東日本大震災から1年。大変な1年でした。ロフトプラスワンでは3月6日(火)に震災と原発を考える集まりがありました。
又、3月11日(日)には阿佐ヶ谷ロフトで「3・11 東日本大震災から1年」が開かれました。月刊「創」(4月号)では、小林よしのりさんと原発問題について話し合いました。
その中で、〈日本の戦後〉が問われました。原発を易々と受け入れてしまい、それに頼り切っていた日本。それに対し、保守派・右翼からも批判の声が出、小林よしのりさん、西尾幹二さん、竹田恒泰さん等が「原発反対」を表明しました。
その影響は大きく、「日本の国土を汚す原発は許せない」と保守派、右翼の間にも〈反原発〉は多数になりつつあります。日の丸を先頭にした「右から考える脱原発集会&デモ」も、全国で行われ、マスメディアでも大きく取り上げられました。
「脱原発では右も左もない」と、2月19日(日)には、「脱原発・杉並デモ」が行われました。共産党、社民党、新社会党、民主党と共に、西尾幹二さんや私も発起人になり、文字通り、「右翼、左翼を超えた大デモ」になりました。
さらには、中沢新一さんらが発起人になった「グリーンアクティブ」も生まれました。脱原発、TPP反対を掲げ、〈緑〉を大切にした行動です。右や左の対立を超えて、「前に進む」ことを目指します。
この1年で、政治に対する考え方、国家に対する考え方も大きく変わりました。又、政治家に対する不信も高まりました。この1年の日本は、天災であると共に、人災の面も大きいと思いました。政治家がいないのです。
又、ボランティアや、デモや集会や、国民の側からの行動が多く生まれました。これは心強いことです。しかし、それだけでは、なかなか日本は変わらない。そんなもどかしさを感じた1年でもありました。3月6日(火)のロフトでは、特に、そのことを痛感しました。
この日は、インターネット放送局「ロフト報道チャンネル」特別番組として放送され、又、「ニコ動」も入ってました。
だから、壇上の我々には、全国の視聴者の声が生で届きます。「がんばれ」というのもありますが、「こんなことでいいのか」という怒り、叱咤の声が多かったです。
「デモをやってるだけでいいのか!」「デモで何が変わるんだ!」という声もあります。
「お前ら、オワコンだ!」という声もありました。「オワコンて、ネオコンのこと?」と、隣りのノイエホイエさんに聞きました。「終わったコンセプト」という意味らしいです。「もう終わった人間だ。ひっこめ!」ということでしょう。
「このwww…は何ですか?」「ワハハハ…と笑ってるんです」。そうか。「じゃ、8888…は?」「パチ、パチ、パチ、と拍手してるんです」。そうなのか。私は、日本人なのに日本語が分からないよ。
「ウザヨは? うざったい佐代子?」「違います。ウザイ左翼です」。しかし、右翼、左翼という言葉がこれだけ氾濫してるんだ。普通は使わないのに。それに、この日は、左翼なんて三上治さんだけだよ。
あっ、忘れてた。この日の出演者だ。午後7時半から始まったが、初めは、ロフトスタッフやピースボートの人たちが現地に行ったボランティア活動の様子が紹介される。目を覆う惨状だ。
そこで、ボランティア活動をする。その活動報告があって、8時半から、ゲスト出演だ。平野悠さん(ロフト席亭)が司会で、熱く語る。吼える。
あとは、桃井和馬さん(写真家・ジャーナリスト)、岩本太郎さん(フリーライター)、三上治さん(評論家)、松沢呉一さん(ライター)、ノイエホイエさん、そして私だ。
松沢、ノイエさんは3月4日(日)の宇都宮で行われた「右から考える脱原発デモ」にも行って来たと、その報告をしていた。
「何かやりたい」「でも何をしていいか分からない」人が多く、そんな一般の人たちが大勢、参加してくれたという。私も行きたかったが、この日は西宮で「鈴木ゼミ」があったのだ。
3月6日(火)のロフトに話を戻す。桃井和馬さんとは、久しぶりに会った。前はどこで会ったのだろう。大体、いつ知り合ったのか。ウーンと、2人で考え込んでしまいました。ともかく、久しぶりです。
三上治さんは、よく会っている。デモでも、連合赤軍の集会でも。三上さんは、ブントの中の叛旗派というセクト(党派)の代表でした。同志の中には、その後、官僚になった人も、政治家になった人も、財界人や弁護士、マスコミ人もいるはずだ。運動はやめても志は持ってるだろう。
そういう人たちとのネットワークで、日本を変えられないのか。少なくとも原発ぐらい、すぐに止められそうだが。と私は聞きました。「ところが、今はそのネットワークもない」と言います。以前はあったのでしょう。
60年代や70年代ならば、原発については、全国でデモの嵐になり、大学はストをやるだろうし、国会を何十万人のデモが取り囲んだでしょう。あの頃の活気があれば…と思います。
しかし、1972年の連合赤軍事件で潰れてしまった。「革命を考えたり、世の中を良くしようとかいう人間は、こうなるんだ!」と言われた。
警察や政府や、マスコミに、そう罵倒されて、「総括」された。その声に新左翼は黙り込み、運動はなくなった。又、オウム真理教の事件で、「宗教は危ない。近づくな!」という風潮になった。
私らが早大で学生運動をやっていた頃は、実に多種多様な学生運動党派がいた。日共、反日共、アナキスト、右翼…と。宗教だって、創価学会、統一教会、生長の家、モルモン教…
と、いろんな宗教が勧誘活動をしていた。又、学内で、サークルを作り、活動していた。
しょっちゅう、ストがあり、授業はほとんどなかった。授業へ出たいと思っても、阻止され、出席出来なかった。でも、その当時の学生の方が、今よりも「学力」は高かったそうだ。
今はデモもストもない。授業が潰れることもない。何の気兼ねもなく、思い切り勉強できる。しかし、その環境を持て余している。携帯やメールばっかりやっている。知的刺激がないからだろう。
昔は、政治も激動していた。学生運動も荒れていた。その中で、「なぜ今、革命か」「どう世の中を変えるか」を考えた。だから、本も必死で読んだ。思想全集だって、あの頃は、沢山出た。
もう、同じ時代は来ないだろう。そう考えると我々は幸せだったと、思う。
そんな「政治の季節」について、西宮では話しました。3月4日(日)の「鈴木ゼミ」です。この日のゲストは重信メイさん(国際ジャーナリスト)。
「一目見たい」「話を聞きたい」という人々がドッと集まり、超満員でした。普段はなかなか聞けない、貴重な話が聞けました。
先週書いたように、私は、「重信家三代」の人々と会ってます。右翼の血盟団事件に参加した重信末夫さん、その娘の(日本赤軍の)重信房子さん。そして房子さんの娘さんの重信メイさんです。その知り合った縁についても、詳しく話をしました。
又、この日の「鈴木ゼミ」は画期的で記念すべき日でした。鈴木ゼミが始まって、ちょうど10回目です。2ヶ月に1度、開いてますので、1年半です。
それと、嬉しいことに、この「鈴木ゼミ」の記録がまとまって、本になったんです。この日、発売されました。1回から6回まで入っています。
実は、去年の10月18日頃、ゲラが送られてきました。10月21日(金)から25日(火)は北朝鮮に行く予定が入ってました。だから、「帰ってきてから、ゆっくりゲラを見て、序文もそれから書くよ」と言ったら、「それでは遅い。10月末に出すので、北朝鮮から送ってくれ」と言います。
それは出来ない。じゃ、向こうでゲラを見て、序文の原稿を書いて、日本に帰ったら、即、25日に速達で送ることにしました。
だから、(読んでもらえば分かりますが)、行きの飛行機の中で、必死に校正しました。そして、北京のホテルでも。
さらに、序文は、ピョンヤンのホテルで書きました。ただ、飛行機ではパソコンは使えません。携帯もダメです。北朝鮮は持ち込みも禁止です。じゃ、手書きしかないな、と思い、万年筆を持って行こうと思いました。
でも、予備のインクが必要だ。私のはビンのインクを使っている。これだと、機内に持ち込めない。持ち込むとしても検査が面倒だ。それで、ピョンヤンのホテルでは、ボールペンで書きました。必死でやりました。
ところが、本は10月末には出ない。11月、12月も出ない。もうダメかな、と思っていた時に、3月4日、発売になりました。嬉しかったです。そして「はじめに」の最後には、
〈2011年10月24日の深夜、ピョンヤンのホテルで〉
と書かれています。
「はじめに」は、ちょっと古くなりましたが、実際、ピョンヤンで書いたのだから、いいでしょう。本のタイトルですね。
『生きた思想を求めて=鈴木邦男ゼミin西宮報告集』(鹿砦社・933円)です。これはよく出来た本です。ともかく、テープ起こし、編集をした人がうまいです。とても読みやすく、
読んでいて、その場にいるような〈臨場感〉を感じます。ぜひ、読んでみて下さい。
対談は6回までのをまとめました
〈第1回〉は飛松五男さん(元兵庫県警刑事です)。「警察がようなれば、日本の経済もようなります」
〈第2回〉水谷洋一さん。「平成牛肉偽装『内部告発』顛末記
〈第3回〉浅野健一さん。「ジャーナリストはアナキストたれ!」
〈第4回〉Paix2(ペペ)さん。「二度と過ちを犯してほしくないから、私たちは塀の中で歌い続ける」
〈第5回〉野田正彰さん。「大地震が剥き出しにする社会の病理」
〈第6回〉山田悦子さん。「甲山事件。私が冤罪訴訟で学んだ真実」
そうだ。同じタイミングで、ロフトのトークも出ています。プチ鹿島氏、居島一平さんの『思わず聞いてしまいました!!』(スコラマガジン・1300円)です。
お二人がロフトでやった過激で危ないトークを収録しています。こんなの出していいのかなーと思うほど、危ない本です。危ない13人に、思わず聞いたのです。
「聞くは一時の恥、聞いたら一年モノの話」です。13人は…。村西とおる、大槻ケンヂ、河野太郎、勝谷誠彦、重村智計、上祐史浩、鳥肌実、吉田豪、宮嶋茂樹、戸塚宏、久田将義、山本太郎、そして私です。
あっ、大変な事を忘れていた。去年の読書報告だ。毎年1月初めには、前年度の読破数を報告していた。今年は忙しくて、すっかり忘れていた。いけないな。じゃ、メモを取りながら、計算しよう。まずは、去年(2011年)の「月別読破数」ですね。
1月(31冊)、2月(30冊)、3月(31冊)、4月(45冊)、5月(35冊)、6月(31冊)、7月(31冊)、8月(32冊)、9月(31冊)、10月(31冊)、11月(32冊)、12月(45冊)。
以上ですね。「月30冊」のノルマは、無事達成しました。バンザーイ!おめでとうございます。まぁ、喜んでるのも祝ってるのも私1人だけど。いいんだよ。孤独な闘いだ。孤独な楽しみだ。
4月(45冊)と12月(45冊)は何と、40冊を突破しています。優良月として、4月、12月を表彰しましょう。パチパチ。あっ、8888…と書くのか。
では、合計ですね。算盤でパチパチと計算します。405冊です。1年間で405冊。頑張りました。でも、「劇団再生」の高木尋士さんは年間500冊ですからね。
でも、体力が違うし、競争心は起きないですね。「月30冊」でいいでしょう、私は。そうだ。これを12ヶ月で割って、「月平均読破数」を出すんですな。又もや、算盤でパチパチ。888…。
ととのいました。33.7冊でした。これで無事、2011年は終わり。新しい年を迎えました。あけましておめでとうございます。
「今は皆、飼い慣らされた家畜です。野性に戻らなくては」。過激な思想家だ。そこから、〈緑〉についても話す。外国に気兼ねして、「日本らしさ」にコンプレックスを持っている。これはいけない。日本こそが最も〈緑〉を大切にして、自然と共生してきた文化だ。と言います。そうか。自然を征服してきた西欧と、日本は違うのか。だから、西欧の「緑の党」はヒントにはなってもモデルにはならない、と言う。
今日はとても勉強になりました。中沢さんは5時に帰る。それから私は、Wコロンとの謎かけ。そしてUst延長戦。来週の打ち合わせ。
で、6時40分。車で明治大学へ。実は、今日は「グリーンアクティブ」の第1回会議なのだ。中沢さんは勿論来て、会議は始まっている。私もいろいろと喋りました。加藤登紀子さん、マエキタミヤコさんなど、30人ほどが集まっている。「いやー、久しぶり」と声を掛けられた。
あっ、山本コウタローさんだ。今はタレントの他、大学でも教えている。昔は、何度か一緒にテレビの討論番組に出ました。
⑥重信末夫さん(メイさんのお爺さん。房子さんのお父さん)に私がインタビューした記事です。「やまと新聞」の昭和49年(1974)3月15日です。まだ私は産経新聞社員でした。休みの日に取材に行ったようです。衝撃を受けました。「サラリーマンなんかやってていいのか!」と思いました。
そして、この10日後、事件を起こして会社をクビになりました。運命的な「出会い」です。不思議な縁です。
⑦由井りょう子さんの『重信房子がいた時代』(世界書院)。いい本です。
〈学生時代のサークル仲間が綴る重信房子の家族愛の軌跡〉と本の帯には書かれています。右翼で血盟団に関係していた父・末夫さん、房子さんの「父と娘の革命」も書かれています。
⑬『生きた思想を求めて=「鈴木邦男ゼミin西宮」報告集』(鹿砦社・933円)。〈歴史の端境期というカオスの中で、死んだ教条の呪縛を解き放ち、新たな思想像を探究する!〉と書かれています。傑出した人たち6人と対談出来、幸せでした。知的興奮を感じました。
⑭プチ鹿島、居島一平さんの『思わず聞いてしまいました!!』(スコラマガジン・1300円)も好評発売中です。村西とおる、大槻ケンヂ、上祐史浩、鳥肌実、戸塚宏さんらに聞いてます。私も出ています。危ない対談集です。
⑮囚われのkunyonです。でもロフトプラスワンです。暴れる人がいると、皆で取り押さえて、ここに入れます。最初は、そういう意図で作ったんでしょう。でも今は、暴れる人がいないので、お客さん用の特別室になってます。2月28日(火)、「中国で最も有名な日本人」加藤嘉一さんの話を聞きに行ったら、超満員で、この「座敷牢」で聞かされました。
⑯今、東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス内)で展示されている「フェリーチェ・ベアトの東洋」展です。幕末から明治の日本に滞在した写真師です。貴重な写真が沢山ありました。3月5日(月)のオープニングパーティに招待されて行ってきました。