で、「右翼、左翼を超えた」デモが行われたのだ。
そうだ。三上治さんや小西誠さんは、「反日共」だ。全共闘も皆、「反日共」だ。右翼以上に共産党が嫌いな人だ。
でも、この日は、その日共と反日共が一緒に集まり、一緒にデモをしている。凄い話だ。革命的なことですよ。
それに、「共産党の人がいるらしい」「個人で来てるかも分からない」というものではない。「日本共産党」と大きなノボリが何十本、何百本と林立している。又、共産党系の労組の人もいる。
かわいい女の子が、「カンパして下さい」と来たので、千円、カンパした。「あなたはどこの人?」と聞いたら、「民青です」と堂々と言う。日本共産党の青年組織の民青だ。感動した。
私らが学生の頃は、民青(民主青年同盟)なんて大声で言えない。言ったら、全共闘に殴られる。皆、ひっそりと、身分を隠して生きていた。
早大で右翼学生だった頃、よく全共闘の学生に声をかけられた。「おい、鈴木。民青、殴らせてやろうか」と。
嫌だよ。意味もなく殴るなんて。と私は断った。全共闘は〈反日共〉だ。彼らにとって共産党は右翼以上に嫌いなんだ。だから、見つけたら、すぐに殴る。毎日、殴っている。それに参加させてやる、というのだ。酷い話だ。
そんな民青が、40年経って、今は、「はい、民青です」と堂々と言える。反日共の小西さんや三上さんたちと一緒に集会に出、デモに出ている。
それに、「日大全共闘」というノボリを持っている人もいる。日大全共闘の生き残りなんだろう。偉い、偉い。長生きして下さい、と思ったら、ヘルメットに覆面の集団も。「ML」と書かれている。
ML派か。マルクス・レーニン主義派なんだろうが、中国に近かったので、「毛沢東・林彪派」とも言われていた。まだいたのかと思ったら、「鈴木さん一緒に写真撮って下さい!」。
本物のML派なら、こんなに馴れ馴れしいはずはない。よく見たら、若者だ。遊び感覚でヘルメットをかぶっているようだ。そうか。生まれる前のことだ。学生運動は。時代劇の着物を着る感覚でヘルメットをかぶってみたんだろう。いいことだ。
次は私も、MLのヘルメットをかぶって参加しよう。
でも、でも、デモが荒れて、警察に捕まったら格好悪いな。「ML派に偽装した右翼が捕まりました!」とニュースに出るよ。「新左翼なら何をやってもいいと思って暴れました」という右翼の自供も出たりして…。
その時、共産党の人たちとも話をした。「偉いですね。怪しげな人が多い中に、ちゃんと共産党のノボリを持って参加するなんて」と私は言いました。
そしたら、傍にいた、おばちゃんが、「じゃ、あんたもノボリを持って歩いてよ」と「日本共産党」と大書きされたノボリを渡す。
「いいですよ」と言ったら、「まずいよ、鈴木さんにそんなことさせちゃ」と男の人。「なーに、鈴木って?」とおばちゃん。
そんなやりとりがあって、ノボリは返しました。私が「日本共産党」のノボリを持って歩いたら面白いよな。
でも、沿道で見ている、右翼の人が日本共産党のノボリを目印に襲撃し、私は殴られるかもしれない。「共産党に偽装した右翼が、右翼に刺された」「誤爆だ」と新聞に出るだろう。これじゃ、双方にとってマズイか。
この日は他にも、多くの人に会った。6千人だから、憶えきれない。雨宮処凛さん、神田香織さんとも会ったな。
デモの先頭はカラオケ・カーだった。カラオケを歌いながらの反原発デモだ。替え歌で、反原発を訴えた人もいたようだ。
司会は元気いいぞうさん。芸人だ。昔からの知り合いだ。物真似をよくやる。「聖徳太子の物真似をします」と言ってやる。「すみません、間違いました。今のは藤原鎌足でした」と言う。大昔の人だし、誰もその声を聞いたことがない。でも、元気さんには分かる。違いも分かる。
又、ウクレレ片手に歌もうたう。私も覚えている。「電車の中で、痴漢に間違えられたら」という社会告発ソングだ。とてもいい歌だ。全体はこんな歌だ。
「電車の中で痴漢に間違えられた
お尻を触っただけなのに…」
いいですね。「だけなのに」がいい。お笑い芸人なんだから、何を言ってもいいんですよ。アナーキーですよ。
でも、この日は、その持ち歌は封印して、もっぱら司会に専念してました。カラオケ・カーの他にも、チンドン屋さんもいた。新たなデモだ。新たな文明の衝突だ。ハンチントンだ。
あれあれ、「杉並デモ」だけで終わってしまった。この2日後の「右からデモ」もよかったんですよ。それは、「だいありー」に書きましょう。
この右デモも、長かったな。いつもは1時間ちょっとなのに、2時間半もかかった。東京電力の前で叫んだし、経産省前で叫んだからだろう。
又、経産省前ではテント村が出来、闘っている。元全共闘の人もいるし、左翼的な人も多い。
でも「右からのデモ」の針谷氏は、「脱原発に右翼も左翼もありません! 共に闘いましょう!」と言っていた。
「そうだ!なかよくだ!」と声も上がりました。いいですね。「脱原発に右翼、左翼もない。みんな、仲よくだ!」。
これはいい。「みんな、仲よく」。これが今年の「流行語大賞」になるでしょう。
元々は、沖縄のミュージシャン・喜納昌吉さんが言い出したのですが、流行りましたね。作家の宮崎学さんは、「右翼も左翼もない。混浴(混翼)だ!」と言ってました。
でも脱原発の集会じゃ、「そうだ混浴だ!」「混浴いきたい!」なんて、言えないよな。まあ、「なかよく」で満足しましょう。もっといい標語があったら教えて下さい。
衆議院議員・松木けんこうさんのパーティが6時半から始まっている。私は1時間ほど遅れて参加した。会場に入ったら、何と、宗男さんが挨拶していた。松木さんも「新党大地・真民主党」に入ったのだ。幹事長だ。「とても力強い」と宗男さんも言ってました。
「さっきはどうも」と宗男さんと挨拶。1日に2回も会うなんて、なかなかないよ。名古屋市長の河村たかしさんとは久しぶりに会いました。前は、大阪の「たかじん」の番組で会ってました。愛知県知事の大村秀章さんとは初めて会いました。
ボクシングの元世界チャンピオン・平仲信朗さんは、「実は松木さんは学生時代、ボクシングをやってたんですよ」と教えてくれました。だから、政治家になっても〈覚悟〉が違うんだ。本人に聞いたら、「いやいや、ボクシングじゃモノにならないので、他に進んだんですよ」と言う。でも、政治家になっても、ボクシングの精神は生きている。今度、ゆっくりそんな話を聞いてみたい。
グレート・サスケさんとも会いました。平沢勝栄さんとも会いました。
③保坂展人・世田谷区長と。「世田谷でもやりましょうよ!」と私は言いました。国会議員の時よりも忙しそうです。国会議員の時と違い、区長に土、日もない。その日に区の行事が沢山あるんだそうです。頑張って下さい。
⑪雨宮処凛さんと。「先頭のカラオケ・カーで歌いなさいよ!」と言われました。「カラオケなんて歌ったことないし。歌も全く知らないし」と言ったら、「女の子とカラオケに行ってるじゃないの。ブログに出てたよ」と言われました。マズイ。
⑰劇団再生の高木尋士さんが主宰で毎月、読書会をやってます。初めて参加しました。皆、真面目に勉強しています。この日は、プラトンの『ソクラテスの弁明』(講談社現代文庫)をテキストに勉強していました。凄いですね。「鈴木さんもよく、カラオケ屋で〈勉強会〉をやってるんでしょう?」と高木さんに聞かれました。「いや、あれは、その…」と「鈴木邦男の弁明」をやりました。