「連合赤軍の年」ですね、今年は。あの事件から、ちょうど40年です。
今年、2月5日(日)の「朝日新聞」には私の原稿「連合赤軍化する現代日本」が載りました。又、2月17日発売の「週刊金曜日」では、連合赤軍特集でした。元連合赤軍兵士の植垣康博さんと、元赤軍派の金廣志さんが対談し、私が司会をしました。
さらに2月25日(土)は、「連合赤軍事件殉難者追悼の会」が開かれました。6時から、飯田橋の東京しごとセンターです。超満員でした。当時の関係者、支援者が挨拶しました。
又、DVD「田原総一朗の遺言」(全7巻)が発売され、その1巻は「連合赤軍と永田洋子」です。それも連赤40年を意識したのでしょう。
山本直樹さんの『レッド』(講談社コミックプラス)6巻も発売されました。連合赤軍もいよいよ佳境に入ります。しかし、まだ〈査問〉〈総括〉には行きません。まだ何年も連載は続くようです。
その山本直樹さんも、「追悼の会」に来て、挨拶してました。
さらに、『アフター・ザ・レッド=連合赤軍兵士たちの40年=』(角川書店)を書いた朝山実さんも来て挨拶していました。又、『あさま山荘銃撃戦の深層』を書いた大泉康雄さんも来て、挨拶してました。
これからも、連合赤軍関係の本はどんどん出るでしょう。
テレビでもNHKは、あの事件をアーカイブスでやってました。又、民放でも、「あさま山荘40年」を特集する企画もあるようです。
5月13日(日)には、再び、連合赤軍の関係者が結集し、シンポジウムをするそうです。「お前もパネラーで出ろ」と言われてます。
いいんでしょうか、私なんかが話をして。「追悼の会」でも、1人だけ、私は「部外者」として挨拶させられました。
「“追悼の会”なんかやめて、“連合赤軍に学ぶ会”にしろ!」と言いました。
又、「殺された人々の悔しさに答える気があるのなら、彼らがやりたくても出来なかった、“都市ゲリラ”をやれ!」なんて言ってました。
「部外者」だと思ってかなり無責任なことを言ってます。
こんな私を呼んで、5月のシンポジウムは大丈夫でしょうか。それに、2.25の集会も、かなり揉めてましたよ。
終わってから近くの飲み屋に行ったのですが、「赤軍派の人は集まれ!」と言って記念撮影。又「革命左派は集まれ!」と言って、別に記念撮影。40年経っても、セクト的です。
それよりも、中国人に買われてしまった「あさま山荘」を買い戻さなくてはならない。私らのものじゃないから、「買い戻す」というのも変ですが、我々の手で(何か私も連合赤軍
の一員になっちゃった)、買い戻すべきです。そのアピールをしました。
しかし、うまく行くのでしょうか。
2.25の「連合赤軍事件殉難者追悼の会」ですが、この集会の時から、各人の発言が割れてました。
元赤軍派議長の塩見孝也さんは、「森恒夫、永田洋子も殉難者に入れるのはおかしい。別にやるべきだ」と言います。「A級戦犯は靖国神社に合祀するべきではない」というのと同じ理屈かもしれません。
元連合赤軍兵士の植垣康博さんは、「我々殺した側が、殺された人々を追悼するというのも変な感じがする」と言ってました。
「それに、あの時、殺された警察官2人、それに民間人1人もいた。あの人たちはどうなのか」と言う人もいました。
でも、まさか「権力側の人と一緒に追悼の会は出来ないだろうし…」と、困惑してました。
そんな悩みを抱えながらの「追悼する会」です。だったら、「殉難者追悼」なんてやめてしまったらいい。
連合赤軍事件に参加した人々は皆、革命の夢や理想を持って山に登ったのだ。真剣に、ひたすらに革命の夢を求めたのだ。
だから、「連合赤軍に学ぶ会」にしたらいいと言う人がいました。あっ、私か。
追悼」するのなら、警察官も皆、含めて追悼したらいい。向こうの関係者は誰も出て来ないだろうが、でも、やったらいい。
あるいは、「勝手に祀るな!」と抗議が来るかもしれないな。
そんなことを考えていたら、2月29日(水)の「産経新聞」にこんな記事が出ていた。
〈「あさま山荘」40年
殉職警官ら慰霊祭
昭和47年の連合赤軍による「あさま山荘事件」で、警察が強行突破し人質を無事救出してから40年となる28日、銃撃され殉職した警察官2人の慰霊祭が長野県軽井沢町の現場近くにある「治安の礎」前で開かれた。
2人の妻子や、警察関係者ら約40人が出席。全員で黙祷した後、藤巻進軽井沢町長が「尊い犠牲が払われたことは忘れられません」と追悼の言葉を述べ、参列者が献花した〉
じゃ、次の「50年」の時は合同でやったらいい。現場で。でも、「治安の礎」の前じゃ、マズイかな。
だったら、写真を撮る時だけ、「革命の礎」も並べて置かせてもらったらいい。
50年経ったら、「右も左」もないし、「権力と反権力」もなくなっているだろう。みんな、仲よく、だ。
でも、40年目の現在は、まだまだ〈左右〉〈権力と反権力〉の敵対構図はある。
〈左右〉はなくなっても、日本人皆が、排他的になり、他人の揚げ足を取り、自己の過ちを認めず傲慢になり…と、連合赤軍の悪い〈遺伝子〉ばかりを引き継いでいる。
「連合赤軍化する現代日本」だと、誰かが言う通りだ。あっ、私が言ったのか。
「きっとそれを読んだんだよ。亀井さんは」と知り合いの記者からメールが来ました。
何のことかと思ったら、亀井さんが野田政権を「連合赤軍だ!」と批判したんですね。
政権自ら、連合赤軍かよ。じゃ、日本全体も連合赤軍だ。
3月1日(木)付の「産経新聞」によると。
〈亀井氏、消費税増税は「連合赤軍」。国民新党の亀井静香代表は29日の党議員総会で、野田政権の消費税増税方針を連合赤軍になぞらえ、「彼らは間違った考えに取りつかれ、突っ走ってしまった。政治が同じように間違った方向に突っ込んではならない」と強調した〉
ウーン、2月5日の「朝日新聞」を読んでくれたのかもしれませんね。野田首相始め、日本全体が連合赤軍ですね。凄い話ですね。
そうだ。「田原総一朗の遺言」の中の、「連合赤軍と永田洋子」では、「私も永田洋子だ」と言う女性が出てました。ウーマンリブの運動をしている女性です。
永田さんのように、悩み、苦しんだ、ということでしょう。この日本を憂い、革命を求める気持ちは同じなのでしょうか。
そのDVDを見ていて、「あっ、私も森恒夫だ」と思いました。森恒夫は、一度は、運動の現場から逃走します。それを、塩見さんの命令で、追いかけ、引き戻します。
それが「負い目」になって、森は、リーダーとして暴走します。自らの失敗の過去を取り戻すかのように。
しかし、彼だけが特殊なのではありません。左右の運動をやったことのある人なら、皆、そんな「負い目」を持っているでしょう。
私も、先月の月刊「創」に書きました。私は一度、学生運動の現場から追放されました。
今から考えたら、「それがどうした」と思います。「もっと広い世界で闘えばいいじゃないか」と思います。
でも、その時は考えられなかったんです。「民族派学生運動」の世界だけが全てだと思いました。ここを追われたら、もう自分の生きる道がないと思いました。
その悔しさがあって、その後の私の〈運動〉があったのだと思います。
又、自分が追放された体験から、「絶対に他人を追放することはしない」「除名はしない」と誓い合いました。一水会をつくった時に。
又、2.25の時、元「革命左派」の雪野建作さんは、連合赤軍事件で、「仲間殺しには徹底的に懲りたはずなのに、その後、さらにひどい内ゲバ殺人が続いた」と言います。
中核派、革マル派、革労協などの内ゲバで、100人近くが亡くなりました。連合赤軍の事件は全く〈教訓〉にならなかったのでしょうか。
この点も、これから考えるべきだと思います。あるいは、極めて「日本人的」な思考と運動家の意識があったのかもしれません。
雪野さんが言ってましたが、「この亡くなった100人近くの人はその名前も顔も声も記録もほとんど分からない」と言います。名前が新聞に出ても、その人となりは分かりません。これも、ひどい話です。
でも、連合赤軍事件は、全て、名前が分かり、写真も出てるし、事件全体については本も100冊以上が出ている。映画には3回もなっている。テレビに、小説に、演劇にもなっている。
他の「内ゲバ」や「殺人事件」と違うのか。多分決定的に違うものがあるのでしょう。
革命前夜には、こうした事件は、沢山あったのかもしれません。ロシア革命前夜、中国革命前夜…と。
日本だって明治維新前夜までは水戸藩、薩摩藩、長州藩で、血で血を洗う、内部闘争があり、多くの人が死んでます。
でも、維新は成功したし、中国、ロシア革命も成功した。だから、「悲しいことだが、革命の貴い犠牲者だ」と、温かく、悼まれているのです。連合赤軍も、それに連なる人々かもしれません。
「だから、50年経ったら、連合赤軍は、新撰組になり、NHK大河ドラマになる!」と言っている人もいます。
私たちが子供の頃は、新撰組はただの「悪」の代表でした。
ところが1960年頃から、司馬遼太郎などが新撰組を取り上げて書き、人気が出たのです。
単なる〈悪〉ではなくそこに生きる「男らしさ」「武士道」として、天皇への思い…と、その誠の生き方が見直されてきたのです。そしてNHKの大河ドラマにまでなったのです。
連合赤軍も、今まではただの〈悪〉でした。しかし、そこの中に、理想も夢も、愛もあった。〈全て〉があった。そう語る人が増えてきました。
ですから、50年といわず、20年でNHK大河ドラマになるでしょう。実際、民放では「連続ドラマ」としてやる予定がありました。
これから更に多くの連合赤軍関連本が出るでしょう。連合赤軍を「追悼」し、「学ぶ」集会も行われるでしょう。
私も、連合赤軍関連本の100冊を全て読破したいと思います。そして、学びたいと思います。
行ったら、満員。「予約の人だけで一杯です。当日券はありません」と貼り紙が。でも、知り合いの人に頼んで、無理に入れてもらった。
加藤さんは、日中間の問題を、明解に解明し、新たな視点で考える。凄い。
休憩時間に話をした。どっかで対談をやりたい。文化放送にも出てもらいたいと思ったが、もう2日後には中国に帰るという。今回も、ロンドンで講演し、2日後に日本に来て、26日に東京マラソンに出場し、完走したという。凄いバイタリティだ。
河村市長の「南京事件はなかった」発言について聞いた。又、北朝鮮問題についても。ぜひ、この27才の青年を外相にしたらいい。あるいは中国大使にしたらいい。と思いましたね。
次のコーナー「編集長は見た!」は『クーリエ・ジャポン』の冨倉由樹夫編集長。特集は、〈世界を回す“もうひとつの経済”『闇ビジネス』を知っていますか〉。
まずは、「爆弾でも何でも運ぶぜ。世界を飛び回る『究極の運び屋』たち」。救援物資を運ぶだけでなく、その帰りには武器や、麻薬を運んだりする。善悪を超えた「運び屋」だ。
次は、「貧困を食い物にする「臓器ビジネス」。「お前の腎臓の値段は300ドル」。インドの闇のビジネスが詳しくレポートされている。
このあと、Wコロンの謎かけ。そしてUst延長戦。来週の打ち合わせ。
来週は又もや、ビッグな文化人がゲストで登場するという。
又、私は重信房子さんだけでなく、房子さんのお父さん(メイさんのお爺さん)の重信末夫さんにも会っています。戦前の右翼で、血盟団事件の関係者でもあり、私が産経新聞を辞めた直後に、「やまと新聞」で取材し、会った。この時の話をしました。
そのあとは、二次会。最終の新幹線で帰りました。
この日は、宇都宮で「右から考える脱原発集会&デモ」だったんですね。行けなくて済みませんでした。
⑩この日は松木けんこうさんの誕生日なんです。「ハッピーバースディ」の歌をうたい、ケーキのローソクを消し。そして、娘さんから、誕生日プレゼントが贈られました。大きなジグソーパズルです。今、人気の「one peace」でしょうか。頑張って下さい。