2週連続で京都大学に行った。
5月26日(土)は、吉田寮食堂で、「ツレがウヨになりまして」を観て、監督の高間響さんとトークをした。
6月3日(日)は、西部講堂に行き、ライラ・ハリドさんの講演を聞いた。
PFLPの活動家で、かつては、「ハイジャックの女王」として名を馳せた人だ。伝説的な人だ。感動だ。
次の土曜(6月9日)も大阪だ。
翌、10日(日)は西宮ゼミだ。田原総一朗さんが、超多忙の中、駆けつけてくれる。
夜、東京で仕事があるのに、無理に時間を作って、飛行機で来てくれる。ありがたいです。申し訳ない。
私も、全身全霊でお応えしなくてはと、覚悟を決めてます。だって、この日のテーマは、これだ。
〈25年目を迎えた朝日新聞阪神支局襲撃事件の真相と意味
=今、言論の自由と暴力の問題を考える=〉
うーん、迷いますね。25年も経ったんだ。「全て」を話すべきだ、という人もいる。でも、人間として、活動家として守るべき「義」もある。
それに、「今まで嘘をついてました。実は…」と告白するのも嫌だ。
オウムの平田信は自首し、菊地直子は逮捕された。菊地は捕まって、「ホッとした」と言っていた。正直な思いだろう。17年間も逃亡してたんだ。常に緊張し、ビクビクしながらの生活だ。
私にもそんな〈時〉があった。突然、事件に巻き込まれ、危険なミッションを共有した時もあった。
これで世の中を変えられるんだ、と精神が高揚し、ハイになっていた。常に緊張しながらも、それが「生きてる証し」だと思ってた時もあった。
危なかった。何かの容疑で、捕まっていたら、「主犯」にされ、一生刑務所だったろう。
そんな地獄に叩き落とされたら、仲間を売ってでも助かりたいと思ったかもしれない。人間なんて弱いものだ。ギリギリの状況で、どう変わるか分からない。悪魔とでも契約を交わすかもしれない。
「究極の選択」を強いられる場面が何度かあった。公安警察との攻防戦だ。
「赤報隊が時効まで逃げ切れたのは、鈴木さんが庇ったからです」と元刑事の北芝健氏に言われた。
結果的にはそうかもしれない。見沢知廉氏の時は失敗した。でも、赤報隊の時は成功した。とも言われた。
殺人・死体遺棄の見沢氏を、本来ならば(私が付き添って)自首させるべきだった。
しかし、「権力にむざむざ捕まりたくない。屈服したくない」と見沢氏は言う。その執念に、〈意地〉に負けて、私は逃亡を助けた。
今、考えると、全く「展望」のない逃亡だ。時効まで15年。逃げ切れる保証はない。全くない。逃亡を助ける「組織」もない。潜るべき「人民の海」もない。権力に屈服したくない、という〈意地〉だけだ。
オウムの平田、菊地たちも多分そうだろう。すぐ自首してたら、とっくに刑も終わり、今頃は自由の身だ。冷静に考えたら分かる。
でも、ムザムザと、敵に降伏は出来ない。それでは、自分の今までの生活を全て否定することになる。自己の全否定だ。そう思うのだ。だから逃げる。
北朝鮮にいる「よど号」グループも、このまま帰国したら「権力に屈服することになる。それは嫌だ」と言う。
ハイジャックして人民に迷惑をかけたことは謝罪する。しかし、ヨーロッパで日本人を拉致したことはない。
そんな嫌疑をかけられたまま帰国は出来ない。それを政府・警察は撤回しろ。そして帰国について自分たちと協議しろ、と言う。革命家の矜持だ。意地だ。
見沢氏や、オウムや、赤報隊や、「よど号」も、全て一緒くたにしては申し訳ないが、〈一線〉を超えた人間の決意と覚悟は似ている。
又、それに命を賭けたのであれば、失敗しても、「ごめんなさい」と自首は出来ない。
たとえ失敗しても、プライドがある。意地がある。権力に簡単に屈服してはならない。そう思うのだ。
逃げてるうちに状況が変わるかもしれない。世の中はどんどん変わっているんだし、全く予測のつかない大変化が起きるかもしれない。自分たちに都合のいい状況になるかもしれない。そう思うのだ。
他力本願だ。自力本願で「事」を起こしたはずなのに、失敗したら、「権力に屈服しない」形を示すために、逃げることしか出来ない。いつか、いい状況が生まれるまで、他力本願で、逃げるしか出来ない。
今回の菊地直子逮捕について、元オウム幹部に聞いたら、彼も同じことを言っていた。「確かに展望はないが、逃げるしかなかったのだ。何かが変わると信じて」と言っていた。
赤報隊事件については、鹿砦社から何冊も本が出ている。私は、その全てについて書いている。
私だけで書いたのは、『赤報隊の秘密』だ。あるいは、ここに全てがあるのかもしれない。他にも共著では、何冊かある。
又、いろんなところに書いた。喋った。そして、公表できない、いろんなことがあった。赤報隊との接触。依頼。危ないミッション。etc。
公安警察も、あらゆる手を使って、私を捕まえようとした。実際、2度、別件逮捕をされた。ガサ入れは何十回となくやられた。
公安の最後の切り札が、例の放火事件だった。何も公安が火をつけたのではない。しかし、時効直前、公安が監視している中で、放火は行われた。公安は止めなかった。むしろ、「やってみろ」と煽った。
「卑劣な鈴木」を揺さぶり、あぶり出す為に「正義感にかられた男」は放火した。そして、翌日、「赤報隊」の名前で警告文を送ってきた。
「これ以上、秘密をバラしたら殺す」と言ってきた。
勿論、赤報隊ではない。でも、犯人の「読み」は分かっている。
放火された鈴木は、怒って、赤報隊に電話をする。あるいは出かけて行き、会って文句を言う。「今まで庇ってきたのに、何ていうことをするのか! 俺が信用できないのか!」と。
公安はそれを待っていた。電話するか、会うか。その瞬間に「一網打尽」にしてやると、手ぐすね引いて待ち構えていたのだ。
ところが、鈴木はこの手には引っかからなかった。
その次は、敵は、新たな謀略を仕掛けて来た。「放火犯人はこいつだ」と、いろんな投書、密告があった。
そして警察は図々しくも、「犯人はこいつに違いない。捕まえてやるから、被害届を出せ」と言ってきた。
私は拒否した。確かに、その男が犯人かもしれない。しかし、公安の黙認のもとにやったのだ。少なくとも公安に煽られてやったのだ。彼も〈犠牲者〉だ。告訴するつもりはない、と言った。
もし私が告訴したら、彼は捕まり、長期間、刑務所に入るだろう。
日本では放火の罪は重い。彼が、「国士」「右翼」を気取るなら、「内ゲバ」で捕まるなんて恥だろう。
「国士」ならば、山口二矢のように、ビッグな政治家を倒して自分も自決する。あるいは自首する。…そういう政治的事件で捕まりたいだろう。死にたいだろう。
〈犯人〉には、そう伝えた。人を介し、そうメッセージを送った。その後、犯人はどうなったか知らない。
まあ、公安との闘いについては、キチンと書いておかなくてはならない。又、闘いの日々の中で生まれた友情や愛や、別れや、死についても…。
村上春樹の『1Q84』のような世界だな。ユートピアを夢見ながらも、暴走する革命集団がいて、テロリストがいて、文学青年がいて、妖精のような少女がいて…。
そうか、私も、「1Q84」の世界に生きていたんだ。この汚濁にまみれた世界で、6畳一間の木造アパートにいるようにみえて、もう1つ、「パラレル・ワールド」で生き、闘っていたのだ。
そこでは、栄えある革命家だ。時には冷酷なテロリストだ。いけない、私の正体をバラしてしまいそうだ。
話、変わって、京都大学だ。
ここも、もう1つの世界だったな。立て看板がやたらある。小汚い寮があり、万年床が敷かれている。
木造の西部講堂には有名な「オリオンの三つ星」が輝いている。40年前の「リッダ闘争」を敢行した奥平、安田、岡本の三勇士を表している。
そこで、ライラ・ハリドさんを見た。話を聞いた。
パンタさんは、「銃をとれ」「ライラのバラード」「7月のムスターファ」を熱唱する。
会場からは、「異議ナーシ!」という掛け声が…。ここは40年前の世界だ。「もう1つの世界」だ。
「ハイジャックの女王」ライラ・ハリドさんの昔の写真が飾られてある。銃を持っている。これからハイジャックに行く時か。
そのポスターの前で、現在のライラ・ハリドさんが話す。何度も捕まりながら、生還し、今は国会議員だ。だから日本にも入国出来る。
今は、かつての路線は否定している。でも、銃を持った凛々しい姿はポスターになっている。
連合赤軍の植垣康博さんも来ていた。
「植垣さんたちも、こうしたポスターを作ればいいのに」と言った。M作戦で、銀行強盗に行く直前の写真で。皆で、包丁を持って身構えている。
「そんな写真、撮ってませんよ」と植垣さん。
だったら今から撮り直したらいい。
「再現写真だ」「実は、包丁だけでなく、物差しも持って行ったんです」と言う。
札束を計るために?「いや、金庫を開けた時、閉められないために、差し込むんです」。
よく分からんが、「右手に包丁、左手に物差し」だ。そのポーズで写真を撮り、「連赤を考えるシンポジウム」の時に大きなポスターにして貼ったらいい。10年後の「連赤事件から50年」集会の時には使ったらいい。
西部講堂の向かいには、京大博物館というものもあった。「陸上脊椎動物の多様性と進化」という催しがやっていた。
見に行こうと思ったが時間がない。一体、何をやってるんだろう。動物の進化の歴史か。いやいや、京大ならば、塩見孝也とか滝田修とか、一杯いるだろう。珍種の動物(革命家)が。それを標本にして展示したらいい。同時に、学生運動の歴史もやるんだよ。
「でも、果たして、塩見孝也に脊椎があるかどうか」と言う人がいた。昔、戦旗派にいた人だ。とても筋の通った運動家とは思えないという。
「それに、左翼は、多様性を認めません。〈統一と団結〉の名のもとに独裁と粛清です」と言う人がいた。
又、「とても進化とは言えない。彼らは皆、退化です」。
そうか。じゃ、「無脊椎動物(=左翼)の独裁と退化」展でいいじゃないか。
…と、他人のことはいくらでも批判し、揶揄出来るのに、いざ自分のことになると、正直な自己批判も出来ないし、「真相告白」も出来ない。卑怯な男ですよ私は。情けない。私も無脊椎動物ですよ。そして、退化の歴史ですよ。オワリ。
本間さんとは、初めは文化放送で会い、6月2日(土)の「マガ9学校」でも会い、この日は3回目。とても楽しかったですし、勉強になりました。「真面目な社員でありたい」「立派な営業マンでありたい」と思い続け、その挙げ句に事件に巻き込まれてしまう。誰にでもある誘惑だし、危険性だ。その点をじっくり聞きました。
終わって、近くの居酒屋「土風炉」で飲みました。何と、文化放送の貞包アナウンサーも駆けつけてくれました。
文化放送のこの日のテーマは、「手配犯逮捕で再び注目を集めるオウム真理教の闇」。元オウム幹部で、元アーレフ代表の野田成人さんに前日、電話して聞いた話を紹介した。又、私は新聞記者や警察関係者から聞いていた話をした。「菊地らは絶対捕まらない。海外に逃げてるからだ」と。オウム信者たちでもそう思っていた人は多かった。警察の「いいわけ」だったのか。あるいは逃亡犯を油断させる作戦だったのか。その〈謀略戦〉について話をした。
「編集長は見た!」は、「SAPIO」編集長の三浦和也さん。特集は、
〈6月中に石原新党旗揚げ。そして大阪維新の会と合流。それを仕掛けるキーマン・園田博之の青写真〉
〈スクープインタビュー。渦中の石原慎太郎都知事が語った。
「橋下徹さんとは新党で合流するでしょう」〉
そのあと、Wコロンの謎かけ。Ust延長戦。終わって、来週の打ち合わせ。午後6時半に文化放送を出て中野に。
中野サンプラザの研修室で、「第32回 国体文化講演会」が行われていて、参加する。午後6時半から始まっていたが、途中から聞く。どうしても講師の所功先生に会いたかったからだ。所功先生は、京都産業大学法学部教授。私が学生時代からお世話になり、指導して頂いた先生だ。この日のテーマは「皇室を巡る諸問題」。
この日、三笠宮寛仁さまがご逝去された。殿下を偲び、殿下のお仕事なども話された。そして、今問題になっている女性宮家創設などについても話された。終わって、近くの居酒屋で皆と食事。いろいろと教えて頂きました。先生とは、大阪の「たかじん」でも何回かお会いしている。いつも穏やかに話されるし、教えられます。
午後3時、河合塾コスモ。現代文要約。
5時、読書ゼミの予定だったが、「OB、OG体験談=私のコスモ活用法=」があったのでそこに合流。早大、東洋大、日大芸術学部に行った学生が受験勉強や大学生活を話し、コスモ生にアドバイス。日大芸術学部の人は映画専攻。「蟻の兵隊」の監督と会ったら、鈴木さんの話になって、盛り上がりました、と言っていた。あの映画は力作だった。私も又、会いたいです。
夜のニュースで聞きましたが、東電OL事件は、再審決定。ゴビンダさんは釈放だ。よかった。次は、袴田事件、名張ぶどう酒事件、和歌山カレー事件だ。
その後、木村三浩氏たちと赤坂御用地に行き、三笠宮寛仁さまのご逝去を悼み、記帳しました。多くの人たちが記帳に訪れていました。
夜は、久しぶりに柔道に行きました。
第1部は鷲田清一さんの記念講演、第2部は懇親会。瀬戸内寂聴さん、中村泰士さん(作曲家)、志村ふくみさん(染織家・人間国宝)などが「設立発起人」として挨拶。私も発起人として挨拶しました。寺脇研さんも来てました。
終わって、皆と飲みに行く。夜は、大阪で泊まりました。
午後2時、西宮で鈴木ゼミ。Caféインティライミで。今回のゲストは田原総一朗さん。夜は東京で仕事があるのに、無理に時間を作り、飛行機で駆けつけてくれた。申し訳ありません。超満員でした。
テーマは、
〈25年目を迎えた朝日新聞阪神支局襲撃事件の真相と意味
=今、言論の自由と暴力の問題を考える=〉
田原さんがまず話す。あの事件の意味と、言論の自由について。さすがに田原さんだと思った。だから、私も、覚悟を決めて話しました。とても勉強になりました。
終わって、田原さんは飛行機でトンボ帰り。私たちは打ち上げに。15才のアイドル・藤波心ちゃんも来てくれました。又、「ツレがウヨになりまして」の監督・高間響さんなども来てくれました。大盛況でした。
私は最終の新幹線で帰りました。
②来日したライラ・ハリドさん。今は、パレスチナ民族評議会議員。いわば、国会議員です。そして、PFLP幹部です。6月3日(日)、京大西部講堂で、「アラブ民衆・情熱の歴史フォーラム2012」で講演する為に、来日しました。
④パンタさんと。京大西部講堂の前で。木造の古い建物です。歴史があります。屋根の上には、あの有名な「オリオンの三つ星」が。40年前、リッダ闘争を闘った奥平、安田、岡本の三勇士を顕彰・記念して描かれたものです。
⑤京大入口にはデッカイ立て看板が。「今、アラブで何が起こっており、私たちは何をしようとしているのか」と。ライラさんの演題が。そして、ライラさんの言葉が書かれています。
「花をむしり取ることはできても、
春が来るのを止めることはできない!」
いい言葉ですね。
⑥京大には、いたる所に立て看板があります。いいですね。自由です。これこそが大学です。他の大学では立て看板はおろか、ビラを撒くだけで、警察に通報され、逮捕されます。大学側は学生を権力に売り渡しているのです。もはや「学問の府」ではない! 大学ではない!
⑦(左から)鈴木、重信メイさん、鵜飼哲さん、佐々木道博さん。メイさんはライラさんの通訳をしてました。鵜飼さんはシンポジウムに参加してました。私は久しぶりに会いました。佐々木さんとは4月に一緒に北朝鮮に行きました。お世話になりました。
⑯5月26日(土)、京都大学吉田寮食堂で行われた芝居「ツレがウヨになりまして」を見て、そのあと、監督とトークし、東京に帰りました。
その新幹線で、バッタリ、「おしどり」のケンさん、マコさんと会いました。降りた時、ホームで写真を撮りました。やっぱ芸人さんですね。ポーズがいいです。
〈中沢新一×鈴木邦男
「オウム事件と脱原発」〉
中沢さんが、重い口を開いて、オウム事件との関係について語ってくれた。衝撃の告白だ。又、菊地直子逮捕もあって、実にタイムリーだ。
ところが、『創』(7月号)を探しても、この対談は載ってない。私の持ってる『創』だけが載ってないのか。不思議だ。原稿が多くて急遽次号に回されたのか。何か不都合なことがあったのか。あるいは、元々、対談はなかったのか。でも、確かに対談はしたように思う。