まいったな。こんなことがあるのかよ!と思った。今年第2のミッションは中止になった。
実は、5月18日(金)から22日(火)まで、北朝鮮に行く予定だった。「又かよ?」と思われるかもしれないが、こっちの方がメインだった。去年から決まっていた。
去年は北朝鮮に2回行った。3月と10月だ。
「よど号」グループとは随分と話をした。彼らは日本に帰りたいという。
でも、帰ったら最低でも10年以上は獄中だ。だから、その前に、「全て」を語ってほしい。そして本にしよう、と私は言った。
特に、ヨーロッパにおける活動だ。彼らは、リビアに行ったり、東欧に行ったりしている。世界の革命家、闘う人民との連帯の大会に出たり、交流したりしている。
かなり自由に動いていたようだ。その頃の事がよく分からない。
そして、日本人をヨーロッパで拉致したのではないか、と日本の警察から疑いをかけられている。
彼らは、やってないと言うし、私もそう思う。でも高沢皓司氏の『宿命』や八尾恵さんの「証言」などで、「やったのではないか」と警察は言う。何人かに令状も出ている。
「それは撤回してくれなくては、日本に帰れない」と「よど号」グループは言う。「それは日本に帰ってきて、裁判ではっきり言ったらいいでしょう」と私は言ってるが、納得しない。
だから、今すぐ帰国はない。ただ帰国の為のいろんな「交渉」はしている。
急に決まるかもしれない。帰国したら、ゆっくり話は聞けない。
だから、今、話して下さいとお願いした。それは去年の段階で決まった。
その為に、今年の5月の18日から24日に、私が訪朝する。編集者も連れて行く。「よど号」グループが招請し、救援連絡センターの山中幸男事務局長が窓口になる。元連合赤軍兵士の植垣康博さんも行く。総勢10人以上だ。
だから、この「5月訪朝」に向けて、いろいろ準備をしてきた。
そこに、もう1つのミッションが突如、出現した。4月15日(日)の金日成主席生誕100周年慶賀の訪朝だ。それに誘われた。池口恵観さんに誘われた。
「でも5月に行くんだし」と思ったが、4月の慶賀行事は歴史的なイベントだ。100年に1度だ。次はもう行けない。
でも、私なんかは行けないだろう。いや、ダメで元々だ、と思って申し込んだ。日本でも1万人ほどの人が申し込んでるが、(全体でも)わずか60人ほどしか入国できない。
どうせ私はダメだろうと思っていた。ところがビザが下りた。訪朝できた。我々は、池口恵観さんが団長の16人ほどのグループだ。
恵観さんは北朝鮮には、仏教界、政界を通じ、太いパイプがある。向こうでは勲一等にあたる親善一等勲章をもらっている。私まで連れて行ってもらい、ありがたかった。
軍事パレードは見たし、金日成主席、金正日総書記の銅像除幕式にも参列した。金正恩さんは3回も見た。
まさに歴史的現場に立ち会えた。多くのことを考え、学んだ。自分も変わった、と思った。
そのことは、このHPに書いた。動画もupした。又、現地からツイッターで報告もした。
こんな世界史的イベントに招待されたんだ。5月の訪朝は、問題ない。
そう思っていた。4月16日(月)、ピョンヤン最後の夜だ。キムイルソン広場で10万人の青年男女がマスゲームをし、歌い、踊って歓迎してくれた。
その踊りの輪の中に、「よど号」の若林盛亮さんと私は飛び入りし、踊った。ピョンヤンの若者たちと一緒に踊ったのだ。
世界中のマスコミがそれを撮っている。私はまさに〈歴史〉の中にいる。そう思った。
その興奮状態の中で、私は言った。「5月には又、来ますから、じっくり話を聞かせて下さいよ」と若林さんに言った。
若林さんは「裸のラリーズ」というバンドをやっていた。ミュージシャンだ。又、親は「生長の家」だったし、本人も子供時代から愛国的な子供だった。
それなのに何故?革命運動に入ったのか。又、小西さんは東大の医学部だ。そんな立場を捨てて、なぜ北朝鮮に来たのか。
他のメンバーだって皆、優秀な人たちだ。それだけ北朝鮮に夢を持ったのか。日本ではもう運動は出来ないと思い、追い詰められたのか。
又、北朝鮮で軍事訓練を受けて、日本に再上陸し、革命をやろうとした。そのことも詳しく聞きたい。ヨーロッパで活動していたことも…。
「今回はあまり、ゆっくり話せなかったけど、来月、又、来ますから」と私は言った。「又、すぐに会えますね」と若林さん。
ただ、最後に、ポツリと気になることを言った。「でも…」と。デモもストもないでしょう。5月に来るのは「決まってること」だから、と思ってたら。
「でも、僕らが招待した時は全て失敗してますからね。それが心配です」と。
「よど号」グループの招待で今まで、多くの人が訪朝している。勿論、自分の金で行くんだが、国交はないから、どこかの団体が招請先にならなくてはダメだ。国家の部門とか、友好協会とか、「よど号」とか。
何故か、「よど号」が呼んでくれた時は、私は、全てビザが下りてない。今まで、4回訪朝してるが、全て、別のルートだ。
どこのルートであれ、1回、訪朝したら、「ブラックリスト」からは外されて、僕は堂々と行けるものだと思っていた。ところが違うのだ。よく分からない国だ。
1回訪朝し、「もう大丈夫だ」と思い、彼らも「ビザは下ります。北京でもらって下さい」と言うから行ったら、下りなかった。
北京にある北朝鮮の大使館で、「鈴木さんだけ下りてません」と言われた時は、頭をガーンと殴られた感じだった。
切符はセットで買ってるし、仕方ないから、5日間私は1人で北京にいて、皆が帰るのを待った。その間、北京動物園でパンダを見たり、万里の長城に行ったり…と。
そんなこともあったが、昔の話だ。もう4回も私は訪朝している。それに、金日成主席生誕100年の歴史的イベントに招待されたのだ。
金正恩さんを3回も見た。日本人で金正恩さんを見たのは60人しかいない。その60人の中の1人だ。
そんな最も難しい時に入国できたのだ。あとは問題はない。若林さんも心配症だな。全く問題ないよ、と思った。
ところがだ。私にビザが下りない。私と青木理さん(ジャーナリスト)に下りない。
あとは、編集者もカメラマンも下りた。連合赤軍の植垣さんですら、下りた。
「じゃ、他の人たちだけで行って下さい」と言った。編集者とは、「こんなことを聞いてほしい」と打ち合わせを何回もした。
そしたら又もや、変更だ。「5月18〜22」の予定を1週間ずらしてほしい、と向こうが言ってきた。直前に。
何のことだろう、まさか、その間に何かあるから、「外国人は入れない」ということか。核実験か。ミサイルか?
「じゃ、1週間後に行ったらいいだろう」と思った。
ところが、行く予定の10人以上の人は去年から準備している。この時に行くように会社を休み、仕事の段取りをつけている。今、急に、1週間ずらせ、と言われても出来ない。皆そう言う。それで、訪朝そのものが中止になった。
ウーン、大変なことになった。何が起こるか分からない国だ。
実は、5月訪朝のために私は随分と準備した。ツイッターでも新たなソフトを購入した。空港で携帯やノートパソコンは預ける。だから、メールは出来ない。ツイッターは出来ない。
だから、声で入力できるソフトを買い入れた。これだと、北朝鮮のホテルから電話したら、そのまま、声のツイッターになる。画期的だ。
その他、いろんなことを考え準備した。それなのに…。
ということで、5月のミッションは失敗した。次は、いつになるのだろうか。私はもう入国できないのだろうか?
では次に、連合赤軍の話だ。本当は、これをメインに書く予定だったが、訪朝が失敗したので、その報告が長くなってしまった。ともかく、連合赤軍シンポジウムも〈事件〉ですね。
40年経って、当事者を含めて、これだけ大きなシンポジウムが開かれた、というのも事件ですが、それを天下のNHKが「ニュース」番組で放映した。というのも〈事件〉です。
では、「あの噂」は本当かもいれませんね。そうですよ。連合赤軍事件は、もう十分に歴史になっている。だから、「NHKの大河ドラマにしよう!」と考えている人がいる。そういう「噂」です。
低視聴率にあえいでいる「平清盛」よりは、ずっと面白い。夢も情熱も、愛も、裏切りも、殺人も総括もある。そして、これらは今でも尾を引きずっている。排外主義、足の引っ張り合い、けなし合い…と、連合赤軍の「悪い点」ばかりを日本人の皆が引きずっている。
「連合赤軍化する現代日本だ!」と言う人がいるくらいだ。私も、その主張には賛同する。
では、連合赤軍のシンポジウムの内容だ。
5月13日(日)午後1時30分から6時まで。目黒区民センターで行われた。
〈「シンポジウム 浅間山荘から四十年。当事者が語る連合赤軍」〉
司会は、金廣志さんと椎野礼仁さん。
金さんは元赤軍派で、指名手配され15年逃走し、時効を迎え、堂々と社会に復帰し、今は、予備校のカリスマ講師だ。
礼仁さんは元戦旗派。今は編集プロダクションの社長で、私の本も3冊作ってもらった。
当事者は(元赤軍派の)植垣康博さん、青砥幹夫さん、(元革命左派の)雪野建作さん、前沢虎義さん。この4人は最後まで連続出演でした。お疲れさまでした。
全体は4部から構成されていて、ゲストパネリストは次々と変わる。植垣さんたち当事者だけは、ずっと残って、討論に加わる。
第1部は、「映像でふりかえる」。
当時の資料映像で構成。制作は馬込伸吾さん。優秀なカメラマンで、当日のシンポジウムでも彼が写真を撮っていた。いい写真をわけてもらい、このHPでも使っている。うまく撮れているのは彼の写真です。
第2部は、「当事者世代が語る」。ゲストパネリストは、塩見孝也、三上治、鈴木邦男。
塩見さんは、始まる前、熱心にメモを書いていた。喋る内容だ。図式化し、どう説明するかを考えている。そして私を見て、「アンタは気楽でいいよな。部外者だから」。
そうですね、部外者の私がゲストで申し訳ありません。でも、いろいろと、考えていることを話しました。
第3部は、「連合赤軍事件が残したもの」。
ゲストパネラーは、森達也さん(映画監督)、田原牧さん(新聞記者)、大津卓滋さん。
第4部は、「若い世代にとっての連合赤軍」
ゲストパネリストは、赤岩友香さん(週刊金曜日)、雨宮処凛さん、ウダタカユキさん(俳優)、小林哲夫さん(『高校紛争』著者)、山本直樹さん(マンガ『レッド』を連載中)。
この日は、当時を知る人、全く知らない人たちも多くいた。テレビや新聞の取材も多かった。
NHKの記者は、「あすの朝のニュースでやります」と言っていた。まさかと思いながらも見たら、本当にやっていた。5月14日(月)の「おはよう日本」で、朝6時10分から放送された。
初め、事件の様子が紹介され、「40年を機に、事件がどうして起きたのかを考えようというシンポジウムが13日、都内で開かれました」と。
このNHKは、短いながらも、ズバリと本質をついた紹介をしている。
この時の放送のダイジェストはネットにも載っていた。実に要点をついている。たとえば、こうだ。青砥氏の発言が紹介され…。
〈元活動家の一人は「リンチ殺人事件につながる命令を出した指導者にも責任はあったが、不満に思いながら命令を受け入れた者にも問題があった」と語りました。これに対し作家の森達也さんは、「連合赤軍の事件はオウム真理教と同じで、指導者だけが事件を引き起こしたのではなく指導者とそれ以外の人たちがお互いを利用して1つの方向に流れた結果だと考えている。こうしたことは今のどの組織でも起きる可能性があり、普遍性を持っていると思う」と述べました。
また、一連の事件をテーマにした漫画を連載している漫画家の山本直樹さんは、「人間は間違いを犯すもので、そういう意味では連合赤軍事件の謎はないと捉えている。連合赤軍の人たちは、議論するなかで、ことばが暴走し、暴走したことばにこだわりすぎて事件を起こしたのだと思う」と述べました。
参加した33歳の会社員の女性は「なぜ凄惨な事件に至ったのかを知りたくて参加しました。集団が暴走してしまうことは現代社会でもありえることなので、その動機を知ることができてよかったです」と話していました〉
他にも、このシンポジウムのことはネットに出ているだろう。その時の動画もぜひ流したらいい。
そして、これは決して40年前だけに起こったことではない。現在も起こりうる問題だ。現在の日本の問題だと考えてほしいと思った。
大夢館が出来てからも、何度か行っている。今年は5.15事件から80年ということで、多くの人々が全国から集まった。第1部は岐阜護国神社で「大夢祭」。
第2部は、隣りのホテルパークで、「記念講演会」。講師は岡本幸治先生(京都大学法学部博士)で、「5.15事件と現代日本」。とてもいいお話でした。先生とは久しぶりにお会いしました。
第3部は、「懇親会」。大場俊賢さんはじめ多くの先輩、先生方に会いました。写真にも載せましたが、元警視庁捜査一課長(現・日本協会会長)の平田富峰さんに会いました。驚きました。「鈴木さんのことは、よく知ってますよ。赤報隊事件で…」と言われ、ギクッとしました。
「でも我々は公安ではないから、憶測だけで無理なことはやりません」と言っていた。いろいろとお話ししました。現役の時だったら、絶対にこんな話は出来なかったでしょう。又、じっくり話したいと思いました。
このあと、大夢館へ行きました。昔、私が行った時は木造の2階建てでしたが、今は、鉄筋コンクリートの3階建てです。中も広いし、驚きました。昔話をして、夜、8時に帰りました。帰りは、犬塚氏、藤本氏、木村氏、そして私の4人でした。
「編集長は見た!」は「SAPIO」の編集長・三浦和也さん。今号の特集は、
〈JAXA(ジャクサ)有人飛行計画で実現する「2020年代宇宙の旅」〉
〈中国。汚れた紅い権力者たちの不正蓄財メカニズムを暴く〉
など。
終わって、永田町の憲政会館へ行く。辻元清美さんの出版記念会。6時から辻井喬さんの記念公演。7時からパーティ。私はその途中に行った。もの凄い人で入り切れない。やっとのことで中に入った。私も挨拶させられた。辻元さんとは、かなり昔からの知り合いだ。頑張ってほしい。石坂啓さん、崔洋一さん(映画監督)、河内家菊水丸さん…などに会う。
終わって、渋谷のアップリンクへ。午後7時から、「田中さんはラジオ体操をしない」「ベオグラード1999」の上映。そして9時40分から、トーク。私は9時頃着いたので、打ち合わせをして、出演。
「田中さんは--」の主役・田中哲朗さん。それに「ベオグラード」の監督・金子遊さんと私の3人でトークをした。運動論、時代論などを含め、深い話が出来たと思った。
そのあと、近くのお店で食事。終電で帰った。
①5月13日(日)、目黒区民センターで行われた「シンポジウム 浅間山荘から四十年。当事者が語る連合赤軍」です。右の4人は、当事者の元赤軍派、元革命左派。中央は司会の金さんと礼仁さん。左はゲストパネリスト。次々とかわります。
この写真は第4部ですね。左から、赤岩友香さん(週刊「金曜日」)、雨宮処凛さん、ウダタカキさん(俳優・若松さんの「連合赤軍」で吉野役をやった)、小林哲夫さん(作家・『高校紛争』の著者)、山本直樹さん(漫画家・『レッド』を連載中)。
⑧5月10日(木)、一水会フォーラムに若松孝二監督が来てくれました。初めに、「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(6月2日公開)のメイキングビデオが流されました。そのあと、「1人で喋るのは苦手だから、鈴木さんと一緒に喋ろう」と若松さんに言われて、映画の話をしました。
⑨5月8日(火)、代官山で、脱原発の集まり「ロックの会」がありました。主催者の松田美由紀さん(右から2人目)を囲んで。松田優作さんの奥さんです。息子さん2人も俳優で、お孫さんもいます。でも、若いです。おきれいです。3人とも20代のように見えます。
⑬5月15日(火)岐阜に行ってきました。
〈五・一五事件八十周年 平成24年度「大夢祭」〉です。
第1部は岐阜護国神社で大夢祭が行われ
これは、第2部の記念講演会です。ホテルパークで行われました。岡本幸治さんが講演しました。
⑮中央は花房氏。左は、何と、元警視庁捜査一課長の平田富峰さんです。今は日本協会会長です。穏やかな人なので驚きました。「現役の時は目が吊り上がっていました。鈴木さんのことは赤報隊事件でよく知ってました」と言われました。当時の話をいろいろ、してくれました。今度、ゆっくり話を聞かせてほしいです。剣道8段、柔道3段だそうです。とてもかないません。
⑯クリストファー・W.A.スピルマンさんと。九州産業大学国際文化学部教授です。日本語がとてもうまいです。よく、会っています。「この前も会って話しましたね」と言われましたが、「どこの集まりでしたっけ?」と2人とも思い出せませんでした。