村上春樹の『1Q84』の文庫本が出たので買いました。Book1の前編、後編です。革命とテロリズムの話なんですね。全く知りませんでした。
オウムや山岸会や連合赤軍や、いろんな運動を連想させます。ユートピアを目指して決起し、暴走し、自滅する集団のことが書かれています。凄い小説だったんだな、と思いました。
この小説を飛行機の中で読んでいたんですよ、私は。ピョンヤンに向かう飛行機の中で。そして、ピョンヤンのホテルでも夜、読んでました。
さらに、小林哲夫の『高校紛争1969—1970=闘争の歴史と証言』(中公新書)を読んでいました。こんなにも激しい高校闘争があったんですね。知りませんでした。
なんせ、都立青山高校では、生徒が高校に立て籠もり、屋上から、250人の機動隊に向けて火炎瓶を投げて闘い、逮捕された。凄いですね。
昔の高校生は偉かった。優秀だった。戦闘的だったと思いました。
それに、大泉康雄の『あさま山荘銃撃戦の深層』(上・下 講談社文庫)を読みました。日本の学生が、人民が激しく闘った時代です。日本人が革命を夢み、その最後の闘いをやっていた時代です。
そんな革命を夢見る本を、ピョンヤンのホテルで読んでました。こういう本を読むには、一番ふさわしい環境だったと思います。
そしてピョンヤンでは、毎日が『不思議の国のアリス』状態でした。毎日が驚きの連続です。
軍事パレードを見たなんて、生まれて初めてです。マスゲームも初めてです。これだけ人間が機能的に、幾何学模様的に動けるのかと、ただただ驚きました。
女性兵士も含めて、体型も背も、そして兵器も見事に統一され、整然と行進します。
アリスは、そこに「トランプの兵隊」を見ますが私も、人間を超えた、統一された軍隊を見ました。
銅像の除幕式や、板門店、ビル建設ラッシュ、世界一の花火大会…と。毎日が驚きの連続でした。
又、今回は池口恵観さんの団だったので、お寺を回りました。北朝鮮にはお寺が70もあるそうです。全く知りませんでした。
1千年も続いているお寺も見ましたし、朝鮮仏教徒連盟の人たちとも会い、語り合いました。恵観さんは、チュチェ思想世界大会にも出席しています。
そこで、「真言密教とチュチェ思想」という講演もしています。その発想に度肝を抜かれました。これはぜひ、本にまとめたらいいでしょう。
実は、ピョンヤンはワンダーランドでした。そして、「アートの街」でした、ピョンヤンは。
闘いのモニュメントにしろ、高層ビルにしろ、短期間で、壮大なものを作り上げます。その技術は、世界からも求められて、指導に行っています。
花火大会も、全てはコンピューターで計算され、打ち上げられ、20万発の花火と、巨大な噴水、巨大なレーザー、そして音楽がミックスし、革命的な世界を現出させます。思想的な花火です。
チュチェ(主体)思想塔のテッペンから、四方に(まるでミサイルのように)花火が発射されます。
一体、どうやるのか分かりません。凄い技術です。
又、世界中から、外国人が来ています。アジア、南米、アフリカは、分かります。かつて、北朝鮮に助けてもらった国もあります。
又、世界中のゲリラ、革命家が、ピョンヤンに集まり、ここで軍事訓練を受け、そして、祖国に帰って革命をやりました。
1960年代、70年代は、ピョンヤンは、そんな人々を受け容れる国際都市だったのです。昔々の、中国の長安のようです。世界中の人々が集まっていました。
1970年3月31日に「よど号」をハイジャックして行った赤軍派の9名も、そんな夢を抱き、当時の革命のユートピア・北朝鮮に渡ったのです。
そこで半年間、軍事訓練を受け、秋には日本に凱旋帰国し、革命を起こす。そんなことを本気で考えていたのです。妄想だと笑うのは簡単です。
しかし、そんな夢を見ることが出来た時代だったのです。そんな国もあったのです。
今回、世界中から多くの人たちが来てましたし、かつて、ピョンヤンで軍事訓練を受け、祖国に帰り、革命を成功させた国もあります。
1970年に、北朝鮮に来た「よど号」グループは、いろんな集会や大会に出て、大歓迎されました。北朝鮮を慕って、来たのです。
不自由な、抑圧された日本を飛び出して、革命の国、自由の国、人民の国に「亡命」してきた人々です。何て勇気のある人々なのかと、向こうの人々は思います。
キム・イルソン広場で若い青年男女と踊った時も、又、街を歩いている時も、「あの亡命してきた日本の革命家か」と声を掛けられます。
又、当時、ソ連が健在でしたから、ソ連経由で東欧に行ったり、リビアの革命家たちの世界大会に出たりしました。結構、自由に世界を歩いていたのです。
その時、「亡命者用のパスポート」を作ってくれたそうです。犯罪者ではありません。立派な、輝ける「亡命者」なのです。
でも、日本にだけは行けません。又、軍事訓練も受けさせてくれません。
南米や、アフリカの国のゲリラのように、軍事訓練を受けたい。そして、日本に再上陸して革命をやりたいと、訴えましたが、ダメでした。
アフリカや南米の国々は、ゲリラや革命家を受け入れる「受け皿」がある。ところが日本には全くない。そう言います。
北朝鮮の上の人間の方が、はっきりと日本の現状を見ています。
半年位、軍事訓練を受け、そして日本に帰って闘う。多分、瞬時にして、自滅したでしょう。
そして、「北朝鮮が日本人を使って戦争を仕掛けた」と大問題になったでしょう。
日米安保に基づき、米軍が反撃するかもしれません。そんなことは北としては避けたのでしょう。
いや、そんな革命戦争の萌芽になるのなら、むしろ帰国を許可したかもしれません。そんなことにさえならない。そう思ったのでしょう。
北朝鮮に行って2年後、日本の新聞を見せられます。連合赤軍事件です。「ほら見ろ、君らの国では仲間たちが殺し合いをしている。革命の受け皿は全くない」と。これが決定的だったようです。
あるいは、その前に、日本に再上陸していたら。あるいは、本当に半年間、軍事訓練を受け、日本で決起していたら…。三島事件に間に合ったことでしょう。
勿論、つながりはありません。でも、期を同じくして、右と左から、決起するのです。面白い展開になったでしょう。
そんなことを私は考えました。夢想しました。「よど号」グループに会ったのは、4月12日(木)です。
その時、若松孝二監督から預かったDVDを手渡しました。「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」です。
この映画では、「よど号事件に衝撃を受けたことも、よく描かれています。「よど号」事件の報を聞いて、三島は「先を越された!」と叫びます。そして、「あの日本刀による決起がいい」と言います。これは、楯の会の人に聞いた、本当の話です。
そのDVDを渡し、あとで感想を聞かせて下さい、と言いました。
そして、村上春樹の『1Q84』を読んだ?と聞いたら、驚いたことに皆、読んでるんですね。
若林、安部さんは、「ここは我々の気持ちと似ている」と思うところが随所にありました、と言う。
ユートピアを求め決起する。そんな過程が似てるのかもしれません。
又、彼らと同じ赤軍派の仲間たちが、それも、日本に残った仲間たちが連合赤軍に加わり、山に登り、そこで一人一人が立派な革命家になろうとして、反省し、相互批判し、そこに暴力的な批判が入り、査問、総括の果てに、仲間殺しになります。
人間の完全な解放を目指しながら、同志を殺すのです。『1Q84』の世界は他人事ではありません。これは俺たちのことだ、と思う描写も沢山あったようです。グサリと胸を突かれたところも多かったはずです。
運動体験の浅い私ですが、そんな私でも、あっ、これは当時の自分だ。と思ったとこがありました。『1Q84』を読むのには最も最適の場所で読んだわけです。
ちょっと話が飛びます。帰ってきて、4月21日(土)にロフトで若松監督のトークがあり、三島映画の話がありました。そこに出て、「よど号」の話をしました。
そこから、「よど号」に国際電話をかけて、「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」の感想を聞きました。
その前には、徐裕行さん、森達也さんと、ある場所で会ってました。
徐さんはオウムのサリン事件の直後、オウム最高幹部の村井さんを刺殺し、12年間刑務所に入り、出てきた人です。
私は何度も会い、雑誌で対談しています。
森さんは、オウムのことを調べ、取材し、映画「A」「A2」を撮ってます。「ぜひ、徐さんを紹介してくれ」というので、21日、紹介したのです。
さらに、元オウム幹部で、元アーレフ代表の野田成人さんにも来てもらい、会わせました。もの凄いメンバーです。本当に、濃い人々です。
その時の話は、ぜひ、どこかに載せるべきですよね。
その時に、『1Q84』のモデルは野田さんですよね、と言う人がいました。野田さんは読んでなくて、エッ?と驚いてました。
『1Q84』には、不思議体験を子供の時に持った人たちが出てきます。子供の時、山岸会のようなところにいた人。子供の時、NHK集金人の父に連れられて集金に付いていった子供。その方が父親は、集金しやすかったんでしょう。
又、多分、「エホバの証人」をイメージしているのでしょうか、子供を連れたお母さんたちが、宗教の勧誘に一軒一軒回る、そんな体験を持った人々が出てきます。
元オウム幹部の野田成人さんも、そんな体験を持つ子供でした。「きっと野田さんのことを聞いて書いたんですよ」と言う人もいました。不思議な話です。野田さんも、徐さんも、じゃ読んでみよう、と言ってました。
私は、ピョンヤンの羊角島(ヤンガクトウ)ホテルに泊まって、そこの部屋で読んでました。
でも、ホテルはやたらと暗いのです。ただ、風呂場(トイレも一緒)だけは明るい。髭剃りや女性の化粧の時、暗くては困るからでしょう。
だから、夜中、フト、目が覚めた時などは、風呂場のへりに腰掛けて、『1Q84』を読んでました。又、高校闘争や、あさま山荘の本を読んでました。
夜、エレベーターを降りて帰る時、エレベーターホールの隣にソファーがありますが、そこに座って本を読んでる人も、よくいました。部屋が暗いから、そこで読んでるんです。
きっと、『1Q84』や連合赤軍の本でしょう。きっと、全共闘世代の人でしょう。そんな本を読みたくなる国でした。
毎日、国際大会があり、世界中から来た人々が報告します。そして突然、オーケストラが下からせり上がって、大音響でインターナショナルを流します。
会場にいる1万人以上の人々が、一緒に歌います。私も立ち上がって歌いました。何故か、感動し、涙が流れました。
いかん、オレは左翼になったのか、と思いました。洗脳というのとは違います。
そうだ、学生時代は毎日のように、この歌が流れていた。そして全共闘と殴り合いをしていた。そんな私の〈青春〉を思い出して、涙が流れたのでしょう。(今とは違い)闘いに明け暮れていた、凛々しい自分の若い頃を思い出して、涙したのです。
又、いろんなパーティがあります。そして興が乗ると、あちこちで、インターやワルシャワ労働歌を歌うんですね、白人たちが。
大国アメリカと唯一闘っている北朝鮮よ、がんばれ!という気持ちなんでしょう。
又、拙い英語で話してみると、ソ連が崩壊し、東欧はなくなった。中国も、もう資本主義国だ。残ったのは共和国(北朝鮮)だ。と言います。
そんなに期待してるのか。彼らは、ヨーロッパの「左翼」なんでしょう。今でも社会主義の夢を持っているのでしょう。又、チュチェ思想を信じている白人たちもいます。
「お前はマルキストか?」と聞かれました。そんな質問は日本では絶対にありません。「ノー」と言いました。そして、「オラはアナキストだ。スミダ」と答えました。
『竹中労』を書いてるんだから、嘘じゃなかとスミダ。ここで終わるスミダ。
終わって近くの店で打ち上げ。兄貴も一緒に行き、佐高さんや主催者たちと大いに議論しておりました。この日は、近くのホテルに泊まりました。原稿のゲラを何件か、ホテルに送ってもらい、校正しました。
それから車で池袋のジュンク堂へ。7時から打ち合わせ。7時半からトーク。
宮台真司さんは『きみがモテれば社会は変わる=宮台教授の(内発性)白熱教室』(イーストプレス)を出した。「よりみちパン!セ」シリーズの最新刊だ。私も、この1月に、このシリーズから『増補・失敗の愛国心』を出した。この2冊をテーマにしながら、白熱の対談をしました。
超満員だった。
そのあと、打ち上げで、近くの居酒屋へ。私は10時半に中座して、ホテルニューオータニへ。この日、「恵観塾」をやっている。北朝鮮に私を連れて行ってくれた人たちが集まっている。北朝鮮の報告会は聞けなかったが、二次会に合流できた。夜中の1時頃まで話をして、車で帰る。
それから3時間寝て、原稿を書いたり、学校の予習をしたり…。
又、政治運動と笑い、笑いの効用について、つい偉そうに喋ってしまったんです。スミマセンでしたスミダ。
そうだ。ここで「小沢無罪」を聞きました。よかったね。それよりも、こんな政治力のある人間は、もっともっと国のために使うべきだ。世界中のリーダーは皆、したたかだ。彼らと闘わせろよ。と言いました。
終わって、河合塾コスモへ。3時から現代文要約。5時から読書ゼミ。今週は、勢古浩爾『人に認められなくてもいい=不安な時代の承認論』(PHP新書)を読みました。皆で、読んで、考えました。
それから生徒と食事会なんですが、「用事があるので」と言って、私だけ欠席。全日空ホテル(ANAインターナショナルだっけ?)に行きました。「加藤紘一さんを励ます会」。もう終わり近くだった。木村三浩氏、佐高信さんは帰るとこでした。加藤紘一さんに北朝鮮の報告をしました。「加藤さんも、ぜひ行って下さいよ」と直訴しました。又、小沢無罪後の民主党はどうなるかをじっくりと聞きました。
そうだ。この日の朝刊に出てましたが、東郷健さんが亡くなったそうです。79才だという。同性愛者や障害者への差別撤廃を訴えていた。又、天皇制反対を言い、右翼とも衝突していた。私たちも、仲良くした時もあるし、喧嘩になった時もあった。いろんな事があった。ご冥福をお祈りします。
①アントニオ猪木さんと。ピョンヤンで会いました。4月13日(金)です。金日成主席・金正日総書記の銅像の除幕式のあとです。献花をして帰るところです。ホテルも一緒でしたし、この後も何回か会いました。対北朝鮮外交では力のある人ですので、頑張ってほしいです。
⑤北朝鮮から帰った翌日、4月18日(水)の夜、「グリーン・アクティブ」の会議がありました。左から鈴木。マエキタ・ミヤコさん。津田大介さん(著書『動員の革命』をもらいました。ありがとうございました)。山本コータローさん。(昔、テレビに一緒に出ました。そのことをちゃんと覚えてくれてました。そして「放射線測定器AIR COUNTER-S」をもらいました。ありがとうございました)。
⑦4月20日(金)午後7時から。文京シビックホール。「STOP!権力の暴走。国民大集会~小沢一郎政治裁判の不当判決は許せない」。1200人が集まりました。もの凄い熱気でした。
その熱気が届いたのでしょう。4月26日(木)、小沢氏に無罪判決が出ました。この集会には私も賛同人になっていて、挨拶しました。植草一秀さんが基調報告をしました。久しぶりに会いました。今度、雑誌で対談しましょうよ、と言いました。
⑩4月23日(月)TBSテレビのCS「ニュースバード」に出ました。2時半から生放送。9時から再放送でした。「連合赤軍特集」の第2回目で、この日は、「連合赤軍化する現代日本」でした。
中央が元連合赤軍兵士の植垣康博さん。左は、キャスターの松澤千晶さんです。
⑪4月21日(土)午後7時から、ロフトプラスワンで、若松孝二監督の「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」。そして森達也監督の「3.11」。この2つの映画についてのトークが行われました。
(左から)安岡卓治さん、綿井健陽さん、森達也さん、鈴木、若松孝二さん。
⑭4月24日(火)6時半から、仙台のハーネス仙台で、佐高信さんと対談しました。テーマは「右翼と左翼の交差点」です。宮城県の社民党が主催してくれました。お世話になりました。
会場は満員でした。北朝鮮報告もやりました。楽しかったです。
先週、北朝鮮から帰ってきて、まだボーッとしているなかにHPを書き、あわててアップして、失敗してしまいました。「よど号」の方の名前を取り違えてしまいました。一番大事なことを間違えるなんて、本当に申し訳ありません。全ては未熟な私の責任です。本当にすみませんでした。自己批判します。